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2014年2月の6件の記事

2014/02/23

奈落の底から 『累(かさね)』(現在2巻まで) 松浦だるま / 講談社 イブニングKC

Photo美貌の女優、淵 透世(ふち すけよ)の一人娘として生まれた累(かさね)。彼女は二目と見られぬ醜悪な容姿のため、日々クラスメートから壮絶ないじめを受けていた。しかし、母の死後、その美貌が一本の口紅で口づけすることにより他者から容姿を盗み取ったものであることを知り──。

累をはじめ、登場人物の名は「四谷怪談」や「番町皿屋敷」と並び称される怪談「累ヶ淵(かさねがふち)」からとられている。今のところストーリーに「累ヶ淵」との類縁はとくにないが、今後、どうか。

いずれにせよ、新人とは到底思えない筆さばきである。巧い。

……それでも、本作が新人の初めての連載であることを天に恨みたい

1巻冒頭の母親の写真、これは描くべきではなかった。作者は後になって気づいたのだろう、母親の目は常に影に隠されるようになる。あるいは幼い累とそのクラスメートたちの、(いじめっ子の墜落死さえ含む)展開はまだ「巧みにこしらえたマンガ」の域に留まり、いうなればドライブ感に乏しい。

累が若い女優、丹沢ニナに出会うあたりから、ペンは少しずつすべり始める。2巻巻末、あるいはまだ単行本に収録されていないシーンでのニナ(=累)の妖しい美しさは圧倒的だ。

作者が今後の展開をどう考えているかはまるで見当がつかない。
漫画家自身の手に負えない美しさというものはあるのだろうか。もしこの世にそういうものがあるのだとしたら、それは本作で起こり得るのではないか。そう期待させる作品でもある。

2014/02/22

今もいる 『女たちの怪談百物語』 東 雅夫 監修、幽編集部 編 / 角川ホラー文庫

Photo本郷のとある旅館の一室にこもり、宇佐美まこと、伊藤三巳華、岩井志麻子、加門七海、長島槇子、三輪チサ、神狛しず、宍戸レイ、立原透耶、勝山海百合の女性作家十人が百物語に挑む。
東雅夫の会主口上、京極夏彦のものものしい見届人記が余計と思われるほど、全体に楽しそうで羨ましい。

修学旅行で、三々五々一つの部屋に集まり、つい怖い話を始めてしまって止まらない。そんな印象。

体育座り。

お話はいずれも友だちの友だちの経験談だったりでそれほど奇矯なものはないのだが、つい語り手の耳元で「へえ」とつぶやいてみたり、ブレーカーが落ちて床から十センチくらいの高さで「停電だ! 停電だ!」と騒いでみたりしたくなる。
「私の話はこれで終わりです」
「私の話は、以上です」
との話のつなぎもどことなく淑やかで、なかには耳が赤く凍るような怖い話もあるが、「その子のことなら分かってます」とか「ああ、そうでございましたか」ですまされる薄墨な話のほうがむしろ好もしい。

欲をいえばせっかくこうして集ったのだから、「宿といえば」「そうそう、私も宿について」「こちらも宿の話」とか、「同じ人のような気がします、私の友だちもその」といった按配、“怪の連鎖”がもっとあってよかった。
なまじ事前に怪談を用意できる力量のある語り手に、それも順番をきちんと守って語らせたため、前の話、次の話のつながりがやや千切れてしまった。

体育座り。

もう一つ。これは会主、見届人の側の問題なのだが、1ページとって
「いにしえよりの作法に則り、九十九話にて完。」
としたのはいかがなものか。
百物語に作法があるなら正しきはあくまで百話語り切ることだろう。
無謀なお招きをしないよう九十九話で収めたり、本のうち一話だけ番号を振らなかったりすることが多いのは承知しているが、それらはあくまで破格。仰々しく作法など語らず、「今回はこれにて完」で済ませてもよかった。

体育座り。

2014/02/17

御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に 『クモの糸の秘密』 大﨑茂芳 / 岩波ジュニア新書

Photoもう1冊、クモの本を。

生体高分子学、高分子物理学の専門家である著者が「クモの糸にぶら下がる」という30年来の夢を実現し、クモの糸の不思議な仕組みを語る。

──こうまとめると、ジュニア向け新書らしい微笑ましい内容、かつ科学的な好奇心、探究心にあふれた好著のように思われる。
実際、読み応えのある章も少なくない。たとえばクモが自分の体を支える「牽引糸」は2本のフィラメントからできており、その一方の弾性限界強度がそのクモの体重にほぼ等しいことから、クモは極めて効率的な安全性を保持しているという立証。あるいは紫外線やゴミに侵されがちなクモの巣の張り替えはどのような期間でなされているかの調査、などなど。

しかし。ところどころ、ヘン。

テレビ局の企画で大勢の中学生に集めさせたクモの糸について、先生はその品質にブーたれる。中学生たちにはどのような糸が求められているのかよく知らされていないのだから、仕方ないだろうに。
テレビ局のスピードに押された面もあったかもしれないが、押されて失敗してほっぺたふくらませるのはやはりちょっぴり大人げない。

別の章でも、一生懸命クモの糸を集める研究室の学生たちに「クモの気持ちに近づけ」「クモが気持ちよく糸を出す雰囲気を作れ」と精神論を繰り返してばかりで、クモの運び方や糸取りの仕方などの事前の指示がおろそか。クモの気持ちはわかっても作業者の気持ちは読めないのか。

そもそも、芥川の「蜘蛛の糸」のように1本のクモの糸に人がぶら下がるのは無理としても、19万本もの糸を短いロープ状に寄り合わせ、それにぶら下がることができたからといって、それははたして「クモの糸が強い」ことを意味するのだろうか?

2014/02/15

吠える外科医 『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』 ウェンディ・ムーア 著、矢野真千子 訳 / 河出文庫

Photo偉い人の伝記なんてどうせ、とフミヒコ、君が目をそらすさまが目に浮かぶ。だけど待って。ちょっと待って。
この表紙を見てごらん。ほら。これなんだろう。
小さくてわかりにくいよね。でも、これは君の大好きな死体だ。それも、妊娠最終期で突然死した妊婦と、その胎児の死体の細密画。
そんなものが町中の本屋の新刊コーナーに黙って積まれていたんだよ。河出の文庫担当者の薄ら笑いが見えるようだろ。うふ。うふふふ。はは。

本文を読んであげよう、どこがいいか。たとえば、そう、ここ。

 

いわゆる「はらわた」はまっ先にだめになるので、生徒たちはまず腹を切り開いて皮膚と脂肪をめくりあげ、消化器官を観察する。胃、三十フィートを超える腸、そして腹腔にぎゅっと詰め込まれている脾臓、胆のう、すい臓などの小さな臓器。つぎに胸を開く。肋骨をノコギリで切り、肺をあらわにしてから取り出す。肺葉はたいていロンドンの冬のスモッグで黒ずんでいた。

 

ああ、匂うようだね。体液がしたたるよう。この本はね、医療が瀉血(知っているかな)や浣腸、水銀治療という、現代から見れば「まじない」に近いものだった18世紀のイギリスで、人や動物の死体を何千も切り刻み、弟子を育て、外科医学を爆発的に発展させたジョン・ハンター(1728~1793)の人生を描いたものだ。死んだ後にバラバラにされたのでは天国に行けないと不安がるのが普通な時代、研究や講義のための死体が手に入らないなら墓泥棒と組むのは朝飯前、巨人症の人物が死ねばその棺を追いかけて無理やり盗んでしまう。届いた死体はすぐ大鍋で煮て骨格標本だ。

ジョンは画期的な治療法を次々開発してのける。動脈瘤切除、人工授精、ダーウィンより70年も早く進化論を予見したりもした。ただ当時はまだ細菌やウイルスの知識はなかったからね。消毒殺菌なしに切り開き、手術は成功、患者は死亡、残念。死ねば解剖だ解剖だ、標本だ標本だ。

一方、ジェンナーをはじめとする弟子には篤く、貧しい患者には面倒見のよい好人物でもあったらしい。

 

あいかわらず無作法で上流社交界になじもうとしなかったため、一部の保守派からは厄介者あつかいされていたが、科学にたいしてつねに純粋に精力的に取り組んでいたので、友人や同業者の尊敬を集めた。

 

きっぱり論理的で気持ちのよい文体、敵も味方も個性豊かな登場人物、ジェームス・ワットやバイロン、アダム・スミスらも意外なところで顔を出し、ヘタな映画なんかよりよっぽど面白い。

だから、どうだ、フミヒコ。そんなものでいつまでも遊んでないで、メスをこちらに寄越しなさい。もっと、いいこと、させてあげるから。

2014/02/09

わたしたちはだいじょうぶ 『百瀬、こっちを向いて。』『吉祥寺の朝比奈くん』 中田永一 / 祥伝社文庫

Photo一部の小説から輻射される「切なさ」ときたら本当に不思議なもので、悲劇的な作品ならいざしらず、ハッピーエンド、はてはホラー作品から発振されることだってある。
そんなことを実例で立証してくれているのが乙一の一連の作品なわけだが、「中田永一」というどこやらの市会議員みたいな(ほんとにいたら失礼)作家の本の紹介になぜ乙一が出てくるかといえば、この名は乙一の別名義、当初は覆面作家として登場したものだからである。
(ちなみに乙一は山白朝子名義で『死者のための音楽』などのホラー作も上梓している。今後どの名義が主となっていくのかさっぱりわからない。)

『百瀬、こっちを向いて。』『吉祥寺の朝比奈くん』はいずれも「青春恋愛小説」と称するにふさわしい胸しめつけられる短編集。とはいえ主人公は作中の「人間レベル2」「薄暗い電球」(「百瀬、こっちを向いて。」)などの自虐的比喩が示すとおり、いずれも教室の隅のほうで類友とひっそり身をひそめる地味者ばかり。ところが、己には決して恋愛なんていう華々しい出来事は起こらないものと世界から顔をそむける彼らに、ある日突然……。

だが、ライトな言葉遣い、甘酸っぱい味付けに騙されてはいけない。

この書き手は高度なテーブルマジックの演者同様、熟練の技巧者なのである。
読み手の目をくらますためならどんな酷い話でも平気で書く。ちょっとコミカルで変わった展開なんて油断してはいけない。終盤、思いがけない舞台返しが待っている。そしてそのとき、主人公には最初の最初から舞台の書割が全部わかっていたことが明かになる。
これは作者が方程式の正しい解を求めるようにとことん計算し、設計し、練り上げ、乾かした成果である。

外見と精神の良し悪しを総合した「人間レベル2」の説明に主人公はこう語る。
「なぜレベル1ではないかというと、自分が最下層グループに位置していることを自覚しているだけマシだからだ。」
そして事件はいずれも真実が明らかになることで解決する。そのとき世界は確かなものとなり、「わたしたちはだいじょうぶ」(「なみうちぎわ」)と化す。
それは、知の勝利、読書する者の夢だ。

これらの作品集は、青春恋愛小説のふりをした上質かつ知的なミステリ作品によって、読書家に勇気を与えるものである。

2014/02/04

サイレンvs.セイレーン 『サイレーン』(現在2巻まで) 山崎紗也夏 / 講談社 モーニングKC

Photo山崎紗也夏の筆さばきを見ていると、「たっぷり」という言葉が湧いてくる。
顔の造作など、線がシンプルで、たとえば『とめはねっ!』の河合克敏と大差ないようにも見える。しかし、そこから匂い立つものの質がまるで違う。今現在、23歳くらいの女性を描かせて一番巧いのではないか。

ただ、──問題もある。

キャラだけでコマが立ってしまうため、セリフやストーリー展開がそこそこでも作品として余力を持ってしまう。そのためか、『NANASE』や『はるか17』、『シマシマ』、『レンアイ漫画家』等、最近の連載では、読み手をなぎ倒す素晴らしい見開きに恵まれながら、いずれもどのように幕を閉じたかの印象が薄い。横溢感が常に一定で、序破急、起承転結の妙に乏しいとでもいうか。

若い刑事のカップルと魔性の殺人鬼・橘カラとの交錯を描く新作『サイレーン』も、カラのエキセントリックな存在感はじめ見どころは多いが、最後はあっさり終わってしまうような気がしてならない。それは、惜しい。

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