フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー「ミステリ・サスペンス」の177件の記事

2018/04/30

エピゴーネン 『タラント氏の事件簿』 C・デイリー・キング、中村有希 訳 / 創元推理文庫

Photoときどき、こういう困った本に出会う。

内容は、有能な日本人執事(実はスパイ)を従えた謎のディレッタント紳士が次々と怪事件を解き明かす、というもの。
1935年に発表された短篇集に同じ主人公が活躍する短篇4作が増補されている。

その謎、といえば、
  博物館の一室から忽然と消えたアステカの古写本
  ペントハウスで起きた密室殺人
  乗る者を死に追いやるボート
  路上で次々と発見される首なし死体
  古詩のとおりに消失と出現を繰り返す竪琴
  レストランで起こった加害者を特定できない殺人事件
など、など。

本シリーズを「クイーンの定員」に選んだエラリー・クイーンは「当代に書かれた中でもっとも想像力に富んだ探偵小説の短篇である」と高く評価したそうである。びっくりだ。

謎はそれなりに面白い。展開もそこそこサスペンスフルだ。しかし……。
密室殺人らしきものがあったらまずそこを建てた大工さんに聞きなさい、だし、ボートが危険なら自身で湖に乗り出す前にすみずみまで調べてみてはいかが、と忠告したい。首なし死体の凶器は、どう使ったら首が切り落とせるのかさっぱりわからないし、竪琴の隠し場所は気づかれないほうがどうかしている……。
さらに、最後の数篇は物理学すら放棄してオカルトに走っていってしまった。読み手への嫌がらせか?

この短篇集を読み終えて、しみじみと感心したのは、ドイルのシャーロック・ホームズがいかに時代を越えてきたか、ということだ。
(すべて、とまでは言わないが)ドイルの残した事件、トリック、推理の多くは、現在、小学生が読んでもそれなりに理解できる。
ガス灯の代わりにLED、馬車の代わりにハイブリッドカー、電報の代わりにスマホが使われたとしても、骨子たるストーリーはさほど崩れない。

結局のところ、ホームズのストーリーは人間性の観察から組み立てられたものであり、『タラント氏の事件簿』はすでに隆盛を迎えていた探偵小説を見よう見まねで再生産しただけだった、ということか。だから、不可能犯罪のアイデアをこねくり回すうちに、安直にオカルトに負けてしまうのだ。

2018/04/12

『三面鏡の恐怖』 木々高太郎 / 河出文庫

PhotoKAWADEノスタルジック探偵・怪奇・幻想シリーズ」の新刊。
想定外の面白さ。

殺人事件が起こるのは本文のおよそ3分の2、147ページにいたってから。そこまでの人物描写になんとも言えない味わいがある。

日本全土の電化を志す電球会社の社長、真山十吉
十吉の最初の妻は三升財閥の有力者の娘だったが、結婚2年後に亡くなっている
その妻の母 川辺友子、妹 川辺辰美は今も十吉と同居している
かつて十吉に捨てられた恋人、尾崎嘉代子
嘉代子は十吉と親しい弁護士平原勝之助と結婚、のち離婚、病死

物語は、この電球会社の社長十吉のもとに、亡くなった尾崎嘉代子の妹を名乗る尾崎伊都子が訪れることで動き出す……。

人間関係は結婚、死別、離別がからまってやや煩雑だが、文章で読む分にはすんなり腹に収まる。
たとえば十吉はかつての恋人の妹、伊都子と再婚するにいたるのだが、その過程がほとんど描写されなくともとくに気にならない。
出会った日の伊都子、十吉それぞれの言葉が豊かな水気をたっぷりと含んでいるため、その後二人が惹かれ合って結婚しようが、憎み合って殺し合おうが、なんら不思議に思われないのである。

タイトルにある「三面鏡」は、言うなればこの事件を女性目線で語るものといえようが、作品全体を電気事業の在り方や経営陣と組合活動の軋轢を(あっさりとながら)描いた企業小説と読むこともできる。さらに、終戦直後の1948年に書かれながら、ドライでクールな展開が妙に「昭和」を逸脱して不可思議。

事件解決はやや無理やりトリックを組み立てた印象で、推理小説としてかならずしも最上のものとは思えないが、ともかく読書の楽しみを味わうことのできる稀有な1冊。
なにより、登場人物の誰に感情移入するかによって、これほど意外性、サスペンス色の変わる作品も少ないのではないか。

2018/03/05

閲覧注意?? 『疑問の黒枠』 小酒井不木 / 河出文庫

Photo一昨年の森下雨村『白骨の処女』あたりから、河出文庫より、静かに戦前の探偵小説の発刊が続いている。
表紙に大々的に銘打たれているわけではないが、「KAWADEノスタルジック探偵・怪奇・幻想シリーズ」とのことだ。

嬉しいのは、小栗虫太郎や香山滋はともかく、先の森下はじめ、

  大下宇陀児『見たのは誰だ』
  甲賀三郎 『蟇屋敷の殺人』
  浜尾四郎『鉄鎖殺人事件』
  楠田匡介『いつ殺される』

など、かなりマイナー、入手困難な作品が選抜されていること。
これらの作家名は、探偵小説のアンソロジーや文庫の解説中で目にすることはあっても、長編となるとそうそう読む機会がない。大きな部数が期待できるとは思えないこれらラインナップを企画した河出書房新社の侠気には謹んで敬意を表したい。
(もっとも、上記の作家のうち、森下雨村の没年が1965年、大下宇陀児、楠田匡介が1966年で、いずれも著作権が切れたばかり。著作権が生きているのは香山滋ただ一人。ということで、そのあたりも加味してのクレバーな企画だったと思われる。)

これらの探偵小説は、もちろん謎解きとして面白ければよし、よしんばミステリとして今ひとつでも、当時の風俗、言葉遣いに触れ、戦前ならではのセピアカラーな雰囲気の中で(ややおっとりとした)サスペンスを愉しむことができる。

そこで今回取り上げる1冊だが、
小酒井不木といえば海外推理小説の紹介に努め、森下雨村とともに江戸川乱歩のデビューに尽力した、いわば我が国のミステリの大先輩にあたる人物。とはいえ、その長編『疑問の黒枠』(1927年)は、自らの生前葬と還暦祝いを企図した商事会社社長が棺の中で本当に殺されてしまい、その一人娘まで行方知れずになってしまう──という導入部はともかく、謎解き犯人当てとして見ると探偵にあたる人物が複数いて視点が落ち着かないなど展開がズルズルしてそう面白いわけではない。

また、若い恋人どうしの語らいが

  父のすることはいつでも、子供くさいですわ。けれどもそれは生まれつきだから、仕方がないではないの。

  たとい模擬葬式でも、それを行うというのは、恐ろしさに堪えられぬことです。

など、なんだか妙な塩梅で、これは作者の筆のすべりが悪い、と見たほうがよいのかもしれない。

……しかし、実は、そういったマイナス要素をちゃぶ台ごと覆してあまりある魅力が本作にはある。
最終的に事件の謎を解き、犯人を追い詰めた探偵の罠が──いたい水域でグロ! 医学博士がこれを書いてはいかんのでは? 情状酌量の余地のある犯人などより、ある意味よほど鬼畜──

というわけで、そういった作品を読みたい方にはオススメ(か?)。

2018/02/20

『神の値段』 一色さゆり、『天才株トレーダー・二礼茜 ブラック・ヴィーナス』 城山真一 / 宝島社文庫

ともに2015年の第14回「このミステリーがすごい!」大賞、受賞作。
雑誌記事を読んだ家人に乗せられて手にしたのだが、粗削りな面も含めて楽しく読むことができた。

『神の値段』 一色さゆり

Kamiあってないような現代美術(いわゆるコンテンポラリー・アート)の「値段」というなかなか難しいテーマに、その作品を扱うギャラリスト(画商)殺しをからめたミステリー。
まず、ギャラリストの若いアシスタントを語り手にしたことが好感を招く。その結果、マーケットにかかわるさまざまな蘊蓄を描いても押しつけがましさにつながらず、新鮮な読み応えが最後まで維持される(原田マハが『楽園のカンヴァス』にて主人公を伝説的な有能キュレーターに設定したがゆえ、全体に上から目線となってしまったのと好対照)。
ストーリーは、墨を使ったインクアートで知られる現代アートの世界的巨匠の作品をめぐり、やり手ギャラリストの女性が殺され、やがて背景にアートビジネスの仕組みが見えてくる、というもの。
その巨匠がなぜ作中にあるようなアートの作り方をしてきたのか、また、それによって決まっていく「値段」とは何かという点については、正直よくわからない。つまるところ、男性便器に「泉」と書いて展覧会に持ち込んだマルセル・デュシャンの作品に付く「値段」とは、ということなのだが、工業製品たる便器に特別な価値があるわけではないので、それに付加価値が付くなら著名人のサインが高価でやり取りされるのと変わらないのか?
この『神の値段』が不徹底なのは、その一方で巨匠の作品に見る者を圧倒する力を持たせてしまったことかもしれない。
ミステリーとしては、(世の書評にもあるように)最後の証拠が弱い。が、本作においてそれは些末なことだろう。

『天才株トレーダー・二礼茜 ブラック・ヴィーナス』 城山真一

Blackタイトルどおり、「黒女神」と呼ばれる天才トレーダーが依頼主の利益を獲得するお話。
興覚めなことを言うなら、いくら天才でも、リスクヘッジを考慮しないこの買い方買わせ方は無理、無謀。素人でもわかることだが、株なんてものは(以下略)。
だが、現実味のない話を読ませるからこそ小説、という逆説もまた真で、その意味でこの作品は正しくよくできた小説である。
興味深く感じたのは、主人公とワトスン役の青年が、ある著名マンガの登場人物2人をなぞって描かれていること。残念ながらその設定は作品全体の面白さや価値にさほど影響を及ぼさないが、それでもかつてはキワモノ扱いだったマンガが文字文化の側に影を落とす、そのことに遠い感動を覚える。
主人公の無敵ぶりや「雨の日に傘を貸さない人間にはなりたくない」という主旋律もやや子どもっぽくてマンガ的といえばマンガ的。だが、それが作品のリーダビリティを助けているのだから、いいのである。

--------------------
一点、余計なお世話だろうが、作品の評価とは別のところで、気になったのが作家名。
本名かペンネームかは知らないが、「一色さゆり」は往年の名ストリッパー、「城山真一」は経済小説家を思い起こさせる。ビッグネームをリスペクトして、というならまだしも、単に「調べていない」「気にしない」でこうなら、それはせっかく自分の本を出版する機会に軽薄すぎやしないか。
架空の物語を編むというのは、作品名、作者名含め、一言、一文字にいたるまで最大限に神経を遣い、工夫を巡らせるべき仕事のはず。違うだろうか。

2018/02/08

『赤い指』 東野圭吾 / 講談社文庫

Photo年明けから個人的にいろいろありまして、今も落ち着いたとは言い難い状況です。当ブログを楽しみに覗きにきていただいた方(がどれほどおられるのか存じませんが)には申し訳ありませんでした。

PCのキーボードに向かうのも久しぶり、でいきなり東野圭吾とは我ながら無謀な気もしますが、ここは短評でさらりと。

阿部寛主演『祈りの幕が下りる時』の映画がヒットと見聞きし、そういえば初期の『卒業』や『悪意』、『私が彼を殺した』などは別として最近の加賀恭一郎シリーズは読んでいないなと思い立った次第。
まず短編集の『新参者』で肩慣らし、それから遡って選んだのがこの『赤い指』です。

家庭内不和にいらだつ平凡なサラリーマンがある夜妻からの電話に急ぎ帰ってみれば、自宅の庭に少女の遺体……といういささかエグい始まり方から怒涛の終盤まで、話の、つまり読み手の転がし方が実に上手い。

冷静に考えてみれば最後に明らかになる真相は「いくらなんでもありえない!」レベルだし、その真相をわずかなきっかけで見抜き、思い通りの大団円に誘う加賀の手腕もいくら名探偵とはいえ「できすぎ」。さらにその事件の外側に描かれた加賀のプライベートも「ないない」。
──にもかかわらず、読み始めるや冒頭からついつい引き込まれ、真相に驚かされ、なにやら凄い人生ドラマに立ち会ったような気分にさらされる。いやほんと頭の半分では「ありえない」ランプが黄点灯しているんだけど。

東野圭吾という作家は、デビュー当時は同期の「新本格」に比べて地味な扱い、ミステリマニアからはさほど話題にされず、宮部みゆきほどには売れず……それがいつの間にかテレビも映画もヒットして、ベストセラー作家となってしまいました。
加賀恭一郎という探偵はガリレオシリーズの湯川学に比べても特徴のない、黒子、狂言回しな印象で、先にあげた初期の作品群についても加賀シリーズとして読んだという認識がそもそもありません。

もしかすると、それがいいのかもしれない。つまり東野圭吾という作家は、一部の特異なシリーズを除き、「謎解き」「意外性」「キャラクター」「人情」「読みやすさ」などをレーダーチャートにまとめると、一つの項目が突出することなく、まんべんなく3ポイントか4ポイント取る、そういった作品を産む技術を手に入れた、と、そんな塩梅ではないかと。
逆にいえば、本作の弱点は、本質的には犯行と無関係な「真相」を終盤にバランスよく配置したことにより、肝心の犯人像やその動機はほとんど捨て置かれてしまったことにあります。通ぶってその弱点を突くのも一興ですが、ここは素直に転がされるのが加賀シリーズの愉しい読み方というものでしょう。

2017/12/09

アーキテクチャ 『お引っ越し』 真梨幸子 / 角川文庫

Photo(2011年の『ユリゴコロ』以来新刊のない沼田まほかるの印象が強いせいもあるのだろうが)いわゆる「イヤミス」のブームは過ぎ去ったように思われてならない。

実際は湊かなえ真梨幸子らの本は変わらず平積みで売れているようだが、それらをわざわざ「イヤミス」(読んでイヤな気分になるミステリ、後味の悪いミステリ)とまとめる必要が今となっては感じられないのだ。

では「イヤミス」ブームのピークはいつ頃だったか、というと、これは売り上げや批評を定量的に調べたわけでもない、ただの憶測だが、2011年からそのあと数年、つまり東日本大震災のあとしばらく、だったように思う。
何万という方が津波で亡くなり、原発事故にともなう不安、経済の停滞が続くなか、なにもわざわざイヤな気分になる本を──とも思うが、実際、当時の書店は「イヤミス」で溢れていた。

こういう考え方はどうだろう。株式投資に「ナンピン」という手法がある。ある株を買って値下がりしたとき、わざとその株を買い増すのである。たとえば1000円の株を100株持っていたとして、それが100円下がって900円になったとき、100株買い増せば手元の株の下がり分は100円から50円となる。株価が50円上がれば元値に戻るのである。

東日本大震災でさまざまなダメージを受けた私たちは、無意識のうちに手元の本にもイヤなものを求め、己の人生全体におけるトータルダメージを和らげようとしたのではないか……? 
もちろんこんな推測を組み立てたところでなんの役に立つわけでもないのだが。

真梨幸子の『お引っ越し』は、マンション探しや社内の部署移動、怪しい隣人、引っ越し業者の電話番など、引っ越しにかかわるさまざまなトラブルを扱ったホラー集である。各編数十ページ、全体で270ページに満たない薄い本だが、伏線が互いの作品に通底し、ある作品の曖昧な結末を他の作品が補完し、作者本人によると思われるゴージャスな「解説」あいまって全体にテクニカルな印象が強い。妙な言い方かもしれないが読了後に意外なほど「お得感」があった。
従来「イヤミス」という言葉で括られてきた真梨幸子だが、本来、技巧派と評すべき作家なのではないか。

ちなみに巻末に「作品はすべてフィクションです」の類の断り書きがあるが、編集者の手によるものか、最後の1文は余計だった。それとも今どきはこんな断り書きが必要なほどヘンな読者が多いのだろうか。

2017/11/25

アガサ無双 『招かれざる客』 アガサ・クリスティー、深町眞理子 訳 / ハヤカワ文庫

Photoクリスティーは理屈抜きに大好きで、ポアロやミス・マープルらのシリーズものは長編短編とも全部二度読みしたし、残るノン・シリーズの未読もあと数冊となった。

ただ、『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』などの著名作については、なんとなくここで取り上げる気になれない。トリックの比重が大きすぎ、つまりネタが割れてしまうとフラットに読み返すのにパワーが要るためだ。それは、楽しいクリスティーの読み方ではない。

なので、このブログで過去取り上げてきたのは『象は忘れない』に『ポアロとグリーンショアの阿房宮』と、どちらかといえばマイナー作品ばかり。今回ご紹介する『招かれざる客』も、クリスティーの戯曲の中で『検察側の証人』や『ねずみとり』に比べればとりたてて高名ではない──なので、なんとなく読み逃していたのだけれど、いざ読んでみるとこれが面白い。まいった。

深い霧のたちこめる夜、車椅子に座った館の当主が射殺され、そのかたわらには拳銃を手に立ちすくむ若妻の姿があった。車が脱輪してたまたま館に立ち寄った男は……。

舞台用の戯曲だから、物語は終始一つの部屋だけで展開する。単純といえば単純なお話で、真犯人もわかってしまえばなんということはない。週末に再放送されているテレビの2時間ドラマのエンディングと大差ないといえばまあ大差ない(というより、クリスティーがサスペンスドラマ群の親なのだろうけれど)。
ところが、実際読んでみると、結末に愕然とする。泣けてしまう。
パラパラ読み返しても、B級サスペンスドラマと何が違うのかよくわからない。よくわからないまま、柔道の達人に投げられるように、コロリと転がされてしまうのだ。

先般、NHK BSの「球辞苑」で、プロ野球における、打席の初球がストライクの場合とボールの場合の打率の違いが話題となっていた。なんと初球がボールだと、ストライクの場合より平均して1割以上打率が高いのである。つまり、解説者が「初球から不用意にストライクを取りにいった」と苦言を呈するのはむしろ間違い、どんどんストライクを取りに行かないと相手は1割アップの大打者になってしまうということだ。
このような詳細な情報は、プロ野球全試合のデータ化と、それを解析するコンピュータがあって初めて明らかになった。

もしかすると、クリスティーの作品も、そういう次元の解析が可能なのかもしれない。
真犯人がどういう行動に出ると読者は騙されやすいのか。犯人が明らかになる直前にどういった会話があれば、読み手の注意が散漫になってしまうのか。
もちろん、こういった解析にはデータの定義からインプットまで、大変な作業が必要だろう。
それでも、かなりとびきりの秘訣があるに違いない。代表作でなくてこれほど面白いのだから。

2017/11/03

黒歴史? 『MIST』 池井戸 潤 / 双葉文庫

Mistあの! とビックリマークの付くベストセラー作家池井戸潤の作品にして、単行本も文庫本も品切れ放置、電子書籍化もされてない、ある意味珍しい1冊(何故だか知らないが、2002年発行の単行本にいたってはAmazonに項目すらない)。

上の如きを知り、他の未読本とともに本棚に平積みされていた『MIST』の文庫本を取り出し、読んでみた。
なるほど、これは微妙。

のどかな高原の町で次々発生する殺人事件。その遺体はみな、鋭く喉を掻き切られていた……。
という猟奇的な展開からして、主に銀行を舞台に金融ミステリ、経済サスペンスを扱ってきた他の池井戸作品とははなはだしく色合いが異なる。
問題は、登場人物の誰しもが熱っぽいというか、全員テンション高めだということ。
そんな中で怪しい人物が何人も登場するわけだから、酷い言い方をするならピンからキリまで暑苦しい。
その結果、最後に真犯人が判明しても、「ほかの、誰それや誰それが真犯人だったとしても別によかったんじゃないのー」とちょっと真夏の四畳半、ブンブン回る扇風機の投げやりな気分になってしまうのだ。
(本作は伏線を詳細に読み解けば読者にも真犯人が特定できる、という類のいわゆる本格ミステリではないため、ことさら投げ捨てサスペンス臭が強い。)

ただ、不謹慎ながら少し興味深く思ったのは、本作の犯人が「自殺願望を持つ者が集う草の根ネット」で被害者を募ったということ。
ここ数日世間を騒がせている座間市の9遺体遺棄事件(Twitterのハッシュタグ「#自殺募集」で被害者たちと知り合い、呼び出したらしい)とアンダーグラウンドに通じるものを感じないではない。
要はどちらもドラマとしては曲がなく、犯人(容疑者)の身勝手とお手軽さが目に付くのである。

2017/09/29

最近の新刊から 『月明かりの男』(ヘレン・マクロイ)、『月光のスティグマ』(中山七里)

Photo『月明かりの男』 ヘレン・マクロイ、駒月雅子 訳 / 創元推理文庫

ミステリ黄金期のテイストかぐわしく、いつも刊行が楽しみなヘレン・マクロイ。その待望の新刊『月明かりの男』だが……さすがにこれは若書きのせいか(1940年、ベイジル・ウィリング博士シリーズの第2作)、細かいところでいくつか気になった。

たまたま私用で大学を訪れたフォイル次長警視正が殺害予告を受けた亡命ユダヤ人化学者にたまたま出会い、殺人現場にも立ち会うご都合主義もそうなら、前後、延々描かれる事件現場の研究室や廊下の並びのわかりにくさ。とくに後者は犯人の逃走経路や不審者像の証言が3人の目撃者によってまちまちとなり、のちに犯人を特定するポイントになるのだから困る。せめて図で示してほしかった。

○○や△△など、おそらく当時としては新進のツールや症状を次々に取り上げて読み手をけむに巻く(実は事件の真相とはあまり関係ない)マクロイの悪い癖も気にかかるが、実は一作通して一番驚いたのは、物語の中盤、ウィリング博士が捜査に立ち寄った先で、一匹のゴキブリがテーブルのシルクの布の刺繍の上を堂々と横切り、それを見た登場人物の一人が「親指と人差し指でゴキブリをつまみあげると、窓から外へひょいと投げ捨てた」シーン。
なにゆえそんなにとろっちいのだ、アメリカのゴキブリ。
それともこのような情景描写をしてのけるマクロイ女史は日常からゴキブリより素早い才女なのか、もしや。

『月光のスティグマ』 中山七里 / 新潮文庫

「月」つながりでもう1冊。

中山七里はこと「どんでん返し」という技術において高く評価しているミステリ作家の一人で(男子体操、床運動の白井健三選手に対する称賛に近い)、いつか取り上げようと思っていたのだが、新刊の『月光のスティグマ』は残念ながら荒さのほうが目立った。

本書では美人双子とその幼馴染の少年がまず変質者に襲われて傷つき、のちに双子の一方が少年の兄を刺し、と思ったら〇〇に巻き込まれて双子たちと少年は別れ別れになり、のちに少年は特捜検事となって……実はここまでで導入部に過ぎない。

日本国内から最後は世界規模までの大きな事件や政変を次々ストーリーに取り込んで、ダイナミックといえばダイナミックなのだが、それぞれの事件が消化不良のままストーリーが転がっていくため、読後感は渇いたカステラを頬張った口の中のようだ。

大きな活字の文庫400ページにこれだけ詰め込むのは無理、というだけでなく、思うに、この作家は、「愛する人を護りたい」などというありきたりな若者の感傷、情感など切り捨てて、クールかつ執拗な悪人を主人公にした、たとえるなら柴田錬三郎のような肌合いの公判サスペンスを書いたほうがいいのではないか(実際、中山七里作品で無条件に楽しめるのは、そういった傾向ののもののような気がする)。

2017/05/18

ミステリホメオパシー 『Life 人生、すなわち謎 ミステリー傑作選』 日本推理作家協会編 / 講談社文庫

Life日本推理作家協会では、1948年度版以来、毎年欠かさず、その1年に発表された優れたミステリ短篇をまとめたアンソロジーを刊行している。それを年2分冊にして刊行しているのが講談社文庫の『ミステリー傑作選』シリーズ。ショートショート特集など、変格も交えて4月発行の『Life 人生、すなわち謎』で85冊めとなる。

今回の収録作は5作、

新幹線の車内清掃チームがある日の東北新幹線車輌で出会った小さな事件、そこにはある女性の人生が。
  (伊坂幸太郎「彗星さんたち」)

渋谷分駐所に所属する機動捜査隊で年上の警部補と急増コンビを組むことになり、今ひとつ納得のいかない主人公。だが、頼りなく思われたそのベテラン刑事には意外な側面が。
  (今野敏「暁光」)

腕のいい石工だった男が墓所の片隅で幼い息子に見せたのは、若い職人と連れ立って家を捨てた母の墓石、そこに彫られた朱文字の母の名だった。
  (翔田寛「墓石の呼ぶ声」)

プロ野球の人気球団の新しいヘッドコーチ人事をめぐる、スポーツ新聞社内の駆け引き。
  (本城雅人「コーチ人事」)

派遣の身分から社会保険労務士の資格を得てキャリアをリスタートさせた主人公は、担当顧問先の企業で同社に不当に解雇されたと言い張る元社員の言い分を聞くはめに。
  (水生大海「五度目の春のヒヨコ」)

詳細は書けないが、実はこの5作のうち、殺人事件は一件のみ。ほかの4作についても、いわゆる犯罪、違法行為はほとんど出てこない。

少し前に日本文藝家協会編『短篇ベストコレクション 現代の小説2016』(徳間文庫)を紹介したが、いずれの短編も、どちらのアンソロジーに収められていてもおかしくない(本城雅人のスポーツ新聞社の特ダネ競争をテーマとする短篇にいたっては、両アンソロジーに選ばれているのだが、『短篇ベストセレクション』所収の作のほうがミステリ臭が強いほどだ)。「五度目の春のヒヨコ」も青木祐子の『これは経費で落ちません! ~経理部の森若さん~』(集英社オレンジ文庫)のスピンアウトとでも言われるといかにもありそうな内容で、つまりは狭義のミステリとは言い難い。
対するに『Life 人生、すなわち謎』というタイトルは、人生は謎、その謎を解こうとする作品だからミステリ、と居直ったようなもので、いっそすがすがしい(←誉めているわけではない。当たり前であるな)。

前回、この日本推理作家協会によるミステリー傑作選『Bluff 騙し合いの夜』を取り上げたのは5年前の5月だったが、そのときは以下のようなことを書いた。

現代の若手ミステリ作家は、登場人物に一線を越させる確かな理由を、現実の手本から見つけ出すことができていないのかもしれない。そのため、作中の季節感も、殺意も、トリックも、すべてプラスチックの積み木の清潔なピースのようになってしまい、作品の優劣はただその組み合わせの是非でしか競えない。

今やそれをも通り越して、そもそもミステリ作家は犯罪、殺人を描く理由がなくなってしまったということか?

もとい、状況をきちんと切り分けよう。

そうは言っても猟奇殺人を描き、本格推理をうたう作品はむしろ書店の棚に溢れかえっている。若者向けライトなキャラクターもののミステリ好編も少なくない。だが、少なくとも日本推理作家協会とその周辺は、かつての傑作を崇めるあまり、もはや現在の良作を年間ベストに選ぶ理由を見失っているのだ。一度、ガラガラポンでリセットしてもよいのではないか。選者とか。販社とか。

より以前の記事一覧