東野圭吾を悼む
一人の、好もしい作家の新しい作品がもう読めないとか、そんな狭量な話ではない。
東野圭吾は現役の、しかも長きにわたるベストセラー作家だった。
その作品の多くはドラマあるいは映画化され、ヒットし、それらの作品のファンをも書店に誘った。
東野圭吾が喪われることは、人々を書店、紙の本に呼び寄せる、その強い糸の束の一片が喪われるということだ。
東野圭吾のデビュー当時、1980年代の終わり頃、ミステリ出版界は「新本格派」と呼ばれる作家たちの勃興に沸いていた。
綾辻行人、歌野晶午、有栖川有栖、我孫子武丸・・・鮮やかなトリックとそれを喝破する推理の魅力にあふれた彼らの作品群は、社会派の説教臭いサスペンスにうんざりしていたミステリファンに降り注ぐ僥倖だった。
東野圭吾のデビュー直後の作品、『放課後』『卒業』『学生街の殺人』『魔球』などはちょうどその頃、新本格派と同じ講談社から発刊された。
いずれも確かな動機に基づく事件とその真相を描くもので、楽しく読んだものだ。
ただ、外からみても不思議だったのは、新本格派の作家たちに比べてなんとなくこれらの作品が冷遇されているように見えたことだ。
新本格派で活躍した作家たちは京大ミステリ研出身者が多く、また叙述トリック、パズル性を旨とした。その一派には作品内で人間など描く必要はない、といった極論を口にする評者さえいた。
ドラマ性が濃く、物理トリックを否定しない東野圭吾が名指しではないまでも軽んじられる場面をいくどか目にしたことがある。
東野圭吾はそれに耐えた。書いた。生き残って、ベストセラーをいくつも著した。
探偵を変え、作風を変え、さまざまな長編、短篇を悠々と世に問うた。文庫1冊、850ページを費やして壮絶な悲劇の輪郭、その外郭だけを描いた『白夜行』、科学ミステリの楽しみを世に問うたガリレオシリーズ、家と社会の歪みを描き続けた加賀恭一郎シリーズ、その中でも『私が彼を殺した』など謎を読者にゆだねる作品群、出版業界やミステリ作家・編集者のサガをコミカルに描いた『名探偵の掟』『名探偵の呪縛』『超・殺人事件』などの作品群、その他さまざまなサスペンス、ヒューマンドラマ。
東野圭吾を悼む。
68歳は早すぎる。


