『偏愛文学館』 倉橋由美子 / 講談社文庫
歓声をあげたくなるような見事な書評ならいくらでもある。
ただし、書評の読み応えと取り上げられた本の価値がいつも合致するとは限らない。
単に、書評の書き手とこちらの、好みが噛み合わないこともあるだろう。
本の内容、立ち位置を切って捨てる、その切れ味が痛烈、という書評だってある。
あるいは「狐」氏のように、書評はとびきり楽しいが、書評氏の水準が高すぎてその推奨する域までこちらが登攀できない、そんなケースもある。
倉橋由美子の『偏愛文学論』は読んで痛快、懇切丁寧、かつ紹介された本にハズレがない、(少なくとも僕にとって)稀有なブックガイドの1冊である。
凡百のベストセラーなど見向きもせず、内角クロスファイアーな選択(一見教科書的なラインナップ中にジュリアン・グラックの『アルゴールの城にて』と『シルトの岸辺』が選ばれているだけでもおよそ尋常ではない)。ですます調の文体は倉橋にしては温厚で、むやみに剣を振りかざすことなく、穏やかにその作品の長所を説く──そのような印象ではあるが、その中にも要所要所で彼女らしいスタイルは徹底されている。
今の若者たちのしゃべり方でしゃべり、メールの文章と同じ調子で文章を書くような人物が登場するような小説は読みたくもないし、勿論自分で書くことなど思いもよりません。(『アルゴールの城にて』)
飛び降り自殺による肉体的崩壊よりも、自分が誰だかわからなくなるまで自己崩壊した肉体が人形のように歩いている、というのがいい終わり方です。(『アドリエンヌ・ムジュラ』)
晩年の『眠れる美女』や『片腕』になると、腐ったものにしかない美味の極致に近づいており、また人を酔わせる死の匂いがあって、もはや変態の域を超えています。(『山の音』)
この推進力をもって、タイトルは昔から知ってはいたが縁はないと思っていたマンの『魔の山』やオースティンの『高慢と偏見』を読むにあたり強力に背中を押してくれたのが本書である(オースティンはその後ちくま文庫に中野康司氏の新訳を得て長編をすべて読破することができた)。高校時代にある程度読んで済ませたつもりでいたサキやカフカ、また『聊斎志異』を再読、楽しめたのも本書がきっかけだ。
残る未読の作家はもちろん、既読の作家も彼女の批評を片手にもう一度読んでみたいと考えている次第。
以下は目次。出先の書店でも未読の書名を調べやすいように、などという個人的都合でここに書き写しておくのはナイショである。
夢十夜 ── 夏目漱石
灰燼/かのように ── 森鴎外
半七捕物帳 ── 岡本綺堂
鍵・瘋癲老人日記 ── 谷崎潤一郎
冥途・旅順入城式 ── 内田百閒
雨月物語・春雨物語 ── 上田秋成
山月記・李陵 ── 中島敦
火車 ── 宮部みゆき
百物語 ── 杉浦日向子
聊斎志異 ── 蒲松齢
蘇東坡詩選 ── 蘇東坡
魔の山 ── トーマス・マン
カフカ短篇集 ── フランツ・カフカ
アルゴールの城にて ── ジュリアン・グラック
シルトの岸辺 ── ジュリアン・グラック
異邦人 ── カミュ
恐るべき子供たち ── ジャン・コクトー
アドリエンヌ・ムジュラ ── ジュリアン・グリーン
架空の伝記 ── マルセル・シュオブ
名士小伝 ── ジョン・オーブリー
コスモポリタンズ ── サマセット・モーム
偽のデュー警部 ── ピーター・ラヴゼイ
高慢と偏見 ── ジェーン・オースティン
サキ傑作集 ── サキ
太陽がいっぱい ── パトリシア・ハイスミス
ピンフォールドの試練 ── イーヴリン・ウォー
めざせダウニング街10番地 ── ジェフリー・アーチャー
リオノーラの肖像 ── ロバート・ゴダード
ブライヅヘッドふたたび ── イーヴリン・ウォー
二十四の瞳 ── 壺井栄
山の音 ── 川端康成
ヴィヨンの妻 ── 太宰治
怪奇な話 ── 吉田健一
海市 ── 福永武彦
真夏の死 ── 三島由紀夫
楡家の人びと ── 北杜夫
高丘親王航海記 ── 澁澤龍彦
金沢 ── 吉田健一
ちなみに、この目次、何度数えても38項なのだが、カバーの惹句には「39冊」とある。上田秋成を2冊とカウントしたのだろうか?
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