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カテゴリー「ミステリ・サスペンス」の186件の記事

2018/12/19

最近読んだミステリから ヘレン・マクロイ『悪意の夜』、田南 透『翼をください』、ディック・フランシス『興奮』

Photo『悪意の夜』 ヘレン・マクロイ、駒月雅子 訳 / 創元推理文庫

概して主人公(語り手)が

  催眠術
  記憶喪失
  夢遊病

のいずれかに陥る類のミステリは苦手だ。これらが通るようならほとんどもう「何でもあり」になってしまい、探偵がどんなに理屈を唱えても「ほんとかな?」の疑念が晴れなくなってしまう。

加えてかの『バーナード嬢曰く。』にも

  ディックが死んで30年だぞ!
  今更 初訳される話がおもしろいワケないだろ!

の名文句があるが、こちら『悪意の夜』はウィリング博士、最後の未訳長編。バーナード嬢にならえばおもしろいワケがない

……だが、それだけ足を引っ張る前提満載の割には、楽しんで読めた。否、むしろ東西冷戦を背景に、苦い動機、苦い殺人という、マクロイらしさに溢れたお得感のある読後感でもあった。いやほんと。

解説の佳多山大地氏は本作が最後まで訳されなかった理由(つまり作品の欠点)についてある展開の物足りなさを指摘しているが、もともとマクロイの長編にその程度の瑕疵は珍しくない。それどころか、その欠点とされる展開は本作のスピード感や明確さにつながっているようにも思う。

つまるところマクロイの作品は「名手」とか「円熟」とか「巨匠」とかいった煽りは気にしないで、少し古めの海外サスペンスドラマを見るつもりで楽しむといいように思う。無理に重くとらえる必要はないし、現代に引っ張ってくるべきものでもない。

Photo_2『翼をください』 田南 透 / 創元推理文庫

プロフィール非公開の作家によるデビュー作。新人にしては手慣れたところがあって、既存のプロによる覆面作なのかな、とも思う。

愛らしい笑顔と親身な気遣いの裏に計算高い本性を隠し持つ女子大生石元陽菜。彼女はストーカーに付け狙われ、その無言電話に対して憂さ晴らしに周囲の者から打ち明けられた「秘密」を暴露してしまう。ところが、その中にはストーカー本人の「秘密」が含まれていた……。
この展開はなんだか新しい。文庫カバーの粗筋にワクワクするなんてそうそうないことだ。実際、陽菜、陽菜に夢中な男子大学生、ストーカー本人、それぞれの登場人物に順に語らせる前半はスピーディかつ人物紹介も巧みで読ませる。

ただ、大学のゼミの関係者から捜査陣まで皆それぞれ「わけあり」にしてしまったため、どんどん話が煩雑になって、終わってみれば全員ヘンな人、全員病人。というか、心の病気合戦で一番アブない奴が勝ち残る、そんな話になってしまった。
さらに最終章の決着はいくらなんでも警察の鑑識能力をバカにしすぎ。あの人物とあの人物の遺体を取り違えるとか、あり得ないでしょう。

前半は読ませる、と書いて、後から気がついたのだが、本作の物足りなさは上の『悪意の夜』について佳多山大地氏が指摘した内容に相似する。最後に笑うのが石元陽菜でもよかった。石元陽菜の活躍するスピンオフ青春ミステリ。どうだろう。

Photo_3『興奮』 ディック・フランシス、菊池 光 訳 / ハヤカワ文庫

古典中の古典。ごめんなさい、読んでいませんでした。
今回は長年本棚に積んであったものを1冊クリアした、という報告だけ。

解説で石川喬司氏がディック・フランシスを持ち上げに持ち上げているが、まあこの方は「馬家」で知られる大競馬ファンでもあったので……。

2018/12/10

『Acrobatic 物語の曲芸師たち ミステリー傑作選』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

PhotoLifeだのLoveだのProposeだの、ミステリー傑作選のサブタイトル、内容としてこれはどうなの──が数冊続いて空漠たる思いにとらわれていたが、今回は、なんというか、踊れるものがあった。

『Acrobatic 物語の曲芸師たち』は2015年に講談社から刊行された『ザ・ベストミステリーズ2015』を2分冊にして文庫化したものの1冊で(もう1冊が既刊の『Propose 告白は突然に』)、2014年に発表されたミステリー短篇から秀作6篇が収録されている。

玄関のベルに応対すると、妻を亡くして間もない近所の老人だった。座敷童が家にいるようだ、というのである。
  (加納朋子「座敷童と兎と亀と」)

人を殺した罪を抱えて刑務所の門を出た男。そこに現れた三人の若者たちは金を求めて男を強請り、執拗につきまとう。彼らの嫌がらせに再就職もままならなくなって男は……。
  (下村敦史「死は朝、羽ばたく」)

人形のような顔でガムを噛みながらロシアンルーレットに連勝する少年。友はすでに敗れて入院した。勝ち運を失ったギャンブラーは神に愛される少年に勝てるか。
  (両角長彦「不可触」)

川沿いの公園で開かれる“ゆるキャラ”コンテスト。そこには恐ろしいテロリストたちの陰謀が隠されていた。SATを辞め、捜査権のない主人公はいかにして爆薬のありかを探り、殺戮の午後から市民を守るのか。 ←嘘々
  (東川篤哉「ゆるキャラはなぜ殺される」)

名家を継ぐ一人暮らしの老婆をめぐる、ひったくり、名画盗難、放火事件……不埒なコンビが暴く相次ぐ奇妙な事件の真相は。
  (若竹七海「ゴブリンシャークの目」)

念願かなってもつことのできた自分のカレーショップ。開店の朝、最初の客は、子どもの頃母親に失踪された青年。唯一覚えている母親の作ったカレーの味の秘密は。
  (葉真中 顕「カレーの女神様」)

と、つらつらあらすじ風に内容紹介してみせても、おそらくほとんど決着への案内にはならないだろう。

どうなることかとはらはらさせておいて、文字通りアクロバティックに世界をひねってみせる「死は朝、羽ばたく」が一押し。フェアな本格推理作品でもある。
他のいずれの短篇も、一見ゆるめのユーモア小説や警察小説ふうに始まりながら、後半、骨太に論理的解決をしてのけて巧い。この興趣はミステリーならではで、ほかの何物でもない。

しいていうなら会社の命運をロシアンルーレットの強者にたくす「不可触」、ギャンブラーの苦い推理を描く短篇として過不足こそないが、いかんせんこの設定は鈴木マサカズ『ラッキーマイン』に前例があり、あの生臭く濃い世界観の後ではどうしても淡泊にしか感じられなかった。残念。

2018/12/06

〔ネタバレ御免〕 『スマホを落としただけなのに』 志駕 晃 / 宝島社文庫

Photo1980年代、カラスはあることに激しくイラついていた(雑誌にも何度か書いた記憶がある)。
ファミコンはすでに当時の子供たちの必須アイテムとなっていた。パソコンも8ビット、16ビット、32ビットと機能を高め、ビジネスに、ゲームに、右肩上がりにシェアを高めていた。もちろんパソコンが圧倒的な市民権を得るには90年代後半のインターネット普及を待つ必要があったが、それらデジタル機器が生活に何か全く新しいものを持ち込もうとしていることは明らかだった。
……にもかかわらず、人間を、社会を描くことに貪欲であるべき文学は、ほとんど、全くといってよいほど、それらを扱うことがなかった。振り返れば、黒電話、茶の間のテレビさえ、正面から描けなかったのではないか。

『スマホを落としただけなのに』は、その意味で、携帯電話、SMSというデジタルツールの現在を、それも小道具でなく、主たる素材(ある意味、登場する人物より重要なテーマ)として取り上げたサスペンス小説である。その意気は高く評価したい。
描かれた個人情報暴きにかかわる技術的側面も、概ね納得できる。とくに重要な携帯電話、SMSのセキュリティ破りについて、登場人物のやっていることは実は大半がアナログかつアナクロニスティックな作業であり、ハッカーだのクラッカーだのいうレベルの技術がなくとも根気さえあれば実行できるものである。

(これ以降、作中の展開にかかわることを書くので、未読の方はご注意ください。)

 

ただ、全体にあまりにも「偶然」の要素が多い。

たまたま誰かがスマホを落とした。それをよりによって猟奇殺人犯が拾った。
たまたまそのスマホの待ち受けには殺人犯好みの若い、長い黒髪の女性の写真が使われていた。
しかもその待ち受け画面には女性の名前まで書いてあった(ヲイヲイ)。
そのスマホのパスコードは持ち主の誕生日。
その若い女性と殺人犯はたまたま……? なんで殺人犯はその動画を知っていたのか。その動画を知っていたなら、なぜヒロインは彼を、彼はヒロインを知らないのか。

いっぱしの猟奇殺人犯なら、こんな偶然に頼らず、自らの目と足で犠牲者を選んでほしい。

ターゲットとなった女性が、また、実にいろいろ悩ましい。

あなたは現在の恋人について、のほほんと上から目線で語るべきではなかった。
あなたはそもそも間違ってもFacebookなど使うべきではなかった。
あなたは間違っても恋人に生々しい写真を撮られるべきではなかった。
あなたは昔の恋人になど絶対に会ってはいけなかった。
あなたは恋人や知人の触れるパソコンにその動画データを置いておくはずはなかった。
そんなあなたがクライマックスで突然「いい人」扱いだったキープ君を「一番知られたくなかった」人に棚上げしてしまう。動画データも昔の恋人とのキスもどうでもよいことになってしまった。もう、一から十までわけがわからない。

思い起こしてみると、何人も若い女性を殺害し、その隠匿に成功してきた殺人犯の最大のミスは、そんなヘンなヒロインをターゲットにしてしまったことにある。
つまるところ、作者の最大の失敗は、上に書いたあれこれの矛盾点などではなく、映画化を連呼されたその作品タイトルだったのかもしれない。
そう、正しくはこうあるべきだった。
『スマホを拾っただけなのに』

2018/11/29

〔短評〕 『力士探偵シャーロック山』 田中啓文 / 実業之日本社文庫

Photo_2正統派パスティーシュたる『シャーロック・ホームズの蒐集』に対して、こちらはいわゆる「パロディ」、戯作のたぐい。

作者自ら
「相撲もホームズもリアルさからほど遠いものであって……(中略)……だから、この本を読んで、リアリティがないと感じたあなたは大正解」
と、もうどうでもサンマの開き直り状態で、そうまで居直るものを責めるのもどうかと思うが、それにしてもリアリティ以前に。

収録短篇のタイトル「薄毛同盟」、「まだらのまわし」に笑える方は読んでみてはいいかもしれない。でも、本文中にこのタイトルより笑えるところがあったかというと、さあ。

2018/11/26

来訪者だぞ、ワトスン君 『シャーロック・ホームズの蒐集』 北原尚彦 / 創元推理文庫

Photo上質なホームス・パスティーシュ集。

ちなみに、日暮雅通による単行本版解説によれば、
「正典と同じテイストの贋作をめざすものをパスティーシュ、風刺や嘲笑的なもじり、戯作のたぐいはパロディとするのが、現在よくおこなわれている大まかな分け方」
とのこと。作者の北原尚彦も単行本版あとがきの中で
「あくまでそれらしく書くのがパスティーシュで、茶化したりホームズもどきを登場させたりする『パロディ』とは区別されます」
と記している。

厳密な定義はともかく、この『シャーロック・ホームズの蒐集』は、ドイル翻訳家、ホームズ・ファンで知られる北原尚彦によるホームズ・パスティーシュ集である。ホームズとワトスンが登場し、ベイカー街221Bの下宿の階段を登ってやってきた依頼人に応えて事件を解決する。

短篇6作、一読、声が漏れる。素晴らしい。

ホームズ・パスティーシュの作家というと、たとえばエドワード・D・ホックジューン・トムスンが知られるが、ホックの場合、謎やトリックにキレがありすぎて、つまりどうしてもホックのテイスト、クオリティが出てしまって、そこが気になる。
ホックをはじめ何人かのベテランミステリ作家によるホームズ・パスティーシュのアンソロジーも多々あるが、その個々の収録作が短篇ミステリとしてそれぞれよく出来ていてもアンソロジーとして案外面白くないのは、いかにドイルにならったつもりでも、一人ひとりの作家の色がわずかずつにじみ出てしまって、一冊通して読むとドイルの書いたものとは到底思われなくなってしまうからである。

その意味で本書は、一冊通して一人の優れたシャーロキアンが書いていること、プロパーのミステリ作家ではないため自身の色にこだわらず、ドイルが書いた作品の型をそのまま追うことが出来ていることに力がある。
一つひとつの短篇の展開、小道具、ときに本格ミステリとしては緩く、ズルい展開、ときに科学や社会改変への期待が込められ、ドイルの作品集にあっても遜色ないように思われた。

たとえば「憂慮する令嬢の事件」など、本来ドイルの正典には決してありそうもないストーリーではあるが、この登場人物の冷静さ、正義感など、まさしくホームズの物語が発表当時から現代まで愛され続けているベクトルを正しく模写したものと感じられた。
北原尚彦がドイルの書きそうなものを書いたのではない。ドイルが書くべきだったものを北原が書いたのである。

2018/07/15

新しいミステリのかたち 『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~ (4)』 青木祐子 / 集英社オレンジ文庫

Photo前回も書いたように、これはミステリである。
もしかすると、新しいミステリのかたちが示されているのかもしれない。

毎度そうなのだが、読み始めはライトな感覚である。経理部の森若さんをめぐるにぎやかで少しだけ面倒な日々を描いた女性向けお仕事小説……

短編四部とエピソードの掌編からなる本巻でいえば、経理部の新人との葛藤を描いた第一部や若い女性ならではのエピソードを描いた第三部までは、(森若ファンとしてはショックではあるものの)まだわかる。
第四部はまるでわからない。背中から切りつけられたのに、そのナイフがあまりに鋭利なため気がつかない、そのくらいダメージは大きい。

かつて、1980年代、若手の作家たちによってさまざまなトリックや書き方を工夫した「新本格ミステリ」が勃興し、その中に、平凡な生活を送る若者(主に少女)が日常の言葉や出来事に微かな違和感を感じ、そこに(ときに残酷な)真実を暴いていく、「日常の謎」と呼ばれるジャンルがあった。

『これは経費で落ちません!』で提示されているのは、「日常の謎」に匹敵する、新しいミステリの在り方である、と言って過言ではない、かもしれない(もちろん、一つのジャンルとして成立するためには作者のみならずエピゴーネンの追従が必要であることはわかっている)。

この作品は、まず、これが謎解き小説であることを示さない。ヒロインは探偵であることを是としない。しかし、経理部という生々しい数字を扱う部署に勤めるヒロインは、あれこれ社内の厄介ごとに直面せざるを得ない。そして彼女は、その謎を暴くことを拒否し、目をそらし、隠蔽しようとする。
読み手はそこで、ワトスンを相手に驕り高ぶる名探偵の、さらに上をいく聡明さに打たれ、冷たく刺される。ミステリはぎりぎりまで真相を語ろうとしない、ヒロインそのものなのだから。

2018/07/10

『牧神の影』 ヘレン・マクロイ、渕上痩平 訳 / ちくま文庫

Photo原題は“Panic”、このPanicのpanがギリシャ神話の「牧神(Pan)」から、と知ったのが一つ勉強。
訳者あとがきで「暗号の発展史と推理小説の暗号」をかなり詳細に学べたのがまた一つ勉強。
(ポーの「黄金虫」に出てくる単一字換字法暗号など、政治・外交の世界では16世紀にはすでに力を失っていた──などなど)

・・・と、勉強にはなるが、それが必ずしも作品の力とならないところがつらい、マクロイ

本書『牧神の影』も、解決における暗号キーの提案、また夜の森に潜む徘徊者の正体、など、推理小説としての謎と解明はなかなか面白い。
ところが、中盤のサスペンス(つまり、まさしくPanicのシーン)、ヒロインのあまりの危機感のなさにページをめくる気がなえる。作り話であるとわかったうえでも、もしヒロインが早々に殺されていたら果たしてどれほどの国家的損失か・・・などと考えるとヒロインのみならず、軍や周囲の者たちの呑気さも正直呆れんばかりだ。
作中に頻出するヴィジュネル暗号を解説するためのアルファベット表も(純粋に暗号に興味がある読み手はともかく)あまりに煩雑で読み飛ばすしかないため、何度も読書の集中が途切れる。いや、すみません先生もちろんこちらの頭が追い付かないせいではありますけれども。

訳者はあとがき中で「後年のサスペンスものでは、途中からしばしばエスピオナージュ的な展開が入り込み、ややもするとストーリーを混乱させる」等々書いているが、「脂の乗った時期に書かれた作品」たる本書においても、いろいろバランスの悪さを指摘せざるを得ない。

というわけで、まあ言ってしまえば良くも悪しくもマクロイらしさ横溢爆裂。読み切ってしまえば勉強プラス面白さで☆の数は標準越えではあるのだけれど、これが創元推理文庫でなくちくま文庫からの発刊であるのもまた納得。

2018/06/11

職責を果たせ 『警視庁文書捜査官』 麻見和史 / 角川文庫

Photo「えーまたテレビドラマネタ? しつこいと嫌われるよ」
「そうですねー、まああと1回、お付き合いください」
「うむ、日高屋のランチに半チャーハンおごってくれたら、付き合うのもやぶさかではない」
「先輩、その『おごる』、『やぶさか』、漢字で書けますか?」
「うぐぐ」
「今回は、こんなふうに言葉にうるさい登場人物が活躍する話です。ちなみに正解は、『奢る』、『吝か』」
「ほへー」

「警視庁の一画に居を構え、表立った捜査陣には姥捨て山のごとく軽んじられる組織。若手の元気な刑事が配属されると、そこには人格的にはクセがあるものの、博覧強記、知見のカタマリのような先輩刑事がいた。二人は衝突しつつも、それぞれの個性を活かし、次々と事件の謎を解き明かしていく」
「わかりやすい解説ありがとう、だけど、どこに向かって喋ってんの?」
「(無視)テレビ朝日系列で先週まで放送されていた『未解決の女 警視庁文書捜査官』の枠組みをざっくりまとめると、おやおや私としたことが『相棒』のあらすじそっくりになってしまいました」
「あ、鈴木京香と波瑠が出ていたドラマね。見た見た」
「異なるドラマである以上、細かいところはいろいろ違うわけですが、それでも、意識的にか無意識か、『未解決の女 警視庁文書捜査官』が同じテレ朝のドル箱である『相棒』の文体を追ってしまった印象は否めません」
「おやあ、こんなところに原作本が」
「角川文庫の原作『警視庁文書捜査官』では、少なくともヒロイン 鳴海理沙の扱いがテレビドラマとはまるで違います。まず、理沙の部下というか後輩にあたる巡査部長、原作の矢代朋彦が、テレビでは波瑠演ずる矢代朋という女性刑事になってしまっています」
「うむ、今どき鈴木京香一人主演では視聴率」
「先輩、地雷を踏むならカンボジアかどこかで」
「はい。鈴木京香さん素敵だと思いまーす」
「ドラマ版の鳴海理沙(鈴木京香)はベテラン刑事であり、『倉庫番の魔女』の異名を持ち、地下の個室でレコードを聴きながら文書解読に努めるという設定。しかし、原作の理沙は初々しい若手刑事、学んだ『文章心理学』を捜査に活かそうとはしますが、基本的に“おどおど”“おずおず”系のキャラクターです。しかも彼女は部屋にこもったりせず、むしろ捜査一課の指揮を無視して現場に走っては叱られます」
「そこまで変えて“原作”ってうたってよろしーのか」
「もちろんテレビ局から見れば、プロとして、こうしたほうがウケる! ウレる! 等いろいろ考えがあるんでしょう。原作者が了解しているなら我々がどうこう口をはさむべきではありません。ただ、こんなことを繰り返していても、数年経って“あのドラマはよかった!”と言われる作品はなかなか出てこないように思うのですが、どうでしょうね」
「ふがふが」
「あ、それは〇〇のオヤツ。無断で食べましたね、、、イノチシラズナ、、、」
「ぐ。ぐあぐあぐあ」

以下、麻見和史作品について雑感いくつか。
・同じ作者には警視庁捜査一課十一係シリーズ(講談社文庫)、特捜7シリーズ(新潮文庫)、重犯罪取材班・早乙女綾香シリーズ(幻冬舎文庫)などあり、いずれも若手の女性刑事や記者が活躍する。そのキャラクターの印象は悪くない。
・ただ、いわゆる本格ミステリなら「事件発覚」→「登場人物紹介」→「新展開」→「探偵による解決編」という起承転結構成が普通だが、警察小説の場合、解決にいたるまで地道な聞き取り捜査を重ねるため、さほど重要でない人物にも面会を繰り返すなど、全体が平板になる傾向あり。
・そのため、通常のミステリなら後半の100ページにいたると一気に読んでしまうことが多いが、この作者の作品の場合、最後までスピードアップしない印象あり。

「しかしなあ」
「どうかしましたか?」
「この『警視庁文書捜査官』にはほかに『緋色のシグナル 警視庁文書捜査官エピソード・ゼロ』『永久囚人 警視庁文書捜査官』のシリーズ2冊があって、いちおう読んでみたのだけれど」
「はい」
「本庁の刑事たちからは軽んじられつつ、クセのある人物が元気がとりえな人物と独自に捜査して、その豊富な知識とスルドイ推理で犯人を暴く……」
「おや。先輩も気がつきましたか」
「『文書捜査官』とか新味ぶってるけど、要はふつーに探偵小説だわな」
「実はそうなんですね」
「そのわりに、現場に残されたカードやら落書きやら、証拠としてパッとしないし、犯人特定の決め手にも欠けるというか。つまり、探偵小説としてイマイチ……」
「ああ、言ってしまいましたね」

2018/05/31

『正義のセ ユウズウキカンチンで何が悪い!』 阿川佐和子 / 角川文庫

Photo前々回、マーケティング手法の普及、発達に伴い、テレビドラマはヒット作品の劣化コピーを繰り返すようになった、と書いた。
それがどれほど正しいかは立証のしようもないが、テレビドラマの原作に選ばれた作品がそれぞれの豊かな味わい、個性を削り、切り捨てられ、いずれどこかで見たようなモノに張り替えられてしまう例は何度も目にしてきた。コミック原作ものにそれは顕著だが、小説を原作とするドラマも本筋はそう変わらない。

『正義のセ』シリーズは、キャスター、エッセイストで知られる阿川佐和子氏(NHK・Eテレで放送されたふなっしーとの「SWITCHインタビュー 達人達」は永久保存に値する傑作だ)による、若手検事 竹村凜々子を主人公にした連作小説である。角川文庫で現在4巻まで。

豆腐屋の娘 凜々子の小学生時代から書き起こし、慣れない検事業務の中から手探りで自らの「正義」を見つけ出そうとする成長物語で、ミステリ、サスペンス色は薄い──というか、ほとんどない。午後9時、10時から放送されるサスペンスドラマより、朝の連ドラに近い、と言うとわかりやすいだろうか。
各編で凜々子が担当する事件は、凜々子を苦しめ、「正しい裁き」について惑わせこそすれど、大きな裏やどんでん返しがあるわけではない。そもそも警察の捜査がそうそう覆るはずはないし、検事が警察からの報告を疑って現場に赴くこと自体イレギュラーなのである。
2巻めの終わりから3巻めにかけ、大きな冤罪事件、そしてマスコミとの軋轢が描かれはする。しかし、その際も作者の眼差しは事件そのものより、被害者、あるいは巻き込まれた凜々子のやるせない思い、家族や友人との関係の破綻、その結ぼれに暖かく向けられる。したがってその結末も、ミステリ小説に慣れた読み手からするとおよそ肩透かしの感が強い。

ところが、これが吉高由里子主演でドラマ化(日本テレビ)されるや、原作のいくつかの事件、脇役たちは踏襲しつつ、毎回検事が事件の現場に再捜査に赴き、真相を覆す1話完結の人情サスペンスに変わってしまう。人間関係も格段にスマートだ。

不思議なことに、吉高演ずる凜々子の演技が間違っているわけではない。2年前に発行された文庫の表紙イラストも、まるで吉高のキャスティングを想定していたかのようだ。

つまり、小説とテレビドラマでは、そもそも「文体」が違うのである。

2018/04/30

エピゴーネン 『タラント氏の事件簿』 C・デイリー・キング、中村有希 訳 / 創元推理文庫

Photoときどき、こういう困った本に出会う。

内容は、有能な日本人執事(実はスパイ)を従えた謎のディレッタント紳士が次々と怪事件を解き明かす、というもの。
1935年に発表された短篇集に同じ主人公が活躍する短篇4作が増補されている。

その謎、といえば、
  博物館の一室から忽然と消えたアステカの古写本
  ペントハウスで起きた密室殺人
  乗る者を死に追いやるボート
  路上で次々と発見される首なし死体
  古詩のとおりに消失と出現を繰り返す竪琴
  レストランで起こった加害者を特定できない殺人事件
など、など。

本シリーズを「クイーンの定員」に選んだエラリー・クイーンは「当代に書かれた中でもっとも想像力に富んだ探偵小説の短篇である」と高く評価したそうである。びっくりだ。

謎はそれなりに面白い。展開もそこそこサスペンスフルだ。しかし……。
密室殺人らしきものがあったらまずそこを建てた大工さんに聞きなさい、だし、ボートが危険なら自身で湖に乗り出す前にすみずみまで調べてみてはいかが、と忠告したい。首なし死体の凶器は、どう使ったら首が切り落とせるのかさっぱりわからないし、竪琴の隠し場所は気づかれないほうがどうかしている……。
さらに、最後の数篇は物理学すら放棄してオカルトに走っていってしまった。読み手への嫌がらせか?

この短篇集を読み終えて、しみじみと感心したのは、ドイルのシャーロック・ホームズがいかに時代を越えてきたか、ということだ。
(すべて、とまでは言わないが)ドイルの残した事件、トリック、推理の多くは、現在、小学生が読んでもそれなりに理解できる。
ガス灯の代わりにLED、馬車の代わりにハイブリッドカー、電報の代わりにスマホが使われたとしても、骨子たるストーリーはさほど崩れない。

結局のところ、ホームズのストーリーは人間性の観察から組み立てられたものであり、『タラント氏の事件簿』はすでに隆盛を迎えていた探偵小説を見よう見まねで再生産しただけだった、ということか。だから、不可能犯罪のアイデアをこねくり回すうちに、安直にオカルトに負けてしまうのだ。

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