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カテゴリー「コミック(評論等)」の47件の記事

2017/05/10

『封印作品の謎 テレビアニメ・特撮編』『封印作品の謎 少年・少女マンガ編』 安藤健二 / 彩図社

『封印作品の謎 テレビアニメ・特撮編』『封印作品の謎 少年・少女マンガ編』は、安藤健二の単行本『封印作品の謎』『封印作品の謎2』(以上太田出版)『封印作品の憂鬱』(洋泉社)3冊から再編集、文庫化したもの。

先に目次を転記しておこう。

1『封印作品の謎 テレビアニメ・特撮編』

第一章 闇に消えた怪獣
 ──『ウルトラセブン』
   第一二話「遊星より愛をこめて」
第二章 裁かれない狂気
 ──『怪奇大作戦
   第二四話「狂鬼人間
第三章 忘れられた予言
 ──映画『ノストラダムスの大予言』
第四章 ウルトラとガンダムの間に
 ──『サンダーマスク』
第五章 ポケットの中の悪夢
 ──日テレ版『ドラえもん』

2『封印作品の謎 少年・少女マンガ編』

第一章 禁じられたオペ
 ──『ブラック・ジャック』
   第四一話「植物人間」・第五八話「快楽の座」
第二章 引き裂かれたリボン
 ──『キャンディ・キャンディ』
第三章 悲しい熱帯
 ──『ジャングル黒べえ』
第四章 怨霊となったオバケ
 ──『オバケのQ太郎』

目次を書き写したのには意味がある。
章数がこの手の本としては極めて少ないのだ。

たとえば同じ彩図社の文庫『定本 消されたマンガ』(赤田祐一、ばるぼら 共著)では、約60タイトルのマンガが扱われている。
1冊あたりでみれば10分の1以下、ということになる。

この章数の少なさは何を表すのか。
著者の取材が執拗、なのである。

テレビで再放送されない回があるなら、最後に放送されたのはいつ、どの局でなのか。フィルムはどこにあるのか。権利はどこにあるのか。なぜ再放送、DVD化が止められているのか。その問題を最初に指摘したのは誰か。その人物は今はどう考えているのか。制作側は。
著者は堅い木の薄皮を1枚1枚はがすように、関係者を訪ね歩き、問い、彼らの返答ないし沈黙(取材拒否)を記録していく。取材の多くは空振りに終わるが、それでもいかなる意図が働いたか(流行りの「忖度」というやつだ)、やがて壁は壁の形として見えてくる。
(この自身に厳しいスタイルのため、著者はノンフィクション作家として作品を多発することができず、生活のためにサラリーマンに戻ったという。なんという損失だろう。)

たとえば連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤の部屋にダビングテープがあったことで話題になった『ウルトラセブン』の第一二話、これ一つとっても「スペル星人が被爆者差別として問題扱いされたため」などという単純な図式ではすまない。背景には番組制作を離れたところでの紙媒体での紹介事故(と言ってよいと思う)、指摘を受けての制作側の初動ミスがあり、ひとたび封印された後は「はれもの」として「なかったことにする」業界の体質があった。

扱われている作品は総じて古いものが多い。だが、見えてくる構図は普遍的だ。

単行本から文庫になる間に封印の解けた作品もある(『オバケのQ太郎』など)。
それはよいことだ、しかし藤子不二雄にかかわる顛末はいずれも爽快とは言い難い。
僕たちは藤子不二雄の作品世界について、あのシンプルでかわいらしい線に騙されてきたのかもしれない。──だが、騙されるなら騙されたままでいたほうがよい、そういうことだってある。

同じく後味が悪いのは、一世を風靡した『キャンディ・キャンディ』(「・」は正しくはハートマーク)が絶版、放送停止にいたる顛末だ。
背景には原作者水木杏子と作画担当のいがらしゆみこの係争がある。
この係争はマンガにおいて原作者と作画者、どちらに著作権があるか──という報道をされることが少なくないが(最高裁では原作者水木側の勝訴)、こと本書を読む限り、実際はもう少しプリミティブな人間性に問題があったように読める。
田中圭一の『ペンと箸』においていがらしゆみこはその子息によって

  著作権裁判とかプライベートでつらいことが
  山のようにあった時も
  彼女はいつもほがらかで明るい
  そういう母をかっこいいと思ってきました

と語られる。
そうだろうか? この時期、いがらしはむしろ思い悩み、反省し、いかに謝罪、和解するかを考えて呻吟すべきだった。それが、それのみが『キャンディ・キャンディ』を復活に導く、本当にかっこいい母親の姿だったはずだ。違うだろうか。

2017/02/09

不安の入り口、希望の出口 『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』 田中圭一 / 角川書店

田中圭一といえば、手塚治虫パックリな絵柄でよもやのお下劣ギャグを連発する、“神をも恐れぬ”サラリーマン兼業漫画家、その人である。
ちなみに「パロディ」なるものは高度な批評眼と描写力を必要とする知的作業であり、田中圭一もサイテー、ド変態な印象の一方、さまざまな漫画家のペンタッチをトレースすることでそのコマの意図を深掘りする漫画評論家の一人でもある。あの夏目房之介の傑作『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の系譜を正しく継ぐ者といえるだろう。

Photo最近は『Gのサムライ』などさらにゲスいパフォワッ!!な作品を発表するかたわら、その憑依ペンタッチを活かしたインタビュー作品に伸長著しい。
人気漫画家23人の──本人でなく──子息・息女を招いてその漫画家の馴染みの店、好きな食べ物を取材し、しかもその模様をその漫画家のタッチで描いた『ペンと箸 ~漫画家の好物~』は、漫画家たちの意外な実像とその子として育つ若者たちの生き様に迫る予想を遥かに上回る好著だ。ちばてつや、手塚治虫、赤塚不二夫、山本直樹、池上遼一、魔夜峰央、上村一夫、諸星大二郎、永野のりこら、取り上げられた漫画家のプライベートはいずれも興味深いが、ことに『ど根性ガエル』の吉沢やすみ、『アストロ球団』の中島徳博、『まんだら屋の良太』の畑中純の章など思いがけない展開と哀惜に充ち、人気作品にリアルタイムに触れてきたファンは涙を禁じ得ないだろう。

さて、そんな田中圭一の最新刊『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』はさらにシリアスな内容で、長年うつ病に苦しんできた著者本人、またロックミュージシャン大槻ケンジ、AV監督代々木忠(!)、小説家宮内悠介、熊谷達也らが表だっての活躍の一方でどうしてうつに陥ったか、いかにそのトンネルを抜け出たかをじっくりヒアリングし、うつ症状の実情、うつに陥るきっかけ、そして(容易ではないものの)そこから抜け出す方法について懇切丁寧にまとめたインタビュー形式のレポートである。

もちろん、類似のアドバイスは、文章の形でならすでにあちこちに再三書かれてきたに違いない。それを、漫画という、流して読みやすく、笑いを交えて理解しやすい形で提示したことが大きい。
発売後、売り切れの書店が相次ぐなど、ネットを中心に話題となり、同じくうつに苦しんだ人々から「よくわかる」「もっと早く読みたかった」「知り合いにも読ませたい」等、熱い共感が集まっている。

さて、この後は少しダークサイドに走るので、自分も苦しんでいる、あるいはようやく抜けたという方はご遠慮ください。

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Photo_3その好評の『うつヌケ』だが、読み終えての第一印象、それは実は世評とは逆に「この本はまずい、危ない」というものだった。

トンネルを抜ける手段がわかりやすいということは、そのトンネルに追いやる方法も明らか、ということだ。
誰かをうつに貶めたい、あるいはうつに苦しむ誰かをさらに苦しめたい、そんな毒親、毒家族、毒上司、毒同僚等々にとって、本書は天の与えた悪魔のお手軽マニュアルになりかねない。うつに苦しむ、あるいはうつに陥りかねぬ誰もが本作中に登場する人々のように才能や仕事に恵まれ、家族に恵まれているわけではない。もし悪意をもった誰かが本作を手にしたならば……。

もっとも実際のところ、そんな心配など杞憂に過ぎない。
蛇は毒を行使するにマニュアルなど必要としない。まして人をうつに追いやる毒は、自覚された歴然たる悪意などではなく、善意や好意や「あなたのため」の名のもとに押しかけてくるものだ。

2016/07/13

『連載終了! 少年ジャンプ黄金期の舞台裏』 巻来功士 / イースト・プレス

Photo1980年代、『ドラゴンボール』『北斗の拳』『聖闘士星矢』『ブラック・エンジェルズ』『キン肉マン』『シティーハンター』『キャプテン翼』『ジョジョの奇妙な冒険』などの連載マンガで少年ジャンプが最も熱かったころ、エログロオカルトバイオレンスアクション『ゴッドサイダー』でマニアックな人気を博した巻来功士の自伝的コミック。

『ゴッドサイダー』は少年ジャンプ伝統の“友情・努力・勝利”の構図に表向きはのっとりながら、憑かれたような過剰さに自ら燃え尽きて消えていった。『連載終了!』にはその前後の経緯が語られていて興味深い。

ただし、ここで示されるのは、作家本人と、せいぜい担当編集者とのやり取りであり、編集部内での評価等がすべて明らかになるわけではない。むしろこの『連載終了!』を読んで痛々しく感じるのは、少なくとも当時、マンガ家という職業は編集部に対して常にその時点のただ一人の編集担当者を通してしか雑誌そのもの(編集部)や読者とのつながりを持ち得なかったということだ。

「月刊フラワーズ」2016年7月号には、『ポーの一族』40年ぶりの新作に添えて萩尾望都と山岸凉子の対談が掲載されているが、その中で山岸は掲載当時の『ポーの一族』は読まなかったと述懐している。
『連載終了!』を見ても、同じ少年ジャンプに連載を持ちながらマンガ家どうしの付き合いは驚くほど薄い(その例外がマンガ家自身が他の作家のもとを訪れるアシスタント業だといえる)。

後半、編集部の求めるものと自身の求めるものの乖離を明確に意識した巻来は、走りながら叫ぶ。

  オレはもうただ強さを競うだけの単純な漫画なんて描かない!!
  戦って死んでもそのたびに友情や愛の力で蘇る漫画なんて描かない!!

その決意の結果生まれたのが、青年マンガの傑作『ミキストリ -太陽の死神-』だった。──とはいえ、巻来作品のファンから見れば『ゴッドサイダー』も『ミキストリ』も妄想の暴走度合いにおいてたいした違いはない。

だからこそ、この作者の作品は他のなにものにも代えがたいのだが。

おまけ1
巻来作品の中で、個人的には(連載打ち切りとなった)『メタルK』が一番好もしい。戦いがだらだらと拡大再生産される手前で終わる壮絶な美しさ。

おまけ2
巻末対談の堀江信彦氏(少年ジャンプ5代目編集長)のコメントは極めて有用。縦糸と横糸、どっちの才能、マンガ家は絵コンテが切れる、など。 

2016/06/14

忠田氏に続け! 「下水道マンガを探検する」

というわけで、忠田友幸氏の『下水道映画を探検する』にならい、マンガの中の下水道シーンを探してみた。
以下は今日一日の書庫漁りの成果なのだが、まずまずといったところか。

まず寺沢武一『コブラ』。
予想どおり、手元にあるジャンプ・コミックスデラックス版の1巻、「不死身の男」にあっさり見つかった。いかにもコブラらしい場面だけに、探せばほかのシリーズやアニメにも見つかるのではないか。
なお、この次のページには、水路が3方向から1つに集まるような仕組みもあり、下水道の造りとして妥当なのか忠田氏に伺いたいところである。
(宇宙のどこかの星の下水道として妥当かどうか、判断できるとしての話だが。)

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たかもちげん『代打屋トーゴー』第29話「アナコンダ」(モーニングKC 3巻)より。
主人公の「代打屋トーゴー」は、昼は市の土木課に勤める公務員。しかし、8時間のうち1時間しか働かない「パァピン」と呼ばれるダメ課員なので、代打稼業に本業の知識が活用される例は珍しい。
なお、古尾谷雅人主演のオリジナルビデオ作品もあるらしいのだが未見。したがってそちらにこの下水道シーンがあるかどうかも不明。
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伊藤潤二『うずまき』第12話「台風1号」(スピリッツ怪奇コミックス)より。
おそらく『コブラ』のようなサスペンスマンガ、アクションマンガには下水道を逃亡するシーンが少なからず描かれてきたと思われるが、ホラーマンガではどうだろう。それも作者が伊藤潤二となると……この「台風1号」も、とびきりヘンな話ではある。
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ジョージ秋山『浮浪雲』二十四 迎の巻第二章「水音」(ビッグコミックス)より。
下水道マンガとしては逸品。江戸末期の水洗便所、下水の発案者として小山五郎次なる少年が登場する。
ただし、「小山五郎次」なる名前はGoogle検索しても出てこないので、ちょっとまゆつば。
実在の人物をけなげなアイデア少年として浮浪とからめたなら巧いし、実在しないなら話造りが巧い。ということにしておこう。
Photo_7

惜しかったのはとり・みき『パシパエーの宴』(チクマ秀版社)収録の「宇宙麺」。
未消化のラーメン状の生物が日本中の麺に紛れて現れるという実にゲロい話だが、この生物が道端の側溝にずるずるとぷん──と這い入る場面がある。残念ながら這い入った先の下水道の内までは描かれていない。

2016/05/31

萩尾望都をめぐる雑感 その4 SF原画展と「ドアの中のわたしのむすこ」

☆彡 5月3日には武蔵野市立吉祥寺美術館の「萩尾望都SF原画展」を訪ねた。

Gengaten
☆彡 図録にあたる「萩尾望都 SFアートワークス」とそのリーフレット。

Zuroku

☆彡 自宅の箱にあった「スターレッド」が表紙を飾った週刊少女コミックの表紙。原画展にも同じ号が展示されていた。

Starred

☆彡 下上は、展示されていた「ドアの中のわたしのむすこ」、知る人ぞ知るダーナ・ドンブンブンの表紙原画(「萩尾望都 SFアートワークス」より)だが、展示原画ではこのロゴは文字の線に合わせて丁寧に切り取り、貼り付けてあった。
どう見ても雑誌掲載時のロゴ(下下)の方がいい(そもそも原画展のほうは「むすこ」が漢字になっているし)。
ゲラで修正したのだろうか? ちょっと手順の見当がつかない。

Door1
Door2

☆彡 ちなみに「ドアの中のわたしのむすこ」は「別冊少女コミック」1972年4月号に掲載されたが、掲載位置は巻末だった。
したがって最後のページの裏にはその号の目次がある。
同じ号には玉三郎の岸裕子や超人ロックの聖悠紀の名があり、さらに本ページ外枠の次号予告には大島弓子の「鳥のように」の作品名があった。
夢のような時代である。

☆彡 ところで、未読なのだが、津原泰水によるアンソロジー『たんときれいに召し上がれ 美食文学精選』(芸術新聞社)では、夢野久作作品への解説で、萩尾望都のデビュー作「ルルとミミ」のタイトルは同じ福岡出身の夢野久作の作品名からつけられたのではないかとの指摘がなされている──との情報を得た。
普段なら「自分の指摘のほうが先ではないのか!?」とかカリカリするところだが、なにしろ相手が津原泰水とあれば、同じことを指摘しているというだけで嬉しい。

萩尾望都をめぐる雑感 その3 「まんがABC」

☆彡 萩尾望都については、1972年頃から今でいうカルトな人気が高まっていたらしく、「別冊少女コミック 1972年8月号増刊フラワーコミック」に初期作品のうち「かわいそうなママ」「雪の子」「塔のある家」の3作が再掲され(いずれも描線、表情、コマ割りともに素晴らしい)、その後週刊少女コミックなどに旧作の再掲がしばらく続いた。
下はその際併載された萩尾望都作品リスト。マンガが読み捨てられるものから再読、深掘りされるものになっていった時代の足跡の一つと言えるかもしれない。
なお、このリスト掲載時点ではまだ「ポーの一族」は発表されていない。つまり「アラン」の名はこのイラストカットで初めて誌上に登場したことになる。

List
☆彡 下は「トーマの心臓」連載当時発表された「まんがABC」。
萩尾望都のマンガにかける思い、影響を受けた作品などがABC・・・のアルファベット順に24ページにわたり熱く語られている。
非常にスキルフルかつ読み応えのあるマンガエッセイなのだが、単行本未収録どころか作品リストに入っていないこともあるようだ。残念でならない。

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☆彡 驚くべきは、この深みのあるマンガエッセイに編集者が付けた欄外のコメントが
◎まんがよむのに、難しい講釈は不用! まずはよむこと。そしてたのしむことです。ね!?
というもの。ほとんど嫌がらせである。
ロジックや構成を大切にする萩尾望都ら新しい世代がいかに疎んじられていたかの表れだろうか。
(詳しくは書けないが、当時、小学館の少女マンガ誌の編集者がいわゆる「24年組」の作家たちについて、一部マニアに受けるだけ、売り上げに貢献せずむしろ迷惑、と名指しであしざまに罵る現場に居合わせたことがある。)

☆彡 「まんがABC」の1ページ。
痛い。このページの内容は、今でも夢に見る。

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☆彡 なお、「まんがABC」の表紙で「センセ オチャーッ」って叫んでいるのは、のちに若くして亡くなられた花郁悠紀子ではないか(波津彬子の実姉)。

萩尾望都をめぐる雑感 その2 「ポーの一族」40年ぶりの新作

萩尾望都について、引き続き。
一部すでにほかで公開している内容とかぶっているが、ご容赦ください。

☆彡 28日発売の小学館発行「月刊フラワーズ」2016年7月号に、「ポーの一族」シリーズの短編「春の夢」が掲載された。
同じ小学館の「別冊少女コミック」1976年4月号~6月号に掲載された「エディス」以来、約40年ぶりの新作ということになる。

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☆彡 「春の夢」のクオリティについては、多くは語りたくない。以下はあくまで私見。
初期作品における登場人物たちのシャープな目線の交錯は影を潜め、悪い意味で「お人形の目」のようだし、コマ割りは凡庸、エドガーやアランの表情は平坦で神秘性に欠け、永遠の時を生きる一族の末裔とはとても思えない。
ストーリーの背景にはナチスによるユダヤ迫害があるが、そうした歴史の重みを伝える重厚さにおいてもかつての「グレン・スミスの日記」に遠く及ばない。

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☆彡 下記は最近自宅の書棚を整理した際に箱から出てきた、雑誌初出時の「ポーの一族」シリーズの表紙一覧。

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☆彡 連載時の「メリーベルと銀のバラ」は作者にとって物足りなかったのか、単行本では加筆訂正とかいうレベルでおさまらない大量のコマの描き足し、描き直しがなされている。
「別冊少女コミック」1973年1月号のページとそれにあたる単行本のページを並べてみた。ほとんど別作品である。

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☆彡 ただ、(これも私見である、念のため)描線の“ゆるみ”は次作の「小鳥の巣」においてすでに始まっていたように思われる。

2015/04/06

Newton 2015年5月号 『曲がる! 落ちる! ゆれる! 魔球の科学』 ニュートンプレス

Photoおなじみの真っ赤な表紙、銀色の「Newton」のロゴの下、いつもなら相対性理論だDNAだ虚数だ太陽系の誕生だと物理生物化学数学したテーマが鎮座しているところになんと炎と燃える星飛雄馬のドアップが!

今月のNewton Specialは「魔球の科学」。浮き上がる直球、落ちるフォーク、ゆれるナックルなど野球の変化球だけでなく、本田圭佑の無回転シュート、ナダルのエッグボール、卓球の王子サーブなどさまざまな球技における「魔球」の正体を一つひとつ科学的に解き明かす。
「直球」の正体は実はボールが空気から受ける力(マグナス力)が上向きに作用することによってまっすぐに近い軌道で進む変化球、「フォーク」は重力にしたがって自然に落ちる球、松坂の「ジャイロボール」は……等々、読み応えのある解説、図版が並ぶ。

もっともNewtonはNewton、サブカル誌ではないため、マンガに登場する魔球についての言及は残念ながら多くない。『巨人の星』『MAJOR』『キャプテン翼』、いずれも魔球の描かれ方の一例として扱われる程度で、飛雄馬の大リーグボール2号(というより一徹の魔送球)など数行で一刀両断「不可能」と切って捨てられている。星よ、星よおぉぉ(泣)。

それでもあのNewtonが「魔球」を扱っただけで特筆モノだし、ほかのページもオオサンショウウオの生態グラビア(凄い!)、ハイパーカミオカンデの紹介、最新のステゴサウルス研究成果などなど、興味深い記事、図版、写真でいっぱいだ。
また、永久保存版が増えてしまった。

2014/10/29

〔メモ〕 何のサイン? 描き分けられる右左の目

Photo_5マンガのうんちく本などでも扱っているのを見たことがないので、メモ代わりに書いておきます。

★伊達政宗や横山光輝の『片目猿』、柳生十兵衛、丹下左膳、あるいはゲゲゲの鬼太郎、『鋼の錬金術師』のキング・ブラッドレイ、『ワンピース』のゾロ……といった隻眼のキャラクターは除き、
★『ドラえもん』でのび太のパパやジャイアンが驚いたときや怒ったときに(文字通り「目を白黒」して)片方の目だけが黒目になってしまう例、これも除き、
★寺沢武一の『ゴクウ』や『ハートキャッチプリキュア!』のダークプリキュア、最近では鈴木央『七つの大罪』のエリザベスのように片目に特殊能力を宿らせる例も除き、
Photo_4★さらに他の登場人物に向けて意思表示するウィンク、目配せを除いて、、、

マンガではときおり、キャラクターの目の形状が左右で描き分けられる場合があります。

右上の画像は先般紹介した『カオスノート』における吾妻ひでおの(多分)自画像。
その下は藤子・F・不二雄『エスパー魔美』の一編「マミ・ウォッチング」に登場するカメラ青年で、誠実な心根の持ち主。彼の目は普段は左右均等に描かれていますが、びっくりしたときと、この1コマだけ、片方の目が黒目になっています。

24_5ギャグマンガ以外でも、たとえば左の2つの画像は森川ジョージ『はじめの一歩』の単行本24巻(対ポンチャイ・チュワタナ戦)なんですが、この前後、鷹村や鴨川ジム会長、対戦相手のコーチ、ボクシング雑誌の記者らがやたら片目をつむっていました。

このように、びっくりしたわけでも、特殊能力を表すわけでもないごく普通のコマでキャラクターの目の形状が左右で描き分けられるのはなぜなのでしょう。

24_6マンガというものが、平面に描かれながら読み手に立体感を伝えなければならないメディアである以上、いわゆる「斜め45度」的、よりカッコよく、あるいはより楽しく見せる工夫は必要に違いありません(アトムや花形満やサイボーグ009の髪型など。鴨川ジム会長もよく帽子などで片目を隠され、凄みを増しています)。
今回紹介した左右の目の描き分けも、その延長なのでしょうか。それにしてはとくになんでもないコマなのがよくわかりません。その多くは脇役で、ウィンクや目配せとも微妙に違うようです

左右の目を描き分けるとコマにリズムが出るから、マンガが描かれるときに、マンガ家が片方の目(効き目)を駆使していることの自然な現れ、など、推測はしてみますが、正解に近づいている気がしません。
マンガ家本人に聞いてみたいところですが、描いているほうもはたして意識してのものかどうか。

2014/10/23

無駄無駄無駄無駄ァァァ!! 『マンガ・うんちく漫画家』 筆吉純一郎 / KADOKAWA メディアファクトリー

Photo漫画家としてプロデビューを目指す青年、古見久太郎(こみ きゅうたろう)君。そこに突然帽子男、もとい帽子にトレンチコートの雲竹雄三(うんちく ゆうぞう)が現れて「知っているか!?」と漫画のうんちく小ネタを連打する。うるさい。しつこーい。

作者の筆吉純一郎は柳田理科雄との共著で知られる人。画風は手堅いが、本書の場合、参考文献のせいかうんちくが全体に少し古い。
今さら手塚、ちば、川崎のぼるでもないだろうし、「なぜ漫画家のイメージはベレー帽なのか」って、まだかぶってる人いるのか。

全体通して、ネタの出どころがやや講談社系に偏ってるような気もする。実際はサンデーの『おそ松くん』や『男組』、ジャンプの『こち亀』『キン肉マン』『ジョジョ』なども出てくるし、ガロや少女漫画家、ペンの選び方などの話題もある。単に気のせいかもしれない。
では、正確を期すために1ページ目から雑誌、ジャンル別にネタをカウントしてみようか。

──と、無駄無駄無駄ァァァなことにとことん労力を割いてみたくなるのが漫画うんちくのオソロシサ。この本には鳥山明がデビューまでに描いたボツ原稿の枚数から『ガラスの仮面』49巻までに描かれた白目の総数まで載っている。
「知っているか!?」対「それがどうした!」、南海の大決闘☆なのらー。

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