カテゴリー「政治・経済・国際・法律・ビジネス」の22件の記事

2024/11/28

死体に語らせろ 『ポストモーテム みずほ銀行 システム障害 事後検証報告』 日経コンピュータ 著 / 日経ビジネス人文庫

Photo_20241128180301 同じ日経コンピュータによる『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」』(長い・・・)への感想は、率直に言わせていただくなら

  まるでパチンコ屋の新装開店の花輪のような

だった。根底にあるのは、2002年4月と2011年3月の二度の大きなシステム障害を経て、19年ごしに「勘定系システム」の刷新、統合がなって、「うむどうじゃ」「旦那ようござんしたね」というみずほと日経コンピュータの間の空気である。

そのため、その19年の「途中経過」、それにかかわった(とくに現場の)人々の苦労や浮沈については目をそらし、システムが仕上がった時点の役職者(発刊当時)のコメントばかりを並べ・・・。

こう書いて、やはり「新装開店の花輪」感は否めない。

そちらの本について、詳しくは以前の書き込みをご参照いただくとして、今回は続編にあたる『ポストモーテム みずほ銀行システム障害 事後検証報告』を取り上げたい。
今回もタイトルが長い。「postmortem」は「死後に起こること」、転じて「検死」あるいは「死体解剖」の意で、米国のIT企業ではシステム障害が発生した後に社内外の関係者と共有する事後検証報告書をこう呼ぶそうだ。

みずほ銀行は19年をかけて「勘定系システム」MINORIを刷新、統合したが(2019年7月)、それを祝う胡蝶蘭も片付く間のない2021年2月には大規模なシステム障害で巷を賑わし、さらにそれから12か月の間になんと都合11回ものシステム障害を連発した。
全国規模の金融機関として、尋常とは言い難い。
とくに2021年2月のトラブルは、ATMで処理をしようとした数千の顧客の手続きが停止し、しかもカードや通帳がATMから戻ってこない、電話対応も通じない、そのためトラブルに巻き込まれた顧客がATMの前で何時間も待ち続けざるを得ないという前代未聞の事件となった。

『ポストモーテム みずほ銀行 システム障害 事後検証報告』はこのトラブルを主に、さらにそれ以降のそれぞれのトラブルについて、システム環境、トラブルの原因について詳細な検証を重ね、重厚なレポートを提供してくれる。
冊子として見た場合、『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」』と明らかに違うのは、みずほ側の「心づもり」を極力排し、時系列に事象を列記した表などを活用し、現場で起こったこと、その因果関係を克明に列挙していることだろうか。

ただ、システム障害を詳細にレポートしようとすると、当然、情報システムについての専門用語が多用される。読み手からすれば「オペレーションのトラブル」と「オペレーション・システムのトラブル」が全く別レイアのトラブルを示す、といった類の知識、経験が必要となる。

本書では、たとえば

  勘定系システム
  サーバー
  コンポーネント
  DBMS(データベース管理システム)
  バッチ処理
  ストレージ
  メインフレーム
    ・・・などなど

こういったシステム用語が説明抜きに飛び交う。
これに加え、銀行の業務関連の用語、またシステム発注先の企業名やそれぞれのシステムのブランドなど、それぞれがハードウェアの名称なのか、サービスの名称なのか、システムやプログラムの一般呼称なのかブランド名なのか・・・
(烏丸はかつて特定のOS上で動作するリレーショナルデータベースシステムのパッケージ化にかかわったことがあるが、上記の用語それぞれをわかりやすく説明する自信はない。)

したがって、金融系システムの開発、運用にかかわらない者にとって本書は読んで難しく、価値のない・・・という話をしたいのではない。逆だ。

2021年2月のシステム障害について、本書は発生からの経緯を時系列に明らかにし、かつ、それぞれの局面における問題点を列挙する。すると、明らかになることがある。システムには対応の限界があり、一定以上の処理はこなせないかもしれない、ハードウェアは経年劣化で故障するかもしれない。事故はいずれ起こる。
問題はその後だ。

システム障害を検出するツール、部門はあるか。それは多重チェックとなっているか。障害が発生したら関係各所への連絡ルールはできているか。状況を顧客に告知する運用は用意されているか。などなど。

これらは、都市銀行の規模、金融システムに限った話ではない。
スーパーで欠品が出た、飲食店で食中毒が発生した、火事が起こった、5Gが落ちた、業種、規模を問わずシステム障害をバードビューで見ること、見る用意をしておくこと、、、

もちろん複雑化する現代のビジネス、とくに外に向けてコンポーネント化の進むサービスにおいて、これらを用意するのは言うは易し、行うは難しい。だが、みずほ銀行の例を読み解き、噛みしめることは決して無駄ではない。
システム開発、業務オペレーションの羅針盤としたい良書である。

2024/06/27

最近の政治について

「神宮外苑再開発」問題が、都知事選の争点どころか実は都民が口出しすべき事案ですらないと言えるシンプルな理由

という朝香豊氏の記事を読んだ。いくつか、「なるほど」と手を打つものがあった。
Yahoo!ニュースは日時とともに消えてしまう可能性があるので、引用すると、骨子は

> この再開発事業の事業主体は、東京都ではない。宗教法人明治神宮、独立行政法人日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事株式会社、三井不動産株式会社の4者である。そしてこの4者の中心に位置するのは、地主である宗教法人明治神宮だ。

それが記事タイトルにつながる、という指摘である。

ちなみに、烏丸はこの著者の言説が事実であるかどうか、原資料にあたっていないためまったく判断できない。なんとなく「その視点はなかった」「論理展開が面白い」と感じる次第である。
実際はこの4者に加えて都がなんらかの大きな働きを担っており、それに小池都政が陰に日向に力をふるっている可能性もとくに否定しない。

一番気になったのは、実は、後半の下記部分である。

> この話の原点は、おそらくは坂本龍一氏が、もともとの資本主義嫌いから、神宮外苑が私有地なのか公有地なのかも知らないまま、公的資金が使われないことも理解しないまま、さらに内苑と外苑の区別も付けない中で、貴重な森が失われると勘違いして、反対声明を出したまま亡くなってしまったことにあるのではないかと思う。

> 左翼的市民運動のアイコンとして重要な坂本龍一氏の考えを否定することは、左翼界隈ではタブーとなっている。そしてこの坂本龍一氏の遺志を継げとの対応は、その界隈の強い支持を集めるには、極めて重要だ。だから蓮舫はこれを争点化すると、ぶちあげざるをえなかったのだろう。

大手新聞が信用と部数を失い、テレビも左にならい、政府も地方自治体もさらには国連の機関すら信用ならないこの時代、なぜ専門家でもない一ミュージシャンの指摘がここまで担ぎ上げられるのか、それが不思議だ。
政治がイメージだけでポスターのように原色で塗りつぶされている。自己の主張への「検証」という濁りがない。

個人的な感傷ではあるが、かつて、70年代、烏丸がお付き合いのあった学生運動の残党の方々にはもう少し味があった。その言説に多少は「葛藤」と「躊躇」があったからである。

2023/05/18

『え、社内システム全てワンオペしている私を解雇ですか?』 漫画*伊於、原作*下城米雪、キャラクター原案*icchi / 主婦と生活社 PASH!コミックス

当節大流行の異界、転生モノのタイトルにはときどきとんでもなく長いものがある。
その方面にはあまり詳しくない我が庵でも、棚を探せば
  『最強勇者はお払い箱→魔王になったらずっと俺の無双ターン』
とか(「→」は「からの」と読むらしい)、
  『片田舎のおっさん、剣聖になる ~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~』
などという単行本がすぐに見つかる(いずれも、けっこう好き)。

ライトノベルやSNS起源の作品などでも同様のことが言える。

長いだけでなく、「、」「。」「?」「→」などの記号の使用も珍しくない。
そのうち一部のアスキーアートのようにタテヨコに文字や記号が並んで、ずれてしまうと意味が成り立たないタイトルなども登場するかもしれない(実際、「神社」を「ネ申ネ土」、「超絶核爆」を「走召糸色木亥火暴」と表記して強調する手法などは縦書きにしただけで台無しだ)。

\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ

Image1_20230518181201 SNSで発表された小説のコミカライズ化作品、『え、社内システム全てワンオペしている私を解雇ですか?』のタイトルは、凄い。

長いといえば長いのだが、これだけで内容の大枠がかなりのところまでわかってしまうのだ。

第一に、「社内システム全てワンオペしている私」はITエンジニアとして稀有なレベルで有能だということ。
第二、それほど有能な「私」なら、「解雇」されてもまあ転職はできたであろうこと。
第三、その「私」に「ワンオペ」させ、あげくに「解雇」してしまう会社がカラスの羽根よりブラックで、かつITエンジニアの評価に理解がないことは明らかだということ。
第四、その会社が物語の中でのちのち痛い目に遭うのは火を見るより明らかだということ。

実際、本作は上記四項、予測をたがわず、獅子欺かざる力を見せる。

・・・ところが、本作ではこれに加えて、タイトルでは予想のつかぬ一つの設定を利用して、それが物語に大きな笑いと充実を与えてくれる。
ただ、その一項が言ってみれば諸刃の剣で、そのために主人公「私」の絵柄がページによって描き分けられてしまい、ときに同じ人物に見えなくなってしまう。これがコミカライズの難点といえば難点。

主人公といえばちょっと不思議なのが、ヒロインの名が「佐藤愛」、相方が「田中健太」で、これはもう記号化というか意図的に没個性的な名前にしたとしか思えない。しかし物語中では二人とも思い切りキャラを立てて描かれているわけで・・・そのあたり、ちょっとわからない。

もう一つ、各章の登場人物、「小田原茂」と「本間百合」は物語の流れでは「佐藤愛」に救われたことになっている。
しかし、よく読んでみれば「小田原茂」は業務上はなんら改善を得られておらず、「本間百合」はモチベーションはともかく労働時間あたりの給与などむしろ改悪されている。
これではまるで野球部の精神論のようなものだ。それは大丈夫なのか?

などなど、IT業界あるある、を痛快に描いた本作。ときどき現れる大ゴマのアップも魅力的で、実に楽しい。

気をつけなくちゃいけないのは、もし本作を読んでも「何もわからない」方は、もしかすると気がつかないうちに取り残されているのかもしれない。いや、それならまだしも「加害者の側」にいるのかもしれない。

願わくば「努々省みるな 手おくれゆえ」(平沢進)などということになりませんように。

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まあ、普通の本にだって、長いタイトルはある。
本ブログで取り上げた本の中でも、
 『とんでもない死に方の科学 もし●●したら、あなたはこう死ぬ
なんてのはマシなほうで、
 『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」
なんかはどこがメインタイトルかわからなくて迷惑なレベルだ。

そういえば、その後もシステム上の不祥事の続くみずほ銀だが、そこにこそワンオペで「開発元も使用言語も用途も違うシステムをオルラビシステムひとつで連携できるようにした」佐藤愛が必要だったのだろうな、と思う。

2022/07/18

『ジェイソン流 お金の増やし方』 厚切りジェイソン / ぴあ

Photo_20220718171701 本書を(ブックオフでなく新刊で)手にしたのは、厚切りジェイソンの「ホワイジャパニーズピーポー!?」の芸が好きだから。
ことわざや漢字の細かなところをピックアップし、日本の文化を面白おかしくスライスしてくれる、それが脳に楽しい(ケモノを守ると書いて「狩」はおかしいだろ、とか、「七転び八起き」、数が合わないだろ、とか)。

そこで本書だが、まあ帯を含めてあちこちに書かれているのでその骨子をまとめてしまうと、
一に節約、二に節約、
「長期・分散・積立」
オススメは米国株インデックス
ほかの余計なことはするな!
そんな内容である。

これはこれで説得力はある。

現在、日本の銀行に定期預金しても、利子などATMの手数料にもならない。
さりとて個別株でデイトレードとなると新型コロナウイルス、ロシアによるウクライナ侵攻、20数年ぶりの円安、などなど予想外の逆波が相次ぐ昨今、個人にはハードルが高い。
安倍さん亡きあと、日経平均を30,000円台に戻してくれそうな政治家も見当たらないし。

ただ、まあ、投資というのはモノの捉え方次第、
たとえば年収が2,000万もあるなら、
一部は普段遣いで普通預金、
一部は投資信託なり国債なり、
一部は個別株、それもリクスを想定して分散買い・・・
そんなこともできるだろうが、
数年頑張って貯金して溜まったのが100万、という生活水準の場合、ジェイソン氏の言うとおりにインデックスファンドに投資して粘って結果的に倍になったとしてもせいぜいが200万。
これでは「将来の安心」は買えない。

株式投資で利益を上げようと思うなら手元にこれこれの原資がないと、という話をそのスジの方から聞いたことがある。
逆に、ある程度の原資があれば、よほど頭の悪い選択、よほど不運な市場のトラブルでもない限り、ある程度は利益を期待できるということだ。
ジェイソン氏にとって、その利益確保のための準備が節約、手法が米国株インデックスだった、ということ。

推奨する手法の幅こそやや狭いが、『ジェイソン流 お金の増やし方』はお金を増やすためのノウハウについてはそこらの雑な本に比べれば格段に誠実で、節約の仕方、投資の仕方などその理由、目的から細かい手続きまできちんと書き込まれている。その限りで1冊の本としては悪くない。読後感も気持ちよい。

難をいえばこれはあくまで「お金の増やし方」、言い換えれば「お金の溜め方」の本であって、「投資の仕方」の本ではない。その方面を期待する方には完全な肩透かしとなってしまうかもしれない。

また、1冊を通し、熱心ではあるが普通の語り口で、ジェイソン流「ホワイジャパニーズピーポー!?」のギャグ色はまったくなかったのが残念。

日本のお金、投資について、不思議をコラムの形でまとめるなど、いろいろ手はあったと思うのだけど。

ま、そういうことで。
いーじょう。

2022/02/28

ウクライナへの懸想文

Flag23g3p_20220307141301 自分では理由の説明がつかないが、ロシアの醸し出すものが好きだ。

ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、エセーニンガルシンチエーホフ、マルシャーク、プーシキン等々のロシア文学。ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、ボロディン、バラキレフ、チャイコフスキー、ストラビンスキー、ショスタコーヴィッチ、シチェドリンらの音楽。

なにか、根っこのところに強烈な共通点がある。

大地に根ざした、曇り空、貧しい、黒土、凍土、希望、絶望、土着、没落貴族、軍人、病的、サモワール、ソーニャ、ネルリ、スペードの女王、あしたあさはやく起こしてねおかあさん!

ただ、そのロシアの、政治形態が好もしいかといえば、それはちょっと別の問題だ。
それぞれの時代に、それぞれ問題があり、しかも独裁的、強圧かつ陰湿だ。

今、攻め込まれ、孤立無援のウクライナを思うと胸が痛む。
攻めているロシアを思うとまた悲しい。
自分がこんなにロシアやウクライナのことが気になる理由はよくわからない。
だが、どうやら昨日、今日、この紛争をきっかけにウクライナを気にし始めたわけではないらしい。

実際、このブログにも、こんなものをアップしていた(下に再掲)。
まるで、ウクライナへのラブレターだ。

ちなみに、ブログ公開の日付こそ2001年となっているが、城の石垣を一望する高校の教室でこれを書いたのは1970年代の中ごろのことだ。
高校生の自分は、何を思ってウクライナをうたったのだろう。記憶がない。
当時読んだ小説か何かに魅かれたのか。

いずれにせよ、ロシアの文化、そしてウクライナの大地は、今も変わらず僕を魅了する。
50年前も、今も、それは変わらない。

乗り切ってほしい、持ちこたえてほしい。
ウクライナ、僕はあなたたちを支援する。

 

    そしてごらん今は

  そしてごらん今は
  冬
  花も獣も蜜蜂の羽音も
  暗い土の奥底深く眠って
  枯れ草の残り香さえ絶えてしまった
  だけどごらん風が
  優しく
  おまえの肩に触れる
  淡い緑の芽にこがれて
  土を見つめて首をかしげるひとよ
  どうかごらんぼくの
  生命が弧を描いておまえの空を飛んでいる
  夢なのね
  とおまえは風にささやいた(もう一度)
  夢なのよ
  (夢ではない)
  ああそのかぼそい声の陰影に
  ぼくの生命が揺れる
  揺れる
  (夢ではない)
  だからごらんやがて
  ひと朝の雪解け水の甘さに
  ぼくは芽生えうたうだろう
  おまえの目のもと
  揺るぎないウクライナの黒土のうえに
  だからごらん今は
  冬
  だけれどもおまえの胸にはほうら
  ふるえるものが宿りはじめる
  ふるえるものが宿りはじめる


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(3/1 追記)
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』は荘厳な「キエフの大門」で幕を閉じる。
今、ロシア軍が迫りつつある、あの、キエフだ。

・・・偶然だとは思うが、NHKのクラシック音楽番組が、この2月、三度に渡って『展覧会の絵』を扱って耳に残った。

・2月6日 Eテレ「クラシック音楽館」
 ガエタノ・デスピノーサ指揮、NHK交響楽団演奏による『展覧会の絵』
・2月21日 BSプレミアム「クラシック倶楽部」
 フォーレ四重奏団による、珍しいピアノ四重奏の『展覧会の絵』
・2月22日 BSプレミアム「クラシック倶楽部」
 ゲルハルト・オピッツによるピアノ組曲『展覧会の絵』

演奏としては、いずれもムソルグスキーとしてはやや怨念というか土着性というか、そういうドロドロしたものに欠けているような気がしないでもなかったが(とくにN響)、それでも「キエフの大門」は「キエフの大門」だ。

メンバー3人のうち2人が亡くなって、もうライブ演奏は聞くことのできないエマーソン・レイク&パーマーの「キエフの大門」も後で聴こう。
まるで今回の紛争を描いたかのような歌詞。

 They were sent from the gates
 In the burning all are yearning
 For life to be

 There's no end to my life
 No beginning to my death
 Death is life

いや、生きてください。

2021/11/04

最近読んだ本から『カモフラージュ』『サカナとヤクザ』『隠れ名画の散歩道』

続けて、同じく最近読んだ本から。書評と言えるほどのものではないのでご了承ください。

Photo_20211104173701 『カモフラージュ』 松井玲奈 / 集英社文庫

作者が元アイドルであろうがなんであろうが、そのレッテルで作家としての素地、伸びしろに違いはない。ダメなやつはダメ、強いやつは強い。

主に働く若い女性や主婦を主人公とし、人と人との距離や角度を少し不気味に描いた本集は作者が誰であるかなど気にせずとも十分楽しめた。
落ち(?)が少しヌルいように感じられるものもあったが、作者の構築力から思い量るによりエグくするつもりならいくらでもできるものを、この程度のソフトランディングに調整したものと見る。

星新一や小松左京が元気だったころ、無名な若手のこういったショートショートがさまざまな雑誌に載っていたことを思い起こす。それは油断した読み手の足を軽くひっかける、だがときに致命的なマドラーであったように思う。
この作者の作品も甘く見るとあとで胃痛に苦しむ、かもしれない。

なお、このカタマリに「カモフラージュ」という箱の名を付けたことが秀逸。
というか、よく残っていたな、「カモフラージュ」。

Photo_20211104173702 『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』 鈴木智彦 / 小学館文庫

アワビ、ウナギ、ウニ、サケ、ナマコ・・・高級魚を食べると暴力団が儲かる、という仕組みを現場に潜り、冷たい汗熱い汗をかいてはまとめ上げたルポルタージュ。

名著『ヤクザときどきピアノ』──我が家ではいまだに夫婦のどちらかがダラけたことを口にすると「レイコ先生に叱られる」「レイコ先生は言いました」と引用が繰り返される──の著者の本当のお仕事がこれだ。

それにしても、この1冊書き上げるのにアンダーグラウンドに潜って5年、ノンフィクション作家の収入設計というのはどうなっているのだろう。

内容についての感想はあれこれあるが、ここでは少しだけ。

本書ではヤクザによる密漁が取り上げられているが、消費者からすれば近海遠海を国や漁業組合で勝手に分け合って他者の侵出を許さない現状はしょせん「シマ争い」にしか見えない。
こちらからすれば、サカナを滅さず、適度に安く、この2点を守ってくれるならそれでよい。

本文中、北海道の密漁について「ロスケ」の話題が出てきたので、わお! これは『ハロー張りネズミ』(弘兼憲史)の単行本9巻、10巻に出てきたあれですよ、あれ! ロスケ、レポ船、花咲ガニ。張りネズミをネタにたっぷり書評が書けそうだ。
・・・そう思っていたら張りネズミのことは大根仁氏の解説にすでに触れられていた。ちゃー。
ふて寝しよう。すん。

Photo_20211104173801 『隠れ名画の散歩道』 千足伸行 / 論創社

男を食い漁るファム・ファタルばかり描く作家、おでこがハゲあがってヒゲもじゃの妊産婦、地面に落ちた巨大な猫の顔、猿の好きな画家、雲の好きな画家、水のある静謐な風景、宮廷を走る男の説明のないサスペンス、、、

モネだピカソだセザンヌだといった著名どころでない、だが一種独特な魅力あるいは強烈な印象をたたえた絵画作品を見開き1作ごと紹介した1冊。
岩波の月刊誌「図書」の表紙を飾った作品群とのことで、言われてみれば本や読書にかかわる作品も少なくない。

添付の表紙、モデルの女性は明らかになっているのに作者は不明。ネットで調べると現在はある程度特定されているようだが、別の画家の名でヒットすることもある。
(ちなみにネット上で作者名が揺れている絵画作品は少なくないし、それどころか上下、あるいは左右が逆にアップされているものもよく見かける。ほんと? と思われる方はたとえば「elisabetta sirani portrait of beatrice cenci」「redon ophelia」で検索)

表紙を除く本文がすべてモノクロでの紹介なのが残念。だが、このIT時代、気になる画家、作品はネットで検索すればよい。その作品、その画家が気に入ればほかの作品も(もちろんより画質のよい画像ファイルを探し込んで)ダウンロード、フォルダに溜め込んでいく。

貯め込んだ画像ファイルはさらに選んでパソコンの壁紙にするもよし、CD-ROMに焼き込んで同好の士に送ってもよし。
そうしてときどきCD-ROMを送っていた相手が死んでしまった。
いつも愛想のよい返事をくれていたが本当のところどの程度喜んでいたのか、今となってはわからない。画像ファイルが溜まっても、もう送る先もない。

2020/03/16

『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」』 日経コンピュータ 山端宏実、岡部一詩、中田敦、大和田尚孝、谷島宣之 / 日経BP

Photo_20200316164901 発行前から楽しみにしていたビジネス書の一つ。
先に一読後の印象を書いておくと、
・みずほフィナンシャルグループ(FG)からの公式発表に基づく記載、いわば「きれいごと」が多く、システム開発の実情については具体性をあまり感じなかった
・3行合併直後の大規模障害を描いた第三部のみ、日経の書きっぷりが攻撃的でまあまあ面白い
といったあたりで、勉強になるところもなくはないが、要は期待したほどではなかった。

日経BPブックナビの紹介文を多少折り曲げ、切り張ると本書のあらあらは次のようなものとなる。

第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が統合したみずほFGにとって、1980年代に稼働した「第3次オンラインシステム」の全面刷新は、永年の悲願だった。
しかしシステム刷新は何度も挫折し、2002年と2011年には大規模なシステム障害を引き起こす。
「IT業界のサグラダファミリア」とまで呼ばれ、富士通、日立製作所、日本IBM、NTTデータを筆頭に1000社ものシステムインテグレーターが参加した「勘定系システム」の刷新・統合プロジェクトは2019年7月、ようやく完了にいたる。
本書では、みずほ銀行のシステム刷新がなぜこれほどまでに長引いたのか、そして今回はどうやって完了に導いたのかを説き起こす。

みずほFGのシステム刷新がなぜ苦戦したのか、それは、おそらく、本書のタイトルと同じことが起こったからではないか。
『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」』
だらだら似たような重みの煽りが列挙されて、どれがメインなのか。本書の著者には日経コンピュータの5人の名があがっているが、結局、本のタイトル、内容、その掲載順序を絞り込み、まとめることができなかったと見えて、議論途中に投げ出したようなタイトル、2017年の「勘定系システム」の完成から過去にさかのぼる意図のわかりにくい章構成。
ことほど左様に、みずほFGでも、3行それぞれの意向、役員レベルとシステム担当部門、利益の相反する大手インテグレーター、1000社におよぶ下請けの開発会社、それぞれの行員、社員──それらをうまくまとめるのが難しかった、ないし、できなかった、そういうことだったのではないか。

それでも、本なら、荒っぽく投げ出された素材が素材そのままで面白い、ということもときにはある。
だが、残念ながら本書はさほど面白くない。システム開発に本当に苦労し、体を壊し、あるいは家庭を壊し、あるいは辞めていった行員、システム開発者たちの本音、現場の声がまるで聞こえてこないからだ。後からなら、なんとでも言える。どうとでも、こうとでも。

こんなたとえはどうだろう、
19年かかってさまざまな犠牲のうえにようやく完成した大規模ダム。だが実際に恨まれつつ村を沈め、巨大なコンクリートの堰をこしらえた現場の者たちはすでに去り、その完成にあたって取材を受けているのが電力会社の背広族だとしたら。
(実際、大きなプロジェクトではこういったことが決して珍しくない。誇らしげに新製品の開発談話を語っている大手企業役員に「あんた、企画段階ではいなかったやんけ」と言いたかったことが、少なくともいくたびか、ある)

ほかにも、多々、苦笑いのもれるところが本書にはある(注:ここでいう苦笑いは、文字通り苦々しい笑い、という意味である)。

たとえば2011年の大規模システム障害を受けて、みずほFGは一年間にわたり再発防止策に取り組んだ。
その象徴が『データフロー図』を作成したことだ」(179ページ)
おわかりだろうか。みずほFGでは(でも?)、システム担当者はそれまでデータフロー図、すなわち業務全体の流れを一つの書式にまとめたものなしにシステムを構築させられていたのだ。
これはほかの会社でもままあることで、役員や営業、オペレーション、顧客対応部門の多くは(文系の社員の多い部門はとくに、と言い添えてもよい)、システムなどというものは誰かが勝手に設計し、作ってくれるものと考えている。どういう場合にどこからどうデータを流すのか、イレギュラーはどんな場合、と関連各部署を聞いて歩き、業務フロー、マニュアルを作るのはたいていシステム担当部署の仕事であり(おうおうにしてそのヒアリングさえ煩がられたりする)、使い手にあたる各部門はシステムがある程度見えてきたところで身勝手な手直しを要求するばかり。
ついでにいうと、個人顧客部門は誰でも使える簡便、統合な仕様を求め、法人部門はイレギュラーに対し底なしに融通のきくシステムを求める。その前に要件定義を出しましょう。

ほかにも突っ込みたいことは少なくないが、キリがないので置く。

とりあえずの印象として、今回のシステム刷新はなんとか完了したもようだが、現在の反省が受け継がれるかというと正直難しいと思う。次に大きな改修が必要となったとき、また予定外の大きな手間と経費がかかるのは想像にかたくない。
また、みずほFGが今回のシステム刷新をベースに業務のディジタル化、またIT投資に大きく、あるいは巧みに打って出られるような気はあまりしない。

なにしろ、システム完成後の社長のインタビューに、
チェック項目は何千にも上ります。それぞれの作業部会やタスクフォースがチェックして書類にハンコを押してあります」(119ページ)
そうですか、書類もハンコもディジタル化されていないのですか。そうですか。

2013/04/06

「コウダクミ」を漢字で書きなさい 『地アタマを鍛える スゴイ就職試験』 盛田珠実 / 講談社

Photoアベノミクス、さらには日銀による新たな金融緩和の導入によって日経平均株価は急騰しているが、一方学生の就職は……。
とかいった社会的考察まったくなしに、表題の本を買ってきてしまった。どこかで見かけた内容案内が面白そうだったからである。

「徳光和夫さんを10代のアイドルに仕立てる方法を考えなさい」(日本テレビ)、「火星人はどんな生活をしていると思いますか。イラストにして説明してください。制限時間は3分です」(ライブレボリューション)、「面接官が突然、『窓を開けておいてください』と言って退出。しかし、見渡してもその部屋には窓はありません」(リーマン・ブラザーズ)など、発想やアイデアを鍛える就活試験の良問100問を解説付きで紹介

ほかにも、ユニークな問題、奇天烈な問題があまた掲載されており、実際の就活に役立つかどうかは知らないが、寝っ転がってパラパラ読む分には実に楽しい。

「あなたは国王です。自分の国の国歌を作りなさい」(日本テレビ)
「作文・論文『わ』」(世界文化社)
「日本に犬は何匹いますか?」(マッキンゼー)
「2分間で、箸で大豆を右から左に何個動かせるか」(おおむら夢ファーム シュシュ)

奇抜な問題だけでなく、面談の場で問われたら絶句しそうな論理的問題、知識や計算力を問われる難問などもあれこれ紹介されている。
就職試験とは、純粋に力量を確認する面と、あとは要するにその人物の人となりの確認である。珍問奇問に正解があるとは限らず、そういう問題を出されたときにいかに対処するかを見る、ということだろう。

窓のない部屋で窓を開けておけと言われ、壁に椅子を投げつけた受験生がいたそうだ。その人物が合格したかどうかは知らないが、そのような受験生が集った会社の顛末があれかと思うと笑えない。

また、本書は奇数ページに試験問題、その裏にさらりと解説という体裁で、その解説はおおむね可もなく不可もないのだが、

「私を目の不自由な人だと仮定して『青』を説明してください」(ブーズ・アレン・ハミルトン)

に対する著者の回答に限れば、つまらないよりほんの少し不愉快のほうに針が揺れた。

2006/02/22

『裁判大噴火』 阿曽山大噴火 / 河出書房新社

503【弁護人「今日喋れば明日も喋らせてくれるって。よかったね」】

 nikkansports.comに昨年8月から毎週月曜掲載されている阿曽山大噴火の「裁判Showに行こう」が面白い。

 たとえば今週は,プロを目指すアマチュアバンドのメンバー3人が,ギター担当の男性に,練習しない,準備が悪いなどと言ってロープで縛って殴る,下腹部にライターの火を押し付ける等の暴行を加えたという事件。
 事件そのものもショボいが,そのショボい事件の裁判から漂うマヌケさが切なさに転じて,なんとも不思議な味わいをかもし出している。

 執筆は阿曽山大噴火(あそざん・だいふんか)。サイトの紹介によると

本名:阿曽道昭。1974年9月12日生まれ、山形県出身。大川豊興業所属。趣味は、裁判傍聴、新興宗教一般。チャームポイントはひげ、スカート。裁判ウオッチャーとして数多くの裁判を傍聴。…(中略)…また、ファッションにも独自のポリシーを持ち、“男のスカート”にこだわっている。定住する家を持たない自由人。パチスロと裁判傍聴で埋めきれない時間をアルバイトで費やす日々。

なる人物。
 写真を見ればスキンヘッドにひげにスカート,はっきり言って「異形」「あやかし」の体だが,意外やその傍聴記は良識と穏やかな目線が身上で,美文とは言いがたいもののごく自然な立ち位置から事件の異様さ,容疑者の愚かさ,被害者への同情,そして裁判官や検察官,弁護人,あるいは傍聴人のおまぬー加減までさらりと描いて秀逸だ。

 同じ筆者による単行本『裁判大噴火』が河出書房新社から出ているというので,遅ればせながら取り寄せて読んでみた。
 やはり面白いのは,さまざまな裁判の傍聴記。
 オウム真理教代表・麻原彰晃こと松本智津夫がスキンヘッドの筆者を信者と勘違いしたか手を振ってきたというエピソードや,その麻原被告のだんまりに苦戦する弁護士団(かたや脱力しまくる裁判官),石原裕次郎の弟を自称する詐欺師と裁判官のとほほなやり取り,痴漢の被告人に対しオーバーヒートする熱血検察官,あるいは方言あふれる地方裁判所の呑気な雰囲気などが出色。

 ただ,一読後食い足りない気分になるのは,本の造りが甘いからだろうか。
 たとえば表紙の写真は日本司法博物館(松本市)の明治時代の法廷を再現したものらしいが,「被告人席」等の文字を読まなければ法廷には見えない。そもそも本の中身が固い内容なのかお笑いなのか,方向性もよくわからない。──つまりは表紙写真として機能していないのだ。
 あるいは,巻頭,裁判所の規定や傍聴の仕方の説明にページを割いているのだが,親切といえば親切,エッジが立たないといえば立たない印象。これらそう面白くない解説部分は後ろのほうにコラム的にでも挿入されていれば十分だったのではないだろうか。
 表紙,掲載順,見出しデザインなど,DTP化の進んだ昨今なら簡単廉価に工夫できたはずのものばかり。編集者に恵まれなかったのだろうか。

 まあそれはともかく,訴訟,裁判というものは,いざ犯罪やトラブルに巻き込まれたときの最後の砦のようなイメージがあるが,阿蘇山大噴火の傍聴記からうかがえるのはいかにも人間くさい,どちらに転ぶも参加者(裁判官,検察官,弁護人)や展開次第だということ。
 もめ事の際にうかつに「訴えてやる!」と騒いでも,それはいたずらに泥沼を招くだけかもしれない。

 ところで,かくいう烏丸も,一度だけ裁判を傍聴した経験がある。
 もうずいぶんと昔……厚顔,もとい紅顔の美少年の頃。社会科の教諭に連れられてわれらいたいけな中学生1クラス,どこへ向かうとも知らず地方裁判所に連れて行かれたあれは晩春の午後だったか。たまたま覗いた刑事裁判の被告人が,剃り込みの後も青々と,ごっつい首のうしろに肉が段々の,いかにもその方面そのスジの方。まだ新品の制服が歩いているような学帽集団であふれる傍聴席をときどき振り向いては「なんやこのガキども」の目つきもすうと細く,途中からの入廷で何がなんだかわからぬもののやがて響いた「刃渡り三十センチ」という裁判官の甲高い声ばかりが今も耳に残っている。被告人はその三十センチでいったい何をなさったのであろう。

 ことほどさよう,裁判はせいぜい本で読むのがよろしくて,できれば当事者にはなりたくないと重ねて思う次第。

2005/06/06

ライトといえば最近の新書 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』 山田真哉 / 光文社新書

Photo【利益を出すためにはふたつの方法しかなく】

 ライトといえば,最近の新書が軽い。

 従来,新書といえば
   岩波新書 (1938年~)
   中公新書 (1962年~)
   講談社現代新書 (1964年~)
の3シリーズが代表的で,ビール業界に近い寡占状態だった。ところが1994年のちくま新書発刊を嚆矢として,主だった出版社がこぞって参入にいたり,現在までにPHP新書,KAWADE夢新書,文春新書,平凡社新書,集英社新書,新潮新書など20数シリーズが市場に投入されている。いわゆる平成の「新書戦争」である。

 その新書戦争勃発後の新書だが,乱暴にまとめればその特徴は「軽さ」につきる。
 かつて,ケインズだの唐詩だの構造主義だのヒロシマだのといった社会学,経済学,哲学等,重厚かつ学究的なテーマを競った新書の姿は今はなく,執筆陣は変わらず各界の専門家ではあるものの,ライトでスマートな読み応えがいかにも現代ふうである。
 過去の著書ですでに何度も主張した内容を口述筆記で読みやすく採録し,空前のベストセラーとなった養老孟司『バカの壁』などはその典型といえるだろう。

 大学の教養課程の教科書に使われたような初期の岩波新書などに比べて,最近の新書は集中すれば30分もあれば読み切れるものが少なくない。だが,それをただ中身が薄いと見下すのはあたらないだろう。むしろ,ほんの数十分で貴重な知識やモノの考え方のサワリを賞味できることを喜ぶべきである。
 小説において「ライトノベル」が一ジャンルをなしているように,「ライト新書」とも言うべきカテゴリーがすでに起ち上がっているとするのが妥当と思うのだがどうだろうか。

 さて,そんな最近の新書のベストセラーの1冊『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』は,身近な疑問を検討することによって読者を「会計」にいざなうものである。
 「いざなう」という言葉を選ぶには少しばかり検討に時間をかけた。少なくとも「入門」ではない。「入門」にはいたらないのだから。
 本書に目を通しても財務諸表の見方がわかるわけではない。「機会損失」,「キャッシュ・フロー」,「連結経営」といった言葉は説明されるが,公認会計士の資格をとるための勉強になるかといえばまず無理だろう。

 だが,町を走るさおだけ屋はなぜ潰れないのか,ベッドタウンの高級フランス料理店の経営はどうなりたっているのか,ワリカンの支払い役はなぜ有利なのか,といった身近な例をいくつもたてて経営を語る著者の語り口は十二分に興味深く,「会計の世界もなかなか面白く,また役に立ちそうだぞ」と思わせてくれる。
 「入門」以前の,ハッピを羽織っての「呼び込み」本とでもいうべきか。

 また,本書に紹介された事例の多くは会社や店舗の経営の基本中の基本であり,経営者はもちろん,サラリーマンや学生にしてもここに書かれた内容を把握しておいて決して損はしないだろう。
(もちろん,仕事や学業で何か判断が必要になった際に本書に書かれていたことを思い出そう,というほどのことであって,間違ってもこの程度の知識を直接ひけらかしてはいけない。生兵法は禁物である。)

 軽妙にしてバランス感覚にあふれた著者の山田真哉氏は『女子大生会計士の事件簿』の著者でもある。「会計」の世界は少なくとも稀有な広報担当者を得たようだ。