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2016年5月の7件の記事

2016/05/31

萩尾望都をめぐる雑感 その4 SF原画展と「ドアの中のわたしのむすこ」

☆彡 5月3日には武蔵野市立吉祥寺美術館の「萩尾望都SF原画展」を訪ねた。

Gengaten
☆彡 図録にあたる「萩尾望都 SFアートワークス」とそのリーフレット。

Zuroku

☆彡 自宅の箱にあった「スターレッド」が表紙を飾った週刊少女コミックの表紙。原画展にも同じ号が展示されていた。

Starred

☆彡 下上は、展示されていた「ドアの中のわたしのむすこ」、知る人ぞ知るダーナ・ドンブンブンの表紙原画(「萩尾望都 SFアートワークス」より)だが、展示原画ではこのロゴは文字の線に合わせて丁寧に切り取り、貼り付けてあった。
どう見ても雑誌掲載時のロゴ(下下)の方がいい(そもそも原画展のほうは「むすこ」が漢字になっているし)。
ゲラで修正したのだろうか? ちょっと手順の見当がつかない。

Door1
Door2

☆彡 ちなみに「ドアの中のわたしのむすこ」は「別冊少女コミック」1972年4月号に掲載されたが、掲載位置は巻末だった。
したがって最後のページの裏にはその号の目次がある。
同じ号には玉三郎の岸裕子や超人ロックの聖悠紀の名があり、さらに本ページ外枠の次号予告には大島弓子の「鳥のように」の作品名があった。
夢のような時代である。

☆彡 ところで、未読なのだが、津原泰水によるアンソロジー『たんときれいに召し上がれ 美食文学精選』(芸術新聞社)では、夢野久作作品への解説で、萩尾望都のデビュー作「ルルとミミ」のタイトルは同じ福岡出身の夢野久作の作品名からつけられたのではないかとの指摘がなされている──との情報を得た。
普段なら「自分の指摘のほうが先ではないのか!?」とかカリカリするところだが、なにしろ相手が津原泰水とあれば、同じことを指摘しているというだけで嬉しい。

萩尾望都をめぐる雑感 その3 「まんがABC」

☆彡 萩尾望都については、1972年頃から今でいうカルトな人気が高まっていたらしく、「別冊少女コミック 1972年8月号増刊フラワーコミック」に初期作品のうち「かわいそうなママ」「雪の子」「塔のある家」の3作が再掲され(いずれも描線、表情、コマ割りともに素晴らしい)、その後週刊少女コミックなどに旧作の再掲がしばらく続いた。
下はその際併載された萩尾望都作品リスト。マンガが読み捨てられるものから再読、深掘りされるものになっていった時代の足跡の一つと言えるかもしれない。
なお、このリスト掲載時点ではまだ「ポーの一族」は発表されていない。つまり「アラン」の名はこのイラストカットで初めて誌上に登場したことになる。

List
☆彡 下は「トーマの心臓」連載当時発表された「まんがABC」。
萩尾望都のマンガにかける思い、影響を受けた作品などがABC・・・のアルファベット順に24ページにわたり熱く語られている。
非常にスキルフルかつ読み応えのあるマンガエッセイなのだが、単行本未収録どころか作品リストに入っていないこともあるようだ。残念でならない。

Abc
☆彡 驚くべきは、この深みのあるマンガエッセイに編集者が付けた欄外のコメントが
◎まんがよむのに、難しい講釈は不用! まずはよむこと。そしてたのしむことです。ね!?
というもの。ほとんど嫌がらせである。
ロジックや構成を大切にする萩尾望都ら新しい世代がいかに疎んじられていたかの表れだろうか。
(詳しくは書けないが、当時、小学館の少女マンガ誌の編集者がいわゆる「24年組」の作家たちについて、一部マニアに受けるだけ、売り上げに貢献せずむしろ迷惑、と名指しであしざまに罵る現場に居合わせたことがある。)

☆彡 「まんがABC」の1ページ。
痛い。このページの内容は、今でも夢に見る。

Abc_heart
☆彡 なお、「まんがABC」の表紙で「センセ オチャーッ」って叫んでいるのは、のちに若くして亡くなられた花郁悠紀子ではないか(波津彬子の実姉)。

萩尾望都をめぐる雑感 その2 「ポーの一族」40年ぶりの新作

萩尾望都について、引き続き。
一部すでにほかで公開している内容とかぶっているが、ご容赦ください。

☆彡 28日発売の小学館発行「月刊フラワーズ」2016年7月号に、「ポーの一族」シリーズの短編「春の夢」が掲載された。
同じ小学館の「別冊少女コミック」1976年4月号~6月号に掲載された「エディス」以来、約40年ぶりの新作ということになる。

Harunoyume
☆彡 「春の夢」のクオリティについては、多くは語りたくない。以下はあくまで私見。
初期作品における登場人物たちのシャープな目線の交錯は影を潜め、悪い意味で「お人形の目」のようだし、コマ割りは凡庸、エドガーやアランの表情は平坦で神秘性に欠け、永遠の時を生きる一族の末裔とはとても思えない。
ストーリーの背景にはナチスによるユダヤ迫害があるが、そうした歴史の重みを伝える重厚さにおいてもかつての「グレン・スミスの日記」に遠く及ばない。

Harunoyume2
Harunoyume3

☆彡 下記は最近自宅の書棚を整理した際に箱から出てきた、雑誌初出時の「ポーの一族」シリーズの表紙一覧。

Poe_all

☆彡 連載時の「メリーベルと銀のバラ」は作者にとって物足りなかったのか、単行本では加筆訂正とかいうレベルでおさまらない大量のコマの描き足し、描き直しがなされている。
「別冊少女コミック」1973年1月号のページとそれにあたる単行本のページを並べてみた。ほとんど別作品である。

Mb1
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☆彡 ただ、(これも私見である、念のため)描線の“ゆるみ”は次作の「小鳥の巣」においてすでに始まっていたように思われる。

2016/05/30

『竜の夢 その他の夢 夢みる惑星ノート』 佐藤史生 / 復刊ドットコム

Photo佐藤史生の資質を漢字一文字で表すなら、「理」だろうか。

その傾向はたとえばディーバ(魔)とディジタル処理の相克を描いた『ワン・ゼロ』やその続編に顕著だが、それ以外の作品においても彼女の意識が尋常ならざる理知のフィールドに向いていたことが窺える。

とはいえ、作品を読む限り、肩肘を張る必要はない。
代表作の1つ『夢みる惑星』など、古代火星から移り住んだ人類が大陸変動の危機をいかに免れるか、と、スケールこそ大きいが要は種族の危機を前にしてのイケメンと美形の心理合戦だ。ファンタジーとしてその展開に一喜一憂し、硬質なペンタッチとセリフに胸を焦がせばよい。

佐藤史生は2010年4月、57歳の若さで脳腫瘍で亡くなった。存命ならまだまだ、きっと、と惜しまれてならない。

『竜の夢 その他の夢 夢みる惑星ノート』は、復刊ドットコムによる「佐藤史生コレクション」の1冊。2013年復刊。
『夢みる惑星』のカラーイラスト集、続編「雨の竜」(イリスとシリンの子供が登場する!)、制作についてのQ&A、エッセイ、短編「美女と野獣」などを合わせた合本である(ただし『夢みる惑星』の前日譚「星の丘より」、「雨の竜」の後日譚「竜の姫君」は収録されていない)。

佐藤史生の作品は、一時その多くが絶版だったが、ファンの熱望に応え、復刊ドットコムや電子書籍のおかげで代表作は概ね入手することができるようになった。
未読の方はぜひご覧いただきたい。ほかのどこにもない。誰にも似ていない。

2016/05/23

誰が泣くか。 『猫ノ眼時計』 津原泰水 / ちくま文庫

14.6カラットのブルーダイヤモンドがオークションにかけられて63億円がどうしたこうした。ニュース映像でこれみよがしな四角い石は言うほどゴージャスには見えず、宝飾類に興味のない当方にはおよそ理解が及ばない。
(第一、ブルーダイヤといえば金銀パールプレゼントの洗剤だろう、そもそも。)

じゃああなたにとって贅沢って何なの、と紫煙の向こうから問われて、もちろんあれやこれやは内緒にした上で上から4番めくらいに思い浮かぶのが、津原泰水を読むことだ。
抑えめの燈火のもと、ヴァイオリンソナタを流しながらカリモクのソファでゆったりと──とかいった用意も不要。満員電車の背広族に挟まれて読もうが風呂で汗を吹き吹きページをめくろうが、ともかく時間の澱がぽろぽろと剥がれてその奥にぽっかり真っ黒い穴が空いて、その洞が艶々とテカりながら読み手を眩暈にいざなう。至福。

五色の舟」を含む『11 eleven』はもちろん、前巻よりゆらぎの増した『たまさか人形堂それから』もよい、アクロバティックな世界崩壊の物語『バレエ・メカニック』でも、『奇譚集』でも、そのタイトルにルパンを隠す『ルピナス』シリーズでもいいのだが、今夜は『猫ノ眼時計』を楽しもう。

Photo『猫ノ眼時計』は『蘆屋家の崩壊』『ピカルディの薔薇』に続く豆腐好きの猿渡と伯爵と呼ばれる小説家の漂泊を描いたダークホラーな短篇集で、このシリーズは奇想が毎度陰惨な終幕を招くにも関わらず、二度読みすると何故か笑いが笑いが止まらなくなる、ホラーだかユーモア小説だか定めがたい、一種の奇書。

今回はシリーズ最終巻だけに、伯爵の真の姿、本当の敵の正体が明らかになり、時空を超越した闘いは世界を破滅に導き……もちろん嘘。とはいえ愛車ビートルをデボネアに乗り換えた猿渡を不愉快な炎が包み、山羊の頭のスープの匂いもかぐわしく、ここであらすじやアイテムの一つ二つ書いたところで何の役にも立たぬ(珍しく人情噺も含めた)6篇、これが贅沢でなくて、なんだ。

2016/05/14

したっけ 『僕だけがいない街』(全8巻) 三部けい / 角川コミックス・エース

Photoしばらくランドセルを背負った子供の話を読みたい気分になく、この作品も売れているのは知っていたが意識の外にあった。
ところが奨められて読んでみるとこれが凄い。なるほど人気が出るわけだ。

主人公藤沼悟は29歳の売れない漫画家。周囲に危険が兆すと時間が巻き戻ってしまう特殊能力がある(「再上映(リバイバル)」と表現されている)。ある日、「再上映」に伴って思い出した子供の頃の事件の再検討を始めたところ、母が刺殺され、親しい少女も殺されかけ、さらに悟自身がその容疑者とみなされて「再上映」で逃れるが……。

ループ系タイム・リーパー 対 狡猾な殺人鬼、という設定は必ずしも珍しいものではない。
ストーリーは小学生にまで戻った悟が何度も失敗しながら推理と工夫で事件を防ぐ、という形で繰り広げられる。会話の妙など魅力はあるが、そのあたりまではまあ予測の範疇だろう。
本作が他の作品の追随を許さないポイントは、6巻の冒頭、意外と早く真犯人の正体が明らかになった後、「僕だけがいない街」というタイトルの意味が明らかになる衝撃的な展開にある。これはまったく予想外だった。

Photo_2最後まで読み通してみると、作中の「心の中に空いた穴を埋めたい」という二重の意味を持つ言葉が、この展開ではじめてこの物語を仏教でいうところの「大乗」の域を求めるものだと理解される。それはたとえば6巻 #34の最後のページで、赤ん坊を抱えた雛月加代と再会した悟が「おめでとう加代」と無自覚に涙をポロポロ流す、そんなシーンにも現れる。彼はついに加代を「救う」ことに成功したのだ。
本作は単に超能力者が殺人鬼を追い詰めるサスペンスではなく、そういう高いレイアの成果なのである。

欲をいえば悟とケンヤの最後の対話は階段でなされるべきだった。──逆に言えばそれくらいしか気になるところがない。
少し軽い絵柄を甘く見てはいけない。これは巧緻にして多層的な大伽藍なのである。

2016/05/09

ジャガ肉 『ののちゃん全集⑩』 いしいひさいち / 徳間書店 GHIBLI COMICS SPECIAL

10親の代から取り続けた朝日新聞の購読を数年前に止め、唯一残念に思っていたのがいしいひさいちの『ののちゃん』をリアルタイムに読めなくなったことだ(ほかは精神衛生面含め、誠に快適至極)。

その『ののちゃん』、久々の単行本。
2014年1月1日から2015年12月31日までの朝刊掲載分をまとめた364ページ、通し番号では第5847から第6557の711作。一気に読み切るのもなかなか大変なボリュームだ。
その中で25年めの山田家は相変わらずのんきでズボラで生真面目な日々を送っている。

巻末には特別書下ろしとして「たまののののちゃん」7作、そしてなんと10巻記念連載第1回「ののさん」2話が収録されている。
後者ではたったの8コマにポチを含む山田家の面々の10年後が過不足なく描かれ、ファンには嬉しい(ののちゃんはたまのの市の自宅から1時間かかる教育大に通う女子大生。のぼるはたかしと同じ造船会社に就職。藤原先生は賞を取ったり映画化されたりとなかなか売れっ子の小説家として活躍中のようだ)。

……と淡々と紹介して、しかし隠しきれない書評子の心拍数、赤面、上ずる声。まるで隣のクラスの女子にこがれる中学生の如き。

というのも、この第10巻、もう描かれないはずだった吉川ロカがいくつかのコマに再登場しているのである。
プロのファド歌手となったロカはときにキクチ食堂でのチャリティコンサートやたまのの市の小学校での寄り道ライブを行っているらしい。その姿は学生時代よりややほっそりし、一方でプロとしての落ち着きと矜持も感じられる。
妻ある身なればこれ以上ロカへの思いを公にはできないのだが、中学生が憧れの女子とのすれ違いを期待して休み時間のたびにやたら廊下をうろつくように、『ののちゃん』10巻を飽きず倦まずめくってはため息をこぼす。次巻はまた2年先か。『ノンキャリウーマン』や『女には向かない職業』のようにロカを、ロカだけを描く単行本が用意されたなら、この一読者、いつでも妻を捨てる用意はできて%◆§♪¶&Ψ㌧R$〓ペй℃#ゞ鹿
番組の途中ではございますが一部不適切な発言がございましたことを訂正するとともにお詫び申し上げます。

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