カテゴリー「ミステリー傑作選」の19件の記事

2025/04/24

『2022 ザ・ベストミステリーズ』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

2022_20250424185501 講談社文庫から1974年以来発行されてきた「ミステリー傑作選」(日本推理作家協会編)──最近は「ザ・ベスト・ミステリーズ」とタイトルされている──の紹介も数がたまってきたので、「ミステリ・サスペンス」とは別に複数の作家によるミステリ短篇を集めたオムニバス、アンソロジー専用に「ミステリー傑作選」というカテゴリーを起こすことにした。
まあ、書き手である烏丸が過去分を確認するための索引が主たる目的なのでどうぞお気になさらず。

さて、その「ザ・ベストミステリーズ」の新作である。
目次は以下のとおり。

  逸木 裕「スケーターズ・ワルツ」 
  大山誠一郎「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」
  芦沢 央「アイランドキッチン」
  川瀬七緒「攻撃のSOS」
  杉山 幌「光を描く」
  大門剛明「手綱を引く」
  笛吹太郎「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」
  米澤穂信「ねむけ」

このところガブリエル・ガルシア=マルケスやホセ・ドノソら、ちょっと面倒で面妖なラテンアメリカ文学にはまっていたせいか、今回はわりあい素直に「短篇ミステリって楽しーい!」気分を味わえた。
「殺人事件があり、探偵が天才的推理で謎を解く」という黄金パターンが少ないのが最近の傾向なのだが、それでもいくつかの作品では明確な「悪」が描かれ、その分明確な「悪」の登場しないいわゆる「日常の謎」界隈の作品も新鮮な気持ちで読むことができた。

以下、雑感。

逸木 裕「スケーターズ・ワルツ」は音楽家の世界をテーマに10年前の事件を解きほぐす。伏線から後味まで、よい仕事、綺麗な仕上げ。
一点だけ、(ほとんどいちゃもんの類だが)探偵役の主人公は父親の興した探偵事務所に務め、ドイツ料理のレストランでメニューを見ると「見たこともない料理名で埋め尽くされていた」、ピアニストに指揮者の名前を問われると「小澤征爾なら知ってます。あとは、カラヤンって人、いましたよね?」と答えてヴィルヘルム・フルトヴェングラー、カルロス・クライバー、ヴァレリー・ゲルギエフについては「聞いたことすらない」。
ところが、そういうはっきりいえばガチャなキャラクター設定の一方でたとえば「気まぐれを起こして休まなければ、このワインがわたしの舌を撫でることはなかったし、この音楽がわたしの耳に触れることもなかった」云々という地の文はどうだろう。

大山誠一郎「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」、時計店店主の女性がアリバイ崩しのスペシャリストという設定に覚えがあると思ったら、テレビ朝日の連続ドラマ「アリバイ崩し承ります」の原作であったか。
犯人は同時に起こった2つの殺人事件の容疑者として警視庁と所轄の那野県警を混乱させる・・・という設定も、精緻なアリバイ崩しも面白い。面白いのだが・・・これ、警視庁か所轄の一方が怠惰、もしくはほかの容疑者を追ったとしたら、犯人、普通に逮捕されて有罪になるんじゃないか・・・?

「アイランドキッチン」、芦沢央が巧いのはもうわかった。いわゆるイヤミス、逮捕されない悪。黙って読むから許して。

川瀬七緒「攻撃のSOS」、極めて特殊な技能をもった主人公が事件にあたる、という設定はシリーズものの設定として悪くはないのだけれど、その特技についてスーパーマンに過ぎると、そこ以外で制限をかけないと締まったお話にならない。という作家の苦労がしのばれる作品。その制限のほうで、少し読むのがつらい。

杉山 幌「光を描く」、高校野球の公式戦で、実力では上回っているはずの相手校にストレートを狙い打たれてリードされる。サインが盗まれているのではないか・・・?
青春の、光と影を描いて秀逸だが、イジワルな読み手はこの作品も「味方が相手ピッチャーをカンカン打ち崩して大量リードしていたらどうなったろう」と余計な心配が残った。むしろ、そうなった場合のほうがよほど大変だ。

笛吹太郎「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」、今回の1冊のなかで、いちばんお気楽、呑気な風体で、実際殺人も悪人も登場しない作品なのだが、「身内に不幸が起こったわけでもないのに姉が喪中はがきを出した」という謎(ホワイダニット)に対し、登場人物たちが毒入りチョコレートもかくやの議論伯仲、最後にこの上ない見事な伏線返し。構成といい爽やかさといい、文句なし。

「ねむけ」、米澤穂信の学園モノは正直言って少し苦手なのだけれど、こういう作品を読むとその力量は評価せざるを得ない。ストーリーや謎解きの巧さのみならず、全体をみっしりと押し包む雰囲気が同時にプロットでもある、という構図のすさまじさ。これは単行本『可燃物』も読まないといけないなあ(こういう出会いがアンソロジーを読む楽しみでもあります)。

大門剛明「手綱を引く」、これだけ順番が入れ替わっているのは、ほかの各作品はあーだこーだと重箱の隅を楊枝でほじくりつつ根っこのところでは楽しみ、また感心したのに比べ、鑑識犬を扱う本作品は素直に面白がることはできなかったため。
登場人物はある事実に気がつき、2つのうちどちらを選ぶかで迷う・・・。
いや、待て。私立探偵を主人公にする探偵小説ならいざしらず、警察小説で迷うのはその2つのどちらかではないでしょう。回りもそれを許すんじゃない。

2024/12/09

『英国古典推理小説集』 佐々木 徹 編訳 / 岩波文庫

Photo_20241209191101 「良書」である。

待て待て。「良書」などと言うといかにも教科書的で、おまけに書名が『英国古典推理小説集』などとかちんこちんの漢字率10割、なんとなく土蔵の古文書を読まされそうな埃っぽくて面倒な印象を持たれるかもしれない。
しかし、クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』やクロフツの『樽』が発表された1920年を起点とする(諸説あります)いわゆる「探偵小説の黄金時代」に先立つ英国推理小説の歴史を俯瞰するアンソロジーたる本書は、

  まず、素直な翻訳で読みやすく、意外なまでに一作一作が普通に小説として面白い、読みでがある
  アメリカのポーを発祥とする、当時の推理小説の質的変異、進化が窺えて興味深い
  単に当時の名作を列挙するだけでない、編訳者の意図がいろいろ窺えて(ないし、意図が読めなくて)面白い

などなど、なかなかにさまざまなアングルを備えた魅力的な1冊となっている。

目次を転記しておこう。年月日は発表された日付でなく、掲載された雑誌などの号表記が主なので注意。

  はじめに
  チャールズ・ディケンズ『バーナビー・ラッジ』第一章より(1841年)
    (付)エドガー・アラン・ポーによる書評(1841年5月1日、1842年2月)
  ウォーターズ「有罪か無罪か」(1849年8月25日)
  ヘンリー・ウッド夫人「七番の謎」(1877年1月)
  ウィルキー・コリンズ「誰がゼビディーを殺したか」(1880年12月25日)
  キャサリン・ルイーザ・パーキス「引き抜かれた短剣」(1893年6月)
  G・K・チェスタトン「イズリアル・ガウの名誉」(1911年3月15日)
  トマス・バーク「オターモゥル氏の手」(1929年)
  チャールズ・フィーリクス「ノッティング・ヒルの謎」(1862年11月-63年1月)
  訳者あとがき

まず、冒頭、ディケンズが「推理小説」という明確な目的意識なしに書いた長編『バーナビー・ラッジ』の第一章に対し、創始者にしてすでに「推理小説」の完成形への明確な意識をもった天才ポーの「ここがおかしい」「こうしたほうがよい」との指摘が炸裂する。
驚くべきは、後日、ディケンズは訪米し、ポーとアメリカの詩について語り合ったという歴史的事実だ。
二人が「推理小説」について話し合ったかどうかはわからないが、ざんざんと時代の波の音が耳に響くような思いがする。

ウォーターズ「有罪か無罪か」は綿密な捜査を主とするいわゆる「警察小説」で、推理小説というものがなぜか出来上がると同時にのちのさまざまな枝葉を持つにいたった経緯を不思議に思う。

七番の謎」は当節のサイコパスものを思わせないでもないエグみのある短篇だが、作者のヘンリー・ウッド夫人には『イースト・リン』(1861年)というベストセラーがあり、その作品はトルストイの『アンナ・カレーニナ』の素材となったとも言われているらしい。
(先日のテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」をご覧になった方には記憶に新しいと思われるが)彫刻家オーギュスト・ロダンの弟子にして愛人、カミーユ・クローデル(「月下の一群」にも選ばれている詩人ポール・クローデルの姉)は女性が彫刻家なんて、と評価を得らえれない人生であったらしい。同じ創作であっても、サッフォーや紫式部、ブロンテ姉妹など、それなりに女性作家にことかかない文芸に比べて他の創作ジャンルの固さ、その逆に女性が広く活躍する推理小説との違いが気にかかる。

ウィルキー・コリンズ「誰がゼビディーを殺したか」、大家の大家たる安定の一作。

キャサリン・ルイーザ・パーキス「引き抜かれた短剣」。「男女の登場人物がなにかと口論しながら仲良く(?)推理を繰り広げ、女性探偵の機知が事件を解決に導くユーモアにあふれた作品」が推理小説の黎明期からあったことに驚く。開祖は誰のなんという作品だったのだろう。

さて、本『英国古典推理小説集』についての大きな謎の1つが、G・K・チェスタトン「イズリアル・ガウの名誉」の収録だ。
「黄金時代」以前の英国というくくりなら、ホームズだってソーンダイクだって隅の老人だって候補にあがるだろうに、なぜブラウン神父、なぜに「イズリアル・ガウの名誉」。
あとがきなど読むと全体に非常に恣意的な選択を心掛けた印象があり、編訳者としては本作についてもなんらかの強い意図をもってのことだろうと思われるが・・・今ひとつわからない。

チェスタトン以上にわからないのがトマス・バーク「オターモゥル氏の手」という選択。
短篇推理小説としての出来栄えは見事だが、発表年、内容ともに明らかに「黄金時代」以降のものであり、なぜ「古典」として選ばれたのか。あとがきにもそのあたりの説明はない。良い作品、なら星の数ほどあるだろうし。
一つ思い当たるのは、他の掲載作の1つと「当事者」がかぶっており、もしかするとそのテーマにそって「黄金時代」前と後、といった意味合いで選ばれたのか・・・いや、やはりよくわからない。

チャールズ・フィーリクス「ノッティング・ヒルの謎」は、本アンソロジーの白眉で、ウィルキー・コリンズ『月長石』(1868年)に先立つ最初の英国推理小説長編部門ではないか、という選択である。しかも本邦初訳。
内容はある人生についての長期にわたる手紙や覚書、証言などの記録で、それらの累積によって事件の真相、犯人がじわじわとあぶりだされていく。
登場人物が多岐多岐多岐多岐にわたり、はっきり言ってすらすら読めるものではない。だが、人物、出来事、日付がジグソーパズルのように真実を明らかにしていく(正確には、盤面の中央に犯人とその行為が空白として残される)その過程は圧巻で、その作風は他に類を見ない。
この作品が『月長石』より以前、日本でいえば江戸時代の末に書かれていた、その事実だけで実に興味深い。

推理小説の定義から始めて、各作品の意味合いについて語る編訳者のあとがきも素晴らしい。何度も読み返してしまった。
(ダ・カーポ)

2024/05/06

『2021 ザ・ベストミステリーズ』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

2021_20240506184601 現役のミステリ作家の皆さんは大変だな、と思う。

『アクロイド殺し』は書かれてしまった。『ドルリィ・レーン最後の事件』も、『オリエント急行の殺人』も、『そして誰もいなくなった』も天下に公開されて久しい。名探偵とその(少し凡庸な)友人という組み合わせ、犯人と犯行が先に明らかにされそれが徐々に追いつめられる手法、うらぶれた私立探偵、収監された元精神病医、日常のささやかな謎から明らかにされる真実・・・。
残された未踏の領域なんてあるんだろうか。

不思議なのは、ドイルやクリスティは今読んでもそこそこ面白いということだ。まだらの紐が隣の部屋から、なんて、タネがわかってしまえばどうということないはずなのに、それでも読み返して退屈しない。

少しヘンなたとえで申し訳ないが・・・黄金期の短篇ミステリ小説の場合、前半に謎や伏線が2+1+1の合計4ポイント仕込んでおいて後半に3+4ポイントの謎解きやどんでん返し。これなら4<7で誰もが十分に楽しめる。
ところが、さまざまな手法やトリックが知れ渡ってしまった現在では、前半に謎や伏線を一生懸命ばら撒いて2+1+1+1+2、後半にそれを回収して2+2+3ポイント、でもこれだと苦労のわりに7=7でとくにびっくりしない。そんなことが起こっている。同じまだらの紐を這わせても、語り手が犯人でも、読み手はそれほどびっくりしてくれないのだ。

2020年に発表されたミステリ短篇から選ばれた秀作揃いの『2021 ザ・ベストミステリーズ』、ここでも作家の皆さんのそういった苦労があちらこちらに感じられる。

収録作は

  結城真一郎「#拡散希望」
  青崎有吾「風ヶ丘合唱祭事件」
  芦沢央「九月某日の誓い」
  一穂ミチ「ピクニック」
  乾くるみ「夫の余命」
  北山猛邦「すべての別れを終えた人」
  櫻田智也「彼方の甲虫」
  降田天「顔」

たとえば巻頭の「#拡散希望」は日本推理作家協会賞短編部門受賞作とのことで、当節流行のYouTubeを題材に、短篇ながらさまざまな工夫をこらした労作であることは理解できる。できるのだが、作中に蒔かれた苦労の数が多ければ多いほどラストの衝撃は薄まるということだってある。
そもそも、この作品世界では、情熱も悪意も教育も人の命も復讐も・・・軽い。軽いというか、薄い。

その他の作品についても、ネタバレにならないよう注意しつつ、少しずつ触れておこう。

「風ヶ丘合唱祭事件」・・・軽妙な青春小説と読めて楽しいが、ミステリとしてみると「#拡散希望」と同じ「苦労の数」が感じられる。可能性のこまごまをすべてつぶして追いつめる必要はあっただろうか。
「九月某日の誓い」・・・科学の視点からはいろいろ問題あり!だと思うが、それでも後半は一気に読まされる。どっひゃーと倒される。こういうのを語り口の巧さというのだろう。「バカミス」ならぬ「バカSF」。傑作。
「ピクニック」・・・巧妙な作品だとは思う。ただ、(あくまで個人的に)昔から人の記憶を云々するミステリは得手ではないため、読後少しもやもやしたものが残った。
「夫の余命」・・・乾くるみには気をつけろ──と、構えていても騙される。達人のカードマジックにはどう注視しても騙される、その領域。また、テクニック一辺倒に見えて、お話が終わってみれば透明な上澄み液にほのかな香りが残る。それが心地よい。
「すべての別れを終えた人」・・・2020年に書かれ、発表されるべく発表された作品。トリックはかなり強引かつ無謀だが、この作品の背景は風化されるべきではない。マスコミが報じる以上に、これは各地で起こった事実である。
「彼方の甲虫」・・・作者の短篇集を何冊か読んだが、昆虫採集を趣味とする主人公をたてるために、やや事件と昆虫を無理やり結びつける印象あり。あと、本作では架空の宗教の教義3つが事件の背景とされているが、どう考えてもその3教義より優先される教義が1つ2つあるはずなのにそれが語られていない。
「顔」・・・「風ヶ丘合唱祭事件」同様、ミステリであるより青春小説として楽しむべき作品。1つひっかかったこととして、443ページの登場人物のセリフに「わたしが正義面で発した言葉」とあるが、その言葉は間違っても「正義面で」発せられるべきものではない。

・・・と、ここまで書いて、気がついた。
『2021 ザ・ベストミステリーズ』では、ほぼすべての作品において、「正義」の扱いについてちょっとおかしいとしか言いようのない人物が(主役にせよ脇役にせよ)登場する。
あらわれ方はさまざま、だがいずれにせよ、正義の名のもとに人を貶めてよいわけでもないし、正義を口にすれば許されるわけでもない。そのそもそもの「正義の前提」が、壊れている。

「悪漢をつかまえる名探偵」などという古典的な正義の構造、それは現代のミステリではもう望むべきもない。主人公の警官が正義の行使に迷う、そんな設定すら古い印象をもたれかねない。
多様性がうたわれる社会に明確な正義という中心線がなくなれば、ミステリもそうなっていくのは当然のことだ。

だが、それは「絶対的な正義などない」という話であって、各自がてんでに身勝手な正義を大上段に振りかざしてよいわけではない。
SNS、YouTube、コロナ、マスク、ワクチン・・・
『2021 ザ・ベストミステリーズ』は期せずして2020年以降のそのあたりの社会のあり方を示してしまっている、そのようにも思う。

2023/05/29

『2020 ザ・ベストミステリーズ』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

2020 このところ、申し訳ないことに、本シリーズにはブーたれてばかりいる。
(とくにタイトル。くどいので今回はもう言わないことにする。)

ここ十年あまりの本シリーズ収録作について感じる物足りなさ、その最たるは描かれる事件そのものに「切実さ」を感じないことだ。
別にどの作品にもシリアスな人間関係や連続殺人事件を! というわけではない。
たとえばミステリには日々の生活のちょっとした不思議からそこに隠された真実を見抜く「日常の謎」というジャンルがある。しかし、それにしたってその不思議から読み抜かれる「日常の真実」には、なにか切実なもの、登場人物が生きていくうえで大切なものがあるはずで、そうでなければ・・・。

そういう意味で、今回の収録作品は、平均して、すごくよかった
本シリーズを読んでこれだけの充足感を得たのは果たして何年ぶりだろう・・・そう感じるくらい、よかった。

収録作は以下のとおり。

  矢樹 純「夫の骨
  秋吉理香子「神様」
  井上真偽「青い告白」
  木江 恭「さかなの子」
  近藤史恵「ホテル・カイザリン」
  櫻田智也「コマチグモ」
  知念実希人「傷の証言」
  真野光一「ウロボロス」
  薬丸 岳「嫌疑不十分」

殺人ないし殺人未遂といういかにもミステリ設定の作品も、よく読むと「殺人事件があった」→「(探偵によって)犯人が明らかになった」などという単純な構造は1作もなく、いずれも「これこれ、これぞ短篇小説!」の妙を満たしている。
近年の傾向として学校を舞台にする作品、子どもが被害者となる作品がやはりいくつかあるが、物語の芯のところはミステリ作品として十分説得力のあるもので、少なくとも雰囲気で読ませる「子どもだまし」ではない。

個々の作品に触れておくと(ネタバレにはならないよう注意はするが)、

「夫の骨」・・・作者の同タイトルの短篇集は以前本ブログでも取り上げた。とくにこの表題作、それも最後の1行が凄い。「足元が崩れる」とはこれを言う。
「神様」・・・「板子一枚、下は地獄」、闇バイトに染まれば闇に落ちる。簡単にお金が得られる仕事にロクなものはない、というお話(ではない)。
「青い告白」・・・淡々と描かれた高校生たちの青春物語、とも読めるが、善意の国語教師・葛西卓を作中に刻んだ作者の手腕は並みではない。
「ホテル・カイザリン」・・・子どもが子どもと惹かれ合って、子どもじみた事件を起こす。この甘い雰囲気の中で、登場人物誰一人にもまったく感情移入できないところが逆にすごい。
「コマチグモ」・・・真摯で切ない事件の全容。ところで、コマチグモの説明、必要だろうか?
「傷の証言」・・・「ホームズ」と「ワトスン」役のキャラは立っているが、「犯人」役が少し弱い。犯行の目的がこれであるなら、犯人がホームズの指摘のさらに先を読み、目的を完遂させる展開のほうが面白かったのでは(そこまでいっても、よくあるパターン、と言われるかもしれないが)。
「さかなの子」、「ウロボロス」、「嫌疑不十分」・・・本ブログでも過去に何度か書いたように、ミステリの本領の1つは「イジワル」だと思う。その意味でこれらはなかなかイジワル極まりない秀作ぞろい。とくに「ウロボロス」の「え? ここで終わる?」感はたまらない。前のめりにこける。こける自分の背中が前方に見えるウロボロス。

なお、本巻の「謎」の1つがミステリー評論家で本巻収録作の選者でもある新保博久氏による巻末の「解説」。

まず、推理小説のアンソロジーは数あれど、最強なのはこのザ・ベストミステリーズ、と自画自賛で書き起こし、日本推理作家協会編とあれど推理作家は書くプロであって読むプロではないから本シリーズは協会から編纂を委託された自分を含む評論家が合議で選んでいるのだよと内幕ばらし、そこで話は突然自分は日本推理作家協会賞の予選委員も兼ねていて、と話がずれて、そのまま戻ってこない。
「ウロボロス」は読み違えた、とか、受賞するには候補作以前からミステリーの分野での活躍してきた実績が必要だの、各種新人賞受賞作はどのみち協会賞の対象としない方針だ、とか、「コマチグモ」は連作から一篇だけ切り離されて選考委員に掴みにくくなった、とか、「夫の骨」のように文庫オリジナル作品が協会賞を受賞した例にはほかに、などなど、10ページにわたって何のために書き下ろされたのかわからない言い訳めいた協会賞についての原質がみっちり続く。
矢樹純がもし「夫の骨」で受賞を逃していれば『マザー・マーダー』が連作短篇集として有力候補になったのではないか、とか(これが10ページめだから、結局本巻に収録するしないでなく「協会賞」の話が最後まで続いて)、最後ようやく本書の予選委員会が開かれた直後、全世界がコロナ禍に見舞われ、本書にどことなく不穏な空気がみなぎっているのは作者たちが未曾有の災厄が近いのを予感していたのでは、と、いや、そんなわけなかろう。
「この登場人物たちは誰一人としてマスクをしていない」とあるが、では次年度『2021 ザ・ベストミステリーズ』の登場人物は皆さんマスクをしているのか。

2022/08/25

幻のあの論争がここに 『「探偵春秋」傑作選 幻の探偵雑誌[4]』 ミステリー文学資料館 編 / 光文社文庫

Photo_20220825160501 ミステリー文学資料館は光文社ビルの1階に所在していた、ミステリー小説専門の私立図書館。1999年4月開館。光文社ビルの改築に伴い2019年7月に閉鎖され、現在に至る。
先般、所用で電話で問い合わせる機会があったが、今のところ資料館としての再開の予定はないそうだ。

当資料館は図書館として機能したほか、戦前からの探偵雑誌各誌からのアンソロジーなど、貴重な資料群を光文社文庫から提供してくれている。
既刊の詳細は書ききれないので、ウィキペディアのミステリー文学資料館の項を参照のこと。

ミステリー文学資料館の関係者の手によるアンソロジーはなにしろ全体の数が多いため、なかなか読みこなしが追いつかず、購入したまま棚に放置したり、買い逃して慌てて古書店を漁ったり、の繰り返しで、なんとなくお天道さまに顔向けできないおねしょ小僧の心持ちである。

表題は割合最近棚から掘り起こして読んだものの1冊。
(当ブログで『「シュピオ」傑作選 幻の探偵雑誌[3]』を取り上げたのが22年前、『麺's ミステリー倶楽部』は10年前・・・)

「探偵春秋」は春秋社主催の長編探偵小説募集に際し、一席入選作の刊行時に選考経過報告と二席入選作を収録して挟み込んだ小冊子を起点とし、のちに独立した商業誌として発展したもの。
ただ、部数的には苦戦したものか、2年め、11冊で廃刊となった。

光文社から発刊された『「探偵春秋」傑作選 幻の探偵雑誌[4]』は【創作】【評論】【対談】の3部に分かれており、【創作】の部は
  「債権」木々高太郎
  「血のロビンソン」渡辺啓助
  「京鹿子娘道成寺」酒井嘉七
  「放浪作家の冒険」西尾正
  「皿山の異人屋敷」光石介太郎
  「鱗粉」蘭郁二郎
  「霧しぶく山」蒼井雄
の各短篇が掲載されている。
この7作はいずれも本格推理よりは怪奇、復讐譚の色合いが濃く、戦前の大衆小説、その空気へのノスタルジーを味わうという楽しみが主となるだろう。
個人的には酒井嘉七「京鹿子娘道成寺」を面白く(?)読んだ。ミステリーの元祖中の元祖、あの作品のまんまパクリではないかと思いつつ、舞台をこれだけ変えてしまったならそれはありかという気もしないでもない。歌舞伎で『風の谷のナウシカ』を演るようなものか。
もう一作、蘭郁二郎「鱗粉」のアッシャー家の崩壊を思わせる終幕が実に非道い(笑)。「これでいいのだ……」って、畔柳博士、よくないよくない。

さて、本書の資料的な重心は【創作】よりむしろ【評論】の部にあるといえるだろう。
なにしろ、載っているのが
  「探偵小説芸術論」木々高太郎
  「探偵小説の芸術化」野上徹夫
  「探偵小説十講」甲賀三郎
これに【対談】の
  「一問一答」江戸川乱歩 杉山平助
を加えて、なんと、あの、木々高太郎vs.甲賀三郎の「探偵小説芸術論」論争がテキストの形で載っているのだ!
これは、戦前の作品を扱ったアンソロジーの類の解説やあとがきに頻繁に“その話題”ばかりが登場するも、その実態が明らかでなかったものである。

・・さてその実態は・・・
木々が「探偵小説では論理的思索と芸術的創造とが結合せねばならぬ」と熱く主張し、甲賀が「そうはいっても探偵小説など商業だから」といなす、といったような感じだろうか。江戸川乱歩は「言ってることは二人とも正しいが、ただ芸術といっても、実作がともなわないとなあ」みたいな感じ。
「探偵小説芸術論」に主張されたことはいちいちご無理ごもっともなんだが、高邁な理想だけで具体性がない。だから、周囲もなんとなく困ったなあという扱いだったのではないか。そこで野上徹夫が「こういうことだよね」と「探偵小説の芸術化」にまとめてくれたが、まとめてしまうと当たり前に過ぎて何を議論しているのやらと・・・。

個人的には、芸術的であらんとする作家もいればとんちパズルみたいなものを作ろうとする作家もいる、でいいんじゃないかという気がする。

1冊の推理小説雑誌、アンソロジーがあって、全員が全員、ドストエフスキーの『罪と罰』みたいなのを目指されても重くて困る。本格推理あり(その中にも叙述トリック、機械的トリックあり)、観光地めぐりのアリバイ崩しあり、足を使っての警察部署ものあり、江戸を舞台の捕物帖あり、、、でその中に犯人の動機、被害者の人生を描く純文学的な作品があってもそれはそれでいいと思うのだけれど。

2022/05/20

ウシと見し世ぞ 『森下雨村 小酒井不木 ミステリー・レガシー』 ミステリー文学資料館 編 / 光文社文庫

Photo_20220520165801 光文社文庫からは戦前からの、いわば我が国ミステリー黎明期の作品あれこれを雑誌や作者別にまとめた骨太な選集が長期シリーズ化されて頼もしいが、その編者として上梓されている「ミステリー文学資料館」、これは実は光文社本社屋1階にあった実際のミステリー小説専門の私設図書館の名である。
現在は社屋建て替えに伴い閉館になっているそうだが、選集は継続して発行されている。

『森下雨村 小酒井不木 ミステリー・レガシー』はそのミステリー文学資料館編による1冊で2019年の発行、例によって本棚に積んで未読だったものを最近読み終えた。

本ブログでも以前、森下雨村『白骨の処女』、小酒井不木は『疑問の黒枠』を取り上げているが、いずれも乱歩登場前の日本のミステリー小説の育ての親にあたる作家たちだ。
功績は大、逆に作品自体はミステリーというジャンルを通してみると若干拙い。

にもかかわらず、当時のミステリーを読むと、なぜこうもたおやかに胸がはずむのだろう。

文体は古くさく(それはそれで魅力ではある)、トリックやプロットに冴えた印象はなし、探偵や刑事もどこかおっとりしてキレがいいわけでもない。
事件の展開を追って探偵や刑事が右往左往するうちにちょっとした切り口をきっかけに犯人や動機が明らかになり、関係者が事件を朴訥に振り返って終わる・・・。
事件そのものは残虐でも、全体を覆うのは大正から昭和初期の穏やかな市井の空気だ。

上手く言えないが、トリックやプロットがある程度出尽くし、サイコパスの恐怖や叙述の工夫、どんでん返しの繰り返しに走るしかなくなった感のある現代のミステリ作品が狭い路地の迷路を「こっちなら抜けるか」「こっちはそこそこ行けるか」とちまちま未踏のルートを探り探り進む印象であるのに対し、乱歩以前の作品は、広々とした草原を「どっちに行くのが正解かな」とのたのた歩むに近い。
東西南北直進曲進、どちらにも向かえるその歩みは正解に近づくとは限らないし、シャープでも、迅速でもない。

どちらかといえば野生の偶蹄目ウシ科の魅力。
草原に草を食むウシの自由。

ただ、その分、雰囲気でケリをつけ、事件の解決にモヤモヤの残る作品も少なくない。
本書収録の作品でも、森下雨村の長編「丹那殺人事件」の最後、探偵たちが「当人はこれで自決するつもりだろうね」「この文面で見ると、恐らくもう生きてはいまいね」・・・連続殺害犯、追わないでいいのか。
小酒井不木の短篇「恋魔怪曲」にいたっては、最後に撃たれて死んだ「陰謀の主人」の正体がわからない・・・誰だったんだ?

2022/05/09

『2019 ザ・ベストミステリーズ』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

先に四の五の難癖、ぐだぐだ不平不満を並べ立てておこう。

Photo_20220509181001 講談社文庫、日本推理作家協会によるミステリー傑作選は1974年から現在にいたる堂々たる選集で、各社から発行されている類似のミステリ短篇集中でも品質、バラエティの両面から圧倒的で、自然、長年つきあってきた。
ただ、最近は、収録作の品質(時代、あるいは個人の嗜好によって評価が異なるのは百も承知のうえで)その他のため、必ずしもお薦めしかねる面も少なくない。

まず、タイトルについて、ここ数年の
 『ベスト8ミステリーズ2015
 『ベスト6ミステリーズ2016
 『ベスト8ミステリーズ2017
 『2019 ザ・ベストミステリーズ』
といったネーミングについては、以前より指摘しているとおり、あたかも仮タイトルのまま発行されたかのようでどうもいただけない。
初期の、たとえば『殺人現場へどうぞ』『あなたの隣に犯人が』『殺しの一品料理』『にぎやかな殺意』『凶器は狂気』などなどといった標題がどれほど読み手をワクワクさせてくれたか、それを思い起こすと、まるでガスの抜けたビールのようだ。

ほかにも気になることはある。1冊あたりのボリュームの問題だ。
シリーズ最初の『犯罪ロードマップ』が612ページだったのに対し、最新刊は456ページ。
ページ数だけではない。最近の文庫本は読みやすさを重視して文字を大きくしているのが普通で、このシリーズに限ってみても最初の『犯罪ロードマップ』が各ページ
  縦43文字×19行
であったのが最新『2019 ザ・ベストミステリーズ』では
  縦38文字×17行
つまり、もし1ページにぎっしり文字を埋めたならその文字数が約80%に減っているということだ。
ページ数の推移も掛け合わせるとざっくり約40%の減。
その結果、収録作品数も、17作だったものが9作にまで落ちている。
1冊あたりの読み応えを薄く感じてしまうのは否定できないだろう。

Photo_20220509181002 では、最新刊の『2019 ザ・ベストミステリーズ』の内容を見てみよう。

収録作は以下のとおり。

  澤村伊智「学校は死の匂い」
  芦沢 央「埋め合わせ」
  有栖川有栖「ホームに佇む」
  逸木 裕「イミテーション・ガールズ」
  宇佐美まこと「クレイジーキルト」
  大倉崇裕「東京駅発6時00分のぞみ1号博多行き」
  佐藤 究「くぎ」
  曽根圭介「母の務め」
  長岡弘樹「緋色の残響」

一読の印象は──学校が舞台の作品が続く、それも含めて子どもが被害者となる作品が多い、事故死を除くと人が殺される事件がほとんどない。

もちろん、ミステリ、サスペンスとして、人死にが出なければならないわけではない。
ただ、こういった選集でそうなると、「やむを得ない事情、心情から殺人を起こす」のではなく、「目の前の事件から目をそらしたい」程度の事件が多い、ということになってしまう。それでは自己保身、あるいは見栄の延長で、ミステリ短篇として十分面白いものではあっても、ドラマとして読み手を揺るがすほどのものにはなり得ない。

念のため言っておくと、収録各作品は、年度のベストに推されるほどだから、決して出来栄えが悪いわけではない。いや、失礼、いずれも非常によくできており、入口のキャッチから伏線、展開、落としどころまで緻密かつ巧みな作品ばかりではある。ネタバレを避けるため作品名は記さないが、見事転がされた、という作品だっていくつかあるし、佐藤 究「くぎ」のように、登場人物のおかれた環境とその立ち振る舞いに熱帯雨林の濃密さを感じさせる作品もないわけではない。

だが、、、
スマートすぎる作品がこうまで並ぶと、やはりどこか物足りない思いが残る。
この時代、書き手・読み手ともに、もう重い荷物を運べなくなってしまってきている、そんな気さえする。

2021/04/26

『ベスト8ミステリーズ2017』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

Photo_20210426175901 > 前巻が『ベスト8ミステリーズ2015』で今回が『ベスト6ミステリーズ2016』。
> 文庫カバーの装丁の発注時に正式タイトルがまだ検討中だったので仮タイトルで発注して、それっきり上長の了解も得ないままうやむやに発売にいたった、そんな印象。
> 来年の収録作が8作だったら、また『ベスト8ミステリーズ2017』になるのかな?

前回、イヤミのつもりでそう書いたら、本当にそのとおりになってしまった。
いいのか? 講談社文庫。

今回の収録8作は、以下。

  降田 天「偽りの春」
  増田忠則「階段室の女王」
  櫻田智也「火事と標本」
  芦沢 央「ただ、運が悪かっただけ」
  柴田よしき「理由」
  我孫子武丸「プロジェクト:シャーロック」
  若竹七海「葬儀の裏で」
  宮部みゆき「虹」

これもまた前回書いたことだが、「殺人事件が起こり、現れた探偵が、誰が、何のために、どうやって犯行を起こしたかを解く」といった作風の作品はすっかり影を潜め、今回も「探偵小説」「推理小説」というジャンル分けにはそぐわない人情モノやイヤミスが並ぶ。
それこそが昨今の「ミステリ」の本流だと言われればそれまでだが、詐欺グループの悲劇と哀愁を描く「偽りの春」(日本推理作家協会賞短篇部門受賞作だそうだ)を読んで、よく出来ているな、とは思いつつ、「自分はこういうのを読みたいんだっけ?」という気持ちを完全にもみ消すことはできない。

そんな、ジャンル云々──を忘れ、単純にエンタメ短篇として読むと、巻末の若竹七海「葬儀の裏で」、宮部みゆき「虹」の2篇が抜群に面白かった。

念のため。
ほかの作品がつまらない、出来が悪い、などということではない。

ただ、たとえば「階段室の女王」は短篇として明確な始点と終点に括られたものでなく、主人公の日常をスケッチした感が強い、とか、「火事と標本」はそもそもの事件の原因と結果に「標本」はあまり関係ないのではないか? とか、「ただ、運が悪かっただけ」ではもし自分ならこれで責任が軽減されるだろうか、なぜなら・・・とか、「理由」は攻撃対象となる相手のキャラクターに対しこの攻撃はそれほど致命的だろうか、とか(これこそ「ただ、運が悪かっただけ」ではないか)、「プロジェクト:シャーロック」の設定は新しいし、痛快無比ではあるけれど、実のところそういうシステムでは開発よりデータをどう食わすかのほうが大変で、その意味でリアリティが、とか・・・
などなど、指摘してもしようのない細かいことがあれこれ気になってしまう。ほとんど病気。

それに対し、多少のアラなど気にしていられないドライブ感、語り口調の妙が「葬儀の裏で」「虹」の2篇にはあったということだろう。

全体の印象としてもう一つ。
当節、ミステリ界隈で元気がよいのは圧倒的に女性(往々にしておばあちゃん)、そんな気がする。犯人も、探偵も、被害者も。もちろん、作家も、翻訳家も。

2020/06/14

『ベスト6ミステリーズ2016』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

6_20200614020101 面倒なのでシリーズ紹介は前巻『ベスト8ミステリーズ2015』を取り上げた際のものをそのまま流用。

講談社文庫の「ミステリー傑作選」は、その年度に発表されたミステリ短篇から厳選して編まれた単行本『推理小説年鑑』(現在は『ザ・・ベストミステリーズ』)からさらに抽出して文庫化したもの。1974年発行の『犯罪ロードマップ ミステリー傑作選1』を嚆矢に、一部スピンオフ的なものも含めて現在では90冊、スチール製の本棚2段以上に及ぶ長大なシリーズとなっている。

今回の『ベスト6ミステリーズ2016』の収録作は以下のとおり。

  薬丸岳「黄昏」
  池田久輝「影」
  白河三兎「旅は道連れ世は情け」
  似鳥鶏「鼠でも天才でもなく」
  井上真偽「言の葉の子ら」
  今野敏「みぎわ」

それぞれ「なるほど」とうなる程度には面白い(年度のベスト短篇集に対しなんと失礼な物言いか、とも思うが正直なところなのでしょうがない)。
とくにかつての商売柄、井上真偽「言の葉の子ら」を楽しく読んだ。もっとも、これは果たしてミステリというジャンルに含めてよいものかどうか……? そう考えて、ふと気がついた。

ミステリ、推理小説、探偵小説、まあジャンル名などどれでもよいのだが、今回収録された6作はいずれも1970年代ならあまりの薄味にさほど評価されなかった、かもしれない。
実際、6作のうち、死体が登場するのが2作、厳密に言えば殺人は1作のみ。
事件が起こり、作中に撒き散らかされた伏線をヒントに探偵がフーダニット、ハウダニットを解き明かす──そんなオーソドックスな展開もなきに等しい。
(現代ミステリにおいてそれはもはや「オーソドックス」ではない、ということであり、だから良い、とか良くない、とかをここで論じるつもりはない。)

この「ミステリー傑作選」が世に登場した1970年代なら、ミステリといえばざっくり

  犯人は自身の保身、出世のために邪魔となる被害者を殺害する。
  その際、完全犯罪を目論んでトリック、アリバイ作りに努めるが、その瑕疵に気がついた探偵に指摘され、犯人は自ら身を滅ぼしていく。

といった展開のものだった。
それが、現在のようにフワフワしたものに変わってしまったのは、ミステリという作品ジャンルの流行りすたりもあるだろうが、それ以上に人が生きる上でしがみつくもの──もちろんそれは人それぞれであるのだが──それが希薄になってしまったのではないか、という気がしないでもない。

ここ数年の「ミステリー傑作選」に収録された犯罪においても、犯人は多少のことでは殺人など犯さない。逆に、こんな他愛ないきっかけで殺人を、といった登場人物も少なくない。
金にも名誉にも恋愛にも頓着しない。
執着して恥じない世代も嫌な感じだが、あれこれ軽佻浮薄な世代も大切なものはないのかとどこか気持ちが悪い。

希薄といえば、この本のタイトルもそうだ。
前巻が『ベスト8ミステリーズ2015』で今回が『ベスト6ミステリーズ2016』。
文庫カバーの装丁の発注時に正式タイトルがまだ検討中だったので仮タイトルで発注して、それっきり上長の了解も得ないままうやむやに発売にいたった、そんな印象。
来年の収録作が8作だったら、また『ベスト8ミステリーズ2017』になるのかな?

2019/05/06

タイトルリストラ? 『ベスト8ミステリーズ2015』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

8 講談社文庫の「ミステリー傑作選」は、その年度に発表されたミステリ短篇から厳選して編まれた単行本『推理小説年鑑』(現在は『ザ・・ベストミステリーズ』)からさらに抽出して文庫化したもの。1974年発行の『犯罪ロードマップ ミステリー傑作選1』を嚆矢に、一部スピンオフ的なものも含めて現在では90冊、スチール製の本棚2段以上に及ぶ長大なシリーズとなっている。

今回の『ベスト8ミステリーズ2015』の内容を見てみよう。
収録作は2015年に発表された8篇。

  大石直紀「おばあちゃんといっしょ」
  永嶋恵美「ババ抜き」
  秋吉理香子「リケジョの婚活」
  日野草「グラスタンク」
  榊林銘「十五秒」
  小林由香「サイレン」
  大沢在昌「分かれ道」
  若竹七海「静かな炎天」

推理小説界の傾向か、選者の嗜好かは知らないが、女性が活躍する作品が多い。しかも過半数が、展開はいろいろあれど女性が女性と闘うストーリーである(男性が登場しても添え物、せいぜい輪投げの的程度の扱い)。

誰かが罪を犯し、名探偵がその犯人・動機・方法を推理する、という、いわゆる「探偵小説」の体をなすものは一作もなく、「こんな設定だとなんとこんなことに!」というシチュエーションサスペンスとでも称すべきものが大半。
とたえば社員旅行で三人のオールドミスが罰ゲームを賭けてババ抜きを繰り広げる「ババ抜き」、テレビの婚活番組にリケジョがExcel片手にチャレンジする「リケジョの婚活」、復讐代行業者への依頼を描いた「グラスタンク」、銃で撃たれて死ぬまでの15秒間の錯綜を描く「十五秒」、特殊な刑罰法のもとに被害者の父親が懊悩する「サイレン」など、いずれも設定だけでごはんがごはんがススムくん。

ただ、一短篇としてみると、シチュエーションの説明までの熱量が高すぎて、起承転結の「結」にさほどインパクトがない、起承承承で終わってしまうような作品も目についた。実はいずれもそれなりに「結」には意外性もあり、品質は低くないのだが、「起」が大きすぎてややベタな「結」に驚けない、そんな印象なのである。

さらに、「探偵小説」ほど論理展開に気を遣わないシチュエーションサスペンスでは、ほんの少し冷静になってしまうと大きな穴が目についてしまうことも少なくない。
これほど理詰めでことを進めるリケジョが「彼」に走ったきっかけは? とか、「ババ抜き」や「グラスタンク」のように本人が正直に秘密を暴露することが「結」の要になっているものもある。「サイレン」の終わり方はいっけんショッキングだが、こんな法律が施行されたなら当然予測されるはずで、警察も役所も何をやっているんだか、である。

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おまけ。

最初にも書いたとおり、『ミステリー傑作選』は今回で90冊。そのサブタイトルは、『犯罪ロードマップ』『1ダースの殺意』『殺人作法』といったいかにもミステリアンソロジーめいたものから、最近はそれにさらにアルファベットのキャッチが付いて『Bluff 騙し合いの夜』『Life 人生、すなわち謎』『Acrobatic 物語の曲芸師たち』等々と続いていた。

ここにきて、今回は突然の『ベスト8ミステリーズ2015』。
サブタイトルを検討する労力も惜しんだのだろうか。表紙や帯は変わらず経費、手間をかけているように見えるので、ちょっと不思議だ。
これが今回最大のミステリー。