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カテゴリー「ミステリ・サスペンス」の169件の記事

2017/09/29

最近の新刊から 『月明かりの男』(ヘレン・マクロイ)、『月光のスティグマ』(中山七里)

Photo『月明かりの男』 ヘレン・マクロイ、駒月雅子 訳 / 創元推理文庫

ミステリ黄金期のテイストかぐわしく、いつも刊行が楽しみなヘレン・マクロイ。その待望の新刊『月明かりの男』だが……さすがにこれは若書きのせいか(1940年、ベイジル・ウィリング博士シリーズの第2作)、細かいところでいくつか気になった。

たまたま私用で大学を訪れたフォイル次長警視正が殺害予告を受けた亡命ユダヤ人化学者にたまたま出会い、殺人現場にも立ち会うご都合主義もそうなら、前後、延々描かれる事件現場の研究室や廊下の並びのわかりにくさ。とくに後者は犯人の逃走経路や不審者像の証言が3人の目撃者によってまちまちとなり、のちに犯人を特定するポイントになるのだから困る。せめて図で示してほしかった。

○○や△△など、おそらく当時としては新進のツールや症状を次々に取り上げて読み手をけむに巻く(実は事件の真相とはあまり関係ない)マクロイの悪い癖も気にかかるが、実は一作通して一番驚いたのは、物語の中盤、ウィリング博士が捜査に立ち寄った先で、一匹のゴキブリがテーブルのシルクの布の刺繍の上を堂々と横切り、それを見た登場人物の一人が「親指と人差し指でゴキブリをつまみあげると、窓から外へひょいと投げ捨てた」シーン。
なにゆえそんなにとろっちいのだ、アメリカのゴキブリ。
それともこのような情景描写をしてのけるマクロイ女史は日常からゴキブリより素早い才女なのか、もしや。

『月光のスティグマ』 中山七里 / 新潮文庫

「月」つながりでもう1冊。

中山七里はこと「どんでん返し」という技術において高く評価しているミステリ作家の一人で(男子体操、床運動の白井健三選手に対する称賛に近い)、いつか取り上げようと思っていたのだが、新刊の『月光のスティグマ』は残念ながら荒さのほうが目立った。

本書では美人双子とその幼馴染の少年がまず変質者に襲われて傷つき、のちに双子の一方が少年の兄を刺し、と思ったら〇〇に巻き込まれて双子たちと少年は別れ別れになり、のちに少年は特捜検事となって……実はここまでで導入部に過ぎない。

日本国内から最後は世界規模までの大きな事件や政変を次々ストーリーに取り込んで、ダイナミックといえばダイナミックなのだが、それぞれの事件が消化不良のままストーリーが転がっていくため、読後感は渇いたカステラを頬張った口の中のようだ。

大きな活字の文庫400ページにこれだけ詰め込むのは無理、というだけでなく、思うに、この作家は、「愛する人を護りたい」などというありきたりな若者の感傷、情感など切り捨てて、クールかつ執拗な悪人を主人公にした、たとえるなら柴田錬三郎のような肌合いの公判サスペンスを書いたほうがいいのではないか(実際、中山七里作品で無条件に楽しめるのは、そういった傾向ののもののような気がする)。

2017/05/18

ミステリホメオパシー 『Life 人生、すなわち謎 ミステリー傑作選』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

Life日本推理作家協会では、1948年度版以来、毎年欠かさず、その1年に発表された優れたミステリ短篇をまとめたアンソロジーを刊行している。それを年2分冊にして刊行しているのが講談社文庫の『ミステリー傑作選』シリーズ。ショートショート特集など、変格も交えて4月発行の『Life 人生、すなわち謎』で85冊めとなる。

今回の収録作は5作、

新幹線の車内清掃チームがある日の東北新幹線車輌で出会った小さな事件、そこにはある女性の人生が。
  (伊坂幸太郎「彗星さんたち」)

渋谷分駐所に所属する機動捜査隊で年上の警部補と急増コンビを組むことになり、今ひとつ納得のいかない主人公。だが、頼りなく思われたそのベテラン刑事には意外な側面が。
  (今野敏「暁光」)

腕のいい石工だった男が墓所の片隅で幼い息子に見せたのは、若い職人と連れ立って家を捨てた母の墓石、そこに彫られた朱文字の母の名だった。
  (翔田寛「墓石の呼ぶ声」)

プロ野球の人気球団の新しいヘッドコーチ人事をめぐる、スポーツ新聞社内の駆け引き。
  (本城雅人「コーチ人事」)

派遣の身分から社会保険労務士の資格を得てキャリアをリスタートさせた主人公は、担当顧問先の企業で同社に不当に解雇されたと言い張る元社員の言い分を聞くはめに。
  (水生大海「五度目の春のヒヨコ」)

詳細は書けないが、実はこの5作のうち、殺人事件は一件のみ。ほかの4作についても、いわゆる犯罪、違法行為はほとんど出てこない。

少し前に日本文藝家協会編『短篇ベストコレクション 現代の小説2016』(徳間文庫)を紹介したが、いずれの短編も、どちらのアンソロジーに収められていてもおかしくない(本城雅人のスポーツ新聞社の特ダネ競争をテーマとする短篇にいたっては、両アンソロジーに選ばれているのだが、『短篇ベストセレクション』所収の作のほうがミステリ臭が強いほどだ)。「五度目の春のヒヨコ」も青木祐子の『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~』(集英社オレンジ文庫)のスピンアウトとでも言われるといかにもありそうな内容で、つまりは狭義のミステリとは言い難い。
対するに『Life 人生、すなわち謎』というタイトルは、人生は謎、その謎を解こうとする作品だからミステリ、と居直ったようなもので、いっそすがすがしい(←誉めているわけではない。当たり前であるな)。

前回、この日本推理作家協会によるミステリー傑作選『Bluff 騙し合いの夜』を取り上げたのは5年前の5月だったが、そのときは以下のようなことを書いた。

現代の若手ミステリ作家は、登場人物に一線を越させる確かな理由を、現実の手本から見つけ出すことができていないのかもしれない。そのため、作中の季節感も、殺意も、トリックも、すべてプラスチックの積み木の清潔なピースのようになってしまい、作品の優劣はただその組み合わせの是非でしか競えない。

今やそれをも通り越して、そもそもミステリ作家は犯罪、殺人を描く理由がなくなってしまったということか?

もとい、状況をきちんと切り分けよう。

そうは言っても猟奇殺人を描き、本格推理をうたう作品はむしろ書店の棚に溢れかえっている。若者向けライトなキャラクターもののミステリ好編も少なくない。だが、少なくとも日本推理作家協会とその周辺は、かつての傑作を崇めるあまり、もはや現在の良作を年間ベストに選ぶ理由を見失っているのだ。一度、ガラガラポンでリセットしてもよいのではないか。選者とか。販社とか。

2017/05/07

君はゾンビなフレンズなんだね 『死の相続』 セオドア・ロスコー、横山啓明 訳 / 原書房 ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ

Photo(「あのミステリ黄金時代の、あの女王のあの著名作品」を話題にした手前、それに先んじたこの怪作を取り上げないわけには……)

ハイチに住む実業家が死に、屋敷には七人の相続関係者が集められた。「私の遺体は丘の上に深く埋め、棺には杭を打ちこむこと。財産は第一相続人にすべてを譲る。ただし、第一相続人が二十四時間以内に死んだ場合、第二相続人が権利を得る。第二相続人が二十四時間以内に死んだ場合には第三……」と奇妙な遺言が読み上げられる。遺言書をなぞるように屋敷では相続人が奇怪な死を迎えていき、そして最後に残された第七相続人に……。
 (『死の相続』カバーに書かれた内容紹介より)

紹介文からして奇妙奇天烈、なんとも濃いB級インプレッションだが、実際、この実業家(アンクル・イーライ)の弁護士、ピエール・ヴァラーンタン・ボンジャン・トゥーセリーネが語り手の売れない画家、E・E・カーターズホールの部屋に登場する冒頭から物語は禍々しさの発酵、熟成、腐敗一本道、カーターズホールの恋人にしてイーライの相続人、パトリシア・デイルを連れ立っていざゆかんハイチの旅、そこに待ち受けるは……。

ピンを刺しておきたいのは、この『死の相続』がパルプマガジンに発表されたのが1935年だという、そこのところだ。

これは閉ざされた空間に集められた関係者が順に死んでいく、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』(1939年)より数年早い。
さらにいえばヴードゥー教のゾンビが登場する点においてジョージ・A・ロメロの映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)にももちろん先駆けている(「棺には杭を打ちこむ」のは、死体がゾンビとして復活しないための呪法)。

じっとり湿度の高いハイチの夜の雨、いずれ一癖も二癖もありそうな相続人たちは互いに反目し合いつつ、一人二人と謎の死をとげていく。
異様な熱気に引きずられるサスペンスといえば例の『赤い右手』が思い起こされる。書斎、パイプ煙草、衒学趣味と、つまりはちょっと知的にスカした雰囲気が定番のミステリ群の中で、強引な怪奇性と暴走のスピード感で読み手の生理に訴える、とでも言うか。

ところが『死の相続』が凄いのは、読了後、振り返ってみれば本格ミステリとしての約束ごとがそれなりに一気通貫守られているということだ。少なくともトリック、プロットは冷静な知性の産物である。奇妙な遺言、黒人ゲリラの蜂起、ゾンビの跳梁、と、大昔の冒険映画のような書割の中で(動機に見合っているかどうかはともかく)フーダニット、ハウダニットについては終盤まで丁寧に読めば演繹的に割り出すことが可能なはずである。
──もっとも、導き出したうえで「バカミスだぁ!」と声を上げることにはなるのだが。

ちなみに、この『死の相続人』、雑誌掲載時のタイトルが A Grave Must Be Deep! だったのはまだしも、加筆、単行本化された際のタイトル Murder on the Way! は何だかよくわからない(「途上の殺人」?)。
邦題もウィリアム・アイリッシュあたりにありそうな『死の相続』などより、ここは一つ『ZOMBEREAVED 死霊の相続人』などではいかが。

2017/04/30

タケモトケンジ、ジケンモトケタ 『かくも水深き不在』 竹本健治 / 新潮文庫

Photo『かくも水深き不在』は短編5作からなる連作短編集。そのうちいくつかでは語り手の夢、ないし幻覚としか思えない辻褄の合わない物語が開かれる。

・森に包まれた廃墟の洋館で、鬼に追われ、鬼に見られ、鬼と化していく子供たち
・CMの一画面、瓦礫に赤い花の咲く光景に激しい恐怖を感じた語り手は……
・自身が恋い焦がれる花屋の娘につきまとうストーカーに殺意を抱いた語り手は……
・大物芸人の娘を誘拐した犯人はなぜか身代金強奪の途中で連絡を絶つ

こんなバラバラなシチュエーションにミステリとして整合性のある結末は可能なのか。

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ところで、書店の棚に新人、ベレランの「本格ミステリ」がうず高く並ぶ現在からは信じがたいことかもしれないが、綾辻行人が『十角館の殺人』でデビューし(講談社ノベルス、1987年)、「新本格」がブームになるまでの十数年、国内の「本格」ミステリファンはほとんど読むものがなかった。

新刊として新聞の広告欄をにぎわしたのは社会派、ハードボイルド、それにユーモアミステリばかりで、クイーンやカーの旧作を創元推理文庫で漁る以外は

中井英夫『虚無への供物』の講談社文庫化(1974年)、
『犬神家の一族』角川映画化に伴う横溝正史ブーム(1976年~)、
『11枚のとらんぷ』『乱れからくり』『亜愛一郎の狼狽』など泡坂妻夫作品の角川文庫化(1979年~)、
『ぼくらの時代』(1978年)をはじめとする栗本薫の活躍、

くらいしか選択肢がなかったのだ。

(それなりにボリュームあるじゃないかとの声も聞こえそうだが、インターネットのない時代、本格テイストの作品を探し出すのはなかなか大変だったのだ。ちなみに、新本格の先達とされる島田荘司さえ、初期はトラベルミステリーやサスペンス作家のイメージが強く、『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』が文庫化されて本格ミステリ作家として一般に知れ渡ったのは綾辻のデビュー後だった。)

そんな中、出版界の動向に頓着せず、アンチ・ミステリ『匣の中の失楽』(1983年、講談社文庫)や『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』のゲーム三部作シリーズ(1980年~)で登場した竹本健治もまた、本格ファンの渇きを癒してくれた作家の一人だった。

ただ、竹本作品は総じてメタフィクションであったりホラー色、SF色が強かったりで、現在にいたるまで必ずしもとっつきやすいものではない。

『かくも水深き不在』も、それぞれの語り手に精神科医の天野不巳彦が対するので、そのうち彼が探偵役として事件を解き明かしてくれるのだろうと油断していると、最後に地面が抜ける。
異様なまでに論理的、なのか、それとも骨なしのファンタジーなのか。
説明のつかない超常的な展開をホラーと見ればホラー、さまざまな伏線がそれなりに収束するところは本格ミステリにも思われる。

しかも、最後の1行、つまりこれはあのミステリ黄金時代の、あの女王のあの著名作品へのオマージュなのか?

2017/03/29

メールは忖度し 『紙片は告発する』 D・M・ディヴァイン、中村有希 訳 / 創元推理文庫

Photo待望、D・M・ディヴァインの新訳。ディヴァインは生涯に長編を13作品遺したそうだが、これで未訳はあと2作となった。

とはいえ、『バーナード嬢曰く。』で神林しおりが

  「ディックが死んで30年だぞ!
   今更 初訳される話がおもしろいワケないだろ!」

と喝破したように、13冊中11冊めともなるといかにディヴァインでも多少のダレはある。真犯人は読み進むうちなんとなく見当がついてしまうし、解決にいたっても「してやられた!」感は薄い。それどころか、殺害方法に大きな疑問がある。中盤に出てくる犯行方法では、被害者が犯人名のダイイングメッセージを残す可能性があるので、絶対に顔を見られてはいけないはずなのだ……。

等々で本ブログで取り上げる気にもなれず、『紙片は告発する』は読み終えてすぐ本棚に片づけてしまっていた。しかし、昨今の国会証人喚問報道を鑑み……いや、別にここで政局を語るつもりなどないのだけれど、気になることがあったのでまた取り出してパラパラめくっている次第。
それは、ここしばらくあちこちで目にする

  「忖度(そんたく)」という言葉は英語にしづらい
  そのため事件のニュアンスを海外の特派員に伝えにくい

との論調である。その背景には「日本の行政はルールや論理でなく上への忖度で動く、だからダメ」という批判の色合いもあるようだ。

だが、日本人だって大半が読めない、書けないに違いないレアな熟語、そんな言葉が翻訳しやすいはずがない。
そもそも、欧米には「忖度」にあたる行動パターンはないのか? ぴったりなワードこそないかもしれないが、どうだろう?

ここで話題はディヴァインにダル・セーニョ。
工業都市として発展しつつある町の町政庁舎を舞台にした『紙片は告発する』は、公共事業の不正入札疑惑に上司との不倫に悩む書記官をからませた、ディヴァインにしては社会派風味豊かなストーリーなのだが(もちろんあくまで趣向はフーダニットにあり、間違っても地方政治の闇を暴こうとかいうものではない)、この町議会の面々がなかなか巧みに描かれていて、町長選出にともなってそれぞれの思惑がからまり、一見正論を口にしつつ、実はのちのち上司になりそうな者の意向を慮り、、、、まさしく「忖度」、「斟酌」、「阿吽の呼吸」の世界ではないか。

つまるところフィットする訳語があろうがなかろうが、欧米でも「忖度」にあたる組織内コンタクトはありそうだ。
いや、思い起こせばディヴァイン作品の多くは、明確な犯罪を犯したわけでもないのに周囲の反発を買い、無言の「忖度」によって沈められていた者たちの苦い蘇生の物語であり、だからこそフーダニットの楽しみを越えて読み手の胸を打つのである。

2017/03/22

『またたかない星』 小泉喜美子 / 集英社コバルト文庫

Photoクレイグ・ライスやP.D.ジェイムズの翻訳仕事の一部以外、ほとんどの作品が品切れ、絶版だった小泉喜美子だが、『弁護側の証人』に続き、文庫の新装刊がポツリポツリと進んでいるようだ。
「そうでしょうそうでしょう」という嬉しい気持ちと、けっこう手間ヒマかけて古本屋あさってきたのにナ、という口惜しさ半々で、今夜はおそらく復刊の対象にならない、なったとしても最後の最後と思われる集英社コバルト文庫版の短篇集『またたかない星(スター)』を取り上げることにした。
(プライベートなブログとはいえ、わざわざ読み手が手に入れにくい本を取り上げてどうする……)

収録は7篇。
初出は1972年から77年にかけての「小説ジュニア」、「小説現代」、「小説サンデー毎日」、「小説推理」(2作)、「マーガレット」(!!)、「小説クラブ」。案外大人向け雑誌が多い。
内容も、エロティックな関係、グロテスクな殺人がさらりと持ち出され、大人が読んでも違和感のない読み応えだ。
小泉喜美子作品ではときにワルぶって背伸びした子娘キャラが鼻につくことがあるが、いずれの短篇もほど良く薄味で、するっとサスペンスに入り込むことができた。

「犯人のお気に入り」における後半の鮮やかな視点の変換、「髪」のある意味繊細、ある意味愚昧な犯人描写がよい。
「殺人者と踊れば」は作者の代表作と同工異曲なのだが、初出誌と記された「マーガレット」(1976年というと岩館真理子が『グリーンハウスはどこですか?』を連載した頃。「週刊マーガレット」や「別冊マーガレット」に小説ページなどあったろうか?)の読者層に合わせたのか、背景、情景描写をシンプルにし、時代や場所を特定しない、一種寓話の味わいにいたっていて、これもよかった。 

ただ、女性ならではのモノへの丁寧な眼差しが、結果として言葉を古くしているのが気になる。「マイ・カーのランツィア・フラミニアに」「カセット・テープ装置つきのレコード・プレーヤーが」「オレンジ色のパンタロンも金のサンダルも」など。いずれも現代でも通用する心理ドラマだけに、惜しい。

2017/03/16

エロ以外なんでもあり 『猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』シリーズ(現在7巻まで) 内藤 了 / 角川ホラー文庫

Photoヒロイン藤堂比奈子は八王子西署刑事組織犯罪対策課の新人刑事。長野出身。亡くなった母から渡された八幡屋礒五郎の七味缶をお守りに持ち歩き、ピンチになると七味を口にして「か、辛い」と声を上げる。特技は事件のあらましや関係者のやり取りをイラストで描く事で詳細に記憶すること。先輩課員や鑑識官たちに励まされ、からかわれつつ、一人前の捜査官として経験を踏んでいく……。

それのどこがホラー文庫なんだ、と首を傾げそうになるほのぼのほんわか設定である。空き家探検に探偵気取りの子供たちと協力する、事件で知り合ったおばあちゃんの太鼓焼きを課への差し入れに毎度買い求める、などなど、随所に昭和テイスト、人情味が溢れる。

──ところがぎっちょん首チョンパ、事件現場がエグい。

1冊め、『ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』では、殺人犯たちの自殺の仕方がエグい。心臓を三度刺す、とか、自分で○○を●●に突っ込む、とか。ことの真相も、なかなかくる。
2冊め、『CUT 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』では古い洋館に散らばる着飾った腐乱死体がどれもこれもステキステキ。アメリカの連続殺人鬼やトマス・ハリス『羊たちの沈黙』に影響受けてのものだと見当はつくが、それでもここまで大胆に描かれると食事中には読めない。

マスターピースは上記2冊。
以降はシリーズものの常としてだんだんダレてはくるが、

3冊め、『AID 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』も被害者の死体に漂う腐乱臭がページから溢れてこもる。
4冊め、『LEAK 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』、殺し方がエグい。生きている被害者の口から貨幣、紙幣を一気に流し込む。解剖中に気をつけないと胃が破れるほどに。
5冊め、『ZERO 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』、さすがに少々のことでは驚かなくなるが、脱獄して再登場の連続殺人鬼の挙動がヒリヒリ神経を刺す。

これらの猟奇的場面について、既存のサイコサスペンスの亜流と指摘する声もあるかもしれない。本格推理やサスペンスを求める向きには人情噺が余計だろうし、駆け出し刑事の頑張り物語を期待する読み手にはグロがいささか過ぎるに違いない。警察組織や捜査に関して現実に即していないという指摘もあるだろう(「東大法医学部教授の検死官」なる肩書は眩暈を誘うし、警察関係の施設として人道的に、いやそれ以前にちょっとあり得ないものが出てきたりする)。

それでも、とくに1作め、2作めの死体へのサイケな扱い、それをめぐる物語の推進力は半端なく魅力的だ。テレビ朝日「相棒」などにもときに死体は出てくるが、地上波ゆえか、出来てまだ半日程度の生ものか、逆にとうに白骨化していて、要するに腐敗や臭いについては描写に乏しい。本シリーズはそこにこだわるのである。

対策課の課員それぞれの個性が明らかになってくる3冊めあたりからはチーム色が強まり、個人的には少々うんざりしてしまうのだが、それでも読んで楽しいことに変わりはない。
インターネットで探せば本物の死体だろうが殺人の現場だろうが造作なく見られるようになった時代だが、それでも思わず身を引く猟奇性、さくっとオススメである(誰に?)。

2016/12/30

『クリスマスの朝に キャンピオン氏の事件簿Ⅲ』 マージェリー・アリンガム、猪俣美江子 訳 / 創元推理文庫

Photo『窓辺の老人』『幻の屋敷』に続く、キャンピオン氏を探偵役とする短編集の第三集。

キャンピオン氏はいわゆるイギリス有閑階級の紳士であり、警察の知己を得て事件の謎解きに参画する。なかには悲惨な事件もあるが、多くは日常のトラブルのちょっとした謎をもてあそぶお気楽なアイデアストーリーとなっている(同じ作者の長編には重いものもあるらしい)。

ただ、過去の2冊に比べ、中編、短篇それぞれ1作を収めた今回の『クリスマスの朝に』には少々がっかりするところがあった。

短篇の「クリスマスの朝に」は、いかにもイギリスの田園地方での事件を扱ったもので、解決後にほのぼのした味わいを残す。付録として掲載されているクリスティによるアリンガム追悼文も、その実力を評価しつつ自らとの違いを明らかにして悪くない。

問題は200数ページ余りに及ぶ中編「今は亡き豚野郎の事件」だ。
ミステリとしての骨子は他の短編に比べてしっかりしており、一人物の葬儀が二度執り行われる謎を、煩雑な人間関係から解き明かす推理ものとなっている。しかし、(翻訳のせいだけでもないと思うのだが)紳士を描くにしてはとにもかくにもガラが悪い。
タイトルからして、いくらいじめっ子であったとはいえ、小学校の同級生を「豚野郎(ピッグ)」呼ばわりはいかがなものか。
また、キャンピオン氏の従僕ラッグの言葉遣いが酷い。

 「まったく、旦那は知性のかけらもない間抜けだね」
 「ちょっとばかし言わせてもらいますぜ」
 「人をなんだと思ってるんです?(中略)笑わせるぜ!」

従僕や執事がギャグ、コメディとして描かれる場合は、一般に、表向きはあくまで主人を立て、徹底して低姿勢な言葉遣いを保つからこそ、その嫌味、慇懃無礼ぶりが可笑しいのである。ラッグの役回りはそれとはまた違うのかもしれないが、いずれにせよ「間抜けだね」「笑わせるぜ!」ではユーモアを楽しむ前に気持ちがささくれだってしまう。

本作に限らず、帯や解説でユーモアミステリと称される作品で実際にそのユーモアを楽しめるものはめったにない。自分の閾値が高いのだろうか。ルパン三世やガリレオシリーズ(の一部)は笑えるのだから、必ずしも鈍いわけではないと思っているのだが。

2016/11/26

『七人目の陪審員』 フランシス・ディドロ、松井百合子 訳 / 論創海外ミステリ

Photo実は──バークリーの『試行錯誤』を取り上げるにあたってはレオ・ブルースが『ハイキャッスル屋敷の死』でやりたかったこと、できなかったことの比較対象とする、という大仰な意図があった。意図はあったけれど大風呂敷は畳まれず、結局アラスジ書いて感想書いて、小学生の感想文になってしまったわけだが、それはそれとしてその次に読んだのがフランスの作家ディドロの『七人目の陪審員』なる法廷ミステリだった。

『七人目の陪審員』を選んだのは、なじみの古本屋の海外本コーナーに黄金期のミステリ初訳に力を入れる論創社の本が少なからぬボリューム並んでおり、喜んで袋いっぱい買って帰ってさてさてうはうはと適当に読み始めただけである。

だが、驚いたことにこの2冊、いずれも主人公が殺人を犯し、やがて無実の(と主人公には思える)青年が逮捕され、後半は主人公がその冤罪をはらそうと裁判で四苦八苦──と、アラスジを1、2行で書いたらあっとびっくりのそっくり話だった。

とはいえ、展開こそ似ていても、読み応え、読後感はまったく別物だ。
『試行錯誤』のトッドハンター氏は、さんざん議論、検討した結果、強い正統性の認識をもって殺人にいたる。それに対し、『七人目の陪審員』の主人公、薬局を営むグレゴワール・デュバル氏の殺人は行き当たりばったりで「衝動」という言葉さえなんだか噛み合わない。また、別人が逮捕された後、トッドハンター氏が自ら絞首刑になるのを厭わず必死で冤罪を晴らそうとするのに対し、デュバル氏は自身の罪を認める気などさらさらなく……(さすがにこれ以上書いたらネタバレになってしまうか)。

どちらも謎解きより主人公の心理の推移が主だが、前者の心理描写は不器用、杓子定規に過ぎ、後者は……ブラックユーモアとみるにも笑えないし、不条理劇とするにも主人公が身勝手、無責任なだけ。つまるところなんだかよくわからない。

一つ感じたことは、トッドハンター氏はやはり議会制民主主義を完成させた国の紳士であり、デュバル氏は血気盛んなフランス革命の国の徒、ということだ。
いずれも迷惑だが、しいてどちらの作品を評価したいかといえば、言うまでもない

2016/11/20

『試行錯誤』 アントニイ・バークリー、鮎川信夫 訳 / 創元推理文庫

Photo動脈瘤で余命数ヶ月、と医者から宣告されたなら、自分ならどうするだろう──。

主人公トッドハンター氏は(まず冷静にほかの医者の診断も受けた上で)残された短い命の有意義な使い方を信頼おける知人たちに相談する。その結果、ほぼ全員一致で世に害をなす人物を抹殺するのがよろしいという結論にいたる。その後、ターゲットの変更などを経て、ようやくトッドハンター氏は稀代の毒婦とみなされる人気女優の殺害に成功する。
ところが、無実の人物が逮捕されるにいたり、トッドハンター氏は自ら犯行の名乗りをあげ、警察や検事に相手にされないため、やむなく(バークリーの他の作品で探偵として活躍する)チタウィック氏に依頼してまで自身の有罪を勝ち取ろうとする。トッドハンター氏の絞首刑目指してのトライアル・アンド・エラー、その結末やいかに。

『毒入りチョコレート事件』では複数探偵による多重解決、『殺意』では犯人視点から事件を語る「倒叙」、など、作品の構成そのものにダイナミックな工夫をあれこれ仕掛けたバークリーだが、作品構築に熱心なあまり、読者サービスというか、要は読みやすさにやや欠けるきらいがあった。いちいち分厚いし。
1937年に発表された『試行錯誤』は、バークリー後期の、心理面から犯罪を描いた作品で、とはいえ倒叙ミステリとしての展開も面白く、頭で追うのでなく心で読むミステリ、とでもいうべく充実感を得た。

一つには不器用ながら誠実なトッドハンター氏のキャラクターの魅力が大きい。彼の、はた迷惑な杓子定規さへの苦笑いが後半まで読み進めるとふつふつと応援したい気持ちに変わっていく。その最期はよく考えれば必ずしも心温まるものではないが、それでもトッドハンター氏の奮闘に「天晴でした」と遠くグラスを捧げたい気持ちにいたった。乾杯。

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