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2019年2月の8件の記事

2019/02/28

〔短評〕 『これは経費で落ちません!(5) ~落としてください森若さん~』 青木祐子 / 集英社オレンジ文庫

Photo_2シリーズ最新刊出来。
以下は書評ではなく、ただ刊行のお知らせ……の、つもり。

今回は森若さんをめぐる天天コーポレーションの社員たちそれぞれを主役とした、いわゆるスピンオフ短篇集。
なので、森若さん当人の出番はあまり多くない。
また、スピンオフなので、第1話、第2話となんとなくヌルい……と思っていると、第3話でいきなり冷や水をぶっかけられる、もはやこれはお約束の展開。怖い、怖い。

前回、このシリーズは新しいミステリのかたち、といったようなことを書いたが、そういえばほんの少し似たミステリがあったことを思い出した。クリスティの短篇集『謎のクィン氏」に登場するクィン氏がある意味これに近い。
クィン氏はただそこに居合わせるだけ(実在するかすらおぼつかない)、ただ彼の存在に示唆された語り手がそこに事件を見い出し、謎を解き明かす。

もちろん森若さんは優秀だがヒラの一経理部員にすぎず、若い女性ならではの悩みもつきない。
しかし、優秀な彼女が厄介ごとを避けようと最短の解決をはかるとき、そこには社内の不正や不倫があぶり出され、人間関係が壊され、あるいは再構築されていく。それを追及するか見逃すか、つまり「落とす」か「落とさない」かは森若さんの業務認識がすべて。

女神の領域である。

2019/02/27

和解への遠い道のり 『不気味な物語』 ステファン・グラビンスキ、芝田文乃 訳 / 国書刊行会

Photo巻末の著者紹介によればステファン・グラビンスキ(1887-1936)は「ポーランド文学史上ほぼ唯一の恐怖小説ジャンルの古典的作家」、とのこと。
そもそもポーランド文学とは? と、まずウィキペディアを引いてみた。

ヘンリク・シェンキェヴィチ『クオ・ヴァディス』、イェジ・アンジェイェフスキ『灰とダイヤモンド』、スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』──いずれも名作だが、並べても今一つ共通項が思い浮かばない。これにショパンやキュリー夫人を加えても同様。

そこでグラビンスキだが、『不気味な物語』には12篇の恐怖小説が取り上げられている。

オーソドックスな怪談から散文詩的な掌編まで、いずれも悲劇的な結末にいたる経緯は理解できるものの、総じてやや読みにくく、細部が頭に入りづらい。100年も昔の衒学的文体のためとも推察されるが、主語の位置など、翻訳の工夫次第でもう少しわかりやすくなったかも、と思われなくもない。

  私のぼんやりした視線は歩道の両側に並ぶシナノキの列に沿って移動し、その二列の並木は建物の入口まで続いていた。(「シャモタ氏の恋人」)

  ストスワフスキを救う可能性を私は完全に疑っていた。彼が陥った状態は、快復の道を夢見るにはあまりに限度を超えた形を取っていた。(「サラの家で」)

  こうして姿を変えた住まいは貧困すれすれの奇妙な簡素さという性格を獲得した。(「視線」)

3例とも適当にページを開いて抜き出したものだが、いずれも直訳の度合が過ぎ、日本語としてすんなり流れない。そのため往々にして読み手の理解が妨げられる。
(ただし、こういった比喩や熟語の多いひねくれた文体は、やや古風な翻訳作品にはそれなりに似つかわしく、割合容易に結末を推察できるありきたりな怪談でもそれなりに「文学を読んでいる」気分にさせてくれるというメリットがあって一概に全否定はできない。)

本作に納められた恐怖小説の特徴の一つは、各話とも登場人物のグロテスクな死で終わることにある。
日本の怪談でいえば、日常のちょっとした怪異を語る昨今の実話怪談より、「東海道四谷怪談」や「牡丹灯籠」をイメージするとよほど近い。

もう一つ顕著な特徴は、各話ともやや過剰なエロティック描写で飾られていることだ。
オーソドックスな恐怖小説やミステリなら「○○は△△をかき抱いてキスをした」「その夜二人は結ばれた」程度の遠回しな表現ですませたところを、はっきり「行為」を想起させる内容になっているのである。

もちろんエロティックといっても昨今のポルノ小説ほどではないが、たとえばエロスの香あふれると評されるドラキュラやカーミラに比べても、表記がそれぞれ具体的かつ生々しい。

  私は自制を失った。いきなり彼女を両手でつかんだが、抵抗は感じず、愛の熱情の中、寝台に投げ込んだ。すばやく捕らえがたい動きで、彼女は肩から琥珀の留め具をはずし、私の前で貴重なすばらしい己の躰を露にした。(「シャモタ氏の恋人」)

  「愛する君!」ウニンスキは答え、彼女の胸の魅惑に満ちたつぼみに唇を這わせる。(中略)「母が来るわ」スタハは抱擁から抜け出し、すばやくブラジャーを留める。(「和解」)

  突然、彼女は両足を巻きつけて、彼を抱き寄せた。(中略)屋根裏に短く痛々しい叫び声が響き、それから二回目、三回目が聞こえ、そして静かな長いむせび泣きになった……。(「屋根裏」)

ほかにも、不倫相手にその性愛の技法を教わったのは誰からかと責め立てる(「偶然」)、修道院の廃墟を訪ねて以来怪しい影に追われるようになった主人公が目にする男根の影(「投影」)、等々、多くの作品においてエロティックな行為が(ある意味怪異以上に)具体的に描写され、さらにそれが物語展開上の重要な要素となっている。

これらの作品はどのような場所(雑誌?)に発表されたのだろう。訳者の解説にはそのあたりは触れられていない。エログロナンセンスな作品の並ぶ煽情的な三文誌だったのか、ある程度アカデミズムから評価される堅苦しい場だったのか。
こういったエロティックな要素は、作品そのものを面白くしている場合もあるし(上のウニンスキとスタハの例など、この瑞々しい一連の性愛描写がなかったなら「和解」という短篇の魅力は半減するだろう)、逆に一部の作品のようにあまりに具体的描写にこだわりすぎてもう少し迂遠にしていただけたらと思われるものもある。

いずれにせよ、豪華函入りハードカバーの安価とは言い難い本ではあるが、楽しい読み物ではあった。
とくに鉄道を舞台に奇妙かつ情熱的な不倫とその破綻を描いた「偶然」、その夫婦の次元を超えた(宇宙的?でさえある)和解を描いた先述の「和解」、この連作にはかつで味わったことのない不思議な高揚、否、恍惚さえ覚えた。

──ただ、いくら国内外で再評価が高まっているといって、〈ポーランドのポー〉〈ポーランドのラヴクラフト〉はさすがに言い過ぎだろう。大物の名を出せばよいというものではない。

2019/02/18

もう良か 『最後のレストラン(12)』 藤栄道彦 / 新潮社 BUNCH COMICS

Photo「懐かしさ」「やるせなさ」との感想に続いて、『最後のレストラン』新刊に感じたのは、隠しようのない「すさみ」のようなものだった。

前回も書いたが、『最後のレストラン』は、偏屈で厭世的なシェフの商うフレンチ・レストラン「ヘブンズドア」に毎回死を目前にした歴史上の偉人がタイムスリップして現れ、彼らが満足する人生最後の一皿を提供しなければならない──という設定。
今回はフィリピンの革命家ホセ・リサール、西郷隆盛、明智光秀、マケドニア王アレクサンドロスⅢ世の4人が登場する。

ストーリーはいずれもギャグを刻んだなごみ系、人の道を説いて前を向き、ある意味道徳の教科書的ですらある。作者は熱意と努力をもって歴史上の人物を調べ、コマ中にその人物の業績と思いを焼き付ける。

──にもかかわらず、いくつかの章を読み終えて残るこの殺伐とした、すさんだものはなんだろう。

決して作者のせいではない。
登場する人物はいずれも歴史上の偉人ではあっても、その死は必ずしも満足な状況下にはない。むしろ敗北や裏切りを受けての屈辱的なものであり、最後の食事に満足しても無念の死であることに変わりはない。

「ヘブンズドア」で供される最後の食事、置き換えればそれは「末期の水」だ。
世界に相対し何かを成し遂げんとした人物であればあるだけ、志半ばに死を迎えたときに口に含む末期の水ははたしてどのような味がするものか。

作者はその水を甘露たれ、と祈る。描く。だが、、、、

2019/02/14

イエスタデイ・ワンス・モア 『オリオンラジオの夜 諸星大二郎劇場第2集』 諸星大二郎 / 小学館

Photoここ数年の諸星大二郎の単行本は、正直、食い足りない印象のものばかりだ。

やむを得ないことかとは思う。
彼の手掛けてきた作品の方向性、たとえば考古学者 稗田礼二郎を語り手とする歴史・伝承ホラー、中国伝奇に想を得た奇譚、クトゥルー神話のパロデイ、異界を描くバイオSF、などなど(この切り分けそのものが難しい。たとえば長編『MUDMEN』は何なのか?)、そのそれぞれのベクトルにおいて圧倒的な作品を舐めるように読み返して我々は、もはや多少のことでは驚かなくなっているのだ。

ビッグコミック増刊号で掲載された短篇をまとめた「諸星大二郎劇場」、第1集の『雨の日はお化けがいるから』も、「すでにどこかで読んだような」、ばたついた短篇集だった。

最新刊『オリオンラジオの夜』はその「諸星大二郎劇場」の第2集で、こちらも残念ながら1冊を通すと同じ作者の最高水準にはほど遠い。
それでも、収録8篇のうち6篇を占める「オリオンラジオ」シリーズ、これは奇妙なやるせなさに満ちている。晴れた冬の夜、限られた場所でしか聞くことのできないラジオ放送、そこから流れる洋楽(主に60年代、70年代のヒット曲)が登場人物の人生を静かに狂わせ、隠された事実を明らかにする。
親しい者が消えていく物語の中で、発信者も発信元もわからないオリオンラジオばかりがかすかに響く、そのうら寂しさは当時ノイジーな深夜放送に一生懸命チューニングを合わせた者には共感を得るに違いない。

逆にいえば、ラジオの深夜放送を聞く、そこで初めて耳にする洋楽ヒットに胸をときめかす、そんな経験のない(さらに作中のヒット曲タイトルにまったく聞き覚えのない)最近の読者にはとっかかりのない作品集かもしれない。
もとより、諸星大二郎に「万人受け」など誰も期待していないのだが。

2019/02/11

『からかい上手の高木さん』(第10巻) 山本崇一朗 / 小学館 ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル

なんて商売が巧いんだ。買ってしまいましたよ「卓上日めくりカレンダー付き特別版
だって、今年4月から来年3月まで、うるう366枚、日めくりで毎日高木さんだもの。

付録はもちろん、単行本本体も、相変わらずの高木さんに西片くんでイチゴの甘さ、レモンの痛み。
今回では授業中にやり取りする手紙を描いた「縦読み」が逸品。

それにしても新刊を読むたびに懐かしさに胸打たれる、不思議ふしぎ。

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2019/02/07

新古典 『カササギ殺人事件(上・下)』 アンソニー・ホロヴィッツ、山田 蘭 訳 / 創元推理文庫

Photo「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「本格ミステリ・ベスト10」「このミステリーがすごい!」と、ミステリ4賞の海外部門第1位を独占(初)、書店店頭には平積み。今さらの『カササギ殺人事件』だが、いちおう「読みました」のスタンプ代わりに(ラジオ体操の出席スタンプか)ちょこっとだけ書いておこう。

上・下巻、上巻はアガサ・クリスティへのオマージュに満ちたイギリスの田舎の村を舞台にして「名探偵」が活躍するミステリ小説『カササギ殺人事件』、下巻はその『カササギ殺人事件』の原稿の結末部の紛失を契機に、作者を塔から突き落とした犯人を編集者が追う現代的なサスペンス。

これ以上は何を書いてもネタバレになってしまうが、この手の作品内作品を扱ったミステリとしては緻密な構成、雰囲気ともに非常によく出来た作品で、ことにいわゆる「黄金時代」のミステリファンなら手に取って決して後悔はしないだろう。

しいていえば、綾辻行人以降の「本格推理」、いわゆるパズラーを好む方には少し古めかしく思われるところがあるかもしれない。作者との嗜好の違いなのだから、それはもうしょうがない。

後半、英文のままでないと理解、推理できないところが少なからず出てくるが、それを日本語に落とし込んだ訳者の努力は驚嘆に値する。ただ、作中に隠された小ネタ(地名や宿屋の名前がクリスティの作中から取られている、など)については、クリスティ、そして本作を原文で読める者でないと気がつかない、楽しめない、という限界はあるだろう。
たとえばタイトルに用いられた「magpie(カササギ)」には、カササギの習性から「おしゃべり屋、収集癖のある人」という意味もあるらしい。作者はそのあたりを意図したのかどうか? などなど。一部の岩波文庫のように本文を上回るボリュームの解説があればよい、というものでもなし、それもまたしょうがない。

2019/02/06

30行でゆがむ 『現代百物語 終焉』 岩井志麻子 / 角川ホラー文庫

Photo岩井志麻子による実話怪談集『現代百物語』、10巻をもって終焉。

このシリーズでは1巻につき99話、10巻合わせて990話がすべて文庫書き下ろしで発表されてきたわけだが、掲載怪談はいずれも2ページ見開き、本文30行にきっちり納められている。
その30行の中で、話者紹介、本文、それに著者の感想ないし後日談が添えられてその密度、品質に各話揺るぎがない。

たとえば、ある話で、語り手は

  同世代の彼は、ある地方の開業医の息子だ。

と紹介される。

読み手の誰しもが岩井志麻子の年齢を詳細に知っているわけはない。『ぼっけえ、きょうてえ』が話題になってからでも久しいので、「同世代」といえば中年、といったところか。
「ある地方」とあるからには東京、大阪など大都会ではないのだろう。とはいえ、怪談を語る際、極端な田舎、過疎地域ならそう断りが入ることが少なくないので、地方都市、といったところか。
「開業医の息子」という言葉から比較的裕福に育ったこと、また本人は医者ではなさそう、と窺える。

──どうだろう。たった20文字で、その後に続く怪異(というほど怖い事件があるわけではない)への導入に過不足なし。

これは、個々の怪談を見開き2ページに畳む作業的な意味のみならず、こうした巧みな凝縮性が、語られた人物、出来事への漠然とした恐ろしさを膨らませる、そんな効果にもつながってはいないか。
ほんの少し会話がかみ合わない、あるはずのない写真があった、など、その程度の出来事が著者の削ぎ落とした文章で語られるとき、もしかすると本当は凄まじく恐ろしいことが起こっているのでは、と怪しいものがこちらの手元で広がるのだ。

さらに、多くの話において、最後の2、3行が怖い。

著者は、幽霊が、生霊が、謎の出会いが、といった直接的な怪談を聞き語った後、話に応じて以下のような感想を述べる。

  それを語ったその人のほうが怖い。

  その話をした女性が誰だったか、その場にいた誰も思い出せない。

  それを語った彼は、実は事件の当事者ではなかったか。

などなど。

そのとき、『現代百物語』は、聞きかじった(あるいは無理やり創作した)凡百の実話怪談と、薄皮1枚隔てて全く別のものと変容する。
語られる怪異そのものはそう新味でもないのに、『現代百物語』各巻が捨てられず、もしかして何年かのちに読み返すと思いもかけない新たなイやなものになぶられるのではないか、そんな気がしてならない所以である。

2019/02/04

心外だなぁ 『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(13)』 原作 草水 敏、漫画 恵 三朗 / 講談社 アフタヌーンKC

Photo待望、『フラジャイル』新刊。

前巻にて助手的立場から一つ独立宣言を果たした宮崎智尋医師のように、本作自体、すでにどこかでブレークスルーを興していたわけだが、それは同時に智尋と同じように、もはや引けない、戻れないステージに自らを無理やり押し上げたことである。

第13巻では幕間にあたる掌編を挟み、改めて新たな大ネタにあたるが──ネタバラシをしてしまうなら、今回のテーマは宇和島徳洲会病院の万波誠医師の治療行為で訴訟を含む社会問題となった無許可での病気(修復)腎移植のバリエーションである──腎不全に苦しむ患者数に対して、生体死体合わせてドナー提供者の数は圧倒的に不足しており、病気腎移植の是非について議論は現在も続いている。すでに史実のあるこの難しいテーマを本巻、次巻にかけてどう描き切るか、作者の手腕が問われる。

──と、作品を読んでない方にはおよそチンプンカンプンな書評を書いて投げ出すのは、少なくとも医療マンガに興味のある方なら『フラジャイル』はもはや必須、必読と考える由。

ついでに。
全国の医学生の皆さん、今週末に控えた医師国家試験を終えたなら(お疲れさま!)、やれ卒業旅行、やれ引越しと浮かれる前に書店に走って『フラジャイル』を全巻買い求めよう。ここには国試には出なくとも、いずれあなた方がぶつかる問題が、そのまま問われている。模範解答は、ない。

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