『ハウスメイド』 フリーダ・マクファデン、高橋知子 訳 / ハヤカワ文庫
カバーに記された「恐怖と衝撃のエンタメ小説」、本書にこれ以上適切な惹句はあるだろうか、いや、ない。
「前科持ちのミリーが手に入れた、裕福な家庭でのハウスメイドの仕事。だが、この家は何かがおかしい。不可解な言動を繰り返す妻ニーナと、生意気な娘セシリア。夫のアンドリューはなぜ結婚生活を続けていられるのだろうか? ミリーは屋根裏部屋を与えられ、(以下略)」
本書のあらすじは上記のようなもので、老練な読み手ならこれだけで本書のおおまかな構造、あるいはオチにいたるまで言い当てられるかもしれない。
・・・だが、気になるのはそこではない。
分厚さだ。
この一本道なアウトラインで528ページ。
少なくとも前半、妻ニーナと娘セシリアの不可解な態度についてはもう少しタイトにまとまったのではないか。
それにそろえれば後半のカタストロフィはもう少しスピード感をもてたのではないか。
どうも、なんというか、最近のミステリー、ホラー、とくに翻訳モノは、長い。
どれもこれも、平気で500ページを超える。映画化を意識してのことなのか。
その多くは(少しばかり複雑な人間関係や推理上のどんでん返しを含むにせよ)つまるところ一つの謎、一つの事件を解明するのが目的となっている。
まるで無関係と思われる小さな事件をいくつも同時進行させて最後にそれらが一つの秘密に束ねられる、などという作品(くそったれ!)は別として、ベストセラーを含む多くの作品は真相に関係ない人物を立ててページ数をじゃぶじゃぶ水増しすることが少なくない(主人公の捜査を憎々しげに邪魔する上役警官が世界中でどれほどミステリ本のページの無駄遣いをしていることか)。
クリスティやクイーンには、膨大な長編に対し、それに見合うほどの短篇集があった。
当節ことに長いのが警察モノだが、シムノンのメグレ警部などいずれも短篇、ないし中編程度の長さに収まっていた。
当たり前だが、長いからいけない、というわけではない。
長いのなら長いなりにプロットに味わいが深いか、逆に無駄なくスラスラ読めるよう書かれているか。
余計なものでだらだら散らかっているのが一番困るのだ。
ミリー、片づけておいてって言ったでしょう。



