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2024年12月の4件の記事

2024/12/23

時計を巻き戻す 『ロイストン事件』 D・M・ディヴァイン、野中千恵子 訳 / 創元推理文庫

Photo_20241223175001 ディヴァインについては昨年、『すり替えられた誘拐』発刊に際し、必要なことはある程度書いておいたので、繰り返し語るのはやめておく(←なんでそんなエラそうなのー)。

以下、良いことと残念なことを一つずつ。

良いこと。
かつて社会思想社の教養文庫から上梓され、その後出版社ごと絶版とあいなったD・M・ディヴァインの残る2作のうち、『ロイストン事件』が創元推理文庫から再発された。正義にこだわる主人公がさんざん痛い目にあい、最後に少しだけ報われる傑作だ(ディヴァインにしては珍しい、オシャレなエンディングもポイントが高い)。
残る『こわされた少年』も2025年に発行予定とのこと。慶賀のいたり。

残念なこと。
教養文庫版『ロイストン事件』には探偵小説研究家、真田啓介氏の詳細な解説が掲載されており、これが文庫の解説としてはまれに見る読み応えだった。
一般に他社の文庫の再刊に際しては解説は別人によって書き起こされることが多い。しかし、今回の創元推理文庫版においては教養文庫の解説が・・・そのままだとよかったのだけれど、残念ながら15ページ→11ページとカットされ、とくに教養文庫においてディヴァインが出版され始めた当時のミステリ出版界を俯瞰して語る前半がカットされているのが残念。
ただ、それでも、『ロイストン事件』を
  A ストーリー
  B プロット
  C 謎解きのプロセス
  D テクニック
  E キャラクター
に分けて語るその内容は一項一項「ディヴァインを読む」ことの意味と方向を示して、ただエンターテインメントとして流さない(ディヴァインの巧みさを指摘すると同時に、微細な欠点についてもきちんと釘を刺してくれる)。
ディヴァインにほかのミステリ作家と違うものを感じる読者にとって、この緻密な解説は必読必携だと思う。
それが読めるのだから、結局はこちらも良いことである。善哉。

2024/12/16

大丈夫 『AIの遺電子 Blue Age (9) 最終巻』 山田胡瓜 / 秋田書店 少年チャンピオン・コミックス

Image1_20241216175301 書店で購入し、夜、読みかけてシリーズ完結と知った。唐突といえば唐突な最終巻である。

この作品は、人間、人間と同じ生体をそなえたヒューマノイド、形態の自在なロボット、その三者が穏やかに共存する社会に少し問題を抱えた主人公を配し、彼の医療行為をテーマに、本をめくるように新しい疑問と答え、疑問と答えを紡ぎ続けるものだ。
だから、まあ、終わりがあるとすればいずれ唐突なものになるであろうことは予想できないわけではなかった。

連載初期に「これぞ近未来版ブラック・ジャック!」とうたわれていたように、本作はAIの進んだ時代のブラック・ジャックを強く意識したものであったろう。
とくに最終話は、夢の中でブラック・ジャックが懐かしい人々と会話をかわす『ブラック・ジャック』単行本20巻、第192話「人生という名のSL」にならうように、須藤光が架空の列車の中で人々と会話をかわす。
ブラック・ジャックを意図しただろう、ということが推測でないのは、ブラック・ジャックの切符と須藤光の切符の日付等がまったく同一であることからも明らかだ。

Image3_20241216175301 Image2_20241216175301

「人生という名のSL」は手塚治虫全作品中でもまれに見る寂寥感にあふれており、発表順を問わず「ブラック・ジャックの最終回」とみなされることがある。『AIの遺電子』最終話、「人生という名の軌条」もまた茫漠とした「時を束ねた」切なさと静けさが空間を占める。
主人公須藤光の絵柄も、(巧い、下手ではなく)第1巻のある程度確信に満ちた表情に比べ、最終巻での目線は揺れ、輪郭も常に自信のなさそうな線描で描かれる。

それは、確かな正解などないからだし、『AIの遺電子』『AIの遺電子 RED QUEEN』『AIの遺電子 Blue Age』の3シリーズを通して作者が問い続け、追い続けた誠実さの顕れなのだろうと思う。

2024/12/13

最近のコミック新刊から 『身代わりの花嫁は、不器用な辺境伯に溺愛される(4)』『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(29)』

Photo_20241213185101 『身代わりの花嫁は、不器用な辺境伯に溺愛される(4)』 一ノ瀬かおる、原作 椎名さえら、キャラクター原案 一花 夜 / KADOKAWA フロースコミック

タヌキ目のクラリスがキツネ目のジーン(ジークフリート・グーテンベルグ辺境伯)をともなって生まれ育ったファーレンハイト家に再訪し、ファーレンハイト家の歪み、姉マチルダの秘められた真実が明らかになる・・・という痛快無比な第2巻をピークに、3巻、4巻はクラリスよいしょ持ち上げのやや落ち着いた展開。

とはいえ、3巻4巻に登場する“ファーレンハイトの宝石”姉マチルダの執拗な嫌がらせはその手振り、台詞ともに実に陰湿、いずれも実際はクラリスの回想や空想の中の姿でしかないにもかかわらず、マンガ史上まれに見る凄まじさ。塗り絵のお姫様物語のような本作が大人の読むに足る物語にしている理由の1つはこのマチルダの異様な存在感が大きいのではないかとも思われる。

さて、クラリスとジーンの2人には執務室で勝手に仲良くしていただいて、残る興趣はお調子者シド・ハンゼンとメイドのメアリーの関係の行く末。そして(若干見え見えの)メアリーの氏素性。

そしてもう一つ、「言われてみれば」と面白く思ったのは、まま子扱いされていたお姫様がめでたく白馬の王子様とハッピーエンドになったとしても、その時点で彼女は社交のマナーも、ドレスのセンスも、ダンスの足さばきも、何一つ身についていないだろう、ということ。
シンデレラは王子様に見初められて幸せに暮らしたことになっているが、はたして本当にそうか。慣れない王室での生活にあれこれ苦労が絶えなかったのではないか。
幸い、4巻は、ダンスが不得手なクラリスをジーンがステップの練習に誘うシーンで幕を閉じる。
表紙もその2人の踊る・・・

  ・・・ちょと待て。表紙画像が間違ってる。
  今週の担当、誰だよ!

4_20241213185101 『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(29)』 原作 草水 敏、漫画 恵 三朗 / 講談社 アフタヌーンKC

  ああ、まだ表紙画像が直ってない。
  では、その時間を借りて、ちょっと話がくどくなるけど、

先日、岩波文庫の『英国古典推理小説集』 を読んで、英国の古典推理小説といえば
ちくま文庫から出ていたR・オースティン・フリーマンの『オシリスの眼』(渕上痩平訳)を買ったまま放置していたなと思い出し、本棚から取り出して読み始め、
その「訳者あとがき」にはフリーマンが短篇集『歌う白骨』において犯人を最初から明かしたうえで探偵による解明のプロセスを描く「倒叙」推理小説(刑事コロンボや古畑任三郎がそうですね)を最初に提唱・実践した、といったことが書かれていて、そういえば昔読んだはずの
「歌う白骨」ってどんな話だったっけと創元推理文庫の『ソーンダイク博士の事件簿Ⅰ』を取り出して短篇「歌う白骨」を読んでいたら、

すみません、↑は読み飛ばしてかまいません、ともかくその「歌う白骨」の中に、ソーンダイクの研究所の助手ポルトンについて、

すべての科学的研究には、肉体的な労働が必要で、学問は長く、人生は短いから、科学者が何もかも全部やってしまうというわけにはいかない。(中略)骸骨の標本をつくるときには、薬液に浸したり、漂白したり、骨を一つずつ接合したりする仕事は、それほど忙しくない助手にまかせるのが普通だ。(中略)知識をそなえた科学者の背後には、かならずすぐれた実験の技術をもつ技術者がひかえているものだ。

との一節があった。

フラジャイル』第29巻のテーマは、まさしく、科学者(岸京一郎)をサポートする臨床検査技師、森井久志の物語である。

ただし、森井は「それほど忙しくない」などありえない激務であり、さらに技術者の常として、後輩への技術の引き継ぎが必ずしもうまくいかない・・・という表現がバファリンの半分のやさしさでできているくらい厳しい。
引き継ぐべき後輩の1人は黙って病院を辞め、1人には森井の教え方が「カス」だとののしられる。ページ半分の大ゴマで、「カスです!!」。

その森井が、医療機器メーカーの営業担当には「医療革新の勇者」と期待され、大学病院の病理からは渡米する技師の後釜に誘われる。

仕事とはそのように渦を巻いて恐ろしいものである、というのが29巻への感想。

ちなみに「歌う白骨」の上の引用部分の数ページあとには

溺死とみてよさそうだ。もちろん検死(ポスト・モーテム)の結果を待たないと、

という1行もあった。40年前に目にしていていながら、学ぶべき言葉を素通りしていたのだ。
読書も恐ろしいものだ、と思う。

  それで、表紙画像担当、まだつかまらないの??
  きさまの大切なフィギュアがどうなっても知らな・・・
  って貼り紙しといてっ!

2024/12/09

『英国古典推理小説集』 佐々木 徹 編訳 / 岩波文庫

Photo_20241209191101 「良書」である。

待て待て。「良書」などと言うといかにも教科書的で、おまけに書名が『英国古典推理小説集』などとかちんこちんの漢字率10割、なんとなく土蔵の古文書を読まされそうな埃っぽくて面倒な印象を持たれるかもしれない。
しかし、クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』やクロフツの『樽』が発表された1920年を起点とする(諸説あります)いわゆる「探偵小説の黄金時代」に先立つ英国推理小説の歴史を俯瞰するアンソロジーたる本書は、

  まず、素直な翻訳で読みやすく、意外なまでに一作一作が普通に小説として面白い、読みでがある
  アメリカのポーを発祥とする、当時の推理小説の質的変異、進化が窺えて興味深い
  単に当時の名作を列挙するだけでない、編訳者の意図がいろいろ窺えて(ないし、意図が読めなくて)面白い

などなど、なかなかにさまざまなアングルを備えた魅力的な1冊となっている。

目次を転記しておこう。年月日は発表された日付でなく、掲載された雑誌などの号表記が主なので注意。

  はじめに
  チャールズ・ディケンズ『バーナビー・ラッジ』第一章より(1841年)
    (付)エドガー・アラン・ポーによる書評(1841年5月1日、1842年2月)
  ウォーターズ「有罪か無罪か」(1849年8月25日)
  ヘンリー・ウッド夫人「七番の謎」(1877年1月)
  ウィルキー・コリンズ「誰がゼビディーを殺したか」(1880年12月25日)
  キャサリン・ルイーザ・パーキス「引き抜かれた短剣」(1893年6月)
  G・K・チェスタトン「イズリアル・ガウの名誉」(1911年3月15日)
  トマス・バーク「オターモゥル氏の手」(1929年)
  チャールズ・フィーリクス「ノッティング・ヒルの謎」(1862年11月-63年1月)
  訳者あとがき

まず、冒頭、ディケンズが「推理小説」という明確な目的意識なしに書いた長編『バーナビー・ラッジ』の第一章に対し、創始者にしてすでに「推理小説」の完成形への明確な意識をもった天才ポーの「ここがおかしい」「こうしたほうがよい」との指摘が炸裂する。
驚くべきは、後日、ディケンズは訪米し、ポーとアメリカの詩について語り合ったという歴史的事実だ。
二人が「推理小説」について話し合ったかどうかはわからないが、ざんざんと時代の波の音が耳に響くような思いがする。

ウォーターズ「有罪か無罪か」は綿密な捜査を主とするいわゆる「警察小説」で、推理小説というものがなぜか出来上がると同時にのちのさまざまな枝葉を持つにいたった経緯を不思議に思う。

七番の謎」は当節のサイコパスものを思わせないでもないエグみのある短篇だが、作者のヘンリー・ウッド夫人には『イースト・リン』(1861年)というベストセラーがあり、その作品はトルストイの『アンナ・カレーニナ』の素材となったとも言われているらしい。
(先日のテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」をご覧になった方には記憶に新しいと思われるが)彫刻家オーギュスト・ロダンの弟子にして愛人、カミーユ・クローデル(「月下の一群」にも選ばれている詩人ポール・クローデルの姉)は女性が彫刻家なんて、と評価を得らえれない人生であったらしい。同じ創作であっても、サッフォーや紫式部、ブロンテ姉妹など、それなりに女性作家にことかかない文芸に比べて他の創作ジャンルの固さ、その逆に女性が広く活躍する推理小説との違いが気にかかる。

ウィルキー・コリンズ「誰がゼビディーを殺したか」、大家の大家たる安定の一作。

キャサリン・ルイーザ・パーキス「引き抜かれた短剣」。「男女の登場人物がなにかと口論しながら仲良く(?)推理を繰り広げ、女性探偵の機知が事件を解決に導くユーモアにあふれた作品」が推理小説の黎明期からあったことに驚く。開祖は誰のなんという作品だったのだろう。

さて、本『英国古典推理小説集』についての大きな謎の1つが、G・K・チェスタトン「イズリアル・ガウの名誉」の収録だ。
「黄金時代」以前の英国というくくりなら、ホームズだってソーンダイクだって隅の老人だって候補にあがるだろうに、なぜブラウン神父、なぜに「イズリアル・ガウの名誉」。
あとがきなど読むと全体に非常に恣意的な選択を心掛けた印象があり、編訳者としては本作についてもなんらかの強い意図をもってのことだろうと思われるが・・・今ひとつわからない。

チェスタトン以上にわからないのがトマス・バーク「オターモゥル氏の手」という選択。
短篇推理小説としての出来栄えは見事だが、発表年、内容ともに明らかに「黄金時代」以降のものであり、なぜ「古典」として選ばれたのか。あとがきにもそのあたりの説明はない。良い作品、なら星の数ほどあるだろうし。
一つ思い当たるのは、他の掲載作の1つと「当事者」がかぶっており、もしかするとそのテーマにそって「黄金時代」前と後、といった意味合いで選ばれたのか・・・いや、やはりよくわからない。

チャールズ・フィーリクス「ノッティング・ヒルの謎」は、本アンソロジーの白眉で、ウィルキー・コリンズ『月長石』(1868年)に先立つ最初の英国推理小説長編部門ではないか、という選択である。しかも本邦初訳。
内容はある人生についての長期にわたる手紙や覚書、証言などの記録で、それらの累積によって事件の真相、犯人がじわじわとあぶりだされていく。
登場人物が多岐多岐多岐多岐にわたり、はっきり言ってすらすら読めるものではない。だが、人物、出来事、日付がジグソーパズルのように真実を明らかにしていく(正確には、盤面の中央に犯人とその行為が空白として残される)その過程は圧巻で、その作風は他に類を見ない。
この作品が『月長石』より以前、日本でいえば江戸時代の末に書かれていた、その事実だけで実に興味深い。

推理小説の定義から始めて、各作品の意味合いについて語る編訳者のあとがきも素晴らしい。何度も読み返してしまった。
(ダ・カーポ)

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