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2019/03/14

もうどこにも いかんとぞ 『老境まんが』 山田英生 編 / ちくま文庫

Photo昭和の中期、週刊プレイボーイが青少年のリビドーの吐き出し先として権威を誇っていたころ。未来世界を予測する記事には繰り返し「週刊オールドボーイが老人に人気」という(面白くもない)ジョークが書かれたものだ。
実はこの予測は当たっていて、今や紙媒体の週刊誌の多くは誌名は昔のまま老人専用誌とあいなった。試しに週刊現代なり週刊ポストなり、1冊手に取って目次を見ていただきたい。スキャンダルやスポーツ記事を飾るは昭和に活躍したご老体、ガンに血圧の健康記事、昔アイドルの復活グラビア……。

では、かつて「少年マンガ」「少女マンガ」の2枚看板のもと、少年少女の活躍、恋愛を描くを旨としたマンガ誌はどうなっているのか。

老人向けと明示された雑誌こそ不勉強にして知らないが、個別の作品ではいくつか老齢、老境をテーマとしたものが思い当たる(煩雑なので列挙はパス)。
そんな老人を描いたマンガに着目したアンソロジーがこのたびちくま文庫から発刊された『老境まんが』である。

収録作は以下のとおり。
掲載順ではなく、発表年月日順。一番古い「ざしきわらし」が1963年、「ペコロス」が2014年。60、70、80、90、00、10年代とそれぞれ1~数作ずつのバランスのとれた選択。

 「ざしきわらし」白土三平
 「生命(いのち)」永島慎二
 「なまけ武蔵 ─晩年の武蔵─」水木しげる
 「長八の宿」つげ義春
 「ふじが咲いた」楠勝平
 「武蔵」つげ忠男
 「垣根の魔女 御身大事に…」村野守美
 「ブラック・ジャック 湯治場の二人」手塚治虫
 「田辺のつる」高野文子
 「水茎」一ノ関圭
 「極楽ミシン」近藤ようこ
 「欅の木」谷口ジロー
 「五月の風の下」うらたじゅん
 「ペコロスの母に会いに行く(抄)」岡野雄一

一読、違和感を感じたのは、老人たちがいずれやたら元気なこと。どちらかといえば、いまだ元気、しかし時にはかない、が多い印象。
少年誌などで老人の徘徊を描くわけにもいかなかったろう。
足腰、会話がしっかりしているだけでなく、たとえば認知症の老婆を少女の姿で描いた高野文子「田辺のつる」も作品としては秀逸だが、認知症はこんな均等、健全なものではない。

もう一つ、そもそも実年齢が若い。
近藤ようこ「極楽ミシン」に登場する女性たちは、しわや口ぶりで老婆扱いされるものの、「平均寿命まであと二十年ちょっと」のセリフからせいぜい60歳前後。年金や施設について気にはなるが、徘徊や寝たきりがリアルとなるには多少余裕がある年齢だろう。

考えてみれば、1960、70年代には作者たちもまた若かった。若者から見た老いを描くのが精いっぱいだったに違いない。実のところ、老境というのはもっと曖昧で、混乱と後悔と愚痴と強欲が薄く濃くまだらに表れたりかすれたりよじれたりするものだ。

その意味で2000年以降に描かれたうらたじゅん「五月の風の下」、岡野雄一「ペコロスの母に会いに行く」は格段に的確に老い、認知症を描いているように思われる。

今後、マンガの読み手の高齢化に伴い、こういった作品のニーズはより多くなっていくのは間違いないだろう。
ただ、それを読んで楽しいかというと必ずしもそうでもない。つらいところではある。

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