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カテゴリー「コミック(作品)」の451件の記事

2019/07/15

滅んだら滅んだで 『ふしぎの国のバード』(6巻) 佐々大河 / KADOKAWA HARTA COMIX

Photo_20190715161901 イギリスの女流探検家イザベラ・バード(1831~1904年)が、当時まだ未開とされていた日本の東北、北海道を旅して歩いた路程記をコミック化した『ふしぎの国のバード』、第6巻。

通訳兼ガイドを務める伊藤(イト)の契約問題など、やや本筋から外れてフラストレーションの残った数冊に続く新刊は、連載開始当初の熱気を孕む読み応えのある1冊となった。

テーマは医療、火災、紙漉き、そして葬儀。
これら多岐にわたるテーマを1冊に納めるのだからそれぞれのページ数は決して多くないが、それでも体中がちりちり焙られるような焦燥感にかられる。
ここには確かに私たち日本人のルーツがある。

作中の言葉を借りるなら「文明の深淵のような 価値観の話」。
1つの紀行文の中で、数千年の西洋文化と、数千年の極東の小さな国の文化が具体的な事象で出会い、こすれ合い、小さな、だが消えない火花を散らしているのだ。

2019/06/20

真珠は日々群青色 『じゃあまたね』 清原なつの / 集英社ホームコミックス

Photo_20190627182101 我らが清原なつのが漫画家に憧れながら小・中・高校生としてゆるりと過ごす、その昭和の出会いを描く1ページ1ページに手がとまる、胸が震える、たとえばマデレイン・レングルの『五次元世界のぼうけん』、これはカラスが小学校の図書室に出入りして係のミ〇ルちゃんに「この棚からここまで全部読んだ、ふん」とか言い放つケッタクソナマイキなガキだったころトーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬』やベリャーエフ『ドウエル教授の首』などと並んで夢中になった、いや、「首」はシリアスな話だったのに同じ本に入っている「永久パン」はなんだか「大きなカブ」みたいなおとぎ話で同じ作家なのにどういうことだこんなことがあってよいのかと不思議だった、そういう時代に清原なつのが同じ『五次元世界のぼうけん』を読んで、いや、夢中になっていたとは、これ以上ないヨロコビにシッポが震える、清原なつのはその後作画グループに参加したり雑誌に投稿したりでプロの漫画家になり、少年少女世界の名作文学(これも清原なつのの部屋には並んでいる)刊行完了に餓えたカラスは石川喬司の『魔法使いの夏』やテレビで放送された初代『ゴジラ』、そしてそのころ漫画誌で連載されたジョージ秋山『アシュラ』や山上たつひこ『ひかる風』にイカれて、できれば作家、でなくともなんでもよいからともかく本作りにかかわる仕事につこう、そうでなければ一生何もしない、そう祈って願ってそれはかなったのだからカラスの話はどうでもよくて、清原なつのだ、万華鏡のようにあの時代の萩尾望都大島弓子、「11月のギムナジウム」、「3月になれば」、「鳥のように」、「なごりの夏の」、同じ作品を同じころに清原なつのが読んで、雑誌から切り抜いて、わあ、わわわ、ただ昔から少しだけ不思議だったのは清原なつのは当時の前衛的というかSFや少女の自立を扱うそういった作家たちの中でも妙に覚めているというかどこか作家本人を俯瞰して見ている気配があって一つのコマを描くにあたりなぜそのコマをそう描くのか考えていたり知っていたりというふうな、あまり文系理系という区分けは好きではないのだがあえていうなら理系の実験室的な視線がすべてのページに感じられて、たとえば清原なつのは『花図鑑』で少女たちの花、つまりセクシャリティを、いやそんなことはこの『じゃあまたね』では後回しもとい先送りで、始まって3ページめ、小学生の彼女が口ずさむのはザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」、「ザ・」を抜いてはいけませんよ、その向こうの壁には「007は二度死ぬ」のポスターが貼ってある、わあわあ、昭和の読者はうるさくてすみませんね、デモデモダッテ時をかける、時をかける、まあるくなってアルマジロ。

2019/05/27

なんで死んでるんだよっ!! 『インハンド(01)』 朱戸アオ / 講談社 イブニングKC

Photo_8 * 誕生
現在、『インハンド』シリーズで書店で手軽に手に入るのは、
 『インハンド プロローグⅠ ネメシスの杖』
 『インハンド プロローグⅡ ガニュメデスの杯、他』
 『インハンド 01』
の3冊。

『インハンド 01』が2018年からイブニング誌上で連載継続中のもの。
『プロローグⅠ』『プロローグⅡ』はアフタヌーン誌にそれぞれ2013年、2016年に掲載されたもののリニューアル版。以前はそれぞれ『ネメシスの杖』『インハンド 紐倉博士とまじめな右腕』というタイトルでアフタンーンKCから発売されていた(品切れにともないたいそうな高値でやり取りされていたが、テレビドラマ化をきっかけに入手しやすうなったことは善哉)。

ちなみに作者の朱戸アオは「アカトアオ」と読む。サ行の棚に置いてある古本屋さん、そこ違うから。

♂ 男
主人公は寄生虫学の研究者、紐倉哲。紐倉という変わった姓は、ゴルディアスの結び目からかと推察するが確証はない。彼はかゆみ止めの薬品開発による莫大な資産をもって広大な研究所を所有し、うすら笑いを浮かべ、人を見下し、頭脳明晰だが正義より自身の研究を優先する、探偵のカガミのような人物。過去の事件により右手を失っている。「何か自分より弱っている人見たら元気になってきちゃった」は彼の人となりを示す名言。
テレビドラマで紐倉を演ずる山下智久はたいへんイケメンではあるが、とくにそんな「うすら笑い」について少しもの足りない印象を受ける。生真面目すぎ。もっと高田純次でいいと思う。

♀ 女
原作『インハンド』シリーズのヒロインは厚労省患者安全委員会(PSC)調査官の阿里玲から『プロローグⅡ』以降は内閣情報調査室健康危機管理部門の牧野巴に変わっている。テレビドラマで牧野に菜々緒を配したのはこれ以上ない選択肢。TBS、GJ

ちなみに紐倉の研究所にコックとして雇われた雪村潤月は朱戸アオの長編『リウーを待ちながら』(イブニングKC、全3巻)でペストに蹂躙された横走市の生存者。潤月はテレビドラマには出ていないようだが、『リウーを待ちながら』は医療マンガ好きの方はぜひご一読ください。ニ、三週間は浮上できない。

† 死亡
配役以外の、テレビドラマ『インハンド』の印象。
実は、東京慈恵会医科大学の嘉糠洋陸先生(デング熱の紹介でおなじみ)が監修されるというので楽しみにしていたのだが、紐倉が寄生虫専門の学者であるという設定が活かされたのは第1話のみで、あとは原作ともどもごく普通のバイオテロサスペンスドラマになってしまっている。
加えて、第1話では、被害者の誰もが、自らの死を賭しても真相を明らかにしない、というジレンマが作品の最大のキモだったにもかかわらず、ただ犯人側の視点を追ったお涙ちょうだいの復讐譚になってしまった。原作者は怒っていいレベル。

∞ そして無限
作品として、必ずしも全方位的にクオリティが高いとは言わないが、イジワルな探偵、ペダンティックな会話、ほどよく苦味の利いたストーリー展開は捨てがたい。
『ブラックジャック』を起点とする医療マンガにまた一つ「残るもの」をin handできたのではないかと思う。そうあってほしい。

2019/04/18

ご用件は何でしょう? 『セリー』 森泉岳士 / KADOKAWA BEAM COMIX

Photo_4 SFを読む理由を見つけるのが難しい時代になった。
それでも、ときどきこんなふうなヨロコビに満ちた出会いがある。

第一に、中盤までの寂寥感、喪失感がそれはもうたまらない。
この濾過を繰り返したあげくの切なさは、おそらく上質なSFでしか得られないものだ。
作者の特殊な作画技法、朴訥なコマ運びが空気を導いた。

第二に、着眼が憎い。
SFによくある設定、展開(※)に現在の日常アイテムをマージして違和感がない。

ただ、そのアイデアにこだわったためか、114ページ以降のエピローグには余計、酷な言い方をするなら夾雑な印象があった。

この作者は喜怒哀楽を直接描くべきではない、そんなふうにも思われた。


※たとえば筒井百々子「メモリー」(1985年)

2019/03/28

モヤっと 『百鬼夜行抄(27)』 今 市子 / 朝日新聞出版

Photo_2 このブログを置いているNiftyの「ココログ」だが、最近、知れないうちに仕様がいろいろ改悪されて困っている。

その1つがPC版でカテゴリー(たとえば「コミック(作品)」)を選んで表示される記事タイトルの上限が100件になってしまったことで、つまりコミック作品を400件以上扱ってきたこのブログでは、『百鬼夜行抄』の新刊を取り上げるにあたって、過去に自分はどんなことを書いたのかな、と探そうにも古い書き込みは探せない、ないし大変な手間をかけないと見つけられない、ということだ。

ちなみに、新刊として今市子の『百鬼夜行抄』を取り上げた記事は以下のとおり。

  『百鬼夜行抄(19)
  『百鬼夜行抄(13)
  『百鬼夜行抄(12)
  『百鬼夜行抄(10)

と、これだけのピックアップ作業がほんとにもう、面倒くさい。なんとかしてください。 > ココログ運営の中のひと

さて、それはともかく『百鬼夜行抄』シリーズも27冊目、このブログで初めて取り上げてからでも16年以上の月日が経った。

にもかかわらず、作者の筆遣い、登場人物のタッチは大きくは変わらない。あやかしのゆらゆら揺れる存在感、場所や時制がとらえづらく、読み流すにはやっかいだが読み返すと味わい深いコマ割りも馴染んだ身に心地よい。

ただ、先日取り上げた『  』もそうだったが、長期化するとどうしても設定や登場人物のインフレは起こるもので、この27巻でも飯嶋家の遠縁の朝倉家とか三崎のおじさんとか言われてもなんだかよくわからない。26巻の終わりにそういう伏線があったっけか。その家系図が把握できないとこの先楽しめないのか。そうでもないのか。26巻読み返すか。いや、それより大好きだったあの話は何巻だったっけか。あれは6巻、あれは12巻。いや、それではなくて。あれでもなくて。

ああもう、道に迷ってしまった。尾黒、尾白が提灯下げて迎えに来てはくれまいか。

2019/03/14

もうどこにも いかんとぞ 『老境まんが』 山田英生 編 / ちくま文庫

Photo昭和の中期、週刊プレイボーイが青少年のリビドーの吐き出し先として権威を誇っていたころ。未来世界を予測する記事には繰り返し「週刊オールドボーイが老人に人気」という(面白くもない)ジョークが書かれたものだ。
実はこの予測は当たっていて、今や紙媒体の週刊誌の多くは誌名は昔のまま老人専用誌とあいなった。試しに週刊現代なり週刊ポストなり、1冊手に取って目次を見ていただきたい。スキャンダルやスポーツ記事を飾るは昭和に活躍したご老体、ガンに血圧の健康記事、昔アイドルの復活グラビア……。

では、かつて「少年マンガ」「少女マンガ」の2枚看板のもと、少年少女の活躍、恋愛を描くを旨としたマンガ誌はどうなっているのか。

老人向けと明示された雑誌こそ不勉強にして知らないが、個別の作品ではいくつか老齢、老境をテーマとしたものが思い当たる(煩雑なので列挙はパス)。
そんな老人を描いたマンガに着目したアンソロジーがこのたびちくま文庫から発刊された『老境まんが』である。

収録作は以下のとおり。
掲載順ではなく、発表年月日順。一番古い「ざしきわらし」が1963年、「ペコロス」が2014年。60、70、80、90、00、10年代とそれぞれ1~数作ずつのバランスのとれた選択。

 「ざしきわらし」白土三平
 「生命(いのち)」永島慎二
 「なまけ武蔵 ─晩年の武蔵─」水木しげる
 「長八の宿」つげ義春
 「ふじが咲いた」楠勝平
 「武蔵」つげ忠男
 「垣根の魔女 御身大事に…」村野守美
 「ブラック・ジャック 湯治場の二人」手塚治虫
 「田辺のつる」高野文子
 「水茎」一ノ関圭
 「極楽ミシン」近藤ようこ
 「欅の木」谷口ジロー
 「五月の風の下」うらたじゅん
 「ペコロスの母に会いに行く(抄)」岡野雄一

一読、違和感を感じたのは、老人たちがいずれやたら元気なこと。どちらかといえば、いまだ元気、しかし時にはかない、が多い印象。
少年誌などで老人の徘徊を描くわけにもいかなかったろう。
足腰、会話がしっかりしているだけでなく、たとえば認知症の老婆を少女の姿で描いた高野文子「田辺のつる」も作品としては秀逸だが、認知症はこんな均等、健全なものではない。

もう一つ、そもそも実年齢が若い。
近藤ようこ「極楽ミシン」に登場する女性たちは、しわや口ぶりで老婆扱いされるものの、「平均寿命まであと二十年ちょっと」のセリフからせいぜい60歳前後。年金や施設について気にはなるが、徘徊や寝たきりがリアルとなるには多少余裕がある年齢だろう。

考えてみれば、1960、70年代には作者たちもまた若かった。若者から見た老いを描くのが精いっぱいだったに違いない。実のところ、老境というのはもっと曖昧で、混乱と後悔と愚痴と強欲が薄く濃くまだらに表れたりかすれたりよじれたりするものだ。

その意味で2000年以降に描かれたうらたじゅん「五月の風の下」、岡野雄一「ペコロスの母に会いに行く」は格段に的確に老い、認知症を描いているように思われる。

今後、マンガの読み手の高齢化に伴い、こういった作品のニーズはより多くなっていくのは間違いないだろう。
ただ、それを読んで楽しいかというと必ずしもそうでもない。つらいところではある。

2019/02/18

もう良か 『最後のレストラン(12)』 藤栄道彦 / 新潮社 BUNCH COMICS

Photo「懐かしさ」「やるせなさ」との感想に続いて、『最後のレストラン』新刊に感じたのは、隠しようのない「すさみ」のようなものだった。

前回も書いたが、『最後のレストラン』は、偏屈で厭世的なシェフの商うフレンチ・レストラン「ヘブンズドア」に毎回死を目前にした歴史上の偉人がタイムスリップして現れ、彼らが満足する人生最後の一皿を提供しなければならない──という設定。
今回はフィリピンの革命家ホセ・リサール、西郷隆盛、明智光秀、マケドニア王アレクサンドロスⅢ世の4人が登場する。

ストーリーはいずれもギャグを刻んだなごみ系、人の道を説いて前を向き、ある意味道徳の教科書的ですらある。作者は熱意と努力をもって歴史上の人物を調べ、コマ中にその人物の業績と思いを焼き付ける。

──にもかかわらず、いくつかの章を読み終えて残るこの殺伐とした、すさんだものはなんだろう。

決して作者のせいではない。
登場する人物はいずれも歴史上の偉人ではあっても、その死は必ずしも満足な状況下にはない。むしろ敗北や裏切りを受けての屈辱的なものであり、最後の食事に満足しても無念の死であることに変わりはない。

「ヘブンズドア」で供される最後の食事、置き換えればそれは「末期の水」だ。
世界に相対し何かを成し遂げんとした人物であればあるだけ、志半ばに死を迎えたときに口に含む末期の水ははたしてどのような味がするものか。

作者はその水を甘露たれ、と祈る。描く。だが、、、、

2019/02/14

イエスタデイ・ワンス・モア 『オリオンラジオの夜 諸星大二郎劇場第2集』 諸星大二郎 / 小学館

Photoここ数年の諸星大二郎の単行本は、正直、食い足りない印象のものばかりだ。

やむを得ないことかとは思う。
彼の手掛けてきた作品の方向性、たとえば考古学者 稗田礼二郎を語り手とする歴史・伝承ホラー、中国伝奇に想を得た奇譚、クトゥルー神話のパロデイ、異界を描くバイオSF、などなど(この切り分けそのものが難しい。たとえば長編『MUDMEN』は何なのか?)、そのそれぞれのベクトルにおいて圧倒的な作品を舐めるように読み返して我々は、もはや多少のことでは驚かなくなっているのだ。

ビッグコミック増刊号で掲載された短篇をまとめた「諸星大二郎劇場」、第1集の『雨の日はお化けがいるから』も、「すでにどこかで読んだような」、ばたついた短篇集だった。

最新刊『オリオンラジオの夜』はその「諸星大二郎劇場」の第2集で、こちらも残念ながら1冊を通すと同じ作者の最高水準にはほど遠い。
それでも、収録8篇のうち6篇を占める「オリオンラジオ」シリーズ、これは奇妙なやるせなさに満ちている。晴れた冬の夜、限られた場所でしか聞くことのできないラジオ放送、そこから流れる洋楽(主に60年代、70年代のヒット曲)が登場人物の人生を静かに狂わせ、隠された事実を明らかにする。
親しい者が消えていく物語の中で、発信者も発信元もわからないオリオンラジオばかりがかすかに響く、そのうら寂しさは当時ノイジーな深夜放送に一生懸命チューニングを合わせた者には共感を得るに違いない。

逆にいえば、ラジオの深夜放送を聞く、そこで初めて耳にする洋楽ヒットに胸をときめかす、そんな経験のない(さらに作中のヒット曲タイトルにまったく聞き覚えのない)最近の読者にはとっかかりのない作品集かもしれない。
もとより、諸星大二郎に「万人受け」など誰も期待していないのだが。

2019/02/11

『からかい上手の高木さん』(第10巻) 山本崇一朗 / 小学館 ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル

なんて商売が巧いんだ。買ってしまいましたよ「卓上日めくりカレンダー付き特別版
だって、今年4月から来年3月まで、うるう366枚、日めくりで毎日高木さんだもの。

付録はもちろん、単行本本体も、相変わらずの高木さんに西片くんでイチゴの甘さ、レモンの痛み。
今回では授業中にやり取りする手紙を描いた「縦読み」が逸品。

それにしても新刊を読むたびに懐かしさに胸打たれる、不思議ふしぎ。

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2019/02/04

心外だなぁ 『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(13)』 原作 草水 敏、漫画 恵 三朗 / 講談社 アフタヌーンKC

Photo待望、『フラジャイル』新刊。

前巻にて助手的立場から一つ独立宣言を果たした宮崎智尋医師のように、本作自体、すでにどこかでブレークスルーを興していたわけだが、それは同時に智尋と同じように、もはや引けない、戻れないステージに自らを無理やり押し上げたことである。

第13巻では幕間にあたる掌編を挟み、改めて新たな大ネタにあたるが──ネタバラシをしてしまうなら、今回のテーマは宇和島徳洲会病院の万波誠医師の治療行為で訴訟を含む社会問題となった無許可での病気(修復)腎移植のバリエーションである──腎不全に苦しむ患者数に対して、生体死体合わせてドナー提供者の数は圧倒的に不足しており、病気腎移植の是非について議論は現在も続いている。すでに史実のあるこの難しいテーマを本巻、次巻にかけてどう描き切るか、作者の手腕が問われる。

──と、作品を読んでない方にはおよそチンプンカンプンな書評を書いて投げ出すのは、少なくとも医療マンガに興味のある方なら『フラジャイル』はもはや必須、必読と考える由。

ついでに。
全国の医学生の皆さん、今週末に控えた医師国家試験を終えたなら(お疲れさま!)、やれ卒業旅行、やれ引越しと浮かれる前に書店に走って『フラジャイル』を全巻買い求めよう。ここには国試には出なくとも、いずれあなた方がぶつかる問題が、そのまま問われている。模範解答は、ない。

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