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2014年7月の5件の記事

2014/07/28

これもまた最終巻 『ああっ女神さまっ』(48巻) 藤島康介 / 講談社 アフタヌーンKC

Photo連載開始は1988年。当時は今でいう“萌え”の最先端を走った作品である。
最後ということで十数年ぶりに手に取ってみた。
最終巻はほとんど(表紙を見れば明らかな)1つのイベントだけでなりたっており、一見さんにはまったくついていけない展開。
白っぽく感じられる絵柄(おでこやほっぺたのビンディがないとそれぞれの女神の区別がつかない!)と、ほかに何か、どうも昔に比べて違和感があるな、とページをめくっていて先ほど気がついた。

この1冊の中で、螢一は一度もベルダンディーに対し「ベルダンディー」と呼びかけていないのだ。
最後の1冊でそれはないだろう、螢一。

2014/07/21

百年文庫66 『崖』 ドライサー ほか / ポプラ社

Photoかつてフイルムメーカーの広告に「100年プリント」というのがあった。
印画紙に紫外線、温度、湿度など強制劣化試験を施し、100年経っても写真は綺麗なまま、とアピールしたものである。

ポプラ社に「百年文庫」と銘打った新書サイズのシリーズがある。
古今東西の優れた短篇小説を「憧」「罪」「響」「庭」「鍵」など漢字1文字のテーマで絞り、1冊につき3篇、100冊で合計300篇集めたもの。文字も大きくて読みやすい。
もちろんポプラ社では、無作為抽出した若者を紫外線の射さない暗い部屋に拉致、拘禁し、受験、就活、失恋、転職、家庭内暴力、成人病、離婚など短期間に100年分のストレスを加え、その後で読み返しても感動を保持できることを確認した上で新刊を出している。

……嘘です。

戯言はさておき。

この「百年文庫」、気の向くままにぽつぽつ買い求め、気が向いたら手に取ってぱらぱら読んでいるのだが、最近読んだ百年文庫66『』の収録作は以下の3作。

  ドライサー「亡き妻フィービー」
  ノディエ「青靴下のジャン=フランソワ」
  ガルシン「紅い花

いずれも主人公が幻想にとらわれて人生を踏み外す話だが、3作並べて読むと「亡き妻フィービー」がいい。
幼馴染でそのまま長年連れ添った妻を亡くした老農夫がその死を理解できず、森や荒野を徘徊、最後は幻を追って死んでいく。
センチメンタルと言われればそれまでだが、センチメンタルにも上質とそうでないものがある。これは前者。

2014/07/15

じゃあしょうがないわね…… 『方舟』 しりあがり寿 / 太田出版

Photoゲリラ豪雨も台風も、いつかはやむ。晴れ間が訪れる。
だが、もし、その雨がいつまでも降り続いたとしたら?

『方舟(はこぶね)』は、雨がそのままやまなかったなら、の一点から、さまざまな家族や恋人たちの生きざま、死にざまを描く。彼らはあるときは愚かで、あるときは狼狽え、──結局は水に沈む。

最後までページを繰るのがつらい。描かれた、あるいは描かれなかった者たちの、壮絶な諦観に満ちた死と向かい合うのがつらい。
「この期におよんでまだ希望だと」「じゃあしょうがないわね」等々の台詞に対し、哲学的、宗教的、といったコンビニエントな言葉で何かを語ったつもりにはなりたくない。

単行本の発行は2000年12月。

2014/07/08

【閲覧注意】なラブストーリー 『まちあわせ』 田中雄一 / 講談社 アフタヌーンKCDX

Photoやわらかなひらがなのタイトル、どこにでもいそうな作者名、穏やかな表紙絵──いや、騙されてはいけない。
収録の4作は、いずれもグロテスクな怪物に蹂躙された人間社会を描く、ゆがんだ化け物マンガである。

描かれる怪物は、たとえば12本の足をもつ変異体の節足動物だったり(この十二脚虫は人を襲って直接食べる場合もあれば、麻痺させて幼虫の揺籃とすることもある。後者において、人は意識をもったまま養分を吸われ続ける)、圧倒的に進化した類人猿だったり、人間の子供と融合して都市を守る醜怪な巨大獣だったりする。

怪物によって人間社会が危機に瀕するという点では諫山創『進撃の巨人』や本田真吾『ハカイジュウ』に近いものがある。しかし、本作で際立っているのは、脚が多すぎたり巨大でぶよぶよした怪物たち以上に、その怪物が闊歩する世界では人間の側もグロテスクに変貌する、そのことだ。

たとえば巻頭の「害虫駆除局」は、表向き夫婦愛がテーマとなってはいるが、主人公の青年の能天気さ身勝手さは十二脚虫たちの気持ち悪さを格段に上回っている。他の作品も、ちょっと引いて見ると人間の側がどこかおかしい。
表題作ほかから壮大な夫婦愛、家族愛の物語として一種爽やかな読後感を得ているのだとしたら、読み手はすでに田中雄一にどうにかされてしまっているのだ。

2014/07/06

雑感 『短篇ベストコレクション 現代の小説2014』 日本文藝家協会 編 / 徳間文庫

2014毎年発売を楽しみに待っているアンソロジー。
たとえば、養蚕業を営む主家に奉公に出た少年と、瞽女(ごぜ)の少女のたまゆらの情交──などといった作品(「泣き虫の鈴」)と出会う機会はなかなかないので。

今回収録の14篇は以下のとおり。

「獅子吼(ししく)」浅田次郎
戦時中の動物園の獅子と、兵卒たちのドラマ。この作者が巧いのはわかっているが、初手から泣かせるつもりが鼻についてほんの少し煩わしい。また、よくわからないが、誰もが黙って耐える話に「獅子吼」はないんじゃないか。
「線路の国のアリス」有栖川有栖
鉄道マニアが「不思議の国のアリス」をいじり倒すとどうなるか。「アリス」を(かなり忠実に)鉄道用語や駅名で置き換えたダジャレの卵嚢となっていて、こまごまは笑えるものの、それだけでは鉄ちゃんならざる者にはつらい。もう一工夫、ミステリ作家らしく全体の構成が伏線~犯人当てとでもなっていたら……いやもちろんこれはないものねだり。
「大金」大沢在昌
『新宿鮫』の作者も、枯れた。
「太陽は気を失う」乙川優三郎
最初の数ページでは見当もつかないことに、3.11、東日本大震災を描いた作品である。ストーリーとしてはいささかバランスに欠けようが、地震と津波と原発事故に日常が分断され、郷里の家が失われて、バランスもないだろう。いたずらに絶望、激情に走るでもなし、これはこれでリアリティというものか。
「御機送る、かなもり堂」小川一水
読了一時、乾いた寂寥感が降る。デジタル時代の葬祭という点では、以前紹介したかまたきみこ『てんから』収録の「エンセル」を思い起こす。人間型ロボットの弔いという「かなもり堂」のビジネスが現実のものとなるのは、そう遠い先の話ではないに違いない。
「水を飲まない捕虜」古処誠二
何を描いたかはわからないでもないが、何のために描いたかとなるとよくわからない、(おそらく)正統派の戦争小説。
「影のない街」桜木紫乃
ニーズはあるのだろうが、いろいろ半端に思われて苦手な作風。
「機龍警察 沙弥」月村了衛
「機龍警察」シリーズは警視庁特捜部に採用された近接戦闘兵器体系・機甲兵装をめぐるサスペンスを描いた近未来SF、とのこと。早い話、『パトレイバー』か。ところがこの「機龍警察 沙弥」はSF的要素のまったくない、不良少年が更生するきっかけとなった事件を描いた巧篇。
「廃園の昼餐」西崎憲
今回もっとも心を揺すぶられた一篇。幻想「的」、でなく、理性によって制御、構築された「幻想小説」。一方で、語り手の母親、百音の描写をはじめとする、もちもちっとした桃色の、奇妙に身体的な、確かなテイストが独特。どうすればこのような奇想を文字に落とすことができるのか。まれにみる「羨ましい」作品。
「無用の人」原田マハ
最後、できすぎ。そういう御仁は晩節もはずすもんだよ、と苦笑いしてしまうのはこちらの年のせいか。
「インタヴュー」万城目学
あの作品をこの角度でリメイク。作者のすまし顔が見える。
「かぎ括弧のようなもの」宮内悠介
表題のものに人生を狂わされていく「おれ」の物語。真ん中にきわめて観念的なものを置きながら、その周辺はすべて手応えのあるもので埋められている。「おれ」の絶望も後悔も、かぎ括弧のように固い。かぎ括弧に刻まれる。
「ソラ」結城充考
これもSFで、数えてみれば収録作中SF誌掲載作の打率が高い。とはいえサイボーグが日常生活に現れる本作もどちらかといえば現在十分起こり得るトラブルと、きりりとした人間関係を描く。
「泣き虫(みす)の鈴」柚月裕子
前述。

ところで、重箱の隅つつきではあるが、解説の文芸評論家 清原康正氏の言葉遣いが少し気になる。
たとえば、「アベノミクスとやらの景気回復」。揶揄を込めたつもりかもしれないが、己がよく知らないものをこきおろす文脈はおよそ論理的とは言いかねる。その数ページ後、「廃園の昼餐」の紹介に、やはり、といった感じで登場する「シュールなタッチ」。説明のつかないものをなんでも「シュール」で括るのは楽かもしれないが、少なくとも「意識というものがどうやっておれのところにきたのかは分からない。だがおれは気づいたときには全知だった」で書き起こされる作品がシュルレアリスムと無縁なことは言うまでもない。

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