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2014年12月の6件の記事

2014/12/29

許さない逃がさない離さない 『異神変奏 時をめぐる旅』 近藤ようこ / KADOKAWA 幽COMICS

Photo世評に高い『五色の舟』を求めて書店に赴いたがあいにく見あたらず、二軒めでたまたま目についた同じ作者の『異神変奏 時をめぐる旅』を購入して帰った。

一読、思わず声を上げる。素晴らしい。

「三方のヒメ」の呪いを受けた「黒女(クロメ)」と「真足(マタリ)」。二人は、現代から戦中、平安…と輪廻の螺旋の中、何度も生まれ変わっては出会い、出会い、そのたび周囲に望まぬ不幸を巻き散らしていく。

この、時を統べる深いうねり、茫漠、哀切な感興は、手塚治虫の『火の鳥』に勝るとも劣らない。強いて比較すれば、近いはあの「復活編」あたりだろうか。

近藤ようこはあるときは中世(平安、鎌倉期)の残虐怪異な奇譚を描き、あるときは現代女性の空疎な命運を切り据える。ベタやスクリーントーンを用いない淡白な手描き画風ゆえ、軽く流したごとく見えなくもないが、一つひとつの作品はしなやかで「はずれ」がない。
本『異神変奏』は、常に一定の水準を保つ近藤作品の中でも、珍しくストーリーに太い芯の通った、強く鮮やかな連作であるように思う。

また、異形の面を持つ予言者が物語の契機であり時のやり直しが帰結であるという点で、本書は『五色の舟』のバリエーションともいえる。
いや、津原泰水による「五色の舟」が河出文庫『NOVA2』に掲載されたのが2010年7月、『異神変奏』の最初の一篇が「月刊flowers 凛花」に掲載されたのが同じ年の10月であることを考えれば、正しく津原の「五色の舟」に呼応するのは、そのコミック版『五色の舟』でなく『異神変奏』のほうではないか。

11『11』 津原泰水 / 河出文庫

Photo_2

『五色の舟』 近藤ようこ / エンターブレイン ビームコミックス

2014/12/20

ファブリーズで除霊しましょう 『胸の火は消えず』 メイ・シンクレア、南條竹則 編訳 / 創元推理文庫

Photo_2ブロンテ姉妹の研究や文芸作法における「意識の流れ」という言葉を初めて使ったことで知られるメイ・シンクレアの怪奇短篇集。

前後のイギリスの女流作家の生没年を少し調べてみた。

 メアリー・シェリー(1797-1851)、『フランケンシュタイン』
 シャーロット・ブロンテ(1816-1855)、『ジェーン・エア』
 エミリー・ブロンテ(1818-1848)、『嵐が丘』
 メイ・シンクレア(1863-1946)
 ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)、『ダロウェイ夫人』『灯台へ』
 キャサリン・マンスフィールド(1888-1923)、『園遊会』
 アガサ・クリスティ(1890-1976)、『アクロイド殺し』

なるほど、作者がゴシックからモダニズム、フェミニズムへの橋渡しの時代に位置していたことがうかがえる。

本書の収録作においても、いかにもゴシックな轟々たる悪鬼怨霊の類より、霊が現れるにいたった人間の欲望、狂気のほうが主軸に描かれる(現在でいうところのストーカーや超能力者も登場する)。
往々にして女性は冷静かつ知性的、男は傲岸だがその実怯懦、小心者。
なかには霊界の住人と哲学的、神秘主義的な会話を交わすだけの作品もあれば、死んだ妻とことをなすお話もあり(たいそう情熱的なものらしい)、それら端境期のさまざまな創意のバリエーションを楽しむべき集成のようにも思われる。

しかし。そこまで理屈で俯瞰して、なお一種なんともいえない、ガラスを金属でこすった音のあの生理的嫌悪感が残る。
本書に描かれる生者、死者、とくに女性の多くはナイーブで純朴だ。
それでもかすかに腐臭はする。どこかに、腐肉がぽたりと落ちているのだ。

2014/12/16

髪を梳いてください 『最初の舞踏会 ホラー短編集3』 平岡 敦 編訳 / 岩波少年文庫

Photoフランス語で書かれたホラー短編を、中高生向けにコレクトしたアンソロジー。
──とはいえ、各作品とももともと若者向きに書かれていたわけでもなく、世代を問わず楽しめる内容となっています(ちなみに、こんなときよく“大人の鑑賞に堪える”と言いますが、それってちょっとヘンですよね。子供のほうが新しくてよいものをすんなり見抜くことだってあります)。

収録作を見ていきましょう。

ご存知シャルル・ペロー「青ひげ」、ジュール・シュペルヴィエル「沖の少女」、マルセル・エーメ「壁抜け男」、プロスペル・メリメ「イールの女神像」などの定番が並ぶ一方で、モーリス・ルブラン「怪事件」、アンドレ・ド・ロルド「大いなる謎」の2作は本邦初訳。ズチャズチヤのスプラッタもあれば哀切、可憐なファンタジーもあり、ほんの数ページのショートコントがあれば読み応えの中編あり、とホラーアンソロジーの教科書にしたい見事なバリエーション、バランスです。

レオノラ・カリントン「最初の舞踏会」、アルフォンス・アレー「心優しい恋人」のように理屈抜きに怪異をかっ飛ばす感性は爽快ですし、モーリス・ルヴェル「空き家」、エミール・ゾラ「恋愛結婚」のように実は霊的な出来事など起こっていない、それでもひりひり怖い作品もあります。

全体を通すと、ウィットと心理描写に富んだフランス文学そのものへの案内書になっているようにも思われます。

岩波少年文庫からは本書に先駆けて英米ホラーを選び集めた『八月の暑さのなかで』、『南から来た男』の2巻のホラー短編集が出ていました。今後、ドイツ、ロシア、南欧、中国と続くと楽しそうです。将来のために子供たちの柔らかな心臓にホラーの種を植えつけておきましょう。やがてそれが芽吹き、体中に根を……。

2014/12/12

『拝み屋郷内 怪談始末』『拝み屋郷内 花嫁の家』 郷内心瞳 / KADOKAWA MF文庫ダ・ヴィンチ

Photo書き手の郷内心瞳(ごうないしんどう)氏は、ホームページでも憑き物落とし、悪霊祓い、水子供養、加持祈祷、心霊写真・人形・石等の処分などの業務を案内している、宮城県在住のプロの「拝み屋」である。
その、プロの「拝み屋」が実話怪談を書くと、どうなるか──。

実は、当節流行りの、蒐集者が語り手から取材する形をとる実話怪談本には、ちょっとした制限がある。
話の信憑性を高めるには、語り手当人が怪異の体験者であったほうがよい。だが、後日その怪異を語るためには、(当たり前だが)当人は無事に生きていなければならない。
つまり、実話怪談において、怪異、呪いの致死性と、話の信憑性は反比例するのだ。自然、「……を見た」というだけの話が多くなる。

では、書き手が「拝み屋」なら、どうか。
書き手がその方面のプロである場合、怪異に気がついた人物によって話が持ち込まれ、変事に適応能力のある書き手本人が出張してことにあたる。すると……怨恨の根が深い場合、話を持ち込んだ当人やその家族側が死んでしまうこともあるのだ。文字通り祓っても祓っても凶事は続き、拝み屋の側さえ無事に済まない場合もある。

デビュー作『怪談始末』の前半あたりまでは、まだよくある実話怪談ふう、「生首を飛ばすのが好きなのかな」などと鼻歌まじりに読んでいられるのだが、中盤、謎の少女が現れるあたりから、怪異の連鎖が妖しい力を放ち始める。
そして2冊め、『花嫁の家』にいたっては禍々しさの大河ドラマ、怨念の螺旋階段。散発の怪異をたぐると、蜘蛛の巣のようにどんどんからんでよどんで関係者が死ぬ死ぬ死ぬ。
読むほうも、その苛烈さにそのうち怖さに麻痺してきて……などと油断していると、いきなり怪異が耳元で囁き、けたけたと笑い、のしかかり、吠え狂う。

本作りの観点から見れば、文体や構成など手の加えようもあったかもしれない。とも思うが、ともかく他の実話怪談本とは一線を画したストロングスタイル、干からびた花嫁にわしづかまれたいもの、この指たーかれ。おやあなただれのゆびをつかんでいるのですか。

2014/12/10

最近の新刊から 『コンプレックス・エイジ(2)』 佐久間結衣 / 講談社 モーニングKC

2前巻にも増して≪趣味=コスプレ≫な彼女たちは周囲からの屈曲した視線にさらされる。
ことに、勤務先の同僚に画像が広まり知れた葉山女史(表紙の露出高めなアラサーお姉さん)の扱われ方はむごい。

厚く痛い壁は「いい年してコスプレなんて」という周囲の偏見であり、「自分たちはいつまでこうしていられるだろう」という自分自身のコンプレックス──。

だが、こうして単行本も巻を重ね、ウルルコス渚もだてに26歳ではないぞという週刊誌連載分のエピソードまで俯瞰すると、そこにはまた違う見方もできてくる。

それは、ヒロインたちの底知れぬタフネスぶりだ。

彼女たちはダメージを負いつつも、コスプレを、自己表現を諦めない。イベントに参加し、撮影旅行を楽しむ。
見栄と未練に生きる男たちには、一度とて耐えられまい。

……などという簡単な構図ではないが、あれこれ勉強になる作品ではある。敬礼。

2014/12/03

最近の新刊から 『鬼灯の冷徹(第十六巻)』 江口夏実 / 講談社モーニングKC

16前回取り上げたのが2011年の12月。もう3年、経ちました。この子はあのときのあなたの……ち、ちがーっ!!

潔白は後で晴らすとして、さて。
本作は参巻発売当時ですでに掲載誌の表紙に抜擢される等、話題作となっていましたが、その後アニメ化されるも原作は浮かれず騒がず背伸びせず、同じ風味を保って読み応え水準高止まり。これは立派。

ごろごろしながら最新刊を読んでいて、ふと気がついたこと。
『鬼灯の冷徹』のコマには心の中で考えたことを示すふきだし──考えた主とふきだしの間を小さな楕円がつなぐ──あれがありません。また、死後の裁判の詳細など、内容の難度が高い割には、作者による説明文、ト書きにあたるものもあまり見当たりません。
作中の文字の大半は、登場人物の、音声で語られた生の言葉、言葉、言葉。知識も状況も、登場人物の名前も役割も、必ず誰かのセリフで紹介されます。
登場人物たちが会話を交わす、あるいは絶叫するうちに、新たな登場人物が八寒地獄の獄卒とわかったり、「一周忌」と「一回忌」の違いが説明されたりするわけです。
要するに、いろいろな意味で直接的。

その結果、本来は何を考えているのかわからないはずの地獄の鬼や妖怪、動物たちが、すべて読み手と極めて近いレイアに固定され、その考えや喜怒哀楽が裏も表もなくダイレクトに伝わってくる。
そのこと自体にとくに優位性はなくとも、少なくとも地獄の沙汰が親しく違和感なく読めるのは、そういった率直性が大きく寄与しているのではないでしょうか。

などなど例によって理屈こねて遊んでしまいましたが、今回は第135話最後のコマの(あの不気味な)座敷童子二人の笑顔がぷにぷにと素晴らしい。ごめんなと素直に謝った唐瓜君も素敵です。

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