フォト
無料ブログはココログ

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015年11月の5件の記事

2015/11/30

『清水町先生 井伏鱒二氏のこと』 小沼 丹 / ちくま文庫

Photo_2美味しいもの、珍しいものを静かに出しておいて、ついでにそっと舌も出す。慌てて書店に駆け込んだときにはもう手遅れ。品切れ、絶版で手に入らない。いけず、意地悪、と言わざるを得ない。
ちくま文庫のことだ。
(その癖このラインナップとくと御覧じろ、手に入れ損ねたのはお前のアンテナが鈍いせい、と言わんばかりの分厚い文庫解説をタダで配っていたりする。)

小説家の小沼丹が師と仰ぐ井伏鱒二について書いたものを集成した『清水町先生』も、気がついたときには店頭から消えていた。
のちに運よく手にした小澤書店の作品集には収録されていない。未知谷の全集には入っているが1冊12,900円といささかハードルが高い。
オンラインで古書購入ボタンをポチすれば買えるのはわかってはいるが、なんとなく、小沼丹の本はそういう出会い方はそぐわない気がしてポチできない。

踏ん切りのつかないうちに空しく数年が過ぎ、たまたまどこかの書店サイトを見ていると、復刊フェアの対象だった。
やれ嬉しや。さすがはダブルバインドちくま文庫。やはり離れられないわたし。

※ダブルバインド……二つの矛盾したコミュニケーションで気持ちを縛ること。受け手は混乱してしまい、ストレスを受けつつ相手から逃れられなくなってしまう。暴力と甘言を繰り返すDV亭主から離れられない妻、など。
 http://yakb.net/man/67.html

さて、肝心の『清水町先生』だが、200ページ余りの本文が3つの章に分かれている。
第一は、小沼の随筆中に井伏が登場するもの。相手が窮するまで挑み続ける将棋の話、名人のはずが釣果のないのを小沼が見ていたせいにする話、地蔵を持って帰ろうと言い張る話など、とぼけた口調で師を描いて読み手の腹を揺する。若い者に対するときの小沼がおそらく井伏そっくりであったろうことが伺えるあたりがまた可笑しい。第二は井伏の作品、全集に寄せられた解説で、さすがに読みは深いがいささか杓子定規。第三は瀬戸内に生まれ、画家を志望した井伏の人生と作品を生い立ちからまとめたもの。集英社の作品集に寄せられたものらしいが、井伏の愛読者ならずとも人物と時代を感じさせて読み応えあり。「滅び行くものへの哀惜の情が美しく流露された格調高い作品」とか「月日を百代の過客と看る心情と相俟つて、現代を遠く遡つた時代に結晶したもの」「初期の詩情、諧謔に富む作風と云ふものが、しだいに沈潜して、かはりに作者の人生を観る眼が深まり」など、小沼の小説や随筆ではあまり見かけない熟語の多い言葉遣いも見ものの一つ。

ユーモアとペーソスあふれる大人井伏の話はもちろんとして、ところどころに登場する太宰の風情がまたよい。よくある悲愴なキャラクターでなく、どことなく薄く、平凡、穏やかなのである。それだけに井伏らの太宰の死を惜しむ気持ちが偲ばれる(一方で、太宰の遺骸を川から担ぎ上げた編集者が匂った、というような生臭い話も胸を打つ)。

表紙の装画は小沼が井伏から貰い受けたという「むべ」。それを近所の者が「あけび」と間違える、という話が巻中にあり。「むべなるかな」の言葉どおりだなと思っていたら「むべなるかな」は天智天皇が「むべ」を食べて長生きする老夫婦に発した言葉だそうで、「むべ」の名はそれが起源との説があると知って腰が抜けた。 ← 最後の最後だけほんの少し小沼ふう

2015/11/16

『シャーロック・ホームズとヴィクトリア朝の怪人たち 2』 ジョージ・マン 編、尾之上浩司 訳 / 扶桑社ミステリー

Photoシャーロック・ホームズとヴィクトリア朝の怪人たち』、後編出来。

収録作の一つ、「泥棒のもの」冒頭でワトソンはこう述懐している。

  ロンドンの地下社会に巣くう闇の存在から国家権力まで、シャーロック・ホームズは依頼人の国籍や社会的地位にはまったく頓着しなかった。並みはずれた好奇心を刺激するに足る事件と見れば、彼は全活力と忍耐を動員してそれに取り組んだのである。

実際、ドイルの《正典》でも、市井の貧しくも無名な人々からの(半信半疑の)依頼に応えるホームズこそ、国家的大事件に対するときよりむしろ記憶に残る。本アンソロジーでも、ホームズは依頼人を問わず、先入観にとらわれず、彼の手法での科学的、論理的解決をはかる。たとえ相手が火星人であろうと、ミイラ男であろうと。

ただ、どういうわけか「1」に比べると、全体的にくどく、重い。
当時のロンドンの鉄道事情、女性解放運動、『宇宙戦争』後の火星人との共存など、背景の説明にもたついたためだろうか。そのせいか、読み手側に物語としての勢いがつかず、たとえば「閉ざされた客室」ではホームズがなぜ自然死でないとこだわったのかよくわからない、素材が興味深い「ペルシャのスリッパー」では依頼人がホームズのもとを訪ねなければ病死で済んでいたのではないか、など、余計なところに気が散って、すんなり読み通すことができなかった。

一方、巻末の「泥棒のもの」「ハドソン夫人は大忙し」「堕ちた銀行家の謎」の3作は展開、決着とも無理やりなところが少なく、ホームズの物語らしくすっきり楽しむことができた。いずれも背景の説明などとくに気にならない(実際は各編とも《正典》や当時の文化、文芸作品を巧みに織り込んでいるのだが)。

2015/11/12

マスターピース 『かわうその自転車屋さん(2)』 こやまけいこ / 芳文社コミックス

Photo嘘だと思ったら食べてみてください」はマルちゃん正麺だが、『かわうその自転車屋さん』1年ぶりの新刊は「嘘だと思ったら読んでみてください」レベルの出来栄えだ。

新・旧・軽・重さまざまな自転車、サイクリング、ロードレースの楽しさや知識を縦軸に、動物たちを主役に少し意外で心和むショートストーリーが展開する。

登場する動物たちはただ可愛いだけでなく、自然界での生態と自転車選びをかけ合わせられたり、それなりにコクのある擬人的な物語に仕立て上げられたり。

カフェの併設された自転車屋「ストラーデ・ビアンケ」やかわうそ店長、ヨウコさんら主なキャラクターの紹介で紙幅を費やした1巻に比べても、動物たちのユーモアあふれる活躍にゆったりページを使えた2巻はさらに世界が広がった。表紙もいい
(しいていえば動物たちの姓の漢字が難敵だ。貝原、海里にはついていけたが、羽沼や鐘森はググってなお難し……)

Amazonなど見てみると、作者はイラストレーターとしてのキャリアは別に、ストーリー性のある連載マンガは本作が実質初めての単行本らしい。それでこのクオリティ。マンガ家という職業の業の深さをまざまざと感じる夜の晩秋だ。

もちろん、マンガにはさまざまなジャンルがあり、さまざまなアングルがある。本作はかなり狭い、一つの方向の表象にすぎない。だが、このアングルでここまで描けたなら成功だろう。
嘘だと思ったら読んでみてください。

2015/11/04

遠き昭和に 『風光る丘』 小沼 丹 / 未知谷

Photoいたって呑気な大学生、広瀬、杉野、石橋、洞口の4人は、1台のポンコツ車を後生大事に共有する<ガラ・クラブ>の仲間でもある。
この夏は4人で信州善光寺、さらに蓼科高原まで足を延ばすこととなった。しかし、紹介された宿をはじめ、奇妙な人物が次々登場し、どうも様子がおかしい……。

小沼丹は吉行淳之介、安岡章太郎らと同時期に活躍した、いわゆる<第三の新人>の一人。主要な作品は現在講談社文芸文庫で手に入れることができる。
(全集は未知谷から4巻+補巻の全5巻で発行されているが、1冊12,000円といささか高値の花。)

作品の多くは自らの追憶や近況をおっとりユーモアでくるんだ私小説風短編だが、人の死さえさらりと描く少しばかり意地悪な筆致になんとも言えない滋味があり、独特な漢字遣いと併せ、読書の楽しみここにありという心持ちが得られる。

……ところが、全集にも収録されず、40年ぶりに復刊された本作『風光る丘』はそういった小沼丹の特色をことごとく覆す。
まず、昭和36年(1961年)から翌年にかけて地方紙に連載された長編であること。ほかに長編がないわけではないが、たとえば代表作の一つ『更紗の絵』にしても基本は連作短編集である。ところが、『風光る丘』は起承転結のはっきりした900枚の大作。しかも、苦味など隠し味にも見当たらぬ明朗な青春ユーモア小説。地の文の漢字遣いもごくごくオーソドックスだ。

思い起こせば昭和の邦画界では社長シリーズ、駅前シリーズ、クレイジーキャッツ主演作など、市井を描いた他愛ないコメディが人気を博したものだが、それに近いといえば近い(そういえば駅前シリーズの原作は小沼の師にあたる井伏鱒二の『駅前旅館』だった)。登場する若い女の子の名が鮒子、鮎子、亀子。亀子は登場するたび映画女優を気取ってくねくねと尻を振り、口を開けば「いかす」「頭に来ちゃう」
小沼丹の語り口に魅かれた方にお奨めしてよいものかどうか、少し迷う。

とはいえ、このようにのんびりした「てんやわんや」も今や絶滅危惧。結末には洋次郎風味も一サジ加わって、ゆったり昭和テイストに浸りたい秋の夜長にぜひ。

2015/11/02

リサイクルされる神の王 『図説 金枝篇(上・下)』 J・G・フレーザー=著、M・ダグラス=監修、S・マコーマック=編集、吉岡晶子=訳 / 講談社学術文庫

Photo最近読んだ本格推理『あなたは誰?』には、

  知ってるかね? 二十三歳の頃からずっと『金枝篇』を読みたいと思ってきたが、四十を過ぎた今になっても第一巻すら読み終える余裕もなかったんだよ。(p.194)

とあり、また日本の妖怪を紹介した『河童・天狗・妖怪』では「鬼と死霊」の章に

  民族学者のフレーザーは、世界の諸民族のなかで、肉体的な死の後にも、なお霊魂が存在して、いろいろな働きをするという信仰をもつところでは、たいがい、死人に対する恐怖があるとしている。(p.206)

とあった。つまり、これらの書物において、フレーザーの『金枝篇』は人生必然の教養書なのである。
また、偶然にせよこのような出会いが続いたなら、迷信深い未開人が、フレーザーを読まなくてはならないという衝動にかられたのも当然である……と、フレーザーなら書いただろうか?

ジェームズ・ジョージ・フレーザー(1854-1941)、イギリスの社会人類学者、民族学者。40年の月日をかけて世界各地の信仰と習俗を蒐集した『金枝篇』全13巻を書き上げた。
翻訳には、
・1890年に刊行された初版の訳本『初版 金枝篇』(ちくま学芸文庫、全2巻)
・第3版13巻本の完訳『金枝篇‐呪術と宗教の研究』(国書刊行会、全10巻別巻、完結時期未定)
・一般読者にも広く読まれることを望んだフレイザー自身による簡略本『金枝篇』(岩波文庫、全5巻)
・S・マコーマックが第3版を要約し、挿絵を付けた『図説 金枝篇』(東京書籍 全1巻、講談社学術文庫 全2巻)
などがある。
今回読んだのは簡略本の講談社学術文庫版。それでも読み応えは十分だ。

フレーザーはまず、ターナーの描いた「金枝(Golden Bough)」という絵画作品に着目する(漱石の『坊っちゃん』で触れられたターナーの作品と思われる)。「金枝」はイタリアのネミの森にある小さな湖と神殿を描いたものだが、この神殿では男は誰でもその祭司となり、「森の王」の称号を得られる。ただし、祭司になるためには、まずその森のオークの樹から一本のヤドリギの枝(金枝)を手折り、時の祭司を殺さなければならなかった。

この神殿に祀られた豊穣の女神ディアナ、その夫ウィルビウスはそれぞれ何を表すのか。また、時の祭司はなぜ殺されなければならなかったのか。
フレーザーはその謎を追うために、(古代ローマやエジプトからスカンジナビア、アフリカ、インド、日本にいたる)世界中の伝説、神話、習俗をあたり、「呪術から宗教をへて科学へと」進む人類の歩みを広く解き起こそうとする。
また、そのために、未開人の呪術を「類感呪術または模倣呪術」と「感染呪術」に分ける。前者は敵に似せた像を傷つけたり破壊したりすることでその敵本人に危害を加えたり殺そうとしたりする試みがそれにあたり、後者は敵の毛髪や爪を燃やすことで敵に危害を加えようとする試みがそれにあたる(憎い相手に似せた藁人形に相手の毛髪を織り込んで五寸釘を打ち込む行為が強力なのは、その両者を包含しているせいといえそうだ)。

『金枝篇』はそれなりに批判も受けている。たとえば資料からの引用ばかりでフィールドワークがなされていない、あるいは一つひとつの事例の間にごく薄弱な関連しかないために理論が頭でっかちになっている、など。しかし、資料の膨大さがそういった批判を圧倒しているようだ。
また、世界各国の古代人に対し、たとえば

  ずるく身勝手にも未開人が隣人を犠牲にして自分を楽にしようとする工夫は、きわめて多種多様である。(下 p.120)

  焼き殺したとしてもなんら不思議はない。人間の苦痛を思いやる気持ちは未開人にはないのである。(下 p.247)

といった具合に傲慢かつ差別的な語り口調が散見する問題もある。これは書かれた時代によるもので、ある程度しかたがないのかもしれない。

ただ、簡略版にせよ、通し読みしてむしろ疑問だったのは、「豊穣のために殺される神」という大きなテーマのために古今東西の伝説、神話、習俗を集めながら、十字架の上で(足を地面につけないで)殺され、復活するキリストとの比較を事例としてほとんど話題にしていないことである。
講談社学術文庫版でキリストの死と復活についてきちんと触れているのは、メキシコの祭りにおいて若い男が「神々の神」テスカポリトカとしていけにえにされるのを

  救世主の死と復活を祝うキリスト教の祭典に相当するものだったといえよう。(下 p.160)

とさらりと比較している部分くらいだった。

また、豊穣と神殺しといえば、古事記のスサノオとオオゲツヒメの逸話が思い浮かぶが、『金枝篇』の3版13巻本がこれについて触れているのかどうかはわからない。

『金枝篇』とは、結局のところいつか全編を読まないと済まされない書物なのかもしれない。

※『金枝篇』では、古代ケルト人の間で、死者の霊が復活し、魔女が飛び交うとされた「ハロウィン」についても触れられている。本項は10月31日にはアップしたかったのだが、間に合わず残念。

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »