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2026年6月の4件の記事

2026/06/25

ロシア人のお名前(敬称略)

ロシアの方のフルネームは
  ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン
  ロジオン・ロマーヌィチ・ラスコーリニコフ
  アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ(*)
  ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
のように「名前・父称(父の名前に「~の子」の語尾を付けたもの)・姓」の組み合わせとなっている。

*『罪と罰』に登場するラスコーリニコフの妹。女性の場合、父称の語尾が「~ヴナ」や、姓の語尾に「~ア」などがつく。兄妹で世界ランキング1位をなしとげたテニスプレイヤーのマラト・ミハイロヴィチ・サフィンは兄、ディナラ・ミハイロヴナ・サフィナが妹。

この三段構成がロシア文学、とくに長編小説のハードルを高くしていることは否めない。
作中で登場人物の呼び名が「ラスコーリニコフ」であったり「ロジオン」であったり、「ロマーヌィチ」であったり、さらに家族には愛称で「ロージャ」と呼ばれたり。ロシア文学はただでさえ登場人物が多いので、大変だ。

ところで、以前から不思議に思っていたのだけれど、たとえば、ラスコーリニコフという人を僕はドストエフスキーの作品の中でしか見聞きしたことがない。小説のためにこしらえた姓だったのだろうか。
だが、気がついたらプーチン、スターリン、フルシチョフ、ゴルバチョフ、エリツィン、彼らの姓も、政治家としての当人しか知らない。
作家ではプーシキン、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフチェーホフガルシン
作曲家ならチャイコフスキー、ストラビンスキー、ムソルグスキー、プロコフィエフ、、、

いずれもワンアンドオンリーで、たとえばツルゲーネフの小説にゴルバチョフやストラビンスキーという人物が登場するという話は寡聞にして存じ上げない(アレクセイ・トルストイという作家がいるが、これは『戦争と平和』のレフ・トルストイのまた従兄弟で、いうなれば同姓の親族)。

対して、日本だとどうだろう、鈴木、佐藤、田中はそれぞれ政治家、小説家、タレントにいずれも少なくないし、小説やドラマ中の架空の人物にも鈴木、佐藤、田中はあちらこちらに登場する。
アメリカでも、スミス、ジョンソン、ウィリアムズという姓がコアにあって、著名人、作品中をとわずこれらの姓に出会うことは少なくない。
ロシアには鈴木、佐藤、スミス、ジョンソンにあたる多数派の姓はないのだろうか?

調べてみると、ロシアにもたとえばイワノフ(イワンの子の意)という姓の方はたくさんおられるらしいのだが、それでも鈴木、佐藤、スミス、ジョンソンほど高確率で見聞きするわけでもない。

集中的に特定の姓を使う国(韓国なら金、李、朴など)、逆にロシアのようにてんでばらばらな姓を使う国、そのお国柄にはなんらかの歴史的な違い、理由はあるのだろうか。

2026/06/18

『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』 蛙坂須美 / 竹書房文庫

Photo_20260618165001 あた、あたし、しらないおとこのひとが
──男の人?
おんなのひと、かもしれない、こうえんであそんでいたら、このほんをあげるって
──その文庫本をくれたんだ
ちかごろの、じつわ?かいだん?のなかではおもしろいって
──読んでみたの?
あた、あたし、こわくて
──読んでみたの?
こわいの、どのおはなしもこどもがいなくなったり、ひどいめにあったり
──そうだね、ここしばらくの実話怪談の中では珍しく一つひとつの話がちゃんと黒い終わり方をして、誰かが死んだり、行方不明になったり、気持ちの悪い話が多いよね
こんなこわいほんはよみたくないっていったのに、いらないっていったのに
──でも読んでみたんだ
ほんの、じが
──黒い文字がうぞうぞと
ほんから、あた、あたしのてに
──黒い文字がうぞうぞと腕から胸に、胸から首に
あたし、あたし
──因果応報因果応酬、己のなした業は捻じれてまた己に祟る
てが、まっくろに
──年寄りが子ども服着て子どものふりして子どもらをたぶらかし、苛み、嬲り、屠る、その所業許されようか
あた、あた、のどに、あぐ、あぎ
──滅せよ
あぎゃ、あああああ



2026/06/11

美しき回転軸の群れ 『輪廻の果てまで愛してる 現代の短篇小説 ベストコレクション2025』 日本文藝家協会・編 / 文春文庫

Photo_20260611181701現代の短篇小説 ベストコレクション』を紹介するのは毎秋の恒例行事だったのだが、昨秋はプライベートでバタバタして、本を買うことからすっかり失念していた。誠に申し訳ありません(誰に?)。

半年以上遅れたが、2025年版、『輪廻の果てまで愛してる』を取り上げたい。

 篠田節子「土」
 佐川恭一「万年主任☆マドギュワ!」
 斜線堂有紀「カタリナの美しき車輪」
 佐々木 愛「僕たちは のら犬じゃない 番犬さ」
 坪田侑也「放送部には滅ぼせない」
 宮下奈都「鳶の娘」
 坂崎かおる「花泥棒」
 窪 美澄「凪のからだで生きていく」
 米澤穂信「輪廻の果てまで愛してる」

若い名前が並んでいる、ような気がする。それだけでも期待は高まる。
個々の作品についての感想は以下のとおり。

篠田節子「」、最後まで、土の中から明らかになる犯罪、被害者は実は・・・を期待して読んでしまった。ミステリに汚れている私。

佐川恭一「万年主任☆マドギュワ!」、パロディ元をタイトルしか知らないため、きちんとは感情移入できなかった。苦労して書かれたのかもしれないが、後半、もっとわちゃわちゃにブレークしてもよかったのでは。

斜線堂有紀「カタリナの美しき車輪」、これはー、怖い。SNSをはじめ、現代のネットツールの扱いも自然で、文体は抑えがきいていて、そのくせ全方位的にどんどん壊れていく。当節のホラーはボリューム的にはいわゆる「実話怪談」が主流だが、こうした作者の指から沸き起こるホラー作品がもっと書かれ、もっと高く評価されてもよい。

佐々木 愛「僕たちは のら犬じゃない 番犬さ」、坪田侑也「放送部には滅ぼせない」、宮下奈都「鳶の娘」、いずれも主に学校を舞台にして若者たちのみずみずしい情感が描かれていく。どの作品も最後のページで終わるのでなく、そこから始まるものに(遠近法でいうところの)消失点があり、若者の未来に向けて心がじゃぶじゃぶ洗われていく。

坂崎かおる「花泥棒」、近未来、もしかするとこれを書いている間にも実現してしまうかもしれない消失の物語。女子高校生転落殺人事件の容疑者をはじめあらゆる写真にエフェクトがかけられ、あらゆる文章にAIの手が入る時代、この悲劇はすでに ど こか で は じま・・・

窪 美澄「凪のからだで生きていく」、男の作家にはなかなか書けないテーマにうたれる、という視点の一方、現代の小説家のライバルは膨大なコミックやライトノベルの生産性かもしれない、と思われた。家を出る、家に帰る、という要素については尾崎衣良『真綿の檻』(小学館、現在7巻まで)のバリエーションに一日の長を感じる。

米澤穂信「輪廻の果てまで愛してる」、ちょっとポイント引くなら反対側のタイヤに付けてしばらく走ればいいんじゃないかしら。走行距離メーターで調節できるし。紅葉の錦、神のまにまに。

2026/06/08

ほんならウロボロス 『本なら売るほど』(現在3巻まで) 児島 青 / KADOKAWA HARTA COMIX

Photo_20260608181201 本好きが高じて町の古書店を継いだ青年と本を愛する人々の心の綾を縦横に織り上げる短篇集。

帯にもあるとおり、「マンガ大賞 2026」大賞、『ダ・ヴィンチ』 BOOK OF THE YEAR 2025 コミック部門 第1位、『このマンガがすごい! 2026』 オトコ編 第1位と破竹の各賞受賞、書店店頭でも各巻平積みのベストセラーとなった。

二つのことを書きたい。

一つは、素直に、良い本である、と言うこと。

古書店「十月堂」に立ち寄る若者、あるいは老人たちをめぐる物語はあるいはスタイリッシュに爽やか、あるいはモノトーンに絶望的で、本好きはもちろん、そうでない人にも本当に、ぜひとも読んでほしい。

もう一つは、この、紙の本が絶滅に瀕しつつあるこの時代に古書店を舞台とする、そのことによる閉塞感だ。

古書店で扱われる本は(言うまでもなく)古書であり、いかに循環されたとてやがて読み手とともに古びていくのが世の摂理である。さらに1巻ですでにたびたび描かれているように古書の多くは破棄されるのがことわりだ。
上流に新刊を吐き出す版元、取次、書店がなければいずれ収束していくしかない。

実は、新刊書店を舞台とする『店長がバカすぎて』についても、展開の面白さ/つまらなさとは別の尺として近年の書店の実情が描かれない疑念があった。この本が好き、この作家が、と本ばかりを話題にして、作中で6年が経過してもその業界全体のサビレが描かれない無頓着さ。

そして、『店長がバカすぎて』や『本なら売るほど』のように紙の本の界隈を描く作品が売れれば売れるほど、紙の本はシッポを呑み込むヘビのように書き手と売り手と読み手が同じ円の中に縮こまっていく。

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