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2016年11月の3件の記事

2016/11/26

『七人目の陪審員』 フランシス・ディドロ、松井百合子 訳 / 論創海外ミステリ

Photo実は──バークリーの『試行錯誤』を取り上げるにあたってはレオ・ブルースが『ハイキャッスル屋敷の死』でやりたかったこと、できなかったことの比較対象とする、という大仰な意図があった。意図はあったけれど大風呂敷は畳まれず、結局アラスジ書いて感想書いて、小学生の感想文になってしまったわけだが、それはそれとしてその次に読んだのがフランスの作家ディドロの『七人目の陪審員』なる法廷ミステリだった。

『七人目の陪審員』を選んだのは、なじみの古本屋の海外本コーナーに黄金期のミステリ初訳に力を入れる論創社の本が少なからぬボリューム並んでおり、喜んで袋いっぱい買って帰ってさてさてうはうはと適当に読み始めただけである。

だが、驚いたことにこの2冊、いずれも主人公が殺人を犯し、やがて無実の(と主人公には思える)青年が逮捕され、後半は主人公がその冤罪をはらそうと裁判で四苦八苦──と、アラスジを1、2行で書いたらあっとびっくりのそっくり話だった。

とはいえ、展開こそ似ていても、読み応え、読後感はまったく別物だ。
『試行錯誤』のトッドハンター氏は、さんざん議論、検討した結果、強い正統性の認識をもって殺人にいたる。それに対し、『七人目の陪審員』の主人公、薬局を営むグレゴワール・デュバル氏の殺人は行き当たりばったりで「衝動」という言葉さえなんだか噛み合わない。また、別人が逮捕された後、トッドハンター氏が自ら絞首刑になるのを厭わず必死で冤罪を晴らそうとするのに対し、デュバル氏は自身の罪を認める気などさらさらなく……(さすがにこれ以上書いたらネタバレになってしまうか)。

どちらも謎解きより主人公の心理の推移が主だが、前者の心理描写は不器用、杓子定規に過ぎ、後者は……ブラックユーモアとみるにも笑えないし、不条理劇とするにも主人公が身勝手、無責任なだけ。つまるところなんだかよくわからない。

一つ感じたことは、トッドハンター氏はやはり議会制民主主義を完成させた国の紳士であり、デュバル氏は血気盛んなフランス革命の国の徒、ということだ。
いずれも迷惑だが、しいてどちらの作品を評価したいかといえば、言うまでもない

2016/11/20

『試行錯誤』 アントニイ・バークリー、鮎川信夫 訳 / 創元推理文庫

Photo動脈瘤で余命数ヶ月、と医者から宣告されたなら、自分ならどうするだろう──。

主人公トッドハンター氏は(まず冷静にほかの医者の診断も受けた上で)残された短い命の有意義な使い方を信頼おける知人たちに相談する。その結果、ほぼ全員一致で世に害をなす人物を抹殺するのがよろしいという結論にいたる。その後、ターゲットの変更などを経て、ようやくトッドハンター氏は稀代の毒婦とみなされる人気女優の殺害に成功する。
ところが、無実の人物が逮捕されるにいたり、トッドハンター氏は自ら犯行の名乗りをあげ、警察や検事に相手にされないため、やむなく(バークリーの他の作品で探偵として活躍する)チタウィック氏に依頼してまで自身の有罪を勝ち取ろうとする。トッドハンター氏の絞首刑目指してのトライアル・アンド・エラー、その結末やいかに。

『毒入りチョコレート事件』では複数探偵による多重解決、『殺意』では犯人視点から事件を語る「倒叙」、など、作品の構成そのものにダイナミックな工夫をあれこれ仕掛けたバークリーだが、作品構築に熱心なあまり、読者サービスというか、要は読みやすさにやや欠けるきらいがあった。いちいち分厚いし。
1937年に発表された『試行錯誤』は、バークリー後期の、心理面から犯罪を描いた作品で、とはいえ倒叙ミステリとしての展開も面白く、頭で追うのでなく心で読むミステリ、とでもいうべく充実感を得た。

一つには不器用ながら誠実なトッドハンター氏のキャラクターの魅力が大きい。彼の、はた迷惑な杓子定規さへの苦笑いが後半まで読み進めるとふつふつと応援したい気持ちに変わっていく。その最期はよく考えれば必ずしも心温まるものではないが、それでもトッドハンター氏の奮闘に「天晴でした」と遠くグラスを捧げたい気持ちにいたった。乾杯。

2016/11/09

起きたとね? 『妻に恋する66の方法(1)』 福満しげゆき / 講談社 イブニングKC

Photo「もっ もっ」「オイ」「せんよ」「ファファーン」の「妻」が戻ってきた。
僕の小規模な生活』や『うちの妻ってどうでしょう?』から欝々とした愚痴、世評を削って妻描写に徹した本作、やや薄味ではあるが当該エリアでの「妻」の出現率は高い。
(↑ いまだポケモンGOにはまっているので日本語が少しおかしい。)

今回の拾い物は、
食べているおかずを問われて突然「高菜を炒めたものです」と敬語で答える妻、
フタの空いた床下収納の上をヒュオオオオと浮遊して飛ぶ妻、
そして福満がマンガを描くたびに孤独だったころの気分に脳がリセットされ、妻を見ると「わっ 家に女いる」といちいちビックリして喜ぶ、というお話、の3つ。
この「わっ 家に女いる」はうちの妻についてもときどきそうなるのでよくわかる。

福満については何度も書いてきたから、今回、小難しい話はなし。

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