『いじめと探偵』 阿部泰尚 / 幻冬舎新書
コミック作品『いじめ探偵』(榎屋克優、小学館ビッグコミックス 全2巻)をネット広告で知り、kindleで読んでみたところなかなか面白かったので、その原案・シナリオ協力者であるところの探偵・阿部泰尚氏の本を求めて読んでみた。
著者は映像関連の仕事から探偵業に入り、いじめに関する事件にかかわってのちにテレビなどでその方面のスペシャリストとして知られるようになった人物である。
著者はいじめ問題について誠実かつ情熱的で、感覚的な感想ではあるが人物として、探偵のプロとして、「信頼できる」ように読めた。
最近(本書は2013年発行)の小・中・高校におけるいじめの諸相、自身ならびに事務所としての具体的な対応、親や学校がいじめにいかに対処すべきか、そういったテーマが飾り気のない簡潔な文体で語られており、新書として良書、かつ有用なものであるように感じた。
とはいえいじめの対処は難しい。
「学校の先生が皆本書を読めば」などとは言わない。なんとかの法則ふうに言うと、こういった書物を読むべき人物に限って読まない。こういった書物を理解すべき人物に限って、とんちんかんに読む。
そのとんちんかんさは、学校の先生、校長がたにおいて顕著だ。
・自分の学校で集団レイプが起きたと聞かされてもどうしていいか見当もつかないからあえて口出ししない学校の先生
・担任の先生がいじめている生徒を注意したら注意された生徒の親が教育委員会に「うちの子が犯人扱いされた」と怒鳴り込み、その結果その先生は担任を外され研修所送りになってしまった(その措置をした教育委員会の委員は著者がマスコミにリークするのかと怯え、その後態度を豹変させる)
・特定の児童たちが個人の持ち物を壊すといういじめについて、被害者とその友だちが担任の先生に犯人を名指しで訴えたところ、学校の校長はなぜか「外部から誰かが侵入している可能性があるので学校の警備を強化する」と宣言した(親やPTAにいじめの調査資料を突きつけられた校長は「私は馬鹿じゃない、やれることはやっている」と泣き出した)
これらは本書に登場する学校、先生たちのありさま(ザマと書きたいことろを抑えています)だが、こういった連中に本書を読ませたとしても改善が期待できるようには思えない。
何が問題なのだろう。
以前テレビで(確か尾木ママが)指摘していたようだが、本書にも書かれていない一つの鍵として、校長、教頭、教育委員等、いわゆる管理職の教職者については、無事に定年退職を果たした後に「叙勲」というイベントが待っているということがあるらしい。
とくに給料も名誉も横並びの公立学校の世界では、「先生」「先生」とあがめられ続けた数十年にわたる自身の仕事について、それは最後にもらえる文字通りの「勲章」である。それゆえ、自分がその学区、学校にいる間、「いじめ」という不祥事があっては絶対にまずい。目の前で子どもが、その親が訴えたとしても、目の前で起こったとしても、それは決して認めてはならない。
これは学校という組織が不思議なまでにいじめを認めない、対処しない理由としてなかなか説得力のある指摘だ。
しかし、これだと担任レベルでいじめの存在を認めない、対処しない、できない理由が今ひとつわからない。
当節の先生が会議や書類仕事、部活動に追われてめっぽう忙しすぎるため、としてもなお理解できない。
以下は個人の思い付きレベルの話ではあるが、かつて、少なくとも昭和の中ごろまで、学校の先生には全員に対し、無条件に「偉い」「怖い」というフィルタがかけられていた。
「先生は偉い」「先生は怖い」、これは児童・生徒はもとより、その親、そして先生本人側にも共通する一種絶対的な空気だった。
だから、先生は生徒を頭ごなしに「こら!」と怒鳴れるし、親は「先生に叱られるぞ」とバチをふるい、生徒たちは「やばい先生がきた」とタバコを隠す。
しかし、戦後民主主義のあれやこれやでロクロをこねくり回しているうち、先生の「偉い」「怖い」は剝ぎ取られてしまう。
ある程度はしかたない。やみくもに「偉い」「怖い」を振り回して体罰をふるうエセ教育者は排除されなければならない。
だが、問題は、「偉い」「怖い」が剝ぎ取られたあと、代わりとなる権威が用意されなかったことだ。
今現在、子どもたちの前にいるのは、学校というオフィスに通勤するただ一人のサラリーマンに過ぎない。子どものころから学校という箱しか知らないのでむしろ世の中を動かす経済や世事に疎く、顧客たる親がクレームを口にすればへこへこと頭を下げ、場合によっては「チェンジ!」さえ可能だ。
小・中・高校にいじめ対策の「マニュアル」があるのかどうかはしらないが、大前提となる「偉い」「怖い」がなければいじめの加害者、その親に対して強制力があるとも思えないし、被害者に信頼されるとも思えない。
はっきり言えば、いまや、子どもたちの目に映る学校の先生は、進学に詳しい塾の先生ほどにも役に立たない、事務のおじさん・おばさんたちなのである。
今後、この状態を覆すことはできないと思う。先生がたにできることは児童・生徒に「さん」付けしてせいぜい友だち関係を築く程度だ。
だから、本書の著者は、探偵として、少し「怖い」、かつての先生の代わりをせざるを得ない。
それは、一つひとつのいじめ案件については有効に違いない。親や学校の先生に代わって個々の子どもたちの信頼をつかみ取る著者の状況が見えるようだ。
だが、その努力は、全国的ないじめの発生を抑えることに即つながるものではない。
子どもと親と学校側が話し合って示談で済ます、いわばそのいじめ限りの対処療法をいくら繰り返してもいじめが減るとは思えないからだ。
そこでこれも個人の思い付きレベルの提案だが、人数が増えて仕事にあぶれ気味と噂の弁護士の皆さんは、カードの過払い案件だけでなく、学校におけるいじめにもっと着目していいのではないか。
いじめ、いじめと言葉の上ではまるで児戯のように扱われているが、実際に起こっているのは器物破損であったり暴力であったり性犯罪であったり、大人の世界でなら到底許されない案件ばかりだ。
これを「子どもの未来のため」とかいうお為ごかしで内々におさめているからいけないのだ。
まず、「暴行」は「暴行」ときちんと呼ぼう。
子どもたちが大人たちを軽視し、大人のような態度をとるなら、大人のように扱って差し上げよう。
きちんと証拠を集め、立件し、罪を罪として償ってもらおう。
もちろん、上履きを隠した、鞄の中に水をかけた、程度では弁護士も警察も動きようがないだろう。
だが、なかには司法が動かざるを得ない案件だって少なからずあるに違いない。
そのとき、子どもであると甘々に済まさず、一人の、一人前の「人間」として加害者、被害者ともにきちんと扱ってやるべきだと思う。
そして、人の道にはずれるレベルのことをしてしまったとき、ゆるゆるとつながっていくように思えた進学、就職への道が閉ざされる恐怖を子どもたちはもっときちんとリアルに知らなければならない。
ちなみに、(失礼極まりないことだが)少し前まで進学、終活にあぶれた者の当面の働き先とされてきた「コンビニバイト」の道さえ、監視カメラとAIが無人レジを代行してくれる時代は目と鼻の先だ。君たちの将来はとてつもなく狭い。
SNSが蜘蛛の巣を張る絶対不寛容のこの時代、学校といじめ加害者だけが容赦される時代はそう永く続くはずもない、続けるべきでもない。
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