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カテゴリー「芸術・美術」の32件の記事

2016/06/26

立ち場なし 『河鍋暁斎』 木下直之 解説 / 新潮日本美術文庫 24

Photoちょっとぐだぐだした内容になりそうだが、いつものことと諦めてお付き合い願いたい。

もうすぐ盛夏、夏といえば全生庵の幽霊画。ということで幽霊画、またテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」では谷文晁らと並んで偽物の持ち込みの多いことで知られる河鍋暁斎の画集を古本屋の美術コーナーで見かけたのでほかの本に重ねて買ってきた。
(古本屋の美術コーナーをうろつくにいたったのにはそれなりのいきさつがあったのだが、くどいので省略。)

平成8年発行の画集だが古本としては美本である。もともと新潮美術文庫は美術印刷に凝る大日本印刷の技術力がよく現れたシリーズで、小ぶりながらクリアかつ濃密なカラー印刷が好もしい。また、32点と点数こそ少ないものの、迫力ある仏画、風俗画、妖怪・幽霊画、当節人気の若冲なにするものぞの花鳥図、はては裏地に血なまぐさい処刑場を描いた誰得な羽織など、暁斎の八面六臂な発想、筆遣いがすさまじい。

が、今回のテーマはそこではない。

本書は兵庫県立近代美術館学芸員(当時。現東京大学教授)の木下直之氏による作品解説、河鍋暁斎の人と作品(一揮千紙快筆の画家)、そして年表(河鍋暁斎とその時代)と、ほとんど木下氏一人の手によって編纂、執筆されているのだが、そのご本人が

  画集はないよりはましだから、まるで役に立たないとは思わないが、

  色彩の忠実な再現などほとんど不可能だし

  画集の写真図版がいかにゆがんだ情報をもたらすものか

と、つまりはこの画集そのものの存在意義を(部分的であれ)頭ごなしに否定しているのである。

もちろんそれは、紙の画集は実際の作品と材質も肌合いも大きさもすべて違っていること、またとくに河鍋暁斎の時代には作品を描くという行為が多彩なパフォーマンスの一つであり、壁に額縁付きで展示する作品至上主義な現在とは違うスタンスのもとに描かれたものであったこと……などによるものであり、かつ本書を手にした読者が暁斎の実際の作品を見るきっかけとしたい、といったようなことは丁寧に説明されてはいる。いるのだが、それにしたって執筆者本人に「画集をあまり信用しないでいただきたい」とまでダメ出しされた本画集、自分などもう、とくさっているのをとりあえず新橋ガード下の赤ちょうちんに誘い出したはいいが、いったいどう慰めればよいのか。

2015/02/16

『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』 池上英洋 / ちくま学芸文庫

Photo部屋のどこかに虫の羽音が聞こえるかのように少し気持ちの悪い本だ。

西洋美術史における裸体画の紹介、その解説という点で、文庫260ページあまりとは思えない密度の高さ、これ以上望めないカラー印刷の水準など、一冊の本としての品質は素晴らしい。
(すべてカラーでないのが惜しまれるが、モノクロページにはできるだけ彫刻やペン画を収めているようで、そのあたりの気配りも細かい。)

選ばれた作品はローマ時代の彫刻から盛期ルネッサンス、ロマン派、写実主義、印象派……と幅広く、本文、画像キャプションとも資料性が高い。宗教的意味から絵画技法、隠されたエピソードまで、本来許され難い裸体画がいかに描かれ、どう評価されてきたかを語って博覧強記、よどみない。

目次は以下のとおり。

 第一章 ヴィーナス──官能の支配者
 第二章 官能なる神話の世界
 第三章 画家たちの愛
 第四章 かけひき──キスから結婚まで
 第五章 秘めごと──ポルノグラフィー、不倫と売春
 第六章 さまざまな官能芸術──同性愛・愛の終わり・昇華された愛

実はこの大項目だけ並べても内容には近づけない。
「画家たちの愛」でいきなり登場するのはピュグマリオンで、それならこの章も神話がテーマかと思えば後半はラファエル前派の画家たちの実恋愛が語られる。「不倫と売春」についてその言葉どおり生々しい絵が紹介されるかと思えば(本書には「あからさま」な作品も少なくない)、その章の最後を占めるのはマグダラのマリアだ。

しかし、本書にどこか違和感を覚えるのは、そういった変幻自在さにかかわらず、著者本人の焦点がよく見えないためだ。著者はこの膨大な作品群のどのあたりをどのように好もしく思っているのか。裸体画をテーマにしていながら、著者の目線にいっこう官能的な印象が感じられないのはなぜか。ならばなぜわざわざ「官能」美術史を選んだのか。

蝶コレクターの標本のほうがもう少しエロスの匂いがするように思うのだが、どうだろう。

PS. 同じ著者による姉妹作『残酷美術史 西洋世界の裏面をよみとく』も、生首や内臓の飛び散るスプラッタな作品と貧しさによる悲惨さとが同列に扱われていたり、と、著者の嗜好というか頓着のなさがやはり今一つよくわからない。

2014/09/11

脳内楽園 『楽園のカンヴァス』 原田マハ / 新潮文庫

Photo不愉快な本である。つまらないのではない。不愉快、なのだ。

何が問題なのか。駆け足で見ていこう。
(一部、ストーリーの先のほうに触れる可能性がある。未読の方はご注意願いたい。)

ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンと新進気鋭のルソー研究家、早川織絵の2人は、ある蒐集家の招きを受け、ルソーの「夢」に酷似した絵画作品の真贋を鑑定することになる。手がかりはたった1冊の古書。それを7日間、交互に読んで判定せよというのだ……。

この時点で、どう考えてもおかしい。茶器の真贋を箱書きで鑑定させるようなものだ。

そもそも、なぜそんな手枷足枷が必要なのか。
真贋を確認したいならある程度自由に調べさせればよいし、誰がその作品をより深く理解するかを見定めたいなら(人選含め)このような曖昧な手続きを選ぶべきではない。ネタバレになるため詳細は書かないが、依頼主の目的が達成できたのはまったくのところラッキーな偶然の積み重ねに過ぎない。封筒の扱い一つ、待ち合わせの仕方一つでことの顛末はすべて破綻に向かっただろう。

鑑定を引き受けるほうも、もう少し誠実に作品に向かうべきだろう。出所のわからない古書だけを素材にルソーについて議論する……ゲームとしては悪くない。しかし、それと絵画の鑑定は別の話だ。依頼人に制限されたから? 成功報酬にひかれたから? それで解答を出す気になるようなら、もはや真摯な研究者とはいえまい。
(その意味も含め、実際のところ2人ともおよそ魅力的とは言い難い。)

X線調査が最後までスルーされるのも、単にストーリーテラー側の都合でしかない。
本作に描かれた絵画の鑑定作業は、資料とされる古書の真贋確認から始まって、何一つ地についていない。

結局、依頼する側もされる側も、ルソーに対する情熱──というのは言葉じりだけで、作品に対しては最初から最後までいい加減かつ無責任なのである。
そんな人物のうち1人がのちにキュレーターとして出世できるとはなんと都合のよい世界だろう。

もう一つ、どうしても気になることがある。

作者が必要以上に繰り返しルソーを「日曜画家」と蔑む理由がわからない。
記憶する限りでは、ルソーは1960年代中ごろにはすでにレオナルドやマネ、ゴッホらと並んで古今東西の名画50点に選ばれるほど高い評価を獲得していた。この『楽園のガンヴァス』の舞台となる1980年代にここまで世評が低かったとは考えられない。

つまるところ本書の作者は、話を面白くするためにルソーを貶め、絵画の鑑定行為を軽んじているのだ。
これが不愉快でなくて、何だ。

2014/05/08

メビウスの喜悲劇 『迷宮の美術史 名画贋作』 岡部昌幸 / 青春新書INTELLIGENCE

Photo 青春出版社と聞くとつい「試験にでる贋作問題……ああ、しけ贋ね」などとつまらないボケをさらしてしまうのが昭和世代だが、実際、よくも悪しくもそういう作りの新書である。
古今東西の贋作事件を手広くピックアップして、さほど色遣いを変えず列挙。必要以上にあおらず騒がず、各章ともいつどこで誰がと整理整頓も行き届いて読みやすい。

ところが、そんな親切な1冊が前回紹介した『世紀の贋作画商』と並べたとたん灰色に靄っていく。

たとえば有名な(国立西洋美術館まで巻き込まれた)ルグロ事件において、贋作を売り散らかした主格がルグロ本人であったことはさておき、真作の画家さえ惑うほどに優れた贋作を実際に描いた人物は果たして誰だったのか。
『世紀の贋作画商』が最後に贋作を告白したレアル・ルサールを取材対象としたのに対し、本書『迷宮の美術史』では先に告白したエルミア・ド・ホーリー(映画『オーソン・ウェルズのフェイク』のモデルでもある)を真の(?)贋作者とし、ルサールにはほとんど目もくれない。1000点以上の贋作を描いたと主張するホーリー、かたや「自分の持っていたすべての作品はルサールが描いた」というルグロの遺言書の写しを振りかざすルサール。

つまるところ贋作の世界は「黙った者勝ち」「言った者勝ち」、誰が勝者で誰が敗者かなぞ、結局誰にもわかりはしない(もしかしたら当人たちにも)。

糊口しのぎで贋作商売に手を染め、誰に何を売ったか覚えていないような詐欺師はさておき、もともと優れた技術を持ち合わせていた画家がふとしたきっかけで贋作詐欺にはまっていく経緯はもの悲しい。だが、奇妙なことに、彼らは、ことが発覚しかけると一転、胸を張って自分こそ贋作の主だと主張したがる。それに対する刑罰も案外と軽い。
そんな陽性の贋作者たちの中、自身の真作を指差して贋作と叫ぶキリコの晩年はとことん痛々しい。
真贋の裏表は悲劇、喜劇のカードのめくり合いでもあるようなのだ。

2014/05/07

真贋のシーシュポス 『世紀の贋作画商 「銀座の怪人」と三越事件、松本清張、そしてFBI』 七尾和晃 / 草思社文庫

Photo 解任された岡田茂社長が役員会で発した「なぜだ!」が流行語にもなった三越事件。
1982年のこの事件が耳目を集めたきっかけは、三越本店「古代ペルシャ秘宝展」の出展物の大半がニセ物であるとの新聞報道だった。
その贋作を三越懇意の画商に持ち込んだのはイライ・サカイというユダヤ系イラン人である。イライはその後も、9.11テロ関連捜査からFBIに逮捕されるまで、銀座・並木通りの画廊街を介して日本に底知れぬ数の贋作を雨あられと持ち込み続けた。

作者はFBIの捜査官、画廊店主、イライの妻の父らの証言を経て、やがてアメリカ、ロングアイランドでイライ本人に迫る。また一方、空前の贋作事件として知られるルグロ事件において贋作者となった天才画家、レアル・ルサールをブリュッセルに追い、これもまたインタビューに成功する。

美術品が「貨幣」として機能するとき、真贋については誰もが口を閉ざす。要はその美術品で大きな金が(あるいは逆に、小さな金で大きな資産が)動けばそれでよいのだ。
そして、イライが逮捕されても互いを横目に見ながら黙り込む銀座の画廊街。息をひそめる鑑定家、美術館。

本書は日本のバブル期前後、長きにわたって銀座に暗躍した謎の怪人イライ・サカイを描くとともに、そこに浮かび上がる一種の美術品利権の構造を浮き彫りにする。力作だ。

ただ……大げさな口ぶりや著者自身の感懐が目立つ割に、肝心なこと、確かなものが靄の向こう側にある、そんなフラストレーションが随所に残る。
防弾チョッキを着込んでまでイライの店に押しかけ、インタビューに成功する過程は詳細なのに、イライの語った内容は断片的。被害にあった画商たちの言葉も、また。

どこまでが意図的なのか、章立てが入り組んでいて、現在、事件の起こった時期、著者が関係者へのインタビューに成功した時期それぞれが相前後し(直接は関係ないルグロ事件に紙数を割いたこともあり)時間軸もひどく捉えづらい。
もっとも、その結果、たまたまかもしれないが美術品の真贋のもたらす靄の深さをより正確に伝えている、そんな気がしないでもない。
これらの是非はさておき、一読を推奨したい。もう一度書いておく。力作である。

2014/03/05

これは絵だ、図案ではない 『貴婦人と一角獣』 トレイシー・シュヴァリエ、木下哲夫 訳 / 白水Uブックス

Photo本書『貴婦人と一角獣』は、昨秋日本でも公開されて話題になったヨーロッパ中世を代表するタピスリー(タペストリー、綴れ織りの壁掛け)「貴婦人と一角獣」の織られた時代を空想の羽を広げて描き上げた作品である。
15世紀末に織られたらしいこと以外、詳細の明らかでない「貴婦人と一角獣」は「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」の五感を表すと言われる5枚に加え、背景のテントに「我が唯一の望み」と書かれた1枚の、合わせて6枚からなる。

小説はパリの王侯ジャン・ル・ヴィストが絵師のニコラ・デジノサンにタピスリーの下絵を依頼(もともとは会戦図の依頼だったが奥方が覆した)、そのニコラがタピスリー工房のあるブリュッセルに赴き──という前後のいきさつを、登場人物が入れ替わっては語る形式をとる。

絵師ニコラはタピスリーの下絵として一角獣を手なずける貴婦人を主題とし、物語があとから「視覚」や「嗅覚」、「触覚」を追いかけて意味づけていく。
なんらかのいきさつが先にあり、それに深く感化されて下絵に五感を扱う──そのほうがストーリーとして自然かと思うが、こういう恋愛小説はそのあたりはアバウトでもよいのだろうか。

結局、作者はパリとブリュッセルを舞台に絵師やタピスリー工房一家の仕事ぶり、恋愛模様を描くだけで、謎とされる「貴婦人と一角獣」の図案の意味を追う意識はさほどなかったのかもしれない。
全体を俯瞰すると、ニコラという手の早い絵師が国をまたいで若い女と一儀に及ぶ、ないし及べない、それだけといえばそれだけの話だ。女とみれば声をかけるニコラの側はともかく、出会う女が次々ニコラになびく心理が十分でなく、結果として調子のよいソフトポルノに読めなくもない。

ただ、ブリュッセルのタピスリー工房の道具立て、几帳面な作業の描写は圧巻だ。
糸や顔料、背景の千花文などタピスリーならではの図案扱い、仕上がるまで職人自身がタピスリーの全体を見ることができない工程など、ヒロインを一人工房の娘アリエノールにしぼり、その部分だけ切り取って映画に撮ってみたい。それは十分見応えのある、美しい映像となるに違いない。

2014/03/02

取り返しをつける 『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』 ロバート・K.・ウィットマン ジョン・シフマン 著、土屋 晃・匝瑳玲子 訳 / 文芸社文庫

Photo以前紹介した『ムンクを追え!』によく似た内容、構成なのだが、大西洋を西に渡ると美術品盗難捜査もしっかりさま変わりするようだ。
『ムンクを追え!』ではヨーロッパの城館から盗み出された名画の探索を元ロンドン警視庁美術特捜班の捜査官がウィットと薀蓄を傾けつつ語る──そんな印象だった。それに対し、本書『FBI美術捜査官』の冒頭はいきなりこれだ。

パルメット・エクスプレスウェイに乗って東へ、マイアミビーチに向かって走るプラチナのロールスロイスは防弾ガラスを入れ、装甲を施したそのトランクには盗品の絵画六点を積んでいた。

今にもビッグバンドによるサスペンスドラマのテーマソングが聞こえてきそうだ。なにしろあのFBI、アメリカ連邦捜査局である。

ただ、美術品の盗難に対する捜査官の姿勢や信念は両著に共通で、本書の著者も次のように語る。

美術品泥棒はその美しい物体だけでなく、その記憶とアイデンティティをも盗む。歴史を盗む……われわれの仕事は歴史の一辺、過去からのメッセージを守ることにある。

つまり、美術品捜査においては盗難品を取り返すことこそ至上命題であり、犯人探し、売人逮捕は二の次なのだ。

とはいえ、国が変わると盗まれる美術品の種類もいささか異なってくる。FBI捜査官の捜査対象にはロダンやブリューゲル、レンブラントといった西洋美術大御所の作品もあるが、たとえば
  南北戦争の戦火をくぐり抜けた戦旗
  アメリカ・インディアンの頭飾り
  9・11テロで破壊されたツインタワーの描かれた絵画
  合衆国《権利章典》の写本
などいずれもいかにもアメリカだ(表紙のフェルメールを除き、資料写真が一葉も掲載されていないのが実に惜しい)。

それら盗難品奪還に成功する章が次から次へと続き、三十を越えてあこがれのFBIに入局し、2004年時点で唯一の美術品盗難専門の潜入捜査官だった語り手の明朗闊達な成功談……そう思い込んで読み進むと、ときどきひどく苦い塊を嘗めることになる。
正義も甘いばかりではない。

それにつけても、こと美術品泥棒は、犯行までは比較的簡単だが、換金するときが大変だ。その意味では誘拐とおっつかっつかもしれない。
年度末に向け何かと物入りな今日この頃ではあるが、美術品泥棒と誘拐はとりあえずやめておこうと心に誓う夜更けの烏丸であった。

2013/07/08

『肉筆幽霊画の世界』 安村敏信 / 新人物往来社

Photo_3二百年待ち焦がれてきた宝箱が思いがけずまろびきた、そのような心持ちである。

というのも「幽霊」を専門に扱った画集は極めて少ない。
鳥山石燕の画図百鬼夜行、稲生物怪録絵巻、さらには水木しげる作品群など、容易かつバリエーション豊かに入手できる「妖怪」本に対し、比較すべくもない。

現在入手可能なものに辻惟雄監修『幽霊名画集 全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション』(ちくま学芸文庫、2008年)がある。これは大変な労作ではあるのだが、いかんせん文庫だけにどうしても五十点の図版が小さい。カラー印刷の品質も物足りない。
また書物として見るに、幽霊画についての歴史資料研究の趣が強すぎ、こと「幽霊」という感性に訴えるべき題材を扱っている本としてはやや学究的に過ぎてつらい(それが主旨なのだから当然のことではあるのだが)。

そんな中、新人物往来社から発刊された『肉筆幽霊画の世界』は、その三遊亭円朝コレクションをはじめ、大阪の大念佛寺、福岡市博物館、京都の大統院など、各地に伝わる肉筆幽霊画ばかり百点を集め、オールカラーで紹介したもの。
Photo_2先の『幽霊名画集 全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション』とかぶる図版も少なくないが、文庫に比べておおよそ1.5倍というだけでずいぶんと画質が向上し、また随所で断ち切り一杯に幽霊の顔のアップを掲載しているため、電車で隣の若い女性がきゃっと悲鳴をあげるくらい真に迫る力がある。

円山応挙、河鍋暁斎、月岡芳年など名の知られた画家の作品もよいが、作者、年代不明な作品にも見るべきものが少なくない。
足がないことからようやく幽霊とわかる応挙の端麗な美女、恨む相手の首を咬みちぎった血みどろグロテスクな怨霊、なぜか情けない顔つきの男の幽霊たち、掛け軸そのものも描き込んで幽霊がそこから飛び出して見える「描表装」なる手法によるものなど、画風もさまざまで、ページを繰って飽きることがない。
肉筆画に限定したため、巨大な骸骨が暴れるような騒々しい木版作品が排され、音のない冷え冷えとした世界観で徹底されているのもまた嬉しい。

昨今の怪談本では「幽霊」という言葉は死語に近く、「心霊現象」がそれに代わっている。
かつて「幽霊」が語られたとき、お岩にせよお菊にせよ、死者は非業の死を遂げていることが多かった。つまりは死者を嬲った生者のほうがよほど傲慢で我が儘だった。しかるに現代の「心霊現象」においては、霊側がむしろ執着に囚われ、身勝手と判じざるを得ないことも少なくない。
そもそも幽霊の「幽」は幽境、幽冥、幽玄、幽遠の「幽」である。これを個々人の狭隘な「心」などに差し替えてしまえば、いかにヒリヒリ怖かろうが、本書に示された幽霊たちの奥深くも静かに美しきさまが喪われてしまうのも必定というものだろう。

2012/09/28

CG無用 おもしろうて やがて特撮博物館

 秋晴れの中、清澄白河の東京都現代美術館特設の「特撮博物館」(7月10日~10月8日)をようやく尋ねた。
 7月にはテレビの特番もあり、早く見たい行きたいとは願っていたのだが、猛暑の中、おっさんの列をなす(笑)展示会に行く気力体力がなかったのである。

 『エヴァンゲリオン』の庵野秀明が館長、平成ガメラシリーズの樋口真嗣が副館長。この「特撮博物館」のポイントは、決して過去のゴジラシリーズ、ウルトラシリーズへのオマージュではなく、喪われつつある技術「ミニチュア特撮」に対し、その内実と魅力を伝え、一人でも多くの実作者、せめて協賛者を募ろうとするもの、ということにある。
 したがって、展示物はゴジラやウルトラマンなどの当時の「映像」でなく、海底軍艦や戦闘機や破壊されるビルなど、とことん「物体」であり、かつそれを作成するにいたった絵コンテや技法である。

 展示後半の柱は、その技術を現代に再現した『巨神兵東京に現る』という短編映画。これは先に書いたとおり特撮という技術を実践してみせ、かつその後でそのカラクリを提示してみせることが目的なのだが、9分という短い尺の割に、作品として見る者を圧倒するだけの力があった。キレキレの平成ガメラシリーズを撮った樋口真嗣の嗜好、(意外や)舞城王太郎によるワードなどがナウシカともゴジラとも肌触りの違う独特の時間を演出してくれた。『巨神兵東京に現る』の上映の後でスタッフのインタビュー映像や作品に実際に使われた東京のミニチュアセット(中を歩き、撮影することができる)を見ることになるのだが、そこからもう一度『巨神兵』を見に戻ることはできない。通路は一方通行にできているのだ。残念。東京は炎上して今頃は腐海に沈んでいるのだからやむを得ないのだが。

 ところで、本作の巨神兵について、その細く前のめりなプロポーションが「まるきりエヴァ」との評を事前に見聞きしてはいたが、操演のテクニックなどを見るとこうなるのも必然と納得できた。ともかくいい出来である。いずれDVDなどで公開されることもあるだろうから(9分の作品をどうやって?)未見の方はぜひ大画面でご覧いただきたい。お口ギチギチ、バッ、のプロトンビームは強烈、東京の宙に吹き飛ぶ王蟲の姿が目に浮かぶのであった。

 その他の展示物としては(入口で「展示物が多いので音声ガイドをお奨めします」と案内があるほどで、とても語りきれないが)、海底軍艦についてのあれこれや、ウルトラシリーズの戦闘機一覧などに胸が躍った。はっきり言えば、モデルそのものは案外小さく、貧相といえば貧相である。しかし、それが映像の中に登場し、効果音や音楽が流れることであのような迫真的な存在感が得られたとしたなら、それは特撮という技術そのものを評価すべきだろう。

 ただ、この特撮博物館は、特撮という技術、その歴史を楽しく頼もしく伝えるものである一方、その技術が廃れ、見捨てられていった経緯をまざまざと示すものでもあった。それぞれの時代の作品はそれぞれの時代の子供たちを沸かせたものだったろうが、それでもこうして一望にしてしまうと、ある時代を境に、ミニチュア特撮が喫した敗北が見えてくる。
 しかし、それについて詳しく書くのは別の機会にしたい。

 ウィークデーの午前中からという時間帯にもかかわらず、どの展示物の前にも人がいっぱいで(多いのはやはり40前後のおっさんだが、女性の姿も意外や少なくなかった)、音声ガイド機1台に夫婦でヘッドホン2個つなぎ、順路に従うだけで3時間。
 図録は「特撮博物館」と「巨神兵東京に現る」の2分冊構成で2,700円。膨大な展示物の大半をカラー写真で掲載している大作。編集の苦労がしのばれる。出口前の土産コーナーで女房はケータイストラップにバルタン星人、自分は図禄のほか巨神兵をモチーフにしたメモにノートを購入。女房の目があるので穏やかに退館。

 清澄白河からの帰り、3つめの押上駅で降り、ソラマチの31階で遅い昼食をとった。
 ソラマチ8階のバルコニーのベンチでは、すぐ隣のスカイツリーを寝そべって見上げることができる。すでに日が傾いてまぶしい。スカイツリーは地上634m。初代ゴジラの10倍以上。

2012/02/23

美術探偵は舌先営業でニガヨモギ 『天才たちの値段 美術探偵・神永美有』 門井慶喜 / 文春文庫

Photo_2 先日紹介した『土井徹先生の診療事件簿』に比べれば、ミステリとしての純度は格段に高い。収録作の1つ「早朝ねはん」が日本推理作家協会の年鑑に選ばれるなど、品質も折り紙つきだ。が、いかんせん、見せ方売り方に難がある。単行本のタイトルが『天才たちの値段』、で、著者名が門井慶喜とくると、まるでどこぞの雑学ノウハウ本だ。文庫化に際してはそのあたりをかんがみたのか、「美術探偵・神永美有」のサブタイトルが付せられた。いやそれでもこのデザインではやはりどこぞの美術ウンチク本にしか見えない。何をやってるんだ文藝春秋。

 ……しかし、今回のテーマは本の売り方ではない。問題はミステリ短篇における探偵稼業の在り方である。

 本書の探偵は美術作品の鑑定を得意とする。詳しい、などというレベルではない。絵の真贋が舌、味覚でわかるというのだ。
 「もし贋物なら、見た瞬間、苦みを感じます。雑草を煎じたような嫌な苦みです。本物なら甘みをおぼえる」
 ほんとかよ!? ……なんて言ってもしようがありません、そういう設定なんだから。そして、彼、神永美有(かみながみゆう、作中ではほとんど代名詞でなく「神永」と記されているため「実は女性」オチかと思ったが、探したらごく一部「彼」と記載されていた)は、その特技を活かし、次々と難題に……。

 いや、この設定は、やっぱり苦しい。絵の真贋とは何か。レオナルドの描いた真作、それを模した贋作。では、レオナルドの弟子サライが師匠の作品を模したレダがあったなら、それはレオナルドの贋作なのか、美術史上貴重なサライの真作なのか。浮世絵の真作とは木版の原図のほうなのか、刷られた仕上がりのほうなのか。デュシャンの作品のいくつかは、どこまでが「真作」といえるのか……などなど。

 結局、神永美有の特異な能力はあっという間に目立たなくなり、連作は天才美術コンサルタントが深い知識と底知れぬ洞察力をもってワトスン役の短大美術講師を驚かせる、といういかにもな展開に落ち着いてしまう。
 くどいようだがミステリとして品質が低いわけではない。だが、最後の短篇までたどり着いたところで、そもそも美術作品の真贋を舌で感じ取れるという無理スジな設定なんてはたして本当に必要だったのか、と首を傾げざるを得ない。

 結局、冒頭の問題にたち戻ってしまう。見せ方、売り方に、難があるのだ。

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