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2017年10月の4件の記事

2017/10/30

『BOX ~箱の中に何かいる~(3)』 諸星大二郎 / 講談社 モーニングKC

Box一方に日常的なリアリティに立脚するエッセイマンガがあるなら、昔ながらの荒唐無稽な絵空事に終始するマンガもある。
諸星大二郎の『BOX』はその「荒唐無稽」をさらに斜めに突き抜け、パズル空間を舞台とし、形而上学的(メタフィジカル)な域に達した作品である──とかなんとか評したって、別に何を言い表せているわけでもないんだけど。

ともかく、登場人物たちが招き寄せられるように入り込んだ「箱」の中では、各自に与えられたパズルを解かないと先に進めない。進む先には怪しい魔少女や箱を模した罠、グネグネしたクリーチャーが待ち構え、混乱の中に一人、また一人と脱落していく。
とあらすじを書いてみると『そして誰もいなくなった』パターンや『ポセイドン・アドベンチャー』パターンが思い起こされるが、完結編にあたるこの第3巻では、、、

ざっくり印象をまとめると、同じ作者の『暗黒神話』や『マッドメン』ほど重くなく、初期のギャグみたいにはすべらない。しいて言えば『栞と紙魚子』シリーズに近い気もするが、短編集ではなく、事前に多数の伏線を張り、それらをきちんと回収し、さらにさまざまなオリジナルパズルをストーリーの要所要所にはめ込んだ長編なのだから実はかなりの力ワザである。

登場人物たちは「箱」の外では意外なほど現代的、日常的で、また、いかにも破滅しそうな人物を除けば案外皆無事に最後のページに至る。こうしてみると、この作者にしては珍しい「コメディ」と言えるのかもしれない。

コレカラ読ム方ハ、登場人物タチノ数ト名前ニ留意シテオ楽シミクダサイ。

2017/10/29

『リアル風俗嬢日記 ~彼氏の命令でヘルス始めました~』 Ω子 / 竹書房 バンブーエッセイコレクション

Photo本ブログでも何度か、昔はマンガといえば荒唐無稽の代名詞のような扱いを受けてきた、ということについて触れてきた。実際、作者自身が「でたらめ」と語るほど、自由な想像力に基づいて描かれ、それが魅力となっている作品も少なくなかった。
面白く思うのは、書き手の問題か、読み手の問題かは知らないが、いつの間にかマンガは現代の社会、若者を描く、何よりリアルなツールとなってしまった、ということである。

そのあらわれの1つがいわゆるエッセイコミックの台頭で、今回取り上げる『リアル風俗嬢日記』においても、いかにもマンガなコマや線や効果(集中線や汗、怒りのマーク)によってヘルス嬢の日常が生々しく描かれている。風俗嬢の日常に興味がある、ないにかかわらず、お薦めしたい。
(マンガ配信サイト「めちゃコミック」の広告で再三面白そうなサンプル画面を見せつけられ、冊子発売と同時に購入してしまったが、正解だった。)

たとえば入店時の面接、Webでの新人紹介用の写真撮影、忙しい日の対応グッズ、性病検査や治療、といったヘルス嬢の日常の確かなリアリティ。とくに本番を求める顧客に対し、無表情、ないし笑顔をもって相手への不快、怒りを描くコマの数々はテクニカルでさえある。

本番といえば、作中何度も描かれる「素股」というテクニックは、吉行淳之介の『夕暮まで』が契機となり、桃井かおり主演の映画も作られ、あげくに「夕ぐれ族」なる愛人バンク(売春斡旋組織)が世間を騒がすなど一種社会現象となったものだが、吉行の小説では心理描写中心で抽象的だったその「素股」がさらりと身体的プレイとして描かれ、その描写力には過不足がない。

ポイントは、上記のようなリアリティが、一人の働く女性の日常をタイトに描くために用いられていることだ。
「風俗嬢」云々というとどうしても劣情をそそる(笑)読み物か、逆に女性の社会的地位がどうたらとの観点(つまり上から目線だが)で語ろうとする、そのいずれかを想起されるかもしれない(さすがに今どきはもうそうでもないか?)。
しかし、本書は極めて生々しい用語や描写を連発しながら、決してそのいずれにも加味しない。親や友人にあまり大っぴらには言えない職業ではあるが、ギャグやエロシーンをもって、当人なりのプロ意識をもって客を喜ばせる、プロによる仕事の日々を訥々と描き続けるのだ。

この豊かさを文章のみで実現できるかどうか……それはかなり難しいのではないだろうか。

2017/10/19

『好奇心は女子高生を殺す(1)』 高橋聖一 / 小学館 サンデーうぇぶりSSC

Photo描かれた1コマを見ただけで作者が特定できる、高橋聖一の新刊。

もともとはサンデーうぇぶりというサイトで配信中のコミック作品なのだが、紙でじっくり読みたいので単行本を購入した(こんな感傷はもう昭和人だけのものかもしれない)。

ストーリーは高校入学初日の放課後に知り合った(呑気で能天気だが行動的な)柚子原みかんと(優秀だが慎重に過ぎてコミュ力不足な)青紫あかね子がさまざまな不思議体験を通して友情を深めていく、というもの。
「友情を深めて」などと書いたら「いたたたたたっ」と北斗八悶九断が炸裂しそうだが、そこは読めばきっとわかる。
各編、ギャグに落としているように見えて、骨組みはきちんとSF。いや、異星人やタイムリープが出てくるからSF、というわけではない。試みがSpeculative Fiction、ということだ。
しかも全編通しての味わいは懐かしいみかん色、茜色。
きっとここが世界の始まり」なのである。

2017/10/10

出でよ、闘う文庫解説! 『文庫解説ワンダーランド』 斎藤美奈子 / 岩波新書

Photo親しい作家同士、互いに甘々と褒め合う解説、だらだら粗筋を書き連ねるばかりの解説、断りもなく犯人やトリックをさらしてしまう解説などなど、困りものの文庫解説については本ブログでも幾たびか指摘してきた。
もちろん豊かな作家紹介、鋭い一篇の文芸批評として切り出して読み応えのある解説も少なくない。個人的には岩井志麻子の『魔羅節』(新潮文庫)に寄せた久世光彦の解説など、一等星に値するように思う。

そんな「文庫解説」に着目し、古今の名作を新しいアングルで語ろうとするのが本書『文庫解説ワンダーランド』、しかも著者があの『妊娠小説』の斎藤美奈子とくれば面白くならないはずがない。冒頭から、痛快な勧善懲悪劇とみなされてきた『坊っちゃん』について各界の士が「実は悲劇」「いややはり喜劇」と丁々発止文庫解説上で斬り合う痛烈さ。続く川端康成、太宰治と、各社の文庫解説を比較検討することがこれら文豪の評価を洗い直すことにつながって目から鱗がはらはら落ちて止まない。

ただ、掲載先が岩波の「図書」、まとめたのが「岩波新書」という場のせいか、取り上げた大半が昭和以前の作家、作品で、今さら林芙美子、高村光太郎、サガン、バーネット、柴田翔なんか取り上げてどうするの、いや彼らを扱う是非はともかく、もっと現代作家とその文庫解説を語ってほしい、斬ってほしかった。「教えて、現代文学」と題した最終章に並ぶのが村上龍、赤川次郎、渡辺淳一はまだしも松本清張、竹山道雄、壺井栄、野坂昭如って……。

もう一点、本書は文庫解説を“てこの支点”にその作家、作品の評価を覆す試みなのだが、1冊、1人の文庫解説をもってあたかも当時のその作家、作品の評価がその一色で染まっていたかのごとき解き方がないわけでもなく、若干気になった。

一例。斎藤美奈子は庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』の中公文庫(1973年)の佐伯昭一による「機智とユーモアにあふれた愉しい風俗小説」という能天気な解説を受けて「当時のおおかたの読者の感想も大同小異だったろう」と少々上から目線だが、本当にそうだったろうか?
中公文庫は『赤頭巾ちゃん』の文庫化とほぼ同時に庄司薫が『赤頭巾ちゃん』より10年も前に本名の福田章二名義で発表していたシリアスな文体による『喪失』を刊行、また『白鳥の歌なんか聞こえない』の高見沢潤子の解説(1973年)に「この楽しい青春の書は、神を失った現代の社会がふりむいてもみない、人間にとって大切なもの、大げさにいえば形而上的なものを追求している、深い意味をもった青春の書なのである」と語らせている。
つまり、『赤頭巾ちゃん』はブームになった当時、すでに「愉しい風俗小説」としてのみ語られていたわけではないのだ。
斎藤美奈子は2012年の新潮文庫版の苅部直による解説で庄司薫作品の「佐伯がインテリの悪癖と切り捨てた<観念的、思想的な新現象>を述べた書であり、表層の軽さこそが<独特のてれ>なのだ」という構造が初めて明らかになったような書きぶりだが、これは事実誤認の類だろう。

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