噂ほどにはひどくない 『このミステリーがひどい!』 小谷野 敦 / 飛鳥新社
著者はウィキペディアなど拝見した限りではなかなかに戦闘的な方のようである。
しかし、1冊の本を評価するにあたり、作者の地がどうでどう考えてなどということは二の次だ。そのスタンスにならえば本書『このミステリーがひどい!』はなかなか面白く読めた。
本書における著者の立ち位置を簡単に書けば「自分に正直に」といったところか。
ミステリーやSF小説の類は、誰しも年齢や状況によって楽しめたりつまらなかったりするものだが、著者は都度都度の作品評を数行で切って捨てる。いわく、
(西村寿行の『犬笛』は)どのみち監禁されている場所の近くへ行かなければならない設定がバカ過ぎる。
(大坪砂男の『天狗』は)今回初めて読んでみたが、実にくだらない短篇であった。
(アジモフの『黒後家蜘蛛の会』のラジオドラマに)私はあきれた。普通に考えてもバカミスである上に、チップを渡すなどという習慣のない日本人には、大バカミスである。
(クリスティについて)何でもやるバカミスの女王である。
などなど。古典から大家まで、右も左も一刀両断胡椒の利いた支那竹の勢いだが、よくよく読めば一つひとつの指摘はそうひどいわけではない。「いったい俗謡に合わせて人が死ぬと何が面白いのであろうか」など、言われてみればまったくその通りだ。
要は、古典だろうが名作だろうがナントカ賞の受賞作だろうが、読んでつまらない作品はつまらない、それだけのことなのである。つまらないことを示すために「ネタバレ」を忌避しないこともまた筋は通る。「ネタバレ」忌避をいいことに身内ボメを繰り返す書評や惹句に比べれば毒舌のほうが格段に好ましい。
一方で著者は少年時代に読んだルブランのルパンものを「実に面白かった」と讃え、『刑事コロンボ』や『警部マクロード』を「夢中で観た」と明かし、乱歩が黒岩涙香の作を書き直した『幽霊塔』に「夢中になった」と述懐する。また、西村京太郎『天使の傷痕』、筒井康隆『ロートレック荘事件』、広瀬正の作品群、北村薫の「円紫さんと私」シリーズ等への評価も隠さない。
つまるところ、やや純文学寄りの熱心なミステリーファンが、自分にとって少年時代に楽しんだ作品の閾値にいたらないのちに読んだ作品について「バカミス! バカミス!」とこき下ろしているわけだ。是非を問われれば、その姿勢は誠に正しいと思う。
近代ミステリの祖とされるポーの『モルグ街の殺人』にしてすでにけっこうなバカミスだった。つまり、ミステリなんてそもそもはバカバカしいものなのである。「犯人が実は○○だった」とか「○○で密室に」とか、あり得ないゴールめがけてギャロップを踏み、遊園地のアトラクションのごとく展開のアクロバットを楽しめればそれもよし、あるいは著者のようにダメ出しの限りを尽くしつつ、わずかな出会いを求めて苦行と見えるほど膨大なミステリ作品を追い続けるのもまたミステリの楽しみと言えなくもない。
ただ、どうだろう、あまり個々の作品の取った(ないし取れなかった)文学賞にこだわるのは。まるでそれら文学賞の権威を権威と信じているかのようで、少し痛々しい。