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カテゴリー「のだめカンタービレ」の14件の記事

2010/12/20

最後は楽天的なアリア 『のだめカンタービレ(25)』 二ノ宮知子 / 講談社 KC Kiss

Photo  懐かしいR☆Sキャラに新キャラも加わって「アンコール オペラ編」がしばらく続くのかと期待していたら、あっという間の2巻でおしまい。
 楽しい宴も終演のブザーがなり、観客は名残を惜しみつつ立ち上がる。

 ………………

 ↑の「……」のところは、いろんなことを書いては消し、書いては消して、紙が破れてしまった。

 のだめと真一については、本編の最終回(23巻)が今ひとつ「決め!」きれなかったのを、アンコールで少しご褒美をあげたようなあんばい。よかったね。
 巻末の描き下ろし読み切りの主人公はターニャで、前巻の紹介の折

> もはやはらはらする必要のない千秋やのだめに比べて、気がかりなのはもう娘のようなターニャの行く末。

と書いたのだけれど、作者も同じような気持ちだったのかしら。

 『のだめカンタービレ』の登場人物たちは誰も彼も、なぜだかほかのマンガや小説に比べて実在の知人、友人のように思えてしまう傾向が強い。どうして、なんてことはここでは考えず、作品という窓が閉じてもその向こうでみんな幸多かれと祈ってこの項もおしまい。

2010/05/03

宴は続く 『のだめカンタービレ(24)』 二ノ宮知子 / 講談社 KC Kiss

Photo 【向いてるのか そうでないのか…】

 おやおや。
 最終巻が出てから半年、印刷機も乾かぬうちに新刊の登場である。それも「アンコール オペラ編」と番外編を装いつつ、内容はまるきりの続編、新キャラまで配して1、2巻で終わりそうな気配ではない。「もう少しだけ続きます」のドラゴンボールみたいなことになってしまった。

 世評は割れているようだが、作者が楽しそうに描いているうちはお付き合いしたい。いや、むしろ、上へ上へと息の詰まったパリ編に比べれば、R☆S(ライジング・スター)オケ当時を思い起こさせる今回の軽いノリは気楽に笑えて心地よい。どんどんオペラしてください。

 気になるのは……「最終楽章 後編」とまで銘打って大々的にフィナーレを迎えた実写版まで再開されるのかどうか。オペラは金がかかりそうだ。
 もう1つ、ターニャは居酒屋で「あ──…… 実はわたし……」の後、何と言おうとしていたのか。もはやはらはらする必要のない千秋やのだめに比べて、気がかりなのはもう娘のようなターニャの行く末。ベッキーもグリーばかりやってちゃダメだぞ。

P.S. 明日は家人とシネマです。

2010/01/11

最高のチャイコフスキー、大味な展開 『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』

 毒を食らわば皿までバリバリ、というわけで実は映画版『のだめカンタービレ』は昨年12月、公開日の翌日には観てきたのだが、こちらに感想をアップするには少し間をおいた……諸手を挙げて褒めちぎることはできないためである。

 演奏シーン、これは素晴らしい。
 指揮者や演奏家たちがプロの音楽家でないことが信じがたい、感動的なコンサートが、音響的にはもちろん、映像的にも素晴らしいカット回しで上演される。個人的にはオーディションシーンが好きだ。

 一方、ドラマとしては……テレビドラマ、とくに2008年1月に放送されたいわゆる「新春スペシャル in ヨーロッパ」の前後編があまりによく出来ていた分、細部へのこだわり、ことにギャグのボリューム、切れについてはどうしても物足りないものがあった。まだご覧になってない方の興趣をそぐのは本意ではないので詳細には触れないが、たとえばウエンツやベッキーらの登場するシーンがテレビ版に比べてもあまりにも凡庸。CGを駆使したのだめのはっちゃけぶりも、だから何、といえば何。テレビ版のCGは薬味のようにちょっぴり使われるからこそ利いたのに。
 それだけではない。「in ヨーロッパ」には、主人公の二人がそれぞれ内的なジレンマ、葛藤を持て余し、苦しみ、互いの力を得て(あるいは頼ることを断つことで)その問題を突破するという、いわば芸術家としての真摯な成長物語があった。映画版にもジレンマはあるのだが、外的な要因に過ぎず、とくに千秋はスーパーマンとしてことにあたって、問題を克服できてしまう。
 原作どおりなのだからしようがないといえばしようがないのだが、大画面、豪華なパリの風物や劇場を背景に、いかにも大味なストーリーになってしまったのは残念。

 しかし、最初にも書いたとおり、演奏シーンの出来のよさといい、決して悪い映画ではない。後編も、公開されればすぐシアターに走るつもりだ。すでに恋も音楽性も成就してしまった恋人たちよりも、シュトレーゼマン、竹中直人の凄みが見たい。

2009/12/01

最後は少し肩すかし 『のだめカンタービレ(23)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

23 【またそれか】

 さんざ取り上げてきた『のだめカンタービレ』、とうとう最終巻。

 作品としての精度はさておき、CD、ドラマ、コンサート、アニメ、はては映画界まで巻き込んだ大きなお祭りが終わってしまった。そんな感じ。十年後に『のだめ』と出会う人も、もちろん面白くは読むだろう。読むだろうが、それは僕たちが同時代的に見守り、ともに踊ったこの『のだめ』ではないような気がする。残念でした。

 最終巻は過去のしがらみを少しずつ片付けたエピローグ集の趣きで、前巻のロンドン公演の総毛立つような凄みなどどこを探してもない。
 千秋と父親との葛藤をこの程度で片付けてよいのか、とか、のだめのプロの音楽家への迷いがこんなことで解消されるのか、とか、ないものねだりを言い出せばきりがないが、この荒っぽさ、言い換えれば二ノ宮知子の豪腕だからこそ『のだめ』という花火が打ち上げられたのだ。よしとしよう。

 第1巻に驚愕して7年め。理屈より何より、たっぷり楽しませていただいた。
 「楽しんで弾くので 頑張って聴いてくだサイ」、オーケイ、1巻から朝まで読み返そうではないか。

2009/08/16

楽しい無数の追憶 『のだめカンタービレ(22)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

452 【のだめ もっとガツンといきたくなったんで オケもガツンときてください】

 単行本年3冊以上と、走るような速さで上演を続けてきた『のだめカンタービレ』だが、今回は作者の妊娠、出産にともなう休載のため、ちょうど1年ぶりの新刊となった。なので、ヨーロッパにきてから話がどうなってきたのだったか(いくつかの断片を除いて)よく思い出せない。
 そこは後で読み返すとして、とりあえず新刊に目を通そう。

 ……すごい。鳥肌が立つ。

 シュトレーゼマン(ミルヒー)率いるオケとのだめのリハ。
 シュトレーゼマンのロンドン公演でデビューするのだめの演奏。
 シャルル・オクレールとシュトレーゼマンの(のだめをめぐる)静かな対決。

 音楽を題材にした描写があまりにもよくできているため、ときどき、これが主人公たちにとって本当は痛々しいまでに過酷な物語だということを忘れてしまう。

 今回の1冊の中では、千秋とのだめの仲はすれ違ってばかりでうまくいかない。まるでそれを埋め合わせるかのように、カバーの裏表紙では千秋とのだめがオープンカフェで静かな時を過ごしている。この賑わしい1冊の中で、ほとんど唯一心の落ち着く、穏やかなカットだ。
 このように存ることのできない作中の二人を切なく思う。

2006/06/16

最近の新刊から 『のだめカンタービレ(15)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

235【僕は 演奏するよ】

 パリに行ってからはなんとなく登場人物のあの人やあの人の「ちょっと心あたたまるいいお話」集になってしまっていた『のだめカンタービレ』,今回は久しぶりに,もう,まっすぐにいい気持ち。おいしゅうございました。

 以前,12巻発刊の際に「変わらず稀有な作品ではある。ではあるのだが,もはやあの『のだめカンタービレ』ではない」と書いたが,これを(喜ばしく)訂正させてもらうなら,15巻は正しくあの『のだめカンタービレ』である。3巻のSオケの演奏シーン以来,久しぶりに全身しびれるような音楽に浸ることができた。
 紙から聞こえる,などという域ではない。紙でしか,描けない音楽。
 これがあるから,二ノ宮知子はあなどれないのだ。

 ところで。
 毎朝毎朝,口をとんがらせてけんけん人のことを叱ってばかりいる桜子ちゃん。ピアノというものは(たとえば)このように弾くものなのだよ。少しは精進なさい。

2006/01/16

まわれまわれカザグルマ 止まらず走れ 『のだめカンタービレ(14)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

652【慣れデス ……夫婦ですから】

 さて,では,50代,40代,30代が「面白い」と評価するような作品とはどのようなものか。どのような指標のもとに提供すべきなのか。

 ……と,『テヅカ・イズ・デッド』を受けて書き始めたら,大長文,もうまるでまとまりがつかなくなって,いったん留保。
 素材として扱っていた作品のうち2つが豊田徹也『アンダーカレント』と山田芳裕『へうげもの』だったのが,(『テヅカ・イズ・デッド』も含めて)朝日新聞日曜版の書評欄の後追いをしているようでそれもまた不愉快。
 ちなみに朝日日曜版の吉田豪氏による「コミック教養講座」は著者の目利きが心地よい。朝日の鬱陶しい教養主義が周辺のページを覆ってなければもっと手放しでほめるところだ。

 それはともかく,年末,いや秋口から紹介したいと思いつつそのままになった本,コミックが納戸にうず高く積滞して,下のほうなど化石化して三葉虫かムカシトンボか。ひどい場合など,いざ紹介しようと掘り起こしてみたらすっかり内容を忘れていた(あえて書名はあげるまい)。

 ええ,ここはともかく,今日買ってきたコミックを取り上げてお茶を濁そう。
 回転図書館ではおなじみの『のだめカンタービレ』である。家人がセーターをとかいう買い物につき合って,3店めだか5フロアめだかで限界を越えて同じビルの最上階の書店に逃げ込み,そこではけーん。
 相変わらずのハイテンションだが,しいていえば今回は登場人物が多くて少しほこりっぽい印象。ただ,方向性として,あらゆる人物が誠実に自分にとっての音楽を求めている点ではシンプルにまとまっており,決して(一時のように方向性が分散して)落ち着かないわけではない。

 綾なす心,出会いと別れ,もはや1冊で序破急,起承転結と簡明でわかりやすいカタルシスを得るのは難しい複雑な作品になってしまった。いつの間にか大河ドラマ,ときどき1巻から読み直さないと登場人物の把握も難しい。
 「のだめ」も,ある日を境に「エロイカ」のように,現役でありながら復習の必要な思い出の作品になってしまうのだろうか。甚だしい単行本化のスピードは,カザグルマがとまらないようにという作者の必死の疾走のようにも思われたり(この品質で息が続くだけでもすごいのだけどね)。

2005/09/18

元気でなにより 『のだめカンタービレ(13)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

212【近づいたかち 思うたら 離れてく……】

 最近はあれこれ難癖つけて「そこらのマンガに比べればよっぽど面白いのにね」と心の中でごめんなさいしていた「のだめ」だが,新刊は久しぶりにおなかいっぱい。笑えたし,先の展開も気になった。
 つまるところこの作者,この作品,すれ違いが甚だしければ甚だしいほど読み手の琴線に訴える,らしい。良い子はマネをしないように。今回の千秋への天の配剤は,並の人間にはかなりツラいぞ。

 新刊は立ち寄る本屋という本屋で,平積み通り越してヒラひらヒラの三段,四段積みだった。
 「初版限定キャラコレしおり」つき,何十万部刷ったか知らないが,アニメ化,ドラマ化の話題なしで東京ドーム何杯分という領域に入りつつあるこの作品。
 オーケイ,かまやしない。どんどん刷ってどんどん売っておくれ。音楽を描き,人と人の距離を描くこの作品がいくら売れても,そのせいでこの国が悪くなることは決してない。

2005/05/27

最近の新刊から 『のだめカンタービレ(12)』『OL進化論(23)』

689 定番2本。いずれも毎回楽しみにしている作品である。
 だが,連載初期と違って「読むのがツラい」面があるのは確かだ。なぜだろう。少し考えてみよう。

『のだめカンタービレ(12)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

 舞台はフランスはパリに移り,千秋とのだめは相変わらず愉快で素っ頓狂な……。

 そうか? 書評サイトなどでは「やっぱり笑える」「のだめの奇行,ますます」といった評価が少なくないが,本当にそうなのだろうか?

 連載当初を思い起こしてほしい。

 千秋,のだめは言うにおよばず,すべての登場人物が見当違いな,片恋には罵倒,技術には嘲笑,世界への道には飛行機恐怖症と,あらゆる事象があらゆる方角にすれ違い合い,ディスコミュニケーションが満ちあふれ,そのくせそれら登場人物が狭くるしいオモチャ箱のような音楽大学の日常にひしめいていたあのホットさ,あのクールさを。

 今回,25ページ左下,のだめのアップが象徴的だ。背伸びして技巧に走るのだめの演奏を止めようとする千秋に向けたのだめの目は言うなれば「正気」の目だ。連載開始当初の,どこからどこまで浮世離れした“あの”のだめの目は,ここには,ない。

 なぜだろう。27ページ中段ののだめのセリフがそれを説明している。
 「千秋先輩ひとりが(わたしの演奏を)好きだって仕方ないんですよ!」
 「もおっ 的はずれなことばっかり!!」

 彼らは,コンクール,留学を経て,音楽の世界,もしくは世界の音楽と正面から向かわざるを得なくなった。世界的な指揮者が訪れるとはいえ,日本の音楽大学,所詮それはヒヨコたちの「巣箱」でしかない。しかし,だからこそ成り立つストーリーがある。リズムがあり,ファッションがあり,魅力がある。

 音楽の世界,世界の音楽──つまりは「巣箱」から「社会」──に立ち向かうとき,あののだめさえが「的はずれ」,つまりディスコミュニケーションにあえぐ。
 あれほどホットかつクールにバラバラだった登場人物たちが,それぞれ自分を見つめざるを得なくなったとき(今回はそんなテーマばかりだ),そこに展開するのは百年前も千年前も繰り返されたおなじみの若者たちの物語だ。

 パリに舞台を移した『のだめカンタービレ』は変わらずすごい作品ではある。ではあるのだが,もはやあの『のだめカンタービレ』ではない。

『OL進化論(23)』 秋月りす / 講談社ワイドKCモーニング

 クオリティが落ちたようにも見えないのにここ数冊妙に重いなと思ったら,どうやら「35歳で独身で」ネタに比重がかかっているためのようだ。

 前回『OL進化論(21)』を取り上げたときは,美奈子やジュンちゃんたちが働くオフィスのシーン(コマ)が連載開始当初に比べて大幅に減っていることを指摘したが,やはり連載開始から15年も経つと,どうしても作者のオフィス観,OL像は古いものとならざるを得ない。

 たとえば──現在中堅どころの企業のオフィスやそのアフターファイブを描いて,これほど携帯電話や電子メール,パソコンが現れないのは一種異様ですらある。携帯電話やメールを介さない美奈子やジュンちゃんたちの距離感は,「お客様のおみやげ」「社封筒手にしてのおつかい」という古風な風物の中でサザエさん的無限ループを繰り返す。

 こうして,時代に即した変貌がとげられない以上,自然,素材として古色ゆかしき「結婚」「未婚」ネタが多くなるのはやむを得ないのかもしれないが……。

 それにしても昨今の35歳は,この作品で描かれるほどに「結婚」にばかりとらわれているのだろうか。35歳で独身であることの生むペーソスを否定するわけではないが,これほどまでに「結婚」が人生の至上命題であるかのように繰り返されるとさすがに息が詰まる。笑えない。

2004/03/15

最近読んだ本 『のだめカンタービレ(8)』『白夜行』『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』

Photo『のだめカンタービレ(8)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

 早くも8巻め。1巻が2002年1月発行,つまり2年で8巻。掲載誌が月2回刊であることを考えれば,少しびっくりしてよい刊行ペース。
 しかも,テンションは高まるばかり。

 帯の惹句には「こんなに笑えるクラシック音楽があったのか!?」とあるが,『のだめ』はもはや「笑い」の領域にはない。上質な『ルパン三世』作品においては,ちりばめられたギャグに笑う以前に完成度に見とれるしかなかったように,『のだめ』8巻では一瞬も笑うことができなかった。
 ここに描かれているのは,ただ,正しく音楽である。
 息が詰まるほど感動する以外に何ができるというのか。

『白夜行』 東野圭吾 / 集英社文庫

 少々動機が不純で,最近諸般の事情から長編小説から離れていたのだが,「いけない,このままでは長距離走に耐えられないカラダになってしまう!」なる焦燥感から,ながく本棚で寝ていた本書を手にとった。

 噂にたがわぬ傑作であった。
 もちろん,数行で感想を語り尽くせる作品ではない。

 新本格派と称する作家の多くが「パズル」を強調するのに対し,『白夜行』はそのまったく逆,動機や犯人の心のあり方に重心を置こうとする試みである。文庫にして800ページを越える膨大な記述の果てに,読み手は最後まで描かれなかったものの重みに圧倒される。

 この長編は,ある意味,許されない人々がいかに許されないか,を描いた作品である。能天気な翻訳をするなら「白夜行」とは「御天道様(おてんとさま)の下を歩けない」の言い換えである。そして,登場人物たちが自分たちの行く末を「白夜」の下に見据えるように,読み手も生半可な感情移入は許されない。
 だが,これほど苦い物語に,こうまで心洗われる気がするのはなぜだろう。

 なお,細かいことだが,1970年代前半に起きた最初の事件以来,『あしたのジョー』連載終了,山口百恵ブームなど,妙に世俗的な描写が頻出するのに違和感があった。これらが必要だった理由は最後に明らかになる。ただ,文章としてはその何箇所かがどうしても浮いていて,もう少し手はなかったのかという気もしないではない。

『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』 ロイ・ヴィカーズ / ハヤカワ・ミステリ文庫

 ヴィカーズといえば倒叙モノの「迷宮課」シリーズ。

 「倒叙モノ」というのは,犯人の視点から物語を書き起こし,あわや完全犯罪,といったところでちょっとした見落としから探偵に暴かれて大逆転,というミステリの一手法である。
 オースチン・フリーマンの短編集『歌う白骨』を祖として,フランシス・アイルズ『殺意』,クロフツ『クロイドン発12時30分』,リチャード・ハル『叔母殺し』などが追従した,とたいていのミステリ史で紹介されている(本当)。要するに『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』の展開,あれだ。

 ヴィカーズは,その倒叙モノの短編集『迷宮課事件簿(1)』で知られており,これが1977年にハヤカワ・ミステリ文庫から発売されて,それっきり,音沙汰もなく……。
 と思ったら,今年になって3巻めの『老女の深情け』を書店店頭で発見して「えっ,なぜ第3巻???」。失礼しました,昨年夏に第2巻の『百万に一つの偶然』が発売されていたのですね。それにしたって,2巻が26年ぶりとは。相当に深い「迷宮」にはまりこんでいたとみえる(先に紹介した叙事的な大作『白夜行』で流れた年月にも匹敵!)。

 さて,作品としてはどうか。
 元来,倒叙モノには非常に面白い作品が多く,本シリーズでもハタ,と手を打つ作品もなくはない。……のではあるが,いかんせん,20世紀初頭(1930年ごろまで)を舞台にした作品だけに,犯罪が発覚するきっかけとなる小道具がわかりにくく,そのため,いくつかはどうも今ひとつカタルシスに至らなかった。
 誰も疑いすらしなかった犯行が発覚するのが,犯人が「荘園邸の羽目板細工」を処分したため,と言われてもなあ。なんだそれ。

 コロンボや古畑任三郎がああまで痛烈だったのは,映像ゆえ,なのかもしれない。
 アリバイを練り上げた犯行のサスペンス。不敵な笑みさえ浮かべる犯人。ちょっとした小道具や言葉じりから犯罪が暴かれた際の,探偵の申し訳なさそうな口元……。