フォト
無料ブログはココログ

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »

2018年3月の4件の記事

2018/03/29

『ふるぎぬや紋様帳<三>』 波津彬子 / 小学館 フラワーコミックススペシャル

3この作者らしい」と一定の興趣は感じつつ「こんなものだろうか」と流す印象だったものが、この三巻にいたって俄然心に染みた。
一巻、二巻とことさら何が違うわけでもないのに、あやかしの「ふるぎぬや」をめぐるそれぞれの登場人物、その関係性が、澱のように降り積もって効果を放つ。

思い起こせば波津彬子の最近のシリーズ作、『女神さまと私』や『レディシノワズリ』は2冊で完結。この作者ならではの煮凝りが融けて動き出す前に終わってしまった印象だった。
もとより短篇連作の人ではあるが、その描かれる素材が骨董や和装、古い館であるだけに、ただモノがそこにあるだけでなく、誰に、いつから、どのように、といった積み重なるものがあって初めてお話が整うのか、などとも思う。

いつからかすっかり慣れてしまったが、奇妙な絵柄ではある。
表紙の「ふるぎぬや」主人の顔ひとつ見ても、掌で左右の半分、上下の半分をそれぞれ隠してみると、どこを見ているのか、哀しんでいるのか笑みを浮かべているのか、さっぱりわからない。ところが全体を見るとこれはこういうもの、と綺麗に納まってしまう。
ウェットなストーリーに全編にギャグが溢れることも含め、金沢の生んだ不思議な作家の一人である。

2018/03/17

相転移する 『二匹目の金魚』 panpanya / 白泉社

Photo足摺り水族館』など、寡作ながら特異性では異彩を放つpanpanyaの新刊。

作者の作風は有り体に言えば「幻想的」、である。
ただ、世間一般の「幻想的」作品の多くでは、確か、と思われた日常がだんだんあやふや、曖昧になってしまう、化学でいうところの「融解」、「昇華」、すなわち

  固体 → 液体

  固体 → 気体

の相転移が描かれる(それも

  固体 → 液体 → 気体

でなく、いきなり気体になってしまうほうが概してより衝撃は大きい)。
などと思わせぶりなことを書いたが、これは今日初めて書いたことであって別に確信があるわけでもない。

それはともかくpanpanyaの短篇ではむしろ語り手の曖昧な記憶や思い込みが

  気体 → 固体

に、これも「昇華」というのだが(「凝華」とも)、そのような方向にそって描かれることが多い。

したがって、各作品のページ内では防災無線のメロディやかくれんぼや神社のお守りや一方通行の交通標識など、日頃ごく当たり前に思われていたものがだんだん明確な、ただし、日常それらがそう思われているものとは微妙に違う何ものかに「昇華(凝華)」していく。

結果として語り手が得るお守りや二匹目の金魚は、実はお守りや金魚ではない。かもしれない。

※その過程において、曖昧さはむしろ嫌われる。
と注釈じみたことを付記したところで、もちろんこちらもそれほど意味はない。

こういった相転移によるためだろうか、panpanyaのそれぞれの短篇はいつもどこかほんの少ししょっぱい。

そんなことを考えた。
もう取り返しがつかない。

〔短評〕 『こぐまのケーキ屋さん』 カメントツ / 小学館 ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル

PhotoTwitter上で発表されてきた同タイトルの4コママンガを急遽1冊にまとたもの。

作者については、以前、『カメントツのルポ漫画地獄』『カメントツの漫画ならず道(1)』というわりあいブラックかつキワモノテイストな2冊を紹介した際、「大切なものを大切に扱う」と評させていただいたが、その読みが決して間違っていなかったように思われて嬉しい。
本書は、いわばその「大切なもの」だけを丁寧に抽出して綴じ合わせた、そんな小さな宝物。

収録作のボリューム(大半がTwitterで既出)や価格が気になる方もいるだろうが、装丁、印刷、紙質まで含め、繰り返し読まれる「絵本」と考えれば文句はない。

できれば──自分の子供たちがもっと小さなうちに、この本を一緒に読めればよかったな。

2018/03/05

閲覧注意?? 『疑問の黒枠』 小酒井不木 / 河出文庫

Photo一昨年の森下雨村『白骨の処女』あたりから、河出文庫より、静かに戦前の探偵小説の発刊が続いている。
表紙に大々的に銘打たれているわけではないが、「KAWADEノスタルジック探偵・怪奇・幻想シリーズ」とのことだ。

嬉しいのは、小栗虫太郎や香山滋はともかく、先の森下はじめ、

  大下宇陀児『見たのは誰だ』
  甲賀三郎 『蟇屋敷の殺人』
  浜尾四郎『鉄鎖殺人事件』
  楠田匡介『いつ殺される』

など、かなりマイナー、入手困難な作品が選抜されていること。
これらの作家名は、探偵小説のアンソロジーや文庫の解説中で目にすることはあっても、長編となるとそうそう読む機会がない。大きな部数が期待できるとは思えないこれらラインナップを企画した河出書房新社の侠気には謹んで敬意を表したい。
(もっとも、上記の作家のうち、森下雨村の没年が1965年、大下宇陀児、楠田匡介が1966年で、いずれも著作権が切れたばかり。著作権が生きているのは香山滋ただ一人。ということで、そのあたりも加味してのクレバーな企画だったと思われる。)

これらの探偵小説は、もちろん謎解きとして面白ければよし、よしんばミステリとして今ひとつでも、当時の風俗、言葉遣いに触れ、戦前ならではのセピアカラーな雰囲気の中で(ややおっとりとした)サスペンスを愉しむことができる。

そこで今回取り上げる1冊だが、
小酒井不木といえば海外推理小説の紹介に努め、森下雨村とともに江戸川乱歩のデビューに尽力した、いわば我が国のミステリの大先輩にあたる人物。とはいえ、その長編『疑問の黒枠』(1927年)は、自らの生前葬と還暦祝いを企図した商事会社社長が棺の中で本当に殺されてしまい、その一人娘まで行方知れずになってしまう──という導入部はともかく、謎解き犯人当てとして見ると探偵にあたる人物が複数いて視点が落ち着かないなど展開がズルズルしてそう面白いわけではない。

また、若い恋人どうしの語らいが

  父のすることはいつでも、子供くさいですわ。けれどもそれは生まれつきだから、仕方がないではないの。

  たとい模擬葬式でも、それを行うというのは、恐ろしさに堪えられぬことです。

など、なんだか妙な塩梅で、これは作者の筆のすべりが悪い、と見たほうがよいのかもしれない。

……しかし、実は、そういったマイナス要素をちゃぶ台ごと覆してあまりある魅力が本作にはある。
最終的に事件の謎を解き、犯人を追い詰めた探偵の罠が──いたい水域でグロ! 医学博士がこれを書いてはいかんのでは? 情状酌量の余地のある犯人などより、ある意味よほど鬼畜──

というわけで、そういった作品を読みたい方にはオススメ(か?)。

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »