長島茂雄追悼特集
「読売ジャイアンツ終身名誉監督、長嶋茂雄氏が亡くなられた」
「昭和を代表するスーパースターがまた一人。残念なことです」
「昭和100年にあたる年の、永久欠番ともなった3のつく日、89(やきゅう)歳で亡くなられた、などとも言われている」
「告別式の喪主もご子息の三奈さんでありました」
「しかし、昭和の太陽のような氏の扱いに、本当に影はなかったのか」
「影、ですか」
「そう、ここでは、プロ野球に関わる、昭和史の秘話を少々ご紹介しよう」
「秘話。それは楽しみですが、いったい」
「うむ。1959(昭和34)年6月25日、巨人阪神11回戦。昭和天皇がただ一度プロ野球を観戦した、いわゆる天覧試合。昭和の英雄長島茂雄が阪神村山実からサヨナラホームランを打った、あの試合であります」
「手元の読売新聞、翌日の朝刊によれば、『両陛下ナイターご観戦 長島選手にニコニコ 五ホーマー-体を乗り出す』」
「ところが、この試合に、重大な疑義がある」
「あのホームランはやっぱり、ファールだった、と」
「いや、そんな甘やかなものではない。昭和史の最暗部に属す、世にも恐ろしい陰謀です」
「陰謀、ですか」
「そう。話は少々飛ぶが、1989(昭和64)年1月、昭和天皇崩御」
「我々昭和人としては、天皇制の是非は別として、忘れられない出来事でありますが」
「その年、さる筋の指揮により、各界の主だった人物が昭和天皇の御供、つまり贄として暗殺された」
「なんと。それは穏やかでない」
「いやいや。昭和64年、すなわち平成元年に亡くなった顔ぶれを見てご覧。経済界からは松下幸之助、芸道から美空ひばり、漫画家では手塚治虫。いずれも昭和の時代を代表する人物ばかり。吉田茂や力道山、川端康成、湯川秀樹らはすでに故人であった」
「おお」
「暗殺には、名前は出せませんが八瀬童子縁故のある人物があたった。相撲界からは大鵬、若乃花どちらがという議論の末、少し遅れて栃錦清隆すなわち春日野理事長が翌1990年1月10日に亡くなって、大葬の礼に間に合わせている」
「うーむ。それは」
「しかし、ここで注目していただきたいのは、ではなぜプロ野球界から誰一人大物が選ばれなかったか。本来、昭和を代表する人物として、長島茂雄ほど御供にふさわしい人物はないはず」
「言われてみればその通りですが」
「いや、そもそも、昭和天皇が長島の天覧ホームランを本当に心からお喜びになられたのなら、なぜ天覧試合は二度と設けられなかったのか。警備が難しい、ということになっているが、相撲はあのようなオープンな場で何度もご覧になっているわけです」
「ふーむ」
「これらの事実は、すべてある1つの事実を指し示している」
「それはいったい」
「昭和天皇は………実は熱烈な阪神ファンであったのです!」


昭和から平成にかけて、角界を支えた“横綱”22人のインタビューをまとめた1冊。
日本ハムvsソフトバンクのパ・リーグクライマックスシリーズ最終戦、3点リードの9回に登板した日ハム大谷翔平投手は165km/hの速球を3球投げた。これは日本プロ野球記録であり、物凄い数字である。
おなじみの真っ赤な表紙、銀色の「
元巨人のドラ1でありながら阪急のマスコット「ブルービー」に入り1000試合以上に出場した島野修。西の福留・東の澤井と期待されながら怪我で活躍しきれなかったロッテ澤井良輔。暴漢に襲われて視力を損ね、引退に追いやられたヤクルト荒川尭。ほか、9人のプロ野球ドラフト1位の軌跡を追う。
【そこにはあなたにしか見ることのできない風景があるわ】
【凋落しているのはジャイアンツで,プロ野球ではない。】