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2014年11月の3件の記事

2014/11/20

『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』 工藤美代子 / 中公文庫

Photo前回は形式というか文体でおちゃらけてしまったため、そのあたりきちんと書くことができなかったが(なにしろ「人」や「怖い」はひらがな、「出版社」や「心身障害者」という言葉も使えない)、正直言うと同じ著者の旧作『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』(中公文庫、『日々是怪談』改題)のほうが1冊の本として格段に面白い。怪談として怖いかといえばそれほどでもないが、無頓着に火中の栗を拾う著者の呑気さがたまらないのだ。

以下、ややこしいので旧作の中公文庫版『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』を『なぜノン』、新作の角川文庫版『もしもノンフィクション作家がお化けと出会ったら』を『もしノン』と記すことにしよう、、、って、わかりやすくもなんともないわーっ!

……失礼、続けよう。ともかく、一読明らかなことに旧作『なぜノン』のほうが後発『もしノン』より話がバラエティに富んでいる。お化けの種類も豊富。しかもバンバンお化けのほうからやってくる。展開も右に左に跳ね回る。
というのも、『もしノン』は著者の昔の境遇を語ることに比重が置かれており、その折々に見えたもの、聞こえたものを「あれはきっとお化け」……と、そんな描き方中心なのだが、『なぜノン』では、著者がどこそこに出かけたらお化けが! 買い物をすればお化けが! 誰それに会えばお化けが! つまりは著者もお化けも出るです出るでん、いずれも秋の柿の実に能動的なのだ。しかも、出てくるお化けが人形やら生霊やら、ストーカーやら、見えるだけなくそれなりにしっかり実害を及ぼす。本の中ならともかく、日常生活では絶対にお会いしたくない方々ばかりである。

ちなみに角川文庫版『もしノン』には「三島由紀夫の首」という短編が収録されており、帯にもでかでかと紹介されているのだが、実は中公文庫版『なぜノン』ですでに「三島の首」という短編が書かれており、同じお化けを扱って構成、ディテールともにそちらのほうがずいぶんと濃密で怖い。
ただ、旧作の時点では三島の首を坊さんにすげてもらう作家の夫人は「A先生の奥様」と匿名だったのに対し、『もしノン』ではその作家の名まで明らかにされている、そういう違いはある。それなりに衝撃的ではある。

いずれにせよ表紙もよく見れば存外に怪しい『なぜノン』、巻末の岩井志麻子と著者の対談(並みの怪談よりよほど怖い)含め、いろいろ必読。
ただし、人形と中国娘の掛け軸の買い物には要注意だ。

2014/11/19

『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』 工藤美代子 / 角川文庫

Photo(「ごめんくださいな」の声とともにガラララと引き戸を開ける音)
(寝そべった亭主をゆるゆる団扇であおぎながら)
おや、階下(した)にお客さんだ。
あの声は、もの書きの工藤さんだよ。どうしたのかねこんな時分に。
あんた、出ておくれでないかい。あたしゃあのひと、なんだか苦手でさ。
ときどき、ほら、来る途中で死んだひとに会ったとか、死んだひとの首がどうとか。
あたしもつい背中ごしに白いものを見たような気になって、ぞうっとしてしまうのさ。
だからたのまれておくれよ、ね。
はあ? 工藤さんたら、そんなこわい話ばかり集めた本、また出したってのかい。
まえにも夜分に本もってきて。あたしにそんなこわい話、したってしかたないのに。
へえ。苦労なさってんだ。お父さんはご立派なお店(たな)おこしてお金持ちだったけど、お母さんと。ふうん。お兄さんは生まれつき? そりゃあさぞかしたいへんだったろうね。
だからだろうかねえ、あのひとの話は、こわいだけじゃなくて、昔や今のこまごまのなかで、いつもおかしなものが見えたり、聞こえたり。
(遠くでドスンと重いものが落ちるような音)
お化けといっても、大きな口をあけておいかけてくるよなもんじゃないんだけど。その分、こしらえ話じゃないのかなって。
でもそれで悪いことが起こるからいやなんだよ。こわいんだよ。
ただねえ、あのひとときたら、いつも自分は霊感がない、霊感がないって言い張って。
よその国まで行って、赤い、へんなもの見て、そういうの、霊感があるっていうんじゃないのかね。
よしとくれ、あたしゃだめだよ。見るのも聞くのもかんべん。犬も飼わない。病院へも行かない。
ほら、煙草の灰が落ちるよ。もうっ。布団の上で喫うのはやめておくれ。
え。その赤いの、煙草の、火?
おや。あんた。どこにいったの?
いやだ、なんであたしこんな窓も階段もないとこに。
あんた。工藤さあん。
あんたぁ。
(バアン、と鉄扉を閉じる音)
ひっ。
(暗転)
(読経)

2014/11/10

『雨柳堂夢咄 其ノ十五』 波津彬子 / 朝日新聞出版 Nemuki+コミックス

Photo_2朝日ソノラマはつぶれても、百鬼夜行抄と雨柳堂は残る。『雨柳堂夢咄』、その十五巻め。

骨董屋「雨柳堂」主人の孫息子、年齢不詳の「蓮」を道案内に、持ち込まれるモノどもの引き起こす悲喜こもごもが綴られる。
蓮はいわゆる妖怪や精霊が「見える」タチなのだが、ことさら騒ぎも祓いもせず、静かにことの次第を眺めて過ごす(ときどきは巻き込まれてひどい目に遭う)。
骨董品にこもるのはすでに亡くなった人々の哀切な思いであることが多いが、波津はそれを必ずしも愁嘆場とせず、モノに喋らせたり、モノを走らせたり、穏やかなユーモアで淡くくるむ。

桜の花守の登場する「桜守」、悪用された屏風をめぐってややダーティにホラーする「採蓮図」、珍しく蓮以外の「見える」キャラ登場、しかもハッピーエンドな「酌めども尽きず」、不幸な娘が大切にし続けた張り子のお守り「福良雀」、きりしゃん橋姫の艶姿「橋姫不在」など合わせて7編、最後の「神かくし」でシリーズ百話め。

初期の波津作品では、悲嘆がやや過剰だったり、軽妙なコメディにも若干の押しつけがましさがあったものだが、最近は悲哀や諦観、ユーモアや嫉妬心など、すべてをあっさり向こうが透けて見えそうな薄い生地に仕込むことによって上品な藍色の作品世界の構築に成功している。マンネリと謗りたくば謗れ、職人の技とはそういうものだ。

薄い絹生地やサテンやリンネルを重ねて。薄いパイ生地を重ねて。いや、それでもずいぶんこってり分厚い感じだ。もっと薄い、すっと薄いものをさらり重ねて、それでも全体が薄くて軽い、そのように。

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