« わたしたちはだいじょうぶ 『百瀬、こっちを向いて。』『吉祥寺の朝比奈くん』 中田永一 / 祥伝社文庫 | トップページ | 御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に 『クモの糸の秘密』 大﨑茂芳 / 岩波ジュニア新書 »

2014/02/15

吠える外科医 『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』 ウェンディ・ムーア 著、矢野真千子 訳 / 河出文庫

Photo偉い人の伝記なんてどうせ、とフミヒコ、君が目をそらすさまが目に浮かぶ。だけど待って。ちょっと待って。
この表紙を見てごらん。ほら。これなんだろう。
小さくてわかりにくいよね。でも、これは君の大好きな死体だ。それも、妊娠最終期で突然死した妊婦と、その胎児の死体の細密画。
そんなものが町中の本屋の新刊コーナーに黙って積まれていたんだよ。河出の文庫担当者の薄ら笑いが見えるようだろ。うふ。うふふふ。はは。

本文を読んであげよう、どこがいいか。たとえば、そう、ここ。

 

いわゆる「はらわた」はまっ先にだめになるので、生徒たちはまず腹を切り開いて皮膚と脂肪をめくりあげ、消化器官を観察する。胃、三十フィートを超える腸、そして腹腔にぎゅっと詰め込まれている脾臓、胆のう、すい臓などの小さな臓器。つぎに胸を開く。肋骨をノコギリで切り、肺をあらわにしてから取り出す。肺葉はたいていロンドンの冬のスモッグで黒ずんでいた。

 

ああ、匂うようだね。体液がしたたるよう。この本はね、医療が瀉血(知っているかな)や浣腸、水銀治療という、現代から見れば「まじない」に近いものだった18世紀のイギリスで、人や動物の死体を何千も切り刻み、弟子を育て、外科医学を爆発的に発展させたジョン・ハンター(1728~1793)の人生を描いたものだ。死んだ後にバラバラにされたのでは天国に行けないと不安がるのが普通な時代、研究や講義のための死体が手に入らないなら墓泥棒と組むのは朝飯前、巨人症の人物が死ねばその棺を追いかけて無理やり盗んでしまう。届いた死体はすぐ大鍋で煮て骨格標本だ。

ジョンは画期的な治療法を次々開発してのける。動脈瘤切除、人工授精、ダーウィンより70年も早く進化論を予見したりもした。ただ当時はまだ細菌やウイルスの知識はなかったからね。消毒殺菌なしに切り開き、手術は成功、患者は死亡、残念。死ねば解剖だ解剖だ、標本だ標本だ。

一方、ジェンナーをはじめとする弟子には篤く、貧しい患者には面倒見のよい好人物でもあったらしい。

 

あいかわらず無作法で上流社交界になじもうとしなかったため、一部の保守派からは厄介者あつかいされていたが、科学にたいしてつねに純粋に精力的に取り組んでいたので、友人や同業者の尊敬を集めた。

 

きっぱり論理的で気持ちのよい文体、敵も味方も個性豊かな登場人物、ジェームス・ワットやバイロン、アダム・スミスらも意外なところで顔を出し、ヘタな映画なんかよりよっぽど面白い。

だから、どうだ、フミヒコ。そんなものでいつまでも遊んでないで、メスをこちらに寄越しなさい。もっと、いいこと、させてあげるから。

« わたしたちはだいじょうぶ 『百瀬、こっちを向いて。』『吉祥寺の朝比奈くん』 中田永一 / 祥伝社文庫 | トップページ | 御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に 『クモの糸の秘密』 大﨑茂芳 / 岩波ジュニア新書 »

時代・歴史」カテゴリの記事

サイエンス・自然・SF」カテゴリの記事

ノンフィクション」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« わたしたちはだいじょうぶ 『百瀬、こっちを向いて。』『吉祥寺の朝比奈くん』 中田永一 / 祥伝社文庫 | トップページ | 御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に 『クモの糸の秘密』 大﨑茂芳 / 岩波ジュニア新書 »