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カテゴリー「政治・経済・国際・法律・ビジネス」の15件の記事

2013/04/06

「コウダクミ」を漢字で書きなさい 『地アタマを鍛える スゴイ就職試験』 盛田珠実 / 講談社

Photoアベノミクス、さらには日銀による新たな金融緩和の導入によって日経平均株価は急騰しているが、一方学生の就職は……。
とかいった社会的考察まったくなしに、表題の本を買ってきてしまった。どこかで見かけた内容案内が面白そうだったからである。

「徳光和夫さんを10代のアイドルに仕立てる方法を考えなさい」(日本テレビ)、「火星人はどんな生活をしていると思いますか。イラストにして説明してください。制限時間は3分です」(ライブレボリューション)、「面接官が突然、『窓を開けておいてください』と言って退出。しかし、見渡してもその部屋には窓はありません」(リーマン・ブラザーズ)など、発想やアイデアを鍛える就活試験の良問100問を解説付きで紹介

ほかにも、ユニークな問題、奇天烈な問題があまた掲載されており、実際の就活に役立つかどうかは知らないが、寝っ転がってパラパラ読む分には実に楽しい。

「あなたは国王です。自分の国の国歌を作りなさい」(日本テレビ)
「作文・論文『わ』」(世界文化社)
「日本に犬は何匹いますか?」(マッキンゼー)
「2分間で、箸で大豆を右から左に何個動かせるか」(おおむら夢ファーム シュシュ)

奇抜な問題だけでなく、面談の場で問われたら絶句しそうな論理的問題、知識や計算力を問われる難問などもあれこれ紹介されている。
就職試験とは、純粋に力量を確認する面と、あとは要するにその人物の人となりの確認である。珍問奇問に正解があるとは限らず、そういう問題を出されたときにいかに対処するかを見る、ということだろう。

窓のない部屋で窓を開けておけと言われ、壁に椅子を投げつけた受験生がいたそうだ。その人物が合格したかどうかは知らないが、そのような受験生が集った会社の顛末があれかと思うと笑えない。

また、本書は奇数ページに試験問題、その裏にさらりと解説という体裁で、その解説はおおむね可もなく不可もないのだが、

「私を目の不自由な人だと仮定して『青』を説明してください」(ブーズ・アレン・ハミルトン)

に対する著者の回答に限れば、つまらないよりほんの少し不愉快のほうに針が揺れた。

2006/02/22

『裁判大噴火』 阿曽山大噴火 / 河出書房新社

503【弁護人「今日喋れば明日も喋らせてくれるって。よかったね」】

 nikkansports.comに昨年8月から毎週月曜掲載されている阿曽山大噴火の「裁判Showに行こう」が面白い。

 たとえば今週は,プロを目指すアマチュアバンドのメンバー3人が,ギター担当の男性に,練習しない,準備が悪いなどと言ってロープで縛って殴る,下腹部にライターの火を押し付ける等の暴行を加えたという事件。
 事件そのものもショボいが,そのショボい事件の裁判から漂うマヌケさが切なさに転じて,なんとも不思議な味わいをかもし出している。

 執筆は阿曽山大噴火(あそざん・だいふんか)。サイトの紹介によると

本名:阿曽道昭。1974年9月12日生まれ、山形県出身。大川豊興業所属。趣味は、裁判傍聴、新興宗教一般。チャームポイントはひげ、スカート。裁判ウオッチャーとして数多くの裁判を傍聴。…(中略)…また、ファッションにも独自のポリシーを持ち、“男のスカート”にこだわっている。定住する家を持たない自由人。パチスロと裁判傍聴で埋めきれない時間をアルバイトで費やす日々。

なる人物。
 写真を見ればスキンヘッドにひげにスカート,はっきり言って「異形」「あやかし」の体だが,意外やその傍聴記は良識と穏やかな目線が身上で,美文とは言いがたいもののごく自然な立ち位置から事件の異様さ,容疑者の愚かさ,被害者への同情,そして裁判官や検察官,弁護人,あるいは傍聴人のおまぬー加減までさらりと描いて秀逸だ。

 同じ筆者による単行本『裁判大噴火』が河出書房新社から出ているというので,遅ればせながら取り寄せて読んでみた。
 やはり面白いのは,さまざまな裁判の傍聴記。
 オウム真理教代表・麻原彰晃こと松本智津夫がスキンヘッドの筆者を信者と勘違いしたか手を振ってきたというエピソードや,その麻原被告のだんまりに苦戦する弁護士団(かたや脱力しまくる裁判官),石原裕次郎の弟を自称する詐欺師と裁判官のとほほなやり取り,痴漢の被告人に対しオーバーヒートする熱血検察官,あるいは方言あふれる地方裁判所の呑気な雰囲気などが出色。

 ただ,一読後食い足りない気分になるのは,本の造りが甘いからだろうか。
 たとえば表紙の写真は日本司法博物館(松本市)の明治時代の法廷を再現したものらしいが,「被告人席」等の文字を読まなければ法廷には見えない。そもそも本の中身が固い内容なのかお笑いなのか,方向性もよくわからない。──つまりは表紙写真として機能していないのだ。
 あるいは,巻頭,裁判所の規定や傍聴の仕方の説明にページを割いているのだが,親切といえば親切,エッジが立たないといえば立たない印象。これらそう面白くない解説部分は後ろのほうにコラム的にでも挿入されていれば十分だったのではないだろうか。
 表紙,掲載順,見出しデザインなど,DTP化の進んだ昨今なら簡単廉価に工夫できたはずのものばかり。編集者に恵まれなかったのだろうか。

 まあそれはともかく,訴訟,裁判というものは,いざ犯罪やトラブルに巻き込まれたときの最後の砦のようなイメージがあるが,阿蘇山大噴火の傍聴記からうかがえるのはいかにも人間くさい,どちらに転ぶも参加者(裁判官,検察官,弁護人)や展開次第だということ。
 もめ事の際にうかつに「訴えてやる!」と騒いでも,それはいたずらに泥沼を招くだけかもしれない。

 ところで,かくいう烏丸も,一度だけ裁判を傍聴した経験がある。
 もうずいぶんと昔……厚顔,もとい紅顔の美少年の頃。社会科の教諭に連れられてわれらいたいけな中学生1クラス,どこへ向かうとも知らず地方裁判所に連れて行かれたあれは晩春の午後だったか。たまたま覗いた刑事裁判の被告人が,剃り込みの後も青々と,ごっつい首のうしろに肉が段々の,いかにもその方面そのスジの方。まだ新品の制服が歩いているような学帽集団であふれる傍聴席をときどき振り向いては「なんやこのガキども」の目つきもすうと細く,途中からの入廷で何がなんだかわからぬもののやがて響いた「刃渡り三十センチ」という裁判官の甲高い声ばかりが今も耳に残っている。被告人はその三十センチでいったい何をなさったのであろう。

 ことほどさよう,裁判はせいぜい本で読むのがよろしくて,できれば当事者にはなりたくないと重ねて思う次第。

2005/06/06

ライトといえば最近の新書 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』 山田真哉 / 光文社新書

Photo【利益を出すためにはふたつの方法しかなく】

 ライトといえば,最近の新書が軽い。

 従来,新書といえば
   岩波新書 (1938年~)
   中公新書 (1962年~)
   講談社現代新書 (1964年~)
の3シリーズが代表的で,ビール業界に近い寡占状態だった。ところが1994年のちくま新書発刊を嚆矢として,主だった出版社がこぞって参入にいたり,現在までにPHP新書,KAWADE夢新書,文春新書,平凡社新書,集英社新書,新潮新書など20数シリーズが市場に投入されている。いわゆる平成の「新書戦争」である。

 その新書戦争勃発後の新書だが,乱暴にまとめればその特徴は「軽さ」につきる。
 かつて,ケインズだの唐詩だの構造主義だのヒロシマだのといった社会学,経済学,哲学等,重厚かつ学究的なテーマを競った新書の姿は今はなく,執筆陣は変わらず各界の専門家ではあるものの,ライトでスマートな読み応えがいかにも現代ふうである。
 過去の著書ですでに何度も主張した内容を口述筆記で読みやすく採録し,空前のベストセラーとなった養老孟司『バカの壁』などはその典型といえるだろう。

 大学の教養課程の教科書に使われたような初期の岩波新書などに比べて,最近の新書は集中すれば30分もあれば読み切れるものが少なくない。だが,それをただ中身が薄いと見下すのはあたらないだろう。むしろ,ほんの数十分で貴重な知識やモノの考え方のサワリを賞味できることを喜ぶべきである。
 小説において「ライトノベル」が一ジャンルをなしているように,「ライト新書」とも言うべきカテゴリーがすでに起ち上がっているとするのが妥当と思うのだがどうだろうか。

 さて,そんな最近の新書のベストセラーの1冊『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』は,身近な疑問を検討することによって読者を「会計」にいざなうものである。
 「いざなう」という言葉を選ぶには少しばかり検討に時間をかけた。少なくとも「入門」ではない。「入門」にはいたらないのだから。
 本書に目を通しても財務諸表の見方がわかるわけではない。「機会損失」,「キャッシュ・フロー」,「連結経営」といった言葉は説明されるが,公認会計士の資格をとるための勉強になるかといえばまず無理だろう。

 だが,町を走るさおだけ屋はなぜ潰れないのか,ベッドタウンの高級フランス料理店の経営はどうなりたっているのか,ワリカンの支払い役はなぜ有利なのか,といった身近な例をいくつもたてて経営を語る著者の語り口は十二分に興味深く,「会計の世界もなかなか面白く,また役に立ちそうだぞ」と思わせてくれる。
 「入門」以前の,ハッピを羽織っての「呼び込み」本とでもいうべきか。

 また,本書に紹介された事例の多くは会社や店舗の経営の基本中の基本であり,経営者はもちろん,サラリーマンや学生にしてもここに書かれた内容を把握しておいて決して損はしないだろう。
(もちろん,仕事や学業で何か判断が必要になった際に本書に書かれていたことを思い出そう,というほどのことであって,間違ってもこの程度の知識を直接ひけらかしてはいけない。生兵法は禁物である。)

 軽妙にしてバランス感覚にあふれた著者の山田真哉氏は『女子大生会計士の事件簿』の著者でもある。「会計」の世界は少なくとも稀有な広報担当者を得たようだ。

2004/12/21

最近の新刊から 『女子大生会計士の事件簿(1)(2)』 山田真哉 / 角川文庫

9821【今度の仕事は五年分の数値を打ち込んで〈年次推移表〉を作成し,その変動を見るという〈分析的手続〉だ。】

 すでにお気づきのことかと思うが,不肖この烏丸,学習マンガが好きだ。「好き」というより「スキスキッ」とライトでスプライトなフェイバリットである。
 さまざまなジャンルの知識を提供するという建付けの中,たとえば,口の立つ少女に圧倒されてばかりの少年が,挽回せんとことごとにムキになる。そんな微笑ましくも幼い恋愛絵巻が懐かしく,愛しい。

 角川からこの秋に文庫化された『女子大生会計士の事件簿』は,マンガではないが,そんな味わいたっぷりの逸品である。

 今回文庫化されたのはすでに4巻発行されている単行本から
   DX.1 ベンチャーの王子様
   DX.2 騒がしい探偵や怪盗たち
の2冊。それぞれ書き下ろしが加えられていたり,「やさしい会計用語集」「英語で学ぼう会計用語集」,さらには登場人物たちによる各編のまとめや読者からの質問コーナーまで用意されて,まことににぎやか・なごやか・まことしやか。

 おっと,肝心の本編についての紹介が後回しになってしまった。
 『女子大生会計士の事件簿』は,現役女子大生で「公認会計士」の〈萌さん〉こと藤原萌実と新米「会計士補」の〈カッキー〉こと柿本一麻がコンビを組んで訪れる監査の先々で,粉飾会計,会社乗っ取り,クーポン詐欺,領収書偽造,原価率操作,インサイダー取引など会計にかかわる謎や事件を解決し,それによって会計の仕組み,会社の仕組みを教えてくれる,というものだ。
 もちろん,こんな軽い短編やその注釈を読んだだけで会計の仕組みがわかるほどその世界は甘くないだろう。それでも会計,経理にうとい者には「なるほど,そだったのか!」と膝を打つ点も少なくない。
 各編に取り上げられた事件は他愛ないといえば他愛ないが,なにしろ素材がバラエティに富んで飽きることがない。1冊1時間もあれば読み終わるライトノベル感覚だが,そのバラエティ,人物の爽やかさをもって,十分再読に耐える。

 とくに「DX.2 騒がしい探偵や怪盗たち」に掲載された「監査ファイル6 〈十二月の祝祭〉事件 ──数字の話──」は,萌実がなぜ若くして公認会計士の道を目指したかを解き明かすちょっぴりハートフルな物語となっていて泣ける。「ちょっぴり」「ハートフル」などという言葉は性分がら使いたくないのだが,ほかによい言葉が浮かばない。

 難をいえば,萌実が「あれ~、そうだったかしら~?」等,セリフの中で「~」や「…」を連発するのが少し目障りな印象。キュートでおじさん受けがよく,利発で聡明,キャラは十分立っているのだから,仕事の現場での会話はもう少しきりっとしたものでよかったのではないか。

 なお,文庫カバーの久織ちまきのイラストは秀逸。迷ったが,ここではDX.1の表紙を転載することにした。かわゆい……。
 ちなみに某社の監査にたずさわる会計士と言えば……言わぬが花のサンフランシスコ・ザビエル。

2004/07/18

[雑談] UFJと東京三菱が統合?

 また,銀行名,変わるんですか……?

 現在とその直前の行名はたとえばこちらのページなど見ればわかるんですが,割合詳しめのこの表だって,そもそもは
  第一銀行+日本勧業銀行
   ⇒ 第一勧業銀行
とか,
  協和銀行+埼玉銀行
   ⇒ 協和埼玉銀行
   ⇒ あさひ銀行
あるいは,
  神戸銀行+太陽銀行
   ⇒ 太陽神戸銀行
そして
  三井銀行+太陽神戸銀行
   ⇒ 太陽神戸三井銀行
   ⇒ さくら銀行
とかいうのを省略しているわけで……。

 我が家には,学生時代に住んでいた池袋の第一勧銀の通帳とか,以前会社のビルの近所にあった富士銀行高輪支店(もうない)の通帳とかがあって,始末に困ります。
(とっくに扱いが停止しているのかもしれないし,そもそも残金もカードでおろせない数十円,数百円しかないに違いないのだけれど,廃棄するとお金の神様のバチが当たりそう)

 以前は,銀行が統合したり,支店が統廃合されると,その都度連絡がきて,通帳やカードをリメークしなくてはならなかったように記憶しているのですが,最近は「銀行なんてそのうち名前も場所も変わるもの」という意識が当たり前になったのか,そもそも全顧客に連絡していたら金がかかってしかたないせいなのか,ほったらかしですね(普通預金しかしてないから連絡こないのかな? まぁこの利率では定期にするメリットも感じませんが)。
 手間はかからなくていいのだけれど,そうなったらそうなったで,たとえば三和銀行のカードをなくした! というとき,どこに電話すればよいか,とっさに出てこないのがやっかい。戦前とかは別として,1970年ぐらいから後の統合,再編について,一望にできる図があるといいですね。

 それにしても,安全のために預金先を振り分けても,振り分け先が勝手に統合しちゃうのはかないませんね。もっとも,メガバンクが倒れたとき,銀行側が名寄せするのも大変そうです。

 ふと思ったこと。
 現役の銀行員で,当人が入退職したわけでもないのに勤務先の行名が最も変わった人って,どの銀行の,誰なんでしょう? 太陽 ⇒ 太陽神戸 ⇒ 太陽神戸三井 ⇒ さくら ⇒ 三井住友,これで5銀行。もっと変わった(なおかつリストラされずに頑張ってる)人っているんでしょうかね?

【おまけ】

 松任谷由実が,全盛期のインタビューで

 「あたしが売れなくなるのは,都市銀行がつぶれるような時代になるってこと」

というなかなかゴージャスな発言をしたそうで,これが実は予言として的中していたというのはなかなか考えさせられます。

【おまけ その2】

 そういえば,カラスは「UFJ」が何の略だか,結局知らないまま終わりそうです。いや,別に,教えてほしいということではありません。その程度のお付き合いなんだな,と思っただけ……。

2004/02/08

『社長をだせ!ってまたきたか! “あっちでもこっちでも”クレームとの死闘』 川田茂雄 監修,森 健 取材・文 / 宝島社

0701【ふつうのキャンディであれば,何も問題はないでしょう? 犯罪ではありませんよ】

 前作『社長をだせ! 実録 クレームとの死闘』に負けず劣らず,いや,個人的には前作より幾段か面白く読みました。
 カスタマーサポートに少しでもかかわる方,商品戦略にかかわる方,営業にかかわる方,どなたにもオススメ……というありきたりの推奨文のほか,中高生の課題図書にして感想文書かせるてはどうか,なんてことも考えてしまいます。

 前作では著者川田茂雄氏個人の経験を中心に,カメラ製造会社に寄せられるクレームの実態とそれに対する対策が詳細に語られたのに比べて,今回は「食品製造,書店,電気機器メーカー,旅行代理店,定食チェーン,ファミリーレストラン,通信販売,テレビ放送,量販店……」とさまざまな業種のお客様相談室,サポートセンターの担当者にルポライターの森 健氏がインタビュー,そしてそのそれぞれに川田氏のコメントが付く,という構成になっています。

 本来サポート担当者というのは,契約上,業務の裏事情を語ってはならないことになっており,インタビューの了解を得るのは非常に難しかったと想像されますが,それで得られた本書の各章の内容は,かなり実態に即した内容ではないかと想像されます。そして,さまざまな業種を並べたことが,単にバリエーションが増えただけでない,構造的な面白さにつながっているのです。
 どういうことかというと,前作がいわば川田氏のワンマンショーであったのに対し,今回はサッカーや野球のように,さまざまなプレイングスタイルのサポート担当者が,ディフェンス,オフェンス,時と所を変えながらさまざまなクレームに対応するわけです。ファミレスと家電量販店ではそもそもクレームの種類や質も異なりますし,受ける側もその対応はさまざま。本書に展開する世界は,野球やサッカーのような集団競技のようであり,ルール不在の異種格闘技のようでもあります。

 野球やサッカーのチームに優れた選手とそれほどでもない選手がいるように,非常にクレバーで冷静な担当者,温かみのある対応をするサポート担当者,自分が客の立場ならクレーマー扱いされて不愉快な思いをしそうな担当者などさまざま。サポート担当者側からみての勝ち負けだけでなく,そもそも問い合わせをしてきた客のほうが正しいように思われる,つまり決してクレームとは思えないエピソードさえあります。
 また、単にクレーム対応だけでなく,その企業の顧客への意識そのものが透けて読める面もあり,カメラ製造,販売の経験から語る川田氏の分析が,必ずしも彼らの対応とマッチするとは限らないところも微妙な味わいです。

 クレームの種類も,意図的に謝礼や金銭を狙ってくるものから,寂しさや自己顕示欲から電話を何度もかけてくるもの,どこか歪んだというか壊れた精神状態を感じさせるものなどいろいろで,カメラ業界に限定された前作より「人の業」を感じる例が少なくありません。
 個人的には書店のレジで起こるトラブルのいくつかに胸を打たれます。本来出版物というのは薄利多売で利益を上げるもので,顧客対応に時間や経費をかけるのはたいへんやっかいなのですが,本書に登場した大手書店チェーンの担当者の方の対応には出版の見果てぬ夢を説かれたようで胸が熱くなりました。

 一方,最低だったのは本書中ほどに掲載されたとある業種(会社)です。
 明らかにミスは自社のほうにあるにもかかわらず,強引に顧客に責任をなすりつけ,結局被害の半額を顧客払いにした所長とやらも問題ですが,その経緯を「このケースについて言えば,社内的には所長のゴリ押しは通る話でしょう」と容認してしまう担当者も問題です。この業種にはそのような酷い事件が相次いでいるのではないかと思わせる一節でした。

 本書の巻末には,弁護士と大学教授が法律の専門家として寄稿しています。とくにインターネットでの告発が自分にはね返る可能性を語った後者の論旨は普段あまりお目にかかれないもので,丼のキムチにカエルが入っていたり,修理に出した車が傷ついて戻ってきたり,ビデオの画質が許せなかったりする方々はインターネットに告発サイトを立ち上げる前にぜひとも目を通しておくとよいでしょう。

2003/08/03

企業人必読! 『社長をだせ! 実録 クレームとの死闘』 川田茂雄 / 宝島社

937【「あなたね,これは,いるのいらないのの問題じゃありませんよ。」】

 好著である。
 サポートセンター,サービス窓口など,インバウンド接客を主業務とする部署の方はもちろん,営業企画や製品開発にかかわる方々にもぜひとも読んでいただきたい。

 本書の構成はきわめてシンプルで,とあるカメラメーカーで製造部門,消費者相談室,サービスセンター所長等を務め,数多くのクレーム処理にあたってきた著者が,その経験をもとにクレームとそれに対する対応を語る,というもの。当然ながらカメラ,レンズという製品に固有のクレームが少なくないが,クレームなるものの本質,それに対する処置,対策が平易な文体でまとめられており,その内容は業種を超えて説得力がある。

 たとえば,海外旅行にカメラを持っていったが,その故障のせいで貴重な写真がすべてダメになった,旅行費用を全額弁償してほしい。そうでないならそれに匹敵する金額のカメラ,レンズが欲しい……そう主張して説得に応じず,自分の言い分が通らないと泣き,わめく女性。
 クレーム対応のポイントは「さじ加減」にある。正直言って,この著者の対処がすべての場合に正しかったとも思えない。たとえばある事例で著者はクレームをしかけてきた相手に対し何十万円かを手渡そうとする。結果的に渡さずにすんだとはいえ,一般的にそれがよい対応とは思えない(相手が総会屋スジなら思うツボである)。さりとてこの事例でほかにどのような対処があり得たかといえば,わからない。それがクレーム処理の難しさだ。

 また,これは経験的にいえることだが,クレーム処理には向き,不向きがある。低姿勢に出なくてはダメだが卑屈に謝り通してもダメ。顧客の側に立つことは大切だが,一緒に会社やサービスの悪口を言ってるようではダメ。トークの中に顧客の言い分が法的に通らないことを交えなければならないが,だからといって高圧的になってはダメ。つまりは,顧客の言い分を承りつつ企業として主張すべきは主張し,丸く四角く好感を持たれなくてはならない。風貌や服装,髪型,声のトーンなども影響するだろう。

 知人にクレーム対応のスペシャリストがおり,いざヘビークレームが発生したと聞けば「いやーまただよ,まいった」と口ではぼやきつつ喜色満面で日本全国どこへでも飛んでいく。技術やサービスオペレーションについての知識はけっこういい加減なのだが,にもかかわらず重大クレームをなんとなく片付ける。あげくに全国に彼のいうところの「お客様」,つまりお友達にしてシンパの情報源を得てしまう。
 彼の場合,組織運営や管理面では何度もトラブルを起こしているのだが,ともかくクレーム対応のプロとして評価を受け,役職とは別に,常に部長待遇を受けているらしい。

 ただ,かつて東芝事件で話題になった人物がそうであったように,業者側から一種「有名人扱い」されるような,クレームのスペシャリストが存在することもまた事実だ。
 ある電気製品の業界では,もう十数年も前にある製品を購入し,些細な問題点を騒ぎ立てて代金を払わず(ここまでならまだわかる),その問題点についていつまでもしつこくクレームを発し続け,担当者を呼びつけては新品と交換させ(ここまでもまだ理解できるが),あげくにその製品について新製品が発売されるたびになんだかんだと持ってこさせ,一度も代金を払わないままに十数年間新しい製品を使い続けているという人物がいる。
 この例ではメーカー担当者の初動がまずかったのだろう……と批判するのはたやすいが,実際にここまで横暴な顧客(正確には顧客とすら言えないか)に自分がとりつかれた場合を思うと,想像しただけで脂汗が吹き出しそうである。

 自分でもライトからヘビーまで,何度かクレーム処理に苦労したこともある。
 そんな経験から漠然ととらえていた顧客のクレームを,本書のように【ごね得型】【プライド回復型】【神経質型】【新興宗教型】【自己実現型】【愉快犯型】などときちんと分類してもらえると,過去のそれぞれの例が顧客のタイプ,目的,クローズの仕方など,非常に明確になったような気がする。
 また,このクレームの分類において,著者が【泣き寝入り型】,つまりクレームを言ってこない顧客こそが企業にとって最も厳しいクレームである,と指摘するのには目を洗われる思いがした。確かにそういった顧客を放置することは,その企業,製品からの顧客離れを進め,また製品やサービスの改善の機会を失うことでもある。
 サポートセンターは単に顧客の質問に答え,クレームを撃退するためにあるわけではないのだ。

 とにもかくにも,穏やかな口調で淡々と書かれてはいるが,奇妙な,あるいは過激なクレーマーたちの言動を読むだけでも十分読み応えがあるし,さらにそこからさまざまな企業対応のノウハウが読み取れる。中堅サラリーマン必読の1冊である。チーズや金持ちとーさんなどよりよほどオススメ。
 ただし,読んで万一つまらなくても,ここにクレームを入れてきたりしないように。

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2001/10/21

郵便配達人は二度とベルを鳴らさない 『テロリズムとは何か』 佐渡龍己 / 文春新書

58【テロリズムは心の戦争である。】

 アメリカで炭疽菌による「恐怖」が広がっている。従来,テロリストさえ使用を尻込みしたと言われる生物化学兵器(BioChemical兵器,BC兵器)が無差別に使われてしまったことで,テロリズムは新しい局面を迎えた。
 いうなれば,人類は踏んではならない蛇を踏んでしまったのだ。

 炭疽菌の投函者が,先月の同時多発テロ事件と直接関係あるか否かはわからない。犯人は特定できないかもしれないし,逮捕,処罰されるかもしれない。問題は堰が切れてしまったことだ。
 今後は放射性物質の散布,スーツケース大の核爆弾の使用等も考慮しておくべきだろう。

 ソビエト連邦の終焉とともに訪れた冷戦の終わりは,平和ではなく,市場主義を中心としたグローバリズムとそれに対する一部の勢力による新しい紛争の時代の始まりにすぎなかった。それが,強大な軍事力と経済力を誇るアメリカに対するテロの形で現れるのは,後から考えて見ればしごく当然のことだった。
 世界貿易センタービルが二度に渡ってテロの標的とされたのはなぜか。それが市場主義とグローバリズムの象徴だったからだ。その意味で「罪のない一般市民が犠牲になった」という表現は必ずしも正確でない。あのビルに働く人々の大半は,直接的,間接的にアメリカの政策を政治,経済的に支持,支援した,テロリストたちの「敵」だったのだから。
 アメリカの同盟国である日本もまた同様である。アフガニスタンへの攻撃を支援して,反撃を受けないと想像するほうがおかしい。

 戦争とは,戦闘によって相手を屈服させ,こちらの意思を通すことである。だから,戦争には勝者,敗者はあっても善悪はない。
 テロリズムは弱者による戦争の手段である。それがすなわち悪であるかのような言い方は本来正しくない。たとえば,アメリカは紛れもないテロ国家たるイスラエルの建国を支援し,その後も援助を続けている。ゲリラ組織としてのアル・カイダを育成し,アフガニスタンに放ったのはアメリカである。
 結局のところアメリカがアル・カイダと敵対するのは,彼らがテロ組織だから,ではない。彼らがいまやアメリカと政治的,経済的,思想的に敵対しているためである。アメリカがアフガニスタンを空爆するのは,彼らが正しいからではない。それが彼らの戦闘様式の1つだからである。

 『テロリズムとは何か』は防衛大出身でリスク・マネジメントおよび危機管理を専門とする著者がテロ活動が活発なスリランカで実際に生活した経験をもとに,テロリズムの意味,歴史を問い,いかにしてその脅威から逃れるかを論じたものである。
 代数,幾何の解答例を思わせるような明快な文章が特徴で,公理,定理から論旨を積み重ねるその論調は人の恐怖や生き死にかかわる話題を扱っているとは思えないほどだ。たとえば,次のような一節。

「第1のパターンは,成功する可能性は極めて低い。それにもかかわらず,このパターンを行うテロ組織が多いのは,民衆の蜂起という理想を追い求めるためである。しかし歴史的にみて,民衆は蜂起しない。フランス革命の民衆の蜂起は,テロに刺激されて民衆が蜂起したのではなく,蜂起した民衆がテロリズムを行なったのである。」

 発行は昨年の9月,つまりアメリカ同時多発テロ事件のちょうど1年前。在ペルー日本大使公邸占拠事件,キルギス拉致事件を基点に,日本人のテロリズムへの意識,対応の甘さを問題としている。その結果,アメリカ同時多発テロ事件を見事に予測した側面と,予測しきれなかった側面とを併せもつ。前者については,注意を要する主なテロ組織としてイスラム過激派をあげ,表中にタリバーンやウサマ・ビン・ラディンの名前を記したこと,後者については
・数センチメートルのナイフで民間航空機をハイジャックし,乗客もろとも自爆テロに用いる
・郵便物に炭疽菌を仕込み,主な施設やマスコミ宛てに送りつける
という戦術にまで推測できてないことがあげられる。それは当然で,これらは革命的な戦術であり,是非を別にすれば発案者のテロセンスを天才的と絶賛したいほどだ。

 いずれにせよ,ディスプレイ上の戦略シミュレーションゲームでない以上,アメリカのターン,テロリストのターン,というルールがあるわけではない。アメリカは空爆と地上戦を繰り広げ,テロリストはアメリカおよびその同盟国の国民にしばらく「恐怖」をもたらし続けるだろう。

 やっかいなのは,テロリズムはその構造上,「終戦」というスイッチを持たないことだ。
 いずれ,日本でも大きな事件が起こるかもしれない。子どもが3人いたら,そのうち1人が天寿をまっとうできて幸い,という時代がくるかもしれない。50有余年平和にひたれたことがすでに僥倖に近いのだ。そのことにひとまず感謝の意を表したい。
 そして,封筒の中でさらさらと揺れる死と戦争の音に耳を澄ませよう。それは,もうすぐそばまで届いているのかもしれない。

2001/09/14

[考察] アメリカ同時多発テロ事件によせて - 2

 たとえば,大半の方が言葉としてしか記憶していないかもしれない「ユーゴ空爆」は,NATO軍(といいつつ,実質大半が米軍)によって,国連安保理事会の召集も,経済制裁という通常の手口も踏まずに行われ,民間人を多数含む数千人の死者を出した。NATO軍側の死者は,ゼロである(*1)。
 ユーゴスラビアの内紛が捨て置いてよいものだったかどうかは別として,この手続きのすっ飛ばし加減,この数字は国際紛争のあり方としてどう考えても尋常でない。

 いや,それなら,過去のさまざまな紛争へのアメリカの介入は尋常だったのか。正しい情報の収集と公開,戦闘を避けるための最大限の努力を経たものだったのか。
 そもそもそれは,本当にその誰かの平和と独立のためだったのか。

 先のニューヨーク,ワシントンへのテロ攻撃は,数日経ってオサマ・ビン・ラディン氏が関与した,ということにほぼ確定した(らしい)。それは事実なのかもしれない。間接的な証拠は少なからずあるのだろう。しかし,では,なぜ彼らが生命を賭して反米テロに邁進することになったのか,それについて十分納得のいく説明をしてくれた報道はあったか。
 今日の夕刊紙の見出しを見ても「悪魔の軍隊」「狂信的」「テロ支援 悪のネットワーク」……まるで魔女狩りの標語である。よしんば彼らが狂信的なテロ集団だとしても,レッテルを貼る前になぜそのようなテロ集団が登場したかについての歴史を(たかだか数十年程度)さかのぼる必要はないだろうか。

 言うまでもないが,テロは絶対に許されるべきでない。ことに一般市民を巻き込んでの無差別テロは,無法,論外と口にするのもいまいましい。
 しかし,過去の多くの戦争において,勝者は常に敵を「超一級の悪」呼ばわりしてきたこともまた忘れてはいけない。
 大辞林によれば,テロルとは「あらゆる暴力的手段を行使し、またその脅威に訴えることによって、政治的に対立するものを威嚇すること」とある。だとするなら,たとえば冒頭で紹介したNATO軍による空爆は,はたしてテロでなかったと言い切れるのだろうか。

 ジェット機がビルに追突する瞬間や倒壊するビル,逃げ惑う人々,たむけられた花束……これらの目にインパクトの強い報道ももちろん大切だが,アメリカが今回「何をされた」かだけでなく,事件(戦争)に至った過程,正確な経緯を明らかにする努力も大切だ。
 まず,情動に流されず,何が真実かを見極める努力をしたい。簡単に真実が明らかになるなんて甘いことを期待しているつもりはない。正解に見えた答えが狂信に結びつく可能性だってある。だが,テロリストにとってコロンブスの卵と言えるだろう今回の大成功は,今後,さらなるテロルと報復の連鎖を生み続けるに違いない。そんな連鎖は,どこかで断たれねばならない。

 さて,案の定というか,ブッシュ大統領の「報復」宣言に対し,小泉首相の「対米支持」意思表示が英仏独3か国に比べて後手後手に回ったという批判がなされているらしい。判断,意思表示に遅れるのは為政者としては確かに問題だが……。
 かつて「パールハーバー」「カミカゼアタック」を実践したのが日本なら,「戦争を終わらせるため」という名目の元に2度にわたる原爆投下を経験したのもまた日本だ。戦争の矛盾,悲劇を経て平和憲法を掲げる日本には,日本にしかできない平和へのアプローチがあるのではないか。単に「報復」に賛成するだけが同盟国の務めではないように思われるのだが,どうだろう(*2)。

*1……コソボに駐屯する兵士に白血病や癌が多発して話題になった。これはNATO軍が対戦車で大量に使用した劣化ウラン弾のせいではないかという指摘がある。だとすると,それが投下されたイラク,ボスニア,コソボの住民の健康ははたしてどうなっているのか。これが,「人道のため」の「正義の戦争」の実態である。

*2……どうだろう,とカッコつけたところで,簡単に代案が出るなら誰も苦労はしない。とりあえず手元にある情報についてだけでもない知恵絞り,マスコミ報道に流されるのだけは避けたい。

2001/09/12

[考察] アメリカ同時多発テロ事件によせて

 一般市民を巻き添えにするテロが許しがたい行為であること。
 今回の事件で犠牲になった方々に深く哀悼の意を表すること。
 事件がこれ以上拡散しないこと,世界の恒久的な平和を心から願うこと。

 これらについてはすでに多くの会員の方々も書かれているとおり,いわば自明の理であり,全く,何1つ異論はない。
 ここでは少し別の視点から,2,3指摘しておきたい。

 第一に,今回の事件を「思いがけない」「まるで戦争」と表現するのはどうかという点だ。
 第二次世界大戦後のアメリカ合衆国の外交を俯瞰すると,実は再三にわたってどこかの紛争に加担してきたことがわかる。朝鮮戦争,ベトナム戦争,湾岸戦争などなどなど。この10年間に限ってもイラク,スーダン,アフガニスタン,ユーゴスラビア,要するにひっきりなしにどこかに爆撃を繰り返してきたわけだ。
 これらの多くは国連軍として,あるいはNATOとの合同爆撃で,その都度アメリカ側は「紛争調停」「民族独立」「国際平和」を名目としてきたわけだが,逆に近代以降,「平和」あるいは「民族独立」を旗印としない戦争など存在しない。
 要するに,この50年間に限っても,世界中のあらゆるいざこざに口をはさみ,圧倒的な兵力をもってそれを制圧しようとしてきたのがアメリカという国なのである。
(前もってお断りしておくが,その是非や責任を問いたいわけではない。)
 つまり,アメリカ国民がどう認識していたにせよ,アメリカという国はほとんど常にどこかと紛争状態にあったのであり,アメリカ本土が攻撃を受けなかったのは1に攻撃力,防衛力に差があったこと,2に東西冷戦が世界規模の紛争を抑止する構図があったためである。
 単純な話,アメリカ軍がイラクやユーゴスラビアを空爆した際に報復としてワシントンやニューヨークが空爆されなかったのは,イラクやユーゴ側にそれだけの力がなかったためにすぎない。

 昨日の攻撃に対してアメリカ当局が非常事態宣言を発令し,内外のアメリカ軍が最厳戒態勢に入ったという報道があったが,アメリカが継続的に紛争の当時者であったとみれば当然のことだろう。また,パールハーバー以来の奇襲,という認識もおかしい。奇襲ではない。単に,これまでたまたま戦闘の現場がアメリカの外にあっただけなのだ。

 第二に,宗教のからむ紛争には,第三者の理屈は一切通用しない。
 アメリカは「世界のリーダー」を自称し,他国の紛争において自らの立場を「正義」と公言する。だが,別の宗教,別のイデオロギー上に成り立つ国家,集団にとって,それが同様に「正義」である保証などまるでない。
 中近東,アフガニスタン,東欧等に派兵し,爆撃をした,ということは,少なくとも紛争当事者のどちらか一方にケンカを売った,ということだ。ケンカを売っておいて,相手がいつまでも殴ってこないと思うなら,それはそう期待するほうがおかしい。
 保安官を自認するなら,相手が撃ち返してくること,背後から撃たれる可能性だってあること,そのくらいの想像力は必要だろう。ましてや,相手も常に自分が保安官のつもりなのだ。

 宗教がらみの紛争には,もう1つの大きな問題がある。
 たとえば経済が焦点であるなら,損得の限界点を越えた時点で紛争はゲームセットである。しかし,宗教は現世の利益,いや生存すら超越する。信長が一向宗に手を焼いたのは彼らが死を恐れないためだし,今回の自爆攻撃も退路を想定しないからこそ防ぎがたかったといえる。
 塩野七生が語っているが,外交戦術にたけたヴェネチアが失敗したのは,必ず,相手国が自分たちと同程度に外交を深読みするだろうと勘違いしたときだったという。アメリカの腕力は認めるが,相手のことをどれだけ正確に把握しているかといえば,ときに疑問だ。

 第三に,今後の推移は全くのところ見当がつかないが,日本はアメリカの同盟国である,ということだ。日本側の意識がどうであれ,周囲は連帯保証人のハンコを押した国,とみなす可能性が高い。
 テロ許しがたしという道義的な問題は別として,反米テロが日本国政府あるいは日本国民に向かっても,それはテロリストからみてそれほど筋違いではない。そもそもテロというのは,必ずしもターゲットのダメージを正面から狙うものではない。それは今回,民間機で民間ビルを攻撃した事実からも明らかだろう。

 とりあえず,しばらくは(日本国内においてさえ)何が起こっても驚かない程度の覚悟はしておいたほうがよさそうだ。

 一夜が明け,14時間の時差があるニューヨークは朝を迎えたころだろうか。
 事件がこれ以上広がらず,1人でも多くの方の命が助かることを心から祈りたい。