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2025/04/14

『族長の秋』 ガブリエル・ガルシア=マルケス、鼓 直 [訳] / 新潮文庫

Photo_20250414163701百年の孤独』新潮文庫版には訳者のあとがきに加えて筒井康隆の解説も載っていて(贅沢)、そこに

  ほんとうのことを言うと、実はおれのお気に入りは、マルケスが本書の八年後に書いた「族長の秋」なのである

とあったので、新潮文庫版が出るのを楽しみに待っていた。
(『族長の秋』は一度集英社からも文庫化されているが、その頃は(正しくは現在も)ラテンアメリカ文学を少し苦手にしていて、敬して遠ざけていたと認めるはこの烏丸、破れ傘刀舟悪人狩り、もといやぶさかではない)

ではどのように待っていたかというと、我ながら生真面目大魔王、いつ『族長の秋』が出てもよいよう『予告された殺人の記録』(新潮文庫)に『エレンディラ』(ちくま文庫)を読んでマルケスに目を慣らしておいた次第。ちなみに『ママ・グランデの葬儀』は40年ほど前に読んでいたので今回はパス。内容はよく覚えてないけど。

ただ、マルケスが「最高作」と呼んだという中篇『予告された殺人の記録』はおおよそマジックな詩情を感じられず、ラテ文学の面倒なところばかり悪目立ち、かたや短篇集『エレンディラ』のタイトルチューン「無垢なエレンディラと無常な祖母の信じがたい悲惨の物語」はなるほど魅力的ではあるが『百年の孤独』を読んでしまうとその一部を切り取ったような、つまり短篇として自立したものとして読むと食い足りない、そのように感じられた。

などなどの期待と混乱のもと開幕したEXPO 2025 大阪・関西万博、もとい『族長の秋』だが、、、
よくよく考えたら、筒井康隆はその書いた作品は好きだが書評家としては必ずしも馬が、いや、ここでは牛が合わないというか、そういえば筒井作品は1981年の『虚人たち』あたりから必然としてちょっと距離を置かざるを得なくなったものだが、この『虚人たち』は直接的にはル・クレジオの『巨人たち』へのオマージュだったにせよ、技法・作法以前に虚構をページに定着させるという意欲においてマルケスの影響もあったのかもしれない、根拠もない物言いではあるが。

『族長の秋』はラテンアメリカの架空の国の独裁者の人生を「現実的なものと幻想的なものを結合させて、ひとつの大陸の生と葛藤の実相を反映する、豊かな想像力の世界」(ノーベル賞受賞時の評価)として描き上げたものである。
それが期待より若干物足りなかったその理由は大きく二つあって、一点は『百年の孤独』はマコンドという村を舞台に一人でなく一族の愛と悲惨の記録を綿々と描いたこと。『族長』はいくら頑張っても一個人の人生に過ぎず、随所に不思議で奇抜で頓狂な魅力はあっても全体として圧倒されるかというとそこが少し寂しい。
もう一点は『族長』の人生をさまざまなアングル(六方向)から描いたにしても、結局外目に見た起承転結は同じ彼の生と死の六度の繰り返しになってしまい、やや意外性に欠けた、盛り上がりに欠けた、ということか。
もちろん、意外性ということでは一つひとつのイベント、人間関係の壮絶さは予想を上回るレベルで、世人のかなう水準ではない。
上記はあくまで『百年の孤独』と比べての、個人の感想である。

おまけ。
『族長の秋』新潮文庫版には池澤夏樹による解説が添えられているのだが、そこにはラテンアメリカの特殊性を伝えるために「マジックに見えるリアリズムの例を一つ挙げよう」として「コモドーロ・リバタビアの凄まじい南極風」がサーカスのテントを吹き飛ばして動物たちが海へ運ばれたという話が載っている。
・・・それをして「リアルとマジックの間の段差はまことに低い」というのは文学的なマジック・リアリズムの説明としてはちょっと違うのではないだろうか。そもそも赤道直下のコロンビア文学とアルゼンチン南部の南極風を十把一絡げに語られても。

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