【同じことをやろうにも,いまのクルマに,確固たる意義や意味なんかないものなあ。】
クルマ雑誌の編集者を経て現在はフリーライターの筆者が,古いクルマに乗って乗って乗りまくる本である。そのラインナップがすごい。
いすゞベレット1600GT !!
日野コンテッサ1300クーペ !!
ホンダS800 !!!
トヨタ200GT !!!
日産ブルーバード1600SSS !!!!
スバル360スタンダード !!!!
ダイハツ・ミゼット !!!!
三菱デボネア・エグゼクティブ !!!!
マツダ・コスモ・スポーツ !!!!
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……実は,こう見えてクルマオタクだった。
だった,とは読んで字の通り過去形。それもかなり期間限定である。そのため,クルマの歴史に詳しい兄ちゃんや峠の走り屋さんと知り合っても話が盛り上がることはあまりない。
クルマにどっぷり入れ込んだのは1968年から1970年までの3年あまり。
はじまりは小学校高学年だった当事,親がスバル360デラックスを買い,週末には家族で出かけるようになったことから。もとより自分で走る投げるよりマブチ15モーター,単二乾電池好きでハンダゴテと糸ノコばかりいじっていたメカ好き子ども心に火がついた。
なかなか徹底的だった。クルマに関するカタログや広告など,身近なあらゆる資料をかき集める(本書の著者も書いているが,1960年代には新聞の広告も子どもには貴重な資料だった)。路上のクルマは前後左右から見る,触る,覗き込む。当事は鍵も窓も開けっぱなしで放置しているクルマが少なくなかった。垣根の栞戸を開けて,隣近所が縁側まで遠慮なく出入りしていた時代である。
当時の新車,たとえば三菱コルト何々というクルマは何cc何馬力でディスクブレーキを採用していて,とか,今度のファミリアはスタンダード,デラックス,スーパーデラックス……等々のモデルがあってそれぞれの違いは,とか,そういったカタログスペックをまるごと食べるように頭に入れた。
ドアノブが,丸いポッチを外から押すタイプ中心だったのが接触事故の際にドアが開いてしまうからと引き手タイプに変わり始めたころである。フェンダーミラーが小学生のランドセルをひっかけて死傷事故が相次ぎ,可動式フェンダーミラーが採用され始めた時代でもある(現在はさらにパタンと閉まるドアミラーに置き換わっている)。
トヨタがコロナの新ラインナップとしてマークII 2ドアハードトップを発表(当時としては画期的だった新聞2ページの見開き広告が今でも目に浮かぶ!),サニーにはサニークーペ,カローラにはスプリンターが登場してオシャレな若者の人気を競い合った。♪マイサニー,マイサニー,サニークーペ,♪わたしのスプリンタ,と,クルマのCMソングのセンスも格段に進歩した。テレビドラマでいえば「キーハンター」の時代である。
町中のクルマオーナーから見たら,毎日うろうろしてはクルマを覗き込む怪しい小学生だったに違いない。珍しいクルマ,たとえばロータリークーペに出会ったら,しばらくそのまわりから離れなかった。たいがいの国産車なら,ヘッドライト,テールライト,もしくはドアノブを見るだけで,車種を当てられた。ダイハツ コンパーノのトラックタイプのドアノブの形状をラフで説明できるというのは相当に不気味な子供だったに違いない。もちろん,小学生のことだから,運転できるわけでもない。エンジンや足まわりの知識はカタログによるしかなかったし,どんなあこがれのクルマもただ見つめるだけだった(なので,HONDA1300のシャーシがエンジンに追いついていない,とかいう話題にはついていけないし,タコメーターという概念も当事はなかなか理解できなかった)。
当時,一番好きだったのは117(丸目4灯ハンドメイドモデル)だったろうか。HONDA1300,ロータリークーペなどはカタログスペックだけでも天地がひっくり返るほどショックだったし,当時現役にしてすでに伝説の域に入りつつあったプリンススカイラン,日野コンテッサ,いすゞベレットは妖しい魅力で駐車場にあるだけで空気が揺らぐようだった(ちなみにキャロルはどこでも見られる軽の大衆車でありながら,不思議なことにコンテッサやベレットにつながる妖しさを感じさせた)。
一方,日産縦ライトセドリック,プリンスグロリア,三菱デボネアなどの重厚感も好きだった。今,カタログスペックを見ると,それらが実は案外小さく,またエンジンパワーも最新のボックスワゴンに比べてもたいしたものではないことがわかる。だが,これら往年の名車が身にまとっていた分厚い空気は,現在,いかなる高級車も漂わせてはいない。
あこがれは尖がったスポーツタイプ,黒塗りの高級車だけではなかった。トヨタのパブリカ(珍しい800ccカー。36万円はちょうど当時の1000$)はいつ見てもいかにも平凡でつまらない,と思いつつそれでもついつい中を覗き込む。酒屋のスバルサンバーを見ると,自分なら荷台に何を積んで,と夢が転がる。早い話が,クルマなら何でもよかったのだ(プラモデル好きがパンサー戦車,大和にロータスヨーロッパ,ガメラにサンダーバード,はては姫路城まで,何でも作りたがるのと似ているといえば似ている)。
現在のボックスワゴンにつながる自分のための空間感覚……,いや,それ以上に,子どもにとって,当時のクルマは軽トラ含めてすべて夢の底のほうで「秘密基地」につながっていたのではないか。
だから,雨の日曜日には,よく,父親のスバルにこっそり一人乗り込んでは日が暮れるまで探偵小説に読みくれたものだ。シートの匂い,ガソリンの匂い。117やコスモなど当時あこがれだったクルマが現役で走っているのを見かけると,思わず目が追いかける。手が伸び,声が出そうになる。初恋の少女が,当時のままの姿で夕日の中を駆け去っていくようなものだ。
クルマ趣味に浸ったのは1970年まで,と明確に言えるのは,最後に近所の試乗会場を覗きに行ったのが日産最初のFF車,チェリーが発売されたときだったからだ。薄いビニールのコースターをもらって帰ってペン立ての敷物にしたのを記憶している。なんとなく憑き物が落ちたような感じで,そのあたりから新聞記事を集めたり路上のクルマを眺めたりということがなくなってしまった。
中学に入って通学,勉強に時間をとられるようになったこともある。が,それ以上に,興味の中心が別のメカ,つまり「言葉」に移ったためである。
クルマについてはさっぱりすっきりそれっきりで,免許を取るのも大学卒業年の夏だったし,数年は親のクルマを借りて走らせていたものの,それ以降20年以上無事故無違反の立派なペーパードライバーだ。なので,本書も,後半の,シティ,ソアラ,MR2,スターレットなど,1980年以降のクルマについてはほとんど何もわからない。もちろん車名やデザイン程度は知っているが,テレビCMで耳に入った,友人が乗っていた,程度の知識しかない。炊飯器や蛍光灯の機種名に興味がないのと変わらない。
一つ思うのは,マーケティングというのは,やればやるほど製品の個性が丸まってしまうことだ。どのクルマ会社も,丁寧にアンケートを繰り返した結果,最もマスのニーズに応えることになった。ずんぐりした背の高いボックスワゴン,セダン,スポーツタイプ……外車も含めてどれもこれも似たような丸いシルエットだらけになった現在のクルマに,往年の「ツラがまえ」「ツラ魂」はない。ウソだというなら,1960年代のクルマのフロントビューと比べてみるとよい。
だから,本書の次のような一節を読むと,電車の中で人目はばからずぼたぼた泣いてしまう。バカだ。
いすゞの乗用車開発チームは,このあと,117クーペをつくり,フローリアンをつくり,ジェミニをつくり,ピアッツァをつくり,アスカをつくり,そしてもう,なにもつくらなくなった。