カテゴリー「コミック(作品)」の569件の記事

2025/07/03

『ヒジヤマさん 星の音 森のうた こうの史代短篇集』 こうの史代 / コアミックス ゼノンコミックス DX

Image1_20250703161801 巻頭、「小さな恋のうた」で若い男女のすれ違いを淡々と、苛烈に描き、
続く「星のふる里」でも同じ味わい、いやある意味もっと残酷なと思わせておいて・・・最後のページで仰天。呵呵大笑。
続く「おでんせ大観音!」でもその快笑が続いてハンドルはその方面へと思いきや
「リーゼと原子の森」で核分裂を発見した女性科学者リーゼ・マイトナーをことさらに静かに、静かに描く。

こうの史代の代表作は映画化もされた『この世界の片隅に』かな、と思うが、それに先立って久しぶりに被曝という言葉で頬を打った「夕凪の街」がたった30ページだったことを針は示す。

天才の孤独は雲雀のように高い。そのさえずりもまた雲雀のように高い。

2025/06/10

おやすみセニョリタ 『ROCA コンプリート』 いしいひさいち / 徳間書店

説明のつかない本というものが、ときどき、ある。
それは頭の上から(物理的に)降ってきたり、曲がり角を折れたところで(化学的に)突き刺さってきたりする。
説明など、ない。
ほかの言葉に置換できるようなら、そんなものは作品ではない。

Roca_20250609184101 『ROCA』の話だった。

『ROCA』は、吉川ロカという一人の女子高生が、(ポルトガルの国民歌謡たる)「ファド」の歌い手となる、その過程を描く一連の(主に)4コママンガである。

背景を記すなら、朝日新聞掲載のいしいひさいち『ののちゃん』のサブキャラとして登場した吉川ロカと柴島美乃のからみ(当初はギャグ色が強かった)がのちに自費出版版『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』にまとめられ、それに続編『花の雨が降る ROCAエピソード集』、『金色に光る海 ROCA短篇集』、さらに描き下ろしを加えて1冊にまとめられ、一般書籍化として徳間から発売されたものが今回の『ROCA コンプリート』である。

個人的な感想は『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』、あるいは『ののちゃん全集』の折々の書評に置いてきたのでここでは繰り返さない。
今回ちょっと思いついたことは、『ROCA』の物語は、その4コマの側から溢れてくるものではなく、読み手側から作品に流れ込んでいくものだということだ。
僕たちはいしいひさいちの描く吉川ロカと柴島美乃に笑いや感動を与えられるのではない。ただ、読み手が2人を寿ぎ、読み手が2人を慈しむ。
それが、すべてだ。

さて、ようやく1冊にまとまり普通の書店で手に入るようになった『ROCA』だが、その内容に(まことに身勝手極まりない)難点を指摘するとしたら次のことだ。

本書はいしいひさいちの作品から吉川ロカと柴島美乃の登場するものを切り抜き、再配置したものである・・・がゆえに、この1冊のみを読んだ場合、それが、『ののちゃん』の山田家の町を舞台にした物語であるという実感が持てない。
山田家の町でかつて連絡船の海難事故が起こり、両親を亡くした2人の少女が出会い、その一人の励まし(?)を得てもう一人がファドの歌手として育っていく。
ただの話ではない。これは、いしいひさいちの手で何十年にもわたり何千話も書かれたその山田家の物語と地つなぎだからリアリティがあるのである。そうでないとこの1冊の中に収められた4度のラストシーンを両手に掴めない。片手ではこぼれてしまう。

だから、こうして「コンプリート」された『ROCA』の物語になんらかの感銘を受けたという方がおられるなら、どうか『ののちゃん』の全集本から自費出版版まで手間をかけ、最初から物語をたどっていただけたら、と思う。
これはその労力に足る、貴重で豊かな物語なのだと思う。

2025/04/04

短評 『片田舎のおっさん、剣聖になる(7)』 乍藤和樹 / 秋田書店 ヤングチャンピオンコミックス

Photo_20250404185001 剣と魔法の世界はどちらかといえば少し苦手で、この作品(コミックス)も1巻から読んではきたものの、なんとなく信用しきれないところがあった。←無礼
ところが、ここ数巻、なかなかに面白い。←なにゆえの上から目線

1つ前の第6巻では、本当なら主人公ベリル・ガーデナントと強敵シュプール・アイレンテールの決戦、さらにそこに回想として挿入されたシュプールとラフィのドラマが本来の読ませどころだったのだろうが、いざ読んでしまうとサブキャラ(それも序列にしておそらく4番より下の)クルニが戦闘の中で「剣に魅入られた」剣士と化して「あっち側」へすたすた走り去る、そのコマが意表をついて美しく、尊い。←もしやのクルニファン

新刊第7巻では悪玉サルレオネ司教は捉えられ、ベリルがミュイの後見人となることになって最初の数十ページで「宵闇」事件はいちおうの決着となる。
いわば大きなストーリーとしてはダレ場にあたるわけだが、その中にも剣と魔法の微妙な関係、新しい登場人物の紹介など含めて静かな不穏とでもいうか、奇妙な緊張感が保たれる。
とても、よい感じだ。←後日罰金

-----
なお、本書のタイトルはフルフルでは以下のとおり。

『片田舎のおっさん、剣聖になる ~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~』
原作 佐賀崎しげる・鍋島テツヒロ(SQEXノベル/スクウェア・エニックス刊) 漫画 乍藤和樹

異世界転生モノや溺愛モノにはこうした長いタイトルの作品が多いが、想像するに、ネットの小説サイトなどで発表されるこれらの作品では、短く抽象的なタイトルでは読み手を掴むのが難しいのかもしれない。←そのスジの方々に詳細乞う、委細面談

短評 『新九郎、奔る!(19)』 ゆうきまさみ / 小学館 ビッグスピリッツコミックススペシャル

Photo_20250404170901 伊豆の堀越公方・足利政知の息子、茶々丸が蜂起し、一方、新九郎はついに荏原の所領を手放すことに・・・!

と『新九郎、奔る!』第19巻をまるめたところで、いったいどれほどの方が「ではこの巻買って読んでみよう」となるだろう。その面白さに気がついてくれるだろう。
このへんが描き込みの深いゆうきまさみ作品のつらいところだ。

だが。さあさあお立ち合い、御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。この19巻とここから始まる一連、これこそが北条早雲が最初の戦国大名となる誉の第一歩。

なにしろ19巻めにしてようやく第1巻巻頭の

  室町殿奉公衆
  伊勢新九郎盛時
  三十八歳!

  主命により
  足利茶々丸様の
  御首頂戴に
  参上仕った!!

へのつながりが見えてきたのである。やーれやれ。

「光る君へ」も「べらぼう」もそれなりには面白いがいささか戦に飢えさうらふつはものはここへならへ。
いざ1巻より読み返すべし、嵐山には落花吹雪の舞。

2025/03/31

『日野日出志ベストワークス』『日野日出志グレイトワークス』 日野日出志 著、寺井広樹 編著 / 太田出版

(諏訪哲史『偏愛蔵書室』のところで日野日出志の名が出てきたので、現在比較的容易に手に入る日野日出志の作品集を紹介しておきたい。発行元はあの太田出版。さすがだ。)

作品集のタイトルと収録作、掲載誌、発表年度は以下のとおり。

『日野日出志ベストワークス』(2023年11月20日発行)

  「蔵六の奇病」 少年画報、1970年9号
  「地獄の子守唄」 少年画報、1970年11号
  「まだらの卵」 少年アクション、1975年
  「水の中」 少年画報、1970年18~19号
  「地獄変」 書き下ろし単行本、1982年
  「蛇屋の怪」 コミックVan、1972年Photo_20250331174801

『日野日出志グレイトワークス』(2024年10月5日発行)

  「赤い花」 COMコミック、1972年
  「泥人形」 少年画報、1970年21号
  「ウロコのない魚」 少年キング増刊号、1975年
  「幻色の孤島」 少年キング、1971年37号
  「赤い蛇」 書き下ろし単行本、1983年
  「あしたの地獄 第2話 水の怪物 ―地球発2020年―」 スーパーホラー、2000年2号Photo_20250331174901

出世作「蔵六の奇病」、衝撃のエンディング「地獄の子守唄」、もともと単行本で発表された代表作「地獄変」に「赤い蛇」など、いずれも知る人ぞ知る日野日出志の本領発揮だが、掲載誌を書き写して今さらながら驚くのは、当時、少年画報や少年キングなど、普通の少年誌にこのような作品が当たり前に載っていたという事実だ。
溶けた目鼻、千切れる手足、飛び交う血潮、うろたえる赤ん坊。グロテスク、恐怖、妖艶、絶叫。心を休ませるコマがまったくない絶望的な展開に、僕をはじめ当時うっかり読んでしまった者の心にはねばついたトラウマが残った。
まだご存知ない方には注意しておきたい。怪奇で不快なイメージの暴力性において、日野日出志は水木しげるや楳図かずお、伊藤潤二らの比ではない。

もう一つ。1970年、1972年という代表作の発表年度には強い意味を感じる。
1970年といえば東大安田講堂陥落の翌年、よど号事件、三島由紀夫割腹事件等の話題に沸いた年だが、一方、1967年の公害対策基本法成立を受けて新聞雑誌を水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病の4大公害病、あるいは田子の浦のヘドロなどの話題がにぎわし、いうなれば日本列島が毒と汚染にまみれた時期でもあった(ヘドロから生まれた怪獣が列島に毒をまき散らす『ゴジラ対ヘドラ』が1971年)。
そんな中、少年誌の漫画はグロテスクな描写に突き進む。
山上たつひこ『光る風』(1970年)、ジョージ秋山『アシュラ』(1970~1971年)、そして日野日出志の作品群。
今、それらの作品を読み返して感じるのは、破れかぶれなまでにグロテスクを描きまくる一方での、底なしに平安と愛を求める意識、その落差である。

日野日出志のような、あるいは『光る風』や『アシュラ』のような作品は今後もはや易々とは描かれない、あるいは発表され得ないに違いない。
それは愛の内臓の敗北である。

2025/03/27

昼食は売り切れ! 食べ物は全部売り切れよ!! 『国境のエミーリャ』(現在13巻まで) 池田邦彦 / 小学館 ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル

Photo_20250327175501 1965年生まれ、2008年に漫画家として立った、遅咲き漫画家池田邦彦。
国鉄時代の客扱専務車掌の希望と失望を描いた『カレチ』、ホームズ研究家たちの友愛と推理を歌い上げた『シャーロッキアン!』、この2連作はそれぞれテーマへの調査意欲とともに市井の人々への思いやりが溢れる。

そんな池田邦彦の最新作が『国境のエミーリャ』なる歴史改変モノ。掲載は小学館の「ゲッサン」というややマイナーな月刊誌で、単行本は静かに13冊にいたる。

「歴史改変モノ」とは、たとえば第二次大戦で枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)側が勝っていたらどうなった? など、歴史上のifを展開の柱とする作品群を言う。主にSFの分野に多い。
『国境のエミーリャ』では敗戦した日本が東西陣営に分断され、東京がかつてのベルリンのように東西に分割統治され、国境には強固な壁が築かれてしまう。主人公エミーリャは東トウキョウに暮らし、普段は「十月革命駅」(=元上野駅)の食堂で働くが、依頼を受ければ西への脱出請負人として暗躍する。

第1巻第1話でエミーリャは自らを罠にかけようとする人民警察(ミリツィヤ)の警官を逆に死に追いやる。その最後のコマは「絶対に笑わない女」というハードボイルドな説明で閉じるが、その後、紆余曲折を経て彼女はたびたび泣き、あるいは笑う。
第2話で登場する国境犯罪捜査担当のウラゾフ警部とは案件によっては敵対し、あるいは助勢し合う。

遅咲き作家の常、作画は美麗とは言い難いし、サービスカットの水着シーンはお世辞にも色っぽいとは言えない。
ストーリーはときどきうざったい昭和のお涙頂戴に流れ、監禁されても銃を向けられてもその都度助かる主人公はご都合主義の権化。
それでも、取材、調査を重ねたのだろう、描かれる物品や風俗はこまごまと時代、そして東側、さらにはおそらくどこにもありはしない自由な西側を描き上げる。

現実の国どうしの諍いや国境の厳しさはこんなものではあるまい、と思いつつ、毎度新刊に手が伸びる。
この時代にそのままベストセラーになるとも思えないが、水の底で少しずつ読まれてほしい、そのような価値を感じる。
本作は失われた「良心」の金型、その復権への泥臭い取り組みである。

2025/02/21

『真綿の檻』(まもなく第6巻出来) 尾崎衣良 / 小学館 プチコミックスフラワーコミックスα

Photo_20250221171301 ネットであらあらを知って紙版を手に入れた『真綿の檻』の第1部にはたまげた。

亭主関白でぶっきらぼうな夫とそれにかしずく妻、そんな若い夫婦の家に、妻の弟夫婦が訪ねる。
なんて夫だ、と誰もが思うようなその冒頭から続くその後の展開たるや、ちょっと想像を軽々と凌駕して、詳しく説明するとネタばらしになってしまうので書けないが、その見事なセンドウブリ(適当に漢字をあててください)にとにもかくにも驚いた。

ネタばらしという言葉を使ってしまったが、きちんと言っておきたいのはそのネタというかオチというか全体の構図がわかったあとも何度も読み返してしまう、それだけのチカラがその中編にはあった。

そこで、同じ作者のドラマ化もされたヒット作『深夜のダメ恋図鑑』(全10巻)を手に入れて読んでみた。
若い女たちがそれぞれの「ダメ恋」を語るオムニバスで、それぞれにダメ男、それにふりまわされるダメ女が描かれてなるほど面白い。
(この「ダメ」にもいろいろアングルと深さがあって、文字通り「クズ」な場合とキャラゆえのトラブル体質とでもいうべき場合などあって各篇ともいるいる、いねーと苦い笑いを招く。)
初期のわりあいシリアスな短篇集もいくつか読んでみた。
全体に感じることは、作者は「辛(つら)い」ことを「辛(から)い」と変換してクールに、あるいはギャグに翻案する手腕に長けているのかな、ということだ。
『深夜のダメ恋図鑑』のヒットはその翻訳がバタつきつつもうまく読み物としてとらえられたケースのように思われる。

さて、そこで現在進行中の『真綿の檻』シリーズである。

  第1部榛花(はるか)編に読み切り中編を加えた第1巻。
  第2部の祈里(いのり)編は2巻から4巻にいたるサスペンス長編。
  そして5巻めを占める第3部環奈(かんな)編。

いずれも、家族、主に母と娘の関係、その破綻あるいは再構築が描かれているが、『深夜のダメ恋図鑑』のような「辛(つら)い」→「辛(から)い」の笑いへの変換はなく、代わりに行われているのは視点の変換である。それがすさまじい。

帯の惹句を見てみよう、

  編集部悲鳴!!!
  「ウソでしょ!?」「ゾワっとした───!!!」原稿を読んだ編集部員から悲鳴続出!

何がそれほど悲鳴を招くのか。
本作で行われているのは家族、親子というミニマムな社会が本来的にもつ「宿痾」の暴き上げである。
絵柄が少女マンガなので気がつきにくいが、本来文学が担うべき「宿痾」をホラーエンターテインメントとして提供する、そうした仕事が惹起していることをこの帯の文句は示しているように思う。
山岸凉子の作品などにも似た働きをするものがあるが、その多くでは家族の中の一人のありようを描き、その裏の姿を紙の上に定着せんとする。
それに比べて『真綿の檻』は登場人物すべてのありようを暴いて暴いて暴いて暴いてみせる。悲鳴の所以である。

6巻の発売がこの4月に予定されているらしい。
その前にまず1巻、そして5巻、残る夜を2~4巻に費やすことをお奨めしておきたい。
怖いざんす。

2025/02/10

(非書評) 『数字であそぼ。(13)』 絹田村子 / 小学館 flowersフラワーコミックスα

Photo_20250210175301 作品の内容、雰囲気については前回書きたいだけ書いたので、今回は高校生のころ数学の先生に投げた質問を書いてお茶を濁す。

「0で割ることのできない数の集合と、(実数と虚数を組み合わせた)複素数の集合を比べたら前者のほうが後者より大きいような気がするんですが、あってますか。もしあってるなら、その差分って何ですか」

先生の回答は

「そういうのは大学の数学科に進んで自分で調べてみろ」

というもので、それは決して体よく突き放されたわけではなく、おそらくもっと何度も尋ね続ければいろいろ教えていただけたに違いなかったのだが・・・先生はそれから少しして、車の事故で亡くなられてしまった。

もちろん数学科に進んだわけでもない烏丸は今も答えを知らない。
どなたかご存知ないですか。

2025/02/06

『エロスの種子』(9巻) もんでんあきこ / 集英社 ヤングジャンプコミックスGJ

Photo_20250206171101 タイトルが悪い!

・・・いや、文句を言ってるわけじゃなくて(じゅーぶん、言ってる)。

エロスの種子』の単行本第1巻は2017年4月発行。1巻に4話、大人の男女の関係が(なまなましいセックスをかすめながら)濃密に描かれてきた。
その時点では『エロスの種子』というタイトルはオムニバスな内容に応えて、しっくり馴染んだものと思われた。

ところで、週刊コミック誌の類では、ストーリーマンガで1話完結は難しい。
『ブラック・ジャック』や『浮浪雲』、『代打屋トーゴー』、『ゼロ THE MAN OF THE CREATION』などのように同一主人公で読み切り形式での長期連載は多数派とは言い難く、最初は短い読み切りで始まっても、やがて登場人物を広げて大きな話に流れてしまう作品が少なくない。
『エロスの種子』でも、6巻あたりから1巻数話の形が崩れ始めた。

結果、どうなったか。

ここ数巻の1冊を埋めるストーリーは、すでに「種子」などというパラついたエピソードではない。

一つの人生の幹を枝葉を描く堂々とした物語が続いている。
さらにいえば、主題が大きくなるとともに、青年誌の肴としての「エロス」の意味合いも薄れる。一人の殺人犯の奈落を描くこの9巻において、「エロス」はサービスカットとしての意味も持ち合わせず、ただ主人公の包丁と俎板のように描かれるばかりだ。

最初に戻ろう。

『エロスの種子』ではタイトルが悪い。
ここにあるのは、もっと別の、ものすごいものだ。

2025/01/23

乱評 『最後のレストラン【ダンテ】』(第1巻) 藤栄道彦 / 新潮社 BUNCH COMICS

Photo_20250123173901 長いこと使っていれば歯の根元に膿が溜まることもある。
漫画家だって同じ作品を続けていればペンの付け根にタコができる、膿が溜まる。
人気連載のあとに「なぜこんな」と首を傾げたくなる微妙な作品、ぎしぎしアンバランスな作品が発表され、すぐに打ち切られて忘れられていくのはそういうことなのではないか。
もちろん、プロ中のプロたる漫画家ならそんな作品を描いたことなどおくびにも出さず、勇躍、新たな人気連載を開始する。

・・・藤栄道彦の心持ちなど、わかるわけがない。
わかるわけなどないが、この作品は長年『最後のレストラン』を連載していた藤栄の、セルフメディケーションな踏み外しか、と思う。

そうでなければ──歴史上の人物が次々とレストランを訪れて最後の食事をする、という前作の設定をそのままいかすのはまだしも──シェフの貌を前作から流用し、さらに主人公に「小さい頃お母さんが自殺未遂で家に放火し」その結果、全身に大きなヤケドのあとが目立つ、そういう少女を配する意図がよくわからない。彼女を慰めるに美醜の感性を失わせ、あげく車に轢かれた猫の死体を素手でビチャビチャと・・・

こういう作者のパーソナルな作品について、どうこう評してもしょうがない。
痛みは痛みとして飲み込み、夕まぐれに波が静まるのを待つばかりだ。

より以前の記事一覧