カテゴリー「ホラー・怪奇・ファンタジー」の183件の記事

2025/09/26

真夏(?)のホラー特集 その7 『変な家 文庫版』『文庫版 近畿地方のある場所について』

ここしばらくほかのジャンルにどっぷり沼ってしまって(下段の写真参照)、真夏のホラー特集がすっかり初秋のホラー特集になってしまった。
よく見れば1ヶ月も放置したままではないか。申し訳ない(ホラー棚の本に頭を下げる)。

まだまだ続けたかったのだが、どうしても触れておきたかったものだけ、駆け足で。

Photo_20250926180701 『変な家 文庫版』 雨穴 / 飛鳥新社

実話怪談というジャンルに少し、飽きたというのはおこがましいが、どうにも似たような話ばかり繰り返されるようになって久しい。
そろそろ、新しい切り口のホラーは出てこないものか、という空気の中にこの『変な家』は忽然と現れた。

知人が購入を検討している都内の中古一軒家の間取り、それに対するちょっとした違和感が登場人物たちを不安にさせる・・・。

小耳にした「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」という、ただそれだけの文章に着目し、推論を広げていく著名なミステリ短篇があるが(『九マイルは遠すぎる』ハリイ・ケメルマン、ハヤカワ・ミステリ文庫)、それを思わせる展開。
建築業界隈の方にはいろいろ指摘したいところもあるだろうし、素人から見てもやや強引、無理スジといえなくもないが、その荒っぽい力ワザが肉に骨にさまざまな傷口を広げて奇天烈な真相に導く。

傷を傷と指摘するのは簡単だろうが、傷を傷のまま舐めるのもホラーの楽しみというもの。
とりあえず、この図面を描いてそこに違和感を語った、それだけでも天晴れ。

願わくば続くチャレンジャーは本作のエピゴーネンとしてでなく、より奇妙な地平を切り開いてほしい。切に願う。

Photo_20250926180702 『文庫版 近畿地方のある場所について』 背筋 / 角川文庫

単純に「怖さ」の値を量って郵便受けにお届けするなら、『変な家』より格段に紙が赤いに違いない。

とくに前半。実話怪談や都市伝説によくありそうなショッキングな事件の羅列。その要因が近畿地方のどこかに集約されるのではないか。
ここまででもなかなか巧いなと思わせるのだが、そのことがらの一つひとつが精査され、類似するものは流され、そうでないものが網に残り、たどり着いてみるとまるで違う地平に放置されてしまう。文庫版と単行本では内容が異なるそうだ。さてどうしたものか。

作者はたいへんテクニカルにも見え、ただキーボードに流されただけのようにも見え、そのあたりが読み手の背中を不安の指で撫で下ろす。
(たとえば「近畿」は「禁忌」とかけているのか、たまたまなのか。)

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『変な家』や『近畿地方』はYouTubeやWebサイトに登場して人気を博し、紙の本としても売れ、映画など各メディアまで作品の手を伸ばした。
このように生まれ、成長し、叩かれつつ化け物に育つ、そんな作品を同時代に見られるだけでも御機嫌、満腹河馬の川流れだ。

ただ、「雨穴」とか「背筋」とか、こういった作者が増えると本を著者名の五十音順に並べるブックオフの店員さんは大変そうだ。
漫画と原作とキャラクター原案がそれぞれ別人で、タイトルそのものもとんでもなく長い、下の写真のジャンルの作品もまた同様。

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2025/08/28

真夏のホラー特集 その6 『耳袋秘帖 南町奉行と百物語』 風野真知雄 / 文春文庫

Image1_20250828165101 ホラーという枠組みからはちょっと外れるが、続いてはこれを。

風野真知雄の『耳袋秘帖』シリーズというのは、江戸時代に書き残された雑話集『耳嚢』の著者、南町奉行根岸鎮衛を主人公に、怪談の謎解き、お江戸の悪党狩り、下町の人情噺などを盛り込んだ(強いてジャンルを唱えれば)捕物帖。

だいわ文庫に始まり、文春文庫に移った初期の10冊から20冊くらいまでは『耳嚢』の記載された怪異の謎解きと捕物帖を重ね合わせ、そこに江戸情緒や人情噺を加えた重厚かつ絶妙な物語だったのだが、最近は『耳嚢』も人情噺もすっとばした南町奉行とその部下たちの活躍の1.5倍早送りモードといったライト時代劇になり果てた。
(根岸の前に現れ事件解決への糸口を与える根岸の亡き妻おたか、深川の船宿ちくりんで根岸を待つ芸者の力丸、根岸家家臣の坂巻と彼が思いを寄せる元盗賊のおゆうなど、いずれも最近すっかりお見限りだ。)

率直に言って、最近のとくに『南町奉行と・・・』と題された数冊のどれかを読んで、最初の1巻に遡って全巻読みたい!と考える読み手はそうはいないのではないか。

・・・ただ、すっかり妙味も薄れ、新刊の出るたびにパラパラと流す「耳袋秘帖」ではあるが、こうして新しい1冊を読み終わってみるとやはり面白い。

今回は本作では松平定信が開いた百物語、その当日に起こった事件を根岸らが解決する。

見事なのは、その百物語に参加した者が語る短い怪談を、根岸が次々と喝破してみせるそのことである。さすがに百話とはいかないが、主たる殺人事件とはあまり関係のない怪談を無造作に提供し、さらにその謎解きをすらすらしてのける作者の手腕はなんというか一種・・・羨ましい。

「耳袋秘帖」シリーズというのは、シリーズのタイトルを冠した何十という事件を扱う文庫それぞれに短篇数篇にあたる小話が内包され、さらにその小話それぞれに怪談とその謎解きが織り込まれているのだ。

なんというサービス精神。書かれたものは最初の1巻から始まる百物語であり、作家当人が化け物なのである。

2025/08/22

真夏のホラー特集 その5 『英国幽霊屋敷譚傑作集』 コナン・ドイル、ラング他 夏来健次 編訳 / 創元推理文庫

Image2_20250822172301 シックでアンティークの香り豊かな怪奇小説や推理小説の翻訳・集成で知られる夏来健次によるアンソロジー、『英国クリスマス幽霊譚傑作集』、『ロンドン幽霊譚傑作集』に続くヴィクトリア朝怪談集の3冊め。

いずれも起承転結のしっかりした、じっくり出汁の滲みた幽霊譚が並んでいる。
「雷鳴のもと、目の前に突然巨大な」「逃げても逃げても」といった当節ホラー映画風の嚇かしに頼らない、じんわり重厚な風味が心地よい。

今回の『英国幽霊屋敷譚傑作集』、1冊の本として面白いのは、収録短篇がいずれも小さな対決パッケージに分けられていること。

たとえば巻頭の2作はエマ・ホワイトヘッド、マーガレット・ヴァーンという女流作家2人による「幽霊屋敷」対決。
いずれも凶暴邪悪な亡霊でなく、失われたものへの哀切な思いが背景にたゆたう。好編。

続いてやはり女流のシャーロット・リデル、マーガレット・オリファントによる「開いた扉」競作(もちろん競作といっても意図してそうなったものではない)。
一種、主人公による謎解き挑戦ホラーだが、そのターゲットが古い屋敷の、閉めても閉めても開いてしまう扉というのが面白い。

ウィリアム・マッドフォード「ブレイクスリー屋敷の幽霊談義」、アンドルー・ラング「奇談の屋敷」はいずれも登場人物が幽霊談義をしていくとやがて、、、というもの。
つまらないわけではないが、こういうのは、連作短篇集として1冊にまとめられ、最後の一篇で暴走してなんぼ、という気もしないでもない。

その他、J・E・プレストン・マドックという作家による幽霊屋敷譚2作、幽霊登場には個別の怨みによるものとただただ理不尽なものがある、という(つまるところノンセクション?)チャールズ・オリア、ダドリー・コステロ、フランシス・ブラウンの3作家による幽霊屋敷譚3篇。

最後の組みは「異色競作/無名作家と巨匠」というタイトルで未詳作家チャールズ・F・F・ウッズ「岩礁の幽霊灯台」、対するにアーサー・コナン・ドイルの「ゴアソープ屋敷の幽霊選び」とあるが、これはどうやらドイルを載せるための適当な言い訳か。別にこの2作に競作といえるほどの要素はない。

さてその巻末のドイルの作品だが、、、「珍しいお土産」をどうもというか、、、なんでこうイギリス人のユーモアって奴あ。

2025/08/14

真夏のホラー特集 その4 『日めくり怪談』

Image3_20250814174501 『日めくり怪談』 吉田悠軌 / 集英社文庫

以前、松岡修造の日めくりカレンダーが売れに売れたことがあったが、そのホラー版である(違う)。

吉田悠軌は『一行怪談』、『禁足地巡礼』、竹書房の『恐怖実話』シリーズなど、地名や建物に紐づいた実話系の怪談と、巧みな言葉運びと省略テクニックを駆使した創作怪談、その両輪車を自在に活用して我が家の本棚を侵食しつつある気鋭の怪談作家の一人である。

最近文庫化された『日めくり怪談』は7月1日から8月31日にかけて、1日1話、3~4ページの創作系怪談を配列したもの。
全体に、もうひとひねり加えるとさらにヒリヒリ怖くなりそうなものを意図的にその直前でナイフを収めているような印象。
茫洋と取り残される、そんな印象の怪談に妙味がある。淡々と終わる話のほうが怖い。巧い。

ちょっとよくわからないのは、単行本の発行は2019年7月、文庫は2025年6月発行。
ところが巻頭の日めくり、「7月1日」は「水曜日」、巻末の「8月31日」は「月曜日」とあり、どちらも発行年にそぐわない。

さらに、この日付の欄にはさまざまなアイキャッチが置かれ、そこに日めくり暦に書かれているような短い標語のようなもの(「米をとぐ手がつかまれる」「海藻まみれの女が訪ねてくる」「枕をちぎると耳だらけ」「卵の中から母親の声がする」など)が書かれているのだが、それに続くショート怪談にはその標語はあまり関係ない。

加えてないものねだりをするなら7月7日の七夕、17日の祇園祭山鉾巡行、8月6日、9日の原爆記念日、15日の終戦記念日など、日付けに怪談を結び付けられそうな日はいくつもあるのに、そこはスルーしているため、そもそも何のために「日めくり」かということになる。

とはいえ、7月の自分の誕生日の怪談はなかなか薄気味悪い話だったので、ああいやだいやだと読み返しては喜んでいる。

そうそう、この本のもう一つの工夫として、ページの地に文字に重ねて、ときどき波や影の点画が描かれていること。どこそこに手のあとが、というお話のページに子どもの手のあとがペタペタ描かれている、など。
ある作品のところで、ある(怪異ではない)実体験を想起させる線が描かれており、思わず悲鳴を上げた。ごめんなさい、許してください。

2025/08/13

真夏のホラー特集 その3 『幽霊物件案内』『歩く亡者 怪民研に於ける記録と推理』

Image5 『幽霊物件案内』 小池壮彦 / 文春文庫

毎年竹書房から山のように発行される怪談文庫。あれはあれでもちろん嫌いではないが(訂正、大好きです、すみません)、あれら実話怪談が青春フォークから歌謡曲だとするなら──小池壮彦の『幽霊物件案内』はハードロック、ヘビーメタルであろうか。少なくともドラムやベース、つまりリズムパートの迫力が違う。

「怪しい物件」について書かれた冊子は古くからあり、あれこれ手にしてきた。さらに箱組みとして、知人から話を集めてまとめるという「実話怪談」の仕組みは本書においてもそう変わるわけではない。それでも『幽霊物件案内』が「ガチ」に感じられる理由は、根っこのところにドキュメンタリーの作法を感じるためだ。要するに、「行けるものなら行く」「泊まれるものなら泊まる」という前のめりな姿勢がある。覚悟がある。デスボーイス。

「出る」という話を聞いて、書いて、それで終わりにするつもりなど最初からない。「出る」が噂になるなら、「何が」出るのか、「なぜ」出るのか。
知り合いの知り合いから聞いたどこからのホテルの話、ではなく、この本の著者は少なくとも現地の住所、部屋番号を知っている。知らずに書けようか。

そのくせ面白いことに、著者の基本的スタンスは「そんなことあるはずがない」なのである。
それなのに、いや、それだからこそ、それは「ある」。隣にも。後ろにも。天井にも、ベッドの下にも。

おまけ。
この『幽霊物件案内』の単行本を担当した「編集の三津田さん」というのが、ホラー作家の三津田信三だというのが愉快。
三津田信三は読むのがしんどくて凄く好きな作家というわけではないが(失礼)、一種尊敬は感じている。編集業務を経験したと聞くとその密度の高い作風の理由がわかるような気がしないでもない。

さらにおまけ。
先ほど気がついたのだが、ちくま文庫の『家が呼ぶ 物件ホラー傑作選』(朝宮運河編)というホラーアンソロジーでは、この小池壮彦と三津田信三の作品が2作並んで掲載されているようだ。詳しくはリンク先をご参照ください。

Image4 『歩く亡者 怪民研に於ける記録と推理』 三津田信三 / 角川ホラー文庫

その三津田信三の連作短篇集。「亡者」は「ぼうもん」と読むようだ。

帯の惹句によれば「刀城言耶の助手×拝み屋の祖母を持つ女子学生が怪異と謎に挑む!」とのことだが、申し訳ない、スピンもとの刀城言耶を読んでいないのでそのあたりはよくわからない。

作家・探偵として知られる刀城言耶の助手の天弓馬人は怪異民族学研究室に(おそらくただ一人)所属しながら怖い話が苦手で、女子学生の瞳星愛の持ち込む怪異に及び腰。今日も今日とて・・・
という、お話。

要は、ホラーとその謎解きをセットにした、コメディである。
と、どうなるかといえば。各短篇、前半の怪異味は曖昧で、さらにそれが後半の謎解きのために取り消される。ギャグも含めていろいろ互いに打ち消し合うことになってしまっていないか。スピンスピンスピン。

こういうのは(吹き出しでなく)地に「ぐっ」とか「ふへぇ」とか描かれてギャグとシリアスが混在しても気にならない女性向けコミックにお任せしたほうがと思うのだがさてどうだろう。最後のオチがオチだけに。ヘーアーヘブン。

2025/08/11

真夏のホラー特集 その2 『秋雨物語』『梅雨物語』『怪談狩り 逆さ煙突』

Image7 『秋雨物語』『梅雨物語』 貴志祐介 / 角川ホラー文庫

貴志祐介が上田秋成の『雨月物語』を頭の正面、斜め上に意識しつつ中・短篇集を編んだ。
ホラー、ミステリ、SF、それぞれの亜空間を自在に飛翔しつつ、博覧強記の知識引き出し、かき回し、またまき散らす。

これはいったい何の話なのかー、といぶかっているうちに驚愕の結末にいたる『秋雨物語』巻頭の「餓鬼の田」、「フーグ」に始まり、百科全書的な語りの上にこぼれ出る『梅雨物語』の「皐月闇」、「ぼくとう奇譚」、「くさびら」3編。

ことに若者の俳句の評価合戦から忘れられた真実がひた重く暴かれる「皐月闇」が凄い。こんなものは、見たことがない。
最後の「くさびら」にいたっては、ここまでキノコ尽くしにすることはなかったのではサルマタケサルマタケ。

この2冊に難点があるとすれば、中・短篇の中に膨大な情報やテクニックが押し込められ過ぎたがゆえに自分が何を読んだのかよくわからくなってしまうことだろうか。
読み終えたそのときから鼻や耳から内容がこぼれ落ちてしまう。した、した、した・・・。

Image6 『怪談狩り 逆さ煙突』 中山市郎 / 角川ホラー文庫

新耳袋』シリーズにおいて木原浩勝とともに従来の「幽霊」「妖怪」路線とは一線異なる日常の怪奇を取り上げ、怪談界隈を文字通り仰天させた中山市郎だが、この『怪談狩り』シリーズではオーソドックスな実話怪談の収集に落ちついている。

いくつか、河童やキツネのしわざ、という話まであり、さすがにそれはどうなのか。
人の死を予感した話や廃墟に霊らしきものが現れる話も今さらもはやいかがなものか。

ただ、「創作」ならそれは問題だが、市井の声を集めたものとするなら、それはもしかしたら「そうなのかもしれない」。

だから、湖畔に白い女が立とうが、キツネが走ろうが、僕たちはそれを読んで繰り返しほんの少しキモを冷やす。
たびたびではないにしても、人生のとなりに、ソレはいるんだし。

真夏のホラー特集 その1 『営繕かるかや怪異譚 その参』『怪談小説という名の小説怪談』

雨上がりの7月の早朝が好き──などという長年の思いを嬲るように、今年は6月からずっと夏で、7月、8月とさらに夏だ。きっと9月、10月も夏に違いない。

夏といえばホラー、足首をくいっと掴み、背中をずるずると這うホラーですわ。ということでポツポツと文庫ホラーを読んでいる。
いずれも楽しい。美しい。心が洗われるようだ(←表現としては少し間違っているような気もする)。

以下、順不同。敬称略。いくわよ。追ってきなさいひろみ。

Image9 『営繕かるかや怪異譚 その参』 小野不由美 / 角川文庫

(個人的な話だが)少し前に、古い土壁から現れる血まみれの女の幽霊が立体でなく平面なので、家族4人、幽霊に垂直になる角度で食事しくつろぎ布団を敷くと幽霊を見ずにすむようになった──そんな怪談を思いついたことがある。もちろん、この家族4人それぞれにその後どんな悲惨な末期を迎えさせるか、それをあれこれ考えるのが楽しいのだが。ふひひ。

かるかや』シリーズの作者、小野不由美はご安心、そのような意地悪はしない。
城のある町、さまざまな家屋。その家で起こる怪異は心底怖い。建物に、壁に、箪笥に、怪異がしがらむ。救いがない。
そこに営繕屋・尾端が招かれ、くるりと頭を振るう。
すると・・・最後の1ページ、そこまでの真正ホラーが突然すとんと落とし噺になる。
けたけたと暮れの空に笑みを沁みつける、作者後ろ向きの着物姿が見えるような快作揃い。

ふと思う。
夫の骨』や『ぞぞのむこ』、『拝み屋怪談』らの怪異に営繕屋・尾端が向かうと、どうなる。
どちらが勝つと思う? ね、あなた。

Image8『怪談小説という名の小説怪談』 澤村伊智 / 新潮文庫

シャープな創作怪談集。

小説家自身が巻き込まれる巻頭の「高速怪談」、なるほどこの奇妙なタイトルの1冊はその手の趣向、かと思いきや、続く「笛を吹く家」は独立したホラー。と油断したら「苦々陀の仮面」や「枯れ井戸の声」、「怪談怪談」はやはり作品内作品、いわゆる“メタ構造”の怪談で。

つまり、読み手は「怪談」を怖がると同時にその「怪談」が「小説」として書き手にどう書かれたかに動揺し、怯える。
しかも、作品内怪談も、その怪談を内包する外枠の怪談も、いずれも切れ味がいい。巧い。

『怪談小説という名の小説怪談』という頓狂なタイトル、これは本書巻末の大森望の解説にもあるとおり往年の大家、都筑道夫の『怪奇小説という題名の怪奇小説』という書物からとったものだが、都筑の本に言及するならそれと同時期によく似た内容で発表された小松左京の『題未定』も併せて説明がほしかった。
これはその2作がほぼ同時に発表されたことについて長年首をひねりっぱなしの烏丸の個人的な要望です。
なんだったんだろう、あれは。

なにはともあれ夏のホラー特集、「まだまだいくよー!」(by BABYMETAL 'Catch me if you can')

2025/06/02

『怪獣談 文豪怪獣作品集』 武田泰淳、香山滋、光瀬龍ほか 東雅夫編 / 平凡社ライブラリー

わお! と飛びついて購入した怪獣本であるが、いかんせんいくつかの点でよろしくない。

一つは本書の成り立ちである。巻末の編者解説には、次のように書かれている。

  最初にお断りしておこう。
  本書は、私にとって「アンソロジスト」のデビュー作となった『怪獣文学大全』(河出文庫/一九九八年八月発行)の、待望久しい復刊である。一部の読者から熱心な復刊の御希望が寄せられ、ウェブなどでも古書価が高騰して心苦しい思いでいたのだが、このほどようやく念願を果たすことができた。

──ところが、本書が河出文庫の『怪獣文学大全』の復刊であることはカバーにも帯にもその記載がない。武田泰淳、香山滋、光瀬龍ら共通の著者名はあるものの、『怪獣談』なる新たなアンソロジーと考えて買ってしまった者も少なからずいたのではないか。

編者解説はさらに続く。

  再刊にあたっては、収録作の見直しを行ない面目を一新している。

「古書価が高騰」して「復刊の御希望が寄せられ」たアンソロジーの再刊において収録作を見直されたら読み手はちょっと困る。
旧『怪獣文学大全』を持っている者は大半の内容のかぶった本を買ってしまうことになり、持っていない者は旧巻の一部の作品を読むことができない。
なんとも意地悪な仕業ではないだろうか。

それぞれの収録作を下に列記しておこう。

Photo_20250602183801  『怪獣文学大全』(河出文庫)

  「ゴジラ」の来る夜(武田泰淳)
  発光妖精とモスラ(中村真一郎・福永武彦・堀田善衛)
  闇の声(W・H・ホジスン、大門一男訳) ★
  マタンゴ(福島正美)
  マタンゴを喰ったな(橋本治) ★
  更にマタンゴを喰ったな(橋本治) ★
  マタンゴ(大槻ケンヂ) ★
  科学小説(花田清輝)
  ガブラ──海は狂っている(香山滋) ★
  マグラ!(光瀬龍)
  日本漂流(小松左京) ★
  レッドキングの復讐(井上雅彦) ★
  ゴジラの来迎 もうひとつの科学史(中沢新一) ★
  巻末エッセイ 思い出の「マグラ!」(光瀬龍)

Photo_20250602183901  『怪獣談 文豪怪獣作品集』(平凡社ライブラリー)

  怪獣絵物語 マンモジーラ(香山滋・文/深尾徹哉・絵) ▲
  「ゴジラ」の来る夜(武田泰淳)
  発光妖精とモスラ──【上】草原に小美人の美しい歌声(中村真一郎)
  発光妖精とモスラ──【中】四人の小妖精見世物となる(福永武彦)
  発光妖精とモスラ──【下】モスラついに東京湾に入る(堀田善衛)
  怪奇科学小説 ラドンの誕生(黒沼健) ▲
  S作品検討用台本(『獣人雪男』)(香山滋) ▲
  マタンゴ(福島正美)
  マグラ!(光瀬龍)
  思い出の「マグラ!」(光瀬龍)
  『ゴジラ』ざんげ(香山滋) ▲
  怪獣談(香山滋) ▲
  科学小説(花田清輝)
  怪奇空想映画療法(東山魁夷) ▲
  「子供っぽい悪趣味」讃(三島由紀夫) ▲

★印が『怪獣談』でカットされたもの、▲印は追加されたもの。

再刊というにはずいぶんと差異が大きいが、それはさておき、東山魁夷と三島由紀夫の往復書簡など、資料性の高いものもあるが、原案のホジスンから橋本治や大槻ケンヂを加えてのマタンゴ万漢全席、あるいは小松左京、井上雅彦らによる怪獣パロディ、さらに怪獣の姿に「能楽におけるシテ(能役者)の動き」を読み取る編者解説の水準含め、旧『怪獣文学大全』のほうが格段に知的、エスプリ臭が強い。
ゴジラが銀幕に登場した1950年代はいざしらず、怪獣映画が幾度かのブームを迎えたのちの時代から見て、怪獣そのものを俯瞰、消化し、的確にとらえていたのは旧『怪獣文学大全』のほうだったのではないだろうか。

さて、本稿最初の1行で「いくつかの点でよろしくない」と述べた。
もう一つの問題は、文字にされた「怪獣」はなぜこうも面白くないか、ということである。
これは『怪獣文学大全』、『怪獣談』の収録作に限ったことではない。

たとえばこのブログでも、過去、怪獣映画、ドラマへのオマージュとしての『大魔神』(筒井康隆、徳間書店)、『マタンゴ 最後の逆襲』(吉村達也、角川ホラー文庫)、『MM9』(山本弘、創元SF文庫)、『空の中』(有川 浩、角川文庫)、『怪獣文藝』(東雅夫 編、メディアファクトリー 幽ブックス)、『ウルトラ怪獣アンソロジー 多々良島ふたたび』(山本弘、小林泰三ほか、ハヤカワ文庫)、大怪獣のあとしまつ』(橘もも 脚本・三木 聡、講談社文庫)などいくつかの作品を取り上げてきたが、いずれもこと怪獣の描写においては「怪獣映画」の魅力にはいたらなかったように思う。

もちろん、巨大な怪獣が東京湾から上陸して銀座を破壊する、などという状況において、文章より映像や効果音(『ゴジラ-1.0』の足音!)に格段の優位があるのは間違いないだろう。だが、それでは片付かない力のなさを多くの怪獣文学には感じざるを得ない。
たとえば怪獣がいざ現れるときの、その直前の雰囲気はどうか。姿を見せる前に場に響き渡る音は。現れるのは山影か、ビルの向こうか。それを人々は見上げるのか、遠く眺めるのか。怪獣の動きは素早いのか、ゆっくりか(もしその怪獣の着ぐるみにアクターが入っているなら、特技監督としてどう指示するのか)。人を殺傷するならそれは炎でもってか、牙の並ぶ口でかみ砕くのか。そのときBGMにはいかなる音楽が流れているべきか。

モスラやマタンゴの原作となった作品はともかく、怪獣映画がブームとなって以降の怪獣文学において、書き手のそれぞれに「しょせん子どもだまし」といった意識はなかったろうか。
各作品に、円谷英二や伊福部昭らの執念を読みとることがどうしてもできないのだ。

2025/04/28

『夢と幽霊の書』 アンドルー・ラング、ないとうふみこ 訳 / 作品社

Photo_20250428184501 少し前、ジャン・レイの『幽霊の書』を手に入れようとAmazonで検索したら、この『夢と幽霊の書』も引っかかった。
まあ、タイトルが似ているからな・・・とカスタマーレビューをぱらぱら読んでみたらなかなか面白そうだったので、こちらも取り寄せてみた。
「夢と幽霊」にかかわる本の内容はさておき、書物としての成り立ちがなんとも興味深いのである。

ともあれ、帯の惹句をご覧いただこう、

  ルイス・キャロル、コナン・ドイルらが所属した
  心霊現象研究協会の会長による幽霊譚の古典、
  ロンドン留学中の夏目漱石が愛読し、
  短篇「琴のそら音」の着想を得た名著、
  120年の時を越えて、待望の本邦初訳!

吉田篤弘の解説をもとに補完すると、漱石の『思い出す事など』の一節に

  八九年前アンドリュ・ラングの書いた「夢と幽霊」という書物を床の中に読んだ時は、鼻の先の灯火を一時に寒く眺めた。

とあって漱石はイギリスに留学していた時期に本書を読み、さらに「琴のそら音」ほか、幾度か本書に触れているらしい。

また、柳田国男を遠野にいざなった水野葉舟という人物が本書の一部を紹介した、ともある。

・・・漱石や柳田など、大物、古参から学生まで星の数ほども研究、発表がなされてきただろうに、この『夢と幽霊の書』がたいして話題にならず、2017年の完訳までほとんど放置されてきたのが不思議でならない。

さて、その『夢と幽霊の書』の内容だが、著者ラングはさまざまな奇怪な体験を著したソースから、「夢」「幻視」「幻覚」「生霊」「死者の幽霊」「幽霊屋敷」「その他のさまざまなおばけ」等と項目を分け、詳細な感想を加えつつ並べていく。

バッキンガム公暗殺の予言など、一部に物語的な項目もあるが、全体に起承転結、因果応報の明らかな「怪談」よりはただ「怪奇現象」のレポート色が強い。幽霊屋敷の項も、亡霊が出没するいわゆる「お化け屋敷」でなく、ポルターガイストの事例が中心である。
イギリスやアイスランドの民話を収集したという面では柳田の『遠野物語』を想起させるし、知人の実体験を集めたという要素では近年の実話怪談集を思わせる。
・・・最も驚くべきは、心霊現象研究協会の会長がこれだけ労力をかけて集めながら、さすが産業革命のお国柄というか、著者ラングは全編において「幽霊」の存在には懐疑的なのである。
それは著者の

  今のところすべての幽霊は幻覚であり・・・(中略)・・・かつて幽霊は、肉体や墓から解きはなたれた、生者あるいは死者の「霊魂」だと考えらえていた。この見方は、どう擁護しようと、そしてまた真偽は別として、未開人の素朴な考え方を表すものだ。(7ページ)

  物理的に説明のつかない幽霊的なものは、科学の観点からするとすべて幻影であるということと、物語という目的に照らすと、幻影がどれもみな幽霊であるわけではないということを心に留めておいていただきたい。幽霊であるためには、その幻影が事実と符合するものでなくてはならないのだ。(82ページ)

などの文言からうかがい知れる。また、

  つぎの事例は、心霊現象研究協会が発表し、本人とその夫が実話であると証言しているものだ。(80ページ)

  死の床にある者が遠くに姿を現すというのは、実に頻繁に聞かれる話で、何百という事例がきちんとした形で公表されている。(94ページ)

  ここからは幽霊のようなものに対する「科学的」説明の極限を踏み越える話を紹介していこう。(106ページ)

などの表記にも注意したい。
スマホで動画撮影、SNSにアップ、などという昨今と違い、当時としては名のある人物による「証言」「公表」こそが事実の証しなのである。
著者はその一つひとつに科学的説明を試み、それがかなわないときには夢や幻覚、あるいはテレパシーをはじめとするさらなる科学的説明の可能性を説く。

さまざまな心霊現象、怪奇現象、幽霊屋敷の例を集めた本書について、先に『遠野物語』や実話怪談集との相似を指摘したが、こうしてみると実のところそれらとは真逆な姿勢で書かれたものかもしれない。
そのあたり、蒲松齢の『聊斎志異』と同じく志怪小説として書かれながら、懐疑的精神にあふれた紀昀の『閲微草堂筆記』に近いような気もする。

2025/04/07

『幽霊の書』 ジャン・レイ、秋山和夫 訳 / 国書刊行会

Photo_20250407183201偏愛蔵書室』に取り上げられていた一冊。
諏訪哲史による本書の紹介文にかのローデンバック『死都ブリュージュ』が触れられており、同書に近しい読み香が得られるかも!と古書サイトから取り寄せてみた。

結論から言うと『死都ブリュージュ』、さらにクノップフ描く「見捨てられた町」ともあまり縁のない作風、むしろ収められた短篇のいくつかは幽霊を題材としつつも因果応報のドタバタに終始する奇譚、寓話の類で、しんと背後の冷えるような怪異譚は期待すべくもなかった。

巻頭の「私の幽霊(赤いスカーフの男)」はじめ、作者は「これは作り話ではない」と自身の経験、ないし親しい者から聞いた話であることを強調するのだが、その分、舞台や登場人物についての説明が回りくどく、読みづらい。
「マーシャル・グローブの話」にいたっては、作者自身が展開のくどさを作中であれこれ言い訳しているほどだ。
さらに、主人公が謎の動物に姿を変えて失踪する話や、叔父がなんと死神だった話、12人の若者が13人になって「そして誰もいなくなった」話など、恐怖小説、怪談というよりはお化けの出てくる落とし噺とみなすほうが妥当かもしれない。

そんな中、怪談として「従弟パスルゥ」は秀逸。
ターミネーターのごとく執拗な怨霊に従弟パコーム・パスルゥが復讐される、それだけならともかく、美味しい食事ばかりが楽しみな人の好い主人公ジョー・ジェレールまで巻き添えくらってあんなことになろうとは。

もう一篇、「通り」、これは『偏愛蔵書室』でも話題にされていたが、これは時代を越えて読まれるべき作品かもしれない。
なんでもない日常の中、そこを通ることに理由なき恐れのわくさまざまな「通り」を扱うもので、日本でいえば、土地に対して地鎮祭が必要、とか、そういった感覚だろうか。
菓子店に入ると「日本風の呼鈴の音が切れ切れに鳴って」とあるのも楽しい。

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さて、ここからは、烏丸のシュミのお時間。
この『幽霊の書』という「本」は、どこか、おかしい。微妙にタガが外れているのだ。

本や雑誌の編集用語で「ノンブル」「柱」というのをご存知だろうか。
「ノンブル」はページ数、「柱」は書名、章名などを記したもので、いずれもページの余白に置く。
縦書きの文庫でなら、見開き右ページの右下に偶数の「ノンブル」、左ページ左下に奇数の「ノンブル」、左ページ左上に作品名などの「柱」、といったあんばい。

ところが『幽霊の書』では、下の画像のとおり、左右の「ノンブル」を左ページ右下に「51|50」と列記、右ページ左下に短篇タイトルの「シュークルート」という「柱」を配置している(画像をクリックすると大きくして見ることができます)。
珍しいパターンではあるが、これはこれでオシャレで悪くない。合理性はともかく、「ノンブル」も「柱」も、あれば便利、余白のどこかにあればよい、程度の存在なのだから。2_20250407183301

問題は・・・次の画像は本書の目次ページ。
上の画像で「シュークルート」に続き51ページから始まる短篇「ヴォールミュート氏とフランツ・ベンシュネーダー」のタイトルが・・・ない。3_20250407183301

まだまだある。次の画像は143ページ、「従弟パスルゥ」の一部。なんだこれ。
この後のページでも、パスルゥ君は「従」になったり「従」になったり大忙しだ。4_20250407183401

さて、上記のような誤植の類はさておき、『幽霊の書』で一番の不満は、本文以外、この作品についての資料が何一つない、そのことだ。

訳の秋山和夫氏は、巻末の「ジャン・レイについて」という解説でジャン・レイの人となり、代表作について16ページにわたり熱く語る。
しかし、「本書はベルギーの作家ジャン・レイJean Rayの短篇集『幽霊の書』Le livre des fantomésの全訳である」と書き起こすのを最後に、肝心の『幽霊の書』にはそれっきり戻ってこない。
主な代表作についてはその収録作の一つひとつまであらすじ、あらましを説明する、その丁寧さの一方で、ついに『幽霊の書』が作者何歳の作品で、どのように書かれ、どのように発表されたか等々は何一つ明らかにされないのだ。

ジャン・レイは1964年まで生きていたそうだから、1979年発行の『幽霊の書』にはCopyright表記だって必要だったと推察するが、それもない。
ハードカバーできっちりかっちり刊行されていながら、情報においてまるで幽霊のよう。それがこの『幽霊の書』なのである。

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