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2013年12月の6件の記事

2013/12/29

『ふたり怪談 肆』 平山夢明・福澤徹三、『怪談五色』 黒木あるじ・黒史郎・朱雀門出・伊計翼・つくね乱蔵 / 竹書房文庫

Photo──二人なら……二人ならきっとうまくいきますわ、教授。
──ど、どうしたのだね、突然、エリカくん。
──一人では無理でも、二人ならどんな困難でも乗り越えていけると思いますの。
──いや、た、しかし、そ、き、気持ちは嬉しいが、私にはつ、妻も子供も。

もちろん久々登場のエリカちゃんが手に取り話題にしているのは竹書房の『ふたり怪談 肆』である。平山、福澤と、実話怪談界において重鎮と崇めるもおこがましい、厭わしい、呪わしい連名だ。

考えてみれば当節の実話怪談ブーム、いくら語るほうもノリノリとはいえ、1人で文庫200ページ分の新作を蒐集するのは大変に違いない。もし1冊を2人で分担できるなら──といってもそれはあの『新耳袋』シリーズ以来の伝統ではあるのだが──品質、スケジュール、それぞれ余裕ができるに違いないのだ。

論より証拠、『ふたり怪談 肆』には「柿本は」とすべきところを「鴨木とは」といった入力ミスがあったり、ボーリングで指穴に捻じ切られるのが人差し指だったり、といった編集ミスが散見する(後者はそういう投げ方だったと言われればそれまでだが)。
1冊の半分でこれなのだ、1冊分まるままならさぞ締め切りが厳しかったことだろう。

一方、『怪談五色』にいたっては5人がかり。こちらもよい試みで、たとえば日常を語るエッセイでたらりたららと怪を語り降ろすもの(伊計)や学園祭で怪談を募集した記録(黒木)など、つまりはライブ的なスタイルの作品が収録されている。この2つはおそらく1冊まるまるとなると飽きるに違いないが、5人の凶作、もとい共作に含まれている分にはむしろバリエーションを楽しめてよろしい。
ちなみに5作中ではつくね乱蔵氏のいくつかの怪談が、波状というか、1つの怪異が弧を描いてじわじわ周辺に影を及ぼしていく、そんなアングルで面白かった。お隣の赤ちゃんも、角のお婆ちゃんも、死んでいくのである。

なお、『怪談五色』にも「暗証番号を入力しれないと入れない」といったケアレスミスがそのまま残っている。紙メディアの苦しいこの時代、外に校正出しもできないかもしれないが、この程度のボリューム、編集者はゲラの通読くらいしてもよいのではないか。

──怒られちゃった。あたしがいけないのね。
──い、いやエリカくん、そんなことは。
──いいえいいえ、あたしさえいなければいいんだわ。
──いや、その、うっうっうー、金縛り。

2013/12/15

退かぬ!媚びぬ!省みぬ! 『北斗の拳 イチゴ味(1)』 原案 武論尊・原哲夫、シナリオ、河田雄志、作画 行徒妹 / 徳間書店 ゼノンコミックス

Photo  この体には北斗神拳はきかぬ!!
  フッ だからといって殴られて痛くないとか
  そういう事では
  ない!!!

『北斗の拳』のスピンアウト、パロディ本である。
DDも楽しいが、こちらは原作からのリライト(トレースなし!)の技術の高さが凄い。その技術をもってとことんギャグですべりまくる覚悟が凄い。

驚くのは、パクリもとのコマの大半に記憶があることだ。富士山は誰が描いても富士と見えるように、『北斗の拳』のコマの一つひとつが様式の域に達していたということか。自分がかつてそれほどまで熱心に少年ジャンプを読んでいたのか、とショックでさえある。

聖帝サウザーをフューチャーした単行本では、懐かしのジャンプコミックスを模した「あらすじ」や読者のページ、聖帝軍漢字ドリルなど埋めページのギャグもグッジョブ。さらに「ターバンのガキ」の謎も(深い)。

2013/12/14

退治しなくていいから! 『瓜子姫の夜・シンデレラの朝』 諸星大二郎 / 朝日新聞出版 Nemuki+コミックス

Photo日本の民話から「瓜子姫とアマンジャク」、「見るなの座敷」、
グリム童話から「シンデレラの沓」、「悪魔の煤けた相棒」、
中国、『聊斎志異』から「竹青」。
いずれも、元の民話や童話とはかけ離れた珍妙な世界がころがり出る。

もともとはっきりしないところの多い瓜子姫の話には何か伝奇系のマンガ家を呼び寄せるフェロモンがあるのか、同じ諸星大二郎の『妖怪ハンター』シリーズに「幻の木」、「川上よりきたりて」、星野之宣『宗像教授伝奇考』にも「瓜子姫殺人事件」がある。どれもこれも描き手が陽光の元に出せない影があり、闇の匂いがある。
新作「瓜子姫とアマンジャク」はそれらに比べるとただ民話風の話作りを愉しんだような作柄で、凛とした女の子が空を飛び、無茶を言うならジブリからアニメ化されてもおかしくはない。

原作をまったく無視して遊び尽くした「シンデレラの沓」は頓狂な展開がただもう楽しく愛おしく、一方「竹青」は中国を舞台にしながら「益荒男ぶり手弱女ぶり」という言葉を想起させるきりりとした剣劇。少なくともどことなく上から目線の太宰の「竹青」なんかよりよほどシンプルで好もしい。

2013/12/11

一所懸命。 『千年ジュリエット』 初野 晴 / 角川文庫

Sennen幕開きからラスト1行まで、予測もつかないひねくれた短編の妙手(ほめているんですよ)。
ひきこもりやオタクなど、よく言やナイーブ、早い話が少々ねじまがった若者心のありようを扱って巧み(だからほめてるんですってば)。
そんな観点で先の乙一に一歩も引けを取らない初野晴のハルチカシリーズ、第4弾。

今回はハルタとチカ(ともに高2)の通う清水南高校の文化祭を書割とし、そこに続々と現れる奇妙な人々の巻き起こす事件が語られる。設定が複雑なぶん、ハルチカの掛け合い漫才はやや控え気味。

ハルチカシリーズはかなり難度の高い「日常の謎」ミステリであると同時に、吹奏楽部の面々の成長を描く青春熱血物語でもある。そんなミルフイユ構造がこのシリーズの魅力なのだが、それは同時に食べ崩れしやすい不安定要素でもある。

たとえば3作め、「決闘戯曲」。ここでは作中劇とその描写の巧みさに思わず帽子をかじってしまうが、よく考えると「右目と左手が不自由な人物が三代にわたって決闘に勝利する」なんていう設定がそもそも無理スジだ。あり得ないでしょ。巻末の「千年ジュリエット」も、おずおずと文化祭を訪ねた語り手をめぐるドタバタを描いて秀逸──というには前提があまりに沈痛で笑えない。バランスがいいとは言えないでしょう、こんなの。

どうもこの作者は1作ごとに問題抱えた登場人物を増やしたくてしょうがないようなのだが、さすがに校内の奇人変人のキャラがかぶってきて少々わずらわしい。
にぎやかなお祭りもいいけど、1冊に1、2作は参加者をしぼってじっくり読ませてくれてもいいと思うの。どうだろう、ハルタくん、チカちゃん。

2013/12/09

Re-Make/Re-Model 『箱庭図書館』 乙一 / 集英社文庫

PhotoWeb企画として参加者に小説原稿を送らせ、『さみしさの周波数』や『ZOO』の乙一が仕上げ直した短編集。

そういう出自ゆえ、乙一ならではのテイスト──たとえばキレキレの残虐性と無慈悲なまでの寂寥感の思いがけない混交──など期待してしまうと、どうしてもはぐらかされてしまう。
また、乙一宛に送られるテキストの傾向が似通っていたためか、予測を覆すレベル、乙一が書きそうにない設定があるかといえば、そうでもない。
全体に乙一の習作を乙一が焼き直した、そんなふうに見えるのだ。投稿作品を元にしながら1つの市の出来事、あるいシリーズキャラクターを描き上げる、というアプローチもさほど効果は上がらない(そのシリーズキャラクターにあまり魅力を見い出せない)。

──などなど、あれこれ食い足りなさを感じさせつつ、「コンビニ日和!」や「青春絶縁体」でクールな人間関係に“らしさ”を垣間見せ、それでも「王国の旗」のヌルさにここまでかと諦めかけさせながら、一転、巻末の「ホワイト・ステップ」で見事逆転のリーヅモピンフハイテイドラドラハネマン。このあたり、さすがはプロの仕業である。
同じ場所にいながら互いに見ることも触れることもできない男女といえば、式貴士『連想トンネル』の「見えない恋人」が懐かしい。あちらはダークに終わったが、「ホワイト・ステップ」の展開の妙、意外性、読み手の心に焼きつく力は群を抜いている。
このアクロバティックな力のどれほどが乙一のリメイクによるものか、それはわからない。それでも、この一作のために『箱庭図書館』を購入して、少なくとも後悔はない。

2013/12/02

空箱。 『パンドラの復活』 原作 青山広美、作画 つかさつよし / 小学館 ビッグコミック

Photo2011年3月11日の震災から1年、前代未聞の“放射能テロ事件”が発生した!
“パンドラ”と名乗る犯人は、東京都M貯水池に、放射能汚染コンクリ片を設置し、原発事故の犯罪人として、政治家や帝国電力幹部、そして原子力ムラの御用学者ら13人に死刑を要求!! パンドラとは、いったい何者なのか?

3月に発売された本作の単行本の帯には「禁断の問題作 ついに単行本化!!」とあり、ネットには「東京電力パロディ漫画『パンドラの復活』突然の打ち切りの裏事情」などという動画もアップされている。
──にもかかわらず、本作はさほど大きな話題にはならなかった。

東京電力や原子力ムラの関係者に対し、死刑を宣告するような過激な内容だったため圧力がかかった──というのが事実どうかは知らないが(正直、相手にされてないんじゃないかと思うが)、ここではそんなことより別のアングルで指摘しておきたい。

そろそろ、皆で、浦沢直樹の『MONSTER』や『BILLY BAT』はつまらないだけでなく害が大きい、ときちんと指摘しておくべきではないか。
過去のある人物をあれこれ組み合わせ、意味ありげなセリフをつぶやかせれば深い人間ドラマになる……わけはない。
ところが、ただそれだけの作品が過大に評価されるものだから、『パンドラの復活』のようなその亜流、亜流といって悪ければ傍流が、発表されるだけならまだしも「禁断の問題作」などというトンチンカンな煽りを羽織ってしまう。

原発事故が大きな社会問題であることと、原発事故を扱った作品が問題作たり得るかどうかはまったく別の話。当たり前だ。少なくとも読み手はその点について大きな勘違いはしていない。本作は多少風呂敷を広げすぎ、それを無理やり畳み込んだ、よくある社会派テイストのサスペンスにすぎない。
勘違いを誘導しかねない煽りがあったとするなら、それが問題なのである。

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