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2019年4月の4件の記事

2019/04/25

山川方夫『夏の葬列』(集英社文庫)、『親しい友人たち』(創元推理文庫)

Photo_6 最近、ときどき山川方夫を読んでいる。ざっくり、四十数年ぶり。

初めて手にしたのは大学に入ったばかりの頃、池袋東口にあったクラシック喫茶で本を読もうと先輩に誘われて。先輩たちと雑居していたアパートからの道すがら、西口の芳林堂2階で新潮文庫版を買った。『愛のごとく』、あるいは『海岸公園』、どちらだったかは覚えていない。
クラシック喫茶というのは、ひねもすクラシックの名盤をかける店で、その店は椅子、テーブルは一人掛けの一方通行、珈琲の注文は声をひそめ、私語をかわすと叱られる……。

なんて話はどうでもよくて。

山川方夫は幾度か芥川賞候補になった実作のほか、三田文学の編集やそれにともなう江藤淳、曽野綾子、浅利慶太、村松剛らの新人発掘で知られる。享年三十四、交通事故での早世だった。

そういうツウ好みだが地味な経歴、作風のわりに、文壇、出版人に愛好者が多いようだ。そう数字が出るとも思えないのに、文庫も切れ目ない。

なぜだろう? 山川信仰とでもいうか、なぜ山川方夫は読まれ続けるのだろう?

学生当時はともかく、今では一つの仮説を平気で口にできる。
山川方夫は、そのへんの凡庸な文学青年(壮年、老年)にとって、なんとなく、「自分もこのくらいは書けるんじゃないかな、きっと書けそうだ」と思える手頃な物差しなのだ。

Photo_7 日本画家だった父親の死に伴う実家の凋落を描く私小説的作品(「海岸公園」など)は育った環境次第に思われるし、
若者の無軌道を描くやや退廃的な作品(「安南の王子」「愛のごとく」など)は文学青年が誰でもかかる麻疹(はしか)のようなもの、
ミステリ、SFテイストの強いショートショート(「夏の葬列」「待っている女」「お守り」など)は確かにキレがよいし読後感も豊かだが、文学を志すこの身、頑張れば一つや二つくらいは書けそうではないか!

だが、結局、誰も山川方夫にはなれなかった。
山川方夫は青春小説の一つの星のまま、薄暮の空にぼんやりかかっている。今日もどこかで文学青年がそれを見て跳ねる。
ありがたいやら、迷惑やら。

2019/04/22

うちの土地 『幸せ戦争』 青木祐子 / 集英社文庫

Photo_5『これは経費で落ちません!』シリーズの青木祐子氏はもともとジュブナイルの分野に多数の作品を発表してこられたベテラン作家であり、『幸せ戦争』は氏の初めての一般小説とのこと(詳しいわけではないので、間違いがあったらごめんなさい)。

『幸せ戦争』は郊外の瀟洒な戸建て4件屋に住む家族、それぞれがかかえたねじれを描いた作品で、インターネットの有名掲示板用語でいえば「キチママ」「ウヘァ」「修羅場」案件ということになる。概ね、察してください。

素晴らしいのは──『これは経費で落ちません!』もそうだが──個々の家庭、とくに主婦当人のキャラクターが順に明らかになり、いよいよカタストロフィ! となるべき場面で、作者の木刀拳銃手榴弾が登場人物たちを吹っ飛ばす、そのはずが、意外や皮一枚だけ切って引く、悲鳴をあげる間もなく勝負が決する、その凄み。
4件屋の家族それぞれの立ち位置をバランスよく描いた構成力、そしてその凄みが、本来ならドロドロの愁嘆場となりかねない話に、青白い、凛とした清涼感を配す。

本来、イヤゲな主婦がうじゃうじゃ湧いて出る喪失不可避の物語のはずが、残るはささやかだがフリスキーな爽快感。
歴戦のプロの仕業、と感嘆する次第。

2019/04/18

ご用件は何でしょう? 『セリー』 森泉岳士 / KADOKAWA BEAM COMIX

Photo_4 SFを読む理由を見つけるのが難しい時代になった。
それでも、ときどきこんなふうなヨロコビに満ちた出会いがある。

第一に、中盤までの寂寥感、喪失感がそれはもうたまらない。
この濾過を繰り返したあげくの切なさは、おそらく上質なSFでしか得られないものだ。
作者の特殊な作画技法、朴訥なコマ運びが空気を導いた。

第二に、着眼が憎い。
SFによくある設定、展開(※)に現在の日常アイテムをマージして違和感がない。

ただ、そのアイデアにこだわったためか、114ページ以降のエピローグには余計、酷な言い方をするなら夾雑な印象があった。

この作者は喜怒哀楽を直接描くべきではない、そんなふうにも思われた。


※たとえば筒井百々子「メモリー」(1985年)

2019/04/11

真理を知りたいか──ッ! 『史上最強の哲学入門』 飲茶 / 河出文庫

先日の書き込みで「PC版でカテゴリー(たとえば「コミック(作品)」)を選んで表示される記事タイトルの上限が100件になってしまった」と愚痴ったところ、気がつけばいつの間にかきちんと直していただけていた。しかもスマホ版も同様の仕様に。たいへん助かります。どうもありがとう。 > ココログ運営の中のひと

カテゴリー別に過去の書き込みタイトルをパラパラ見返していて、ふと気がついたこと。
2000年8月以来積もりに積もった本ブログの書評数は近々1300に至るのだけれど(バカだ)、その中に宗教や哲学に関するものはほとんどない。とくに哲学についてはタイトルで検索しても1件しかない。その1件も『マンガは哲学する』(永井均)で、正しくは哲学ジャンルの本ではない。

学生のころはやれヘーゲルだ、どれニーチェだウィトゲンシュタインだと人並みに哲学の本にも手を出したのだけれど、結局身につかず、当時読んだ本の多くは手元にない。
哲学の本に馴染まなかった理由はいろいろあるが(一番は、まあ怠惰でバカだから)、その1つに、よい入門書に出会えなかったことがあったような気がする。あくまで当時、の話だが──「〇〇哲学入門」とよさげなタイトルの本を手に読み始める、最初の章は「哲学とは」から始まってふむふむと読み進む、そのうち結局著者の専門、たとえばプラトン、キルケゴール、ニーチェ、ハイデガーに話が収束して、それぞれがいかに素晴らしかったかと論が進む──結局、「哲学」の全貌がよくわからない!

「東横のれん街、渋谷はこちら」「リーマンインタビューのメッカ、新橋SL広場」「実はパルコのある町、錦糸町」とポイントは詳しいが俯瞰した鉄道地図がない、そんな感じ。
なので、たとえばショーペンハウエルなど、読んだことはあるのにいまだに哲学というジャンルの中で立ち位置がどのへんにあるのかよくわからない。そもそも、たとえばカントとホッブスとルソーを一包みで取り上げることに意味はあるのか、可能なのか。

哲学はそんなお気楽なダイジェスト文化ではない!と叱られればそれまでだが、いきなり「プロの哲学者に、オレはなる!!」という気構えもない初心一読者に、入口のハードルが高すぎるのだ。

Photo_3 ・・・で、ここでようやく本題だが、河出文庫の『史上最強の哲学入門』、これが面白い。
哲学の歴史を上空からフェアに俯瞰する、という意識の持ちようがすがすがしいし、板垣恵介の人気格闘マンガ『バキ』にならって哲学者同士の対戦を意図した構成も素晴らしい。ともかく読みやすい、わかりやすい。

全体は「真理」「国家」「神様」「存在」の4つの“ラウンド”に分けられ、それぞれのテーマのもと、哲学者たちが勝ち抜き戦を行う。
たとえば「神様」を扱った第三ラウンドでに登場するのは、「楽しく生きたいから哲学者になったのだ! 真の幸福を見せてやる エピクロス!!」、「信者の前でならオレはいつでもキリストだ! 燃える教祖 イエス・ベン・ヨセフ 本名で登場だ!!」、「真理を探しに宗教へ入ったッ! 教父アウグスティヌス!!」、「真理のベスト・ディフェンスは神学の中にある! スコラ哲学の神様が来たッ! トマス・アクィナス!!」、そして「神殺しは生きていた! さらなる研鑽を積み人間狂気が甦った! 超人!! ニーチェだァ────!!」・・・

もちろんこれだけではわかりにくいだろうが、要するに誰かが「真理」「国家」「神様」「存在」についてナイスアイデアを提示、しかしそれに欠陥、弱点があるなら後人がそれを指摘、反論、ないし凌駕するナイスアイデアを提示、さらにそれを上回るナイスアイデアが、といった具合に哲学の大きな流れを説明していくわけである。
第三ラウンドのラインナップだけでも、時代や派閥にこだわらず、「神」というテーマにそっての人選、格闘戦を想定していることがうかがえ、流して読むだけでも十分楽しい。
(もっとも地のテキストはオーソドックスな柔らかい紹介文で、実際に哲学者同士がリングの上でディベートするとか、そういうわけではない。そこはちょっと残念。)

こうした構成をとったことで、読み手は、ギリシア時代からのさまざまな思想への取り組み、それぞれの進歩、限界をわかりやすくとらえることができる。実際、風呂につかりながらライト小説を読む程度の労力で、すらすら頭に入るのである。

本書は、哲学を専門に勉強、研究されている方にはもしかしたら当たり前のことを薄く書き並べた程度の本なのかもしれない。そういう書評も見かけないわけではない。
しかし、その当たり前のことを1冊でわかりやすく示してくれる入門書が意外と少なかったこともまた事実なのだ。
学生時代に本書のような楽しい哲学入門書にめぐり逢えていたならば!!
──いや、やっぱり深追いはしなかったとは思いますが。

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