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2020/10/21

『ヤクザときどきピアノ』 鈴木智彦 / CCCメディアハウス

Photo_20201021170301 ここまで来るのに五十二年もかかった。

ドを押す。
音が鳴る。

──名著である。
大切なことなのでもう一度書く。名著だ。

全チャプター、全ページ、全センテンス、いうなればピアノ、音楽、はてはヒトなるものの生キザマについての率直なアフォリズムを積み重ねた文体、そう言って決して過言ではない。

著者はカメラマン、ジャーナリスト。ヤクザ専門誌の編集長からのちフリーになり、その方面のノンフィクションを多数上梓。代表作に『潜入ルポ ヤクザの修羅場』『ヤクザと原発 福島第一潜入記』『サカナとヤクザ ~暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う~』などがある。

『ヤクザときどきピアノ』は、そんな著者が『サカナとヤクザ』の5年にわたる取材、執筆が一段落し、ライターズ・ハイから吹きこぼれるアドレナリンを抜くために適当な映画を見ていて、BGMで使われたABBAの『ダンシング・クイーン』に突然涙をほとばしらせ、

〈ピアノでこの曲を弾きたい〉

と思い立ち、ピアノ教師レイコ先生に出会い、ピアノの練習を重ねる・・・あらすじをまとめるならこれですべて、の本である。

実はこの本を知ったきっかけはちょっとだけ変わっていて、あるとき、朗読ツールのサンプルとして本書の後半の読み上げを聞くともなく聞く機会があった。
最初はヤクザたる著者(念のため、著者はヤクザとは親しいが反社会が本職の人ではない。しいて言うなら「ヤクザな」という形容動詞の「ヤクザ」ではあろうか)とレイコ先生の丁々発止のやり取りをギャグとして聞いていたが、途中ではたと気がついた。
耳から聞いて、わかりにくい表現、言い回しが一つとてない。
著者は

語彙は裏・闇・黒という三文字の裾野に偏っている。

などと自嘲するが、とんでもない、プロのワザである。本書を書くにあたっても広く深くピアノについて調べまくったことは巻末の参考文献の一覧を見ただけで推察できる。
もちろん、古今の偉大なピアニストの名言や人名、楽譜用語など、ある程度専門用語に慣れていないと意味のわからないところもあるにはある。たとえば、

「練習すれば、弾けない曲などありません」
レイコ先生は『エースをねらえ!』のお蝶夫人のように威風堂々と、完璧にレシーブした。

俺は超がつくピアノの初心者だ。『のだめカンタービレ』に登場する千秋先輩や『蜜蜂と遠雷』の風間塵とは、親分とチンピラほどポジションが違う。

のように専門用語が飛び交っても怯んではいけない。

──申し訳ない、話がそれた。

まじめな話、本書では、いやいやピアノ教室に通わされていた子供たちがその当時は気がつかなかったこと、ピアノは音楽を奏でるためのものであり、そのために練習がある、まさにそのことが繰り返し語られる。

ピアノは“ながら練習”ができないの。(中略)身体に動作を叩き込もうとする時、点滴の針を太くしても意味がないのよ。

個人に合わせて微調整できるのは椅子だけです。

練習をすれば上手くなる。
練習をしなければ一切上達しない。

所々知っていただけの道が、音楽という世界の地図でどんどん繋がっていった。

こうして紹介するにあたって、適切な引用加減がわからない。
どこを切り抜いてもいいし、どこも切り抜きでは食い足りない。

レイコ先生との練習の合間にも、激化するヤクザの抗争、ピアノの練習とヤクザとの修羅場の共通点、ピアノの歴史など、さまざまな話題にかこつけて著者のピアノが語られる。

それらはもちろん、人生においてゴールが見え、あるいはゴールを過ぎた者が、それでもなすべきことを見つけられるかどうかの、命のかかった一つのアドバイスでもある。
そこらの人生本などよりよほど楽しく、よほど確かなもの。単行本1冊でその欠片が得られるなら安いものだ。

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