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カテゴリー「いしいひさいち」の20件の記事

2016/05/09

ジャガ肉 『ののちゃん全集⑩』 いしいひさいち / 徳間書店 GHIBLI COMICS SPECIAL

10親の代から取り続けた朝日新聞の購読を数年前に止め、唯一残念に思っていたのがいしいひさいちの『ののちゃん』をリアルタイムに読めなくなったことだ(ほかは精神衛生面含め、誠に快適至極)。

その『ののちゃん』、久々の単行本。
2014年1月1日から2015年12月31日までの朝刊掲載分をまとめた364ページ、通し番号では第5847から第6557の711作。一気に読み切るのもなかなか大変なボリュームだ。
その中で25年めの山田家は相変わらずのんきでズボラで生真面目な日々を送っている。

巻末には特別書下ろしとして「たまののののちゃん」7作、そしてなんと10巻記念連載第1回「ののさん」2話が収録されている。
後者ではたったの8コマにポチを含む山田家の面々の10年後が過不足なく描かれ、ファンには嬉しい(ののちゃんはたまのの市の自宅から1時間かかる教育大に通う女子大生。のぼるはたかしと同じ造船会社に就職。藤原先生は賞を取ったり映画化されたりとなかなか売れっ子の小説家として活躍中のようだ)。

……と淡々と紹介して、しかし隠しきれない書評子の心拍数、赤面、上ずる声。まるで隣のクラスの女子にこがれる中学生の如き。

というのも、この第10巻、もう描かれないはずだった吉川ロカがいくつかのコマに再登場しているのである。
プロのファド歌手となったロカはときにキクチ食堂でのチャリティコンサートやたまのの市の小学校での寄り道ライブを行っているらしい。その姿は学生時代よりややほっそりし、一方でプロとしての落ち着きと矜持も感じられる。
妻ある身なればこれ以上ロカへの思いを公にはできないのだが、中学生が憧れの女子とのすれ違いを期待して休み時間のたびにやたら廊下をうろつくように、『ののちゃん』10巻を飽きず倦まずめくってはため息をこぼす。次巻はまた2年先か。『ノンキャリウーマン』や『女には向かない職業』のようにロカを、ロカだけを描く単行本が用意されたなら、この一読者、いつでも妻を捨てる用意はできて%◆§♪¶&Ψ㌧R$〓ペй℃#ゞ鹿
番組の途中ではございますが一部不適切な発言がございましたことを訂正するとともにお詫び申し上げます。

2012/06/29

語りたい高み、語らせぬすごみ 『総特集 いしいひさいち 仁義なきお笑い』 文藝別冊 KAWADE夢ムック

Photo いしいひさいち、デビュー40周年を機に編纂されたムック。
 撮影、インタビュー嫌いで知られるいしいひさいちが自身で書き下ろした「ロングインタビュー」。数葉の未発表作品。いがらしみきお、しりあがり寿とり・みき、吉田戦車、秋月りす西原理恵子、カラスヤサトシ、さそうあきら、小坂俊史、あずまきよひこによる寄稿マンガ。宮部みゆき、戸川安宣、村上知彦、川島克之による寄稿エッセイ。大友克洋インタビュー。その他年譜的資料など、ぎっしりとマンガ、文字が詰まっている。

 先に、文句を並べておこう。

・相原コージ、竹熊健太郎からのコメントがない
・これだけのメンツがそろっていながら、寄稿マンガの一つひとつは(後で取り上げる一作を除き)さほど面白くない
・これだけのメンツがそろっていながら、「自分といしいひさいち」「すごい」「天才」と持ち上げるばかりで、なぜいしいひさいちは面白いのか、なぜ再読に耐えるのかにほとんど誰一人言及していない、できていない(平次がどう、ののちゃんがどう、スターシステムが、ドーナツブックスがどう、と作品の「現象」をなぞるばかりでそこから二次掘り三次掘りしている記事がほとんどない)
・「著書目録」にアクション増刊の4冊が含まれていない(確かに書籍、文庫ではないが、いしいひさいちを全国に知らしめた非常に重要な冊子である)
・「データ主義的いしいひさいち年譜」にもアクション増刊は最初の1冊しか取り上げられていない
・単行本未収録の「ゲームセット」が長い割にはつまらない

 次に、想定外に面白く読めたところ。

・とり・みきの寄稿マンガ「ロカちゃん大好き」に全面的に賛成。全面的にというのは、全コマ、すべての指摘、すべての線に対して、という意味
・「この似顔絵がすごい!」コーナーのアンケートに対し、たとえば近藤ようこが「1位 ヒロオカ なにもかも好きです。(広岡達三著の)『星霜』を読みたい」とモノのわかったコメントを寄越しているのに対し、とある(町民の情け、ここでは名前をふせよう)漫画家・漫画評論家のコメントは以下のようなもの。

1位 高取英 この依頼があった時、いしいひさいち似顔なんて高取と峯正澄と安田しか描いてないだろ、と思ったのだがそうではなかった。ちゃんと考えてみれば、もっといろいろあったのだ。(後略)

 標本にしてとっておきたいほど見事な「ごまめの歯ぎしり」だ。

 さて、つまらぬことばかりあれこれあげつらって、つまるところこの本はつまらないのかといえば、決してそんなことはない。
 いや、むしろ、体が震えるほどにすごい1冊だった。
 いしいひさいち本人の手による(文字通り手描きの)「ロングインタビュー」が、他のどのページをも圧倒して読み応えがある。一つひとつの言葉が岩のように硬く、重いのだ。

 随所にギャグや当人いわくの「でっちあげ」らしきものも散見するが、それを含め、いしいひさいちがどれほどブレずに作品を描いてきたかがわかる。たとえば、「4コマの既成概念を破壊したとも言われていますが、その点いかがですか?」という質問に、「それは誤解です。そもそも4コマ漫画に起承転結というセオリーは存在しません」と滔々と4コマ漫画論を説く。もちろん、「えー、今の見解マジですか」「でっちあげです」とさらにとぼけてはみせるのだが。
 ほかにも「萌え漫画作品が仮につまらんとしたらそれはオチがないからつまらんのではなく『つまらんからつまらん』のです」「作品は読者のものですが『いしいひさいち』は私のものです」などなど、他者の踏み込みを許さない明晰、明哲な言葉遣いが並ぶ。隙がない。

Photo_4_3 そういえば、そもそも1977年発行、プレイガイドジャーナル社版の『バイトくん』巻末の村上知彦の解説において、いしいひさいちはすでに「作品に対して思い入れはない」「テクニックだけで描いているのだから深よみしてほしくない」と自らを裁ち捨てるような厳しいコメントを残していたのだった。いしいひさいちを語るには、彼の文体、描線を語るところから始めなければならない(その意味でもとり・みきの手法は正しい)。

 ところでその「ロングインタビュー」の最後のページには、次のようなことが書かれている。

   このインタビューは長ったらしい辞表です。

 『いしいひさいち』は『いしいひさいち』のもの。だからこれはきっと冗談ではないのだろう。だから僕たちにできることは、その日が訪れるまで『ののちゃん』が「ついうっかり」続くことを願うことだけだろう。笑いながら。痙攣しながら。

2012/03/25

3.11に背を向けて 『ののちゃん全集⑧』 いしいひさいち / 徳間書店

Photo_2 24日の朝日新聞朝刊社会面によると、あのファド歌手吉川ロカが、ついにCDデビューを果たしたとのこと。信じられない。娘のことのように嬉しい。

 ……吉川ロカはいしいひさいちが朝日新聞朝刊に連載する『ののちゃん』の登場人物。のの子たち山田家の隣、キクチ食堂でアルバイトをしながら定休日には店でライブを開かせてもらっていた。ステージでのアルトの迫力とは裏腹にシャイな彼女は、友人の柴島美乃らに背中を押され、一歩一歩音楽業界に足を踏み入れていく──。
 というのが、山田家の能天気な日々を描く四コマの、二十回三十回に一度二度、ぽつりぽつりと語り継がれたロカのお話。

 ロカの友人、柴島美乃の弟は、山田家の長男のぼるの野球部の先輩、教頭を殴って学校を退学になった柴島宗勝であり、ロカと柴島姉弟はともに海難事故で親を亡くしている。

 こうして書いていると、まるで『ののちゃん』ではない、なにかシリアスな長編青春小説を紹介しているかのようだ。
 でも、嘘でも、間違いでもありません。

 『ののちゃん』はある意味恐ろしい物語である。
 山田家は、30年以上前に『おじゃまんが』あたりで登場して以来、基本的に誰もキャラクターを変えていない。父たかし、母まつ子、祖母しげ、兄のぼるらは、折々に絵柄や設定は変わったものの(タブチ君が親戚のミステリ作家からののちゃんの小学校の先生に、など)、各人の趣味や嗜好性は一切変わらず、その「しでかし」具合もまったくブレない。つまり、山田家の面々は描かれ始めたとき、すでに徹底的にその人生が(おそらく各人の幼年期から現在まで)造成され、検討され、その上で数十年にわたって数千の四コマ作品が描かれ続けているのだ。
 わかりやすい証拠がいしい作品では途中から登場したのの子の担任の藤原ひとみで、彼女について、いしいひさいちは中学生時代から教師をやめてのちにミステリ作家として活躍するにいたるまでの年代記を各誌にばらばらに発表し続けている。だが、どの四コマを見てもダルなひとみはひとみであり、決していしい作品のほかのキャラクターたり得はしないのだ。

 こうしたスタイルが貫かれた結果、当然のように山田家の時間は静止し、30年前と昨日の朝刊とで、のの子とのぼるは同じように寝坊を繰り返し、まつ子は夕飯の献立に迷いながらソーメンを茹で続ける。
 そんな時間軸の中で、この数年、胸苦しいばかりに躍動し、展開したのが、吉川ロカと柴島姉弟の物語である。作者がいかなる意図をもって彼らの変遷を描くことにしたのか、その理由はわからない(いしいは饒舌だが、自作についてはめったに語らない)。

 先日発売されたばかりの『ののちゃん全集⑧』は、朝日新聞朝刊2010年3月1日から2011年12月31日までの掲載分全653本をまとめたもの。
 驚いたことに、この時期毎日掲載しながら、いしいひさいちはついに一コマも、3.11を、地震を、津波を、原発事故を取り上げなかった。どのような意図をもってなされたのか、これもわからないが、いくら関西が舞台とはいえ、あの時期の朝日新聞の社会面において、なんらかの意図ないし覚悟なしにできることではないだろう。
 しかし、吉川ロカと彼女をめぐる仲間たちの肩の力の抜けた活動、その背景で、新聞紙面ではなかなか気づかれなかったであろう彼らの親を奪った海難事故を思うとき、今回の物語の帰結はいしいひさいちの3.11への一つの回答ではないか、とも思う。正面から声をあげ、泣くことだけが支援ではない。

 「ROCA NOW ON SALE」と書かれたこの最新の四コマを僕は切り取ろう。そして静かに『ののちゃん全集⑧』に綴じておこう。

   のの子「まぁ きっとどこかで歌ってるよね。」
   まつ子「ああ元気でやってるやろ。」

2010/08/29

麻生太郎、って何してた人ですかー 『大問題 '10』 いしいひさいち+峯正澄 / 創元ライブラリ

10_3 【ところでオイ。 総理はだれがやるんだ。】

 電子書籍なら峯正澄のコラムだけ非表示にできるかしら、などと夢見てしまう『大問題』シリーズの新刊。踏ん切りの悪いコラムは鬱陶しいがそのマイナスを上回っていしいひさいちの切れ味がすごい。パサリ、首を切られた相手が気づかない、乾いた殺意の領域である。

 それにしても政権交代はほんの(ちょうど)1年前の夏のことだったのに、再三登場する麻生総理が1年前まで国政を代表する人物であったとはとうてい信じがたい。もしかしたらその当時も誰も信じていなかったのかもしれない。今さらどうでもいいことですが。

 109ページの4コマめ、舛添厚生労働大臣(当時)のセリフ。
  「お国とちがって
   互助社会の崩壊した
   日本の貧困は
   老人の
   年金に
   頼らざるを得ず
   死亡届が出て
   こないのです
   莫大に。」
 足立区の111歳ミイラ遺体事件に端を発する年金不正受給事件や高齢者所在不明問題を見事昨年のうちに言い当てていたことになる。
 舛添に言わせているところがまた巧い。

 実は逆なのかもしれない。111歳の老人が30年以上も姿を見せない。何が起こっているのか、近所でわかられていなかったはずがない。100歳以上の生死不明の戸籍が山ほど残っている。役場の戸籍課で認識されていなかったはずがない。そこへ、どこかの雑誌にこんな4コマが載ってしまったことで、誰かが動かざるを得なかった……そう考えるのも少し 楽しい。

2006/12/04

最近の新刊から 『ドーナツブックスいしいひさいち選集 39 ライ麦畑でとっつかまえて』『暴れん坊本屋さん(3)』『ドラゴン桜(16)』

781ドーナツブックスいしいひさいち選集 39『ライ麦畑でとっつかまえて』 いしいひさいち / 双葉社

 うーぬむぬむむん?
 バラエティに富んでいた前巻に比べて,今ひとつキレが悪いというか……得した気分が薄い。『ライ麦畑でとっつかまえて』という毎度の名作文学パクリタイトルも,伝説の(か?)『いかにも葡萄』や『椎茸たべた人々』『伊豆のうどん粉』に比べて面白くない。
 しいていえば用務員の操る「シュリ剣抜き器」の存在感と,最後のページ,青空に抜けるような外れ矢がお見事。……何の本の紹介なんだこれは。

 次巻は第40巻,ドーナツブックス収録作だけで通算5000を超える。
 本作は今ひとつだったが,朝日朝刊の『ののちゃん』のクオリティは今朝のもなんちゅーかで,いしいひさいちが相変わらずいしいひさいちであり続けているところはすごい。

『暴れん坊本屋さん(3)』 久世番子 / 新書館 UN POCO ESSAY COMICS

 1巻めが大手新聞の書評欄で取り上げられるなど,ベストセラーとなった(のだろう,書店でのあの平積み度合いを見ると)書店店員エッセイコミック。
 この手の作品はヒットすると売れる間は出来る限ーーーり引っ張ることが多いのだが,帯にこの3巻で完結とある。思いがけず動揺した。どうやら自分で思っていたよりずっとこのオバQが気に入っていたようだ。
 要は,本好きは本好きな人が好きなのである。多分。

『ドラゴン桜(16)』 三田紀房 / 講談社モーニングKC

 東大を目指す登場人物の一人,水野直美が初めて表紙をピンで飾った。これには意味がある。
 『ドラゴン桜』は,ダメダメな龍山高校を立て直すために,債権整理を請け負った弁護士桜木が特別進学クラスを組織して東大合格を目指す物語である。特進クラスの水野,矢島は,有能かつ個性的な講師陣の教えに少しずつ学力を高め,マンガ作品としてよりはその過程における勉強法がウケているわけだが……。
 前巻の手帳の話といい,今回の学力の話といい,ここ数巻は,水野がただの教えられっ子から,いかに自分自身で力をつけてきたかが大きなテーマとなっている。つまり,『ドラゴン桜』は,ここにいたってようやく水野や矢島にとっての成長物語となりつつある,ということである。
(非力な主人公が超人的なマスターと出会って成長し,強敵と倒していくのは少年マンガの王道パターンである。が,『ドラゴン桜』は,16巻を費やしてなお,主人公にあたる二人は自力で試験に出願することもできない。これは,実際に東大を受験する高校生においても大同小異だろう。勇者候補生には,高校二年の秋あたりに本書をがーっと読むことをお奨めしたいものだ。)

 なお,勉強に適した姿勢,計算のテクニック,試験の際の心構えなど,この第16巻は(受験生だけでなくおそらく社会人にとっても)役立つ情報が少なくない。
 惜しむらくは,受験生として精度を高めた水野や矢島が,登校の途上で淡々と目に入る光景を英語で表現したり,通りがかった車の番号4桁を足したり掛けたり縦横に計算してみせるシーンが次の17巻にこぼれてしまった。
 「学生が勉強する姿」を美しく描いたという点で,稀有なシーンである。次巻の発売が今から楽しみだ。

2006/07/20

最近の新刊から 『コミカル・ミステリー・ツアー4 長~~~いお別れ』『恐怖の怨霊絵巻』

472『コミカル・ミステリー・ツアー4 長~~~いお別れ』 いしいひさいち / 創元推理文庫

 当初は史上まれにみる情けないホームズとワトスンを主人公とした,まがりなりにもオチのある4コマギャグマンガ集だったのだが,4巻ともなるともはやミステリの登場人物に想を得た,さばさばした異界を描くラフスケッチの山となっている。『現代思想の遭難者たち』の作風に近いといえば,おわかりいただけるだろうか……って,読んでなければわからんわぁ!
 今回は『ペトロフ事件』(鮎川哲也)から『追憶のかけら』(貫井徳郎),『赫い月照』(谺健二),『ロンド』(柄澤齊),『九杯目には早すぎる』(蒼井上鷹),『ギブソン』(藤岡真)など,実在する87編のミステリ作品を素材にてけてけと4コマが提示されるのだが,国内モノから海外モノ,本格からライトノベルまで,その対象の無節操なまでの広さに圧倒される。こんなんまで読んどんのかいっ! 驚くべきことは,こちらが元作品を読んでいても,何をもって笑うべきなのかオチがちっともわからないことだ。パロディですらない。いったい何なのだ。
 独りよがりといえばこれほど独りよがりな作風はない。さりとてつまらないわけではない。奇妙にゆがんだ読後感は残る。困ったことにそれが決して不快ではない。『ののちゃん』を持ち出すまでもなく,読者サービスなどいくらでも提供できるこの作者にしてこの仕打ち,どうとらえばよいのか。
 馬鹿げた比較かもしれないが,元作品の人物や設定をパーツにまったく異なる作品を不親切に放り出すあたり,マックス・エルンストのコラージュ作品『百頭女』や『慈善週間』を思い浮かべてしまった。それを「いしいひさいち風」としか評し得ないなら,書評者としては首を吊るしかないのだが。

『恐怖の怨霊絵巻』 山口敏太郎 / KAWADE夢文庫

 この表紙,このタイトルで本当に怖い本を求めたらバチがあたる。そのあたりは織り込み済みだ。実際,稲川淳二や平山夢明のような怖さを求める方には本書はお奨めできない。ある夜とうとう女房が寝ないで待っている恐ろしさに比べれば……いいえ,そういうことではなくってよひろみ。何を言ってるんだオレは。
 内容は,四谷怪談や累ヶ淵といった古典中の古典的怪談から,昭和,平成の都市伝説ふうまで,あるいは狸や猫の妖怪噺から怨霊亡霊譚まで,縦横無尽というか無作為というか,要は節操なしにかき集めたような按配である。文章も一つひとつが短くて演出に欠ける。
 特筆すべきは見開きそれぞれに添えられたイラストの水準で,表紙含めて5人が担当しているのだが,いずれもプロの仕事としてはちょっと信じがたいレベルなのである(網掛けなどの技術はあるのだが,およそデッサンが……)。昭和30年代,創刊当時のマーガレットや少女フレンドの読み物記事の挿絵がこんな感じだったかもしれない。従姉たちと膝小僧つきあわせて読んだ,あれもまた,夏だった。

2006/05/04

〔非書評〕重箱の隅つつき その5 『となりの山田くん(5)』 いしいひさいち / 創元ライブラリ

739 いしいひさいちの作品はもちろん「推理小説」ではないが,作者の稀有なミステリ批評眼,ならびにホームズものをはじめとする痛烈なミステリパロディに敬意を表して,あら探しをさせていただくこととしよう。

 作者自身認めているとおり,いしいひさいちの4コママンガには,オチの意味の不明なものが世界の紛争の数ほどある(とくに政治経済モノに多いようだ)。「不条理」を狙ったわけでもなく,2コマめか3コマめでロバのたずなを放してしまって,そのままどこかわからないところにたどり着いてしまったような感じだ。その手の作品の場合,ちゃんとオチているのかどうかさえわからないので,隅つつきのしようがない。

 別の角度,たとえば双葉社の『ドーナツブックス(いしいひさいち選集)』第27巻の作品番号3455と第28巻の3514が,展開もオチもほぼそっくり同じなのに各コマのカットやセリフがよく見ると微妙に違う(本当),とか,同じく第27巻の3407の4コマが,編集工程上のミスによるものか,本来1,2,3,4のコマ順になるべきものが3,4,1,2の順になっている(これも本当)とか……。
 いや,今回取り上げる重箱の隅は,そういったものでもない。

   あの~~ コート買うても ええですか?

 これは『となりの山田くん』の創元ライブラリ版第5巻,朝日新聞では1993年12月10日朝刊掲載分の1コマめで,山田家の主婦まつ子がたかしに話しかけるセリフ。
 この言葉遣いは山田家としては異様である。普段のまつ子のぶつ切りな大阪弁に比べても妙に丁寧ですわりが悪く……早い話が,気持ち悪い。

 このコマ以来,まつ子がたかしに話しかけるシーンに注目しているのだが,少なくともこのような言葉遣いはあまり記憶がない。そもそも,この夫婦にはまともな会話がない。ほとんどが,メシやフロや服装,雨傘についてのやり取りであって,会話という言葉を持ち出すほどのものではないのだ。まつ子は主婦としてはかいがいしいし,無神経なだけで夫婦仲が悪いわけでもないのだが……。
 などなど,山田家について余計なことを考えさせられてしまうという意味でも,先に引用したセリフはまことにキショク悪いシロモノなのである。

 ちなみに,山田家の二人の子供,のぼるとのの子は,祖母,山野しげに直接話しかけるときに「おばあさん」と呼ぶ。
 「おばあさん」には「お祖母さん」「お婆さん」の2つの意味があり,正しい正しくない,は別にして,このようにフランクな家庭で小中学生の孫が祖母に話しかけるなら「おばあちゃん」のほうが自然な気がする。「おばあさん」には,「お婆さん」,つまりヨソの老婆に声をかけるニュアンスが強く,つまり同居している祖母に対して用いるにはヨソヨソしさがこもっているように思われてならないのだが,この感覚は少数派なのだろうか。

2005/05/19

ドーナツブックスいしいひさいち選集 38『ドクトル自爆』 いしいひさいち / 双葉社

790【プルートを散歩させるグーフィーってどうよ,と。】

 おなじみのいしいひさいちアンソロジー,38冊め。通巻の4コマ作品数は4835にいたる。

 単行本が別に用意される「ののちゃん」シリーズを別にすれば,「忍者無芸帖」,「B型平次」,「わたしはネコである(広岡センセ)」,「ノンキャリウーマン」,「バイトくん」,「PNN」,「鏡の国の戦争」シリーズと,今回は特定のキャラクター(たとえば「ワンマンマン」)に偏ることなく,いしいキャラクターたちが少しずつ総出演といった趣だ。
(ゴジラ映画でいえば「怪獣総進撃」あたりか。)

 逆にいえば,その小出しのオンパレードにすら「タブチくん」が入らなくなったことに,プロ野球の凋落をみることもできる。
 プロ野球はいまや地底人並みということだ。

 それにしても,バイトくんが終電に乗り遅れたシーン(4786)に,Andrew WyethのChristina's Worldをもってくるなど,無造作に見えてこの作者の手並みは本当に底が知れない。
 その次のコマ,バイトくんが牛丼屋で夜を明かすシーンの寂寥感。あるいはヒバチにしゃがみこむハチ(4760)や「PNN」における金正男(4816~)など。もはやアヤカシの領域である。

2003/12/15

ドーナツブックスいしいひさいち選集 37『蜜月マーヤの暴言』 いしいひさいち / 双葉社

37【きれいに焼けませんのやで。】

 アズキ相場の勧誘電話なら息せき切って「今,大変なチャンスになっているんですぅ!」と叫びそうな空模様である。
 というのも,なぜかこの秋いしいひさいちの新刊が立て続けで,「急いでお金振り込まなくっちゃ!」な状況なのだ。

 なにしろ。
 『となりの山田くん』シリーズの文庫化(東京創元社)を除けば,『現代思想の遭難者たち』が2002年6月の発行,その次が1年2ヶ月後の2003年8月『ののちゃんのとなり』,これにしても東京創元社の既刊文庫化。
 しかして,この秋は。

  『眼前の敵』(河出書房新社)
  『大統領の陰謀』(双葉文庫)
  『がんばれ!!タブチくん!! 阪神死闘編』(双葉文庫)
  『ドーナツブックスいしいひさいち選集 37 蜜月マーヤの暴言』(双葉社)
  『バイトくん 大学には入ったけれど』(双葉文庫)
  『忍者無芸帳 眠れる森の忍者』(双葉文庫)

 もういったいどうしちゃったの,よっぽど苦しいのか双葉社。いやそのごほん。

 もちろん,『がんばれ!!タブチくん!!』『バイトくん』『忍者無芸帳』は既刊の文庫化だが,いずれも久しく(モノによると20年以上!)入手が困難だったもので,初期からのいしいひさいちコレクターからみればこれらが簡単に入手できるようになったことに悔しい面もなくはないもののまずはメデタイと言っておこう。
 『大統領の陰謀』は『ドーナツブックス』『問題外論』『大問題』などの既刊から「大統領」系の作品をピックアップし,単行本未収録作品を加えたもの。エリツィン,ブッシュ父子,クリントン,金正日,フセインらおなじみの面々がご活躍である。

 そして,『となりの山田くん』『ののちゃん』シリーズを除くオリジナル作品集としては実に久しぶりの『眼前の敵』。河出書房新社から新書サイズという体裁もオシャレ。これは『鏡の国の戦争』シリーズの続刊にあたる戦場,軍隊モノで,「いしいひさいちはテンポを狂わすということはないのか」と思われるほどに,変わらぬ苦味を提供するブラックユーモア集である。

 ……どうもタイトル名,シリーズ名ばかり列挙して申し訳ない。

 それにしても,いしいひさいちはもはや国民的四コママンガ家として「大家」の領域に入るだろうに,この四方八方あたりかまわぬ「嘲笑」はどこから出てくるのだろう。1970年代後半,デビュー当時の『バイトくん』や『タブチくん』なら,作者自身が無名の貧乏マンガ家,つまり弱者の側にいることから理解できなくもなかった。しかし,そのスタンスが朝日新聞連載を得た現在にいたるまで続き,他国の大統領を含めてとことんとんとんオチョクリ倒す,この神経は並みではない。
 しかも,それを支える,たとえばプロ野球,推理小説,戦争映画,時代劇,政治経済,哲学等々についての広範囲な知識……。いったいいつ読んで,観戦して,取材しているというのか。

 今回の新刊,『ドーナツブックスいしいひさいち選集 37 蜜月マーヤの暴言』の巻頭には,「月子」という,どちらかといえば地味な16ページの新シリーズが掲載されている。こーれーがー,怖い。小品ではあるが,いしいひさいち初のホラーである。もちろん,怖いといっても,決してゾンビの首が抜けて血がドーバドバとか,寝ていると天井から老婆が逆さまに顔の真上にぶらんとか,そういう怖さではない。一話一話は四コマギャグなのである……が,それでもやはりホラーなのだ。
 直接の影響は指摘できないものの,ここにあるのは,ラブクラフト,クトゥルー系の闇の系譜である。それが,いつもの白っぽい四コママンガで描かれていることが,怖い。
 いしいひさいちこそは引き出しの底の見えぬ「妖怪」なのだ。

 なお,「月子」には,いしいひさいち全作品でおそらく初めての,ディープなキスシーンが挿入されている。いしい作品は足が早いので(書店店頭から消えるのが早いので),ファンの方は急ぐように。

2002/09/21

『現代思想の遭難者たち』にまつわる雑感 その3

 ところで,一つ,不思議なことがあります。

 いしいひさいちの『現代思想の遭難者たち』,いや,原本の『現代思想の冒険者たち』の顔ぶれに,サルトルが入っていないのです。サルトルの場合,哲学者より文学者の色合いが強いせいもあるかもしれませんが,カフカ,バタイユ,バシュラールらを取り上げているのだからそれだけではないでしょう。また,実存主義なんて当節ではぱっとしない,というなら,構造主義だってぱっとしているとは思えません。

 結局,講談社はサルトルを語れる著者の人脈にさほど強くない,ということなのかもしれません。
 いや……講談社に限らず,サルトルについて語る書籍がどうも少ないように思えてならないのは私だけでしょうか。紀伊国屋BookWebで「サルトル」をキーワードに和書検索をかけて,ひっかかるのは113冊。品切れ,絶版も含めてのこの数字は,サルトルのネームバリューからするとおよそ多いとはとても思えません。
 もちろん,有名であるから実際に読まれている,理解されている,などというつもりもありません。『資本論』を読破した者がどれほどいるかを想定してもそれは明らか。それにしても,サルトルは読まれていない。

 思うにこれは,サルトルの主な作品を長年にわたって翻訳,発行してきた人文書院に,少なからぬ責任のあることではないでしょうか。おそらく『嘔吐』あたりには,何度も文庫化の話が舞い込んだはず。いや,まさしく『嘔吐』さえ文庫化なっていたならば,興味本位であれ本好きな読者がサルトルに直接触れる機会が格段に増え,その中で何人かが熱心な読者,あるいは著者の側に回ったかもしれず……。

 『アンドレ・ブルトン集成』を未完のままにしたことといい,気持ちと苦労はわからないでもありませんが,なんだかなぁ,人文書院。いや,人文書院の本は好きなだけに。