不肖烏丸、40年来の座右の銘の一つに、以下の一文がある。
ルートウィッヒはヘルミネを最も愛し、ヘレネを好まず、マルガレーテとは終生、愛しつつ戦った。
大修館書店『ウィトゲンシュタイン全集』第1巻の別冊付録に収録された「ウィトゲンシュタインの生涯」(黒崎宏)の一節で、大学に入ったばかりの頃、読書家の先輩たちにそそのかされてこの全集本を手に入れ、肝心の『論理哲学論考』は礼賛はすれど(後述)内容はそれはもうお手上げグリコ、本文よりはわかりやすかろうと付録冊子をパラパラめくって哲学者の人生の苛烈さに半身を焼かれるような思いをしたものだ。
その中でも、なぜか知らないがこの一節は今でも暗誦できるし、今も胸のどこかがチリチリと熱い。
ヘルミネ、ヘレネ、マルガレーテ。その名は、40年経った今も自分にとって、執着しつつ戦わねばならない存在の、一種の指標、メルクマールなのだ。
中公文庫『ウィトゲンシュタイン家の人びと ──闘う家族』は、その、20世紀最大の論理哲学者ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの家族を、彼の父カール、そしてその子供たち(五男のルートウイヒよりむしろ四男の隻腕のピアニスト、パウルを中心に)描き上げたノンフィクションドキュメンタリーである。
著者はイギリスの作家イーヴリン・ウォーを祖父にもつアレグザンダー・ウォー、手紙や公文書など膨大な資料をもとに語る文体は簡明、直截で、たとえば
(ヘルミーネは)感情を表に出さない内向的な性格で、動作は堅苦しく、いつも背筋がまっすぐで、その態度は(彼女をよく知らない人からすると)尊大で取り澄ましているように見えた。しかし実際のところ、彼女は自分に自信がなく、見知らぬ他人といるとどうも気分が落ち着かないのだった。
グレートル(マルガレーテの愛称)は最も温かく、最もユーモアがあって、最も親切だったが、最も支配欲が強く、最も野心的で、最も俗っぽくもあった。そうした自分の性向を彼女はひどく嫌ったが、それに抵抗するほどの強さは持ち合わせなかった。
といったビートを叩きつけるような文体にこの一族の個性豊かな顔ぶれが克明に浮かび上がる。
最初のおおよそ90ページにはピアニストとしてデビューせんとする野心満々のパウル、さかのぼってカールがいかに財をなしたか、そしてそのカールの死、とハプスブルク帝国有数の資産家であるウィトゲンシュタイン家の歴史が語られる。
名画や彫刻の並ぶ豪勢な屋敷にはブラームスやリヒャルト・シュトラウス、シェーンベルク、ツェムリンスキー、グスタフ・マーラーらが招かれ音楽を奏でる。まるでウィーンフィルのニューイヤーコンサートのセットリストだが、違う、その豪奢な客間に訪れたのは作曲家本人だ。
ショッキングなのは、グレートルの全身肖像画を依頼され、彼女の稀少な美しさ、異国的な優美さをとらえるのに苦労したグスタフ・クリムトについて記した次の一文だろう。
グレートルは完成した絵を嫌って、口の描き方が「不正確」だとクリムトを非難した。その部分をのちに無名の画家に塗り直させたほどである。
ウィトゲンシュタイン家の資産は、カールの死によって相続分配しようが、第一次世界大戦が起ころうが、投資に失敗しようが、ナチスに収用されようが、海外への持ち出しに失敗しようが、爆撃で失おうが、それでも残る。
しかし、有り余る資産と明晰な頭脳、芸術的素養を持ち合わせたこの兄弟、姉妹は、自らの矜持をかけてなにかにつけて争い、闘う。共に穏やかに過ごすことができない。
また、長男ハンス(=ヨハネス)、次男クルト(=コンラート)、三男ルディ(=ルドルフ)がそれぞれ失踪、自殺するなど、この一族では自殺は珍しいことではなく、ルートウィヒも最後まで自殺願望に苦しむ。
だが、男兄弟の過半数が自殺した、という事実が本書を必ずしも暗い1冊とは導かない。
諍いに満ちた兄弟姉妹の関係は必ずしも陰湿なものではない。それは、(自死という選択含め)各人の主張、論理、尊厳の一つの現れなのである。
それぞれの人生は戦争との闘い、時代との闘い、怪我や病気、そして自身との闘いの連続だ。
転倒すれば起き上がる。殴られたら殴り返す。
パウルは自ら戦線に赴き、片腕を失い、苛烈な捕虜生活を生き抜き、帰還してなお臆せずピアニストとして立つ(彼の演奏はYouTubeで聴くことができる)。彼は師ラボールのほか、ラヴェル、プロコフィエフ、シュトラウスらに作曲、編曲を依頼するが、曲の内容、解釈について納得できなければそこでも闘う。
(ルートウィヒが書き残したのは主に言語に着目した論理哲学だったが、ウィトゲンシュタイン家の個々人の生きざまはむしろ実存主義的だ。)
『ウィトゲンシュタイン家の人びと ──闘う家族』ではウィトゲンシュタイン家の男性としては比較的天寿を全うしたパウルの「闘い」について最もページを割いているが、もちろんルートウィヒについても詳しい。
著者の弁は
ルートウィヒは、いまや二十世紀の象徴的な人物である。二枚目で、口下手で、苦悩する不可解な哲学者。その威圧的な人格のまわりには、一九五一年の彼の死後、異様な礼賛者の集団ができあがった。皮肉なことに、そうした礼賛者たちのなかにはルートウィヒの本を開いたこともなく、彼の思考を一行でも理解しようとしない人々が数多く含まれている。
と辛辣だが、なにしろ師でありルートウィヒと何度も語り合ったバートランド・ラッセルすらルートウィヒの思想の神髄を十分には理解できていないもようなので安心だ!
有名なエピソードとして、自らの才能と将来を憂うルートウィヒにラッセルが何か哲学の主題に関するものを書いてくるように指示し、ルートウィヒがその答えを持ってきたとき、ラッセルは一行だけ読んですぐさま「きみは飛行船の操縦士になってはいけない(哲学者になるべきだ)」と言ったという。本書もこの記事に触れつつ、肝心のその一行の内容は明らかにしていない。はたしてそれはどのような一行だったのだろう?
〔付記〕
ルートウィヒの『論理哲学論考』は
謎は存在しない。
いやしくも問を立てることができるのなら、その問に答えることもできるのである。
と説き
話をするのが不可能なことについては、人は沈黙せねばならない。
と述べて閉じる(奥雅博訳)。
ならば、その不可能なことについて沈黙を破らんとせん「試み」こそが「詩」である、と学生の自分は考えた。
たとえば、ヴァレリーは『文学論』(堀口大学訳、岩波文庫)において、ユーゴーの
「そこから夜が輝き出る気味わるい黒い太陽」
という句を例に、詩句は、意味の上では無意味、ゼロであっても、すばらしい音調(レゾナンス)を持ちうることを示している。
このような(古い?)「詩」観は逆にいえばまさしくウィトゲンシュタインの後期の「言語ゲーム」によって粉砕されたのかもしれない──が、それでもコクトーの「虚無への供物」やシュルレアリスムの「至高点」をいまだに捨てがたく思う。
そのような地平線では、
同じ意味の語句を束ねていった場合、世界はいくつの語句で語り得るか
とか、
ゼロで割ることのできない数の集合は、虚数と実数を掛け合わせ複素数の集合と等しいか
といった問いはまた詩の美しさを内包し得るに違いない。などなど。