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カテゴリー「コミック(作品)」の448件の記事

2019/04/18

ご用件は何でしょう? 『セリー』 森泉岳士 / KADOKAWA BEAM COMIX

Photo_4 SFを読む理由を見つけるのが難しい時代になった。
それでも、ときどきこんなふうなヨロコビに満ちた出会いがある。

第一に、中盤までの寂寥感、喪失感がそれはもうたまらない。
この濾過を繰り返したあげくの切なさは、おそらく上質なSFでしか得られないものだ。
作者の特殊な作画技法、朴訥なコマ運びが空気を導いた。

第二に、着眼が憎い。
SFによくある設定、展開(※)に現在の日常アイテムをマージして違和感がない。

ただ、そのアイデアにこだわったためか、114ページ以降のエピローグには余計、酷な言い方をするなら夾雑な印象があった。

この作者は喜怒哀楽を直接描くべきではない、そんなふうにも思われた。


※たとえば筒井百々子「メモリー」(1985年)

2019/03/28

モヤっと 『百鬼夜行抄(27)』 今 市子 / 朝日新聞出版

Photo_2 このブログを置いているNiftyの「ココログ」だが、最近、知れないうちに仕様がいろいろ改悪されて困っている。

その1つがPC版でカテゴリー(たとえば「コミック(作品)」)を選んで表示される記事タイトルの上限が100件になってしまったことで、つまりコミック作品を400件以上扱ってきたこのブログでは、『百鬼夜行抄』の新刊を取り上げるにあたって、過去に自分はどんなことを書いたのかな、と探そうにも古い書き込みは探せない、ないし大変な手間をかけないと見つけられない、ということだ。

ちなみに、新刊として今市子の『百鬼夜行抄』を取り上げた記事は以下のとおり。

  『百鬼夜行抄(19)
  『百鬼夜行抄(13)
  『百鬼夜行抄(12)
  『百鬼夜行抄(10)

と、これだけのピックアップ作業がほんとにもう、面倒くさい。なんとかしてください。 > ココログ運営の中のひと

さて、それはともかく『百鬼夜行抄』シリーズも27冊目、このブログで初めて取り上げてからでも16年以上の月日が経った。

にもかかわらず、作者の筆遣い、登場人物のタッチは大きくは変わらない。あやかしのゆらゆら揺れる存在感、場所や時制がとらえづらく、読み流すにはやっかいだが読み返すと味わい深いコマ割りも馴染んだ身に心地よい。

ただ、先日取り上げた『  』もそうだったが、長期化するとどうしても設定や登場人物のインフレは起こるもので、この27巻でも飯嶋家の遠縁の朝倉家とか三崎のおじさんとか言われてもなんだかよくわからない。26巻の終わりにそういう伏線があったっけか。その家系図が把握できないとこの先楽しめないのか。そうでもないのか。26巻読み返すか。いや、それより大好きだったあの話は何巻だったっけか。あれは6巻、あれは12巻。いや、それではなくて。あれでもなくて。

ああもう、道に迷ってしまった。尾黒、尾白が提灯下げて迎えに来てはくれまいか。

2019/03/14

もうどこにも いかんとぞ 『老境まんが』 山田英生 編 / ちくま文庫

Photo昭和の中期、週刊プレイボーイが青少年のリビドーの吐き出し先として権威を誇っていたころ。未来世界を予測する記事には繰り返し「週刊オールドボーイが老人に人気」という(面白くもない)ジョークが書かれたものだ。
実はこの予測は当たっていて、今や紙媒体の週刊誌の多くは誌名は昔のまま老人専用誌とあいなった。試しに週刊現代なり週刊ポストなり、1冊手に取って目次を見ていただきたい。スキャンダルやスポーツ記事を飾るは昭和に活躍したご老体、ガンに血圧の健康記事、昔アイドルの復活グラビア……。

では、かつて「少年マンガ」「少女マンガ」の2枚看板のもと、少年少女の活躍、恋愛を描くを旨としたマンガ誌はどうなっているのか。

老人向けと明示された雑誌こそ不勉強にして知らないが、個別の作品ではいくつか老齢、老境をテーマとしたものが思い当たる(煩雑なので列挙はパス)。
そんな老人を描いたマンガに着目したアンソロジーがこのたびちくま文庫から発刊された『老境まんが』である。

収録作は以下のとおり。
掲載順ではなく、発表年月日順。一番古い「ざしきわらし」が1963年、「ペコロス」が2014年。60、70、80、90、00、10年代とそれぞれ1~数作ずつのバランスのとれた選択。

 「ざしきわらし」白土三平
 「生命(いのち)」永島慎二
 「なまけ武蔵 ─晩年の武蔵─」水木しげる
 「長八の宿」つげ義春
 「ふじが咲いた」楠勝平
 「武蔵」つげ忠男
 「垣根の魔女 御身大事に…」村野守美
 「ブラック・ジャック 湯治場の二人」手塚治虫
 「田辺のつる」高野文子
 「水茎」一ノ関圭
 「極楽ミシン」近藤ようこ
 「欅の木」谷口ジロー
 「五月の風の下」うらたじゅん
 「ペコロスの母に会いに行く(抄)」岡野雄一

一読、違和感を感じたのは、老人たちがいずれやたら元気なこと。どちらかといえば、いまだ元気、しかし時にはかない、が多い印象。
少年誌などで老人の徘徊を描くわけにもいかなかったろう。
足腰、会話がしっかりしているだけでなく、たとえば認知症の老婆を少女の姿で描いた高野文子「田辺のつる」も作品としては秀逸だが、認知症はこんな均等、健全なものではない。

もう一つ、そもそも実年齢が若い。
近藤ようこ「極楽ミシン」に登場する女性たちは、しわや口ぶりで老婆扱いされるものの、「平均寿命まであと二十年ちょっと」のセリフからせいぜい60歳前後。年金や施設について気にはなるが、徘徊や寝たきりがリアルとなるには多少余裕がある年齢だろう。

考えてみれば、1960、70年代には作者たちもまた若かった。若者から見た老いを描くのが精いっぱいだったに違いない。実のところ、老境というのはもっと曖昧で、混乱と後悔と愚痴と強欲が薄く濃くまだらに表れたりかすれたりよじれたりするものだ。

その意味で2000年以降に描かれたうらたじゅん「五月の風の下」、岡野雄一「ペコロスの母に会いに行く」は格段に的確に老い、認知症を描いているように思われる。

今後、マンガの読み手の高齢化に伴い、こういった作品のニーズはより多くなっていくのは間違いないだろう。
ただ、それを読んで楽しいかというと必ずしもそうでもない。つらいところではある。

2019/02/18

もう良か 『最後のレストラン(12)』 藤栄道彦 / 新潮社 BUNCH COMICS

Photo「懐かしさ」「やるせなさ」との感想に続いて、『最後のレストラン』新刊に感じたのは、隠しようのない「すさみ」のようなものだった。

前回も書いたが、『最後のレストラン』は、偏屈で厭世的なシェフの商うフレンチ・レストラン「ヘブンズドア」に毎回死を目前にした歴史上の偉人がタイムスリップして現れ、彼らが満足する人生最後の一皿を提供しなければならない──という設定。
今回はフィリピンの革命家ホセ・リサール、西郷隆盛、明智光秀、マケドニア王アレクサンドロスⅢ世の4人が登場する。

ストーリーはいずれもギャグを刻んだなごみ系、人の道を説いて前を向き、ある意味道徳の教科書的ですらある。作者は熱意と努力をもって歴史上の人物を調べ、コマ中にその人物の業績と思いを焼き付ける。

──にもかかわらず、いくつかの章を読み終えて残るこの殺伐とした、すさんだものはなんだろう。

決して作者のせいではない。
登場する人物はいずれも歴史上の偉人ではあっても、その死は必ずしも満足な状況下にはない。むしろ敗北や裏切りを受けての屈辱的なものであり、最後の食事に満足しても無念の死であることに変わりはない。

「ヘブンズドア」で供される最後の食事、置き換えればそれは「末期の水」だ。
世界に相対し何かを成し遂げんとした人物であればあるだけ、志半ばに死を迎えたときに口に含む末期の水ははたしてどのような味がするものか。

作者はその水を甘露たれ、と祈る。描く。だが、、、、

2019/02/14

イエスタデイ・ワンス・モア 『オリオンラジオの夜 諸星大二郎劇場第2集』 諸星大二郎 / 小学館

Photoここ数年の諸星大二郎の単行本は、正直、食い足りない印象のものばかりだ。

やむを得ないことかとは思う。
彼の手掛けてきた作品の方向性、たとえば考古学者 稗田礼二郎を語り手とする歴史・伝承ホラー、中国伝奇に想を得た奇譚、クトゥルー神話のパロデイ、異界を描くバイオSF、などなど(この切り分けそのものが難しい。たとえば長編『MUDMEN』は何なのか?)、そのそれぞれのベクトルにおいて圧倒的な作品を舐めるように読み返して我々は、もはや多少のことでは驚かなくなっているのだ。

ビッグコミック増刊号で掲載された短篇をまとめた「諸星大二郎劇場」、第1集の『雨の日はお化けがいるから』も、「すでにどこかで読んだような」、ばたついた短篇集だった。

最新刊『オリオンラジオの夜』はその「諸星大二郎劇場」の第2集で、こちらも残念ながら1冊を通すと同じ作者の最高水準にはほど遠い。
それでも、収録8篇のうち6篇を占める「オリオンラジオ」シリーズ、これは奇妙なやるせなさに満ちている。晴れた冬の夜、限られた場所でしか聞くことのできないラジオ放送、そこから流れる洋楽(主に60年代、70年代のヒット曲)が登場人物の人生を静かに狂わせ、隠された事実を明らかにする。
親しい者が消えていく物語の中で、発信者も発信元もわからないオリオンラジオばかりがかすかに響く、そのうら寂しさは当時ノイジーな深夜放送に一生懸命チューニングを合わせた者には共感を得るに違いない。

逆にいえば、ラジオの深夜放送を聞く、そこで初めて耳にする洋楽ヒットに胸をときめかす、そんな経験のない(さらに作中のヒット曲タイトルにまったく聞き覚えのない)最近の読者にはとっかかりのない作品集かもしれない。
もとより、諸星大二郎に「万人受け」など誰も期待していないのだが。

2019/02/11

『からかい上手の高木さん』(第10巻) 山本崇一朗 / 小学館 ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル

なんて商売が巧いんだ。買ってしまいましたよ「卓上日めくりカレンダー付き特別版
だって、今年4月から来年3月まで、うるう366枚、日めくりで毎日高木さんだもの。

付録はもちろん、単行本本体も、相変わらずの高木さんに西片くんでイチゴの甘さ、レモンの痛み。
今回では授業中にやり取りする手紙を描いた「縦読み」が逸品。

それにしても新刊を読むたびに懐かしさに胸打たれる、不思議ふしぎ。

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2019/02/04

心外だなぁ 『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(13)』 原作 草水 敏、漫画 恵 三朗 / 講談社 アフタヌーンKC

Photo待望、『フラジャイル』新刊。

前巻にて助手的立場から一つ独立宣言を果たした宮崎智尋医師のように、本作自体、すでにどこかでブレークスルーを興していたわけだが、それは同時に智尋と同じように、もはや引けない、戻れないステージに自らを無理やり押し上げたことである。

第13巻では幕間にあたる掌編を挟み、改めて新たな大ネタにあたるが──ネタバラシをしてしまうなら、今回のテーマは宇和島徳洲会病院の万波誠医師の治療行為で訴訟を含む社会問題となった無許可での病気(修復)腎移植のバリエーションである──腎不全に苦しむ患者数に対して、生体死体合わせてドナー提供者の数は圧倒的に不足しており、病気腎移植の是非について議論は現在も続いている。すでに史実のあるこの難しいテーマを本巻、次巻にかけてどう描き切るか、作者の手腕が問われる。

──と、作品を読んでない方にはおよそチンプンカンプンな書評を書いて投げ出すのは、少なくとも医療マンガに興味のある方なら『フラジャイル』はもはや必須、必読と考える由。

ついでに。
全国の医学生の皆さん、今週末に控えた医師国家試験を終えたなら(お疲れさま!)、やれ卒業旅行、やれ引越しと浮かれる前に書店に走って『フラジャイル』を全巻買い求めよう。ここには国試には出なくとも、いずれあなた方がぶつかる問題が、そのまま問われている。模範解答は、ない。

2019/01/21

プロ二人 『耳袋秘帖 眠れない凶四郎<1>』 風野真知雄 / 文春文庫、『狂四郎2030(全20巻)』 徳弘正也 / 集英社 ジャンプ・コミックス デラックス

Photo耳袋秘帖」シリーズもさすがにダレ気味、とか思っていたらいきなりの新章スタート、スピンオフですらなく、新たな登場人物を主役に置いて従来のメインキャラたちを脇役に追いやる。プロだなあ、風野真知雄。

新主人公 土久呂凶四郎は池の端の出合い茶屋で妻を惨殺され、以来不眠症に悩む南町奉行所の定町回り同心。
本シリーズにかつてなかった救いのない設定だ。凶四郎は妻の死の真相を暴き、立ち直ることができるのだろうか。

タイトルはもちろん柴田錬三郎『眠狂四郎』からの剽窃である。ただし内容にはほとんど類似性はない。同じ時代小説であの大名作からパクっておいてこの気負いのなさ、てらいなさ。いっそ不思議なくらいだ。

ともかく「そろそろ新刊が出ても追うのをやめようか」となりかけたところでこの新展開、またしばらくはわくわくを続けることができそうで嬉しい。
いやもちろん凶四郎の心中を思いやればわくわくなんて失礼千万な話なのだが。

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2030ところで、「きょうしろう」といえばもう一つ、近未来社会を描いたマンガ『狂四郎2030』についても触れておきたい。

作者徳弘正也は少年ジャンプ掲載の『シェイプアップ乱』『ジャングルの王者ターちゃん♡』など、クセのある描線に過剰な下ネタギャグで知られる。そのくせストーリーだけ追うと苛烈な闘いと悲哀の相まったスケールの大きなドラマを提供する、不思議な作家である。

『狂四郎2030』はその徳弘が少年誌から青年誌に移った最初の作品で、21世紀の世界大戦後のゲノム管理社会下、バーチャルネットワークを通して出会った男女が現実にめぐり逢うために旅と闘いを繰り広げるという物語である。
その(とくにヒロイン志野の)設定の過酷さは、『北斗の拳』が子ども向き絵本に思えるほどだ。

そして、その過酷な物語を、徳弘は少年誌より格段にパワーアップした遠慮会釈ない下ネタとグロな描写で覆い尽くす。

(最近よく目にする)人間性を徹底的に壊しては再構築し、その中で人間の尊厳と存在意義を問う、その手法の先駆性において『狂四郎2030』は『寄生獣』と並び称されるべき作品の1つではないかと思う。だが、読み手を選ぶ絵柄、万人に奨めがたい下ネタ連発のため、徳弘作品は「面白いが打ち切りになることの多いベテランのマンガ」として流れて消えていく。

いや、消してはいかんだろ。
再販しろよ集英社。

2018/12/22

宣伝し続ける17歳 『6代目 日ペンの美子ちゃん』 服部昇大 / 一迅社

Photo研究・発掘本だった『あの素晴らしい 日ペンの美子ちゃん をもう一度』の刊行から気がつけばもう十有余年、今度は実作マンガ単行本だ。

作者がネット上で美子ちゃんのパロディマンガを描いていたところ、声がかかり、公式に6代目となったという。

そんないきさつなどどうでもよいくらい、この1冊にあふれるテンポ、ひねりのセンス、バイタリティはあの美子ちゃんそのものだ。
ことに応じて日ペンを紹介する、ただそれだけといえばそれだけの1ページなのに、つい読んでしまう。ほんの少し元気になる。

時事ネタ、パロディネタ、ささやかな生活の一コマ、どんな話題も強引に

  日ペンは80年の歴史があって
  先生方も超一流ぞろい!
  1日20分の練習で
  1週間もすればすぐに上達よ!

につないでみせて、考えてみればその無敵性においてマンガ界で男子は諸星あたる、女子は美子ちゃん、この二人が双璧なのではないか。

唯一気になるのは、スペシャルコメント欄に初代美子ちゃんの矢吹れい子(=中山星香)さんからのメッセージがなかったこと。
「美子ちゃんは初代しか認めない!」とまでは言わないが、自分にとって美子ちゃんといえばあくまでというかどうしても1970年代の少女マンガ誌の巻末をカラフルに飾っていたあの初代美子ちゃん。6代目はそのキャラクターをよく受け継いでいるだけに、初代作者の感想を聞いてみたかった。

2018/12/17

大団円 『そこをなんとか』(最終15巻) 麻生みこと / 白泉社 花とゆめCOMICS スペシャル

15素晴らしい。

相続、親権、結婚詐欺、少年犯罪、自己破産、民事再生法、不当解雇、モラハラ、などなど、さまざまな法律事務、訴訟に片をつけてきた『そこをなんとか』、最終巻では(表紙にあるので書いてしまうが)「薬害訴訟」「弁護団結成」というこれ以上ない大ネタ。主人公楽子の成長も感じられ、モヤっていたアチラのほうもきっちりランディングして、ダイ・ダン・エーン!!

ということで、褒めよ讃えよで終わればよいものを、ついつい細かいことまでつついてしまうのがカラスの悪いくせ。
麻生みことファンの方はこの後は読みませんように。

たとえば、有能、優秀、とこれ以上ないほどに切れ者扱いされてきた先輩弁護士東海林の、今回の扱い──もう少しなんとかならなかっただろうか。
いや、もちろん東海林が勝ったのでは話にならないし、テレ朝「リーガルV」の向井理、NHK「炎上弁護人」の小澤征悦らの例を引くまでもなく、ヒロインの元パートナーのエリート弁護士なんて毎度こんな扱いなのだけれど。

も一つ、これはこの作品の最初からずっと靴下の中に入り込んだ砂粒みたいに気になっていたこと。
楽子が司法試験を受けるための収入源としてキャバ嬢だった──この設定は必要だっただろうか。外国人を含む大勢と同居、という設定も、生かす生かさないの前に妥当だったかどうか。
キャバ嬢であったことが最終巻の薬害訴訟の伏線となった、これはわかる。だが、そもそも、男女の機微に疎い楽子のキャラとキャバ嬢という仕事がかみ合わない印象が強いのである。
(ちなみに薬害訴訟の準備の中で楽子は現役キャバ嬢たちを「彼ら」と呼び、彼女たちから「先生」と呼ばれて訂正しない)。

作品中随所にみられる楽子の自問自答、心の中のボケ、ツッコミでいえば、

  あたしが夜の嬢? ないない
  誰があたしに金落とすって?

こちらが自然な気がする。
そう、不自然なのである。

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