カテゴリー「いしいひさいち」の26件の記事

2025/06/10

おやすみセニョリタ 『ROCA コンプリート』 いしいひさいち / 徳間書店

説明のつかない本というものが、ときどき、ある。
それは頭の上から(物理的に)降ってきたり、曲がり角を折れたところで(化学的に)突き刺さってきたりする。
説明など、ない。
ほかの言葉に置換できるようなら、そんなものは作品ではない。

Roca_20250609184101 『ROCA』の話だった。

『ROCA』は、吉川ロカという一人の女子高生が、(ポルトガルの国民歌謡たる)「ファド」の歌い手となる、その過程を描く一連の(主に)4コママンガである。

背景を記すなら、朝日新聞掲載のいしいひさいち『ののちゃん』のサブキャラとして登場した吉川ロカと柴島美乃のからみ(当初はギャグ色が強かった)がのちに自費出版版『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』にまとめられ、それに続編『花の雨が降る ROCAエピソード集』、『金色に光る海 ROCA短篇集』、さらに描き下ろしを加えて1冊にまとめられ、一般書籍化として徳間から発売されたものが今回の『ROCA コンプリート』である。

個人的な感想は『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』、あるいは『ののちゃん全集』の折々の書評に置いてきたのでここでは繰り返さない。
今回ちょっと思いついたことは、『ROCA』の物語は、その4コマの側から溢れてくるものではなく、読み手側から作品に流れ込んでいくものだということだ。
僕たちはいしいひさいちの描く吉川ロカと柴島美乃に笑いや感動を与えられるのではない。ただ、読み手が2人を寿ぎ、読み手が2人を慈しむ。
それが、すべてだ。

さて、ようやく1冊にまとまり普通の書店で手に入るようになった『ROCA』だが、その内容に(まことに身勝手極まりない)難点を指摘するとしたら次のことだ。

本書はいしいひさいちの作品から吉川ロカと柴島美乃の登場するものを切り抜き、再配置したものである・・・がゆえに、この1冊のみを読んだ場合、それが、『ののちゃん』の山田家の町を舞台にした物語であるという実感が持てない。
山田家の町でかつて連絡船の海難事故が起こり、両親を亡くした2人の少女が出会い、その一人の励まし(?)を得てもう一人がファドの歌手として育っていく。
ただの話ではない。これは、いしいひさいちの手で何十年にもわたり何千話も書かれたその山田家の物語と地つなぎだからリアリティがあるのである。そうでないとこの1冊の中に収められた4度のラストシーンを両手に掴めない。片手ではこぼれてしまう。

だから、こうして「コンプリート」された『ROCA』の物語になんらかの感銘を受けたという方がおられるなら、どうか『ののちゃん』の全集本から自費出版版まで手間をかけ、最初から物語をたどっていただけたら、と思う。
これはその労力に足る、貴重で豊かな物語なのだと思う。

2024/03/11

『たまのののののちゃん』 いしいひさいち / 蜻文庫、『ドーナツボックス 1~7』 いしいひさいち / (笑)いしい商店

新聞の朝刊、夕刊をとらなくなって10年以上、もしかしたら20年近く経つが、なんら不自由を感じていないことについては自分でも驚くほどだ。
テレビの番組欄はテレビやBlu-ray機器が検索付きで一週間先まで表示してくれるし、スポーツの結果もインターネットのほうが圧倒的に早くて詳しい。
唯一残念なのがいしいひさいちの『ののちゃん』をリアルタイムに読めないこと。単行本もおおよそ2年に一度しか出ないのでちょっとつらい。

Photo_20240311183801 『たまのののののちゃん』はその『ののちゃん』のスピンオフというか、岡山県玉野市の「広報たまの」に掲載された作品をはじめ、いしいひさいちの最近の岡山ネタを集めたもので、おおむね単行本未収録作品ではないかと思われる(調べたわけではない。いしいひさいちについて、そんな面倒なことはしない。できない)。

一読、呆れる。
いしいひさいちはバケモノであると再確認する。

巻頭の「岡山沈没」。地殻変動で岡山県だけ沈没することが明らかになり、岡山県知事山田孫左衛門が近隣の自治体に避難民の収容を要請するもことごとく断られる。ただそれだけのお話であり、リピート系のギャグに過ぎないのだが、なんというか、たった3ページなのに分厚い活断層の上に乗っている、そんな印象で爆笑しつつ大河ドラマ3ヶ月分くらいは読み応えがある。

ページ水増しのためか(失礼)、多くのページで四コマの隣に一コマギャグが置かれているのだが、その一例。
山登り姿のシゲのセリフ、「そこにヒマがあるから登る。

あるいは、「なんであんなに将棋が強いのになんで数学がこんなにボロボロなんで!」と説教するまつ子に、のぼる「難解な局面だ。

巻末の「ひなことてつ」、「伝・大森孫左衛門 柴島商會物語」。いずれも『ののちゃん』に登場する脇役を据えた作品群だが、ギャグと言うには重い。苦い。真ん中にザラザラの大きな岩があって、その周りに張り付いた四コマがその岩の形や大きさを示している。
目的はその岩の表象なので、ギャグであっても、なくともよい。

バイトくんシリーズでデビューして50有余年、はっきり言って決していしい単行本の中では傑作揃いとは言い難い本書においてこのクオリティ。ほんと、この人のアタマの中はどうなっているのか。

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Photo_20240311183802 いしいひさいちといえば最近、単行本未収録の旧作・新作を同人誌として冊子にした『ドーナツボックス』の1~7を入手。
これは8まであるのだが、8はなんらかの都合で印刷、製本されたのち、冊子のかたちでの販売は停止されているもよう。
AmazonのKindleには公開されているので、内容的なトラブルではないと思われる。この程度で発売停止になるなら、あれやあれ、あれなどのほうがよほど。
いずれにせよ、7まで揃ってしまうと8も冊子の形でと涎が垂れるのがパブロフの犬。
  椀椀椀椀亦椀椀
  亦亦椀椀又椀椀
  夜暗何疋頓不分
  始終只聞椀椀椀

 

2023/11/30

あ(109ページ) 『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』 いしいひさいち / (笑)いしい商店

Roca無人島に1冊だけ持っていくならどの本、とかいうオススメ本の類、ではない。

でも。もし、都会の一室で、誰にも逢えず、誰の声も聞こえない夜を迎えるなら、その膝に、ともに血をにじます果実として、ロカの物語ほどふさわしい作品はない。
その果実はリンゴでもオレンジでもなく、堅く、苦く、紅く、酸っぱいザクロ。

> いしいの公式ウェブサイトや即売会などでしか販売されない自費出版本でありながら、カルチャー誌『フリースタイル』の「THE BEST MANGA 2023 このマンガを読め!」で第1位となった

これは『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』についてAmazonに書かれていた評の一節。
いしいひさいちの過去の連載やWebでの掲載作品、それに若干の描き下ろしを加えて、ファド歌手をこころざす高校生・吉川(きっかわ)ロカと、その彼女を裏から支える年上の同級生・柴島美乃の物語。
友情という言葉などクソクラエ。

ののちゃん』の連載内連載だったロカの物語だが、朝日新聞の連載としては不評であったため打ち切られたらしい。
仕方のないことだ。ザクロがリンゴやオレンジよりウケるわけはない。

ギャグのツールであったはずの4コママンガが、ギャグのまま小さく摘み、重ねられていくうちに、やがてどこかの世界を燃やす。
どこかで世界が燃えている、そして燃えて、燃えて、燃え尽きて消えようとしているのに、僕たちにはどうすることもできない。
ロカの物語はそのように読み手を焦燥にかりたてる。
恋のように。

とり・みきをして「まさか作中の女性キャラに恋しようとは!!」と言わしめたロカだが、こうやって1冊にまとめられると実は半分以上柴島美乃の物語であることがあざらかになる。
その苛烈さはロカの首の描写、唇の描写の甘味を裏打つ苦味として、この物語のザクロをザクロたらしめる。

販路が狭く、簡単には入手できない本作であったが、幸い現在では続編『花の雨が降る ROCAエピソード集』と合わせてAmazonのKindleで読むことができるようになった。
──などと紹介しつつ、この作品は電子書籍としてではなく、どこかの埃っぽい部屋の隅でボロボロになった紙の冊子のカタチで見つかるのが望ましい。

これはなんだろう? と手を伸ばしたどこかのあなたは、やがてロカと、そして柴島美乃を想って遠く見えない港湾をうかがうだろう。

『ストーリーライブ』の最終ページと呼応する『花の雨が降る』のラストも凄い。

凄いぞ。

凄い。

汽笛。

 

2022/08/01

じっとコースター 『ののちゃん全集(13)』 いしいひさいち / 徳間書店 GHIBLI COMICS SPECIAL

Photo_20220801150001 新刊出来。
朝日新聞 2020年1月1日~2021年12月31日掲載の全708本、連載通算10000回を含む。

なーんてことより、巻末の描き下ろし「ROCA」に意味がある。
(のちにプロのファド歌手としてデビューする)吉川ロカの歌うただその一コマが、山田家のおたわけた708本の四コマに再帰的に立体的なリアリティを与える。
いしいひさいちの描く世界はそこから色や影や時間を剥ぎとられたものなのだ。
反論不許可。 ←ウソ

2018/08/23

いしいひさいち蔵の中

もう2年ほど前に撮った写真(Twitterに公開)だし、現在ではさらに様子が変わっているのですが、せっかくなのでこちらにもアップしておきましょう。

都内に引越し、埼玉の木造家屋は本棚立て並べて書斎、というと聞こえがよいが要は本の倉庫にした当時の「いしいひさいちコーナー」。
持っている本の中で、楳図かずおや坂田靖子、アガサ・クリスティーを抑え、作家個人名ではいしいひさいちの本が一番多い。単行本とのダブりが少なくない双葉文庫版も揃えるかどうかが今後の悩みどころ。

Photo

下は1978年、1986年の漫画アクション増刊。
バイト先のデパートの休憩室に無造作に置いてあった左の1冊が、いしいひさいちにハマるきっかけ。夏の甲子園は100回100回とうるさかったけど、僕のいしいひさいち暦はもうすぐ40周年ということで。

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2018/08/20

舌、出さない。 『ののちゃん全集(11)』 いしいひさいち / 徳間書店 GHIBLI COMICS SPECIAL

Photo終業式、校長先生の挨拶。
「水の事故に気をつけましょう。」
その後のクラス会、藤原先生。
「水の事故に気をつけましょう」
帰宅後、母・まつ子、学校からの注意事項を読む。
「『水の事故に気をつけましょう。』」
そこでののちゃん、
気をつけるからどこか、
水の事故に気をつけに行きたーい
。」

 

……ほとんどウィトゲンシュタインの問答集である。

 

朝日新聞 2016年1月1日~2017年12月31日掲載の全711作。
アルマイトの弁当箱より分厚い、重い。
その上、1作1作の密度が上記の如し。さらりと読み流すことなどできやしない。

 

いしいひさいちについて書きたいことは山ほどあるが、過去書いたことにダブりそうだ。こちらをご参照ください。

 

なお、本11巻には、キクチ食堂での食堂ライブ、市立南高校の文化祭ライブなど、あの吉川ロカも幾度か登場している。ファンは必ずチェックのこと。

2016/05/09

ジャガ肉 『ののちゃん全集(10)』 いしいひさいち / 徳間書店 GHIBLI COMICS SPECIAL

10親の代から取り続けた朝日新聞の購読を数年前に止め、唯一残念に思っていたのがいしいひさいちの『ののちゃん』をリアルタイムに読めなくなったことだ(ほかは精神衛生面含め、誠に快適至極)。

 

その『ののちゃん』、久々の単行本。
2014年1月1日から2015年12月31日までの朝刊掲載分をまとめた364ページ、通し番号では第5847から第6557の711作。一気に読み切るのもなかなか大変なボリュームだ。
その中で25年めの山田家は相変わらずのんきでズボラで生真面目な日々を送っている。

 

巻末には特別書下ろしとして「たまののののちゃん」7作、そしてなんと10巻記念連載第1回「ののさん」2話が収録されている。
後者ではたったの8コマにポチを含む山田家の面々の10年後が過不足なく描かれ、ファンには嬉しい(ののちゃんはたまのの市の自宅から1時間かかる教育大に通う女子大生。のぼるはたかしと同じ造船会社に就職。藤原先生は賞を取ったり映画化されたりとなかなか売れっ子の小説家として活躍中のようだ)。

 

……と淡々と紹介して、しかし隠しきれない書評子の心拍数、赤面、上ずる声。まるで隣のクラスの女子にこがれる中学生の如き。

 

というのも、この第10巻、もう描かれないはずだった吉川ロカがいくつかのコマに再登場しているのである。
プロのファド歌手となったロカはときにキクチ食堂でのチャリティコンサートやたまのの市の小学校での寄り道ライブを行っているらしい。その姿は学生時代よりややほっそりし、一方でプロとしての落ち着きと矜持も感じられる。
妻ある身なればこれ以上ロカへの思いを公にはできないのだが、中学生が憧れの女子とのすれ違いを期待して休み時間のたびにやたら廊下をうろつくように、『ののちゃん』10巻を飽きず倦まずめくってはため息をこぼす。次巻はまた2年先か。『ノンキャリウーマン』や『女には向かない職業』のようにロカを、ロカだけを描く単行本が用意されたなら、この一読者、いつでも妻を捨てる用意はできて%◆§♪¶&Ψ㌧R$〓ペй℃#ゞ鹿
番組の途中ではございますが一部不適切な発言がございましたことを訂正するとともにお詫び申し上げます。

2012/06/29

語りたい高み、語らせぬすごみ 『総特集 いしいひさいち 仁義なきお笑い』 文藝別冊 KAWADE夢ムック

Photo いしいひさいち、デビュー40周年を機に編纂されたムック。
 撮影、インタビュー嫌いで知られるいしいひさいちが自身で書き下ろした「ロングインタビュー」。数葉の未発表作品。いがらしみきお、しりあがり寿とり・みき、吉田戦車、秋月りす西原理恵子、カラスヤサトシ、さそうあきら、小坂俊史、あずまきよひこによる寄稿マンガ。宮部みゆき、戸川安宣、村上知彦、川島克之による寄稿エッセイ。大友克洋インタビュー。その他年譜的資料など、ぎっしりとマンガ、文字が詰まっている。

 先に、文句を並べておこう。

・相原コージ、竹熊健太郎からのコメントがない
・これだけのメンツがそろっていながら、寄稿マンガの一つひとつは(後で取り上げる一作を除き)さほど面白くない
・これだけのメンツがそろっていながら、「自分といしいひさいち」「すごい」「天才」と持ち上げるばかりで、なぜいしいひさいちは面白いのか、なぜ再読に耐えるのかにほとんど誰一人言及していない、できていない(平次がどう、ののちゃんがどう、スターシステムが、ドーナツブックスがどう、と作品の「現象」をなぞるばかりでそこから二次掘り三次掘りしている記事がほとんどない)
・「著書目録」にアクション増刊の4冊が含まれていない(確かに書籍、文庫ではないが、いしいひさいちを全国に知らしめた非常に重要な冊子である)
・「データ主義的いしいひさいち年譜」にもアクション増刊は最初の1冊しか取り上げられていない
・単行本未収録の「ゲームセット」が長い割にはつまらない

 次に、想定外に面白く読めたところ。

・とり・みきの寄稿マンガ「ロカちゃん大好き」に全面的に賛成。全面的にというのは、全コマ、すべての指摘、すべての線に対して、という意味
・「この似顔絵がすごい!」コーナーのアンケートに対し、たとえば近藤ようこが「1位 ヒロオカ なにもかも好きです。(広岡達三著の)『星霜』を読みたい」とモノのわかったコメントを寄越しているのに対し、とある(町民の情け、ここでは名前をふせよう)漫画家・漫画評論家のコメントは以下のようなもの。

1位 高取英 この依頼があった時、いしいひさいち似顔なんて高取と峯正澄と安田しか描いてないだろ、と思ったのだがそうではなかった。ちゃんと考えてみれば、もっといろいろあったのだ。(後略)

 標本にしてとっておきたいほど見事な「ごまめの歯ぎしり」だ。

 さて、つまらぬことばかりあれこれあげつらって、つまるところこの本はつまらないのかといえば、決してそんなことはない。
 いや、むしろ、体が震えるほどにすごい1冊だった。
 いしいひさいち本人の手による(文字通り手描きの)「ロングインタビュー」が、他のどのページをも圧倒して読み応えがある。一つひとつの言葉が岩のように硬く、重いのだ。

 随所にギャグや当人いわくの「でっちあげ」らしきものも散見するが、それを含め、いしいひさいちがどれほどブレずに作品を描いてきたかがわかる。たとえば、「4コマの既成概念を破壊したとも言われていますが、その点いかがですか?」という質問に、「それは誤解です。そもそも4コマ漫画に起承転結というセオリーは存在しません」と滔々と4コマ漫画論を説く。もちろん、「えー、今の見解マジですか」「でっちあげです」とさらにとぼけてはみせるのだが。
 ほかにも「萌え漫画作品が仮につまらんとしたらそれはオチがないからつまらんのではなく『つまらんからつまらん』のです」「作品は読者のものですが『いしいひさいち』は私のものです」などなど、他者の踏み込みを許さない明晰、明哲な言葉遣いが並ぶ。隙がない。

Photo_4_3 そういえば、そもそも1977年発行、プレイガイドジャーナル社版の『バイトくん』巻末の村上知彦の解説において、いしいひさいちはすでに「作品に対して思い入れはない」「テクニックだけで描いているのだから深よみしてほしくない」と自らを裁ち捨てるような厳しいコメントを残していたのだった。いしいひさいちを語るには、彼の文体、描線を語るところから始めなければならない(その意味でもとり・みきの手法は正しい)。

 ところでその「ロングインタビュー」の最後のページには、次のようなことが書かれている。

   このインタビューは長ったらしい辞表です。

 『いしいひさいち』は『いしいひさいち』のもの。だからこれはきっと冗談ではないのだろう。だから僕たちにできることは、その日が訪れるまで『ののちゃん』が「ついうっかり」続くことを願うことだけだろう。笑いながら。痙攣しながら。

2012/03/25

3.11に背を向けて 『ののちゃん全集(8)』 いしいひさいち / 徳間書店

Photo_2 24日の朝日新聞朝刊社会面によると、あのファド歌手吉川ロカが、ついにCDデビューを果たしたとのこと。信じられない。娘のことのように嬉しい。

 

 ……吉川ロカはいしいひさいちが朝日新聞朝刊に連載する『ののちゃん』の登場人物。のの子たち山田家の隣、キクチ食堂でアルバイトをしながら定休日には店でライブを開かせてもらっていた。ステージでのアルトの迫力とは裏腹にシャイな彼女は、友人の柴島美乃らに背中を押され、一歩一歩音楽業界に足を踏み入れていく──。
 というのが、山田家の能天気な日々を描く四コマの、二十回三十回に一度二度、ぽつりぽつりと語り継がれたロカのお話。

 

 ロカの友人、柴島美乃の弟は、山田家の長男のぼるの野球部の先輩、教頭を殴って学校を退学になった柴島宗勝であり、ロカと柴島姉弟はともに海難事故で親を亡くしている。

 

 こうして書いていると、まるで『ののちゃん』ではない、なにかシリアスな長編青春小説を紹介しているかのようだ。
 でも、嘘でも、間違いでもありません。

 

 『ののちゃん』はある意味恐ろしい物語である。
 山田家は、30年以上前に『おじゃまんが』あたりで登場して以来、基本的に誰もキャラクターを変えていない。父たかし、母まつ子、祖母しげ、兄のぼるらは、折々に絵柄や設定は変わったものの(タブチ君が親戚のミステリ作家からののちゃんの小学校の先生に、など)、各人の趣味や嗜好性は一切変わらず、その「しでかし」具合もまったくブレない。つまり、山田家の面々は描かれ始めたとき、すでに徹底的にその人生が(おそらく各人の幼年期から現在まで)造成され、検討され、その上で数十年にわたって数千の四コマ作品が描かれ続けているのだ。
 わかりやすい証拠がいしい作品では途中から登場したのの子の担任の藤原ひとみで、彼女について、いしいひさいちは中学生時代から教師をやめてのちにミステリ作家として活躍するにいたるまでの年代記を各誌にばらばらに発表し続けている。だが、どの四コマを見てもダルなひとみはひとみであり、決していしい作品のほかのキャラクターたり得はしないのだ。

 

 こうしたスタイルが貫かれた結果、当然のように山田家の時間は静止し、30年前と昨日の朝刊とで、のの子とのぼるは同じように寝坊を繰り返し、まつ子は夕飯の献立に迷いながらソーメンを茹で続ける。
 そんな時間軸の中で、この数年、胸苦しいばかりに躍動し、展開したのが、吉川ロカと柴島姉弟の物語である。作者がいかなる意図をもって彼らの変遷を描くことにしたのか、その理由はわからない(いしいは饒舌だが、自作についてはめったに語らない)。

 

 先日発売されたばかりの『ののちゃん全集⑧』は、朝日新聞朝刊2010年3月1日から2011年12月31日までの掲載分全653本をまとめたもの。
 驚いたことに、この時期毎日掲載しながら、いしいひさいちはついに一コマも、3.11を、地震を、津波を、原発事故を取り上げなかった。どのような意図をもってなされたのか、これもわからないが、いくら関西が舞台とはいえ、あの時期の朝日新聞の社会面において、なんらかの意図ないし覚悟なしにできることではないだろう。
 しかし、吉川ロカと彼女をめぐる仲間たちの肩の力の抜けた活動、その背景で、新聞紙面ではなかなか気づかれなかったであろう彼らの親を奪った海難事故を思うとき、今回の物語の帰結はいしいひさいちの3.11への一つの回答ではないか、とも思う。正面から声をあげ、泣くことだけが支援ではない。

 

 「ROCA NOW ON SALE」と書かれたこの最新の四コマを僕は切り取ろう。そして静かに『ののちゃん全集⑧』に綴じておこう。

 

   のの子「まぁ きっとどこかで歌ってるよね。」
   まつ子「ああ元気でやってるやろ。」

2010/08/29

麻生太郎、って何してた人ですかー 『大問題 '10』 いしいひさいち+峯正澄 / 創元ライブラリ

10_3 【ところでオイ。 総理はだれがやるんだ。】

 電子書籍なら峯正澄のコラムだけ非表示にできるかしら、などと夢見てしまう『大問題』シリーズの新刊。踏ん切りの悪いコラムは鬱陶しいがそのマイナスを上回っていしいひさいちの切れ味がすごい。パサリ、首を切られた相手が気づかない、乾いた殺意の領域である。

 それにしても政権交代はほんの(ちょうど)1年前の夏のことだったのに、再三登場する麻生総理が1年前まで国政を代表する人物であったとはとうてい信じがたい。もしかしたらその当時も誰も信じていなかったのかもしれない。今さらどうでもいいことですが。

 109ページの4コマめ、舛添厚生労働大臣(当時)のセリフ。
  「お国とちがって
   互助社会の崩壊した
   日本の貧困は
   老人の
   年金に
   頼らざるを得ず
   死亡届が出て
   こないのです
   莫大に。」
 足立区の111歳ミイラ遺体事件に端を発する年金不正受給事件や高齢者所在不明問題を見事昨年のうちに言い当てていたことになる。
 舛添に言わせているところがまた巧い。

 実は逆なのかもしれない。111歳の老人が30年以上も姿を見せない。何が起こっているのか、近所でわかられていなかったはずがない。100歳以上の生死不明の戸籍が山ほど残っている。役場の戸籍課で認識されていなかったはずがない。そこへ、どこかの雑誌にこんな4コマが載ってしまったことで、誰かが動かざるを得なかった……そう考えるのも少し 楽しい。

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