フォト
無料ブログはココログ

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月の6件の記事

2018/10/29

〔メモ〕 『バーナード嬢曰く。』(第4巻) 施川ユウキ / 一迅社 REXコミックス

Photo_2〔短評〕でさえなくてただの〔メモ〕でごめんね、あの『バーナード嬢曰く。』の新刊、出ていました。8月かな。
さっき本屋でたまたま見つけるまで気がついていませんでした、ごめんごめん。
作中で紹介された本のいくつかを「そんな本あったのか!」「スルーしてきたがやはり読むしかないか!」とあれこれAmazonで注文しなくちゃいけないので、今日はとりあえずひとつ前の3巻より小ネタ中心でイマイチだったかなとかでも59冊目の【渚にて】の話はよかったなとかいちいち感想書いているヒマがないのでお知らせだけ。すみませんすみません。

〔短評〕 『アレンとドラン』(現在2巻まで) 麻生みこと / 講談社 KC Kiss

Photo引き出しの多いリーガルコメディの快作『そこをなんとか』(最新は14巻)、その麻生みことの新作。

主人公はマイナー映画をこよなく愛する田舎出身サブカル女子大生の林田(リンダ)。
登場して3ページめの吹き出しが

  立川で
  爆音フランソワ・
  オゾン特集上映が
  今日までなんだよ

なんですかそれ。なので当然林田は浮いて沈んで今日もぼっち。ところが隣の部屋に──というそこは伝統の少女マンガ、お約束の展開。もちろん隣にイケメンが住んでいたからといって昨今の少女マンガはすぐに仲良くなったりはいたしません。

ただ、マイナー映画のあれやこれを香辛料にするにはいくらなんでもマンガは非力、アレンが誰でドランが何で、林田がなぜそれらに魅かれるのか、魅かれるそれらはどんなものなのか、それは『アレンとドラン』を丁寧に読んでもカケラも伝わってこない。

だからマイナー映画好みというのは周囲から引かれるマイナーな素材ならなんでもよかった、実際1巻では通常の会話の中にいきなり

  『ゴーストワールド』の
  イーニドっぽくて

とかあったものが、2巻では早くも林田がサブカル女子であるという設定などほとんどあってもなくても大差なし。
とことん弁護士という仕事、法律相談というテーマにこだわった『そこをなんとか』の求心力、その重力に対し遠心力として働く恋愛感情のあれこれに比べれば作品として弱い印象は否めない。
その分、1話完結でどこで読み終えても平気な『そこをなんとか』に比べ、登場人物たちの心理葛藤、言葉の殺陣がキレッキレで大人向け少女マンガとしての精度の高い『アレンとドラン』は主人公と隣室の青年江戸川、また大学ゼミの教官との今後がどちらにどう転がろうが楽しみ楽しみ楽しみ。

2018/10/25

出会いを逃す 『死の島』(上・下) 福永武彦 / 講談社文芸文庫

Photo本作が発表されたのが1971年。その少しあとから書店の棚の函入りハードカバー上下巻がずっと気にはかかっていた。
平成も終わりのこの年になってようやく(講談社文芸文庫版で)手に取り、読み通すことができたわけだが、学生のころに読んでいたなら、きっと、もっと──という覚めた思いは否めない。

力作である。
おそらく、戦後日本文学の頂点の一つと評して大きく間違いではないだろう。

表向きの語り手は若い編輯(編集)者にして小説家志望の相馬鼎。彼が知り合った二人の女性、広島で被曝した画家・萌木素子、そして素子と同居する清楚な相見綾子、その二人が広島で心中をはかったとの報に相馬は急ぎ東京から広島に向かう(終戦間もなく、新幹線のない時代設定である。念のため)。

『死の島』は相馬が東京を発って広島に向かうその1日の物語であり、相馬が画展で素子の絵を見、書籍の表紙画の依頼を言い訳に足しげく素子と綾子の下宿に通うようになってからの1年の物語であり、さらに相馬が彼女たちをモデルに仕立て上げた小説の草稿、素子本人や綾子を愛した男らの心象風景、これらを数ページの細かな章に切り刻み、カットバック手法で縦横に並べ立てた実験小説である。

通常の長編小説のように起承転結、序破急の構成をとらず、その上、随所に

  わたしの声はいつになくやさしかったが、やさしい声以外にどうやって死者に呼び掛けることが出来るか。本当はわたしはこう言いたかったのだ。綾ちゃんは死んでいらっしゃい、わたしもすぐに死ぬから、と。まるでわたしがまだ死んでいなかったかのように。

といった暗喩に満ちた散文詩的表現が用いられ、読み手は短い章のことごとに緊張を強いられて流し読みが許されない。

もし、この作品に、甘々と文筆家に憧れた学生のころに出会っていたなら、この密度、構成、実験性に徹底的に圧倒されてよくも悪しくもくさっていたに違いない。
ただ、今となってはこの複雑な構成は少し余計なものに思えてならない。相馬、素子、綾子の三者の心理は三面鏡を合わせたような整合性を示すわけでなく、さりとて互いに止揚し合うわけでもなく、頓狂な相馬はとことん素子、綾子の心理に遠く及ばぬ心理音痴、綾子は最後まで人物設定がぼんやり不明確なのだ。
ことに、最後まで読んでも綾子がなぜ素子と最後の行動をともにしたのかわからない。綾子は相馬から見えているほど清楚でも愛らしくもなく、かといって生命力に溢れたイメージもなく、ただ漠然と人生に飽いた程度の印象。そもそも駆け落ち、同棲に失敗したお嬢さまの問題と、20万人の死傷を目の当たりにした苦悩を同等にリンクさせるのは無茶だろう。

相馬や綾子は愚かな狂言回しに控えさせて、徹底的に素子が死を見つめる物語にしてしまえばよかったのではないか。ただ、そうしてしまうと、実は1970年当時は、平成末の現在とは桁違いに広島、長崎の原爆の悲惨を直接扱う表現作品が少なくなかった。

  「オ水要リマセンカ、オ水デス。」

とカタカナで描かれる被曝の描写は苛烈だが、ただそれを描くだけではおそらく文学にはなり得ない。福永武彦はそう考え、素子の物語をただその素材のまま提出することができなかったのではなかろうか。その屈折に、大仰とわかってはいるが文学の敗北、なんてことを考えざるを得ない。
──ああ、いやだ、いやだ。やはり学生のころに読むべきだった。

2018/10/22

『ハーン ─草と鉄と羊─』(現在3巻まで) 瀬下 猛 / 講談社 モーニングKC

Photo昨夜のNHKスペシャル 平成史スクープドキュメント 第1回「大リーガーNOMO ~“トルネード”・日米の衝撃~」はよかった。

日本プロ野球機構に抗い、日本人選手として初めて大リーグに挑んだいきさつ、大リーグでの(2度のノーヒットノーラン含む)活躍の軌跡、それらももちろんだが、久しぶりに見る野茂のトルネード、投球フォームとその球スジの見事さに圧倒された。

闘いの瞬間を切り取れば、その勝者は美しい。
今回のような当人を招いたドキュメンタリーも悪くはないが、野茂がノーヒットノーランをしてのけた2つの試合をそのまま放送してくれないものだろうか。それは百万の言葉より何より雄弁な作品になるに違いない。

そこで、『ハーン ─草と鉄と羊─』だ。
本作はモンゴルを統一し、アジアに一大帝国を築いたチンギス・ハーンが、実は兄・源頼朝に追われた義経である、との伝説をもとにした記録である。
モンゴルの英雄が実は日本人、などと、失礼といえば失礼千万な設定であるが、1巻最初の40ページばかりのスピード感をもってそこを突破し(もちろん、日本人にとって都合よく、ということだが)、あとは草原の闘争を描くばかり。

作中、義経=テムジン=チンギス・ハーンは概ね寡黙であり、感情移入しやすいキャラクターとは言い難い。なぜ大陸を統一しようと考えたか、など、唐突、わからないことだらけだ。

思い起こせば野茂も寡黙で、だから近鉄をやめて大リーグに挑戦した当初は一部のマスコミを除き、なかなか共感を得られなかった。野茂が圧倒的な人気を得たのは、ドジャースの一員として先発し、あのトルネードをもって大リーグの強打者をばったばったと三振にしとめた、その試合からだ。
だが、野茂は本当に「共感」を得ただろうか? イチローも松井も大谷も、応援はできたとしても、「共感」などという甘やかなつながりのの外にい続けているのではないか。

『ハーン ─草と鉄と羊─』も、今のところはただ、テムジンの闘いを見るべき作品である。
次の単行本に収録されるかどうかわからないが、先週のモーニングNo.46掲載の回では、テムジンは一度も言葉を発せず、腕と拳だけで自軍を指揮し、仇敵タイチウトをなぎ倒すにいたった。

野球と同じ。それがエースの仕事だ。

2018/10/11

〔短評〕 『恋する母たち(3)』 柴門ふみ / 小学館 ビッグコミックス

3現在女性セブン(小学館)に連載中の柴門ふみ『恋する母たち』は、息子の進学高校落第危機をめぐって知り合った3人の母親たちが、それぞれ結婚生活や夫以外との恋愛関係に苦しむ──つまるところこぞって「不倫」の話であり、その絵柄の荒っぽさ含め、やや引いてしまう面は否めない。

もともと柴門ふみの線描、人物像、ストーリ展開、恋愛観などなどには、出世作であるヤングマガジン『P.S. 元気です、俊平』連載当初(1980年頃)より、なんというか体力的についていけないものを感じていた。

ただ、苦手に感じる一方で、作中にあふれるバイタリティ、スピード感には常に圧倒されてきた。振り回され、惹かれざるを得ない。恋愛描写のプロの凄み、とでも言うか。

『恋する母たち』のそれぞれの母たちの恋愛対象、舞台にしても、隅田川河畔で落語家とデート、与論島で自分を捨てた夫と再会、都心の近代的なオフィスビルで若い部下から告白などなど、今週からTVドラマが始まっておかしくない。
表紙には小さく【koi haha】とヒットを前提とした愛称まで印刷済みだ。無造作にみえて周到なのである。

(以下、おまけ)
ウィキペディアの柴門ふみの項には
  大学卒業後の1979年に、「少年マガジン増刊号」にて「クモ男フンばる!」でデビュー
とある。しかし、プリティプリティ(せぶん社)1978年9月号にて「いちばん寒い僕の冬」、10月号に「ペルシャ馬にまたがって…」というシリアスな作品がすでに発表されていたことはもっと知られていてもよい。
なお、この(4号で廃刊になった)プリティプリティには『雲雀』や『ささなみのアケロン』、『グッドラック』などの単行本を残した御茶ノ水女子大漫画研究会初代会長の湯田伸子が寄稿しており、いわば大島弓子や萩尾望都ら24年組の系譜にあった雑誌なのだが短命に終わってしまった。残念でならない。
Photo

2018/10/08

〔短評〕 『雨柳堂夢咄 其ノ十七』 波津彬子 / 朝日新聞出版 Nemuki+コミックス

Photo雨柳堂夢咄』新刊、2年半ぶりの出来。
あとがきによると、収録された一番新しい作品でも2年前にはすでに描かれていた、なぜ2年半もかかったかは出版社の事情でよくわからない、とのこと。出版社を責めるべきか、この出版不況の時勢によくぞ出してくれたと讃えるべきか。

作品について言うべきはない。変わらずの品位、静かに泣ける、静かに笑える。

冒頭の「斜陽の家」、予想外の展開に驚きつつ、ふと思いついた。
『雨柳堂夢咄』のいくつかは、新作落語の素材に使えるのではないか。それも、もしかするとものすごく高品質な噺の。
猫たちが三味線ひいて人を招く「冬の宴」あたりも出来そうだ。

亀戸、梅屋敷あたりで客案内している若手の噺家さん、どうだろう、一度試してみては。

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »