フォト
無料ブログはココログ

« 彼のうちで彼女はめざめていた 『泉』 チャールズ・モーガン、小佐井伸二 訳 / 白水社 | トップページ | 山○容疑者かよ 『海から何かがやってくる 薬師寺涼子の怪奇事件簿』 田中芳樹 / 祥伝社ノン・ノベル »

2015/09/23

でももう底まで着いた 『森のバルコニー/狭い水路』 ジュリアン・グラック、中島昭和 訳 / 白水社

Photo先にも紹介したとおり、モーガンの『』は、イギリスの士官が捕虜として4年間(!)オランダに留め置かれた、その間の物語である。
この設定はいかにもジュリアン・グラック好みの、と振り向いてみれば──『森のバルコニー』があった。

  一九一五年一月のある午後、小さな汽車がオランダの平坦な田園地方ボーデグラーフェンのあたりをゆっくりと通って、捕虜となったイギリス士官たちの一団を運んでいた。

これが『泉』の冒頭。
一方、『森のバルコニー』の書き出しは

  汽車がシャルルヴィルの郊外を過ぎ、町の煤煙も見えなくなると、見習士官グランジュにはこの世の汚れが次第に消え去ってゆくように思われた。

別に似ているわけではないが(これが似ているなら『雪国』だって似ていることになる)、前者ではアリスン、後者ではグランジュという、どちらかといえば思索家で軍隊向きとは言えない士官たちが、世の雑事を背後に置き去りにし、言わば時間的にも空間的にも切り取られた物語の舞台に運ばれていくという点では共通している。

ジュリアン・グラック(1910-2007年)は極めて寡作なフランスの作家で、生涯を通して形をなした長編小説は以下の5作のみ。
(その他文芸評論やエッセイ集、詩集などがあるが、それとて多作とは言い難い。)

  『アルゴールの城にて』(1938年)
  『陰鬱な美青年』(1945年)
  『シルトの岸辺』(1951年)
  『森のバルコニー』(1958年)
  『半島』(1970年)

いずれも主人公が休暇や停戦、つまりなんらかの猶予期間にあり、やがて何か破滅的、致命的なことが起こりそうな緊張感が次第に高まっていく、そういった作風。文体は飽和せんばかりの濃い暗喩、隠喩に溢れ、細密な装飾に埋め尽くされたバロックの建築物を思わせる。寡作ながらいまだファンの多い所以である。

その第4作『森のバルコニー』は、第二次大戦の初頭、ポーランドを占領したドイツ軍とフランス軍がベルギーをはさんで睨み合ったままともに戦闘に踏み切らなかった、「奇妙な戦争」と呼ばれる7、8ヶ月の停滞した戦場を描く。主人公グランジュは前線の堡塁に配置されるが、美しい自然の中、戦線の緊張感が次第に高まっていく気配を実感することができない……。

小説として決して出来が悪いわけではないのだが、神秘的、叙事詩的な構成美に貫かれた『アルゴールの城にて』や『シルトの岸辺』に比べ、鉄臭い汽車や戦車や銃や有刺鉄線が直接場面を塞ぐ情景がどうしてもガサツに見えるためか、グラックの作品中、今一つ人気に乏しいとみえる。たとえば別冊水声通信の『ジュリアン・グラック』(水声社)でも、ほとんど誰も取り上げていないようだ。
個人的には作中に登場する少し調律の外れた若い未亡人も今一つ場にそぐわない印象で、グラックの描く女を選ぶなら後年の『半島』に収録された短編「街道」や「コフェチュア王」に登場する無口で暗く名も記されていない女たちのほうに軍配を上げたい。
まあ、それもこれも、グラックが第二次大戦の史実をテーマにした違和感からか。グラックが別のところで主張したように、(出来事や人間心理より)季節の流れ、その移ろいを描くことを重視したというなら、なにもこの時期のこの森でなくとも、という返答はどうだろう。

ところで、『森のバルコニー』の3ページめには、グランジュが任地のモリヤルメに到着し、その地のサイレンに比べて郷里の消防署のサイレンは

  一度鳴ってやむときは小火、二度続くのは村うちの火事、三度ならば遠くの農場の火災であった。

と述懐を述べる。
『泉』では、森の火事に際し、教会の鐘を鳴らして村人に伝える場面がある。

  「お聞きなさい。すぐやみます。それから、一つ一つゆっくりと鳴らしてその方角を知らせるのです。(中略)一つ──北。二つ──北東。三つ──東。」

グラックがイギリスの作家の『泉』を読んでいたかどうかは知らない。
ただ、このようにいくつか通底するものを感じるばかりだ。

---------------------
(附)
グラックの作品のうち、とくに長年入手困難だった『陰鬱な美青年』(小佐井伸二訳)がこの4月に文遊社より再発された。喜ばしい限り。

« 彼のうちで彼女はめざめていた 『泉』 チャールズ・モーガン、小佐井伸二 訳 / 白水社 | トップページ | 山○容疑者かよ 『海から何かがやってくる 薬師寺涼子の怪奇事件簿』 田中芳樹 / 祥伝社ノン・ノベル »

小説・詩・文芸評論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/547008/62334599

この記事へのトラックバック一覧です: でももう底まで着いた 『森のバルコニー/狭い水路』 ジュリアン・グラック、中島昭和 訳 / 白水社:

« 彼のうちで彼女はめざめていた 『泉』 チャールズ・モーガン、小佐井伸二 訳 / 白水社 | トップページ | 山○容疑者かよ 『海から何かがやってくる 薬師寺涼子の怪奇事件簿』 田中芳樹 / 祥伝社ノン・ノベル »