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2016年10月の3件の記事

2016/10/23

殺してください。 『〆切本』 左右社

Photo作家たちが苦悩する。もがく。絶叫する。逃げる。言い訳する。居直る。言い訳を重ねる。

手紙がある。日記がある。随筆がある。そんなヒマがあるなら原稿お書きなさいよ、と肩を叩いてやりたいほどに名言名句が並ぶ。
いわく
  「今夜、やる。今夜こそやる。」
  「むろん断るべきであった。」
  「才能がないのではないか。」
  「原稿性発熱」
  「鉛筆を何本も削ってばかりいる。」
  「おたくのFAXこわれていませんか」……

漱石に藤村、鏡花に基次郎。利一に風太郎、ばななに春樹。
明治の文豪から現代の人気作家まで90人の書き手、94編。中堅、重鎮、あの人のはないかしらとページをめくれば期待たがわず用意万端。企画から装丁、谷崎潤一郎の詫び状で〆る最後の1ページまで一部の隙もなく、もはや編集の完全勝利。
原卓也の一篇は『賭博者』の解説から、ドストエフスキーの〆切に起因する危機とその回避。
なかには一度も〆切を守らなかったことなどないと豪語する者もいる。無闇に腹が立つ(何故?)。
一方の編集者からの視点も語られる。雑誌編集者の怒りを語る高田宏のそれは名文。
埴谷雄高にいたっては同人の原稿を集める仕事を務め、届かぬ原稿に努力と友情の虚しさを知る。愉快愉快。
〆切の効能、効果についての論文もある。

マンガも長谷川町子、藤子不二雄Ⓐ、岡崎京子から三様。
我欲をかくなら大島弓子『綿の国星』からPART5、「ピップ・パップ・ギー」を選んで欲しかった。呻吟の果て、筆が動き始めた歓喜をこれほど見事に描いた作品をほかに知らない。どうだろう。

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2016/10/18

『君は山口高志を見たか 伝説の剛速球投手』 鎮 勝也 / 講談社+α文庫

Photo日本ハムvsソフトバンクのパ・リーグクライマックスシリーズ最終戦、3点リードの9回に登板した日ハム大谷翔平投手は165km/hの速球を3球投げた。これは日本プロ野球記録であり、物凄い数字である。
だが、その大谷の速球に対し、ソフトバンクの各打者は振り遅れながらもバットに当て、ファウルでねばり、二度の三振はいずれも変化球によるものだった。

時代は違い、バッティングマシン導入による打撃技術の進化もあるだろう。だが、それにつけても、1975年の
山口高志の速球はこんなものではなかった。
大切なことなのでもう一度書く。
山口高志の速球は、こんなものではなかった。
大谷の速球は、スピードガンによる球速が表示されてはじめて観客がどよめく。
山口高志の球は、ドンと放たれ、バンとキャッチャーミットを叩き、ただもうそれだけで場内を圧倒した。

たとえるなら大谷の速球はピストルの弾だ。確かに速いことは速いが、指先とキャッチャーミットの間の軌跡にバットを振り出せば、とりあえず当たる。前に飛ばせるかどうかは、コースとタイミングの問題。だから変化球とコントロールのコンビネーションが必要となる。
一方、山口高志の投球は、鉄で出来た大砲の弾丸だった。
日本シリーズ、広島東洋カープの各打者は、高めはボールとわかっていて、それでもうなりを上げる速球に思わずバットを強振し、空振り三振を繰り返した。カープは抑えに山口を擁する阪急に2分け4敗、ついに1勝もあげることができなかった。

当時スピードガンがあったら、という比較はあまり意味がない。山口は身長は169センチ(大谷は193センチ)と小兵ながら、投げ終えた瞬間背番号や後頭部がバックネットから見える、上下動の激しいダイナミックなフォーム。文字通り全身で投げ込んだ。ボールは縦回転でホップしてキャッチャーミットを下から叩く。
無理なフォームだけにコントロールはよくはない。9割が速球で残りがカーブ、四球3つで満塁にして、三振3つでチェンジ、そういった野球である。
当時、人気のないパ・リーグは苦心の前後期制、山口はロングリリーフに先発、またロングリリーフと酷使され、腰を痛めて実働8年で表舞台から消えた。通算50勝と記録は平凡。だが、だからこそ記憶に残る、そういう選手もいる。

本書はその山口高志の関西大学時代の活躍(凄まじい!)から丁寧に書き起こし、生まれ育ち、中高時代、社会人野球、そして阪急ブレーブスでの活躍ぶり、さらに現役引退後のコーチ、スカウトとしての活動までこつこつと詳細に調べ上げる。
学生時代のチームメイトはおろか、対戦相手にまで取材を重ねたスポーツドキュメンタリーの力作。
とことん朴訥、一本気な山口のキャラクターも泣ける。

DVDか何か出ないものか。必ず買う。

2016/10/04

『ハイキャッスル屋敷の死』 レオ・ブルース、小林 晋 訳 / 扶桑社ミステリー文庫

Photo1950年代あたりまでのオールド・ファッションな推理小説を好む者にとって、ここしばらくのヘレン・マクロイやレオ・ブルースの相次ぐ訳出は喜ばしい限り。
ただ、シリーズ探偵キャロラス・ディーンを立てた新刊『ハイキャッスル屋敷の死』に限れば、国内での発行がマクロイの『ささやく真実』とほぼ同時だったのは気の毒としか言いようがない。

 被害者、犯人、脇役を含む、登場人物たちの存在感。
 探偵個人の魅力。
 メロドラマ的展開のキレ、吸引力。
 犯人の意外性(※)。
 犯人を特定するプロットの独自性。

これらいずれを見ても『ささやく真実』が上をいくのは明らかだ。
(※『ハイキャッスル屋敷』の犯人設定は当時としてはまだ多少は斬新だったかもしれないが、昨今ではこの意外性はすっかり疲弊し、すぐ類推できてしまう。)

マクロイ作品にはやや“ケレン味”が過ぎる、ありていにいえば小技を使ったはったりやウケ狙いがあざとい、という欠点があるのだが、それを差し引いても探偵が関係者にわずかな聞き込みをするだけであとはただ事件の収束を促して待つ『ハイキャッスル屋敷』の地味さは目を覆いたくなるレベルだ。

とはいえ、それでもレオ・ブルースの新刊を期待する心が折れないのは我ながら不思議。

レオ・ブルースという人は、『毒入りチョコレート事件』や『殺意』で知られる豪腕変化球投手アントニイ・バークリーの影響下に登場した作家とのことで、初期のビーフ巡査部長ものではかなり無理やりな変格が目立つ。後期の歴史教師キャロラス・ディーンものでは一転素人探偵が歩いて聞き込みを重ねる地味な展開が多くなるが、それでも『死の扉』や『ミンコット荘に死す』などの作品では学校の体面を気にするゴリンジャー校長の横やりや口達者な教え子プリグリーのお節介など、全体にひねりやユーモアの味付けはあった。
『ハイキャッスル屋敷』はそういったユーモアさえ排され、探偵たるディーンにも他の作品のような快活さがない。
思うに作者は本作のプロットを選択した時点で、必要以上に生真面目になってしまったのではないか。こういった構成、探偵の立ち位置にユーモアはふさわしくない、等々。本当はこんな構成に際してこそもっと暴走してかまわなかったのに・・・と思わせるところが、よくもあしくも英国本格なのかもしれない。

正直に言えば退屈。かなりつまらない。
それでもレオ・ブルースの作品からは、由緒正しき黄金時代の推理小説の残り香が、微かながら確かに漂うのである。

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