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カテゴリー「心理・教育・宗教」の20件の記事

2017/09/21

よろしくお願いしまぁぁぁす! 『発達障害』 岩波 明 / 文春新書

Photo帯の惹句にいわく、
他人の気持ちがわからない 同じ失敗を繰り返す 極端なこだわり…… ASD、ADHD、アスペルガーの謎に迫る!

おやおや困った。なにしろこのカラスも、
他人の気持ちがわからない 同じ失敗を繰り返す 極端なこだわり……

学生のころから、時おりこうした精神医学関係の本を読んできた。およそ学究的な目的でも病気に苦しむ人のためでもなく、興味本位と言われれば仰るとおり。
その上で感じるのは、人の心を解析し、導くことの難しさだ。結核や天然痘が癌が治る、治らない、という話とはまるきり異なる。なにしろ心の状態は容易に定量化できない。どこまでが健康かの定義も難しい。

さらに、心の病については、精神医学界においても定義や対応がどんどんシフトしていく。
アメリカ精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアル(DMS)の最新版(第5版、2013年)によると、
 「発達障害」という大きな括りの中に
 「ASD(自閉症スペクトラム障害)」と
 「ADHD(注意欠如多動性障害)」という括りがあり、
 その2つは一部ダブっており、
 「アスペルガー症候群」は「ASD」に含まれる
ようになったそうだ。
重要なのは、この集合のベン図、そして「発達障害は生まれつきのものであり、成人になってから発症するものではない」という点だろうか。少なくともお子さんのASDやADHDに苦慮しているお母様方は、ご自身の育て方を無闇に反省したり悩んだりする必要はない、ということだ。

本書にはこの「発達障害」の現時点での場合分け、サヴァン症候群・共感覚・学習障害など諸症状、過去の文献や大きな事件に見られる症例、適切な対応への試みなどがまとめられている。
病気に対する予断や偏見についての注意喚起を含め、概ね信頼に足る啓蒙の書であるように感じたが、著者の治療事例をもとにしたためか、大半が成人になって問題が明らかになったケースについてであり、タイトルと比べて違和感がある。また、(無論これは現在の精神医学の限界によるものなのだが)分類や症例の列挙ばかりで、結局のところ原因にも抜本的な改善にも触れられていないところ、など、食い足りないといえば食い足りない。

もう一点、本書に例証された映画『風立ちぬ』の堀越二郎、アンデルセンやルイス・キャロル、豊川主婦殺人事件や佐世保小6殺人事件などの顛末、分析を読むにつけ、たとえば(本ブログの最近の例でいえば)『花咲舞が黙ってない』の舞、『コンビニ人間』の古倉恵子、『これは経費で落ちません!』の森若沙名子、『フラジャイル』の岸京一郎たちにも発達障害の気味があるのではないか、という疑念がわく。もちろん、小説やマンガに登場する架空の人物についてどうこう言ってもしょうがないのだが、これらの人物たちになんらかの処置を施したら彼ら独特の個性、またそれに伴う出来事のあれこれが喪われてしまうのかと考えるとなにやらうすら寒い。

2017/02/09

不安の入り口、希望の出口 『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』 田中圭一 / 角川書店

田中圭一といえば、手塚治虫パックリな絵柄でよもやのお下劣ギャグを連発する、“神をも恐れぬ”サラリーマン兼業漫画家、その人である。
ちなみに「パロディ」なるものは高度な批評眼と描写力を必要とする知的作業であり、田中圭一もサイテー、ド変態な印象の一方、さまざまな漫画家のペンタッチをトレースすることでそのコマの意図を深掘りする漫画評論家の一人でもある。あの夏目房之介の傑作『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の系譜を正しく継ぐ者といえるだろう。

Photo最近は『Gのサムライ』などさらにゲスいパフォワッ!!な作品を発表するかたわら、その憑依ペンタッチを活かしたインタビュー作品に伸長著しい。
人気漫画家23人の──本人でなく──子息・息女を招いてその漫画家の馴染みの店、好きな食べ物を取材し、しかもその模様をその漫画家のタッチで描いた『ペンと箸 ~漫画家の好物~』は、漫画家たちの意外な実像とその子として育つ若者たちの生き様に迫る予想を遥かに上回る好著だ。ちばてつや、手塚治虫、赤塚不二夫、山本直樹、池上遼一、魔夜峰央、上村一夫、諸星大二郎、永野のりこら、取り上げられた漫画家のプライベートはいずれも興味深いが、ことに『ど根性ガエル』の吉沢やすみ、『アストロ球団』の中島徳博、『まんだら屋の良太』の畑中純の章など思いがけない展開と哀惜に充ち、人気作品にリアルタイムに触れてきたファンは涙を禁じ得ないだろう。

さて、そんな田中圭一の最新刊『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』はさらにシリアスな内容で、長年うつ病に苦しんできた著者本人、またロックミュージシャン大槻ケンジ、AV監督代々木忠(!)、小説家宮内悠介、熊谷達也らが表だっての活躍の一方でどうしてうつに陥ったか、いかにそのトンネルを抜け出たかをじっくりヒアリングし、うつ症状の実情、うつに陥るきっかけ、そして(容易ではないものの)そこから抜け出す方法について懇切丁寧にまとめたインタビュー形式のレポートである。

もちろん、類似のアドバイスは、文章の形でならすでにあちこちに再三書かれてきたに違いない。それを、漫画という、流して読みやすく、笑いを交えて理解しやすい形で提示したことが大きい。
発売後、売り切れの書店が相次ぐなど、ネットを中心に話題となり、同じくうつに苦しんだ人々から「よくわかる」「もっと早く読みたかった」「知り合いにも読ませたい」等、熱い共感が集まっている。

さて、この後は少しダークサイドに走るので、自分も苦しんでいる、あるいはようやく抜けたという方はご遠慮ください。

────────────

Photo_3その好評の『うつヌケ』だが、読み終えての第一印象、それは実は世評とは逆に「この本はまずい、危ない」というものだった。

トンネルを抜ける手段がわかりやすいということは、そのトンネルに追いやる方法も明らか、ということだ。
誰かをうつに貶めたい、あるいはうつに苦しむ誰かをさらに苦しめたい、そんな毒親、毒家族、毒上司、毒同僚等々にとって、本書は天の与えた悪魔のお手軽マニュアルになりかねない。うつに苦しむ、あるいはうつに陥りかねぬ誰もが本作中に登場する人々のように才能や仕事に恵まれ、家族に恵まれているわけではない。もし悪意をもった誰かが本作を手にしたならば……。

もっとも実際のところ、そんな心配など杞憂に過ぎない。
蛇は毒を行使するにマニュアルなど必要としない。まして人をうつに追いやる毒は、自覚された歴然たる悪意などではなく、善意や好意や「あなたのため」の名のもとに押しかけてくるものだ。

2015/11/02

リサイクルされる神の王 『図説 金枝篇(上・下)』 J・G・フレーザー=著、M・ダグラス=監修、S・マコーマック=編集、吉岡晶子=訳 / 講談社学術文庫

Photo最近読んだ本格推理『あなたは誰?』には、

  知ってるかね? 二十三歳の頃からずっと『金枝篇』を読みたいと思ってきたが、四十を過ぎた今になっても第一巻すら読み終える余裕もなかったんだよ。(p.194)

とあり、また日本の妖怪を紹介した『河童・天狗・妖怪』では「鬼と死霊」の章に

  民族学者のフレーザーは、世界の諸民族のなかで、肉体的な死の後にも、なお霊魂が存在して、いろいろな働きをするという信仰をもつところでは、たいがい、死人に対する恐怖があるとしている。(p.206)

とあった。つまり、これらの書物において、フレーザーの『金枝篇』は人生必然の教養書なのである。
また、偶然にせよこのような出会いが続いたなら、迷信深い未開人が、フレーザーを読まなくてはならないという衝動にかられたのも当然である……と、フレーザーなら書いただろうか?

ジェームズ・ジョージ・フレーザー(1854-1941)、イギリスの社会人類学者、民族学者。40年の月日をかけて世界各地の信仰と習俗を蒐集した『金枝篇』全13巻を書き上げた。
翻訳には、
・1890年に刊行された初版の訳本『初版 金枝篇』(ちくま学芸文庫、全2巻)
・第3版13巻本の完訳『金枝篇‐呪術と宗教の研究』(国書刊行会、全10巻別巻、完結時期未定)
・一般読者にも広く読まれることを望んだフレイザー自身による簡略本『金枝篇』(岩波文庫、全5巻)
・S・マコーマックが第3版を要約し、挿絵を付けた『図説 金枝篇』(東京書籍 全1巻、講談社学術文庫 全2巻)
などがある。
今回読んだのは簡略本の講談社学術文庫版。それでも読み応えは十分だ。

フレーザーはまず、ターナーの描いた「金枝(Golden Bough)」という絵画作品に着目する(漱石の『坊っちゃん』で触れられたターナーの作品と思われる)。「金枝」はイタリアのネミの森にある小さな湖と神殿を描いたものだが、この神殿では男は誰でもその祭司となり、「森の王」の称号を得られる。ただし、祭司になるためには、まずその森のオークの樹から一本のヤドリギの枝(金枝)を手折り、時の祭司を殺さなければならなかった。

この神殿に祀られた豊穣の女神ディアナ、その夫ウィルビウスはそれぞれ何を表すのか。また、時の祭司はなぜ殺されなければならなかったのか。
フレーザーはその謎を追うために、(古代ローマやエジプトからスカンジナビア、アフリカ、インド、日本にいたる)世界中の伝説、神話、習俗をあたり、「呪術から宗教をへて科学へと」進む人類の歩みを広く解き起こそうとする。
また、そのために、未開人の呪術を「類感呪術または模倣呪術」と「感染呪術」に分ける。前者は敵に似せた像を傷つけたり破壊したりすることでその敵本人に危害を加えたり殺そうとしたりする試みがそれにあたり、後者は敵の毛髪や爪を燃やすことで敵に危害を加えようとする試みがそれにあたる(憎い相手に似せた藁人形に相手の毛髪を織り込んで五寸釘を打ち込む行為が強力なのは、その両者を包含しているせいといえそうだ)。

『金枝篇』はそれなりに批判も受けている。たとえば資料からの引用ばかりでフィールドワークがなされていない、あるいは一つひとつの事例の間にごく薄弱な関連しかないために理論が頭でっかちになっている、など。しかし、資料の膨大さがそういった批判を圧倒しているようだ。
また、世界各国の古代人に対し、たとえば

  ずるく身勝手にも未開人が隣人を犠牲にして自分を楽にしようとする工夫は、きわめて多種多様である。(下 p.120)

  焼き殺したとしてもなんら不思議はない。人間の苦痛を思いやる気持ちは未開人にはないのである。(下 p.247)

といった具合に傲慢かつ差別的な語り口調が散見する問題もある。これは書かれた時代によるもので、ある程度しかたがないのかもしれない。

ただ、簡略版にせよ、通し読みしてむしろ疑問だったのは、「豊穣のために殺される神」という大きなテーマのために古今東西の伝説、神話、習俗を集めながら、十字架の上で(足を地面につけないで)殺され、復活するキリストとの比較を事例としてほとんど話題にしていないことである。
講談社学術文庫版でキリストの死と復活についてきちんと触れているのは、メキシコの祭りにおいて若い男が「神々の神」テスカポリトカとしていけにえにされるのを

  救世主の死と復活を祝うキリスト教の祭典に相当するものだったといえよう。(下 p.160)

とさらりと比較している部分くらいだった。

また、豊穣と神殺しといえば、古事記のスサノオとオオゲツヒメの逸話が思い浮かぶが、『金枝篇』の3版13巻本がこれについて触れているのかどうかはわからない。

『金枝篇』とは、結局のところいつか全編を読まないと済まされない書物なのかもしれない。

※『金枝篇』では、古代ケルト人の間で、死者の霊が復活し、魔女が飛び交うとされた「ハロウィン」についても触れられている。本項は10月31日にはアップしたかったのだが、間に合わず残念。

2005/03/28

エロイカ劇場 『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』 岡田温司 / 中公新書

Photo_2伯爵:少佐,君とこうして1冊の美術書をともに語れるなんて夢のようだよ。
少佐:おれは忙しいんだ。用があるなら早くすませろ(タバコに火をつける)。
伯爵:あいかわらず無粋だね。ご覧,この本を。意外なことに日本ではこれまで美術史の視点からマグダラのマリアについてまとめられた本は1冊もなかったらしい。
少佐:マリアというとあれか,キリストの母親の。
伯爵:いや,聖書に登場する人物だけど,聖母マリアとは別人だよ。
少佐:(タバコの煙で輪を作りながら)教会はいいぞ。心が落ち着く。それとも刑務所のほうがいいか。
伯爵:マグダラのマリアは,聖母マリアやイヴと並んでキリスト教美術によく描かれる女性だ。ほら,数年前にモニカ・ベルッチ主演で話題になったイタリア映画『マレーナ』も,実は「マグダラのマリア」を下敷きにしたストーリーだったんだね(モニカ・ベルッチは,その後,映画『パッション』ではまさにマグダラのマリアを演じている)。
少佐:ふん。
伯爵:それから,Web Gallery of Art, image collection, virtual museum, searchable database of European fine arts (1100-1850),ここは,1100年~1850年にかけてのヨーロッパの芸術作品を検索できるWeb美術館なんだが……あれっ(マウスのコードをからませる)。
少佐:──きさま。おれのコンピュータで何をしとる。メカオンチのきさまがお気に入りを登録できるわけがないから,ボーナムの野郎だな。
ボーナム君:(どきどき)
伯爵:このサイトで,「Magdalene」をキーワードに作品を検索すると,中世からルネサンス期にかけての,50数点の作品が抽出される。ほら,インターネット上の画像にすぎないが,なんという美しさだ……。
少佐:色気おばさんが並んどるだけじゃないのか。
伯爵:いやいや,マグダラのマリアといえば,聖書の解釈でもちょっとした謎なんだね。これらの作品も,食事をするキリストの足を自分の髪の毛で拭いているもの,十字架にかけられたキリストを見守るもの,キリストの埋葬,復活に立ち会うもの,マタイやペテロなどよりよほどキリストを理解した先鋭な使途として説教する姿,さらには砂漠で瞑想にふけっているもの……。
少佐:ほー。けなげなおばさんじゃないか。
伯爵:ところが,これらは,決して一人の人物を示すものではなく,聖書に登場する何人かの人物がのちに一人,「マグダラのマリア」という女性として語られるようになったんだね。娼婦としてのみだらな過去と,「使途のなかの使途」と呼ばれる聖性……その2面性が美術品の中で複雑にからまって,至高の美を奏でているんだ。
少佐:ふん。娼婦は気にくわんが,男の尻を追いかけるよりは健全だ。
伯爵:聖書を通して読んでみると,マグダラのマリアが娼婦であったことなんかどこにも書かれていないのだけどね。この帯に使われているティツィアーノのマリアはベタベタとしつこそうでちょっと耐えられそうもないが,「このミス」でNo.1を獲得したサラ・ウォーターズの『半身』の表紙でも使われたカルロ・クリヴェッリの「マグダラのマリア」ともなると正直ときめかないでもないね。この精緻なタッチ,クールな中にもほとばしるような欲望……。
ジェイムズ君:いやいや伯爵う~。女なんかにうっとりしないで~。
伯爵:美には男女の区別はないさ。少佐も最近の事件(No.18「パリスの審判」)で僕がクラナッハの裸婦を求めて苦労したのは知っているだろう。
少佐:あの発育不全の3人娘か。
伯爵:君にはレオパルトのほうが美しく見えるのかもしれないが……。ともかく,この本は,「美と敬虔,官能性と宗教性のあいだで揺れ」る「マグダラのマリア」という存在を,西洋美術史の視点から語ってくれる,素晴らしい本であることはいうまでもない。
少佐:ほー,そーかね。
伯爵:残念なのは,最初の数ページを除いて,図版がいずれもモノクロだってことだけど……それでも,この美的興奮は,君がチロルダンスを踊る姿と甲乙つけがたいよ。
少佐:──やかましい! 突き落とされんだけでもありがたいと思え!!

2005/02/21

小学生向け科学マンガ誌の熾烈な争い 『かがくる』 vs. 『そーなんだ!』

543 『クラシック・イン』のように,テーマやページ構成を限定した週刊誌あるいは隔週誌のことを「ワンテーママガジン」というそうです(ただし,この名称には,1冊ごとにテーマが異なる場合と,同一のテーマでシリーズ化される場合があり,必ずしも厳密な定義に基づくとはいえないようです)。

 それはともかく,A4サイズのワンテーママガジンの世界で,今年になってちょっとした熱いバトルが繰り広げられています。それは,小学生向け科学マンガ誌,『そーなんだ!』と後発の『かがくる』の覇権をめぐる争いです。

 『マンガでわかる不思議の科学 そーなんだ!』は,ワンテーママガジンの手法をビジネス的に確立したといわれるデアゴスティーニ社の週刊誌で,小学生高学年(おそらく)を対象に毎号6つの科学テーマをマンガで紹介するというもの。テレビ東京系列ではアニメ放映もされています。
 『そーなんだ!』は3年間ほど刊行されたのち,しばらく休止状態だったのですが,今年になって改訂版が発行され始めました。

 一方,『なんでもわかるビックリ科学誌 週刊かがくる』は,やはりワンテーママガジンを長年手がけてきた朝日新聞社の刊行で,A4変型オールカラー,本文32ページという体裁まで,『そーなんだ!』そっくりです。

 『そーなんだ!』(改訂版)と『かがくる』は今年の1月にほぼ同時に創刊され,定価はいずれも490円。ただし,『そーなんだ!』は創刊号特別定価100円(創刊2号は240円で付録に専用バインダー付き),『かがくる』は創刊号サービス定価240円となっています。
 創刊にあたっての値引き合戦ではデアゴスティーニが二歩ばかり先を行っている感じですが,肝心の内容はどうでしょう。……これはもう,申し訳ないけれど明らかに『かがくる』の負け! と感じました。

 先に書いたとおり,2誌の体裁はほぼ同じ,テーマや対象年齢もだいたい同じように見えます。
 しかし,『かがくる』は,いくつかの点で非常に読みづらく,我が家では早々に子供たちからも「次の号からいらない」とNGが出てしまいました。

 まず,『かがくる』では,マンガのキャラクターは登場はするのですが,コマ割りマンガとして読ませるつもりなのか,ただのグラビアの飾りなのかはっきりしません。見開きの写真やCGでグラビア的に説明しようとするページが少なくなく,それらはけっしてわかりやすいとはいえないのです。
 また,いかにも雑誌ふうに,大きなテーマ,小さなテーマにページが分かれているのですが(『そーなんだ!』は各号,各テーマの重み付けをまったく同じにしている),その是非は別として,よく読むとそれらのテーマがいずれもつまみ食いのレベルを出ず,要するに科学の話題として「なぜそうなるのか」が非常にわかりにくいのです。

 たとえば『かがくる』の創刊号では,タイムマシンという大ネタに6ページを費やしているのですが,どうやったら過去に戻れるかという一番気になる問題については「ワームホールをくぐれば過去へ行ける!」の一点張りで,これでは大人にもわけがわかりません(それなのに,タイムマシンの登場する映画や小説の紹介に1ページ割くのは無茶というものでしょう)。
 もちろん,タイムマシンの理論はたいへん難しいもので,小学生に理解させるのが困難なのはわかります。ただ,それならそのようなテーマは選ぶべきではなかったでしょうし,選ぶなら選ぶで,もっとほかに扱い方はあったはずです。

 もう1つ例を挙げましょう。『かがくる』創刊号の最後には「やってみよう!かがくるマジック」と称して「リンゴにささるふしぎなストロー」,つまりストローの口を親指でしっかりふさげばリンゴに突き刺さる,という現象が扱われています。しかし,ここでもその理由,理論の解説はあっさりしたもので,「子供向け科学誌ではそこがキモでしょう!?」と思われるところがなんだかおざなりなのです。

 『かがくる』の『そーなんだ!』に対するアドバンテージは,カラフルで綺麗な写真が少なからず使われていることがありますが,それでもチープな二線級マンガ家の手による『そーなんだ!』にまったくかなわない感じがするのは,『そーなんだ!』は決して読者を“子供扱い”せず,難しいテーマでも無骨なまでに理屈をゼロから説こうとしているからではないかと思います。
 そのため,『そーなんだ!』は時に大人が読んでも理解に苦労するような難しい内容が登場することもあります。しかし,それが科学の真実なのであり,写真やギャグでお茶を濁すよりは格段によいように思います。子供たちに本当に与えたいのは,わかったような気にさせる子供だましではないのですから。

 もちろん,『かがくる』はこれから内容,水準を調整,改善してくることでしょう。しかし,『そーなんだ!』は,3年ほど前の創刊時以来,不思議なほど品質が一定していること,つまり発刊前に相当にテーマや難易度を練り込んだフシがあることも付け加えておきたいと思います。

2002/07/01

「精神分裂病」から「統合失調症」へ 『ロマンティックな狂気は存在するか』 春日武彦 / 新潮OH!文庫

331【病気ならば,治療法は存在するのである。それは思弁や倫理や哲学の領域なんかではない。】

 日本精神神経学会は29日,都内で臨時評議員会を開き「精神分裂病」の呼称を「統合失調症」に変更することを決めた。偏見や差別の解消を図るために以前から話題にされてきたが,8月の予定を前倒しにして決定されたものである。
 英断とみるべきか,差別言葉狩りの一種とみるべきかは,正直いってよくわからない。念のために書いておくが,日本精神神経学会に言葉狩りの意図があったと主張しているわけではない。世の中には言葉を置き換えさえすれば問題が解消するかのようにみなす風潮がある,ということである。

 無論,言葉の置き換えですべて事足りるとするのは明らかに間違いなのだが,問題が軽減されるならそれは悪いことではない。
 だが。よくも悪しくも,言葉が置き換えられるとき,元の言葉に長年込められてきたさまざまなイメージがどこかに霧散してしまうのは確かなことだ。「歌謡曲」という言葉を「J-Pop」という言葉で置き換えるとき,同じ若者向けの流行歌であっても,そこからは歴然と「戦後」「昭和」がすっぱり切り捨てられてしまう。そんな感じ。

 最近のWindowsのMS-IMEではすでに「きちがい」「きぐるい」「はくち」「せいはく」といった言葉が正しく変換できない。「ばか」「せいしんぶんれつびょう」,果ては「きょうき」が変換できなくなる日もそう遠いことではないだろう。
 キング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」を「21世紀のスキッゾイド・マン」と名称変更してCDを発売し直す(本当)程度ならどうということもないし,ピンク・フロイドの「狂気」は「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」ととするのが自然だろう。しかし,ドストエフスキーや安吾の『白痴』はどうすればよいのか。ゴダールの『気狂いピエロ』にこれ以上適切な邦題はあるだろうか。
 現在,20代の若者の大半が「瘋癲病院」という言葉を理解しないように,「白痴」という言葉が理解されなくなったとき,ドストエフスキーはもはや無用,という時代がくるのだろうか(いや,もうすでに必要とされていないようにも見えるが)。

 さて,いつものように前置きが長くなってしまった。本日取り上げる『ロマンティックな狂気は存在するか』は,現役の精神科医・春日武彦が,イメージばかりが先走りし,ときとして「創造性,純粋さ,真摯さの究極として位置づけられ,いわば憧憬の対象とすらなることがある」狂気,すなわち「ロマンティックな狂気」という現象を取り上げ,それに対して冷静な態度をとれるよう,「とにもかくにも好奇心をひととおり満足させ,さらに知的関心をも満たしておく」ことを目標とした論評集である。

 たとえば本書では,「狂気によって産出される幻覚や妄想の内容が,人々が通常考えているよりは遥かに退屈で硬直したものだという事実があるいっぽう,文学青年だとか芸術家を任じている連中が狂気へ過大な可能性や評価を『片想い』しているという事実もある」という指摘がなされる。
 「新しいジャンル,思いもかけぬ可能性を指し示すような狂気なんかはまずない」というのである。狂気を示す人物の言動は,当初は非常な驚きをもって迎えられるが,精神科医としてある程度経験をふむと,患者の妄想や幻覚,幻聴等はある程度分類できて,前衛芸術家が狂気の世界から斬新な,思いもよらぬ作品を生む,というようなことはほとんど期待できない,つまりはそういうことである。

 これは,ある種の「文学青年だとか芸術家を任じている連中」にはまことに耳の痛い指摘に違いない。
 詩でも小説でも絵画でも,新奇なもの,思いがけないものをよどみなく生み出せる天才はまれで,たいがいは艱難辛苦の果てに,悪くはないがありきたりな作品をひねり出すのが精一杯だ。そんな中で,新しい作品を生み出すために心をねじりにねじらせて,創造と生活を天秤にかけたあげく家族や恋人からも見捨てられ,その果てに待つ狂気の世界で初めて誰をもうならせるまったく新しい作品世界を……という手はずがまったく空しい夢に過ぎないことを示すからである。

 ただ,指摘は指摘として,そのような文学や芸術のあり方は,同時に読み手,受け手が何を求めているかを示すようにも思われる。
 春日武彦が「退屈で硬直したもの」という幻覚や妄想にはどのようなものがあるのか,また逆に,実際の文学作品や映画などで,いかに「事実」としての狂気と異なるものが描かれているか,それを知りたい,覗き込みたいという好奇心は本書を読了してもまた別の欲求として残る。
 エボラ・ウイルスの登場と跳梁を描くリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』が人を魅了するのは,それが「恐ろしい」「事実」であるからであり,逆にいえば,「恐ろしい」「事実」は多数の客を招くのだ。その意味で,いかに「統合失調症」等と用語が置き換えられ,あるいは著者が冷静な対応を推奨しようと,「狂気」という現象が(おそらく事実としての症状とは別のあり方で)さまざまな作品の中で生き残り,黒い影として,あるいは美麗な破滅の相として描かれ続けることは想像に難くない。

 ……それにしても,本書のカバージャケットは,巧い。
 狂気と正常の境目という陰惨かつロマンティックな読み手の思い込みを,モノトーンの端正な美女,剥き出しの首や肩,そして左右が微妙に乱れたキャミソールで示して秀逸だ。この上にはいかなる両の目が隠されているのか。本書を手にする者の多くはそこに恐怖とこの世のものにあらざる美を見いだすだろう。それこそが「ロマンティックな狂気」に過ぎないのだが。

2002/03/22

シリーズ 怖い本 その四 『屈折愛 あなたの隣りのストーカー』 春日武彦 / 文春文庫

47【狂気の沙汰と,狂気であることとは同じではない】

 たとえば本書に紹介されているフェイ・ケラーマンの短編小説「ストーカー」に登場する夫のセリフはこうだ。
「どうしてぼくがわざわざきみに頼まなきゃならないんだ──それぐらい,きみが察して当然じゃないか」

 私たちはこの短いセリフの中に実にいろいろなものを読み取ることができる。
 私たちが知っているあの彼,あの彼女たちの,あのなんともいえぬ粘着質な執拗さ,「甘え」という言葉では表しきれぬ全人的なもたれかかり,自己と他者/責任と無責任/嘘と本当とがくるくる軽々しく裏返ってしまう言葉の群れ。
 理屈では明らかに破綻しており,それを指摘されながらも胸を張ってあるときは愛を,あるときは真実を主張する彼あるいは彼女たちの,ベニヤ板にペンキで描かれたポスターのように薄っぺらい,だが過剰な言葉,そして行為。

 インターネットの広まりは,私たちにさらに数多くの奇妙な人々,異常な人々の存在を教えてくれた。
 ボーダーライン上の人々は増えているのだろうか。そうではないだろう。インターネット上では従来なら家庭内,学校内,職場内でしか明らかにならなかったさまざまな個人の性状や言動が撒き散らされる。もう1点,テレビやマスコミの蔓延によって,都会型の恋愛や意思表示の仕方がいわばコピーマスターとして広く伝播されたこともポイントだ。かつての農村型の社会でならそこでのあるべき姿にはまっていたであろう主体性のない輩が,都会の生活パターンやテレビや雑誌から氾濫した情報に染まったとき,ストーカー的な行動に走ることは少なくないのではないか。

 つまり,ストーカーという言葉がある種の被害者たちに明確な加害者の輪郭を与えたように,都市とマスメディアはある種の資質をもつ者たちにストーカーとなるフォームを与えたのだ。もともとは単に主体性をもたず,なにかというと他者のせいにする程度の弱き者だった彼らは,その薄い函の中にリキッドな自らをみたし,ぽたぽたとこぼれながらあなたをうかがい,それから追い始める。執拗に。

 だが,異常であることが問題なのではない。
 ある種の特殊な技量は,異常さの現れであることも少なくない。たとえば寝食を忘れて何かに没頭できるというのは,何かを成し遂げるために必要なことでもある。「なぜそこまで」と周囲の者が呆れるほどの執拗さ,途方もない自己中心的な目的意識は,ある種の成功者に共通の特性でもある。しかし。
 ストーカーが問題なのは,それが異常だからではないのだ。ストーカー的な言動によって問題を起こす人物が、普段は(本書の表現を引用するなら)「流行に敏感であったり,デートの演出に長けていたり,どこか謎めいたソフィスティケートさを備えていたりといった具合に,むしろ魅力的にすら感じられる」ことを,私たちは何度も目にしてきた。もちろん,その多くの場合,周辺からは彼らの異常な依存性,過激な二元性が目についていることも少なくない。しかし,その一方で彼らの異常性に一切気がつかず,むしろその味方となってしまう者がいる。
 「○○さんはそんな人ではありません」,だが現にそんな行為はなされている。追われる者にはそれが難題なのだ。

 ストーカーは確かに存在し,うっかりその尻尾を踏みつけたとき,彼らは驚くべき俊敏さをもって「熱愛」の鎌首を向けてあなたをおびやかす。そういった彼あるいは彼女は(口ぶりでは否定するが)自分が周囲にどのように見られているかひどく気にしているため,ある意味で周囲のあらゆる者の歩く前に何度もその尻尾をアンテナ代わりに置いているからだ。愛する私,愛される私,愛しているはずの私,愛されているに決まっている私……。
 彼らがまったく病気のレベルなのかボーダーライン上にあるのか,追われる者には関係ない。一度彼らに追われ始めたとき,普通の神経の持ち主はなかなかその檻から逃げ出せない。なぜなら,ひとたび「それ」が始まったとき,世界はすでにまるごと彼らの偏狭な意識の中にしかないからだ。

2001/04/15

最近読んだ本 その二 『エラン』『バカのための読書術』『辺境警備』ほか

Photo_2『エラン』全2巻 新谷かおる / メディアファクトリー
 1989年,つまりバブルがはじける直前に連載された,「貿易」を題材にした作品である。「夢の独立国家をつくるため,少年少女が設立した世界最小の貿易商社」という設定が窮屈すぎたせいか,本格的に話が転がりだす前に終わってしまうが,新谷らしい大手商社との知恵合戦は見もの。
 以前,『砂の薔薇』の解説に宮嶋茂樹が登用されたという話を紹介したが,この『エラン』2巻の木原浩勝(怪異蒐集家)の解説がまた秀逸。その切れ味にはさっと鳥肌が立った。新谷という作家,一見,豪快な勝ち負けテーマの少年マンガに見えるが,実のところは掘り下げ可能な,複合的な作風なのだろう。とりあえず『クレオパトラD.C.』は必読。

『バカのための読書術』 小谷野 敦 / ちくま新書
 難しい本をどう読むか,どう選ぶか,といったテーマについてまとめた本である。とりあえず,この本に「バカ」にされる領域にいたるまでが大変だ。普通は,この本を読んでも,何を言われているかわからないだろう。
 本邦初「読んではいけない本」ブックガイドには爆笑。小林秀雄のほとんどすべて,とか,バタイユ,ブランショなんて確かに読みたがる時期があったよな,と顔が赤らむ(ただし,ここで「読んではいけない」とされているバタイユの『エロティシズム』は,中国人の処刑(広場で阿片をかがせてからよってたかって足をもぎ,胸をそぐ)の写真がそのまま掲載されていて,立ち読みする価値はあると思う)。『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』も「読んではいけない」そうだ。まぁ,先に読んでおくべき本は多いかな。
 とりあえず,読書家を自認する人は読んでみるとよいだろう。ただし,これを読んだバカの一部が,自分をバカと思わなかった場合は問題だ。こじれたバカは無敵。

『辺境警備』 紫堂恭子 / 角川書店あすかコミックス
 先の『バカのための読書術』で大島弓子,山岸凉子と並んでお奨めされていたので買って読んでみた。悪くはないが,これに「しびれる」には少し年をとりすぎたか,あるいは逆にまだ若すぎるようだ。

『なんでもツルカメ(上・下)』 犬丸りん / 幻冬舎文庫
 いわずとしれたおじゃる丸の作者のデビュー当時の作品。しかし,烏丸の好みはおじゃる丸よりむしろこの『なんでもツルカメ』のりんちゃんだ。連載当時のことがあれこれ思い起こされて懐かしい。

『写真美術館へようこそ』 飯沢耕太郎 / 講談社現代新書
 中断している「本の中の名画たち」のための資料,あるいは紹介する本の候補として選んだもの。悪い本ではないが,内容をだらだら紹介する以外に,取り上げる切り口見つからず。

『活字でみるオルセー美術館 近代美の回廊をゆく』 小島英熙 / 丸善ライブラリー
 同上。

『フローラ逍遥』 澁澤龍彦 / 平凡社ライブラリー
 同上,なのだけれど,ただもううっとり。著者晩年の作業,古今東西の花の図版75点を取り上げ,それぞれに典雅な文章を付したもの。

最近読んだ本 その一 『九マイルは遠すぎる』『ストーカーの心理』『春の高瀬舟 御宿かわせみ24』『私たちは繁殖しているピンク』

Photo 新聞報道について寄り道したりしているうちに,取り上げるタイミングを逃した本がたまってしまった。いずれ機会をあらためてきちんと紹介したい本(およびイナズマ落としでゴミ箱に投げ捨てた本)を除いて,ざざざっと駆け足で紹介しておこう。

『九マイルは遠すぎる』 ハリイ・ケメルマン,永井 淳・深町真理子 訳 / ハヤカワ文庫
 ふと耳にした「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない,まして雨の中となるとなおさらだ」という言葉から推論を展開し,なんと前夜起きた殺人事件の真相を暴き出す……という表題作でかねて有名な短編集なのだが,どういうわけか読もうと思い立つと書店店頭にない,そのうち失念する,ということの繰り返しでこの十数年すれ違いが続いていた。
 場末の小さな書店でようやくお目にかかれたのだが……。なァんだ,その短文だけじゃなくていろいろ推論の材料があったのね。おまけにその材料たるや,極東の島国の読み手にはまずわからないであろうシロモノ。
 まぁ,これは長年の期待が勝手に膨れ上がったせいだろう,アシモフ『黒後家蜘蛛の会』にも匹敵する佳編ぞろいではある。

『ストーカーの心理』 荒木創造 / 講談社+α新書
 腹帯の惹句(添付画像参照)が,「ストーカー自身が告白した赤裸々な深層心理!!」。……当人が自覚しているなら,すでにそれは深層心理とは言わないのでは?
 それはともかく,男性ストーカー2人,女性ストーカー2人との対話を詳細に紹介した本書,岩下久美子『人はなぜストーカーになるのか』,福島章『ストーカーの心理学』に比べるとストーカー心理の分類,抽出が荒っぽく,しかもどうも被害者よりストーカー寄りというか,どこかその言動を容認している気配があって少々ひっかかる。
 この3冊の中では『ストーカーの心理学』が一番お奨め。

『春の高瀬舟 御宿かわせみ24』 平岩弓枝 / 文春文庫
 神林東吾がうっかり外にこしらえてしまった(らしい)隠し子・麻太郎と再会し,その事件で母・琴江を亡くした麻太郎は後継ぎを得られない兄・神林通之進の養子となる……四方八方まるくおさまってご都合主義としても少々やりすぎではないか。あのご都合主義の権化,島耕作ですら隠し子ナンシーに自分が父であると告白しなかったというのに。
 とかいいながらはらはらお付き合いしてこれで24冊目,あと何冊読めるのやら。

『私たちは繁殖しているピンク』 内田春菊 / 角川文庫
 子育ては百人百色,細かいことにこだわらない親にはあれこれ参考になったりリフレッシュになったり。こだわる人は……お好きなように。
 食後すぐに濃いコーヒーや緑茶を飲むのは鉄分が破壊されてよくないのだそうだ。麦茶,ほうじ茶,番茶ならOKとのこと。なるほどね。

2000/12/21

ガメラの炎が2本になったのは火薬をケチるため 『史上最強のオタク座談会2 回収』 岡田斗司夫・田中公平・山本 弘 / 音楽専科社

Nimg3058【脳みそを薄目開けたような感じにして見る】

 少し前にご紹介した,『史上最強のオタク座談会 封印』に続く極悪鼎談。
 オタキング・岡田斗司夫,アニメ音楽家・田中公平,と学会会長・山本弘の今回の標的は「特撮モノ」。現役のアニメスタッフ,声優をぼこぼこにした前回に比べると,古い特撮映画,番組が対象で,アングラな色合いは薄れ,特撮文化全般についてのフランクな批評がベースとなっている(そうか?)。

 ところで,アニメオタク,マンガオタクも切ないものがあるが,それ以上に特撮オタクは業が深い。
 なぜなら,特撮オタクが蓄積し,咀嚼するのは戦後という時の蔭であり,時代の背景にへばりついた濁りなのだ。そうでなくて,いかに『ゴジラ対ヘドラ』の「100万人ゴーゴー大会! イカす,イカすぅ!!」なんてのを愛せるだろう。
 とにもかくにも特撮モノを楽しむためには

岡田 中学生ぐらいの時にね,心の中のシフト・チェンジがあって,「酔狂」というギアがガチャッと入るじゃないですか。

この「酔狂」が必須。幼稚園児がタイムレンジャー見るならともかく,大人が特撮モノに走ると

岡田 前頭葉あんまり使わんようにして見へんかったら,つらいやないですか。

だから,シッポ丸めて空を飛ぶゴジラ(本当)に「まさか」「あほな」と常識フィルターが入る直前,「酔狂」方面に意識を流し,その上で「ほぉ,よーできとるやないか」とラスクくわえて楽しむのである。

 烏丸は十数年前の平成ゴジラブームの折り,毎週都内のオールナイト,二番館をはしごした。浅草で『フランケンシュタイン対バラゴン』を見た夜は,その頃亡くなったゴジラ博士(オキシジェンデストロイヤーで唯一ゴジラに勝った男)平田昭彦の名がスタッフロールに表示された際,場内に沸き起こった拍手に参加。その翌週,池袋で『獣人雪男』を見た折りには幕間の通路で同世代の青年に目で「ライター貸してもらえますか」と訴えられ,「あなたは先週も浅草に」と目で語れば,向こうも「お互いに……」と煙草のけむりをくゆらせるのであった。

「ここは危険です。オタクが,出るのです」目のすわった若林映子
「オウ,あなたここで待っていてくだサイ」ラス・タンブリン
「これをオタク電撃作戦と命名する」田崎潤
「この先は進入禁止であります」轟天号無名兵士
「いいんだ」後部座席の平田昭彦
「あ,あ~,こりゃ大変だ」ゆで玉子こぼしながら藤木悠
「おくらせるわけにはいかないだろう。1日いくらかかると思ってるんだ」苦りきった佐原健二
「青春を返してください」どこからともなくザ・ピーナッツ
「惜しい。実に惜しい」沈鬱,志村喬

 まぁ,とりあえず,ここは特撮カルトクイズをいくつか。

(1) 初代『ゴジラ』を「素晴しい着想で面白い」と絶賛した著名作家は?
(2) ホラー映画『マタンゴ』,食べちゃいけないのは?
(3) 『モスラ対ゴジラ』,インファント島民が宝田明,小泉博たちに赤い液体を飲ませた際,何と言って飲ませた?
(4) キングギドラの3つの首には,実は名前がある。左から順に答えよ。
(5) 『サンダーバード』のロンドン支部,ペネロープの声を担当したのは?
(6) 『決戦!南海の大怪獣』,ある怪獣が現れる時は海の水が凍りついた。なぜ?
(7) 『アルマゲドン』,彗星に核爆弾を仕掛けた後,脱出しようとしたらスペース・シャトルのエンジンが掛からない。どうやって直した?
(8) ロシアからポンキッキーズの「ガチャピン宇宙へ行く」企画,その後音沙汰ないのは?