フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー「サイエンス・自然・SF」の79件の記事

2017/11/19

かいじゅうだもの あきお 『ウルトラ怪獣幻画館』 実相寺昭雄 / ちくま文庫

Photo先日地上波で放送された『シン・ゴジラ』の中盤に、一般人の避難が完了していないため官邸が自衛隊によるゴジラ掃射を躊躇する、というシーンがあった。
あの、背負われて踏切を避難していく女性、彼女こそ、故・実相寺監督の奥様(女優の原知佐子さん)であった。

実相寺昭雄。
特撮ファンなら足も向けて寝られない、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』などの特撮番組において特異なストーリー、アングルの作品を多数遺した監督、脚本家である。
ガヴァドン、ジャミラ、スカイドン、シーボーズ、メトロン星人、円盤が来た、京都買います、と早送りすれば膝を叩いていただけるのではないか。いずれも単なる怪獣プロレスではない、独特な歪みと漆黒の闇を感じさせる作品ばかりである。
(もっとも、そもそもウルトラシリーズには実相寺作品に限らず、四次元怪獣ブルトンや三面怪人ダダなど、ちょっとお子様ランチでは説明のつかない回も少なくないのだが。)

そうした記憶に残る作品を遺した実相寺監督ではあるが、ご本人は予算やスケジュールに追われ、必ずしも個々の作品に満足されていたわけではないらしい。

この『ウルトラ怪獣幻画館』は、そんな実相寺監督が折に触れて怪獣や宇宙人に寄せた書画集である。
100ページあまりの薄い文庫だが、その分良い紙を使っており、存外に巧みな水彩のラフ画、そこに被せた書ともに、味わいは深い。
思うさま撮影し切れなかった怪獣たちへの哀惜、果たせなかった演出へのいらだち、当時の撮影現場への懐かしみなど、さまざまな思いが交錯し、ウルトラシーズの50年が40メートルの高さに浮かび上がる。

  モロボシ・ダンとメトロン星人が畳敷きの部屋でちゃぶ台を挟んで対峙する「宇宙人には、座布団をすすめるべきか」

  二次元怪獣ガヴァドンには「俺の眠りを邪魔しないでくれ」の讃

  あの宇宙人には「宇宙人の鋏も使いようか」

  ウルトラマンパワード版ジャミラには「お前はジャミラではない」と辛辣

  着ぐるみのぶら下がる旧円谷プロ怪獣倉庫を描いて「怪獣たちは何を夢見る…」

などなど。
手軽な文庫で発売されたことを喜ぶ一方、色紙なりに模写して掛け軸用に販売されたなら多少高額でも買ってしまいそうな自分がいる。

2017/11/17

メンタリティー 『日本人ときのこ』 岡村稔久 / 山と渓谷社 ヤマケイ新書

Photoきのこつながりでもう1冊。
妻が椎茸だったころ』に比べれば穏やかなタイトル、装丁だが、その実内容は凄まじい。

本書は奈良時代から江戸時代までのあらゆる説話、日記、和歌などからきのこについて触れた記載を調べ上げ、まとめたもの。
と書けばあっさりした印象だが、たとえば本文中には次のような一節がある。

  奈良・平安時代のところで、何首かきのこの歌を紹介した。(中略)きのこにたいする感動を正面から詠んでいるのは、『万葉集』の「高松のこの峯も狭(せ)に笠立てて盈(み)ち盛りたる秋の香のよさ」という短歌ただ一首に過ぎない。

つまり、こういうことだ。
著者、岡村稔久氏は、奈良から平安時代にいたる『万葉集』『古今和歌集』『拾遺和歌集』などさまざまな歌集にあたってはきのこを扱った和歌を数え上げ、その上で「ほかにはない」と断じているのである。
さらには鎌倉期の歌人寂蓮の和歌を取り上げ、

  これ以降、きのこやきのこ狩りを詠んだ歌は長いあいだ見当たらなくなる。

と語る。さらりとこう言い切るためにどれほど確認に手間がかかったことか。

しかし長年の艱難辛苦を感じさせない著者の淡泊な口ぶりはあくまで穏やかで、それぞれの時代の公家や武士、市井の人々がいかにきのこ狩りを楽しみ、高価なマツタケを珍重し、美味しく味わってきたか、興趣はその一点に絞られるのである。

それにしても、『今昔物語集』あたりまできのこの親分だったヒラタケが(京都の周辺にマツ林が増えるとともに)マツタケに主役を奪われて以来、日本人のマツタケ好みはあきれんばかりだ。貴族も秀吉も学者も町人も、こぞってマツタケ狂騒曲。シイタケなんぞ江戸時代の項の隅にオマケのように登場するばかり。

和歌だの随筆だの、「古文は苦手」という方も心配はない。きのこを食べて踊る尼さんの話やきのこの化け物が大暴れする狂言、きのこ料理の作り方からきのこによる暗殺事件まで、匂いマツタケ味シメジ、ほら鍋も煮立った、まずはこのきれいな赤いのなんてどうだい。

2015/04/06

Newton 2015年5月号 『曲がる! 落ちる! ゆれる! 魔球の科学』 ニュートンプレス

Photoおなじみの真っ赤な表紙、銀色の「Newton」のロゴの下、いつもなら相対性理論だDNAだ虚数だ太陽系の誕生だと物理生物化学数学したテーマが鎮座しているところになんと炎と燃える星飛雄馬のドアップが!

今月のNewton Specialは「魔球の科学」。浮き上がる直球、落ちるフォーク、ゆれるナックルなど野球の変化球だけでなく、本田圭佑の無回転シュート、ナダルのエッグボール、卓球の王子サーブなどさまざまな球技における「魔球」の正体を一つひとつ科学的に解き明かす。
「直球」の正体は実はボールが空気から受ける力(マグナス力)が上向きに作用することによってまっすぐに近い軌道で進む変化球、「フォーク」は重力にしたがって自然に落ちる球、松坂の「ジャイロボール」は……等々、読み応えのある解説、図版が並ぶ。

もっともNewtonはNewton、サブカル誌ではないため、マンガに登場する魔球についての言及は残念ながら多くない。『巨人の星』『MAJOR』『キャプテン翼』、いずれも魔球の描かれ方の一例として扱われる程度で、飛雄馬の大リーグボール2号(というより一徹の魔送球)など数行で一刀両断「不可能」と切って捨てられている。星よ、星よおぉぉ(泣)。

それでもあのNewtonが「魔球」を扱っただけで特筆モノだし、ほかのページもオオサンショウウオの生態グラビア(凄い!)、ハイパーカミオカンデの紹介、最新のステゴサウルス研究成果などなど、興味深い記事、図版、写真でいっぱいだ。
また、永久保存版が増えてしまった。

2015/03/28

Boy Met Girl 『時が新しかったころ』 ロバート・F・ヤング、中村 融 訳 / 創元SF文庫

Photoビブリア古書堂の事件手帖』でコバルトシリーズの古書が紹介され、それが現実世界で大高騰↑↑↑して以来、いまだにわかバブルの続くヤング周辺。

SF作家ロバート・F・ヤングは、ウィキペディアによると

  叙情的で優しい、気恥ずかしいほどストレートに愛を語るロマンティックな作風が特徴
  作風はジャック・フィニイ、レイ・ブラッドベリやシオドア・スタージョンと類比されることもある

とのこと。「海に住む少女(沖の少女)」のシュペルヴィエルも多分きっとお仲間だ。

『時が新しかったころ』(1983)はそんなヤング人気をあてこんで(失礼)、昨年急遽翻訳、刊行された長編だが、ヤングの長編であるからには、短編集『たんぽぽ娘』(河出書房新社)の「編者あとがき」で伊藤典夫がざっくり

  結論として、ヤングの長編について断言できることは「すべて壊れている」──なのである。

と断じた1冊ということになる。どうだろう──。

Photo_2確かにプロパーの目から本格SFの厳密さを求めたなら、いろいろザルとの指摘、わからないでもない(詳細は控えるが、たとえば火星になぜ地球とそっくりな? とか、未来に別の女性がすでにいたなら? などなど)。

しかし、これはJ・P・ホーガンのハードSFじゃない。ヤングのロマンチック時間SFなのだ。「気恥ずかしいほどストレート」に天才少女のツンデレに萌え萌えっ、多少のタイムパラドックスなどあっちむいてほい、それでどうなの提督っ。
その限りにおいて、本作は「おとといは兎を見たわ、きのうは鹿、今日はあなた」の名セリフを残した「たんぽぽ娘」の域には至らないものの、決して失敗作とは思わない。トリケラトプスやティラノサウルスが闊歩する白亜紀の逃走劇、焚き火で焼くマシュマロの香り、最後の最後、見事に決まるストレート。

できることなら校庭のタイムカプセルに収めて、中学生のころの自分に読ませてやりたかった。

2015/03/16

これも、へんです 『へんないきもの三千里』 早川いくを、寺西 晃・絵 / バジリコ

Photo「世界的ベストセラーとなって生物学書籍の常識を覆したと言われる『へんないきもの』シリーズ、本講座では続いて『へんないきもの三千里』を取り上げたい」
「あれ? シリーズ最新刊は先日ご紹介した『うんこがへんないきもの』では?」
「まーそのー、この本、ずっと前に買ってはいたのだけど、なにしろ縦横21.2×15.4cm、厚さ3.2cmのハードカバー。ざっと文庫4冊分で持ち歩くに持ち歩けず、部屋の隅にほったらかされていたのだった」
「なるほど。机と椅子が行方不明になると噂の先輩の部屋ですから、そういうことも」
「机と椅子が行方不明って、それは言い過ぎ。机は、ある」
「椅子はどっかいっちゃったんでしょう?」
「椅子の行方はともかく、今回は小説である。もちろん早川いくを得意のへんないきものは満漢全席てんこ盛りだが、今回はがっつりストーリーもあって、読むに楽しく夜は短い」
「え、ストーリーありなんですか。ではタイトルからすると……産み落とされたへんなマルコが、へんな母をたずねて三千里?」
「と、いうわけでは、ない」
「うーん。じゃあ、経典求めて西域を旅する夏目雅子を、へんないきもの三匹が守って歩く」
「それは『へんないきもの西遊記』」
「城壁内に生き残る人々を巨大なへんないきものが襲う!」
「それは『進撃のへんないきもの』」
「生物の世界で起こった戦争をテーマに、千種類ものへんないきものを生き生きと描き分けた」
「映画化もされた『へんないきものと平和』」
「無人島に流れ着いたへんな少年たちがへんな工夫をこらして生き残る」
「それは『十五へんないきもの漂流記』」
「へんな王子の銅像が、へんなツバメに宝石を配らせる」
「『幸福なへんないきもの』」
「ワトスン、壁から這い出てくるへんなものに気をつけろ!」
「『まだらのへんないきもの』」
「おーほほほ、そんな演技力でわたくしと競おうとは」
「『ガラスのへんないきもの』」
「パトラッシュ、僕もう疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ」
「『フランダースのへんないきもの』」
「クララが歩いた! クララが歩いた!」
「『アルプスのへんないきもの』」
「女の子が小さくなってへんな連中に振りまわされる」
「ぴんぽーん。正解」
「あれっ、『へんないきものの国のアリス』じゃなくて……正解?」
「そう。もう少し詳しく言うと、金は持ってるが性格の悪い両親の間に生まれたたかびーで身勝手な女の子がへんないきものの世界に迷いこんで、へんないきものをひどい目にあわせる」
「は? ひどい目にあう、ではなくて ?」
「あー、まー、サムライアリに奴隷にされたり、サメや深海魚に呑みこまれたり、二枚貝に卵を産みつけられたり、免疫細胞軍と闘ったり、カニにかじられかかったり、毒タコにからまれたり、順不同、多少はひどい目にも、あう、かな」
「十分ひどい目じゃないですか」
「いやー、それでも、ビターでスピーディーな展開に笑っているうちに、やっぱりこの作者はニンゲンよりへんないきもののほうがかわいい、いとしいと思っているのかな、という気になっちゃうんだよね」
「はあ」
「なにしろニンゲンはへんないきものたちよりよっぽどたちが悪いからなあ」
「確かにそうですね。借りたお金は返さない。酒はたかる。仕事はさぼる。ふられた相手をこりずに誘う。部屋は汚部屋で椅子の場所もわからない」
「おれのことかよっ」

2015/02/27

通底する生態系 『黒い破壊者 宇宙生命SF傑作選』 A・E・ヴァン・ヴォークト、R・F・ヤング=他、中村 融=編 / 創元SF文庫

Photo2000年代になってSFは復権した、のだろうか? 今一つよくわからない。
河出のNOVAシリーズ、創元やハヤカワの年鑑傑作選など、新旧のSF短篇オムニバス(の、とびきり分厚いの)が続々発刊されているところを見ると、底冷えの季節は過ぎたようにも思える。
とはいえ2000年代のSFが世界のモノの見方を変革、牽引していくかといえば、正直言ってそれは疑問だ。ラノベやコミケ、SNSに比べて、主たる書き手、読み手の姿もよくわからない。

『黒い破壊者 宇宙生命SF傑作選』は、SFの花、人類と宇宙生命の邂逅をテーマにした海外SF短篇オムニバス。
ヴァン・ヴォークト、ポール・アンダースン、ヤングといった名前から推察できるように、アメリカのSF雑誌がはちきれんばかりの魅力にあふれていた時代──つまり50年ばかり昔──の作品から編まれている。いずれの作品もアクロバティックな論理ゲームが楽しく、サスペンスあり、ロマンスあり、SF初心者にもお奨めだが、テーマを絞りすぎたためか、人類が外惑星に進出、開拓しようとする中、それまで問題ないとされてきた生命体がある日思いもかけないトラブルの種に……と収録6作品ともほぼ同じ構成になっているのがやや平坦といえば平坦な印象。

その中で、今回とくに興味深く読んだのが巻頭のリチャード・マッケナ「狩人よ、故郷に帰れ」。

少し話は寄り道するが、近年のSFプチ復権の前、この国で最後にSFに正面から立ち向かっていたのが、70年代後半から80年代にかけての少女マンガだったように記憶している。
萩尾望都『スター・レッド』『銀の三角』『A-A'』、佐藤史生『夢みる惑星』『ワン・ゼロ』、花郁悠紀子『フェネラ』などの作品は、いずれも少女マンガのエッセンスたる恋愛主題と他者依存から脱して骨太なSFとしての骨格を有し、かつ小道具などに細やかなセンス・オブ・ワンダーがあふれていた。

彼女らのSF作品を見ると、その惑星に張り巡らされた動植物ネットワークとリンクすることでその惑星全体との交信が可能になる、という展開のものに力作が多い。萩尾望都『スター・レッド』、佐藤史生『やどり木』、花郁悠紀子『風に哭く』などがそのバリエーションにあたる。

「狩人よ、故郷に帰れ」に登場する植物のような姿をしつつその葉をもって昆虫のように飛ぶフィトという生物は『風に哭く』のズーフィタに(設定や姿はおろか名前まで)似ているし、そのフィトをはじめとする惑星の生物はすべて意識の底で通じており、そこに人間も参加していくという設定は佐藤史生の『やどり木』の世界観そのものだ。
なるほど、彼女たちの作品の結晶核となったのはこの「狩人よ、故郷に帰れ」だったのか! と確信に近い手応えを得たのだが、困ったことにこの短編(1963年発表)は雑誌を含めて初訳だという。
では、花郁や佐藤の作品に頻出するあのガイア思想の直接の出所はどこだったのだろう?
聞いてみたい気もするが、残念なことに気がつけば二人ともすでに故人なのだった。

2015/02/24

うんこの尺玉花火 『うんこがへんないきもの』 早川いくを / アスキー・メディアワークス

Photo「へんないきもの」といえばあれやあれでしょ、あのあたり。週末にはサンシャイン水族館にでも見に参りましょう、とすっかり老若男女に市民権を得て、いよいよ錦のカツオドリ。その早川いくを『へんないきもの』シリーズの新作は──ええい、今回も帯からコピってしまえ、

  本書の 内容は クソです。

内容はうんこの山。うんこに次ぐうんこ。右も左もうんこ。積もるうんこ、降ってくるうんこ、転がるうんこ、飛び散るうんこ。夜寝る前に読んでいると、体がずぶずぶうんこに沈んでいくような──それはもううんこ。
ことに「エコロジカルな地獄 コウモリ」の章は、決して寝る前に読んではいけない。食事中なんて論外だ。

とはいえ、いきものたちにとってうんこは貴重な資源であり、ツールであり、ドキュメントである。へんないきものたちに向ける著者の意地悪だがトドメは刺さない絶妙な目線は今回も健在、ただ、既刊の『へんないきもの』シリーズと違って、今回はネタ集めのフン闘空しく、一ネタが数ページはだらだら続く。……そう、フンギリが悪い、なんてな。

ところで、『半七捕物帳』で知られる岡本綺堂の怪談集『青蛙堂鬼談』冒頭には、中国で三本足の蛙が珍重される、という話が出てくる。
ウィキペディアでは「青蛙神」の項に

中国の妖怪。蝦蟇仙人が従えている三本足の蟾蜍(ヒキガエル)の霊獣とされる。3本の内訳は前足が2本、後足が1本で、後足はお玉杓子の尾のように中央に付く。

とあり、

天災を予知する力を持つ霊獣もしくは神。大変に縁起の良い福の神とされ「青蛙将軍」、「金華将軍」などとも呼ばれる。

とされている。
しかし、三本足の蛙がこんなふうに神格化されるにいたるにはなんらかの契機、三本足の蛙が頻繁に見られる沼なり池なりがあったに違いない……と以前より不思議に思っていたのだが、今回、『うんこがへんないきもの』に、(アメリカでの話だが)吸虫のために三本足の奇形の蛙が生まれる恐ろしい話を得た。……もしや、神様は寄生虫だったのか。

2014/09/30

実現をまっている無数の 『ドミトリーともきんす』 高野文子 / 中央公論社

Photoとも子さんとその娘のきん子さんが住んでいる「ドミトリーともきんす」の2階には、科学を勉強する4人の学生たち(朝永振一郎君、牧野富太郎君、中谷宇吉郎君、湯川秀樹君)が仲良く寮生活を送っています。
彼らはとも子さんがコーヒーをいれると、雪が降ると、チューリップにツボミがつくと、外国からお客さんがくると、すたすた階段を降りてきてとも子さん、きん子さんと科学を語ります。

──なんていう紹介では、この作品の雰囲気はきっとわかっていただけませんね。
ぜひご自身で手に取って、一篇二篇読んでみてください。驚きます。嬉しくなる、かもしれません。

作者は自然科学の本を紹介する作品なので、と、気持ちの込もらない線を心がけ、製図ペンを選んだのだそうです。そのため、よくある学習マンガのタッチとも、また違います。
ドミトリーともきんすの室内はソフトに幾何学的だし、白っぽい画面にはほとんど影がありません。ここは抽象的な空間なのです。
それでも、そこは高野文子、ナイーブな線やアングルは健在です。

朝永君はちょっとイケメン。牧野君は横山光輝描くところの忍者みたい。そういえば中谷君はフイチンさんに似ているかな。湯川君は、心根の優しい(でもどこか上の空な)のび太君のようです。
また、植物学の牧野君の言葉遣いは他の3人とはまるで違いますし、同じ物理学でも雪の結晶の研究で知られる中谷君の興味は理論物理学の2人とまた異なるようです。

各章の終わりでは、とも子さんがそれぞれの科学者の書いた本から一節を紹介します。科学を突き詰めると言葉は静かに厚みを増すのでしょうか?

そうそう、おまけのようにこっそり巻頭と巻末を飾る「球面世界」と「Tさん(東京在住)は、この夏、盆踊りが、おどりたい。」の2作ですが、これはもう体がクラインの壺と化してくるりんと裏返りそうな、それはもう素敵にヘンテコリンな作品です。
本篇には失礼だけど、本書は、この2作のためだけでも買う価値があります。本当です。

書店で探す際は、普通のマンガ単行本よりずっと大きい(週刊誌と同じ)ので気をつけてください。背表紙は水色です。

2014/05/18

わたしはこの世界から消えるはず 『俺の心臓は彼女にしか撃ち抜けない』 西森博之 / 小学館文庫

Photo この表紙、このタイトル。加えて主人公の高校生・杵屋孝志は中度のアニオタ、妹属性。ヒロインは「この世に存在してはいけないほど」美しい巫女・霞。となればこれは天地神明、アキバの神に誓ってキャラものライトノベルに違いない。
だが、マンガ家西森博之による小説第二弾は、読み進める過程においておよそライトではない。
なにやら途方もない喪失感、寂寥感にあふれているのだ。

──アニオタを公言して穏やかな日々を送っていた孝志。彼は始まってたった8ページには、ふと立ち寄った神社で雷に打たれて意識を失ってしまう。目覚めた孝志に超絶美少女の巫女・霞が告げるには、孝志は神に選ばれて無敵の超人となったというのだ。ところが孝志は世界を手に入れることなどより身の丈に合った幸福にしか興味を示さない。妹役を演じる霞との静かで幸福な日々。だが、神に選ばれたのは孝志だけではなかった……。

中盤からは俄然敵キャラの黒さが際立ち、西森らしい入り組んだバイオレンスシーンも描かれる。

作者はオーソドックスなSFの愛読者だったのか、全体の構図はいかにも星新一や小松左京のショートショートにありそうなもの。
文章は前作『満天の星と青い空』に比べ格段に手慣れており、また大小のイベントをテンポよく用意して飽きさせない。さすがに週間連載で鍛えられた印象だ。

それでも、やはりマンガでは書けないものを、という意思があったのか、繰り返すが全編を覆うのは尋常ならざる喪失感、寂寥感である。霞は始まって21ページめですでに「少しだけ寂しげに見え」と喪われる者として暗示され、繰り返し自らが架空の存在であると訴える。

敵は狡猾だが、大切なものを喪いたくないと思い立ったオタクはヘタレに見えて意外や強い。いや、守るべきものを持たない者が強いはずはない。オタクこそは周囲にとらわれず自らが守りたいものを真っ直ぐに守る強者なのだ。

2014/05/12

俺がこれで終わりにしてやる 『満天の星と青い空』 西森博之 / 小学館

Photo


少年サンデーで『今日から俺は!!』『天使な小生意気』『お茶にごす。』『鋼鉄の華っ柱』など、暴力とエスプリにあふれるとんがった(髪の毛の人物が活躍する)作品を発表し続けてきた西森博之が、実は小説を書いていた。

ふめい【不明】
②才知の足りないこと。事理に暗いこと。識見のないこと。「おのが―を恥じる」

広辞苑を引いて猿より深く反省する。事理に暗い。識見がない。くくくぅ。

反省はさておき、取り急ぎ日本橋丸善でまず単行本の『満天の星と青い空』を買ってみた。
読んでみた。
──素晴らしい。

隕石に付着して地球に到達した微生物のため、地球上の金属は急速に腐食され、世界の文明は数日で崩壊してしまった。修学旅行で京都にきていた高校生たちは、東京を目指して徒歩の旅に出る。
主人公の高校生、中澤真吾は、「目に輝きはない。真っ黒なのだ。暗い虚ろな眼差し、しかし何か強い迫力がある」、という氷の魂と圧倒的な戦闘力をもつバーサーカー。
そんな中澤が、クラスメートの“小動物”水上鈴音の真っ直ぐな心根にあおられて少しずつ変わっていく。しかし、彼らの背後には凶悪な暴力の手が迫っていた。

文体は箇条書きで荒い。サバイバルな設定はよく言えば全盛期SFへのリスペクト、悪くいえばありきたり。構成も慣れてない印象で、中澤のツレの横山が(おそらく頭脳戦で)敵のザコキャラを片付ける場面は紙数の都合で切り落とされたに違いない。質量保存の法則は。鉄が喰われるなら赤血球中のヘモグロビンは。
……などなど、気になる点をあげれていけばキリがない。だが、読後感はとてもいい。

思わず「夏休み小説」という言葉が転がり出てきた。
山中恒『ぼくがぼくであること』など、少年を主人公にした作品にまま見られる、主人公が一定期間日常から切り離され、そこで見知らぬ人々と出会い、戦い、ほのかな恋慕を覚え、成長していく物語。

西森博之は『満天の星と青い空』を書いた後、本職のマンガ業に戻り、あの快作『お茶にごす。』を発表する。『お茶にごす。』の悪魔(デビル)まークンやその僚友山田、勝気な夏帆らのキャラ、それぞれの関係や掛け合いに、本作のシェイプアップされた姿が追える。だが、油まみれのエンジンやシャーシが剥き出しになった本作の魅力もまた、捨てがたい。

ところで、『満点の星と青い空』の美しいラストシーンでは、Janis Ianの“You Are Love”が轟々と鳴り響く。わかる人だけわかってください。

より以前の記事一覧