Take it easy 『ザリガニの鳴くところ』 ディーリア・オーエンズ、友廣 純 訳 / 早川書房
訳者あとがきが書かれた時点で、本書『ザリガニの鳴くところ』は《ニューヨーク・タイムズ》紙のベストセラー・リストに73週連続ランクインされていたらしい。日本語版の帯の惹句には「全世界1500万部突破のベストセラーが待望の映画化!」、日本でも2021年本屋大賞翻訳小説部門の第1位。
紙の本がなかなか売れない今節、たいへんけっこうなことだ。
ただ、それだけ売れに売れたとなると、眉に唾を付けてしまうのが烏丸の悪いクセ。
以下、ネタバレあり、酷評あり。それは困るという諸君はここでごきげんよう、さようなら。
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さて、『ザリガニの鳴くところ』の舞台はアメリカ、ノース・カロライナ州、海寄りの湿地。物語は、そこで6歳で家族に見捨てられた少女のその後の生活(1952年~)と、1969年に起こった青年の不審死をめぐる捜査、裁判のもようを交互に描いて進んでいく。
動物行動学者の著者はこれがはじめての小説だそうだが、読みやすさについてはきわめてテクニカル、大小の心に刺さるイベントを折り重ねながら少女の悲惨と夢と成長を描いて読み手をぐいぐいと次章に誘う。
また、ボートで行き来する湿地の朝夕の鮮やかな光景、大小の生き物の豊かな営みを背景に、本書は「恋愛小説」と「推理小説」、そして人種差別や貧しい白人層を描く「社会小説」、それぞれの貌をもって複層的な読み応えを提供する。
と、本書を上記のように読んで済ませる層に対しては、何も言わない。たとえばハリー・ポッターの物語の細かい矛盾点を指摘するのはそれほど難しくないが、それはおそらくハリー・ポッターの正しい、もとい、楽しい読み方ではない。
だが、それにしても。
まず本書を推理小説とみなすとなると、まじめに額に汗して犯人や探偵の活躍を編み上げんとする推理小説作家全員が気の毒になる。
アリバイもトリックも、それを審議する裁判も、いずれも、まあ、書いておいた──といったテイのもので、その部分だけ抜き出したら誰もそれを推理小説とは評価しないだろう。
(テレビのサスペンス劇場で、原作小説の伏線や推理を適当にはしょって進めた崖の上のドラマをたまに見かけるが、あれのほうがすいぶんマシ、と思えるレベル。)
次に、本書ではヒロインたる「湿地の少女」カイアが、湿地あるいは海岸の生き物を観察、収集し、のちにその優れた研究を評価されるに至る次第が描かれている。また、文中ところどころに登場する「詩」が物語のバックボーンの一つともなっている。
だが、カイアは、初等教育を受けていない。教会にも通っていない。いや、そもそも幼少時に家族に見捨てられて以来、読み書きを教えてくれた少年との短期間の付き合いを除けばほとんど誰とも会話を交わさず、わずかな本しか読んでいない。もちろん正統な絵画の技法も教わっていない。
考えてみよう、6歳を過ぎてほとんど他者との時間を持たず、教育も受けず、町中に出かけることもない一種のオオカミ少女が、編集者が即出版と判断するような原稿を書けるものかどうか。
ファンタジーとしても、あらゆる物書き、クリエイターに対して失礼な話ではないか。
些末な例だが、作中には、カイアが母の残した本の中からデュ・モーリアの『レベッカ』を読み、それを愛の物語と認識し、母のドレスを着こんで鏡の前でまわり、自分をダンスに誘うテイトの姿を想像するという場面がある(163ページ)。だが、「湿地の少女」はいかにしてドレスの身に着け方、ダンスパーティの誘われ方、等々を知ることができただろう。
これではまるで不良少年がある日ボールを握るや周囲を瞠目させるスーパーピッチャーに化ける(悪い意味での)マンガのようだ。
続いて、本書の恋愛小説としての局面を見ると、これはよくわからない。カイア、カイアに文字を教えたテイト、のちにカイアに近づいた村の裕福な家庭の子息チェイスを含め、どの人物も粗雑で、後先考えるフシがなく、実際ロクでもない。
それぞれのポジションからの「悲恋」はいずれも自業自得! で片付きそうだ。
率直に言うなら、本書に登場する人物のうち、共感が持てるのは、カイアの自活を助ける黒人夫婦、カイアを学校に招く無断欠席補導員、地道に捜査を進める保安官とその部下、判事、エビ漁師を務めるテイトの父、などなど、つまりはカイアやチェイスの真実を知らない者たちばかりなのだ。
・・・と、いちゃもんを並べてきたが、一つ、忘れてならないことは、現在も人種差別はさまざまなところで問題とされているが、ほんの50年ばかり前、本書が描いた60年代、70年当時には、現在とは比較にならないほど明確な差別が横行していたことだ。
本書でも、喜ばしいことが起こっても黒人と白人が抱き合って喜ぶなどということはあり得ない、裁判所の傍聴席も歴然と仕切られている、などがごく当たり前に描かれている。
「もし時代や場所が違えば、この、年老いた黒人の男と若い白人の女はきつく抱き合っていただろう。だが、この時代のこの場所では無理だった」(307ページ)
「二人がテイトとともに法廷に入り、一階の〝白人席〟に坐ったとき、人々は騒然となった」(404ページ)
もうすっかり忘れ去られているようだが、イタリアの映画監督ヤコペッティがアメリカの奴隷制度を描いた『ヤコペッティの残酷大陸』を公開したのが1971年、その作品中、暴動を起こした黒人の青年が手にしていたウィリアム・スタイロンの小説『ナット・ターナーの告白』の出版が1967年。
最後に、もう一つ難癖を。
タイトルの『ザリガニの鳴くところ』は原題では 'Where the Crawdads Sing' 。これは登場人物のテイトが口にした言葉で、湿地の生き物が自然のままに暮らすパラダイスのようなものと思われるが──それなら 'Sing' はそのまま「歌う」でよかったのではないか。
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