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カテゴリー「ミステリ・サスペンス」の181件の記事

2018/07/15

新しいミステリのかたち 『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~ (4)』 青木祐子 / 集英社オレンジ文庫

Photo前回も書いたように、これはミステリである。
もしかすると、新しいミステリのかたちが示されているのかもしれない。

毎度そうなのだが、読み始めはライトな感覚である。経理部の森若さんをめぐるにぎやかで少しだけ面倒な日々を描いた女性向けお仕事小説……

短編四部とエピソードの掌編からなる本巻でいえば、経理部の新人との葛藤を描いた第一部や若い女性ならではのエピソードを描いた第三部までは、(森若ファンとしてはショックではあるものの)まだわかる。
第四部はまるでわからない。背中から切りつけられたのに、そのナイフがあまりに鋭利なため気がつかない、そのくらいダメージは大きい。

かつて、1980年代、若手の作家たちによってさまざまなトリックや書き方を工夫した「新本格ミステリ」が勃興し、その中に、平凡な生活を送る若者(主に少女)が日常の言葉や出来事に微かな違和感を感じ、そこに(ときに残酷な)真実を暴いていく、「日常の謎」と呼ばれるジャンルがあった。

『これは経費で落ちません!』で提示されているのは、「日常の謎」に匹敵する、新しいミステリの在り方である、と言って過言ではない、かもしれない(もちろん、一つのジャンルとして成立するためには作者のみならずエピゴーネンの追従が必要であることはわかっている)。

この作品は、まず、これが謎解き小説であることを示さない。ヒロインは探偵であることを是としない。しかし、経理部という生々しい数字を扱う部署に勤めるヒロインは、あれこれ社内の厄介ごとに直面せざるを得ない。そして彼女は、その謎を暴くことを拒否し、目をそらし、隠蔽しようとする。
読み手はそこで、ワトスンを相手に驕り高ぶる名探偵の、さらに上をいく聡明さに打たれ、冷たく刺される。ミステリはぎりぎりまで真相を語ろうとしない、ヒロインそのものなのだから。

2018/07/10

『牧神の影』 ヘレン・マクロイ、渕上痩平 訳 / ちくま文庫

Photo原題は“Panic”、このPanicのpanがギリシャ神話の「牧神(Pan)」から、と知ったのが一つ勉強。
訳者あとがきで「暗号の発展史と推理小説の暗号」をかなり詳細に学べたのがまた一つ勉強。
(ポーの「黄金虫」に出てくる単一字換字法暗号など、政治・外交の世界では16世紀にはすでに力を失っていた──などなど)

・・・と、勉強にはなるが、それが必ずしも作品の力とならないところがつらい、マクロイ

本書『牧神の影』も、解決における暗号キーの提案、また夜の森に潜む徘徊者の正体、など、推理小説としての謎と解明はなかなか面白い。
ところが、中盤のサスペンス(つまり、まさしくPanicのシーン)、ヒロインのあまりの危機感のなさにページをめくる気がなえる。作り話であるとわかったうえでも、もしヒロインが早々に殺されていたら果たしてどれほどの国家的損失か・・・などと考えるとヒロインのみならず、軍や周囲の者たちの呑気さも正直呆れんばかりだ。
作中に頻出するヴィジュネル暗号を解説するためのアルファベット表も(純粋に暗号に興味がある読み手はともかく)あまりに煩雑で読み飛ばすしかないため、何度も読書の集中が途切れる。いや、すみません先生もちろんこちらの頭が追い付かないせいではありますけれども。

訳者はあとがき中で「後年のサスペンスものでは、途中からしばしばエスピオナージュ的な展開が入り込み、ややもするとストーリーを混乱させる」等々書いているが、「脂の乗った時期に書かれた作品」たる本書においても、いろいろバランスの悪さを指摘せざるを得ない。

というわけで、まあ言ってしまえば良くも悪しくもマクロイらしさ横溢爆裂。読み切ってしまえば勉強プラス面白さで☆の数は標準越えではあるのだけれど、これが創元推理文庫でなくちくま文庫からの発刊であるのもまた納得。

2018/06/11

職責を果たせ 『警視庁文書捜査官』 麻見和史 / 角川文庫

Photo「えーまたテレビドラマネタ? しつこいと嫌われるよ」
「そうですねー、まああと1回、お付き合いください」
「うむ、日高屋のランチに半チャーハンおごってくれたら、付き合うのもやぶさかではない」
「先輩、その『おごる』、『やぶさか』、漢字で書けますか?」
「うぐぐ」
「今回は、こんなふうに言葉にうるさい登場人物が活躍する話です。ちなみに正解は、『奢る』、『吝か』」
「ほへー」

「警視庁の一画に居を構え、表立った捜査陣には姥捨て山のごとく軽んじられる組織。若手の元気な刑事が配属されると、そこには人格的にはクセがあるものの、博覧強記、知見のカタマリのような先輩刑事がいた。二人は衝突しつつも、それぞれの個性を活かし、次々と事件の謎を解き明かしていく」
「わかりやすい解説ありがとう、だけど、どこに向かって喋ってんの?」
「(無視)テレビ朝日系列で先週まで放送されていた『未解決の女 警視庁文書捜査官』の枠組みをざっくりまとめると、おやおや私としたことが『相棒』のあらすじそっくりになってしまいました」
「あ、鈴木京香と波瑠が出ていたドラマね。見た見た」
「異なるドラマである以上、細かいところはいろいろ違うわけですが、それでも、意識的にか無意識か、『未解決の女 警視庁文書捜査官』が同じテレ朝のドル箱である『相棒』の文体を追ってしまった印象は否めません」
「おやあ、こんなところに原作本が」
「角川文庫の原作『警視庁文書捜査官』では、少なくともヒロイン 鳴海理沙の扱いがテレビドラマとはまるで違います。まず、理沙の部下というか後輩にあたる巡査部長、原作の矢代朋彦が、テレビでは波瑠演ずる矢代朋という女性刑事になってしまっています」
「うむ、今どき鈴木京香一人主演では視聴率」
「先輩、地雷を踏むならカンボジアかどこかで」
「はい。鈴木京香さん素敵だと思いまーす」
「ドラマ版の鳴海理沙(鈴木京香)はベテラン刑事であり、『倉庫番の魔女』の異名を持ち、地下の個室でレコードを聴きながら文書解読に努めるという設定。しかし、原作の理沙は初々しい若手刑事、学んだ『文章心理学』を捜査に活かそうとはしますが、基本的に“おどおど”“おずおず”系のキャラクターです。しかも彼女は部屋にこもったりせず、むしろ捜査一課の指揮を無視して現場に走っては叱られます」
「そこまで変えて“原作”ってうたってよろしーのか」
「もちろんテレビ局から見れば、プロとして、こうしたほうがウケる! ウレる! 等いろいろ考えがあるんでしょう。原作者が了解しているなら我々がどうこう口をはさむべきではありません。ただ、こんなことを繰り返していても、数年経って“あのドラマはよかった!”と言われる作品はなかなか出てこないように思うのですが、どうでしょうね」
「ふがふが」
「あ、それは〇〇のオヤツ。無断で食べましたね、、、イノチシラズナ、、、」
「ぐ。ぐあぐあぐあ」

以下、麻見和史作品について雑感いくつか。
・同じ作者には警視庁捜査一課十一係シリーズ(講談社文庫)、特捜7シリーズ(新潮文庫)、重犯罪取材班・早乙女綾香シリーズ(幻冬舎文庫)などあり、いずれも若手の女性刑事や記者が活躍する。そのキャラクターの印象は悪くない。
・ただ、いわゆる本格ミステリなら「事件発覚」→「登場人物紹介」→「新展開」→「探偵による解決編」という起承転結構成が普通だが、警察小説の場合、解決にいたるまで地道な聞き取り捜査を重ねるため、さほど重要でない人物にも面会を繰り返すなど、全体が平板になる傾向あり。
・そのため、通常のミステリなら後半の100ページにいたると一気に読んでしまうことが多いが、この作者の作品の場合、最後までスピードアップしない印象あり。

「しかしなあ」
「どうかしましたか?」
「この『警視庁文書捜査官』にはほかに『緋色のシグナル 警視庁文書捜査官エピソード・ゼロ』『永久囚人 警視庁文書捜査官』のシリーズ2冊があって、いちおう読んでみたのだけれど」
「はい」
「本庁の刑事たちからは軽んじられつつ、クセのある人物が元気がとりえな人物と独自に捜査して、その豊富な知識とスルドイ推理で犯人を暴く……」
「おや。先輩も気がつきましたか」
「『文書捜査官』とか新味ぶってるけど、要はふつーに探偵小説だわな」
「実はそうなんですね」
「そのわりに、現場に残されたカードやら落書きやら、証拠としてパッとしないし、犯人特定の決め手にも欠けるというか。つまり、探偵小説としてイマイチ……」
「ああ、言ってしまいましたね」

2018/05/31

『正義のセ ユウズウキカンチンで何が悪い!』 阿川佐和子 / 角川文庫

Photo前々回、マーケティング手法の普及、発達に伴い、テレビドラマはヒット作品の劣化コピーを繰り返すようになった、と書いた。
それがどれほど正しいかは立証のしようもないが、テレビドラマの原作に選ばれた作品がそれぞれの豊かな味わい、個性を削り、切り捨てられ、いずれどこかで見たようなモノに張り替えられてしまう例は何度も目にしてきた。コミック原作ものにそれは顕著だが、小説を原作とするドラマも本筋はそう変わらない。

『正義のセ』シリーズは、キャスター、エッセイストで知られる阿川佐和子氏(NHK・Eテレで放送されたふなっしーとの「SWITCHインタビュー 達人達」は永久保存に値する傑作だ)による、若手検事 竹村凜々子を主人公にした連作小説である。角川文庫で現在4巻まで。

豆腐屋の娘 凜々子の小学生時代から書き起こし、慣れない検事業務の中から手探りで自らの「正義」を見つけ出そうとする成長物語で、ミステリ、サスペンス色は薄い──というか、ほとんどない。午後9時、10時から放送されるサスペンスドラマより、朝の連ドラに近い、と言うとわかりやすいだろうか。
各編で凜々子が担当する事件は、凜々子を苦しめ、「正しい裁き」について惑わせこそすれど、大きな裏やどんでん返しがあるわけではない。そもそも警察の捜査がそうそう覆るはずはないし、検事が警察からの報告を疑って現場に赴くこと自体イレギュラーなのである。
2巻めの終わりから3巻めにかけ、大きな冤罪事件、そしてマスコミとの軋轢が描かれはする。しかし、その際も作者の眼差しは事件そのものより、被害者、あるいは巻き込まれた凜々子のやるせない思い、家族や友人との関係の破綻、その結ぼれに暖かく向けられる。したがってその結末も、ミステリ小説に慣れた読み手からするとおよそ肩透かしの感が強い。

ところが、これが吉高由里子主演でドラマ化(日本テレビ)されるや、原作のいくつかの事件、脇役たちは踏襲しつつ、毎回検事が事件の現場に再捜査に赴き、真相を覆す1話完結の人情サスペンスに変わってしまう。人間関係も格段にスマートだ。

不思議なことに、吉高演ずる凜々子の演技が間違っているわけではない。2年前に発行された文庫の表紙イラストも、まるで吉高のキャスティングを想定していたかのようだ。

つまり、小説とテレビドラマでは、そもそも「文体」が違うのである。

2018/04/30

エピゴーネン 『タラント氏の事件簿』 C・デイリー・キング、中村有希 訳 / 創元推理文庫

Photoときどき、こういう困った本に出会う。

内容は、有能な日本人執事(実はスパイ)を従えた謎のディレッタント紳士が次々と怪事件を解き明かす、というもの。
1935年に発表された短篇集に同じ主人公が活躍する短篇4作が増補されている。

その謎、といえば、
  博物館の一室から忽然と消えたアステカの古写本
  ペントハウスで起きた密室殺人
  乗る者を死に追いやるボート
  路上で次々と発見される首なし死体
  古詩のとおりに消失と出現を繰り返す竪琴
  レストランで起こった加害者を特定できない殺人事件
など、など。

本シリーズを「クイーンの定員」に選んだエラリー・クイーンは「当代に書かれた中でもっとも想像力に富んだ探偵小説の短篇である」と高く評価したそうである。びっくりだ。

謎はそれなりに面白い。展開もそこそこサスペンスフルだ。しかし……。
密室殺人らしきものがあったらまずそこを建てた大工さんに聞きなさい、だし、ボートが危険なら自身で湖に乗り出す前にすみずみまで調べてみてはいかが、と忠告したい。首なし死体の凶器は、どう使ったら首が切り落とせるのかさっぱりわからないし、竪琴の隠し場所は気づかれないほうがどうかしている……。
さらに、最後の数篇は物理学すら放棄してオカルトに走っていってしまった。読み手への嫌がらせか?

この短篇集を読み終えて、しみじみと感心したのは、ドイルのシャーロック・ホームズがいかに時代を越えてきたか、ということだ。
(すべて、とまでは言わないが)ドイルの残した事件、トリック、推理の多くは、現在、小学生が読んでもそれなりに理解できる。
ガス灯の代わりにLED、馬車の代わりにハイブリッドカー、電報の代わりにスマホが使われたとしても、骨子たるストーリーはさほど崩れない。

結局のところ、ホームズのストーリーは人間性の観察から組み立てられたものであり、『タラント氏の事件簿』はすでに隆盛を迎えていた探偵小説を見よう見まねで再生産しただけだった、ということか。だから、不可能犯罪のアイデアをこねくり回すうちに、安直にオカルトに負けてしまうのだ。

2018/04/12

『三面鏡の恐怖』 木々高太郎 / 河出文庫

PhotoKAWADEノスタルジック探偵・怪奇・幻想シリーズ」の新刊。
想定外の面白さ。

殺人事件が起こるのは本文のおよそ3分の2、147ページにいたってから。そこまでの人物描写になんとも言えない味わいがある。

日本全土の電化を志す電球会社の社長、真山十吉
十吉の最初の妻は三升財閥の有力者の娘だったが、結婚2年後に亡くなっている
その妻の母 川辺友子、妹 川辺辰美は今も十吉と同居している
かつて十吉に捨てられた恋人、尾崎嘉代子
嘉代子は十吉と親しい弁護士平原勝之助と結婚、のち離婚、病死

物語は、この電球会社の社長十吉のもとに、亡くなった尾崎嘉代子の妹を名乗る尾崎伊都子が訪れることで動き出す……。

人間関係は結婚、死別、離別がからまってやや煩雑だが、文章で読む分にはすんなり腹に収まる。
たとえば十吉はかつての恋人の妹、伊都子と再婚するにいたるのだが、その過程がほとんど描写されなくともとくに気にならない。
出会った日の伊都子、十吉それぞれの言葉が豊かな水気をたっぷりと含んでいるため、その後二人が惹かれ合って結婚しようが、憎み合って殺し合おうが、なんら不思議に思われないのである。

タイトルにある「三面鏡」は、言うなればこの事件を女性目線で語るものといえようが、作品全体を電気事業の在り方や経営陣と組合活動の軋轢を(あっさりとながら)描いた企業小説と読むこともできる。さらに、終戦直後の1948年に書かれながら、ドライでクールな展開が妙に「昭和」を逸脱して不可思議。

事件解決はやや無理やりトリックを組み立てた印象で、推理小説としてかならずしも最上のものとは思えないが、ともかく読書の楽しみを味わうことのできる稀有な1冊。
なにより、登場人物の誰に感情移入するかによって、これほど意外性、サスペンス色の変わる作品も少ないのではないか。

2018/03/05

閲覧注意?? 『疑問の黒枠』 小酒井不木 / 河出文庫

Photo一昨年の森下雨村『白骨の処女』あたりから、河出文庫より、静かに戦前の探偵小説の発刊が続いている。
表紙に大々的に銘打たれているわけではないが、「KAWADEノスタルジック探偵・怪奇・幻想シリーズ」とのことだ。

嬉しいのは、小栗虫太郎や香山滋はともかく、先の森下はじめ、

  大下宇陀児『見たのは誰だ』
  甲賀三郎 『蟇屋敷の殺人』
  浜尾四郎『鉄鎖殺人事件』
  楠田匡介『いつ殺される』

など、かなりマイナー、入手困難な作品が選抜されていること。
これらの作家名は、探偵小説のアンソロジーや文庫の解説中で目にすることはあっても、長編となるとそうそう読む機会がない。大きな部数が期待できるとは思えないこれらラインナップを企画した河出書房新社の侠気には謹んで敬意を表したい。
(もっとも、上記の作家のうち、森下雨村の没年が1965年、大下宇陀児、楠田匡介が1966年で、いずれも著作権が切れたばかり。著作権が生きているのは香山滋ただ一人。ということで、そのあたりも加味してのクレバーな企画だったと思われる。)

これらの探偵小説は、もちろん謎解きとして面白ければよし、よしんばミステリとして今ひとつでも、当時の風俗、言葉遣いに触れ、戦前ならではのセピアカラーな雰囲気の中で(ややおっとりとした)サスペンスを愉しむことができる。

そこで今回取り上げる1冊だが、
小酒井不木といえば海外推理小説の紹介に努め、森下雨村とともに江戸川乱歩のデビューに尽力した、いわば我が国のミステリの大先輩にあたる人物。とはいえ、その長編『疑問の黒枠』(1927年)は、自らの生前葬と還暦祝いを企図した商事会社社長が棺の中で本当に殺されてしまい、その一人娘まで行方知れずになってしまう──という導入部はともかく、謎解き犯人当てとして見ると探偵にあたる人物が複数いて視点が落ち着かないなど展開がズルズルしてそう面白いわけではない。

また、若い恋人どうしの語らいが

  父のすることはいつでも、子供くさいですわ。けれどもそれは生まれつきだから、仕方がないではないの。

  たとい模擬葬式でも、それを行うというのは、恐ろしさに堪えられぬことです。

など、なんだか妙な塩梅で、これは作者の筆のすべりが悪い、と見たほうがよいのかもしれない。

……しかし、実は、そういったマイナス要素をちゃぶ台ごと覆してあまりある魅力が本作にはある。
最終的に事件の謎を解き、犯人を追い詰めた探偵の罠が──いたい水域でグロ! 医学博士がこれを書いてはいかんのでは? 情状酌量の余地のある犯人などより、ある意味よほど鬼畜──

というわけで、そういった作品を読みたい方にはオススメ(か?)。

2018/02/20

『神の値段』 一色さゆり、『天才株トレーダー・二礼茜 ブラック・ヴィーナス』 城山真一 / 宝島社文庫

ともに2015年の第14回「このミステリーがすごい!」大賞、受賞作。
雑誌記事を読んだ家人に乗せられて手にしたのだが、粗削りな面も含めて楽しく読むことができた。

『神の値段』 一色さゆり

Kamiあってないような現代美術(いわゆるコンテンポラリー・アート)の「値段」というなかなか難しいテーマに、その作品を扱うギャラリスト(画商)殺しをからめたミステリー。
まず、ギャラリストの若いアシスタントを語り手にしたことが好感を招く。その結果、マーケットにかかわるさまざまな蘊蓄を描いても押しつけがましさにつながらず、新鮮な読み応えが最後まで維持される(原田マハが『楽園のカンヴァス』にて主人公を伝説的な有能キュレーターに設定したがゆえ、全体に上から目線となってしまったのと好対照)。
ストーリーは、墨を使ったインクアートで知られる現代アートの世界的巨匠の作品をめぐり、やり手ギャラリストの女性が殺され、やがて背景にアートビジネスの仕組みが見えてくる、というもの。
その巨匠がなぜ作中にあるようなアートの作り方をしてきたのか、また、それによって決まっていく「値段」とは何かという点については、正直よくわからない。つまるところ、男性便器に「泉」と書いて展覧会に持ち込んだマルセル・デュシャンの作品に付く「値段」とは、ということなのだが、工業製品たる便器に特別な価値があるわけではないので、それに付加価値が付くなら著名人のサインが高価でやり取りされるのと変わらないのか?
この『神の値段』が不徹底なのは、その一方で巨匠の作品に見る者を圧倒する力を持たせてしまったことかもしれない。
ミステリーとしては、(世の書評にもあるように)最後の証拠が弱い。が、本作においてそれは些末なことだろう。

『天才株トレーダー・二礼茜 ブラック・ヴィーナス』 城山真一

Blackタイトルどおり、「黒女神」と呼ばれる天才トレーダーが依頼主の利益を獲得するお話。
興覚めなことを言うなら、いくら天才でも、リスクヘッジを考慮しないこの買い方買わせ方は無理、無謀。素人でもわかることだが、株なんてものは(以下略)。
だが、現実味のない話を読ませるからこそ小説、という逆説もまた真で、その意味でこの作品は正しくよくできた小説である。
興味深く感じたのは、主人公とワトスン役の青年が、ある著名マンガの登場人物2人をなぞって描かれていること。残念ながらその設定は作品全体の面白さや価値にさほど影響を及ぼさないが、それでもかつてはキワモノ扱いだったマンガが文字文化の側に影を落とす、そのことに遠い感動を覚える。
主人公の無敵ぶりや「雨の日に傘を貸さない人間にはなりたくない」という主旋律もやや子どもっぽくてマンガ的といえばマンガ的。だが、それが作品のリーダビリティを助けているのだから、いいのである。

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一点、余計なお世話だろうが、作品の評価とは別のところで、気になったのが作家名。
本名かペンネームかは知らないが、「一色さゆり」は往年の名ストリッパー、「城山真一」は経済小説家を思い起こさせる。ビッグネームをリスペクトして、というならまだしも、単に「調べていない」「気にしない」でこうなら、それはせっかく自分の本を出版する機会に軽薄すぎやしないか。
架空の物語を編むというのは、作品名、作者名含め、一言、一文字にいたるまで最大限に神経を遣い、工夫を巡らせるべき仕事のはず。違うだろうか。

2018/02/08

『赤い指』 東野圭吾 / 講談社文庫

Photo年明けから個人的にいろいろありまして、今も落ち着いたとは言い難い状況です。当ブログを楽しみに覗きにきていただいた方(がどれほどおられるのか存じませんが)には申し訳ありませんでした。

PCのキーボードに向かうのも久しぶり、でいきなり東野圭吾とは我ながら無謀な気もしますが、ここは短評でさらりと。

阿部寛主演『祈りの幕が下りる時』の映画がヒットと見聞きし、そういえば初期の『卒業』や『悪意』、『私が彼を殺した』などは別として最近の加賀恭一郎シリーズは読んでいないなと思い立った次第。
まず短編集の『新参者』で肩慣らし、それから遡って選んだのがこの『赤い指』です。

家庭内不和にいらだつ平凡なサラリーマンがある夜妻からの電話に急ぎ帰ってみれば、自宅の庭に少女の遺体……といういささかエグい始まり方から怒涛の終盤まで、話の、つまり読み手の転がし方が実に上手い。

冷静に考えてみれば最後に明らかになる真相は「いくらなんでもありえない!」レベルだし、その真相をわずかなきっかけで見抜き、思い通りの大団円に誘う加賀の手腕もいくら名探偵とはいえ「できすぎ」。さらにその事件の外側に描かれた加賀のプライベートも「ないない」。
──にもかかわらず、読み始めるや冒頭からついつい引き込まれ、真相に驚かされ、なにやら凄い人生ドラマに立ち会ったような気分にさらされる。いやほんと頭の半分では「ありえない」ランプが黄点灯しているんだけど。

東野圭吾という作家は、デビュー当時は同期の「新本格」に比べて地味な扱い、ミステリマニアからはさほど話題にされず、宮部みゆきほどには売れず……それがいつの間にかテレビも映画もヒットして、ベストセラー作家となってしまいました。
加賀恭一郎という探偵はガリレオシリーズの湯川学に比べても特徴のない、黒子、狂言回しな印象で、先にあげた初期の作品群についても加賀シリーズとして読んだという認識がそもそもありません。

もしかすると、それがいいのかもしれない。つまり東野圭吾という作家は、一部の特異なシリーズを除き、「謎解き」「意外性」「キャラクター」「人情」「読みやすさ」などをレーダーチャートにまとめると、一つの項目が突出することなく、まんべんなく3ポイントか4ポイント取る、そういった作品を産む技術を手に入れた、と、そんな塩梅ではないかと。
逆にいえば、本作の弱点は、本質的には犯行と無関係な「真相」を終盤にバランスよく配置したことにより、肝心の犯人像やその動機はほとんど捨て置かれてしまったことにあります。通ぶってその弱点を突くのも一興ですが、ここは素直に転がされるのが加賀シリーズの愉しい読み方というものでしょう。

2017/12/09

アーキテクチャ 『お引っ越し』 真梨幸子 / 角川文庫

Photo(2011年の『ユリゴコロ』以来新刊のない沼田まほかるの印象が強いせいもあるのだろうが)いわゆる「イヤミス」のブームは過ぎ去ったように思われてならない。

実際は湊かなえ真梨幸子らの本は変わらず平積みで売れているようだが、それらをわざわざ「イヤミス」(読んでイヤな気分になるミステリ、後味の悪いミステリ)とまとめる必要が今となっては感じられないのだ。

では「イヤミス」ブームのピークはいつ頃だったか、というと、これは売り上げや批評を定量的に調べたわけでもない、ただの憶測だが、2011年からそのあと数年、つまり東日本大震災のあとしばらく、だったように思う。
何万という方が津波で亡くなり、原発事故にともなう不安、経済の停滞が続くなか、なにもわざわざイヤな気分になる本を──とも思うが、実際、当時の書店は「イヤミス」で溢れていた。

こういう考え方はどうだろう。株式投資に「ナンピン」という手法がある。ある株を買って値下がりしたとき、わざとその株を買い増すのである。たとえば1000円の株を100株持っていたとして、それが100円下がって900円になったとき、100株買い増せば手元の株の下がり分は100円から50円となる。株価が50円上がれば元値に戻るのである。

東日本大震災でさまざまなダメージを受けた私たちは、無意識のうちに手元の本にもイヤなものを求め、己の人生全体におけるトータルダメージを和らげようとしたのではないか……? 
もちろんこんな推測を組み立てたところでなんの役に立つわけでもないのだが。

真梨幸子の『お引っ越し』は、マンション探しや社内の部署移動、怪しい隣人、引っ越し業者の電話番など、引っ越しにかかわるさまざまなトラブルを扱ったホラー集である。各編数十ページ、全体で270ページに満たない薄い本だが、伏線が互いの作品に通底し、ある作品の曖昧な結末を他の作品が補完し、作者本人によると思われるゴージャスな「解説」あいまって全体にテクニカルな印象が強い。妙な言い方かもしれないが読了後に意外なほど「お得感」があった。
従来「イヤミス」という言葉で括られてきた真梨幸子だが、本来、技巧派と評すべき作家なのではないか。

ちなみに巻末に「作品はすべてフィクションです」の類の断り書きがあるが、編集者の手によるものか、最後の1文は余計だった。それとも今どきはこんな断り書きが必要なほどヘンな読者が多いのだろうか。

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