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2015/10/21

一瞬で消え失せる 『雪の墓標』 マーガレット・ミラー、中川美帆子 訳 / 論創海外ミステリ

Photoクリスマスも間近い雪の夜、デトロイト近郊の田舎町で、一人の男が刺し殺された。一緒にいた女が逮捕されるが、女は酔っていて何も覚えていない。そこに現れた若者が犯人は自分だと告白するが、その若者、ロフタスは重い、絶望的な病に冒されていた。

弁護士ミーチャムは最初は女の夫に依頼され、のちにはロフタスにかかわる何か、やむにやまれぬ衝動から、関係者のもとを訪ねて歩く。やがて明らかになる事件の真相、それぞれの「家族」の悲劇。

……「弁護士ミーチャム」を「探偵アーチャー」と書き換えれば、まるでロス・マクドナルドの書いたもののようだ。
言い換えよう、本作はマーガレット・ミラーのバリエーションの中でも、夫たるロス・マクドナルドの作風に極めて近い作品の一つである。いや、本作の刊行が1952年でロス・マクドナルドの『象牙色の嘲笑』と同年、のちにリュウ・アーチャーシリーズの作風を決定づける『ギャルトン事件』や『ウィチャリー家の女』がそれぞれ1959年、1961年の発表だったことを鑑みれば、むしろミラーのこの『雪の墓標』がロス・マクドナルドに明確な指針を与えたと考えてみるのは無茶だろうか。

真田啓介の解説によれば、江戸川乱歩はこの作品について「普通の文体の『成り行き』探偵なり」「『探偵小説』には非ざるべし」「別に驚くほどの文学味にも非ず。平々凡々のみ」と酷評したようだが、これはジャンルとしての「探偵小説」の興隆を目していた乱歩の気概がそう言わせたものだろう。一作品としてみればプロット的にも「成り行き」と切り捨てるには意外なほど細やかな構成の技巧にあふれており(たとえばロス・マクドナルドなら単なる立ち寄り先の一つで終わらせそうな質屋のエピソードもきっちりした伏線となっており、後で読み返すとその巧みさに感心する)、本格推理ファンにも十分楽しめるものとなっているように思う。

また、ミラーの作品では比喩が多用されているのだが、それだけでなく、たとえばミーチャムがロフタスを拘置所に訪ねた場面、以下のような1行がある。

  足音がドアの向こうの廊下を通り過ぎた。遠く、かすかに聞こえる音だった。

おそらく警官か誰かがドアの外を歩いていった、それだけのことだったろう。だが、ただそれだけの描写が、今自分が収監されている場所などロフタスにとってどうでもよく、大切なものは遠くにあること、さらにミーチャムが無自覚ながらそれに思いいたったことを暗示しているのだ。

ミラーの作品にはこういった、暗喩とも言い難い象徴的な表現が少なくない。
この作品には雪の中を車で移動しようとしてタイヤが滑る、そういう場面がときどき現れる。それが幾度が繰り返されていくうち、事件の関係者たちがそれぞれ何かのきっかけで平凡で穏やかな生活から滑り落ちていった、そのありさまと底のほうで静かに結びついていくのである。
ミラーの中ではこれらの象徴のからまりが、あからさまな論理以上に事件の真実を導き出す標となっていたに違いない。

なお、本書の原題は“Vanish in an Instant”(たちまち消え失せる)であり、これは作中でロフタスが引用するイエイツの詩の一節である。
雪の中でさまざまな不幸が明らかになる本書のタイトルにふさわしいだけでなく、この原題こそはミラーのすべての作品に似つかわしく感じられるのだが、どうだろう。

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コメント

今回、ヘレン・マクロイと続けて読んで、(マクロイも当節の作家に比べればかなり好きなほうなのですが)ミラーの凄みをさらに感じました。
『雪の墓標』には文明の利器?は車と電話程度しか出てきませんね。技巧をこらしている、というわけではない。つまり、古くなる要素がないので、最近書かれたといわれてもそれなりに通用する。
そのくせ、それぞれの登場人物がこう考えるだろう、こう行動するだろう、となぞったらけっこうしっかりしたミステリーになってしまっている、そんな印象です。トリックやプロットでなく、文章そのものが謎であり、伏線であり、解明になっている、それが技巧、とでもいうか。

ミラーにまだ未訳があるのは楽しみな限りです。
また、創元やハヤカワは、ロスマクをもう一度売り出す気はないのでしょうか。ハードボイルドという切り口ではなく、都会の悲劇、とか、そういった。自分ではほぼ全作品持っているのでいいのですが、未読の若い方が知らないままなのはたいへんもったいない・・・。

こんにちは。
マーガレット・ミラー生誕100年を記念して翻訳されたのでしょうか。
非常にミラーらしい傑作だと思いました。
ハードカヴァーでやや高価ではありますが、多くの人に読んでもらいたいですね。
ミラーとモームの類似を指摘した解説にもうなずくことしきりでした。

そういえば今年は「まるで天使のような」も新訳で出ましたね。

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