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2018年11月の5件の記事

2018/11/29

〔短評〕 『力士探偵シャーロック山』 田中啓文 / 実業之日本社文庫

Photo_2正統派パスティーシュたる『シャーロック・ホームズの蒐集』に対して、こちらはいわゆる「パロディ」、戯作のたぐい。

作者自ら
「相撲もホームズもリアルさからほど遠いものであって……(中略)……だから、この本を読んで、リアリティがないと感じたあなたは大正解」
と、もうどうでもサンマの開き直り状態で、そうまで居直るものを責めるのもどうかと思うが、それにしてもリアリティ以前に。

収録短篇のタイトル「薄毛同盟」、「まだらのまわし」に笑える方は読んでみてはいいかもしれない。でも、本文中にこのタイトルより笑えるところがあったかというと、さあ。

2018/11/26

来訪者だぞ、ワトスン君 『シャーロック・ホームズの蒐集』 北原尚彦 / 創元推理文庫

Photo上質なホームス・パスティーシュ集。

ちなみに、日暮雅通による単行本版解説によれば、
「正典と同じテイストの贋作をめざすものをパスティーシュ、風刺や嘲笑的なもじり、戯作のたぐいはパロディとするのが、現在よくおこなわれている大まかな分け方」
とのこと。作者の北原尚彦も単行本版あとがきの中で
「あくまでそれらしく書くのがパスティーシュで、茶化したりホームズもどきを登場させたりする『パロディ』とは区別されます」
と記している。

厳密な定義はともかく、この『シャーロック・ホームズの蒐集』は、ドイル翻訳家、ホームズ・ファンで知られる北原尚彦によるホームズ・パスティーシュ集である。ホームズとワトスンが登場し、ベイカー街221Bの下宿の階段を登ってやってきた依頼人に応えて事件を解決する。

短篇6作、一読、声が漏れる。素晴らしい。

ホームズ・パスティーシュの作家というと、たとえばエドワード・D・ホックジューン・トムスンが知られるが、ホックの場合、謎やトリックにキレがありすぎて、つまりどうしてもホックのテイスト、クオリティが出てしまって、そこが気になる。
ホックをはじめ何人かのベテランミステリ作家によるホームズ・パスティーシュのアンソロジーも多々あるが、その個々の収録作が短篇ミステリとしてそれぞれよく出来ていてもアンソロジーとして案外面白くないのは、いかにドイルにならったつもりでも、一人ひとりの作家の色がわずかずつにじみ出てしまって、一冊通して読むとドイルの書いたものとは到底思われなくなってしまうからである。

その意味で本書は、一冊通して一人の優れたシャーロキアンが書いていること、プロパーのミステリ作家ではないため自身の色にこだわらず、ドイルが書いた作品の型をそのまま追うことが出来ていることに力がある。
一つひとつの短篇の展開、小道具、ときに本格ミステリとしては緩く、ズルい展開、ときに科学や社会改変への期待が込められ、ドイルの作品集にあっても遜色ないように思われた。

たとえば「憂慮する令嬢の事件」など、本来ドイルの正典には決してありそうもないストーリーではあるが、この登場人物の冷静さ、正義感など、まさしくホームズの物語が発表当時から現代まで愛され続けているベクトルを正しく模写したものと感じられた。
北原尚彦がドイルの書きそうなものを書いたのではない。ドイルが書くべきだったものを北原が書いたのである。

2018/11/22

楽に死ねると思うな 『増補 へんな毒 すごい毒』 田中真知 / ちくま文庫

Photo先日取り上げた『とんでもない死に方の科学』の「世界一有毒な物質を口に入れたら」の項、ポロニウム210やボツリヌス菌の働きがあまりにも峻烈だったので(※)、毒についてもう少し読んでみることにした。

『へんな毒 すごい毒』、単行本は2006年の発行(技術評論社)。
早川いくをの『へんないきもの』シリーズの登場が2004年だったことを思い起こすと、そのブームにあやかったタイトルかと推察される。ただし凡百の後追い本とは違い、内容はおよそ生真面目なものだ。

本文は
  毒のサイエンス
  動物毒の秘密
  植物毒の秘密
  鉱物毒・人口毒の秘密
  麻薬とは何か
  毒の事件簿
  毒と生物の進化
の7つの章に分かれ、それぞれの章でさまざまな毒の由来や毒にかかわる事件を紹介している。
毒性の強さ、体内に入る侵入経路、神経毒・血液毒・細胞毒といった分類、そして動物毒、植物毒、鉱物毒など個々の毒の特性、などなど。

その紹介の仕方は禁欲的なまでに総覧、列記的で、いわばジャンル別に整えた辞書、事典に近い。
一つひとつの毒について、なにから(どうやって)得られるか、どのような化学反応に基づいて体内で毒として働くか、などを数ページで紹介し、すぐ次の項目に移る。ヘビ毒、トリカブトやキノコ毒、青酸カリのように著名なものも、比較的無名なものも、同じ扱いである。
毒による一部の著名事件や人物を扱った「毒の事件簿」の章においても、ナポレオン暗殺、タリウムによる母親殺人事件、トリカブト殺人事件、地下鉄サリン事件など、いずれもせいぜい2~3ページで概略を紹介するにとどまる。

当然、個々の毒や事件については物足りない思いが残るが、逆に、この世界における「毒」の意味が(百科全書的でなく!!)俯瞰して見えてくるのが面白い。さらに最終章「毒と生物の進化」において、俄然、生物の進化における「毒」の存在意義、その重要性、進化の見事な構成が見えてくるのが痛烈だ。

何度も読み返すような本ではないだろうが、常に手元には置いておきたい。
ある日、わけもなく体調がおかしい、心臓が、呼吸が、というとき、どのような毒を盛られたか知らずに死んでしまうより、こういった書物を冷静に調べ、自分が何という毒の、どのような働きによって死ぬのかをきちんと把握して死んでいきたい。それが知識のあるべき姿である。

Knowledge is a deadly friend. (Epitaph)



※『とんでもない死に方の科学』によれば、近年発見されたボツリヌス毒素のH型は「点眼器でプールに一滴落としたあとで、プールの水をグラスに一杯飲んだら絶命するレベル」。しかも「知能や精神になんの影響も及ぼさない」、つまり「麻痺の波が体を下っていくあいだずっと、あなたは何が起きているかを一〇〇パーセント明晰に理解して」「あなた自身も医者も、それをなすすべもなく見ているしかない」とのこと。『へんな毒 すごい毒』では記述時期の関係か、まだこのH型への言及はなく(A型からG型までの7種のみ)、それでなお項目タイトルは「地上最強、ボツリヌス毒素」。

2018/11/12

待望の未刊行作品集 『春風コンビお手柄帳』『お下げ髪の詩人』『不思議なシマ氏』『ミス・ダニエルズの追想』 小沼 丹 / 幻戯書房

Photoあくまで個人的感慨とお断りした上で申し上げるが、この20年に限定したこの国の文学上、最上の出来事といえば、それは小沼丹(1918-1996年)の再評価だったのではないか。

作家小沼丹は「第三の新人」の一人とみなされている。しかし、華々しく活躍し、文学の外でも名をあげられることの少なくない安岡章太郎、阿川弘之、庄野潤三、遠藤周作、吉行淳之介、曽野綾子らに比べ、小沼作品は晩年、1991年の講談社文芸文庫『懐中時計』まで、文庫化されることすらなかった。
この一点をもっても、小沼が戦後作家の中でいかにマイナー扱いだったかが窺える。

その後創元推理文庫から漢字遣いも魅力的な連作推理短篇集『黒いハンカチ』(2003年)、未知谷から大部の「小沼丹全集」全5巻(2004-2005年)、同じく未知谷から未刊行長編『風光る丘』(2004年)がそれぞれ発行され、講談社文芸文庫からは現在まで順当に代表作の刊行が継続しており、(あの高価な)文芸文庫に絶版・廃刊の気配もないことから、この出版不況のさなかにおいて文学作品としてはそこそこ売れ行き好調なのではと推察される。

そしてそこに、今年2018年になって角川系列の幻戯書房(「幻戯」は角川源義氏のゲンギをなぞったものだそうだ)から生誕百年記念、未刊行作品集として

 『春風コンビお手柄帳 小沼丹未刊行少年少女小説集 推理篇』
 『お下げ髪の詩人 小沼丹未刊行少年少女小説集 青春篇』
 『不思議なシマ氏』(娯楽中短篇集)
 『ミス・ダニエルズの追想』(随筆集)

の4冊が続けて発刊された。続刊の予定もあるらしい。小沼ファンとしては望外の喜びである。
──というか、(未知谷を責めるつもりはないが)全集を経てなお、どれほど未刊行作品が野に置かれているのやら。

小沼丹といえば、(『懐中時計』がまさしくそうだが)身辺のさりげないあれこれをとぼけた文体で描くうちに人生の寂寥、哀感がしみじみとにじみ出る、そういった作風で知られている。
実際、今回の作品集の解説でも、以下の評価が記されている。

  今、小沼の本領とされるのは《大寺さん》ものといわれる後期の私小説だ。
   (北村 薫『お下げ髪の詩人』巻末エッセイ「春風は吹いているか」より)

  一九六三年(昭和三十八)年四月、作者四十四歳のときに妻の急死に遭ひ、心境に大きな変化が生じてのちのことである。作者の自筆年譜を見ると、「昭和三十九年五月、『黒と白の猫』を『世界』に発表。この頃よりフィクションに興味を失ふ」とある。
   (大島一彦『不思議なシマ氏』解説「小沼丹前期の作風について」より)

三行にまとめると、こうなる。

  小沼丹は飄々としたユーモアに溢れるフィクションで活躍。
  妻の急死にともない《大寺さん》を主人公とした私小説ふう作風に変貌。
  その後の人生の哀感を淡々と描く作風が高く評価されている。

2さて、ここでまたしても個人的な感想だが、小沼丹については、前期のフィクショナルな作品のほうにむしろ原石の魅力があるのではないか。

そもそも妻の急死で作風が変わったということになっているが、果たしてそうだったか。たとえば前期の『黒いハンカチ』では、主人公のニシ・アヅマ女史は明朗かつたおやかに見えてそのくせどこかうら寂しい影がつきまとう。その理由は連作の終わりごろに俄然明らかになるが、ここですでに伴侶にあたる者の死は作品の背中ごしに透かして重い。
今回発行された少年少女小説集、その収録作はいずれも当時の少女雑誌や学年誌の雰囲気を伝える素朴な味わいが懐かしいが、その作品の多くにおいても、実は死や別れは裏側にバイメタル然として静かに貼り付いている。そしてそれがストーリーの発端であったり、切ない結末であったりする。これは小沼作品全体を通して言えることである。

さらにいえば、後期の《大寺さん》シリーズを作者の言葉どおり「フィクションでない」とみなすことは本当に正しいのだろうか。
これらの作品の主人公がなぜ《大寺さん》であり、《僕》ではなかったのか。それは、小沼丹という語り手の「私」を描く私小説を装いながら、あくまでフィクションだったからではないだろうか。
実際、小沼にはイギリス留学時を語る『椋鳥日記』、師たる井伏鱒二の思い出を語る随想など、当人のリアルな日常を描く作品が多々あるが、これらの多くではとぼけた語り口はさておき《大寺さん》シリーズにある滋味のようなものが決定的に欠けている。つまり、作家個人の私生活をそのまま描いたからといって、そのままでは決して《大寺さん》にはならないのである。

もちろん、初期の初期、いかにも芥川賞を狙ったような純文学作品や、登場人物を妙ちくりんなカタカナで示したユーモア作品一つひとつのレベルは必ずしも高くない。
だが、いかにも昭和、の香り漂うそれらの背伸びし、バタバタした作品にときどきふっと落ちる影のベール、死の匂い、そこに小沼作品の本筋がある。それは《大寺さん》以前も、以降も、一貫しているようにも思う。何を隠そう、小沼作品は、初期も後期も総じてけっこう怖いのである。

2018/11/05

メメント・モリ 『とんでもない死に方の科学 もし●●したら、あなたはこう死ぬ』 コーディー・キャシディー、ポール・ドハティー 梶山あゆみ 訳 / 河出書房新社

Photo首がなくなったら、死ぬ。でも、首がなくなったら死ぬのはなぜ?
樽の中に入ってナイアガラの滝下りをしたら、かなりの確率で死ぬ。どんなふうに?
無数の蚊に刺されつづけたら、死ぬ。どのくらいの蚊なら?

などなど、さまざまな「もし●●したら」を説き起こして
「そんなことも知らずに、やれ死なばもろともだとか、死んでお詫びなどと言っている日本人のなんと多いことか」
「今こそ全ての日本国民に問います!」
と人の死に方を苦味まじりのユーモア&スピード感あふれる文体で教えてくれるのが本書。
いちいちの死に方について
「ボーっと生きてんじゃねえよ!」
などと湯気を出すこともなくあくまで科学的に教えてくれるので滝から飛び降りるか裸で蚊の群れに飛び込むか、などなどいつか訪れる死に方の参考にしたい。
図説 死因百科』と併せて一家に一冊、常備をお奨めだ。

内容は実生活にあり得そうな「もし●●したら」から、
「コンドルに育てられたら」
「アメリカから中国まで穴を掘ってその中に飛び込んだら」
「休暇を取って金星に行ったら」
など実際には(少なくとも今後しばらくは)なさそうなものまで、シナリオは全部で45。
個人的にはほんのわずかな量でじわじわと死にいたる
「世界一有毒な物質を口に入れたら」
の章がいやもう。
もう一つ、
「『プリングルス』の工場見学をしていて機械の中に落ちたら」
も閲覧注意。
そういえば
「生贄として火山に投げこまれたら」
だって、長生きしていればそのうちないわけでもなかろう(そうか?)。

著者のコーディー・キャシディー氏はスポーツライター、ポール・ドハティー氏は物理学者。という組み合わせのせいか、いわゆる病気による死はほとんど取り上げられていない。ところがドハティー氏は本書出版後まもなく癌で亡くなった。病床で彼が考えた「死に方」はどんなものだっただろう。
合掌。

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