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2015年2月の12件の記事

2015/02/27

通底する生態系 『黒い破壊者 宇宙生命SF傑作選』 A・E・ヴァン・ヴォークト、R・F・ヤング=他、中村 融=編 / 創元SF文庫

Photo2000年代になってSFは復権した、のだろうか? 今一つよくわからない。
河出のNOVAシリーズ、創元やハヤカワの年鑑傑作選など、新旧のSF短篇オムニバス(の、とびきり分厚いの)が続々発刊されているところを見ると、底冷えの季節は過ぎたようにも思える。
とはいえ2000年代のSFが世界のモノの見方を変革、牽引していくかといえば、正直言ってそれは疑問だ。ラノベやコミケ、SNSに比べて、主たる書き手、読み手の姿もよくわからない。

『黒い破壊者 宇宙生命SF傑作選』は、SFの花、人類と宇宙生命の邂逅をテーマにした海外SF短篇オムニバス。
ヴァン・ヴォークト、ポール・アンダースン、ヤングといった名前から推察できるように、アメリカのSF雑誌がはちきれんばかりの魅力にあふれていた時代──つまり50年ばかり昔──の作品から編まれている。いずれの作品もアクロバティックな論理ゲームが楽しく、サスペンスあり、ロマンスあり、SF初心者にもお奨めだが、テーマを絞りすぎたためか、人類が外惑星に進出、開拓しようとする中、それまで問題ないとされてきた生命体がある日思いもかけないトラブルの種に……と収録6作品ともほぼ同じ構成になっているのがやや平坦といえば平坦な印象。

その中で、今回とくに興味深く読んだのが巻頭のリチャード・マッケナ「狩人よ、故郷に帰れ」。

少し話は寄り道するが、近年のSFプチ復権の前、この国で最後にSFに正面から立ち向かっていたのが、70年代後半から80年代にかけての少女マンガだったように記憶している。
萩尾望都『スター・レッド』『銀の三角』『A-A'』、佐藤史生『夢みる惑星』『ワン・ゼロ』、花郁悠紀子『フェネラ』などの作品は、いずれも少女マンガのエッセンスたる恋愛主題と他者依存から脱して骨太なSFとしての骨格を有し、かつ小道具などに細やかなセンス・オブ・ワンダーがあふれていた。

彼女らのSF作品を見ると、その惑星に張り巡らされた動植物ネットワークとリンクすることでその惑星全体との交信が可能になる、という展開のものに力作が多い。萩尾望都『スター・レッド』、佐藤史生『やどり木』、花郁悠紀子『風に哭く』などがそのバリエーションにあたる。

「狩人よ、故郷に帰れ」に登場する植物のような姿をしつつその葉をもって昆虫のように飛ぶフィトという生物は『風に哭く』のズーフィタに(設定や姿はおろか名前まで)似ているし、そのフィトをはじめとする惑星の生物はすべて意識の底で通じており、そこに人間も参加していくという設定は佐藤史生の『やどり木』の世界観そのものだ。
なるほど、彼女たちの作品の結晶核となったのはこの「狩人よ、故郷に帰れ」だったのか! と確信に近い手応えを得たのだが、困ったことにこの短編(1963年発表)は雑誌を含めて初訳だという。
では、花郁や佐藤の作品に頻出するあのガイア思想の直接の出所はどこだったのだろう?
聞いてみたい気もするが、残念なことに気がつけば二人ともすでに故人なのだった。

2015/02/25

終生忘るなし 『とめはねっ! 鈴里高校書道部 (13)』 河合克敏 / 小学館 ヤングサンデーコミックス

13(『とめはねっ!』の13巻が発売されたのは2か月ばかり前だが、予告に次巻で終筆とあり。最終巻が出る前にもう一度取り上げておきたい。)

微温にだらだら続くギャグマンガの作法をあっさり蹴り出して、鈴里高校、鵠沼学園に豊後高校の一条を加えた合同夏合宿がじわじわ熱い。
「書の甲子園」参加を最後に柔道部に専念することになったもっちー、そのもっちーへの一条の告白受けて、ガチャピンユカリはどうする、どうなる。「書の甲子園」の結果は。

そんな本巻の後半を厳しく締めるのが、ユカリたちの師、三浦清風(表紙左)が若い頃に圧倒されたという書家井上有一(1916-1985)の書「噫横川国民学校」。
これは東京大空襲(1945年3月)の際、横川国民学校の教師をしていた井上が、教え子を含む千人以上が焼夷弾に焼け死に、自身も九死に一生を得た記憶を書に叩きつけたもので、読めずとも苛烈、読んでしまうともはや息もつまる凄惨さである。芸術性は知らず、これに比べればピカソの「ゲルニカ」さえおよそ牧歌的だ。

2015/02/24

うんこの尺玉花火 『うんこがへんないきもの』 早川いくを / アスキー・メディアワークス

Photo「へんないきもの」といえばあれやあれでしょ、あのあたり。週末にはサンシャイン水族館にでも見に参りましょう、とすっかり老若男女に市民権を得て、いよいよ錦のカツオドリ。その早川いくを『へんないきもの』シリーズの新作は──ええい、今回も帯からコピってしまえ、

  本書の 内容は クソです。

内容はうんこの山。うんこに次ぐうんこ。右も左もうんこ。積もるうんこ、降ってくるうんこ、転がるうんこ、飛び散るうんこ。夜寝る前に読んでいると、体がずぶずぶうんこに沈んでいくような──それはもううんこ。
ことに「エコロジカルな地獄 コウモリ」の章は、決して寝る前に読んではいけない。食事中なんて論外だ。

とはいえ、いきものたちにとってうんこは貴重な資源であり、ツールであり、ドキュメントである。へんないきものたちに向ける著者の意地悪だがトドメは刺さない絶妙な目線は今回も健在、ただ、既刊の『へんないきもの』シリーズと違って、今回はネタ集めのフン闘空しく、一ネタが数ページはだらだら続く。……そう、フンギリが悪い、なんてな。

ところで、『半七捕物帳』で知られる岡本綺堂の怪談集『青蛙堂鬼談』冒頭には、中国で三本足の蛙が珍重される、という話が出てくる。
ウィキペディアでは「青蛙神」の項に

中国の妖怪。蝦蟇仙人が従えている三本足の蟾蜍(ヒキガエル)の霊獣とされる。3本の内訳は前足が2本、後足が1本で、後足はお玉杓子の尾のように中央に付く。

とあり、

天災を予知する力を持つ霊獣もしくは神。大変に縁起の良い福の神とされ「青蛙将軍」、「金華将軍」などとも呼ばれる。

とされている。
しかし、三本足の蛙がこんなふうに神格化されるにいたるにはなんらかの契機、三本足の蛙が頻繁に見られる沼なり池なりがあったに違いない……と以前より不思議に思っていたのだが、今回、『うんこがへんないきもの』に、(アメリカでの話だが)吸虫のために三本足の奇形の蛙が生まれる恐ろしい話を得た。……もしや、神様は寄生虫だったのか。

2015/02/22

乙百合 『乙嫁語り』(7巻) 森 薫 / エンターブレイン BEAM COMIX

7書評に際して作者のあとがきから流用を連発するのは芸もなければ能もない、わかっている。わかってはいるのだが、今回はその一手。

19世紀後半の中央アジアを舞台に、その地に咲き競う乙嫁たちを描く本シリーズ(←このへん、棒読み)、前巻
  戦いと土けむりと血と汗とでドロドロ
だったのに対し、今回は
  裸まみれの風呂マンガ
だ。当然、おっぱいもおっぱい、もとい、いっぱい。ただ、絵柄は昔日の少女小説なオモムキで、ペン先さえ変えて表紙から本編最後まで
  ペルシア名物レモンアイスのようなさっぱり味
である。

「姉妹妻」という風習は日本人には理解の外、それもあってか今回これはいいのか、いくない、との評も見かける。しかし、本シリーズをオムニバスと見なせば各巻ごとにバリエーションがあって当然だろう。
次巻からはまた
  モツ煮込み
に戻るとのことなので今回イマイチだった方は期待しよう。なにしろ次はあのパリヤさん編らしいぞ。カーッ。

それにつけてもメイドが描きたい、馬が描きたい、おっぱいが描きたい、思い立ったらすぐさま描き上げ、その成果が細密かつ読み応えある大河ストーリーとなる、なんというか凄いを超えてただもう羨ましい作者ではある。

(おまけ)
巻末の番外編「熱」は、中年にさしかかる人妻サニラさんが熱を出し、無骨な夫が彼女の寝巻きを脱がせて寝汗をぬぐう、それだけといえばそれだけの話。なのに、濃密。短編・イラストカット集『森薫拾遺集』には「昔買った水着」というタイトルで、人妻が畳の和室で(障子を閉めて)ワンピースの水着を着てみせる、というねっとりした短篇があり、『エマ』の9巻には結婚して8年めのヴィルヘルムとドロテアの子持ち夫婦が朝からベッドでキャッキャウフフする「歌の翼に乗せて」という挿話がある。
三編いずれもたっぷりと凄いので、ベストスリーとして表彰したい。や、何が、と問われても困るが、その。

2015/02/19

悪趣味 『その女アレックス』 ピエール・ルメートル、橘 明美[訳] / 文春文庫

Photo意外なラストに驚く。よもやこの設定、この展開で、コメディだったとは。やるな、ピ、エール。

振り返れば、前兆はあった。
いわゆる「本格推理」としては素人目にも脇が甘い。拉致監禁するなら息子の居所を聞き出すが先だろ、とか、ウィッグと偽名くらいでなんでバレないの、とか、この動機でそんな運任せの締め括りはないでしょ、とか。振り子の原理や希硫酸の効能も気になる。作者はそうした理屈合わせや伏線の回収など一切合切より、エグい拷問や殺人描写、登場人物の背の低さ、予審判事の無能さ加減を何度も繰り返し強調、悪趣味の限りを尽くして読み手のフラストレーションをつのり、その上で最後のハッピーエンドを用意したかったのだろう。
早い話、水戸黄門のバリエーションだ。

そんな本作について、過激でグロテスクなだけ、との評も見かける。否定はしない。しかし、たとえばちょうど300年前の1715年に大坂の竹本座で初演、17ヶ月続演の記録を打ち立てた近松の人形浄瑠璃の一節は以下のとおり。

華清妃は呉三桂の手引きで逃れるが、海登の湊でついに砲弾に倒れる。呉三桂は死んだ妃の腹から皇子を取りだし、代わりに殺した我が子を身代わりとして腹に入れる。
      (ウィキペディア「国性爺合戦」の項より)

つまるところ、観客はいつだって過激でグロな話を待っているのだ。そして本書が「読後感最悪」「女性や子供にはとても奨められない」など集中砲火を受けつつ、広く楽しく読まれているのもまた事実。

ただ、ミステリやサスペンスの世界で、愛する家族を死なせた刑事や****を受けた女なんていう設定はそろそろお腹一杯、うんざりとげんなりが徒競走。そのあたりはなんとかしてほしかったよ、ピ、エール。

2015/02/16

『官能美術史 ヌードが語る名画の謎』 池上英洋 / ちくま学芸文庫

Photo部屋のどこかに虫の羽音が聞こえるかのように少し気持ちの悪い本だ。

西洋美術史における裸体画の紹介、その解説という点で、文庫260ページあまりとは思えない密度の高さ、これ以上望めないカラー印刷の水準など、一冊の本としての品質は素晴らしい。
(すべてカラーでないのが惜しまれるが、モノクロページにはできるだけ彫刻やペン画を収めているようで、そのあたりの気配りも細かい。)

選ばれた作品はローマ時代の彫刻から盛期ルネッサンス、ロマン派、写実主義、印象派……と幅広く、本文、画像キャプションとも資料性が高い。宗教的意味から絵画技法、隠されたエピソードまで、本来許され難い裸体画がいかに描かれ、どう評価されてきたかを語って博覧強記、よどみない。

目次は以下のとおり。

 第一章 ヴィーナス──官能の支配者
 第二章 官能なる神話の世界
 第三章 画家たちの愛
 第四章 かけひき──キスから結婚まで
 第五章 秘めごと──ポルノグラフィー、不倫と売春
 第六章 さまざまな官能芸術──同性愛・愛の終わり・昇華された愛

実はこの大項目だけ並べても内容には近づけない。
「画家たちの愛」でいきなり登場するのはピュグマリオンで、それならこの章も神話がテーマかと思えば後半はラファエル前派の画家たちの実恋愛が語られる。「不倫と売春」についてその言葉どおり生々しい絵が紹介されるかと思えば(本書には「あからさま」な作品も少なくない)、その章の最後を占めるのはマグダラのマリアだ。

しかし、本書にどこか違和感を覚えるのは、そういった変幻自在さにかかわらず、著者本人の焦点がよく見えないためだ。著者はこの膨大な作品群のどのあたりをどのように好もしく思っているのか。裸体画をテーマにしていながら、著者の目線にいっこう官能的な印象が感じられないのはなぜか。ならばなぜわざわざ「官能」美術史を選んだのか。

蝶コレクターの標本のほうがもう少しエロスの匂いがするように思うのだが、どうだろう。

PS. 同じ著者による姉妹作『残酷美術史 西洋世界の裏面をよみとく』も、生首や内臓の飛び散るスプラッタな作品と貧しさによる悲惨さとが同列に扱われていたり、と、著者の嗜好というか頓着のなさがやはり今一つよくわからない。

2015/02/12

外に出て、自分を救いなさい 『営繕かるかや怪異譚』 小野不由美 / 角川書店

Photoいろいろな意味で先の『セメント怪談稼業』とは対照的な怪談集。

時を経た家並み、和風の古屋に越してきた家族たちを妖異の障りが待つ。

依頼を受けて現れた営繕屋は心霊を「祓う」のではなく、家屋敷にちょっとした工夫、今風にいえばリフォームの手を加えることで怪異を静め、霊障を逸らす。
営繕屋は「若い」とあるのみで、どのような姿形、声をしているのか、逆光の中にいるようで明らかでない。ただ穏やかに仕事を施して去っていく。

一つひとつの怪異は住人の「妄想」でなく、歴然たる心霊現象として語られる。「実話」「実録」的な要素はほとんどなく、すべて作者のこしらえた架空の話なのは明らか。にもかかわらず、暗い家屋の影に見え隠れする怪異はまるでおののく家族や友人から直接聞いたばかりのように生々しく鳥肌が沸く。

六つの短篇は、各篇とも、日常にふときざす疑惑や歪みをきっかけに、困惑、動揺がどんどん高まり、最後、営繕屋による解決まで、テレビの水戸黄門か何かのようにきっちり同じ大きさ、同じかたちの枠の中に納まっている。そのくせ、その中にたゆたゆと揺れる妖異はあるいは腐臭を漂わせ、あるいは氷雨のようにむごく哀しい。

ストーリーを抜書きすれば、人間と怪奇が二世帯住宅的共存をはかれるよう、論理パズルに工夫をこらす、そんなふうに説明できなくもない。
その一方、作者の筆は、住人のみならず、現れるあやかしたち、「雨の鈴」に登場するモノのように人の生き死ににかかわるモノや、「潮満ちの井戸」のように営繕屋が現れなかったらどうなっていたかわからないようなモノさえ、いつくしんでやまない。

一冊の単行本として、振幅は大きいとは言いがたい。十年経って傑作として名が残るかどうかもわからない。
だが、どの一篇とて頑として揺るがない。プロの矜持のなす仕事である。

2015/02/09

言い訳の多い工務店 『セメント怪談稼業』 松村新吉 / 角川書店 幽BOOKS

PhotoTwitterで話題になっていたので読んでみたのだが……少なくとも期待したほどではなかった。

従来の実話怪談が取材で得られた怪異を匿名性を保ったまま独立した短篇に仕立てるやり方なのに対し、この著者は普段は建設現場に従事しつつ、そこに持ち込まれた嫌な事件、その顛末を一種私小説ふうにまとめていく。
つかみは悪くない。実際、冒頭の数編、怪談作家でありながら心霊現象へのかかわりを必死で避ける腰の引け具合など、ちょっと新しい風を感じないでもなかった。

しかし、ともかくどの短篇も怪談としてみると怖くない。新味がない。

作中の記述によると、著者ら若手に対し、実話怪談に「幽霊」「猟奇」に次ぐ新しい第三の恐怖を創生せよと指揮したのは親分肌の平山夢明らしい。確かに、氾濫する実話怪談に、読むほうもかなり飽きてきてはいるのだ。しかし、怪異体験者側の「妄想」に着目した著者が新機軸に成功しているようにも思えない。
少なくとも平山が実話怪談に「猟奇」を持ち込んだときのあのひりひり、ぎりぎりした怖さ、面白さには比ぶべきもない。

私小説としては稚拙、「妄想」という観点からは中途半端、語り手のヘタレ具合にウケをとるギャグとしても今ひとつ……方向性はともかく、精度としてこれではいただけない。
もしかすると、この著者には、余裕があり過ぎるのかもしれない。

2015/02/06

ありゃいいな いい物だ 『アップルシードα(1)』 黒田硫黄 / 講談社 モーニングKC

Photoこれはまた、黒大王様も困ったものを。

士郎正宗の『アップルシード』(1985~1989)のファンにしてみればアニメだ実写だと映像化されるだけであれこれ神経に触るのに、その上そのスピンオフ。しかもよりによって筆描きの黒田硫黄。

一方、黒田硫黄ファンにすれば、天狗だの茄子だののヌテヌテを今回も期待していたら、なにやら小難しい近未来SF。主人公の浮きっぷりもいつもほどじゃない。

それでも、二度三度読み返していくうち、だんだんシロマサのあのクールなタッチが上書きセーブされ消えていくのが黒田硫黄流。元SWATのデュナン・ナッツとサイボーグのブリアレオスってばもともとこんなものだったっけ。こんなものだったよ。
大王様、強すぎ。

思うにこのタッチなら♪タッタカター『サンダーバード』だって描けちゃうんじゃないの。スコットがベルトコンベアの上で「あ、はさまった」とか、バージルが客車か何かの救助に失敗して「落ちちゃった」とか、すぐコマが思い浮かぶ。
でも、『攻殻機動隊』には手を出さないでね。

2015/02/05

もじくんはイイものだよ 『子供はわかってあげない(上・下)』 田島列島 / 講談社 モーニングKC

Photo雑誌連載中に読んでいたので内容はわかっていたのだが、ここしばらく店頭に平積みになっているのを見るたびむずむずして、結局購入してしまった。
通勤帰りの電車で上・下巻一気読み。大満足(フェルマータ)。

作者はこれがデビュー連載。
やわらかな線でくるまれた、水泳得意、まっすぐなヒロイン朔田美波。書道教室で小学生相手に教える腕をもつ門司昭平。そして、語りきれないものを抱え、ちょっとだけナナメな脇役たち。ことに門司の兄、性転換した探偵さんの存在感がとてもすがすがしい。

舞台は真夏のプール、校舎の屋上、夏休みの海。
小ジャレたセリフに導かれ、新興宗教をからめたミステリとも、超能力をからめたSFとも、親の再婚をからめたホームドラマともつかぬ青春物語がスピーディに転がっていく。繰り返し描かれる、誰かから誰かに受け継がれるもの、こぼれるもの。

新しい家族に内緒で5歳のときに別れたきりの実の父親に会いにいく、そういう展開で読み手の涙を誘うのは比較的簡単だが、さらっと笑わせるのは多分ずっと厳しいに違いない。

往年のNHK少年ドラマシリーズの枠があったなら! この夏休みの出来事は、間違いなくその世代の子供たちの心に焼きついただろうに。
下巻後半の屋上のシーン、大甘と笑わば笑え。ほかの誰にこれが描けるものか。

2015/02/04

リモコン死にます 『ハルロック(3)』 西餅 / 講談社 モーニングKC

Photo【ううん!? この位面倒くさくないと物足りないくらいだよ】

電子工作を素材にして衝撃の『ハルロック』、もう3巻め。早い。

前作『犬神もっこす』もそうだったが、西餅の作品では、当初はギャグのための記号(アスキーアート)のようだったキャラクターたちが、連載を重ねるうちにじわじわ人間味を増していく。

他人の迷惑かえりみず、ドライバー片手に機械を分解するばかりだったKYはるちゃんも、ここにいたって細面の就活生となり、ときにはやわらかな気遣いや戸惑い、躊躇を見せてくれる。おじさんうろたえてコンデンサかじっちゃうぜ。
そして3巻後半では、プログラマを生業とする女性のアドバイスを得て、思いがけない展開が。そうくるか。

──ところで、『ハルロック』は電子工作好きの向阪晴(さきさか  はる)が主人公……とばかり思っていたのだが、さっき気がついた、「ロック」とはもしや真下六祐(ましも ろくすけ)のことか。六君、はるちゃんのストーカーというだけじゃなかったのか。
すると『ハルロック』は、ハルとロクの成長物語。単行本最終巻のエピローグでは六君が代表取締役社長で、でも実権は常務専務のはるちゃん。うわぁまるで〇〇や〇〇〇〇〇〇〇〇のようだー。 ← 勝手に決めるな

2015/02/03

1000年くらいは誤差だ 『決してマネしないでください。(1)』 蛇蔵 / 講談社 モーニングKC

Photo個人的な印象だが、文芸サークルの会員は恒星のように一点見つめてぐつぐつ煮詰まっていくのに対し、理系サークルの参加者は惑星型というか、てんでに飛び交って行きつ戻りつ、そんな感じだ。

どこかの大学の物理学サークルを描いた本作でも、ちょっとずつ常軌を逸した登場人物たちが互いを軽くスルーしながらわいわい実験したり歴史上の偉人を語ったり。パーティバーレルで鶏の骨格標本をこしらえる冒頭から、切れかかった電球のように、切れてはつながるコミュニケーション。

ものの12ページで解剖医ジョン・ハンターの生涯、かたや2ページでベル研ヘンドリック・シェーンの捏造事件を描き切るパワーも天晴だが、学食のおばさん(可憐・・)への片恋に論理的に苦悩する物理学生掛田くんや人見知りのあまり着ぐるみかぶらないと人前に出られない女子学生ゾンビちゃんらの奇妙な儚さもまた味わい深い。
どうかときどき掲載でいいからいつまでも続いてほしい。
学習マンガが好きなやつは、この指テスラ、ナトリウム。

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