大ゴマの魅力 「インビンシブル」「ハコヅメ」など
モーニング No.20(2022 4/28)では、ラグビーマンガ「インビンシブル」(瀬下 猛)の第1部が完結した。
先号からセリフ1つない試合描写の連続で・・・というスラムダンキーな話はここではそっちにおいといて、今回のお題は最後のページの大ゴマである。
ご覧のとおり、主人公のドアップで1ページ費やされているのだ。
トライを決め、なお上目遣いに挑戦的。いい顔である。
ふと思い返すに、ここしばらく、同じモーニング誌上で、たとえば「ハコヅメ ~交番女子の逆襲~」(泰三子)、「JKさんちのサルトルさん」(さのさくら)、「踊れ獅子堂賢」(常喜寝太郎)など、表紙、途中、最後のページ問わず、主人公のアップで(ほぼ)1ページを埋める、印象的なページが多かったように思う。
もちろん、1ページ、ないし見開き2ページを費やして強烈なコマを置くというのはマンガでは別に珍しいことではない。
古いところでは岡田史子が「墓地へゆく道」に“日だまりにうずくまり汽車にひかれる夢をみている少女”を見開きに描き、稀有を越えていまだに語り草だ。
ただ、この半年あまりのモーニングの大ゴマは、、、
以下、まったくの推量に過ぎず、立証もなにもない指摘なのだが、
今、マンガというものの主流がじわじわとスマホやパッドの画面のちんまりした枠の中に移りつつある中、作家たちが(電子ブックでも、単行本ですらなく)B5版の紙の雑誌の1ページのパワーを気持ちよく使い、そこに全身全霊をかけて主人公を描くという、その現れではないか。
上にあげたいくつかの例は、いずれも雑誌サイズでなければ得られない魅力と迫力に溢れている。
週刊の雑誌を手にした瞬間以外、単行本でも電子ブックでも得られないライブな感興なのである。






カバーによると作者は「某県警に勤めること10年」とある。安定・安心の公務員の身分を捨てて専業マンガ家を選んだのだ。ほとんど犯罪である(