『無意味なものと不気味なもの』『屋根裏に誰かいるんですよ。 ──都市伝説の精神病理』『恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで』 春日武彦
都内の書店で新刊をあさっていたら、『無意味なものと不気味なもの』というイカした(死語)タイトルの文庫を発見。人間心理の暗部に触れる“無意味で不気味なもの”の正体を、ラヴクラフトや車谷長吉などの小説作品に探る恐怖文学論、ということらしい。
なかなかよさげではないか。著者はといえば、本ブログでも何度か(これやこれ)取り上げてきた精神科医の春日武彦先生であった。
さっそく購入して「文庫版◆あとがき」などパラパラ読んでいると、
(『無意味なものと不気味なもの』の単行本刊行に際しては)どのような反響があるだろうかと楽しみだったのを覚えている。だが結果は惨敗であった。売り上げは伸びず、書評に取り上げられることは一切なかったし、雑誌などで言及されることもなかった。
(中略)
たとえば一九九九年に河出書房新社から出したハードカバー書き下ろしの『屋根裏に誰かいるんですよ。 ──都市伝説の精神病理』もまったく売れず(後略)
というわけで、いきおい『屋根裏に誰かいるんですよ。 ──都市伝説の精神病理』もネットで注文。すると、その「文庫版あとがき」にも
(本書のハードカバー版は)自分なりに一所懸命に書き、装丁にも納得がいき、ある程度の自信を持って出版した。が、売れ行きはよろしくなかった。話題にもならず、ほぼ黙殺され、著者としてはかなり気落ちした。
むむ、これはたいへん。
というわけで続いて『無意味なものと不気味なもの』の巻末、朝宮運河氏の「解説 〈恐怖以前〉の展示室」にて紹介されている『恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで』を急いでネット注文して読んでいる。 ←イマココ
基本は書評集なのだが、ホーソーン「牧師の黒のベール」、河野多惠子「半所有者」、マグラア「長靴の物語」、古井由吉「仁摩」、、、と、なるほど不気味な作品が16作並ぶ。普通に「本好き」な程度ではなかなか出会えない、かなりマイナーなラインナップ。
読み手が簡単に入手できないことを見越してか、各章ではその作品についてほぼオチにいたるまであらすじが紹介される。そのため、「あ、読んでみたい」という気持ちと、「ああ、読んでしまった」感が相半ばしてしまう、それが減点要素といえばいえようか。
また、著者は自説、というか、自分の感じたことを書きたい、という気持ちが本を紹介する気持ちより前に出るタイプなのか、たとえば巻頭の「牧師の黒のベール」にて、聖職者が最後まで黒いベールで顔を隠し通したことについて
だが死んでなお顔を隠さねばならないほどの性的な罪がどんなものであったか、それが一切語られていないのは小説としてバランスが悪すぎないか。
わたしとしては、この作品は断片に近いものではないかと思う。
などという物言いを平気でしてしまう。
もちろん、著者は明確な説明のない作品のあり方や断片なりに価値のある書かれ方を認めたうえでそう書いてはいるのだが、それにしてもぐいぐいと押しが強い。
ほかの作品についても、著者の語り口に強さがあり、そのため、取り上げられたいくつかの本について、どうやら自分(読み手)と著者では「不気味なもの」の感性がいろいろ違うようだ、と気がつく。
つまるところ、その直球のキャッチボールについていけるかどうかが問題で、ある程度慣れてしまえば、興味深い本の紹介と合わせてとことん楽しい読書となるだろう。
『屋根裏に誰かいるんですよ。 ──都市伝説の精神病理』 春日武彦 / 河出文庫
タイトルがちょっと紛らわしい。
『屋根裏に誰かいるんですよ。 ──都市伝説の精神病理』
というタイトルを目にした読書家は
『屋根裏に誰かいるんですよ。 ──さまざまな都市伝説の精神病理』
といった内容の本だと推察するのが普通ではないだろうか。
だが、本書は実のところ
『屋根裏に誰かいるんですよ。 ──という都市伝説の精神病理』
なのである。
つまり、本書は、一人暮らしの老人などが、自宅の天井裏ないしは屋根裏に何者かが隠れ潜んでいると妄想を抱く、その実例や本の中の例をあげ、その意味をあれこれ考える、という本である。
したがって、都市伝説といっても、下水道に住む白いワニとかアポロ月面着陸は陰謀とか架空の鉄道駅とか死体洗いのアルバイトとかマクドナルドでは実はとか、そういった有名どころの都市伝説のたぐいは一切登場しない。
逆に、「屋根裏に誰かいる」という話題から遡ってその「物語の胚珠」を見定め、そのポイントから近く遠く話題を繰り広げる手腕はやはり「剛腕」と言わざるを得ない。
※ちなみに、著者によれば痴呆老人の妄想や小説世界でのミステリーでは謎の同居人は空間的問題、またこちらを見張りやすいという視点の問題から天井裏や屋根裏にいることが多い、とのことだが、ふと、今市子『百鬼夜行抄』シリーズでは妖しい住人は廊下の奥、襖の向こうにおり、縁の下のあやかしに食べ物を与える場面が頻出するなど、目線が低いことに思いいたった。理由はいくつか思い当たるが、ここではおく。
『恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで』 春日武彦 / 中公新書
「恐怖」と一言で括ろうとしても、括るのは難しい。
著者は「いかに恐怖を定義するか」という書き出しに続いて、踏み切りで立ち往生してなかなか動かない電車の下をしびれを切らして反対側までくぐろうとした初老の男性が動き出した十両編成の電車に「ゆっくりと」轢き殺される、というまことにおぞましい例をあげている(著者も記載しているが、筒井康隆の「お助け」の世界そのものである)。
まさしく、「恐怖」体験!
しかし、この例にもとに「恐怖」を語るとき、それはいったい誰の恐怖であるか。
身動きならない状況の中で、電車が動き出したことを知る、その当人。
それを踏み切りのこちら側で見ているしかない歩行者たち。
そしてそれを話として聞く、あるいは読んでいる者。
本書の「恐怖」はどうやら最後の、わりあい迂遠な「恐怖」が中心らしく、その分、読んでいてもあまり「怖くない」。
たとえば著者は甲殻類恐怖症だそうで、「恐怖」を語る際に再三それにかかわる話が出てくるのだが、それは「恐怖」ではなくて「嫌悪」「不快」「不気味」の類ではないのだろうか。
ほかの「恐怖」についての話題についても、誰の「恐怖」かが明確でないところがあって、その点はどうかと思う。
実際に生命にかかわる状態、高所であったり、閉所に隠蔽されたり、殺されて食べられたり、という「恐怖」と、それを話で読み聞きする際の「恐怖」は別のものだと思う。著者が一章を設けている「グロテスク」などは、明らかに後者の問題だろう。
以上、3冊について、ついつい重箱の隅を楊枝でほじくるような書き方をしてしまったが、正直に言うとこの著者の本を読むのは楽しい。細かいところの思いがこちらと合う、合わない、が問題なのではなくて、そうしたところを互いに突き合わせるのが面白いのである。
キャンプファイヤーの消えかかった火をめぐり、著者を囲んで少人数で不気味な本、怪しい都市伝説、恐怖の正体について言いたい放題語り合う、そういった読書である、そんなふうといえばご理解いただけようか。
【閲覧注意】
3冊の本についてあれこれ書くためにほかの本を調べていたら、海老、蟹などの甲殻類に嫌悪感を惹起され、また死体には威圧感やグロテスクさを感じ取る著者に捧げたいマンガの一コマを発見した(きらたかし『没イチ』より)。
ちなみにこのコマは「恐怖」を描くものではない。念のため。










ハラスメント、不祥事報道が相次ぐ中、早くも旧聞となりつつあるが、東京医科大の入試について女子受験生、浪人生(3浪以上)に不公平な得点操作がなされていたことがわかった。
少し前の新書ベストセラー、いろいろ過激なことを書いてあるというので今さらながら読んでみた。
それなりの専門家による余技、アルバイトなのだろうか、最近の新書には、どうにも納得しがたいものが少なくない。