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2014年9月の9件の記事

2014/09/30

実現をまっている無数の 『ドミトリーともきんす』 高野文子 / 中央公論社

Photoとも子さんとその娘のきん子さんが住んでいる「ドミトリーともきんす」の2階には、科学を勉強する4人の学生たち(朝永振一郎君、牧野富太郎君、中谷宇吉郎君、湯川秀樹君)が仲良く寮生活を送っています。
彼らはとも子さんがコーヒーをいれると、雪が降ると、チューリップにツボミがつくと、外国からお客さんがくると、すたすた階段を降りてきてとも子さん、きん子さんと科学を語ります。

──なんていう紹介では、この作品の雰囲気はきっとわかっていただけませんね。
ぜひご自身で手に取って、一篇二篇読んでみてください。驚きます。嬉しくなる、かもしれません。

作者は自然科学の本を紹介する作品なので、と、気持ちの込もらない線を心がけ、製図ペンを選んだのだそうです。そのため、よくある学習マンガのタッチとも、また違います。
ドミトリーともきんすの室内はソフトに幾何学的だし、白っぽい画面にはほとんど影がありません。ここは抽象的な空間なのです。
それでも、そこは高野文子、ナイーブな線やアングルは健在です。

朝永君はちょっとイケメン。牧野君は横山光輝描くところの忍者みたい。そういえば中谷君はフイチンさんに似ているかな。湯川君は、心根の優しい(でもどこか上の空な)のび太君のようです。
また、植物学の牧野君の言葉遣いは他の3人とはまるで違いますし、同じ物理学でも雪の結晶の研究で知られる中谷君の興味は理論物理学の2人とまた異なるようです。

各章の終わりでは、とも子さんがそれぞれの科学者の書いた本から一節を紹介します。科学を突き詰めると言葉は静かに厚みを増すのでしょうか?

そうそう、おまけのようにこっそり巻頭と巻末を飾る「球面世界」と「Tさん(東京在住)は、この夏、盆踊りが、おどりたい。」の2作ですが、これはもう体がクラインの壺と化してくるりんと裏返りそうな、それはもう素敵にヘンテコリンな作品です。
本篇には失礼だけど、本書は、この2作のためだけでも買う価値があります。本当です。

書店で探す際は、普通のマンガ単行本よりずっと大きい(週刊誌と同じ)ので気をつけてください。背表紙は水色です。

2014/09/27

クラインの… 『辻』 古井由吉 / 新潮文庫

Photo古井由吉の『辻』は、いずことも知れぬ四辻に差しかかる人の思いをキーモチーフに、親子、男女の結び合い、破綻を描く12の短篇からなる。
いずれも掌編とも言うべき短さで、会話文に「 」を用いぬ滑らかで濃密な文体中に漂う脆さ、艶めかしさに共通する気配がある。そのため、異なる登場人物それぞれ、個々人の逸話でありながら、長く、大きな神話を読む凄みに圧倒される。

「割符」という短編の

  後から考えれば、母親は息子のあまり傍には寄らぬようにしていた。

取りたててどうということのなさそうなこの一文に素通りしづらいものを覚え、栞をはさんでいた。

一つ、副詞「あまり」の位置が気になる。
すんなり読ませるなら「息子の傍にはあまり寄らぬように」でよかった。
それがここにある。すると「あまり」は係る先の「寄らぬ」がわずかに遠いため、草の根のような白く細い糸を幾本も紡ぎ、伸ばし、意図を届かせようとする。それが、ただ理屈通り、積み木のように重ねた「あまり寄らぬ」では醸せない味わいを読み手に届ける。その膨らみはどこに繋がっていくか。

もう一つ、「後から考えれば」、つまりこの一見他愛ない短い文には、母親が生きていて息子の傍に寄らなかった頃と、それを母親が死んで「後から考えた」時、さらにはそれを語る今、その三つの時が静かに、だが確信をもって練り込まれているということだ。

12の短編のいずれも、いやおそらくは古井作品の多くにおいて、過去から現在、現在から未来の時の経緯は、物差しの目盛りのように真っ直ぐ一方に並ぶものではなく、二つの、いや三つ四つの手の指が睦び合ってまたほどけ、また握り合うように断りなく時の閨で自在に繋がり、離れ、また見つめ合うものだ。
また人の思いや自身の同一性においても、別の短編「半日の花」に登場する知人のように、「目が見えない」という夢が見えたなら、それを「とうに済んでいる」と語る、そんなふうに因果が行き交う。

『辻』においては、老いて静かに壊れていく父親や孕むはずのない子供など、夢とみまがうほどに儚い、だが一方で逃れがたく確かなものがそのような非ユークリッドな時の中で死んでいく。死んでなお、明晰に語られる。

2014/09/23

崖を登る、送られる、沈む 『カオスノート』 吾妻ひでお / イースト・プレス

Photo失踪話抜き、パロディ(ほぼ)なし、制服美少女あり──の妄想ナンセンスギャグ集。

次から次と漫画家の日常が溶け、崩れていく。異物が涌いて出る。そそがれる。腐る。浮遊する。
残虐、諦念、透明感。

奇想の数々にアルコール中毒の幻覚?と思わず勘ぐってしまうが、読み通せばそんなことはあり得ないとわかる。酒や薬に酔った状態で、この水準を一冊くまなく継続できるはずがない。

なので、今夜もクローゼットの吾妻棚に素麺を奉納しよう。
どうかふっくら足の美少女入り缶詰が降ってきますように。

2014/09/21

楽しみの〝税金〟 『コンプレックス・エイジ(1)』 佐久間結衣 / 講談社 モーニングKC

Photo「趣味は読書、音楽鑑賞」──これはパッとしない。そのパッとしないセリフを誰が口にするかといえば、五人に四人は読書も音楽鑑賞もロクにしない趣味なし連、そして残る五人に一人が、正直に口にしたら相手に引かれてしまうイタい趣味の持ち主である。そうですよね。そうでしょう?

『コンプレックス・エイジ』のヒロイン片浦渚は「26歳、派遣社員、趣味=コスプレ」。
穏やかな少女マンガ風の作画だが、コスプレへの細かいこだわりはすごい(らしい)。
衣裳やウィッグ、小物の扱い、それらを収めて運ぶカート、会場、マナー、ポージング、などなど。巻末に「コスペディア」と称して3ページのコスプレ用語解説集が付いている(勉強になります)が、本編に込められたこだわりはとうていそんなボリュームで網羅できるものではない(らしい)。

しかし本作は、そういったコスプレのこまごまに比重をおいた、いわばコスプレオタッキーな作品ではない。ヒロインをあの手この手で痛めつけるストーリー展開、そこにこそ本領がある。完璧主義ゆえに起こる周囲との齟齬。キャラ立ちするには背が高すぎる。自分よりコスプレの似合う後輩の登場。
だから本作はコスプレに詳しくない我々のような普通男子の胸まで打ちのめす。

一つ、気がついたことがある。本作のストーリー展開が、企業の、いわゆる業務オペレーションフローに近い構造をもっていることだ。「コスプレを楽しむ」という大きな目的の途上に、背が高い、時間がない、布がない、後輩の登場、ローアングルで撮られた、といった大小のイベントがあり、そのYES、NO分岐を自身や友人、カメラマンの評価で処理しつつ常にメインフローに戻ってくる。
ただ、このフロー図に「いつまでも楽しめる」というクローズはないのだ。

単行本の1巻は、派遣社員である渚が、趣味を内緒にしている勤務先の葉山女史にコスプレを路上で見られてしまうシーンで終わる。この後、葉山女史をめぐるストーリー展開の痛々しさは半端じゃない。
すべてのイタい趣味持ち必読だ。一緒に泣こう。泣きましょう。

P.S.
『コンプレックス・エイジ』というタイトル、またこの表紙絵。ほかに手はなかったのだろうか。コスプレそのものを俯瞰して描いた特異性がこれでは伝わらないのが惜しい。

2014/09/16

クラシカル 『うれしい悲鳴をあげてくれ』 いしわたり淳治 / ちくま文庫

Photo普段はちくま文庫などほとんど扱っていない駅前の小振りな書店で平積みになっていたので不思議に思い、買って読んでみた。
ショートショートを並べた章とエッセイを並べた章が交互に、という構成。
読後感は……。

著者はギタリスト、作詞家、チャットモンチーなどを手掛けた音楽プロデューサー。掲載誌はROCKIN'ON JAPAN。
帯には放送作家鈴木おさむ氏による「そこには物語がある。結末がある。オチがある。そして、最後にナイフでズバッと切るような痛みがある」なる惹句。うおぉ。
となると、これはもう、さぞやエキセントリックでキレッキレの若者文化炸裂! (趣味に合うかどうかはともかく)今様のセンスに触れられるぜ! と期待してしまうではないか。

結果はちょっとびっくり、収録ショートショートの風味は昔懐かし、60年代70年代に小中学生向け雑誌をにぎわした星新一エピゴーネンたちのそれなのであった。ほら、スナックで隣り合った女が実は死神で、とか、政府が内緒でモゴモゴやっていることを遠くの星の宇宙人が眺めていて、とか、そういった。ただし、エピゴーネンはエピゴーネンなので、星新一ならではのクールさや寂寥感にはいたらないのだけれど。
ともかくそういったほんわかしたオチ付きショートショートを久しぶりに愉しみたい方にはお奨め(本心)。

エッセイのほうはそれ以上にぼんやりした味わいで、「それはダメだろ」も少なくなくて、食べ方がよくわかりませんでした。

2014/09/15

潰してください 『運命の女の子』 ヤマシタトモコ / 講談社 アフタヌーンKC

Photo帯の惹句に「サスペンス、ラブストーリー、ファンタジー。味わいの異なる長編3編を収録した作品集」とあるのだが、どれが「サスペンス」でどれが「ラブストーリー」、「ファンタジー」なのかわからない。
3作とも「サスペンス」には見える。いずれも「ラブストーリー」にも「ファンタジー」にも見えない。
むしろ「ホラー」。とくに(おそらく)男には怖い。

わかりやすく怖いのは巻頭の「無敵」で、これは何人も人を殺してきた(と思われる)16歳の少女が取調室で女性担当官を圧倒するお話。担当官が初対面からいきり立ってしまうのはどうかと思う。途中からはそのおびえにも理解が及ぶ。なるほど少女は無敵だ。

ヤマシタトモコの短編はそんなふうに異常なシチュエーションで読み手を圧倒する。
尋常ならざるシチュエーションといえばアフタヌーン誌の得意とするところで、このブログで取り上げてきた黒田硫黄漆原友紀岩明均市川春子庄司創田中雄一らを一望するだけでお婆様から「地脈が通じておるわい」の声がもれる。
ヤマシタトモコの異彩もそれらの作家にひけをとらない。この『運命の女の子』、あるいは初期作品集『サタニック・スイート』など読んでも同じことを思う。絵は巧いしセリフ回しも軽妙、その冴えたテクニックをもって予想外の展開で読み手を引きずり回す。粉砕力でいえば他の作家を軽々と上回る。

だが、打ち倒されながら、まだ何か足りないものを感じる。なぜだろう。
主人公だけでなく相手や周囲まで日常的でないせいか。
たとえば黒田硫黄や岩明均なら、固くもつれたモノを手渡され、それを解きほぐす仕事が委ねられる。市川春子には物凄い穴がぽっかり空いていて読み手の心臓はそこを埋め直すため触手を伸ばさざるを得ない。そんなことはただのヒトにはできない。つまりこれらの作家は読み手がただのヒトであり続けることを断固許さない。

ヤマシタトモコの短編は読み手を打ち倒すばかりで、読み手に何かを委ねるにはいたっていない。そんな気もする。

ただ、この作者がそういった域に達することを読み手として欲しているかというと、そこはよくわからない。
表紙絵でも明らかな、こんな目力のある登場人物に何かを委ねられて、それで平気なほど若くはないのだ。

2014/09/11

脳内楽園 『楽園のカンヴァス』 原田マハ / 新潮文庫

Photo不愉快な本である。つまらないのではない。不愉快、なのだ。

何が問題なのか。駆け足で見ていこう。
(一部、ストーリーの先のほうに触れる可能性がある。未読の方はご注意願いたい。)

ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンと新進気鋭のルソー研究家、早川織絵の2人は、ある蒐集家の招きを受け、ルソーの「夢」に酷似した絵画作品の真贋を鑑定することになる。手がかりはたった1冊の古書。それを7日間、交互に読んで判定せよというのだ……。

この時点で、どう考えてもおかしい。茶器の真贋を箱書きで鑑定させるようなものだ。

そもそも、なぜそんな手枷足枷が必要なのか。
真贋を確認したいならある程度自由に調べさせればよいし、誰がその作品をより深く理解するかを見定めたいなら(人選含め)このような曖昧な手続きを選ぶべきではない。ネタバレになるため詳細は書かないが、依頼主の目的が達成できたのはまったくのところラッキーな偶然の積み重ねに過ぎない。封筒の扱い一つ、待ち合わせの仕方一つでことの顛末はすべて破綻に向かっただろう。

鑑定を引き受けるほうも、もう少し誠実に作品に向かうべきだろう。出所のわからない古書だけを素材にルソーについて議論する……ゲームとしては悪くない。しかし、それと絵画の鑑定は別の話だ。依頼人に制限されたから? 成功報酬にひかれたから? それで解答を出す気になるようなら、もはや真摯な研究者とはいえまい。
(その意味も含め、実際のところ2人ともおよそ魅力的とは言い難い。)

X線調査が最後までスルーされるのも、単にストーリーテラー側の都合でしかない。
本作に描かれた絵画の鑑定作業は、資料とされる古書の真贋確認から始まって、何一つ地についていない。

結局、依頼する側もされる側も、ルソーに対する情熱──というのは言葉じりだけで、作品に対しては最初から最後までいい加減かつ無責任なのである。
そんな人物のうち1人がのちにキュレーターとして出世できるとはなんと都合のよい世界だろう。

もう一つ、どうしても気になることがある。

作者が必要以上に繰り返しルソーを「日曜画家」と蔑む理由がわからない。
記憶する限りでは、ルソーは1960年代中ごろにはすでにレオナルドやマネ、ゴッホらと並んで古今東西の名画50点に選ばれるほど高い評価を獲得していた。この『楽園のガンヴァス』の舞台となる1980年代にここまで世評が低かったとは考えられない。

つまるところ本書の作者は、話を面白くするためにルソーを貶め、絵画の鑑定行為を軽んじているのだ。
これが不愉快でなくて、何だ。

2014/09/09

撃ち落とす 『銀翼のイカロス』 池井戸 潤 / ダイヤモンド社

Photo単行本が売り台占拠のベストセラー、場末のブログで取り上げてどうこうなるものでもないが、まあラジオ体操出席カードのハンコみたいなものとお目こぼしいただければ幸い。

さて今回半沢直樹は業績不振の帝国航空を担当、その債権放棄を求める国交相主導の再生タスクフォースと対決する。
第1弾『オレたちバブル入行組』では半沢の責務は5億円の回収だった。第4弾の今作では500億円の債権放棄。出世したものだ。

従来作とは比較にならない権力との対決が描かれるわけだが、
「相変わらず面白かった! 痛快! もうほんと、すっとした!」
という評価もあれば
「前作までに比べると話がご都合主義で浅い。よく考えると半沢は自分では何もしてないし、新脇役も今ひとつ」
という声もある。
多分、どちらも間違いではないだろう。

当方の感想もそれらと大差ないので、以下は個人的なお話を少々。

本作『銀翼のイカロス』では金融庁の黒崎駿一検査官が第2作『オレたち花のバブル組』以来久々に登場するのだが、そのオネエ口調が相変わらずパワフルで、いい。
そのため……つい、職場で使ってしまいそうになるのだ。困った。

リアル烏丸はここしばらくちょっとした社内のトラブルにカアカア口をはさんでいるのだが、どうも事故の原因究明、施策改善の進捗がはかばかしくない。もし自分が黒埼監査官であったなら、メールや会議で……

「報告、報告ってずっと同じ言い訳の繰り返しじゃない。いつになったら届くのかしら」
「なんでそんな少なく見積もるの。隠そうったってだめ。すぐに資料出して頂戴!」
「システム設計が原因じゃないなら、何なの。誰がデータを入力したっていうの」
「あきれた。倉庫にもないだなんて、それが本当なら虚偽申告で懲戒免職ものよ。反省なさい。返事は?」

かくのごとくオネエ言葉で炸裂すれば、ごたごたも一気に解決に向かうのではなかろうか。ところが、慌てた身内が「やめてください」「これ以上紛糾させてどうするんです」と背後から寄ってたかって羽交い絞めにきてうるさいったらない。
ふん。隙あらば暴れてやるのよ。
「あなたたち、言い逃れできると思っているの。覚悟して頂戴!」

どうよ。

 ※この私評はフィクションであり、実在の人物・団体・業務上のトラブルなどとは一切関係ありません。ないの。ないんだってば!

2014/09/07

夢落下周遊 『足摺り水族館』 panpanya / 1月と7月

Photo「panpanya」は作者名で、「1月と7月」が発行元。

『足摺り水族館』は、作者のpanpanya氏が手作業で制作した作品集を再構成したもの。

いずれの短編でも、主人公の少女は日常からどこかの角でうっかり異界に足を踏み入れてしまう。
クレヨンを走らせたような太い線、すっきりしたペン画が入り混じり、どのページもぼわっと大雑把な印象。にもかかわらず、よく見ればキャラクターのきりっとした表情やマグリット風の背景描写は巧みで豊か。

水木しげるの初期の怪異譚やつげ義春の一連の夢日記(窓から夜がぬーっと入ってきたり、穴にはまり込んで進むことも戻ることもできなくなったりする、あの薄墨色の作品群だ)に似てなくもないが、こちらは主人公の少女が慄きも慌てふためきもせず淡々とその世界を歩き、奇態な住人や得体のしれない生き物たちと静かに会話を交わす。

ですます調の中にときどきこぼれる

  まあ案内にはしたがう
  べきだろうな

とか

  あすこに集まって
  ゆくようだぞ

といった伝法な言葉遣いも清々しい。麻布の心地よさ。

不思議な夢を見るにも心のストレッチが必要で、油切れした寝入りではなかなか柔らかな夢を見ることはできない。ましてこういった作品に仕上げるのはさぞかし大変に違いない。
広い需要があるか否かはしれないが、魚の夢を求める人には一つひとつのページが愛おしいものとなるに違いない。胸に載せてお昼寝しよう。

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