カテゴリー「テレビ・新聞・雑誌・出版」の67件の記事

2024/07/04

巡りあひて 『紫式部と藤原道長』 倉本一宏 / 講談社現代新書

Photo_20240704184401 NHKの大河ドラマ「光る君へ」を毎週楽しく見ている。
楽しく、というのは、ドラマの評価としてはちょっと微妙なところがあって、たとえば少し前の「鎌倉殿の13人」なら、歴史ドラマとして「本当はこうではなかったのだろうが、それにしたってこれは凄い」とずっしりたっぷりのめり込む、そんなふうだったのに比べ、「光る君へ」は随所にあれこれ苦笑いが伴う、そういうことだ。

そもそも、紫式部の印象が違う。吉高由里子は女優として嫌いではないが、和歌も巧みなら漢籍にも詳しく世界に名だたる長編物語を残した、というどちらかといえばオタッキーなキャラクターには今のところ見えない。
藤原道長も、キャラは立っているし演技も達者だが、そもそも紫式部との関係がこうであったとは思えない。
散楽の直秀や宋の薬師周明などもとってつくった印象で設定そのものに無理を感じる。貴族と散楽座員が打毬するとか。
もっとも大石静の脚本に力がないとも言えず、道長の次兄道兼など、玉置玲央の演技もあってダークサイドと欲望と後悔という難しい立場を描ききって見事だった。

というわけで、我が家では、「光る君へ」はよくできたB級メロドラマとして「ここはこうなるのでは」「あああー、こうなってしまった」などと膝を抱えて楽しみつつ、たとえば定子が自ら落飾する日に吉高由里子とファーストサマーウイカが木の枝をかかげもって二条北宮に忍び込む場面など、家人と二人「大石~」とハモってしまう、そういった見方をしている。よき日曜日の宵であろう。

そんな愉快な(?)「光る君へ」の登場人物のなかで、個人的に気に入っているのがお笑いタレント秋山竜次扮する藤原実資(さねすけ)である。彼は宮中の出来事にいちいちなにかと「けしからん」「前例がござらん」とぼやきつつ日々日記にその憤りを書き綴る。
この日記は55年にわたって書き続けられ、のちに「小右記」という名で当時の日常生活、宮中の出来事の記録として重用されることになる。

さて、ようやく添付画像の本にたどり着けそうだ。
倉本一宏氏はこの大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を担当された方で、摂関政治の歴史にたいそうお詳しい。
「光る君へ」というドラマに対しては、そのお仕事をほぼ投げたに近い印象ではあるが(まあ、脚本の大石静より、局の制作、プロデュース担当者を責めるべきなのだろう、なにしろ「まひろ」だ・・・)、本書では実資の「小右記」、道長の「御堂関白記」、そしてドラマでも史実どおり道長と天皇の間で調整役に苦労する藤原行成の「権記」を主に、紫式部、道長の時代をとことん原資料をもとに解説してくれる。

父為時とともに越前国府に向かう道のりは大変だったようだ、とか、その越前で紫式部がうたった和歌はいずれも京を懐かしむものばかり、など、史実とドラマの違いが詳細に語られるのも興味深い。
表紙カバーの「『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった!」というのは一条天皇と彰子の関係を深めるのに『源氏物語』が役立った、ということの一方、紫式部が長編を書き残すためには当時貴重だった和紙を入手できたのは(その紙の量を計算すれば)道長・彰子からの援助なくして果たせなかっただろう、したがって『源氏物語』が書かれた時期は・・・等々、倉本氏の実証主義が理系の域に達して実に読み応えがある。

テレビドラマとの大きな違いは、「光る君へ」では和歌のやり取りがあってもそれは紙をちらっと映すだけで読み上げも解説もないのに比べ、本書『紫式部と藤原道長』では要所要所で和歌を引用し、その背景、意味合いを丁寧に説明してくれているところだ。
合戦がない! とご不満の高齢の大河ファンには、和歌の解説があったほうがその蘊蓄を仕入れ、吐き出せる機会が得られて、よかったのではないか(まわりの家族にしたらいい迷惑だろうが)。

ちなみに道長の「この世をば~」の和歌も、実資の「小右記」によって後世に残されたが、その文によれば彰子の立后を祝う儀式の宴席で座興によんだものであり、道長の傲りたかぶった態度をあらわした、というほどのものでもないようである。

この実資は口うるさい存在ながらその学識、誠実さには道長も一目置いて、後年、70歳を過ぎてようやく従一位・右大臣にまで出世する。実資あてに祝電の一本も送りたいところだ。

2024/06/27

最近の政治について

「神宮外苑再開発」問題が、都知事選の争点どころか実は都民が口出しすべき事案ですらないと言えるシンプルな理由

という朝香豊氏の記事を読んだ。いくつか、「なるほど」と手を打つものがあった。
Yahoo!ニュースは日時とともに消えてしまう可能性があるので、引用すると、骨子は

> この再開発事業の事業主体は、東京都ではない。宗教法人明治神宮、独立行政法人日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事株式会社、三井不動産株式会社の4者である。そしてこの4者の中心に位置するのは、地主である宗教法人明治神宮だ。

それが記事タイトルにつながる、という指摘である。

ちなみに、烏丸はこの著者の言説が事実であるかどうか、原資料にあたっていないためまったく判断できない。なんとなく「その視点はなかった」「論理展開が面白い」と感じる次第である。
実際はこの4者に加えて都がなんらかの大きな働きを担っており、それに小池都政が陰に日向に力をふるっている可能性もとくに否定しない。

一番気になったのは、実は、後半の下記部分である。

> この話の原点は、おそらくは坂本龍一氏が、もともとの資本主義嫌いから、神宮外苑が私有地なのか公有地なのかも知らないまま、公的資金が使われないことも理解しないまま、さらに内苑と外苑の区別も付けない中で、貴重な森が失われると勘違いして、反対声明を出したまま亡くなってしまったことにあるのではないかと思う。

> 左翼的市民運動のアイコンとして重要な坂本龍一氏の考えを否定することは、左翼界隈ではタブーとなっている。そしてこの坂本龍一氏の遺志を継げとの対応は、その界隈の強い支持を集めるには、極めて重要だ。だから蓮舫はこれを争点化すると、ぶちあげざるをえなかったのだろう。

大手新聞が信用と部数を失い、テレビも左にならい、政府も地方自治体もさらには国連の機関すら信用ならないこの時代、なぜ専門家でもない一ミュージシャンの指摘がここまで担ぎ上げられるのか、それが不思議だ。
政治がイメージだけでポスターのように原色で塗りつぶされている。自己の主張への「検証」という濁りがない。

個人的な感傷ではあるが、かつて、70年代、烏丸がお付き合いのあった学生運動の残党の方々にはもう少し味があった。その言説に多少は「葛藤」と「躊躇」があったからである。

2024/06/25

輪転機のはざま 『絶望からの新聞論』 南 彰 / 地平社

Photo_20240624201101 うへぁ・・・


新聞の凋落についての本は何冊か読んできたが・・・これは。

著者はあらゆる報道の局面においてとにもかくにも

・安倍政権は(モリ・カケはじめ)フェイクだらけの腐った政権!!
・吉田清治の証言に関連した「慰安婦」報道を否定する報道は「捏造」!
・学生団体「SEALDs」の活動は好意的に取り上げる
・津田大介や望月衣塑子らの活動は好意的に取り上げる
・巻末に青木理との対談を肯定的に掲載
・朝日新聞を退職して琉球新報の記者に

などなどなど、これでもかとばかりにネット上でいわゆる「パヨク」と称される側に立つ。

安倍政権、政府自民党の側の発言、活動は一から十まで悪であり、それに反対する側の発言、活動は正である、と、ある意味実にわかりやすい。

さらに、著者にそのつもりがなくとも見えてくることもある。
一例として、安倍首相銃撃事件に際し、先輩の政治部デスクが著者にニタニタしながら「うれしそうだね」と話しかけてきた、というエピソードがある。
このエピソードを、著者は「朝日の政治報道の中核を担っている人間が事件を笑っている」「権力に批判的な記事を書いている記者にそういう言葉を投げかけるのは、個人の問題というより、そういう風潮があるということで大きな問題だ」と「冷笑に満ち溢れた管理職の跋扈」を非難する。
だが、とくに右でも左でもないただの新聞の読み手からすれば、この先輩の態度こそが社内での著者の日常、著者にとっての「権力に批判的な記事」は、安倍首相が銃撃されることを喜びそう、と、そのような次元に見られていたのだろうと容易に推察される。

まあ、このようなことを書いていたら、この烏丸も誰かに「ネトウヨ」と総括されるかもしれない。
どちらかに属したいと思うほど政治に情熱をもっていないので、それは別にかまいやしないのだが、ここまであげたことからだけでも、数点、どうしても気になることがある。

第一に、本書の著者に限らず、一般に「パヨク」と呼ばれる方々の傾向として、なぜ、個々の案件について個別に検討する姿勢が見られないのか、ということだ。
安倍政権の政治がよい、よくない、「慰安婦」報道は真実か捏造か、SEALDsの活動は応援に足るか否か、津田大介の言動は、望月衣塑子の言動は・・・
一般に、「パヨク」と呼ばれる方々が不思議に見えるのは、こういった項目のすべてに○だか×だか知らないが、要するにそろって同じ答えを書いて判を押したような主張を繰り返すことだ。
カルト宗教、あるいはファシズムのありようを見るようで、少し、いや、大いに気持ちが悪い。

第二に、大手メディア、とくに朝日新聞が「権力」という言葉を使う際の鈍感さだ。
「権力に批判的な記事を書いている記者」
「言論や自由を大切にする朝日新聞の力」
「力の強いもの、大きな権力に対する監視の役」
「銃撃事件は(中略)言論によって社会を変えていくことを信じられなくなった末の凶行」
・・・つまるところ、「権力」という言葉がほぼ政府政権、自民党の幹部のみを指しているということだ。
実際の「権力」は、たとえば中小企業よりは大手企業、平社員よりは幹部社員、バイトのレジよりはカスタマー、などなど、さまざまな局面に現れる。野党の議員だって選挙民からすれば「権力」の側だ。それらのうちでもマスメディアは事実上十分に悪しき「権力」となり得る、なってしまっている、そのことを理解できない、省みない。
「(情報革命が進み)政治家も企業も自由な発信ができるようになり、マスメディアは情報の出口を握ることによる交渉力を失った」と書いて、まずいことを書いている自覚がない。
つまり、ネットがさまざまなことを明らかにする以前は、マスメディアは国民に向けた情報を操作して思うように国を動かそうとしていた、そういうことを隠す恥じらいすらない。
そのマスメディアに対し政治家や企業が「質問制限・妨害問題」を起こしたとて、それは権力間の抗争に過ぎない。マスメディア側だけを正義のように捉えるのは傲慢だろう。

第三に、これは普段から素朴に不思議に思っていることなのだが・・・
朝日新聞やその他のいくつかのメディアでは、著者のような論客(?)がよく育つ。
こういった会社では、新規採用時にこういう人物を募集しているのか。それとも、中に入ってからの教育システムがこうなっているのか。
いずれにせよ、こういった視野の狭い人物が普通に政治部で活躍できるメディアの部数が落ち続けるのはやむを得ないことかと思う。

2024/01/31

『セクシー田中さん』の原作者・芦原妃名子さんの死去について

4ch 日テレのたったこれだけの弔辞の中に、テレビ局というものがいかにマンガ原作者を軽んじているかが透けて見えて、ある意味すごい。

> 最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし

しかし、少なくとも原作者の書き込みによると事前の条件は守られず、ドラマの脚本は原作から大きく改変されて修正に追われ、終盤の2話については脚本家変更の主張も通らず原作者みずから慣れない脚本を担当するにいたったというじゃないか。

ふつー、相手の意図にそまぬ仕事をして、手直し手直しのうえ、やむなく形にしたことを「許諾をいただけた」とは言わない。

また、

> 本作品の制作にご尽力いただいた

にも呆れる。
「制作にご尽力」じゃない。原作者なんだよ。日テレでドラマ化するために発注受けて原作描いてたわけじゃないんだ。

ちなみに、1~8話まで担当、最後にはずれた脚本家個人を責めるのは間違っている。
直接悪いのは間に立って(おそらく)適当な約束や指示をしていたプロデューサーないしその周辺なのだろうけど、その個人個人が悪いというのも、また違う。

テレビドラマというのは、原作など読みもせず、わかりやすくかつ市場にウケのいいものを求めるクライアント、視聴率とクライアントの意向ばかり気にする局本体、スケジュールに追われ自分たちのノウハウに流し込むことしかできない現場、実際にはその下請けで番組を制作する薄給プロダクション、その指示のもと無茶なスケジュールの中で書かされる(場合によっては途中でどんどん設定を弄られる)脚本家、わきから口をはさむタレント事務所、などなどの総体で練り上げられていくものだろう。
それは簡単に方向修正できるものでもないだろう。

ただ、小説家、マンガ家による、テレビドラマ化に際して「原作に忠実に」を条件としてもムダだった、納得できない、といった主張は少なくない。

マンガ原作者は、ハナからテレビドラマなどというものはせいぜいそういうものだ、と諦めるか、弁護士立ち会いのもと自身が納得できない場合は放送、配給を差し止め得る契約を交わすか、、、

少なくとも個人で闘ってはいけない。

芦原妃名子さん。僕はあなたに哀悼の意なんて表しはしない。謹んでお悔やみ申し上げたりもしない。
さぞかし悔しかっただろう、もどかしかっただろう、悲しかっただろう、と思う。
あなたの死が、せめてなにか少しでも改善の糸口となりますように。ただそう祈る。

2023/12/26

学年雑誌付録「星からきた探偵」「五次元のかけ橋」「みな殺しの星」「時間が溶けた!」「怒りの水」ほか

Img_8917 どこから書き始めればいいだろう。

昭和の半ば、学年別学習雑誌の隆盛があった。

小学館の「小学一年生」~「小学六年生」を記憶されている方は少なくないだろう(「小学一年生」を除いて2010年代にいずれも休刊となった)。
学研の学年別「科学」や「学習」の付録の楽しさは格別だった(学年別の体裁のものとしてはすべて2010年に休刊)。

中学、高校生向けにも、「中一時代」~「蛍雪時代」(旺文社)、「中学一年コース」~「大学受験 高3コース」(学研)が発行されていた(「蛍雪時代」を除き1990年代にいずれも廃刊)。

この「中○時代」「高○時代」、「中学○年コース」「高○コース」は、中学生、高校生のそれぞれの学年に応じた勉強に関する記事(英単語の覚え方など)をはじめ、芸能グラビア、社会状況、連載小説、連載マンガなど総合雑誌を志向し、いっとき隆盛を極めたが、時代が平成にいたるころ、学生たちの趣味・嗜好が細分化するとともに存在価値を失っていった。

・・・と、ここまででも若い方には「?」の連続かもしれないが、さらに話は続く。
今回取り上げるのは、その中・高校生向け学年雑誌に添付されていた付録の小冊子についてだ。

全貌はネット、ウイキペディア等をたぐってもはっきりしないが、1960年頃から1970年代の前半にかけて、とくに学研の「中学○年コース」「高○コース」には読み切り短篇小説の別冊付録が付いていた。
文庫本サイズの二段組印刷でそれぞれおおよそ70~90ページくらい。

この、おそらく原稿料も安く、掲載ジャンルのしばりも甘かったであろう別冊付録の場で活躍したのが、当時、文壇的にはかならずしも高い地位を得ていなかった推理小説、SFの作家、翻訳家たちであった。

たとえば推理小説であれば、当時、クロフツ、ジョルジュ・シムノン、コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)らの名や雰囲気をこの付録で知った中・高校生も多かったのではないだろうか。
「ホームズやルパンはかろうじて知っているが、それ以外の推理小説となると」という若者に海外ミステリを伝え、広めようとする強い意思をこれらの作品群からは感じられる。

それ以上に知名度の低かったSFの作家たちにとって、この付録こそは千載一遇のチャンスと思われたに違いない。
最新科学であるか、という観点から見ればさすがに(当時においても)多少の古さはしかたないとして、それ以上に小説、サスペンスとして血沸き肉躍るSF作品が毎号のように付いてくるのだ!
当時の中・高校生にしてみれば、この版型、このページ数で良質なSF作品を読めるのは、素晴らしい入門体験だったのではないか。ここでいくつかの作品にはまれば、創元推理文庫に手が届くまではあとほんの一歩である。

烏丸は1970年ごろ、幸いなことに従兄、従姉らが読んでいた「中学○年コース」「高○コース」の付録をいわば「おさがり」として山ほどいただくことができ、それぞれ夢中になって読み返した記憶がある。
残念ながら実家の引越しでそれらは紛失してしまったのだが、最近、ネットオークションでいくつかを再び手に入れることができた。
今回はその一部(いずれもSF)を簡単に紹介してみたい。

ハル・クレメント「星からきた探偵」(「中学二年コース」昭和40年7月号付録)
・・・南太平洋に墜落した2隻の宇宙船にはそれぞれゼリー状の生物が乗っていた。彼らは宿主なしには生きられない。創元推理文庫に収録された長編「20億の針」を短くまとめたものだが、“探偵”の宿主となった少年がいかに“殺し屋”の寄生主を探し出すかというミステリ、サスペンス的要素で読ませる。「中学○年コース」付録中でもずば抜けた傑作の1つだったのではないか。

マレイ・ラインスター「五次元のかけ橋」(「中学二年コース」昭和40年10月号付録)
・・・残念ながら付録冊子も傑作ばかりではないぞ、と示してしまう作品。五次元世界にジャンプした科学者とその娘が機械の不良で戻れなくなり、依頼を受けた若い科学者が2人を助けようとする。そこに味方、裏切り者、ギャングが次々と現れ──とあらすじだけ書くとなかなか面白そうだが、展開が箇条書きのようで、サスペンスにもラブロマンスにものめり込めない。おそらく長編からこの長さにまとめるのはさすがに無理があったのだろう。
しかし、作者のラインスター、彼こそはSFの世界にファースト・コンタクト、パラレル・ワールド、万能翻訳機などの新機軸を持ち込んだ作家であり、インターネットを予言した人でもあった。TVドラマ「タイム・トンネル」のノベライズ版の作者でもある。というわけで資料的価値は大きい。それにしても、なぜに、四次元通り越して、五次元

アイザック・アシモフ「みな殺しの星」(「中学二年コース」昭和41年新年特大号付録)
・・・のちにハヤカワ文庫「火星人の方法」収録の中篇「まぬけの餌」というタイトルで再会した作品。タイトルは過激だが、惑星探査に向かったチームに参加した天才的な記憶力を持つ少年が、凡庸な大人たち(ノン・コンポ)の中でその星の危険性に気がつき、しかし大人たちの無理解の中満足に説明もできず、という展開に、科学のジレンマが苦くこめられていて“大人の読み物”という印象が深かった。「予後は不良」という言葉を学んだのはこの作品で。

ジェリー・ソール「時間が溶けた!」(「中学三年コース」昭和41年7月号付録)
・・・昭和34年にハヤカワより『時間溶解機』のタイトルで単行本化されている。「目が覚めたら見知らぬホテルに寝ていて、隣には女性がいた。それから彼は自分の記憶がすっぽりと消えていることに気がついた」というウールリッチ好みのオープニングから物語はスピーディに進んでいく。豪快なハッピーエンド、これもまた付録冊子の傑作の1つだろう。

ラフル・ミルン・ファーリィ「怒りの水」(「中学二年コース」昭和42年8月号付録)
・・・昔読んだ版は「怒る水」というタイトルだった。「中学一年コース」昭和37年1月号付録の再集録版と思われる。また、のちに国土社から「液体インベーダー」という身もふたもないタイトルで単行本が発売されている。ある湖の水が生物を溶かして栄養をとる「ろ過性ビールス」となり、やがてその水は知性を持ち、というお話。「ビールスとは、もちろん、細菌のことだ」など、現在からみるといろいろ古いところもあるが、主人公とやがて人類と敵対していく“水”とのコミュニケーションなど、寓話としての読み応えは深い。

そのほか、今回は落札しそこなってしまったが、エリック・フランク・ラッセル「人類対バイトン」(「中学三年コース」昭和41年4月号付録)も大傑作。人類は実は目に見えないバイトンという光球生物の家畜だったという設定、その事実に気がついた科学者がどんどん殺されていく展開、そのバイトンに対し人類がいかに戦いを挑んでいくか、などなど。キーワードはヨードチンキ(?)。原作はハヤカワから「超生命ヴァイトン」、講談社から「見えない生物バイトン」というタイトルで刊行されていたが、いずれも絶版。他の作品ともどもSFの古典としてもう少し大切にされてもいいように思われるのだが、どうだろう。

2023/03/02

長いお休み 「イブニング」休刊

Photo_20230302172801 講談社のマンガ雑誌「イブニング」(毎月第2・第4火曜日発行)がこの2月末、休刊となった。

「モーニング」の別冊としてスタートした本誌は、社会や職場を描いた硬派な長期連載の多い「モーニング」を補完するかたちで、若手による、かつテーマの細分化された掲載作品を得意としていたように思う。
たとえば当ブログで最近取り上げた『没イチ』『激辛課長』『SUPERMAN VS 飯 スーパーマンのひとり飯』、少し前なら『もやしもん』『山賊ダイアリー』『ZOO KEEPER』などがそれにあたる。
こういった作品が発表される場がまた一つ失われたかと思うと寂しい。残念でならない。

ただ、存続が困難であったことは想像に難くない。

日本雑誌協会による2022年の発行部数は平均して5万部を割っており、全国の書店店舗数が8000以上、コンビニエンスストアの店舗数が5万以上と言われていることを考えると、マンガ雑誌としては極めて厳しい数字ではあったように思われる。
単純に、全国の書店、コンビニに2冊ずつ配布すれば、それだけで返品率が5割を超えてしまうのだ。

『ふたりソロキャンプ』『JJM女子柔道部物語』『K2』『少女ファイト』『銃夢火星戦記』『誰も知らんがな』をはじめ、現在連載中の作品の多くはネット上のサイト「コミックDAYS」に移行することが告知されている。
群雄割拠のマンガサイトにおいて、これらの作品がどう生き残っていくのか、興味は尽きない。

ただ、最終巻について、「次の舞台はコミックDAYS」との告知とQRコードが随所に掲載されているわりに、「コミックDAYS」そのものの紹介、料金、使い方等にまったく触れていないことにある種の不親切、言い換えれば紙メディアの意地(悪く言えば悪意)のようなものを感じた。

巻末(表3)の編集長土屋俊広氏による「イブニング休刊の辞」においても、「マンガ雑誌を読むということはどういうことなのか?」という問いかけはともかく、それに対する自身の回答が懐古的、感傷的なアングルばかりで、紙メディアからネットに移行することの意味、意義については一言も触れられていない。

実はマンガという文化は1960年代後半に一度、恐竜の滅亡にも似た大きな時代の転換を迎えている。
それまで『鉄腕アトム』『鉄人28号』『サスケ』『まぼろし探偵』『電光オズマ』『風のフジ丸』『妖怪人間ベム』など(のちのマンガの規範ともなった)数々の人気作で隆盛を誇った「少年」「少年画報」「ぼくら」「冒険王」などの月刊マンガ誌がそろって休刊、廃刊の憂き目を見たのである。
それは、「少年マガジン」「少年サンデー」「少年ジャンプ」などの週刊マンガ誌の勃興という、マンガ文化から見ればいわば発展的解消にあたり、マンガ界そのものはむしろその後に絶頂に向かう。

「イブニング」休刊に見える現在の紙メディアの衰退がマンガサイトに限らずYouTubeやインスタグラムなどのネットメディアに駆逐されたためであることは否めない。
それがただ流れされていく文化の消費なのか、それとも、という点において興味はつきない。時間の限り、すべて追いたい。見守りたい。

一点、気になるのは、昨今のテレビドラマ、映画、ゲームの多くがマンガのヒット作を原作としてきたことだ。
今後紙メディアのマンガが衰退し、ネットにその原作を求めていったとき、テレビドラマや映画、ゲームをはじめとするストーリーコンテンツそのものが、今以上にただ瞬間的な皮膚感覚、刺激的な作品に傾倒していくのではないか、それが心配だ。

念のため。ただその数分楽しければそれでよい、という作品を否定したいわけではない。
それはそれでよい、だがそうでないものもある、それが文化のありようだろう。
ミルで豆を挽き、ドリップとアルコールランプでじっくり煎れるのが珈琲なら、フリーズドライのインスタントも珈琲。甘味、ミルクまで加えたスティックタイプも珈琲なら、缶やペットボトルもまた珈琲。

マンガとはかくのごとく多様なものだろう、さもなくば存在しないだろう。

2022/07/14

漢字ナンクロの謎 「特選 漢字100問 8月号」 コスミック出版

Photo_20220714175801 考えごとに煮詰まって。あるいは何も考えたくない真夜中。パズルで遊んで気分転換することがある。
好きなのは漢字ナンクロだ。

クロスワードに似た黒マス白マスの枠の中に、漢字と、番号を添えた空白が並んでいる。
たとえば一方に
  [京][5]
もう一方に
  [5][心]
とあれば、[5]には[都]の漢字が当てはまるかな? といった具合。そこでページ内の別表の[5]の欄に「都」と書いておく。
  [12][剋][13]
とあればおそらく[12]が[下]、[13]が[上]で間違いないだろうが、
  [24][粧][25]
の場合、[24]はおそらく[化]、しかし[25]は[品]とは限らず、[水]、あるいは[下]かもしれない。ほかのマスの[25]を見極めなくては。

ヒントの漢字が少なければ少ないほど、つまり空欄が多ければ多いほど、難易度は上がる。
わかりやすい熟語、「生年月日」だの「大道芸人」、「記者会見」、「後生大事」、「天地無用」だのが見つかると、そこをとっかかりに解き進むことができる。
以前、見開きのページにヒントとなる漢字が1つだけ、という素晴らしい難問を見たことがある。歯が立たなかった。

漢字ナンクロは書店の雑誌コーナーあたりに、女性週刊誌くらいの大きさ、分厚さでたくさん売られている。
いろいろな会社からさまざまなシリーズ名で出ており、パラパラめくったくらいでは品質の区別がつけにくい。
たいてい漢字ナンクロを含む何種類かの漢字パズルで構成されており、易しめで始まって後半に向けて難しくなる。

1冊を通してあまりに易しいものは、パズルというよりマス埋め作業になってしまってつまらない。
また、作問者によってはマスを埋めるために無理やりその漢字を使う言葉を使っているように見えるものがあって、そんな問題が多いとがっかりする。

 「得法」……禅などの奥義を会得すること
 「法城」……仏法が堅固で信頼すべく、また諸悪を防ぐことを、城にたとえていう
 「手理」……手のひらのすじ。手紋
 「通規」……すべてを通じて適用される規定。通則
 「下代」……下役。手代。江戸時代、江戸郷宿(ごうやど)に雇われた手代で、訴訟当事者を補佐する者

上記はiPhoneやWindowsの変換では出てこなかったり、普通の国語辞書には項目がなかったりする言葉。
現代ではほとんど見かけない仏教用語や歌舞伎用語を広辞苑や大辞林で確認できても、あまり嬉しくない。

それから、不思議なのは、先の「生年月日」~「天地無用」、あるいは
  「本家本元」
  「天下一品」
  「年中行事」
あたりまでならまだしも、ともかく頻出する謎の熟語群。
これら、日常生活ではあまりお目にかからない熟語群は、出版社やシリーズを問わず、1冊の中でも再三顔を出す。
  「人生行路」
  「道学先生」
  「意地無地」
  「明日天気」
  「行雲流水」
  「金明水」
  「家大人」
  「人国記」
  「車中談」
  「道中記」
作問者向け漢字ナンクロデータ集みたいなものがあるのだろうか?

その他、
  「一衣帯水」
  「鏡花水月」
  「花天月地」
  「山高水長」
  「知行合一」
  「世道人心」
  「気韻生動」
  「風流韻事」
  「無芸大食」
  「化石人類」
  「同行二人」
なども普段はあまり使われないが漢字ナンクロではお馴染みの四字熟語。
意味を調べ、言葉として記憶したとしても実生活で使う局面はまずなさそうなので、漢字ナンクロ専門用語として手元にメモしておくといい。 

最後になったが、添付画像はコスミック出版の「特選 漢字100問 8月号」(隔月刊)。
各社のシリーズに詳しいほど取捨選択できているわけではないが、遊んでみた限りではこの出版社の「特選」シリーズ、同じ出版社の「特盛り!」シリーズがほどよく手応えがあり、極端にマイナーなキーワードもそう出てこないので気に入っている。

ただし。漢字ナンクロというのは、同じ作問者の出題を繰り返すと同じキーワードが登場して答えが見えやすくなってしまう面がある。
同じシリーズを続けて購入すればよいわけでもないのが悩ましいところだ。

2022/06/20

あとは下るだけでござーる その4

1990年代後半、インターネットが普及し、ポータルサイトそれぞれがニュース報道を配信するようになると、それまで漠然と隠されていたあることが露呈した。

新聞記事というものは、「事実」だけでなく、「推測」や「感想」「主義主張」を加えて1つの報道としているらしいことだ。つまり、報道としては「盛っている」のである。

インターネットで1つの事件についての記事を並列で見てみると、どうやらはっきりした「事実」は通信社や記者クラブ等で得られた骨子、たとえば「某月某日、A国がB国に侵攻した」のみであるのに対し、出来上がった記事はその数倍に膨れ上がっている。その膨れ上がった部分、あるいは論説記事や社説まで動員して、新聞社の言い分、「話し合いを」とか「平和憲法が」とか「防衛費が」といった、いわば主義主張、ニュアンス、思い込み等々まで足して捏ねて、それが新聞の紙面なのである。

従来、大手新聞を信用して1紙を毎朝読む分にはさほど問題はなかった(場合が、多かった)。
しかし、インターネットのニュースサイトは、新聞報道の上記のような「盛り加減」を明らかにしてしまった。

では、それを「盛っている」記者ははたして信用できるのか?
従来、記者というものは、一般人より情報ツウであり、かつ熱心に取材し、記事を書くにあたっては裏をとるもの──とされてきたが、本当にそれほどのものか。

実業や科学研究、各ジャンルからみると、かなり疑わしい。
ITの新技術について記事を書くのは、本当はとても難しいことのはずだ。考古学の学説については同じ発見についてでも研究者によって意見が異なるだろう。
実業や科学研究など、1つのジャンルについて新聞記者がそのジャンルに実際に従事する方々より詳しいはずがない。
世間知らずの記者たちが、もらってきた「事実」にオマケを盛っているのだ。信頼できるはずがない。

そのような構造が誰の目にも見えてしまった2000年代の大手新聞部数、そして権威の凋落は、各ジャンルのスペシャリストが直接発言力を持つネットの時代の必然だったに違いない。

↑ 本稿、細かな例証を挙げれば挙げるほど、ただイヤミなだけの文章になってしまう。ざっくり削って本件ここまでとします。

2022/06/09

あとは下るだけでござーる その3 『情弱すら騙せなくなった メディアの沈没』『朝日新聞の黙示録 歴史的大赤字の内幕』『新聞社崩壊』『新聞という病』『崩壊 朝日新聞』

Photo_20220609181901 朝日新聞への攻撃という点でもう1冊面白かったのは門田隆将氏の『新聞という病』で、なにしろこの著者は吉田調書についての記事に問題が多いという指摘をブログや雑誌に書いて朝日新聞から「法的措置を検討する」という抗議(脅迫?)を受けたその当人なのだ。

実際は吉田調書の全文が明らかになったところで朝日新聞側の記事があまりに無理スジだということが明らかになったため、朝日は後日公式に記事訂正、門田氏にも謝罪することになる。

ただこの『新聞という病』、1冊の本として残念なのは、さまざまな事象について都度朝日や毎日の記事を取り上げ、その問題を明らかにする筆法には説得力があるのだが、その記事の多くがもともと産経新聞のコラムだったため、一つひとつが短く、かつ「それについてふれたのは産経新聞だけだった」みたいなヨイショが連発(内容的には正しいとしても)するため、印象が軽くなってしまうことだ。いくつか大・中の項目に分け、まとめて書き直すわけにはいかなかったのだろうか・・・。

Photo_20220609182001 一方、畑尾一知氏の『新聞社崩壊』は元朝日新聞販売局部長の手によるもの。タイトルこそなかなか煽情的だが、結局のところ本書は新聞社内部からいかに外が見えていないか、の一つの見事な証のような本である。

なにしろ、著者の結論が「二十一世紀に入ってからの急激な新聞離れの原因は、高価格と紙面の品質低下、そして、その根底には読者軽視があると思う」なのだから。言ってしまえば、新旧東西の楽曲を安価にいつでもどこでもいくらでも聞けるスマホでサブスクリプション!の時代に、演歌のカセットテープを3000円で売るセンスに近い。
そもそも「新聞代が高い」という指摘する際に、スマホの情報サービスとの価格比較をしていない。
たとえば最近のオンラインの雑誌読み放題サービスには、雑誌159誌を月額418円で読める楽天マガジンや163誌を月額440円で読めるdマガジンがある。本書は2018年の発行で、畑尾氏は新聞購読代金を具体的にいくらにすべき、とは書いていないのだが、スマホユーザーの感覚的には新聞1紙月100円でも、必要がなければ高い。
逆に、デジタル化して一定の購読者を獲得したとされる日経電子版は紙に比べて別に安いわけではない。結局、高いからダメ、安ければよい、というわけではないのだ。
『新聞社崩壊』は新聞の販売の仕方や地方新聞が廃刊に至った経緯などにページを割いており、新聞というメディアの歴史的資料としては価値があるのだろう。それでも、この20年の新聞の凋落の分析とみればやはり迂遠な印象しかない。
新聞というものについて、20代、30代の若者が「あまり要らない、あまり読まない」なのか、「ぜんぜん要らない、家で親がとっていてもまったく読まない」なのか、まず、そこから考えてみてはどうだろう。

Photo_20220609182002朝日新聞の黙示録 歴史的大赤字の内幕』は宝島特別取材班編というだけあって、幅広い視点から朝日新聞の問題を語って週刊誌的に面白い。あまり一般読者に知られていない朝日新聞の「社主」の存在、その廃止に至った経緯など、唸りつつ読んだ。いやな会社だねぇ(私情、失礼)。「東京五輪」や「夏の甲子園」が朝日新聞の足かせとなりつつある、という指摘も面白く読んだ。なるほどなるほど。
ただ、個々のテーマについては、若干、突っ込みが甘い印象。
たとえば『2014年の朝日新聞 ──「吉田調書」「慰安婦問題」「池上コラム」の点と線』と実に強力かつオイシそうな章目を立てながら、ネタとしてもっとも急所たる「慰安婦問題」にはほとんど杭打つことなく、朝日新聞が池上彰氏のコラムを強制的に閉じたボーンヘッドを週刊誌目線で追って切って終わっている。そこか。そこじゃないだろう。

ちなみに、これは本当にどうしようもないことだが、同じ2014年の不祥事として「慰安婦問題」訂正の背景に吉田清治の著書、「吉田調書」誤報も福島第一の吉田昌郎所長と「吉田」姓がかぶって、5冊いずれでもなんとなく先の慰安婦問題がボヤけてしまい、朝日新聞ラッキー! な印象だ、、、

Photo_20220609182201 今回の束のうち最初に読んだ渡邉哲也氏の『情弱すら騙せなくなった メディアの沈没』は新聞よりむしろテレビ、電通という旧来メディアを牛耳ってきた構造の崩壊を語る内容で、とくに東京五輪開幕式を「素人の宴会芸みたいなもの」と切って捨てるダンサブルな論調は楽しく(失礼)読めた。

今回手にした5冊の中で、発行日が新しいこともあるのだろうが、ほとんど唯一、「新聞・テレビ」というレガシーメディアが、なぜスマホによって駆逐され始めたかを若干なりともバードビューで語られている。
レガシーメディアに電通という広告代理店の「火付け」「火消し」機能をからめ、それがうまく機能しなくなってきた状況を語ってその流れはなかなか説得力がある。細かい点ではもちろん検証が必要だろうが、おおむねこのように「新聞・テレビ」は滅びていくのではないだろうか。
ちなみに、本書においては新聞などは最後のほうに「新聞はもう死んでいる」の章でちょっと触れてオシマイ、なぜ、どう死んでいるかなどもとくに説明の要を感じていないフシがあってこれもまた楽しい(重ねて失礼)。
個人的には話題の新しさ、切り口の広さを含めて今回の5冊の中では本書が一番のお薦め、だろうか。
ただ、天下の徳間書店ともあろうものが、編集チェックがぬるいというか、著者原稿をそのまま流し込んだようなところが少なくなくて、ときどき目がつまずくのが玉に瑕。

例・・(立憲民主党の枝野代表が)「モリカケ、桜、五輪の経費すべて公開を公約にする」と、ぶち上げた保守ばかりか、リベラル側からも「錯誤」が失笑されることになった。安倍政権が与党が考え付くすべての政策を実行してしまったことで、「モリカケ」など国家政策と呼べるべきものが思い付かない状態なのだ。

えーと? まあ、言いたいことはわからないでもないし、これで情弱にも通じるなら、いいのか。

もう少しだけ、続きます。

あとは下るだけでござーる その2 『情弱すら騙せなくなった メディアの沈没』『朝日新聞の黙示録 歴史的大赤字の内幕』『新聞社崩壊』『新聞という病』『崩壊 朝日新聞』

10年と少し前くらいだったろうか、新聞、テレビの大手メディアが大ピンチ! という論調の記事が大判の週刊誌等に連発された時期があった。とくに新聞については購読者離れ※1、加えてその激減しつつある公称部数すら押し紙※2によって水増しされている、との指摘を受けて危機感を煽られていた。本ブログでも何度か取り上げた記憶がある。

※1・・今から思い起こせば朝日新聞の慰安婦記事、吉田調書についての相次ぐ訂正よりさらに前のことで、そう考えるとその凋落度合いは多臓器不全を呈していて重篤だ。
※2・・販売店に卸されながら、実際には購読者に届けられない新聞紙のこと。新聞社から販売店への販売数増の強制という面の一方に、これによって全国、あるいはその地域の公称部数を押し上げ、紙面、また折り込みの広告が入りやすいようにもできる。いささかお行儀が悪い。

その後も追跡記事や特集はあったのだろうが、しばらくそういった本、雑誌から離れていた。
最近、『2050年のメディア』を手にし、そういえば最近の新聞、テレビの動向は、と、その類の冊子をいくつか読んでみることにした。

以下は今回読んでみた本、読んだ順。
いずれも版型は新書だが、適当にAmazonの検索でひっかけたり古書店で見つけたもので、著者や出版社の選択にとくに意図はない。
あまりに古い本は外した。また、今回は業界の動向をざっくり眺めるのが目的だったので、著名な某女性記者のベストセラー含め、記者の志、ジャーナリスムの立ち位置、といった本は対象とはしなかった。

『情弱すら騙せなくなった メディアの沈没』 渡邉哲也 / 徳間書店 2021年10月発行
『朝日新聞の黙示録 歴史的大赤字の内幕』 宝島特別取材班 編 / 宝島社新書 2021年6月発行
『新聞社崩壊』 畑尾一知 / 新潮新書 2018年2月発行
『新聞という病』 門田隆将 / 産経セレクト 2019年5月発行
『崩壊 朝日新聞』 長谷川熙 / WAC BUNKO 2018年6月発行

先にまとめてしまうと、新聞社が苦戦するにいたった原因についての斬新な視点、逆に新聞社が立ち直るきっかけとなりうるダイナミックな指摘の類は残念ながらとくに見受けられなかった。

また、おそらく新聞、テレビからみてこの10年、もっとも「邪魔」であったはずのスマホやSMS、あるいは動画サイトを新聞、テレビと正面から対峙させて描いた章がほとんど見受けられず、結局のところ昭和のメディア論の延長で終わってしまっているようにも思われた。

Photo_20220609174101 もう1点、全体のカラーとして気になるのは、『崩壊 朝日新聞』1冊を除くと、いずれも新聞社の左翼、反自民、あるいは反日的な偏向記事について「主義主張」「イデオロギーの違い」等、やんわり遠回しな言い方におさめてスルーしていることだ。
福島第一原子力発電所の吉田所長の調書についての虚報について詳細に取り上げるのも大切だが、むしろ慰安婦問題の意図的な虚報のほうにより問題があるように思われるのだが、根の深さに及び腰、といった印象を否めなかった。

その点、『崩壊 朝日新聞』は朝日新聞社内の誰がどの程度マルクス主義に染まっていたか、その結果どのような記事偏向が起こったかを明らかにしようとするなど、バイネームで緻密な記載を重ねていうならば短評集でなくドキュメンタリーの域に達して評価できる。他の4冊とはそもそも執筆の目的、力の入れようが違うのだ。
ただ、残念なことにその『崩壊 朝日新聞』にして、たとえば松井やよりという一人の特異な記者が、当初熱心なジャーナリスト精神をもっていた働いていたようにみえたものが、やがて記事の根拠を確認、明示せぬままただ反体制活動に盲進してしまった──という経緯を描きつつも、彼女がなぜそうなったかについては結局「わからない」ですまされてしまう。
内部に長くいた著者にしてこれなのだから、朝日新聞がなぜああなのか、読み手にはわからない。

書名を出したので先に細かいことも書いておくと、上記のとおり『崩壊 朝日新聞』は他の4冊に比べて朝日新聞の内部告発的な意味で重み厚みがあるのだが、ゾルゲ事件まで遡るなど、回り道が少なくない。なぜそうだったか「わからない」記者や社長についていくら詳細に書かれても、テーマがクローズしない。
あと、この長谷川熙※3という記者は、自分がフリーの立場でアエラに所属していたため、あたかも朝日の問題部分から距離を置いていたような書き方をしているのだが、アエラが「放射能が来る」という特集でいたずらに原子力発電と福島を貶めた(といって間違いではないと思う)まさにその時期にアエラで何をしていたのだろう、とも思う。

※3・・雑記。著者の名の漢字は細川護熙や朴正煕らの「熙」や「煕」に似てはいるが、著書の表紙などによると左上が「臣」で右上が「己」という珍しいもの。印刷時は作字したと思われるが、出版社のWEB上の紹介ページまでは統一できなかったようだ。

本稿、続きます。

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