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2017年7月の4件の記事

2017/07/28

『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(9)』 原作 草水 敏、漫画 恵 三朗 / 講談社 アフタヌーンKC

Photo優秀だが偏屈、漫画の主人公としてはいささかサービス精神に欠ける病理専門医、岸京一郎とその周辺を描く本作。

およそプロらしからぬ、リアリティのないコンサルによる「窪田プラン」とやらが破綻して、主人公たちが本来の病理の仕事に戻った第9巻は生きて本を読めることがこんなに素晴らしいことなのか、と空に向かいて「The Wall」全曲を通しで歌い上げたいほどによい出来である。

収録3作の内訳は、わからない、見えない、敗北と屈辱の話。
続いて、診断も治療もできぬままに友を死なせる話。
そして10歳の末期癌の話。

おーい、全国のポリクリ医学生ども、気分転換するなら「ドクターG」見て、それからこの本読みなさい。
腹の底から震えなさい。覚悟を決めなさい。

2017/07/14

『もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら』 神田桂一、菊池 良 / 宝島社

Photo名は体を表す。それ以上でもそれ以下でもない。
もし、村上春樹や太宰治、三島由紀夫、夏目漱石といった文豪、あるいは星野源、尾崎豊らミュージシャンがカップ焼きそばの容器にある「作り方」を書いたなら――

それだけの本である。

もちろん、なんの役にも立たない。だから、いい。
この1冊をこしらえるために費やされた学識、労力たるや大変なものだったろう。夜を徹し、いったいどれほどのカップ麺がすすられたことか。
それでこの内容。カップ焼きそばの麺をシンクにこぼしてしまった際の脱力感もかくやかくやのかくや姫。

欲をいえば、今ひとつ文体模写の域に至らず、著名作の有名な書き起こし部分にカップ焼きそばの作り方を押しはめただけのページがなくもない、ような気もした。たとえば夏目漱石の項に「兎に角」が使われていない、など。

それでも、相田みつを、デーブ・スペクター、稲川淳二、内田樹、アンドレ・ブルトンから『週刊文春』、自己啓発本、利用者の声、迷惑メールまで、古今の文豪だけでなく近・現代の文体総カタログとなっているところが凄い。偉い。

ふと、顔ぶれを見渡して、西野カナとジャパネットの高田氏がいないのが寂しい。
もう一人、この手の文体模写ネタの常連だった野坂昭如がいない。ここでもまた、昭和は遠くなりにけり、か。

2017/07/11

詩人 原子朗先生の思い出

7月4日未明、詩人の原子朗先生が亡くなられた。享年92歳の大往生であった。

先生は宮沢賢治や大手拓次の研究に尽力され、ことに宮沢賢治については花巻の宮沢賢治イーハトーブ館長を務めたこと、また『宮澤賢治語彙辞典』(筑摩書房)の編纂でも知られている。

僕は原先生の不詳の弟子で、学生時代のゼミ以来、再三にわたり叱咤激励を授かったのだが、詩についても言葉の研究についても先生の教えを守るにはいたらなかった。それでも、大学に通うことの意味すら見失っていたあの頃、先生に出会っていなければ、今ごろどこかでのたれ死んでいたに違いない(先生には卒業、就職、転職、結婚の都度都度大変なお気遣いをいただいた。左記はあながち大袈裟でもない)。

原先生には、いつか伺おう、伺おうと思いつつ、とうとう最後まで伺うことのできなかったことが一つある。
「表現演習」という先生のゼミで──これは学生が詩でも小説でも論評でもなんでも自由に提出し、まず学生どうしが読書会形式で品評を重ね、最後に先生が評を述べる、という形式のものだった──ある時短い詩を提出したところ、先生が何を思われたかその青焼きを手に「これを今度の学会で使ってよいか」と仰る、ということがあった。
なんでも次の土曜日、現代の若者の言葉遣いについて、といったようなことであったのだが、その時はなんとも思わず、その学会なるものもどこで開かれるのやら、見に行ってよいものやらもわからないままただ了解して終わった。
自分の書いたものが、果たして使われたのかどうか、使われたのであるならどのように──有り体に言えば褒められたのか、貶されたのか──ということが気になったのはずいぶん後になってのことだ。
しかし、こと詩の言葉遣いにはとことん厳しい先生のことである。そうそうよい例として使われたとも思えない。いや、悪い例として使うなら、あのゼミの当日もっと厳しい言葉でたしなめられていたのではないか……などなど、考えてもまるきりわからない。
迷っているうちに5年が経ち、10年が経ち、今さら聞いても覚えておられないかもしれない、今さら聞くのも人間が小さいように思われるかもしれない、などと思うともう聞けない。
そうこうするうちに40年、これはもう先生からの人生の宿題、と考えることにした。
そうでなくとも、先生からは山のような宿題をいただいているのだ。

原先生のもう一つの顔は講談社学術文庫から『筆跡の文化史』を上梓し、テレビで戦国大名や宮崎某の筆跡鑑定をしてのけた書家としての顔で、毎年秋になると銀座7丁目の長谷川画廊で書や書画の展示会(三戯展、墨戯展)を開かれていた。僕は会社が近いこともあってたいてい初日の昼に顔を出す。すると小さな四角い木の椅子に腰かけ、土産の菓子と茶を前に客と話をされている先生がこちらを見上げ、くわっと目を見開いて「おう、編集長」と声をかけてくださる。「いや、先生、僕はもう編集長ではなくて」と訂正しても、次の年も「来たか、編集長」。次の年もまた「おう、編集長」。
「先生、最近は編集ではなくてインターネットの仕事で」
「先生、もうずっと携帯電話の電波の仕事で」
と似たようなやり取りを繰り返すうちに先生もお年でここ数年は「墨戯展」も開かれなくなっていた。
事実とは違っていても、先生の中で最後まで編集長であったならそれはむしろ誇らしい。
仕事のうえでは、先生の仰る言葉への心遣いを貫徹できたとは言えない。ブルドーザーで言葉を運ぶようなひどい仕事ばかりしています、すみませんすみません、と賀状では何度も謝った。
それでもこの年まで一貫して言葉にかかわる仕事を続けられたのは、先生の志を受けてのことだと胸を張りたい。

ご冥福をお祈りします。

2017/07/04

〔短評〕 『短篇ベストコレクション 現代の小説2017』 日本文藝家協会 編 / 徳間文庫

Photo2000年より続いている「小説雑誌や出版社のPR誌などに掲載された数多くの短篇小説の中から選び出された年間優秀作のアンソロジー」たる本シリーズだが、今年の1冊は……なんだか、おかしい。

品質が低いわけではない。ではなくて、選者の好みなのか、圧倒的に「ほのぼの」「ほっこり」風味の作品が多いのである。

両角長彦「給餌室」、太田忠司「猫とスコッチ」、法月綸太郎「砂時計の伝言」など実は悲惨なサスペンス、柴田勝家「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」、三崎亜記「流出」のように最新IT技術やネット環境を素材にした実験的な作品もなくはない。だが、それらすべてを含め、全体に「なごみ系」「ペーソス」の味わいが強いのだ。ラブロマンスめいたものもいくつかあるが、いずれも草食に煮え切らないか「なんちゃって」に終わる。
明るく前向きな青崎勇吾「早朝始発の殺風景」、芦沢央「水谷くんに解けない謎」は大昔の中高生向け雑誌の付録に載っていそうだし、ファンタジーにしてもよくわからない小島水青「花はバスにのって」は詩とメルヘン。
ほかにいくらでもシリアスな短篇があったであろう今野敏からわざわざ「タマ取り」を選ぶにいたって、確信犯かとも思う。少なくとも今年のこの1冊に限り、選者たちは一定以上に深刻な(ないし深刻ぶった)短篇を排除したのだ。

その中で最も救いのない物語は今村夏子「父と私の桜尾通り商店街」だったろうか。ところがこれに選者の一人、清原康正は「ほんわかとした気分にさせてくれる」の評。
何を考えているのか。さっぱりわからない。

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