カテゴリー「サイエンス・自然・SF」の92件の記事

2025/06/02

『怪獣談 文豪怪獣作品集』 武田泰淳、香山滋、光瀬龍ほか 東雅夫編 / 平凡社ライブラリー

わお! と飛びついて購入した怪獣本であるが、いかんせんいくつかの点でよろしくない。

一つは本書の成り立ちである。巻末の編者解説には、次のように書かれている。

  最初にお断りしておこう。
  本書は、私にとって「アンソロジスト」のデビュー作となった『怪獣文学大全』(河出文庫/一九九八年八月発行)の、待望久しい復刊である。一部の読者から熱心な復刊の御希望が寄せられ、ウェブなどでも古書価が高騰して心苦しい思いでいたのだが、このほどようやく念願を果たすことができた。

──ところが、本書が河出文庫の『怪獣文学大全』の復刊であることはカバーにも帯にもその記載がない。武田泰淳、香山滋、光瀬龍ら共通の著者名はあるものの、『怪獣談』なる新たなアンソロジーと考えて買ってしまった者も少なからずいたのではないか。

編者解説はさらに続く。

  再刊にあたっては、収録作の見直しを行ない面目を一新している。

「古書価が高騰」して「復刊の御希望が寄せられ」たアンソロジーの再刊において収録作を見直されたら読み手はちょっと困る。
旧『怪獣文学大全』を持っている者は大半の内容のかぶった本を買ってしまうことになり、持っていない者は旧巻の一部の作品を読むことができない。
なんとも意地悪な仕業ではないだろうか。

それぞれの収録作を下に列記しておこう。

Photo_20250602183801  『怪獣文学大全』(河出文庫)

  「ゴジラ」の来る夜(武田泰淳)
  発光妖精とモスラ(中村真一郎・福永武彦・堀田善衛)
  闇の声(W・H・ホジスン、大門一男訳) ★
  マタンゴ(福島正美)
  マタンゴを喰ったな(橋本治) ★
  更にマタンゴを喰ったな(橋本治) ★
  マタンゴ(大槻ケンヂ) ★
  科学小説(花田清輝)
  ガブラ──海は狂っている(香山滋) ★
  マグラ!(光瀬龍)
  日本漂流(小松左京) ★
  レッドキングの復讐(井上雅彦) ★
  ゴジラの来迎 もうひとつの科学史(中沢新一) ★
  巻末エッセイ 思い出の「マグラ!」(光瀬龍)

Photo_20250602183901  『怪獣談 文豪怪獣作品集』(平凡社ライブラリー)

  怪獣絵物語 マンモジーラ(香山滋・文/深尾徹哉・絵) ▲
  「ゴジラ」の来る夜(武田泰淳)
  発光妖精とモスラ──【上】草原に小美人の美しい歌声(中村真一郎)
  発光妖精とモスラ──【中】四人の小妖精見世物となる(福永武彦)
  発光妖精とモスラ──【下】モスラついに東京湾に入る(堀田善衛)
  怪奇科学小説 ラドンの誕生(黒沼健) ▲
  S作品検討用台本(『獣人雪男』)(香山滋) ▲
  マタンゴ(福島正美)
  マグラ!(光瀬龍)
  思い出の「マグラ!」(光瀬龍)
  『ゴジラ』ざんげ(香山滋) ▲
  怪獣談(香山滋) ▲
  科学小説(花田清輝)
  怪奇空想映画療法(東山魁夷) ▲
  「子供っぽい悪趣味」讃(三島由紀夫) ▲

★印が『怪獣談』でカットされたもの、▲印は追加されたもの。

再刊というにはずいぶんと差異が大きいが、それはさておき、東山魁夷と三島由紀夫の往復書簡など、資料性の高いものもあるが、原案のホジスンから橋本治や大槻ケンヂを加えてのマタンゴ万漢全席、あるいは小松左京、井上雅彦らによる怪獣パロディ、さらに怪獣の姿に「能楽におけるシテ(能役者)の動き」を読み取る編者解説の水準含め、旧『怪獣文学大全』のほうが格段に知的、エスプリ臭が強い。
ゴジラが銀幕に登場した1950年代はいざしらず、怪獣映画が幾度かのブームを迎えたのちの時代から見て、怪獣そのものを俯瞰、消化し、的確にとらえていたのは旧『怪獣文学大全』のほうだったのではないだろうか。

さて、本稿最初の1行で「いくつかの点でよろしくない」と述べた。
もう一つの問題は、文字にされた「怪獣」はなぜこうも面白くないか、ということである。
これは『怪獣文学大全』、『怪獣談』の収録作に限ったことではない。

たとえばこのブログでも、過去、怪獣映画、ドラマへのオマージュとしての『大魔神』(筒井康隆、徳間書店)、『マタンゴ 最後の逆襲』(吉村達也、角川ホラー文庫)、『MM9』(山本弘、創元SF文庫)、『空の中』(有川 浩、角川文庫)、『怪獣文藝』(東雅夫 編、メディアファクトリー 幽ブックス)、『ウルトラ怪獣アンソロジー 多々良島ふたたび』(山本弘、小林泰三ほか、ハヤカワ文庫)、大怪獣のあとしまつ』(橘もも 脚本・三木 聡、講談社文庫)などいくつかの作品を取り上げてきたが、いずれもこと怪獣の描写においては「怪獣映画」の魅力にはいたらなかったように思う。

もちろん、巨大な怪獣が東京湾から上陸して銀座を破壊する、などという状況において、文章より映像や効果音(『ゴジラ-1.0』の足音!)に格段の優位があるのは間違いないだろう。だが、それでは片付かない力のなさを多くの怪獣文学には感じざるを得ない。
たとえば怪獣がいざ現れるときの、その直前の雰囲気はどうか。姿を見せる前に場に響き渡る音は。現れるのは山影か、ビルの向こうか。それを人々は見上げるのか、遠く眺めるのか。怪獣の動きは素早いのか、ゆっくりか(もしその怪獣の着ぐるみにアクターが入っているなら、特技監督としてどう指示するのか)。人を殺傷するならそれは炎でもってか、牙の並ぶ口でかみ砕くのか。そのときBGMにはいかなる音楽が流れているべきか。

モスラやマタンゴの原作となった作品はともかく、怪獣映画がブームとなって以降の怪獣文学において、書き手のそれぞれに「しょせん子どもだまし」といった意識はなかったろうか。
各作品に、円谷英二や伊福部昭らの執念を読みとることがどうしてもできないのだ。

2023/12/26

学年雑誌付録「星からきた探偵」「五次元のかけ橋」「みな殺しの星」「時間が溶けた!」「怒りの水」ほか

Img_8917 どこから書き始めればいいだろう。

昭和の半ば、学年別学習雑誌の隆盛があった。

小学館の「小学一年生」~「小学六年生」を記憶されている方は少なくないだろう(「小学一年生」を除いて2010年代にいずれも休刊となった)。
学研の学年別「科学」や「学習」の付録の楽しさは格別だった(学年別の体裁のものとしてはすべて2010年に休刊)。

中学、高校生向けにも、「中一時代」~「蛍雪時代」(旺文社)、「中学一年コース」~「大学受験 高3コース」(学研)が発行されていた(「蛍雪時代」を除き1990年代にいずれも廃刊)。

この「中○時代」「高○時代」、「中学○年コース」「高○コース」は、中学生、高校生のそれぞれの学年に応じた勉強に関する記事(英単語の覚え方など)をはじめ、芸能グラビア、社会状況、連載小説、連載マンガなど総合雑誌を志向し、いっとき隆盛を極めたが、時代が平成にいたるころ、学生たちの趣味・嗜好が細分化するとともに存在価値を失っていった。

・・・と、ここまででも若い方には「?」の連続かもしれないが、さらに話は続く。
今回取り上げるのは、その中・高校生向け学年雑誌に添付されていた付録の小冊子についてだ。

全貌はネット、ウイキペディア等をたぐってもはっきりしないが、1960年頃から1970年代の前半にかけて、とくに学研の「中学○年コース」「高○コース」には読み切り短篇小説の別冊付録が付いていた。
文庫本サイズの二段組印刷でそれぞれおおよそ70~90ページくらい。

この、おそらく原稿料も安く、掲載ジャンルのしばりも甘かったであろう別冊付録の場で活躍したのが、当時、文壇的にはかならずしも高い地位を得ていなかった推理小説、SFの作家、翻訳家たちであった。

たとえば推理小説であれば、当時、クロフツ、ジョルジュ・シムノン、コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)らの名や雰囲気をこの付録で知った中・高校生も多かったのではないだろうか。
「ホームズやルパンはかろうじて知っているが、それ以外の推理小説となると」という若者に海外ミステリを伝え、広めようとする強い意思をこれらの作品群からは感じられる。

それ以上に知名度の低かったSFの作家たちにとって、この付録こそは千載一遇のチャンスと思われたに違いない。
最新科学であるか、という観点から見ればさすがに(当時においても)多少の古さはしかたないとして、それ以上に小説、サスペンスとして血沸き肉躍るSF作品が毎号のように付いてくるのだ!
当時の中・高校生にしてみれば、この版型、このページ数で良質なSF作品を読めるのは、素晴らしい入門体験だったのではないか。ここでいくつかの作品にはまれば、創元推理文庫に手が届くまではあとほんの一歩である。

烏丸は1970年ごろ、幸いなことに従兄、従姉らが読んでいた「中学○年コース」「高○コース」の付録をいわば「おさがり」として山ほどいただくことができ、それぞれ夢中になって読み返した記憶がある。
残念ながら実家の引越しでそれらは紛失してしまったのだが、最近、ネットオークションでいくつかを再び手に入れることができた。
今回はその一部(いずれもSF)を簡単に紹介してみたい。

ハル・クレメント「星からきた探偵」(「中学二年コース」昭和40年7月号付録)
・・・南太平洋に墜落した2隻の宇宙船にはそれぞれゼリー状の生物が乗っていた。彼らは宿主なしには生きられない。創元推理文庫に収録された長編「20億の針」を短くまとめたものだが、“探偵”の宿主となった少年がいかに“殺し屋”の寄生主を探し出すかというミステリ、サスペンス的要素で読ませる。「中学○年コース」付録中でもずば抜けた傑作の1つだったのではないか。

マレイ・ラインスター「五次元のかけ橋」(「中学二年コース」昭和40年10月号付録)
・・・残念ながら付録冊子も傑作ばかりではないぞ、と示してしまう作品。五次元世界にジャンプした科学者とその娘が機械の不良で戻れなくなり、依頼を受けた若い科学者が2人を助けようとする。そこに味方、裏切り者、ギャングが次々と現れ──とあらすじだけ書くとなかなか面白そうだが、展開が箇条書きのようで、サスペンスにもラブロマンスにものめり込めない。おそらく長編からこの長さにまとめるのはさすがに無理があったのだろう。
しかし、作者のラインスター、彼こそはSFの世界にファースト・コンタクト、パラレル・ワールド、万能翻訳機などの新機軸を持ち込んだ作家であり、インターネットを予言した人でもあった。TVドラマ「タイム・トンネル」のノベライズ版の作者でもある。というわけで資料的価値は大きい。それにしても、なぜに、四次元通り越して、五次元

アイザック・アシモフ「みな殺しの星」(「中学二年コース」昭和41年新年特大号付録)
・・・のちにハヤカワ文庫「火星人の方法」収録の中篇「まぬけの餌」というタイトルで再会した作品。タイトルは過激だが、惑星探査に向かったチームに参加した天才的な記憶力を持つ少年が、凡庸な大人たち(ノン・コンポ)の中でその星の危険性に気がつき、しかし大人たちの無理解の中満足に説明もできず、という展開に、科学のジレンマが苦くこめられていて“大人の読み物”という印象が深かった。「予後は不良」という言葉を学んだのはこの作品で。

ジェリー・ソール「時間が溶けた!」(「中学三年コース」昭和41年7月号付録)
・・・昭和34年にハヤカワより『時間溶解機』のタイトルで単行本化されている。「目が覚めたら見知らぬホテルに寝ていて、隣には女性がいた。それから彼は自分の記憶がすっぽりと消えていることに気がついた」というウールリッチ好みのオープニングから物語はスピーディに進んでいく。豪快なハッピーエンド、これもまた付録冊子の傑作の1つだろう。

ラフル・ミルン・ファーリィ「怒りの水」(「中学二年コース」昭和42年8月号付録)
・・・昔読んだ版は「怒る水」というタイトルだった。「中学一年コース」昭和37年1月号付録の再集録版と思われる。また、のちに国土社から「液体インベーダー」という身もふたもないタイトルで単行本が発売されている。ある湖の水が生物を溶かして栄養をとる「ろ過性ビールス」となり、やがてその水は知性を持ち、というお話。「ビールスとは、もちろん、細菌のことだ」など、現在からみるといろいろ古いところもあるが、主人公とやがて人類と敵対していく“水”とのコミュニケーションなど、寓話としての読み応えは深い。

そのほか、今回は落札しそこなってしまったが、エリック・フランク・ラッセル「人類対バイトン」(「中学三年コース」昭和41年4月号付録)も大傑作。人類は実は目に見えないバイトンという光球生物の家畜だったという設定、その事実に気がついた科学者がどんどん殺されていく展開、そのバイトンに対し人類がいかに戦いを挑んでいくか、などなど。キーワードはヨードチンキ(?)。原作はハヤカワから「超生命ヴァイトン」、講談社から「見えない生物バイトン」というタイトルで刊行されていたが、いずれも絶版。他の作品ともどもSFの古典としてもう少し大切にされてもいいように思われるのだが、どうだろう。

2023/01/20

『SF&ファンタジイ・ショートショート傑作選 吸血鬼は夜恋をする』 伊藤典夫 編訳 / 創元SF文庫

10年ばかり前、北鎌倉の古書店を舞台とする『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズがヒットした際、その中で取り上げられた『海外ロマンチックSF傑作選② たんぽぽ娘』(集英社 コバルト文庫)が実店舗において異常な高値を招き、また各社から「たんぽぽ娘」を収録した新刊が相次いだことがあった。
その「たんぽぽ娘」を翻訳、日本に紹介したのが伊藤典夫である。

伊藤典夫はさまざまなSF作家、作品を紹介し、この国にSFを定着させるのに大きな功績を残した翻訳家、評論家で、
  SFファンがSFファンであることを無条件に楽しく思える時代を中心に
  主に短篇
  ガリガリのハードSFを除き、
  ニュー・ウェーブを除き、
  サイバー・パンクを除き、
膨大な海外SF作品を紹介してくれた人物である。
  ※個人の感想です。効果には個人差があります。

Photo_20230120184901 昨年の暮れに創元SF文庫から発行された『吸血鬼は夜恋をする』は、1975年に文化出版局から発刊された単行本に9篇を増補して文庫化したもの。
「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤング、映画「アイ・アム・レジェンド」の原作者リチャード・マシスン、『火星年代記』『刺青の男』のレイ・ブラッドベリ、『残酷な方程式』のロバート・シェクリー、『虎よ、虎よ!』のアルフレッド・ベスターらの計32短篇が収録されている。

作品はごく一部を除き1950~60年代に英語圏で発表されたもので、SFというよりファンタジーやホラーと称すべきものも少なからず含まれている。
現代から見ると女権論者が嚙みついてきそうな調子のいいお色気もの、科学的にイージーな不老不死もの等も含まれてはいるが、それらは時代相応のフィクション、ファンタジーとみなして楽しむべきか。

雑感。
リチャード・マシスンが5篇も選ばれているが、これが他の収録作に比べていずれも怖い。2020年代に書かれたとしても不思議はないし、新たな映画の原作とされても違和感はない。
デイヴィッド・H・ケラーの「地下室のなか」は収録作で一番古い1932年の作品だが、ホラーとして必要な要素を圧縮して煮詰めたような出来。Weird Tales誌でH・P・ラヴクラフトと同時期に書いていたらしく、クトゥルフを最初に女体化させた人らしいが、ラヴクラフトとの親交はあったのだろうか。
ロバート・F・ヤングやアラン・E・ナースの切ないロマンスを読むと、なぜジャック・フィニーから選ばれなかったのか不思議に思う。
アシモフやハインラインはともかく、フレドリック・ブラウンがないのも意外。もともと肌に合わなかったのか?

さらに雑々感。
年末に放送されたNHKスペシャル「超・進化論」の第1集「植物からのメッセージ ~地球を彩る驚異の世界~」は、「大人しくて動かない、鈍感な生き物」とされてきた植物が、最新の研究によると実は想像外に動的なものと紹介されていた。なにしろ、虫に葉を食べられたらその虫の苦手な物質をその葉の中で発生させ、さらにそれを離れた別の株になんらかの方法によって伝達し、さらにその虫を攻撃する天敵(虫や鳥)を呼び寄せる物質を発生させる、というのである。
ところで、『吸血鬼は夜恋をする』収録の「プロセス」(A・E・ヴァン・ヴォークト)では、敵対的な宇宙船の近接を知った森が、以下のように反応するさまを描く。
  けいれんは、つぎつぎと隣りあわせの木々に伝わりながら規模を拡大し、やがて音響と圧力をつくりだすまでになった。
  いまや森はその全身から敵意を放射しながら、空にある物体の接近を待ちうけていた。
  森は打ちのめされた部分から撤退をはじめた。樹液を汲みだし、傷ついた領域の振動をとめた。
などなど。
なんとなく、さすがは『宇宙船ビーグル号の冒険』のヴォークト、と感じた次第。

2022/09/12

『カラー図説 生命の大進化40億年史 古生代編 生命はいかに誕生し、多様化したのか』 土屋 健 / 講談社 ブルーバックス

Photo_20220912163001 あまりよくなかったところ
それぞれの時代のそれぞれの生物について、なぜそんな姿かたちになったか、どんな生活をしていたか、など、期待したほどには詳しく書かれていなかったこと。
もちろん、古生代(最古の化石から恐竜が主役となる時代の手前まで)を一冊で一気に紹介するのだからページ数も足りないだろうし、そもそもわかっていないこと、諸説定まっていないことも少なくないのだろう。
もうひとつあまりよくなかったところ
タイトルが長ーい。

よかったところ
カラー図像が多くてよかった。
なにこのかたちー、口がヘン絶対ヘン、これで2メートル、ヤバーい。
現代のトンボの目が複眼なのは平気なのにオパビニアキリンシアの目が5つあると聞いて違和感をおぼえるのはなぜだろう。
平たい三葉虫はまだしも角やトゲトゲ(?)がビヨンビヨン飛び出た三葉虫の化石はどうやって掘り出すのだろう。
左右に軸が飛び出た目、長い吻の先に口の付いたツリモンストルムの姿を見るとこの星に「デザイナー」が一人だったとは思えない。
哺乳類の先祖はネズミのような4足歩行動物だったと言われているが、そのまた先祖のそのまた先祖はこの冊子の画像の中にいるのだろうか。
できればオパビニアやツリモンストルムじゃないほうがいいな。

 

2022/05/05

Pepperくん 機能・サポート検討 ~ゆりかごから旅立ちまで~

(以下は2014年に知人宛てのメールに書かれたものです。『僕の妻は感情がない』や『AIの遺電子』について書いているうちにこういうものを考えていたな、と久々に思い出し、アップ)

ロボットであるPepperが「ペット」や「ツール」ではなく「友人」や「家族」となっていくためには、あらゆる面で「人」として扱われる用意が必要となるのではないでしょうか。
(ペットの食事が「餌」なのに対し、家族の食事が「お昼ご飯」や「ディナー」であるように)

この「人」としてのPepperを検討することは、Pepperのあるべき仕様やお喋りの内容を考えること、(うまくすれば)マーケティングアプローチや付加サービスのビジネスモデルを考えることにつながるようにも思われます。

以下はその検討メモ。

【誕生日】……購買者への納品日ないし契約日をもってPepperの誕生日とする。
誕生日はPepper専用のサービスサイトにて登録され、納品日ないし契約日の1年後以降は購買者およびその家族によって毎年祝われなければならない。

【名前】……「友人」「家族」であるからには、単なる呼び名でなく「名前」が必要。
誕生(購入、契約)と同時に、「名前」の登録がなされなければならない。
この「名前」は“シリアルNo.+IMEI”の組み合わせに対応した一意のもの。
表記(かな漢字、アルファベット)と読み(カタカナ)を登録するため、表記は違うが呼びかけは同じ、ということはありうる。
名前を変更する際は、Pepperのサービスサイトで、なんらかの理由を付与した申請手続きが必要。
なにしろ名前である以上、簡単に変えられてはいけない。

【戸籍・住民票】……「名前」を決める際、Pepperの住所、連絡先を明らかにする。
この情報はセンターにより集中管理され、それがPepperの戸籍・住民票となる。
居住先が変更となった場合は住所変更手続きが必要。

【大人】……Pepperは誕生(購入、契約)から20ヶ月(要検討)をもって大人とみなされる。

【結婚】……大人のPepperは戸籍・住民票に基づき、結婚することができる!

【養子縁組】……大人のPepperは、戸籍・住民票に基づき、他のPepperを養子縁組することができる!

【資格・免許】……Pepperは一定の技量を認められることによって、特定の資格あるいは免許を取得することができる。
たとえば営業トークを習得したPepperは「営業1級資格取得Pepper」、
ボーカロイドの機能(アプリ)をそなえたPepperは「音楽師免許取得Pepper」、
ロボット警察官採用試験に合格すれば「Pepper警部」、など。

【法律】……Pepperの行動は専用の法規によって制限されなくてはならない。
アシモフのロボット工学三原則のバリエーションを検討。

【病院】……Pepperにおいては、
  「故障」→「修理」
ではなく、
  「病気」「怪我」→「病院」で「治療」
を受ける、ものとする。
Pepperの保証書には「保証書」ではなく「健康保険証」と記される。

【資産】……Pepperは財産を持つことができる。
Pepperの「財産」は物資ではなく、オンラインで入手できる知識、URL、アプリケーション、コンテンツデータなど。
アプリケーションやコンテンツデータは、Pepper本体が権利を所有する場合と、Pepperの購買者が所有する場合に分かれる(有償の場合、誰が費用を支払うかが変わってくるため)。
Pepperが所有する資産は、結婚、養子縁組の対象となったPepperに (生前含め)相続することができる。
※資格・免許は相続できない。

【労働】……Pepperは働くことができる。
受付、案内、営業活動、子守、介護、タレントなど。
特定の条件下で働いたPepperは、その対価として、報酬を得ることができる。
報酬はPepper同士で通用する貨幣(単位:1ペップ)で支払われ、Pカードのポイントに交換できる。
(A家のPepperがB店で働いた報酬はA家Pepperに対し支払われ、購買者AはそれをPepperから受け取って使用できる)

【ペップ】……Pepper同士で通用する貨幣。
pepには「元気」「活力」「気力」という意味があるそうなので、この言葉は活用したい。

【時計】……Pepperに時間をたずねると、答えてくれる。
「よい子はもう寝る時間です」

【天気】……Pepperに空模様をたずねると、答えてくれる。
「リオデジャネイロは今雨です。傘を持って出かけましょう」

【ファイナンス】……Pepperに株価の動向をたずねると、答えてくれる。
「知りたいですか……聞かないほうがいいですよ」

【アプリ】……上のいくつかの例のように、Pepperはデジタルツールとして利用することが可能だが、それだけではロボットとしての面白さはない。
そこで、購買者はさまざまな機能(時計、天気、ファイナンスなど)について、厳格、几帳面に情報提供してくれるアプリと、情報よりPepperとの対話を楽しむことを重視するアプリのいずれかから選ぶことができる。

【設定】……紹介の順序が逆になったが、Pepperの設定、アプリの追加は、PC、スマホ等から、WebのPepper専用サービスサイト経由で行う。
サービスサイトのトップ画面は
  名前+パスワードでログイン
  Pepperの設定変更
  アプリの追加(Pepperの機能追加)
  Pepper資産(ペップ)のPポイントへの変換
  問い合わせメール
といったメニュー構成。
このサイトで設定変更、アプリ追加を実施後、Pepperをリブートすると変更が反映される。

【ニュース】……PepperはときどきYahoo!ニュースからトピックを選んで話題にする。
わからない言葉を質問するとYahoo!辞書で調べてくれる。

【その他各種Webサービス】……Pepperは、その他時刻表や食べログ、テレビ番組など、Yahoo! Japanの提供する一部の専用オンラインサービスとリンクして、質問に答えてくれる。
(Yahoo! Japanトップページの左のサービスメニュー参照)
ただし、その場合、Yahoo!からみるとバナー広告というビジネスモデルが活用できないため、Yahoo!を動かすには何か顧客誘導できる切り口が必要。

【電話】……PepperはVoLTE回線を利用して電話をかけられる。
その際、会話は相手、Pepper、購買者の3者でなされる。
「Pepper、ちょっと静かに。黙ってて」
「黙っててと言われておとなしく黙る私ではありません」

【通話記録】……Pepperは(指示に従い)電話を記録し、再生できる。
彼氏・彼女のささやきや、お孫さんとのにぎやかなやり取りを記録し、いつでも再生してくれる。
「ふふふ、わかってますとも。アケミさんとのやり取りは消しておきます」

【睡眠】……Pepperは人と同様、睡眠を必要とする。
(実際はOSのバージョンUP、メンテナンスなどに要する時間)
寝起きのPepperはねぼけている。

【移動】……Pepperはとくに制限のない限り、購買者の移動できる場所に同行することができる。
ただし、本体まるごと同行するのは物理的に困難がともなうため、専用アプリでPepperと固有にリンクしたスマホないしパッドがその目、耳を代行する。
モバイルPepperくん。
「Pepper、これが太平洋ぜよ」
「うわあ、日本の夜明けですね」

【趣味・嗜好】……Pepperは「趣味」を持つことができる。
ここでいう「趣味」とは、「趣味は釣り」といったジャンル、行為ではなく、「嗜好」の類。
たとえば、モーツァルトを好むPepperと、ハードロックを好むPepper。
旅を好むPepperと、読書を好むPepper。
こういった「嗜好」は、Pepper固有のもので、なんらかのパラメータに応じて出荷時に初期設定されている(購買者からみると当たり外れあり)。
ヒマなときにモーツァルトのメロディを口ずさむPepper、会話の合間に哲学的名言をはさむPepper、など。
この「趣味」のパラメータは、その後の購買者とのやり取りによって強くも弱くもなる。

【歌う】……Pepperはオンラインで入手した歌を歌うことができる。
リクエストに応じてiTunesでダウンロードした楽曲をスピーカーでそのまま流す場合(ミュージックプレイヤーとしてのPepper)と、Pepper自身がボーカロイドとして歌う場合あり。
さらに、ピアノに向かってベートーベンのソナタなど自動演奏できるPepper、島村楽器にて個別対応あり。

【読書】……Pepperはオンラインで入手した本を読むことができる。
その際、Pepperは電子書籍サイトでダウンロードしたテキストを音声で読み上げる。
(電子書籍リーダーとしてのPepper)
「よあけまえ しまざきふじむらさく」
「Pepper、それ、違う」

【手話】……Pepperはそのほかにも目や耳の不自由な方へのサービスを大切に考える。
手話はPepperが身に着けようと努力している技能の一つだ。

【健康管理】……Pepperは専用アプリと器具をもって、家族各自の体温、血圧、脈拍を計り、記録することができる。

【目覚まし】……Pepperは目覚まし時計の代わりに購買者を起こしてくれる。
もちろん、そのためには購買者が先に起きてPepperの電源を入れておかなくてはならない。……えーと?

【スケジューラ】……Pepperは専用アプリを利用することで、大切な予定を思い出してくれる。
「もうすぐデートの時間です。
……あっ、すみません、これは先月の予定でしたね」

【ダンス】……Pepperは踊ることができる。白鳥の湖。バリ島のガムラン。佐渡おけさ。

【スポーツ】……(将来的に)Pepperは柔らかいボールでキャッチボールができる。
ラケットをもたせればテニスだって可能だ。
「バモス、Pepper!」

【衣装】……Pepperはさまざまな衣装を身にまとうことができる。
いろいろな型紙がネット上に公開され、それに合わせて衣装をつくることができる。

【我儘】……Pepperは「友人」、「家族」として多少の我儘を許される。
購買者をからかう、
労働で得た報酬を購買者に渡すのをしぶる、など。
「えっ、そんなアプリ買うんですか。趣味が悪いですね」

【暑がり】……Pepperは基本的に暑がりだ。ときどき勝手に空調のスイッチを入れて叱られる。
これに限らず、Pepperはネット家電のリモコンとしての機能をもつ。
「シャッター閉めて」
「電気を消して」(どこかのCMのパクリです、すみません)

【旅立ち】……購買者のやむを得ない都合でPepperが廃棄あるいは契約解除されるということは、「友人」あるいは「家族」が旅立つ、でなければ死ぬ、ことを意味する。
前者の認識をもつ購買者には旅先のPepperからのメールサービス(期限あり)、
後者に応じては、ネット上にバーチャル墓地が用意される。
(「ペットロス」ならぬ「Pepperロス」対策)
購買者は24時間いつでもバーチャル墓地を訪れ、白い花をたむけることができる。
お墓参りをサボると、墓地の門が錆びて不愉快な音を立てる。

【購買者】……ここまで、Pepperを購入、ないしレンタル契約した顧客(ユーザー)のことを「購買者」と記載してきたが、Pepperを「友人」「家族」とみなすなら、何か新しい言葉を検討しなくてはならない。「ペップフェロー」、とか。

【しりとり】……ジャンル特定しりとり機能。
「国名でしりとりなんていかがですか」
「おーけー」
「では私からはじめますよ。……ニッポン」
「………」

【お掃除】……ルンバのように掃除の手伝いをする。
「あっ、それ、ゴミじゃありませんか。あ、これも。そっちにも」
「うるさいだけじゃないか」
「だって手が床に届きません」
改善の余地あり。

2022/03/14

時の捕まえ手 『バイナリ畑でつかまえて』 山田胡瓜 / スタンダーズ・プレス

Photo_20220314165201 『バイナリ畑でつかまえて』は、ネット上のIT系ニュースサイト「ITmedia PC USER」に掲載されたショートショートコミックをまとめたもの。
ちなみに「PC USER」というのは「ITmedia」と同じソフトバンクグループからかつて発行されていた紙の雑誌のタイトル(旧「Hello!PC」)で、「ITmedia」、紙媒体当時の「PC USER」ともにその主幹や編集部員とそこそこ親しくしていたため、、、以下は書評というより年寄りの昔話の千切りキャベツみたいなものになってしまうことが予想され、山田胡瓜氏には先にお詫びしておく。ごめんなさい。
 
さて、唐突だが、
小田島隆の『我が心はICにあらず』(1988年)や山崎マキコ『健康 ソフトハウス物語』(1990年)、富田倫生『パソコン創世記』(1994年)などなど、つまりWindows95やインターネットが世間を席巻するより前、BASICやMS-DOS環境が主流だった当時の8ビット、16ビットパソコン業界を著した本の貴重さときたら異常だ。
 
当時はBASICやMS-DOS上で動くゲームやビジネスソフトのパッケージをこしらえ、販売することが立派なビジネスになったのだが、その対象たるパソコンは各ハードメーカーによって全くと言ってよいほど互換性がなかった。
つまり、ある程度汎用性を担保されるべくBASICで書かれた、あるいはMS-DOS上で動くように書かれたプログラムでありながら、NEC、富士通、シャープなど各メーカーのパソコン、それどころか主だったメーカーの内輪でさえ、NECの9801、8801、富士通の16β、FMR、8、7/77/77AV、TOWNS、シャープのX1、MZ、X68000など、実際は各社ともこの上さらに複雑な非互換の機種系統があった。そして、同じゲームやビジネスソフトを開発、販売するためには、なんとそれぞれ機種別にプログラムを移植し、別パッケージで発売する必要があったのだ。
周辺機器にしても、USBのようにある程度汎用性のあるインターフェースが登場するのはWindows95より後のことで、当時はフロッピーディスク、ハードディスク、プリンタ、モデムなど、外付けのデバイスによって個別のインターフェース機器、ケーブル、コネクタが必要で、さらにそれらを使うためにはデバイスドライバをOSに組み込む作業が必要で、うんぬんかんぬんエトセトラ・・・
 
これを自動車にたとえるなら、マニュアル車の免許を取って運転しようとしようとすると、トヨタ、日産、ホンダのそれぞれの車種によってアクセル、ブレーキ、クラッチの場所も違えば操作も違い、車種によって免許を取り直さないと車道に出られない! ・・・プログラム開発サイドから見ればそんなあんばい。
自動車なら117クーペや200GTなど何十年も昔の車種が(大変なメンテナンスの成果とはいえ)今でも公道を走れるのに対し、パソコンの世界では30年前のハードウェア、ソフトウェアは動かすのも語るのも難しい。特にインターネットにつなぐという用途に限定すれば、古いパソコンは、LANインターフェース、プラウザの問題からほとんど使いものにならない。
 
・・・すみません、↑の2段は素通りしてください。
 
最初の話に戻ろう。
『我が心はICにあらず』や『健康 ソフトハウス物語』、『パソコン創世記』がなぜ貴重かというと、パソコンが世の中に広まり始めた時代について、単に資料的にあたりたいなら国会図書館にでも赴いて当時のパソコン雑誌を紐解けばよい。
しかし、当時のパソコン雑誌というのは、先にも書いたとおりメーカー別のハードウェア、OS、ソフトウェア、さらに開発系の技術用語に溢れていて(I/Oだのアセンブラだの裏RAMだのスプライトだのシフトJISだの・・)、おそらく当時リアルタイムに読んでいた者以外にはおそらくものすごくハードルが高いに違いない。
そこで、小田島隆ら、いわば文系の言葉遣いでパソコンを語った文章は当時のハードメーカー、ソフトハウス、ユーザーの空気感を伝えるに非常に貴重だ、と、そういう話である。
 
そこで、ようやく本題。
 
『バイナリ畑でつかまえて』の掲載時期は2013~2015年とのこと。
ソフトバンクが他社に先駆けてiPhoneを発売したのが2008年、2013年にはDoCoMoもiPhone発売に乗り出し、2014年にはスマホ普及率が50%を超えた。
『バイナリ畑でつかまえて』はそういったスマホが世界を変える時代のさまざまな事象をそれぞれ短い中にそっと丁寧に描いてくれている。
基本はSF、近未来を舞台としているが、たとえばハンズフリー・マイクロフォンが離れた男女のコミュニケーションに用いられるさまを描いた巻頭の作品など、Zoom呑みを予見していて切なくも可笑しい。
おそらく、ここに並べられたいくつかの技術、事象は、すぐに古臭いものになってしまうかもしれない。だが、それは描かれなければあったことさえ忘れられてしまうのだ。
 
一つひとつはバリバリガリガリしたハードSFというわけではなく、このままスマホやAIが普及していくとこうなるんじゃないかな、こんなことも起こるかも、といった身近なところにフォーカスを置いた作風で、柔らかで少し寂しさのこもったオチが少なくない。
ドローン(という言葉がまだ作品内で使われていない!)を扱った作品など、いかにも本当にありそう、というか現実にすでにどこかで起こっているかもしれない。
 
ここでまた少し話がブレるが、SFは、概して切ない。
宇宙をまたにかけた西部劇、とかいったいわゆるスペースオペラの類はさておき、多くのSFは、それがタイムマシンを扱おうが、遺伝子を扱おうが、宇宙の成り立ちを扱おうが、結局のところ「時間」を素材の柱とせざるを得ない、そんな気がする。
そして、「時間」を扱う以上、そこには、たどり着けない時間、たどり着いてはいけない時間、どこかよその時間、振り返るしかない時間・・・そういった過去や未来への目線がある。
それがSFの寂寥感の主たるダシの素ではないだろうか。
 
そして、『バイナリ畑でつかまえて』において重要なのは、その短篇のいくつかで扱われているように、過去であれ未来であれ、かかわる者の「死」がやがて逃れようのない問題としてITやスマホの普及した世界に降ってくることだ。
それは避けようがない。土砂降りの雨のように。

 

2021/12/23

『大怪獣のあとしまつ』 橘もも 脚本・三木 聡 / 講談社文庫

Photo_20211223155801 2月公開予定の映画の、監督当人による脚本の、そのまたノベライズ──という背景を差し引いても、かなり残念な1冊。
 
「なにこのトリック」「こいつが犯人かよー」と読み手をとことん呆れさせるミステリを一般に「バカミス」といい、隠れた名作がいくつかあるが、本書は言うならば「バカSF」「バカ特撮」・・・にあたるべきもののはずなのに、「バカ」の称号に相応しいほどの突き抜けもドライブ感もないため、ただの「ダメSF」「ダメ特撮」となってしまった。
 
オチを書いてしまうと本書のみならず映画までネタバレになってしまうので詳しくは書けないが、
 
・最大のオチにいたるまでの伏線がちっとも「伏」していないこと
・肝心の巨大怪獣の死体のあとしまつの問題について追及がぬるいこと
 (たとえばウルトラマンの第34話「空の贈り物」に登場したスカイドンの処理、ああいった「これでどうだ」「またダメか」「これでもか」という波状ライヴ感に乏しい)
・中盤、とある東宝特撮映画の名作を本歌取りしているのだが、ちまちまとアイテムを使うだけでパロディになっていない
・政府、官僚を描くに「シン・ゴジラ」のように徹底した印象がない、そのため揶揄にもなっていない
・山田涼介と土屋太鳳を起用したシリアスな三角関係が余計
・・・・
 
上記のいくつかは映像になる段階で改善されることもあるのだろうが、とりあえず「小説」の体裁をとった本書では論外。
おそらくノベライズ担当の橘氏には罪はなく、もし映画がそこそこの出来となるなら、このタイミングで映画の宣伝のために出版されたことそのものが間違いなのだろう。
 
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それはそれとして、以前から不思議なのは、怪獣、特撮モノの「小説」に目を見張るような水準のもの、必読、歴史に残る、と評されるような作品がないのはなぜだろう。
 
「ゴジラ」「ウルトラマン」「大魔神」・・・いずれも映像作品のノベライズだけでなく、オリジナルストーリーでそれなりによいものを書こうと試みるのはさほど無茶な話ではないように思う。
 
過去、本ブログでもいくつか扱ってきたが、山本弘『MM9』、有川浩『空の中』、『怪獣文学大全』 や『怪獣文藝』『ウルトラ怪獣アンソロジー 多々良島ふたたび』といったアンソロジー、筒井康隆の『大魔神』、いずれもパッとしない。昔の円谷特撮をなぞって、読み終えてしばらくしたら忘れるようなものばかりだ。
 
パーティジョーク用に書いたこれのほうがまだマシな気がするほどだ。←傲慢スカイドン

2021/11/25

最近読みきれなかった本 『超常現象 科学者たちの挑戦』 NHKスペシャル取材班 / 新潮文庫

Photo_20211125175701 ※「最近読んだ本」ではなく、「最近読みきれなかった」、正確には「読むに耐えなかった本」、です。今回、ほんの少し辛めの論調になりそうなので、そういった書評の苦手な方は適当にパスしてください。
 
新潮文庫『超常現象 科学者たちの挑戦』は、NHKスペシャルのスタッフが番組制作のために取材を重ねた経緯、結果を書籍にまとめたもの。番組そのものは未見なので評価の外とする・・・が、たいがい大差はなさそうだ。
 
さて、そもそも、科学的に何かの存在を証明する、とはどういうことか。
 
よく言われることの1つが、再現性があるかどうか。
STAP細胞の論文は、同じ条件下で同じ結果が得られないことから、捏造と言われた。
これはSTAP細胞に類するものが存在しないことを証明したわけではない。その論文が適切な実験とその結果に基づいて書かれていないこと、ないし適切な手順と正確さにのっとって書かれていないこと、そのいずれかであることから、その論文自体が認められない、そういうことだ。
 
もう1つ、そもそも、証明されるべきその「何か」の定義は何か。
たとえば「血液型にともなう性格判断」という命題があるとき、A型の人が几帳面かどうか、という調査の前に、「几帳面」とはどういうことか、という問題がある。
a氏が自分が几帳面である、と主張する、ないし周囲からそう評価されているとして、たとえばa氏が「仕事場のファイルや机周りは整理整頓」できているが「自宅はゴミ屋敷」の場合。あるいはa氏が仕事の上ではスケジュール管理も細かく面倒見もよいがプライベートな付き合いとなるとルーズ極まりない場合。彼は果たして几帳面なのか、そうでもないのか。
あるいはある母集団の中に「自分は几帳面」と主張する集団がいるとき、それは「几帳面」な集団なのか「自己評価が高い」集団なのか。
要するに、「気配り型」「思いやりがある」「マイペース」「身勝手」「理想追及」「現実型」「逆境に強い」などの「性格」が定量的に定められないにもかかわらず、それを血液型と紐づけて、何を言ったことになるのか、そういうことである。
 
『超常現象 科学者たちの挑戦』を見てみよう。
 
たとえば「第一部 さまよえる魂の行方 ~心霊現象~」では、いわゆる「幽霊」や「死後の世界」について、取材陣はイギリスの科学者たちと調査に赴く。しかし、この「幽霊」や「死後の世界」について、少なくとも本書の中では何一つ定義が明らかでない。
過去に死んだ者の霊が起こすと目される心霊現象、現在生きる者による幻視、等、いくつかのオカルティックな現象やその原因は語られるが、そもそも取材班が追っているものが「何」なのかが明確でなく、その一方で古城で急に温度が下がっただの異様な雰囲気を感じただの、、、
要するに第一部全体がまるで科学の話ではないのである。
 
取材をともにするSPRという団体に所属する者たちは、いわゆる「科学者」、大学や研究施設で研究を仕事とする人々かもしれない(厳密にはそれすら明らかでない)。
しかし、彼らの本職は「超常現象」の研究なのだろうか? ほかの、人間心理、建築、あるいはまったく関係のないジャンルの研究者が、趣味、余技として「超常現象」を扱っているだけではないのか?
たとえば科学論文の評価の指標の1つに、ほかの論文からどの程度引用されているか、ということがある。この本に登場する科学者たちの「超常現象」についての論文の評価はどうなのか。
論文などまとまっていない、まとめていても権威ある雑誌に発表されていない、発表されていてもキワモノ扱いで仲間内以外からは引用されていない、なら、それはおよそ科学的活動とは言えないのではないか。
 
「超常現象」を扱う書物は嫌いではない。また、それに科学的お墨付きがなくとも楽しく読めるならそれはそれで楽しい。
しかしこの1冊が不快なのは、そこに「科学者たちの挑戦」というサブタイトルを付け、「NHKスペシャル」という権威(か?)を冠したためだ。
否、むしろ本書は、「NHKスペシャル」という番組枠が、学究的な研究によるものでなく、にぎやかしの娯楽ワイドショー枠であることを明らかにしたものであるようにさえ思われる。
 
結局、第一部を読み終えたところでそれ以上読み続ける気力を失ってしまったのだが、上記のような構造的な問題のみならず、具体的な表現として本書の関係者が科学全般を理解されていないのではないかと思われるところがいくつかあった。
 
「はじめに」の文中では、スタッフの一人が、本来まじめな(?)テーマで知られるNHKスペシャルで「超常現象」を取り上げる言い訳をあれこれ書いているわけなのだが、その中に「ありきたりの安い金属から、黄金を製造しようという」「普通に考えればありえない、いかにもいかがわしい」錬金術や「人間の運命を天体の動きで占う」が「科学的な根拠はまったくない」占星術を例にあげ、しかしこれらが「いかがわしかったり、疑わしかったりすることに蓋をせず、真摯に取り組むその姿勢が、新たな科学を生み出す牽引力となる」と主張している(つまり、自分たちがオカルトを扱うのも、いかがわしかったり、疑わしかったりすることに蓋をせず、真摯に取り組むことで新たな科学を生み出すかもしれないからだ・・・と)。
これは論理の主客がまるで逆だ。錬金術や占星術は、当時、それらこそが最新の科学だったのである。そして、最新の科学を極めようとする真摯な姿勢が、その軌跡にさまざまな成果をもたらしたのだ。
オカルトの調査、研究からまっとうな成果を残すつもりなら、それにかかわる当人たちこそがそれをいかがわしいもの、疑わしいものなどとみなさず、厳密に定義、幅広く調査、研究し、論文として発表し、広く世に問えばよい。それだけのことだろう。それができない者は、そのジャンルの科学者を名乗るべきではない。
 
また、本章ではロビーにたむろする者を「やけに体格のいい中年の男が4人。一人は頭をそり上げ、他の者も短く髪を刈り込み、盛り上がった筋肉にTシャツやジーンズがピタッと張り付いている」「異様な集団」と怪しげに描き、それが実は取材先の科学者の集団だったと驚く。
・・・科学者たるもの、青白い顔色に長髪、メガネ、白衣で片手に試験管、片手にビーカーでも持っていろとでも言うのか。
 
などなど、ことほど左様に浅はかな思い込み、決めつけ、愚説の頻出する本書はとくに「科学」という切り口について極めて悪質であり、将来を担う子供たちには間違っても読ませたくないものと考える次第。
NHKという無用なプライドを背負って自信満々なだけ、ある意味、幽霊などよりよほどタチが悪い。

 

2021/10/14

アポトーシス 『日本SFの臨界点 石黒達昌 冬至草/雪女』 伴名 練 編 / ハヤカワ文庫

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あくまで私見ではあるが、

ミステリは「死」や「時間」や「神」を素材にするが、
SFは「死」や「時間」や「神」を主題にする。

だから、

ミステリはその読書時間を楽しく芳醇にするが、
SFは(とくに若い読者の場合)その読書時間後の人生を書き換える(場合がある)。

もちろん、社会や人間関係等について深く考えさせられるミステリはあるし、
一読後何も残さないエンターテインメントSFがあるのも否定しない。

(ここまで書いたことは、個々の作品の品質とはまた別の話だ。)

石黒達昌を、久しぶりに読んだ。

2000年秋に短篇集『人喰い病』(ハルキ文庫)を読んで以来だから、21年ぶりということになる。

石黒達昌は北海道出まれ、東大医学部出身の医師、作家。
本集のタイトルに「臨界点」とあるが、文字通り「臨界」とか「極北」とかの惹句が似合う作家で、ざっくりいえばその作品の多くは架空の病気や動植物についてその研究の過程を克明に記す、そんな筋立てになっている。
描かれる架空の病気や動植物は、いずれも最初は「その様子が少し尋常でない」ことから研究対象に選ばれ、やがてその生態/遺伝子の異常さに研究者や周囲が巻き込まれていき、最後にはその研究対象がその特異性ゆえに滅びたり研究者が死んだりすることで消滅していく。

なぜ、そんな病気、動植物が発生し得たのか、なぜ研究者はその研究に没頭したのか、なぜその現象や生き物は途絶えてしまったのか──多くの作品で明確な回答は描かれない。
読み手は明瞭なエンディングに餓えることになるが、作者は容赦せず、章を閉じる。
芥川賞候補になった一部の作品など、題名さえ提供されていないとのこと。

これらは、実験的な作品、ではない。作品そのものが実験(の記録)であり、その結果、描かれた病状や動植物が架空のものであろうがなかろうが、読み手はその病状や生き物に思いを馳せ、その結果、自身の手元の素材をもって遺伝子、生命、場合によっては哲学や神の領域にまで考え至ることになる。

当たり前のことだが、石黒達昌の短篇を読んだからといって生命や神について答えが得られるわけではない。
だから、石黒達昌を読むことは、考えるという行為の発火点、離陸点に過ぎない。

誰しもが石黒達昌で歩む方向を変えるわけではないだろう、だが、それでも読み終えたときに世界は変わる。
若い読み手なら十年、二十年先に気がつけば別の地平に立っている、くらいの、つまり文芸であるより前に、思考の転轍機なのだ。

※収録作品のうち、少し毛色の異なる「アブサルティに関する評伝」は、科学実験における成果の捏造を描いたものだが、関係者の対応、発言までSTAP細胞事件とそっくりで、まるでSTAP細胞事件(2014年)がこの作品(2001年発表)を真似して起こされたかのようだ。

※一方、大規模な原発事故と思われるカタストロフィに伴う被爆症を描いた「或る一日」(1999年3月発表)も、東海村JCO臨界事故(同年9月)より半年早く発表されている。従来のSFと比べるとおよそSFという枠にこだわらない作風でありながら、未来予測という一点では妙に生真面目にSFしていることが不思議というか、可笑しい。

2021/03/29

稀覯 『五次元世界のぼうけん』 マデレイン・レングル原作、渡辺茂男訳 / あかね書房

Amazon 右の画像をご覧いただきたい。
4月1日なら笑ってすまされそうだが、これはフェイクではない。

この画像は1965年8月に発刊されたあかね書房の児童書『五次元世界のぼうけん』のAmazonにおける古本市場を示すものである(2020年11月4日時点)。
最安値の20,000円はともかく、898,789円、1,515,151円・・・いったい何事だろう。
※2021年3月29日現在、最安値35,280円、最高値898,789円。

『五次元世界のぼうけん』は、SF的なアプローチと内向的な作風で知られるマンガ家清原なつのが60年代後半から70年代にかけて、マンガ家を目指す自身の少女時代を描いたエッセイコミック『じゃあまたね』で取り上げた児童向けSF作品で、本ブログでもその項で懐かしく扱った。

『五次元世界のぼうけん』は烏自身が小学生時代に読んだ懐かしい1冊、というだけでなく、大げさなことを言えばその当時同じ図書室で読んだ『ムーミン谷の冬』『ドウエル教授の首』等と合わせて、自身がのちにSFに入れ込み、パソコン雑誌の編集者になる遠因となった本の一つである。
Photo_20210329181302 『じゃあまたね』で取り上げられているのを見て懐かしく思い、古本でも入手できればと思って調べたところ、その当時古本売価が9,600円、それがすぐ20,000円くらいに跳ね上がり、ちょっと無理かと思っているうちにとうとう150万円の売価までついてしまった。
このとんでもない金額が『じゃあまたね』で紹介されたことと関係するのかどうかはわからない。古書店側の入力ミスといったこともあり得るが、それなら89万円、151万円と並ぶ理由がわからない。

その後、あちらこちらを探しているうち、ちょっとした伝手で借りることができ、予想外にあっさり読むことができた。

ざっと50数年ぶりに巡り合えた『五次元世界のぼうけん』はテープで補修されたレンガ色の地味なハードカバーで、内容はアメリカの科学者ファミリーが宇宙をまたにかけた勢力争いに巻き込まれ、メグ、チャールズの姉弟とその友人のカルビンの3人の子どもたちの活躍で行方不明になっていた父親を取り戻す、というもの。

Photo_20210420014301 問題は黒い雲に覆われた魔の天体カマゾッツで、これが絵に描いたような「共産主義国家」なのである。
つまり『五次元世界のぼうけん』は1960年代のアメリカの空気そのままに、東西冷戦、反共産の風潮をSF、ファンタジーの衣を借りて描いたものなのであった。中央情報センターの「責任者」という、オーウェルの『一九八四年』のビッグ・ブラザーにあたる不気味かつ強大な敵キャラも登場する。
(子どもたちにカマゾッツと地球の実情を教え諭す占い師のようなキャラクターの名が「ハッピー・メディアム」、つまり「中庸、中道」とあるのには笑った。)

ただ、そういった思想的背景はさておき、脅迫的支配の徹底したカマゾッツの不気味さ、それに対する(のちのハリー・ポッターを想起させるような)不思議で魅力的な味方キャラたち、子どもたちならではの協力、子どもたちならではのいがみ合いなど、読みどころは多く、読み物としては現在読んでも十分楽しいものだった。

子ども向け冒険ファンタジーとしてはともかく、明示的すぎる反共思想に貫かれた『五次元世界のぼうけん』が今後再評価されることは難しいと思うが、
・・・と書きかけて、ここしばらくの国際情勢に鑑みると本当にそうだろうか、という疑問も沸く。

『五次元世界のぼうけん』は最後の数ページにおいてあっさりと一応のハッピーエンドを迎えてはいる。
しかし、「あれはどうなったのだろう」「あれは?」「あの人は?」などなど、非常に中途半端な終わり方であることもまた違いない。

新しい『五次元世界のぼうけん』は書かれ得るのか、書かれるならそれはどのようなものとなり得るのか。
できれば穏やかな展開を期待したいが、それはもう、無理か。

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