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2013年11月の3件の記事

2013/11/19

くそったれ! 『冬のフロスト(上・下)』 R・D・ウィングフィールド、芹澤 恵 訳 / 創元推理文庫

Photo6月の発売時にはタイトルと時候の落差のあまり「なんとまあ」と取り置いていた『冬のフロスト』、ようやく心おきなく紹介できる季節と今はなった。未読の方は木枯らしをついてさあ本屋に急ごう。

『冬のフロスト』は愛すべきフロスト警部シリーズの長編第5作。
このシリーズ、初期には「モジュラー型ミステリ」と紹介されることが少なくなかった。
モジュラー型というのは、複数の事件が同時に発生し、それがたとえば
  (A)⇒(B)⇒(C)⇒(A)⇒(B)⇒(C)⇒
  (A)⇒(B)⇒(C) ⇒…
と進行して、最後にそれらの事件が複雑に入り組んでいたことが明らかになる、そんな感じだ。

しかし、最近の解説では「モジュラー型」の肩書などさっぱり見かけなくなってしまった。なぜか。
そんな甘いものではないからだ。

『冬のフロスト』においてフロストにふりかかる厄災はいきなり
  (イ)⇒(ロ)⇒(ハ)⇒(ニ)⇒
  (ホ)⇒(ヘ)⇒(ト)⇒ …
本当。巻頭から50ページばかりめくってみればすぐわかる。
事件に次ぐ事件、ミスに次ぐミス、押し寄せる相談者、無能極まりない部下、杓子定規な上司、事件に次ぐ事件、ミスに次ぐミス、以下同。
こんな事態に神ならぬよれよれ警部フロストはどう対処するのか。こうするのだ。

とりあえず(イ)の現場に向かう。(ロ)の容疑者を決めつける。なんてこったい、(ハ)をすっぽかしちまった。とりあえず(ニ)もおいとこう。署長に(ホ)を押し付けられる。久々にベッドに入ったと思えばそこに電話。そういえば(イ)はどうした。(ロ)をとり逃す。(ヘ)が向こうから押し寄せてくる。(ロ)と(ホ)は同じ犯人らしい。すまん、全員残ってくれ。この中から(ト)を探せってのか。ああ、やっちまった……。

フロストといえば、書類の扱いはいい加減、誤認逮捕や請求のチョロまかしもやらかせば、ジョークはお下劣、若い女性にはセクハラ三昧。一見も中身もサイテーの部類だが、決して万事にフマジメなわけではない。事件に対しては誠実だし、被害者への思いやりもある。
それにつけても手が足りない。あまりの忙しさに大切なことを忘れてしまう。被害者の家族に報告するのはつらい。サンドイッチは切れ、紅茶は冷えている。そこに加えて
  (チ)⇒(リ)⇒(ヌ)⇒(ル)⇒(ヲ)
さあ、どうするフロスト。

そんなこんなで上下巻合わせて1000ページ、文庫と思えぬ合計2,600円(税別)の大冊だが、芹澤恵さん苦心の名調子もあいまって読み始めたらもうとまらない。

メインとなる事件そのものは幼女殺害、売春婦強殺など陰惨、ダーティで、必ずしもユーモア一辺倒ではない。もがくフロスト。
こんがらがった糸がもつれてはほどけ、ほどけてはもつれ、読者はフロストとともに冬の夜のデントン市を走る。残りページはあとわずか。そして最後のページ。

フロストは救われるだろうか。そしてあなたは。

2013/11/17

きみょうな死体 『怪奇大作戦 ミステリー・ファイル』 小林弘利 / 角川文庫

Photo怪奇大作戦」といえば、円谷プロが「ウルトラセブン」に次いで手掛けた作品(1968~1969年、TBS)。
狂った天才科学者たちが暗躍する切なくも凶悪な犯罪事件、その謎を追う「科学捜査研究所」(SRI)の面々に個性豊かな俳優を配し、ドラマ性と漆黒の映像美を打ちたてた特撮テレビドラマである。その作風は「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」で怪獣博士化していた当時の子どもたちの日曜日を後戻りできない大人の夕闇に誘ったものだ。

それから45年。
この秋角川文庫から発行された『怪奇大作戦 ミステリー・ファイル』は、NHK BSで放送されたシリーズ新作4話のノベライズ。

断っておくが、サイエンスホラーとして、本書収録短編の出来そのものは決して悪くない。各作に通底する重さ、行き過ぎた科学が引き起こす事件の悲惨さ、トリッキーさなどなかなかのもの、と評したい。
(ノベライズの文体も心理描写が豊かで、ドラマのノベライズによくあるセリフにト書きの金釘流ではない。)

ただ、急激にミイラ化した変死体にマスクもなしに素手で触るなど(空気感染あるいは接触感染する病原菌が死因だったらどうするつもりだ)、捜査手法上のいくつかの細かな疑問点以上に、どうしても違和感を感じざるを得ないのは、SRIのメンバーに的矢、牧史郎、三沢京介など、旧作と同じ名を割り振っていることだ。
旧作における原保美の的矢所長、(怪優!)岸田森の牧史郎、勝呂誉の三沢京介、加えて(科特隊キャップ!)小林昭二の町田警部。これらはそれぞれの代表作といえるほどはまり役だった。それを同じ名のまま役者を変え、キャラを変え、設定を変え、とくに所長や警察側の窓口にいたっては男優から女優に変えているのだ。初代ドラマを見知っていて混乱しないわけがない。

もう1つ。
SRIを予算に窮乏する官民出資の第三セクターとするなど、現代風なリアリティを追求したがゆえに、ストーリーが縛られた。捜査権がないため警察からの依頼がなければ(依頼が取り下げられては)それ以上調査ができないという設定は、ストーリーにシリアスフレーバーこそ付け、「怪奇大作戦を社会派ドラマにして何が面白いんだ」という気のしなくもない。
また、ネタバレになるため詳しくは書けないが、いくつかの作品において犯人像、そしてSRIがその正体を明らかにする作業が同工異曲と化した。これもリアリティに追われたためだ。

もちろん、洋館地下室で試験管とビーカー(ゴポゴポと白い煙を吹く)を手にするマッドサイエンティストや南の島のプールの地下にロケット発着場を敷設する大金持ちなんて今どき描くことはできない。それは正しい。正しいのだけれど。
どうせホラ噺なんだから、もう少し身勝手なホラを吹いてもよかったのではないか。

2013/11/11

倒叙たること風の如し 『福家警部補の再訪』 大倉崇裕 / 創元推理文庫

2これからケチをつけるので、大倉崇裕や福家警部補のファンの方は決して読まないでください。

   ☆   ☆   ☆

あ、こら。読むなと言うに。

   ☆   ☆   ☆

しょうがないな。ちゃんとお断りしたんですからね。怒っちゃダメですよ。では、本文。

   ☆   ☆   ☆

『実験刑事トトリ』など見ていると、NHKのDNAに刻み込まれた『刑事コロンボ』のインパクトがいかに強烈だったかがわかる。
倒叙ミステリほど面白いものはない、倒叙ミステリならきっと面白いはずだ。
もちろん、間違いである。

オープニングは殺害現場、限られた時間内で犯行秘匿に工夫をこらす犯人が描かれ、後から登場した探偵がその謎に挑む。
「福家警部補」シリーズもそうした倒叙形式で綴られたミステリ作品の一つで、1巻め『福家警部補の挨拶』収録の「オッカムの剃刀」はやはりNHKでドラマ化された。大倉崇裕は通好みのミステリ作家。落語や怪獣に詳しく、また『刑事コロンボ』シリーズの翻訳(ノベライズ)でも知られている。
とあらば「福家警部補」シリーズも面白くならないはずがない、

……いや、期待したほどには面白くない

倒叙ミステリの枢要は、それが、探偵やワトスンでなく、犯人側の心理・視点を中心に描かれることにある。犯行にいたったやむなき事情、実行時の計算高さ、事後の余裕、そして焦燥。そこにおっとり現れる探偵。

だから、コロンボはとぼけた口調でなければならない。捜査側の手の内を明かしてはいけないから。
コロンボはしつこく意地悪でなくてはならない。犯人が焦ってボロを出すようしむけるため。
そしてコロンボは優しくなければならない。すべてが明らかになったのち、犯人を、犯行を惜しむために。

最後の一つは少し説明を要するかもしれない。
思い起こしてほしい。いくつかのラストシーン、コロンボは首をふり、ため息をつく。あるいは犯人の労をねぎらう。もしくはなんらかの才能(犯人のことだ)の喪失を惜しむ。
やはり倒叙ミステリの雄たる古畑任三郎ならこう言うだろう。「残念です、○○さん。……残念です」
この最後の数分、数秒をなめてはいけない。これこそ、コロンボや古畑が犯行にいたる過程、犯人の思いをすべて読み切ったことを示す「記号」なのだ。

残念なことに福家警部補には、こういった、犯人から、犯人だからこそ見える探偵としての記号がない。スタイルがない。
「福家警部補」シリーズがコロンボの設定や展開を徹底的に踏襲し、なぞりながら、名作足りえないのは、この、おとぼけ、意地悪、優しさ(ないしそれらに代わる特性)に欠けるためだ。
福家警部補は確かに初対面で犯人を見破り、律儀に謎を追い、最後には犯人を暴く。だが、それは探偵側の捜査の物語にすぎない。

別の言い方をしてみよう。

新刊『福家警部補の再訪』収録の4作を振り返ってみると、結局、最後の決め手は几帳面な捜査に基づいた物的証拠となっている。それは詳らかに用意された伏線と、それを解明してみせる本格ミステリ作家の努力と誠意の結果である。
しかし、倒叙ミステリとしてみるとき、その結末は正しくない。

倒叙ミステリは犯人側の心理から描く、この定義が正しいなら、それはつまるところ犯人の自滅の物語でなければならない。
コロンボや古畑は真実を暴く有能な探偵ではなく、ただ犯人が自ら破滅するための装置に過ぎないのだ。彼らは神や絶対的倫理の不確かな時代に、風の音や物影の代わりに犯人をして自白にいざなう触媒である。風や影が犯人を暴くために苦労するだろうか。

本格ミステリの噛み合わせに重きをおくあまり、風あるいは影たりえない「福家警部補」シリーズは、その限りにおいて倒叙ミステリである必要などないのである。

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