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2017/01/20

『少年少女のための文学全集があったころ』 松村由利子 / 人文書院

Photo1960年生まれの女性記者が子供の頃の読書体験を懐かしく綴る、微笑ましくも心温まるエッセイ集。
ルナールの『にんじん』、ボンド『くまのバディントン』、バーネット『小公女』から語り起こされ、祖父や父から与えられた本、母とともに楽しんだ本を次から次へと取り上げていく各章は、タイトルや装丁から想起されるそんな印象を裏切らない。

外国の本に登場するお菓子の美味しそうだったこと。
高名なピアニストの公演の最中に読書に熱中してしまい、母親を嘆かせてしまったこと。
大人になって改訳や原典にあたり、訳者の苦心や細やかな気遣いに触れて驚くこと。

──だが、その一方で、古今の子供向けの本を辿る著者の丁寧な歩みが明らかにしてしまう谷は深い。

『少年少女のための文学全集があったころ』というタイトルに着目してみよう。
これは、現代がそういう文学全集のない時代であることを示している。
書店の子供向けの本のコーナーを訪れると、幼児向け絵本や図鑑の充実に比べ、小・中学生に世界文学を奨めるのに適した本が存外に少なくて途方に暮れる。
理由はいろいろあるだろうが、明らかな分岐点の一つは1960年代頃からさかんに主張された「完訳至上主義」だったろう。それが行き過ぎ、さまざまな世界の名作の抄訳を月々手軽に届ける名作文学全集が失われた結果、子供たちは古今東西の神話や名作文学に手軽に触れる機会を失っていく。
子供たちを取り巻く世界で「本」が十分魅力的であったなら「完訳至上主義」もいいだろう。だが、現代はアニメやゲーム、インターネットなど、本以外にも誘惑は多い。そんな時代に分厚く読みづらい完訳本ばかりを押し付けて、それで子供たちはそれを読んでくれるだろうか。

著者は決して、上記のようなことをあからさまに、批判的に書いているわけではない。あくまで自身の幸福な読書体験、のちに大人になってそれを読み返したり、新訳に触れたり、原文にあたっての思いを一つひとつ穏やかに語るばかりだ。

しかし、事実として「少年少女のための文学全集がない」今、子供たちの多くは過去の名作に出会い、本を読む楽しみ(苦しみ)に触れるきっかけから隔てられているように思われてならない。
この素敵な本を今の子供たち、未来の大人たちはどう読むのだろう、そもそも読むことができるのだろうか。

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